私は「愛国心」はないが、「愛校心」はある。だから、中学校の同窓会には行った。万難を排し、時空をワープして行った。
54年前の卒業生だから、もう、タイムトラベルした感じだ。前世の記憶のようだ。
風景は一変してるし、顔も知らない。言葉も分からない。「…だども」「んでねっが」と話している。
顔も胸も、ペッタンコの人だけが住んでいる。そんなジャポンにワープしてきたローマ人のようだ。そんな漫画があったが、それが私だ。
あっ、「愛国心」はないと言ったけど、胸の中に少しだけはある。
でも、それは外に向かって、叫ぶべきものではない。「オラは愛国者だど!」と叫べば、必ず、そうでない(と思う)人々を排除する。つまり、他人を攻撃し、排除する「兇器」になるんですよ。この「愛国心」「愛国者」という言葉は。
愛というなら、自分の周りの小さなものから愛すべきだ。
それが出来なくて、いきなり、「国」や「人類」や「宇宙」を愛する、というのはウサン臭い。と三島由紀夫も言っていた。自分だけが、この国家からポンと飛び出して、上から人々を見下して、「この国を愛してやってる」というのは思い上がりだという。
そうですよね。家族や地域や学校や、周りの人々を愛せないで、「でもオレはこの国を愛している」というのは変でしょう。それに、そんな「飛び級」的な愛は危険です。
たとえば、自分の妻は愛せないが、他人の妻(たち)なら愛せる。自分の町は嫌いだが、地球は愛せる。だからエイリアンと闘わなくてはならん。自分の子供は嫌いだが、「地球の子どもたち」は愛し、救うべきだ。
そんなの、変ですよね。でも、そんなことを言っている人はいる。女房に逃げられた。家庭崩壊だ。それなのに「愛国心」を絶叫する人がいる。多い。
そんな大きな愛はいらないのでしょう。愛は小さくていい。家族への愛。みやま荘への愛。上高田、中野区への愛、学校への愛。それくらいでいいでしょう。
目に見える、周りのものへの愛さえあればいい。それが、即、「愛国心」につながるのです。
具体的な立ち位置への愛を忘れた「飛び級」愛は、本当はいらないし、危ないのです。
私は今でも湯沢中学校校歌を歌うことが出来る。(湯沢東小学校の校歌も歌える)。東北学院高校、早稲田大学の歌も歌える。
日本一の愛校者だ。「愛校者検定」があったら、私は一級だ。「一級愛校士」だ。
同窓会の時、湯沢中学の校歌を歌った時は、ジーンときて、涙が出た。
「紫匂う鳥海を 遥かのあなたふりさけて
我等は競う 春と秋 あゝ風雪を堪え凌ぎ
勉学一路 励みゆく 若竹 湯沢中学校」
これが1番だ。空で私は歌えた。鳥海とは鳥海山だ。湯沢からはよく見えた。
それに私らは、「若竹」だったんですよ。私らは、グングン伸びたんですよ。竹の子のうちに採られないように、グングン伸びて、大きな竹の木になったんですよ。
私は、中学1年で172cmあった。当時はデカイ。5番以内に入っていた。「巨人病じゃないか」と心配した。それで、「いかん」と思って、伸びるのをやめた。だから今でも172だ。
あの時、もっともっと伸びていいんだよ、と自分に言い聞かせたらよかった。そうしたら今頃は3mだよ。
校歌だが、1番は「若竹」で、2番は「若駒」(馬ですよね)。3番は「若鳩」だ。私らは、伸びる竹であって、走る馬であって、平和の鳩なんだ。これが理想だったんだ。
3番はこうだ。
「茜の雲に 昇る陽に 希望の翼 うち振りて
我らは望む 高き空 あゝ友愛の 花かざし
平和の道を拓きゆく 若鳩 湯沢中学校」
今、知ったけど、よく出来ている。
空を望み、翼をうち振り、鳩になって、平和の道を拓くのだ。右の翼だけではダメだよ。両方の翼をもって、はばたき、高い空へ飛びなさい。というミッションだ。知らなかった。
この歌に私は鼓舞されて、その後の54年間はあったのだ。中学の時に、すぐに、そういう使命を与えられてたんだね、私は。「校歌に隠された秘密のミッション」だ。
だって、2番は〈愛国心〉について触れている。それは控え目に持って、3番の「友愛」「平和」の世界に高く飛びなさいと言うのだ。
では、2番だ。
「緑の風に水光る 雄物の流れ 清らかに
我等は鍛う 身と心 あゝ双肩に 国興す
理想を担い 進みゆく 若駒 湯沢中学校」
ほら、見んしゃい。「双肩に 国興す」と書かれている。雄物とは雄物川だ。中学生の頃は、何のことやら分からんかった。
でも、毎日歌っているうちに、自分の血となり肉となり、思想になったんだろう。
そして3番にあるように、翼が生えてきて、右翼になっちゃった。
ともかく、2番の「国興す」から3番の「友愛、平和」への進化のプロセスがいいですね。これはむしろ国歌にすべきだろう。そう思いましたね。
そうだ、携帯の着メロは、この校歌にしよう。聞いてみて下しゃんせ。
では、同窓会の話だ。6月23日(土)〜24日(日)に、湯沢の「秋田いこいの村」で行われた。万難を排して行きましたよ。岡山から秋田まで、日本縦断の旅だ。
だって、22日(金)は岡山で「レコンキスタ読者の集い」が行われた。木村三浩一水会代表と私が出席した。2人が講演し、質疑応答。
今年は一水会結成40年だ。その結成当時の話を私はした。終わって、二次会。遅くまで飲みました。そんで岡山に泊まった。
翌、6月23日(土)だ。午後2時に秋田県湯沢市の生涯学習センターに集合だ。そこからバスで「秋田いこいの村」へ向かう。
岡山を朝一番の新幹線に乗り、東京で秋田新幹線に乗り換え、大曲で降り、奥羽線に乗って湯沢に行く。それが普通だろう。
でも、2時に着かない。そうだ。飛行機があった。でも、岡山から秋田への直行はない。伊丹で乗り換えか。それともフェリーを使うか。一端、ソウルに行って、そこから秋田に行くか。その方が安いらしい。いかん、西村京太郎の推理小説じゃない。
パソコンで、いろいろ探して、新幹線と飛行機、バスを乗り継いで、やっと湯沢に着いた。
でも、20分遅れた。バスは行ったあと。「生涯学習センター」の事務局の人に「タクシーを呼んで下さい。5千円でも1万円でも、行きます」と言ったら、「じゃ、携帯するから。バスに戻ってもらいましょう」。
そんな、出来るはずないよ。5台で分乗して行っている。いろいろ連絡してくれて、個人で車で行ってる人に連絡がついて、戻ってもらった。申し訳ない。
それで、会場の「秋田いこいの村」に着く。
もう皆、着いている。「昭和33年度生」の卒業生だが、135名が参加している。
当時、子供が多くて、9クラスあった。1クラス45人として、400人ほどだ。
そのうち、54年間で50人ほどが亡くなっている。すると、残っているのは350人か。
そのうち135人が、全国から集まってくれた。凄い。
会場に着いた時は、全体の記念撮影は終わっていた。
「でも、上の方に2人だけ入れますから」と個別に撮影。2人だけ、上の方に丸く、写真が載る。こんなの初めてだな。
午後3時30分、大会議室で、お祓いの神事がある。
厄年でもないのに、と思っていたら、「古稀」のお祓いだという。これからも健康で、無事で、警察に捕まったりしないように、という神事のようだ。
「でも、オラ、まだ古稀でねえだ」と言ってる人がいる。「たしか、68のはずだぞ」と。
主催者が、「いや、おめでたいことは早目にやるもんです。それに数え年でやりますから」。
全然めでたくねえぞ。「まだ、数えでも70にはなんねー」と言っている。
そして、風呂に入り、午後5時30分から8時20分まで「栗駒の間」で大懇親会。男75名、女60名計135名の大宴会だ。壮観だ。
すぐに打ち解けて、席を移動して、語り合う。私もかなり飲んだ。
堀君に言われた。「たかじん」見たよ。文化放送も聞いてるよ、と。「かあちゃんに、この人はオラの同級生だった、って言ったんだよ」。
嬉しいですね。でも、ちゃんと本当のこと言ってよ。
「こいつは今、偉そうに喋ってるけど、中学の時は、オラよりずっと成績悪くて、ただのアホだったんだよ」って。
ほんと、私はボーッとした中学生だった。日本に天皇がいることも知らなかった。首相がいることも知らなかった。
私よりも、堀君や、常助君、久杉君など、頭のいい人は沢山いた。ボーッとして、相撲ばっかりとってた私が偉そうなこと言ってて申し訳ありませんと謝った。
小学校から同じ人もいる。小学校では、夏は海に行ったよな、と同級生と話し合った。
海の近くの学校の講堂に寝た。男女も一緒に寝た。
あの頃は「男女別々」にするという発想がなかったのかな。身体検査も男女一緒だ。男女共、上半身裸だ。
悪ガキが、「おい、クニオ、見にいぐべ」と言う。胸のふくらんでいる女の子がいて、それを見に行こう、というのだ。
「そんなごど、やんだ」と言ったが、従わないと、いじめられるので、嫌々、見に行った。確かに、ふくらんでいた。
それから54年。(いや小学校だから)56年か。
同窓会で皆と酒を飲んでたら、当の女の子(昔の胸の大きな小学生)が通った。だから、「この前は、すみませんでした」と謝った。本人は忘れてる。「いやらしい」と言われた。
中学生の時、マラソン大会をさせられたよな、と話していた。
私は走るのは苦手だ。5キロか10キロか忘れたが、走って、死にそうになって戻ってきた。ホント、ぶっ倒れそうだった。
「そん時、クニオはA子に抱きかかえられたんだよな」と冷やかされた。
あっ、そんなことがあったな。恥ずかしかったな。でも、嬉しかったな。と話していたら、そのA子さんが来た。
凄いな。54年の年月をビュンと飛んで、ワープする。だから「あの時はどうもありがとうございました」と礼を言った。青春の貴重な思い出だ。
そうしたら、「あれっ? そんなことあったの」。全く、憶えてないんだ。純情な少年の記憶は、踏みにじられてしまった。
大宴会が終わってから、今度は、クラス毎に別れて二次会。私は8組に入れてもって、カラオケルームへ。皆、勝手に喋り、勝手に歌っている。
「おーい、中村君!」なんて歌ってる奴がいる。あっ、大昔、こんな歌があったな、と思った。他には、三波春夫とか三橋美智也だ。54年前で皆は〈時間〉が止まっているよ。
まァ、たまにはいいだろう。思い切り、センチメンタルに、昔の思い出だけで酒を飲み、夜は更けていきました。オワリ。
又、株式会社にしておくのもおかしい。「株が下がった。何とかしろ」という人がいる。又、株主にしたら、廃炉にしてほしくない。早く再稼働してくれ…という声が強くなる。〈国家の安全〉の問題なのに、それを株式会社にしておいていいのか。
猪瀬さんも、「反省がない! まず会長は辞めろ!」と言っていた。1人、頑張っている。さすが元信州大学の自治会委員長だ。橋下さんも関電の総会に出て、叱っていた。頑張ってもらいたいね。
次の「編集長は見た!」は、「サピオ」の三浦和也編集長。特集は、
〈いつの間にか数百万台! 最新の監視カメラは「暗闇で犯人を追いかけ攻撃する」〉
凄いね。犯人を追いかけるんだよ。さらに、逃げても分かるように、色の着いたペイント弾を発射するのもある。気をつけなくっちゃ。
さらに、『サピオ』の特集は、
〈公安警察の情報術〉
〈24時間徹底監視する「行動確認」から「スパイ養成」まで…。
秘匿された公安警察「活動実態」、組織、、隠語を公開する〉
公安のことは大体分かってると思ってたが、知らないこともあった。隠語も分からなかった。「モグラ」「ハントオフ」などだ。
そのあと、Wコロンの謎かけ。Ust延長戦。来週の打ち合わせをやって帰る。
本間さんは、博報堂に勤めていたエリート営業マンだった。ところが金を払ってくれない取り引き先の金を、自分で立て替える。博報堂の株の上場話があり、そのために、友人たちから金を借りる。少しずつ返していたが、返しきれなくなり、訴えられる。それで、黒羽刑務所に。
出てから、『転落の記』(飛鳥新社)などを書く。今回は、長年勤務していた広告代理店の話であり、詳しい。そして、いかにして代理店は原発とかかわり、PRしていくのか。その点を詳しく書いている。
たとえば、目次では、
〈経済原理と報道〉
〈電通と博報堂〉
などがある。要は「クライアントへの滅私奉公」なんだ、と言う。迫力ある本で、私は一気に読んだ。
午後7時に、私は中座して、渋谷に向かう。渋谷アップリンクへ。6時から「孤独なツバメたち=デカセギの子どもに生まれて」が上映されていて、午後8時から中村真夕監督と私のトーク。それともう1人、正津勉さんが加わってくれた。
正津さんは、ジャナ専(日本ジャーナリスト専門学校)に30年勤めていた。私もそこで5年ほどいた。
実は、正津さんは、中村真夕監督の実の父なのだ。前にK’s cinemaで中村監督とトークした時、「「今度、やる時はお父さんも呼んだら」と言ったら、本当に呼んでくれたのだ。ありがたかったんで、久しぶりに正津さんと、ナショナリズムの問題、難民の問題などを話し合いました。
終わって、駅前の居酒屋で飲みました。
②小学校、中学校と同じ人が結構いるんです。懐かしい写真を持ってきてくれました。これは、湯沢東小学校を卒業した日、写真館で撮ったものです。「一生の記念だし、歴史に残るから」と言った同級生がいたんです。「だから、写真館でちゃんとした写真を撮ろう!」と。マセたことを言う小学生ですね。お金も高かったでしょうし。小学生がちゃんと払ったんでしょうか。
6月27日(水)文化放送で、Wコロンに見せてあげました。ねづっちが、「鈴木さんはどれ?」「右端だよ」「えっ、昔は女の子だったんですか? それで性転換したんですか?」。面倒くせーから、「あァ、そうだよ」。「嘘でしょう。右から2番目でしょう」。どれでもいいよ。
③中学2年の時です。美佐子さん(2列目。右から3人目)の家で、私の「送別会」をやってくれました。中学3年に仙台二中に転校したからです。だから、湯沢中学は卒業してません。でも、同窓会には呼んでくれるのです。ありがたいです。
⑥懇親会では、同級生がフラダンスを披露してくれました。この日のために特訓を積んだそうです。福島県には、「常盤ハワイアンセンター」がありますね。「フラガール」という映画もありました。その影響で、秋田人も踊るんですよ。
⑧中学の時は、毎日、休み時間に廊下で相撲を取ってました。住谷君とは、よく、取ってました。彼は左利きで、すぐに左四つになります。そんで私も「左四つ」になってしまいました。いい勝負でした。54年ぶりに、「一丁やるか!」。
でも、私は今は柔道3段、合気道3段です。簡単に投げ飛ばせる、と思ったら、強い。「相撲、ずっとやってだが?」「んでね。やってね。とぎどき、カガア(女房)とやってる位だ。でも、すぐ寝技になる」。変だな。
じゃ、私の54年の格闘技人生は何だったんだ。左翼や警官とも闘い、「実戦」も積んできたのに。「んでも、雪降ろしやってっから、そんで力はついだなしゃ」と住谷君。そうなのか。「雪降ろし」に「柔道3段」は負けたよ。
⑩湯沢に住んでた時は、湯の原に家がありました。前に来た時は、そのまま、「湯の原会館」として使われてました。(4年前と10年前の同窓会の時、写したので、このHPに出ています)。ところが今は、取り壊して、その場所に、新しく「会館」が出来ました。
⑪私たちの湯沢中学校もなくなって、その跡に「特別養護老人ホーム」が出来ました。ちょっと淋しいです。「サン・グリーンゆざわ」「デイサービス・センター」とも書かれています。
「デイサービス・センター」とは、いわば「託老所」です。子供を預けるのが「託児所」ですが、働いてる人が、朝、老人を預け、夕方、引き取って行くのです。
やだな、こんなとこに預けられたら。中学校の卒業生では、まだ、ここにお世話になっている人はいないようです。でも、もうすぐです。
⑬湯沢市は秋田美人の産地なんです。だから、これを産業にしたらいい。もっともっとPRして。昔、週刊誌で「秋田美人」の特集をやったら、私の同級生が何人も入ってました。写真にも写ってます。当時の面影があります。
⑯このあと、二次会に行きました。左は鈴木。中央が木村三浩氏。右が番家誠氏(一水会副会長)です。番家氏の奥さんは中国美人です。40位年下です。元連合赤軍の植垣康博さんの奥さんも中国美人です。30才年下です。
だから、「左右激突対談」をやろうと思ってます。左右の「美人妻」同士の。何も、好奇心で言ってるのではありません。きっと、高度な文明論、民族論になるでしょう。そう思って、企画しております。
⑰6月25日(月)、TBSで。CSの「ニュースバード」で、三島由紀夫の話をしました。若松孝二監督と。監督の「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」が絶讃上映中です。その話を中心にして、「何故、三島由紀夫なのか」のテーマで。左は、松澤千晶アナです。