超多忙な中、田原総一朗さんが兵庫県西宮の「鈴木ゼミ」に駆けつけてくれました。本当にありがとうございました。
「田原さんが来る!」というので予約が殺到。満員になってしまいました。「どうしても聞きたい」と当日来た人は、(申し訳なかったのですが)立ち見でした。
「脱原発アイドル」の藤波心ちゃんも来てくれました。
衝撃の芝居「ツレがウヨになりまして」の監督・高間響さんも来てくれました。
このお二人もゲストにして「鈴木ゼミ」をやりたいですね。
田原さんは日本で最も忙しいジャーナリストです。夜、東京で仕事がある。普通なら、そこで断る。とても西宮まで行ってはいられない。でも、「鈴木さんと話すのなら」と、無理に時間を作ってくれた。
飛行機で来て、飛行機で帰る。西宮滞在は3時間ほどだ。
その3時間をフルに使い、熱く語り、激論し、問題を提起し、そして帰って行った。
会場は西宮駅近くのCaféインティライミ。午後2時から始まる。
大阪のテレビ局も取材させてほしいという。新聞記者も多い。
何せ、話は「25年たった赤報隊事件」だ。そして、田原さんが何を語るか。それを聞きに来たのだ。
いつものゼミなら、2時から5時まで。その後、近くのレストランで二次会だ。
でも、田原さんは、夜、東京で仕事がある。会場を4時半には出て、車で飛行場に向かう。じゃ、2時から30分話してもらい、その後、私とトーク。ラスト30分で質問を受ける…と決めた。
でも、田原さんに一言、挨拶したい人もいる。一緒に写真を撮りたい人もいる。その時間も取りましょう、と司会の岩井さんから提案があり、2回ほど、その時間を取る。
始まる前、迎えの人と共に田原さんが来たのは午後1時15分頃。待ち合わせの喫茶店に入って来た。事情を知らないお客さんが、「おうっ!」と驚いていた。何があるんだ、何が起こったのだ、という感じだ。
簡単な昼食を取ってもらい、打ち合わせ。2時ちょうどからやりましょう、となった。
でも時間がもったいないから、私が始まる前に喋りましょう、となった。
ゼミ始まって以来だ。時間前に始まったのは。テーマは、
〈25年目を迎えた朝日新聞阪神支局襲撃事件の真相と意味
=今、言論の自由と暴力の問題を考える=〉
凄いテーマだ。挑発的なテーマだ。先週このHPで書いたように、私は〈覚悟〉を決めて、このゼミに臨んだ。赤報隊のことについて、田原さんから問い詰められたら、〈全て〉を喋ってしまうかもしれない。
ただ、それだけではなく、サブタイトルにあるように、今の「言論の状況」についても考えたい。そういう思いもあった。
最近、捕まった菊地直子。そして、オウム真理教の問題。
又、今、上映されている若松監督の「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」。それを通して、三島事件以降の日本。言論の不自由。テロ(赤報隊)と言論…。などについて田原さんに聞いてみたいと思った。
だから、田原さんに、わざわざ、来てもらったのだ。という話を私は前座でした。
「11.25自決の日」の公式本が今、映画館で売られている。田原さんも、そこに原稿を書いている。そして森田必勝氏の思い出を書いている。
森田氏が三島と共に自決したのは42年前だ。その前に、田原さんは「学生右翼」というドキュメントを撮っている。そこで、日学同の学生たちの活動を撮っている。
「楯の会」に移る前の森田氏の姿が映っている。ビラを撒いている森田氏。勉強会で話している森田氏。森田氏の動画が残っている。それも、これだけだ!
この「学生右翼」は、今、「田原総一朗の遺言」として全7巻で発売されている中の1つだ。
他にも、全共闘、連合赤軍などを扱っている。貴重な、歴史的資料だ。
田原さんがいなかったら、森田氏の「動画」は残ってない。ありがたい話だ。
三島の映画公式本の中で、田原さんは、森田氏について、こう書いている。
〈三島と一緒に自決した森田必勝に、早稲田で右翼運動をしていたときに、“なぜ右翼なのか”と問うた。“だって早稲田では左翼が体制ですから”と森田は躊躇せずに答えた〉
実は、森田氏は、高校時代は、どちらかといえば、「左翼青年」だった。
彼の日記を読むと、「右翼嫌い」で、浅沼さんを殺した山口二矢や、中央公論社の社長宅を襲った小森一孝を批判し、恨んでいた。そして、「右翼は憎い」「僕は左翼だから」と書いている。
別に、どこかの左翼組織に入っていたわけではないが、正義感の強い高校生だった。左翼=正義と思っていたのだろう。
早稲田に入ったら、当然、全共闘に入ろうと思っていた。そんな熱い思いがあった。
ところが、早稲田では左翼が体制だった。「左翼(全共闘)にあらずんば、学生にあらず」といった感じだった。
左翼批判は一切、許さない。言論も暴力も全て、全共闘が独占していた。一般学生は何も言えない。そんな全共闘の「学園支配」に森田氏は戸惑い、反撥した。
そんな時、全共闘と闘う少数派を見た。日学同の学生であり、私らだった。全共闘と激論し、時には殴り合いするのを、見ていた。明らかに、我々にシンパシーを持ってると思った。
だから、私らが声をかけ、喫茶店で話をした。仲間に誘った。オルグだ。
そして森田氏は日学同の熱心な活動家になり、さらに三島に出会い、「楯の会」に入る。あとは、「11.25自決の日」に一気に進む。
映画では、普通の「左翼的な生徒」だった森田氏が、なぜ、あそこまで思いつめ、自決にまで至ったのか。そのプロセスがよく描かれている。
又、若き三島が、学生たちと出会うことによって、自決へと進む様子もよく出ていた。
三島について田原さんは、こう書いている。全共闘とからめて…。
〈若松監督は、“全共闘の連中は身体を張り、生命を賭けて既存の制度、構造、つまり体制を破壊すると意気込んでいたのに、体制破壊に本当に命を賭けたのは三島由紀夫一人で、あとはみんなどこかに逃げ込んだ。だから三島由紀夫をやりたいと思った”のだといった。この言葉は限りなく重い〉
残された私たちにとっても、限りなく重い。
1970年11月。森田氏を運動に誘った我々は皆、運動の世界を〈卒業〉していた。
私は、産経新聞に勤めていた。他にも、大学院に行った者、故郷に帰った者、家業を継いだ者、企業に就職した者…と、沢山いた。
森田氏を運動に誘った「先輩」たちは皆、運動をやめて、「こちら側」の世界に戻ってきていた。
森田氏は、「向こうの世界」に残り、国のために命を賭け、自決した。三島と共に。
田原さんが言うように、三島だけは逃げなかった。体制破壊に命を賭けた。
我々からしたら、(我々は逃げたが)、森田氏だけは逃げなかった。体制破壊に命を賭けたのだ。
この事実は、重い。限りなく重い。
我々は、その事実にショックを受けた。やましさを感じた。
そして、昔の右派学生運動仲間が再び集まり出した。それが一水会であり、新右翼運動と呼ばれる人々だ。
今、三島事件から42年。天皇、改憲、愛国心を言う保守派は多い。時代は「右傾化」だと言われている。
しかし違う。同じことを言ってるようで、今は、天敵のいない「安全圏」でものを言ってるだけだ。三島とは全く違う。
三島は、たった1人で全共闘と闘い、又、憲法改正を叫ぶために命を賭けた。憲法改正は、それだけ重いテーマだった。
今は、あまりに言葉が軽い。大きな問題を論じようとしない。言論界も、逃げている。
「こんなことをやったら抗議が来るのではないか」と脅えて、自主規制する。闘う気がない。
そんな中で、田原さんだけが1人、敢然と闘っている。…といった話をした。
2時からは、田原さんの講演だ。30分、話をする。そのあと2人で話した。
「赤報隊は体制を狙った。朝日であり、中曽根であり、強固な〈敵〉があり、〈体制〉があった時代、それに向かった」と言う。
今は、体制がない。だから赤報隊はやめたのだ。もうない。そう断言する。
その上で、現代の言論の状況、言論の不自由について具体的に話をする。そして2人でトークし、さらに会場の人々からの質問を受ける。
中には、田原さんを論破してやろうとかかる勇気のある人もいたが、田原さんは一歩も退かない。熱く、激しく、反論する。
4時30分、田原さんは会場を後にした。会場に詰めかけた人々は、興奮冷めやらないまま、残り、まだまだ話したい、聞きたいという状況だった。
それで、二次会も、この会場でやることにし、皆に残ってもらい、〈討論〉を続けた。
藤波心ちゃんや、「ツレがウヨになりまして」の高間監督はじめ、いろんな人々に発言してもらい、さらに討議を続けた。
又、この日、上祐さんたちと親しいオウム・ウォッチャーが来ていたので、私とトークしてもらった。
オウムは崩壊したが、そのあと、「アーレフ」と「ひかりの輪」の2つが生まれた。そこには今でも若い人々が続々と入会しているという。何故なのか。
又、菊地直子は17年も逃げていた。事件当時、捕まっていたら、今頃は、とっくに釈放され自由の身になってたはずなのに、何故、逃げたのか。そうした問題についても話し合いました。
あっ、今週は他にも沢山、書くことがあったのに「鈴木ゼミ」だけで終わってしまった。
それに、金曜日(8日)から水曜日(13日)の間に、やたらとビッグな人たちに会いましたよね。そうした「場」がない限り、私なんかとは、会ってくれないでしょう。その点は幸せでした。
8日(金)は、ロシア大使館で、ロシア大使、アメリカ大使、中国大使に会って話をした。柔道の山下さん、国民新党の浜田さん、公明党の山口さん、防衛大学校長の国分さんに会い、話をした。
9日(土)は、瀬戸内寂聴さん、中村泰士さん、人間国宝の志村ふくみさん、鷲田清一さんなどに会いました。
10日(日)は、田原総一朗さんと「鈴木ゼミ」。
11日(月)は、ねづっち、コージー富田さん。
12日(火)は、ザ・グレート・サスケさん、矢追純一さん、中村ゆうじさん。
13日(水)は、前法相の小川敏夫さん、ジャーナリストの今西憲之さん、お笑い芸人の古賀シュウさん、テルさん。
いろんな分野のビッグな人たちに会い、感激でした。教えられることが多かったです。これは私の宝です。財産です。
これから、又、いろんな所で話を聞いていきたいと思います。ありがとうございました。
夜7時から、新宿ロフトプラスワンへ。プロレスラーのザ・グレート・サスケさんのトークライブを聞きに行く。今日のゲストはUFO研究の第一人者・矢追純一さん。初対面でした。UFOの動画もあり、興味深かったです。又、いろんな人生論もあり、勉強になりました。途中から、中村ゆうじさん(芸人)も参加。私も、終わり頃、舞台に上げられて、お話をしました。
午後2時、文化放送へ。「あれっ、今日は早いですね」と言われた。いつもは3時入りなのだ。朝から出てたし、早く行って、予習し、準備しようと思ったのだ。なんせ今日は小川敏夫・前法相がゲストだし。それにジャーナリストの今西憲之さんも来る。小川さんは、「指揮権発動」しようとしてクビを切られたといわれる。その真意を聞く。又、死刑執行にサインをした。私はそれに抗議する集会に行った。そのことでも聞いてみたい。
今西憲之さん(ジャーナリスト)は最近、衝撃的な本を出した。『福島原発の真実=最高幹部の独白』(朝日新聞出版)だ。最高幹部の「告白」も凄いが、最高幹部と共に、福島に行き、原子炉建屋の中に入った。
勇気がある。誰もやらなかったことをやった。命がけの取材だ。そこから見えてくる原発問題の真相を書いている。
3時半、今西憲之さんが来た。「初めまして」と挨拶しようとしたら、「鈴木さん、久しぶり!」。エッ?前に会ったっけ。「何度も会ってまんがな!」とコテコテの大阪弁で言う。「創」の関係で会ってるし、鹿砦社からは本を出している。『内部告発—権力に弓を引いた三人の男たち』だ。あっ、あの本か、と思い出した。
そして本番が始まった。「小川前法務大臣が語る、指揮権発動の真意」。初めに寺ちゃんが小川さんの紹介をする。裁判官、検察官を務め、弁護士に。そして1998年の衆議院議員選挙に民主党公認で初当選。今年1月に、野田第一次改造内閣で法務大臣に任命され、6月4日(月)の内閣改造で法務大臣を退任。
「これは、プライベートな情報ですが、お好きなものはレバ刺しだそうです」と寺ちゃん。
「夏バテ対策にはこれは一番いいんです。でも、もうすぐ食べられなくなるので、食いだめしておかなくては…」と小川さん。
「それと、石原裕次郎が好きで、カラオケでは『嵐を呼ぶ男』を歌われるそうです」と寺ちゃん。「小川さんも、嵐を呼ぶ男ですね」と私。
ここで本題に入る。民主党の小沢元代表の政治資金をめぐる事件で、東京地検特捜部の検事が事実と異なる報告書を作成していた。この問題について、小川前法相は、先週月曜日の退任会見で、こう発言した。
「指揮権の発動を決意したが、総理の承認を得られなかった」。
6日にやろうとする前(4日)に、クビを切られた。これが原因ではないかとも言われた。
私も余り知らなかったが、「指揮権発動」という言葉には余り、いいイメージがない。昔、灰色の政治家を庇って、検察に捕まらないようにした、といった一面的なイメージしかない。
しかし、これは「指揮権」のほんの一部でしかない。法務大臣は、個別の事件について、検事総長を指揮することが出来る、というもので、法律で決まっており、こうした指導、決定は何度もやられてきたという。小川さんによれば、検察の捜査報告書は検事の記憶違いではない。ほぼ全部が架空だ。これでは検察は全く信用出来なくなるし、潰れる。キチンと指導し、注意しなければ、と思った。そして総長を呼んで会おうとしたら、その2日前にクビを切られたという。
この裁判で、当の田代検事は「記憶が混同した」と言って逃げた。こんなことがあるか。これでは国民に全く信用されないと、小川さんは言う。正論だ。小川さんにやってもらいたかった。
又、小川さんは、かつては「さきがけ」からスタートしたし、永住外国人の地方参政権を認めようと運動したり、従軍慰安婦、靖国問題でもリベラルな発言をしてきた。
「そうなんです。右からも左からも攻撃されてます。参政権や慰安婦では右翼の街宣車に押しかけられ、死刑問題では左翼から攻撃されてます」と小川さん。そのリベラルな小川さんが、なぜ死刑執行にサインしたのか。又、130人いる死刑確定者の中から、どういう基準で選んだのか。死刑にかわる制度はないのか…などについても聞いた。
小川さんはそれらについて、キチンと答えてくれた。私が死刑反対で、その集会に出てることも知っている。事前に、それを書いた台本も送っている。それでも出てきてくれた。立場は違っても、勇気のある人だと思った。だから、穏やかに、そうした話が聞けた。又、今西憲之さんも勇気あるジャーナリストだ。
この日は、他に、「大飯原発の再稼働」問題、消費税増税問題などについても、3人でじっくり話し合いました。
このあと、Wコロンの謎かけ、Ust延長戦。
⑤6月8日(金)、木村三浩氏がロシア大使館に招待され、私も付いていきました。ソ連邦が崩壊し、新生ロシアが生まれた「ナショナル・デー」です。この日は。その記念と、新大使の挨拶がありました。ロシア連邦大使のE・V・アファナシエフさん(中央)とご夫人です。左は木村三浩氏。右は中村明彦氏です。
この日は、他にも、アメリカ合衆国大使のジョン・V・ルースさんにも紹介されました。又、中国特命全権大使の程永華さんにも紹介されました。緊張しました。ちょっと前なら、ありえないでしょうね。さらに、公明党代表の山口那津男さん、防衛大学校長の国分良成さんとも話をしました。
⑥ロシア大使館に入る前、木村氏が何と、山下泰裕さんと一緒に歩いて来ました。「何度かロシア大使館で会ってます」と木村氏。驚きました。感激しました。でも、ロシアのプーチンさんも柔道の黒帯で、山下さんとは親しいんですね。「私も講道館に通ってます」と山下さんに挨拶しました。又、柔道の話をお聞きしたいです。
⑧6月9日(土)午後4時から、ニュー・オオサカ・ホテルで行われた「コリア国際学園後援会設立に向けた集い」。設立発起人の記念撮影です。前列には、中村泰士さん、志村ふくみさん、瀬戸内寂聴さん、鷲田清一さんがおります。
⑨この「集い」では、第1部が鷲田清一さんの記念講演「教育力とは何か」。とてもいいお話でした。鷲田さんの文は大学入試によく出ます。学校で私も教えているので、よく読んでます。と話しました。又、ゆっくりお話を聞きたいです。
⑩第2部の懇親会で。瀬戸内寂聴さん(作家)と。今年90才だそうです。「今日の挨拶が最後になるかもしれません」と言ってましたが、とても元気でした。瀬戸内さんは、大杉栄、伊藤野枝について何冊も書いてます。又、連合赤軍事件の永田洋子さんのことも。その本についてもお話を聞きました。
⑬6月11日(日)、新宿ハイジアビルの「V1」で。ねづっちさんのライブを聞きに行きました。面白かったです。左から(ものまね芸人の)コージー富田さん。文化放送の貞包みゆきアナウンサー、ねづっちさんです。
⑭6月12日(火)、ロフトプラスワン。今月から、サスケさんのライブが定期的に行われるそうです。第1回のゲストは矢追純一さん。UFO研究の第一人者です。実は、サスケさんもUFOには詳しいんです。左から、ザ・グレート・サスケさん。矢追純一さん、サスケさんのシャツには、「UFO研究家」とプリントされています。とても面白かったです。
⑯6月13日(水)、文化放送に、何と、前法務大臣の小川敏夫さんが来てくれました。そして、ジャーナリストの今西憲之さんも。左は寺島アナウンサーと、貞包アナウンサーです。小川さんは「指揮権発動」や「死刑」の問題について、詳しく話してくれました。