「60年安保闘争を思い出すよな」と言ってる人がいる。「70年決戦の時のようだな」と言ってる人もいる。年輩の人たちも多い。
その中に、若者も混じっている。中には子供連れもいる。そんな人々を守ろうと、「ファミリー・ゾーン」も作られている。安全に、安心して「抗議運動」が出来るようにと配慮されている。
毎週金曜日に行われている官邸包囲デモ。又、7月29日(日)に行われた国会包囲デモ…。抗議の声、行動は大きくなるばかりだ。
一切無視を決め込み、「音が大きい」と言っていた野田首相も、〈これは音ではない。国民の抗議の声だ〉と、やっと分かったのだろう、「運動の代表者と会う」と言った。
しかし、党内からの反対の声で、延期になってしまった。「決断」を売り物にする首相だ。すぐに会えばよかったんだ。
あらゆる人々の声に耳を傾けるのは必要だ。それなのに、「特定の人と会うのはよくない」「ルールを無視してはいけない」と党内から突き上げられ、延期にしてしまったのだ。
変な話だ。どんな人であろうと、特定の人だろうと、多くの人々の声に耳を傾ける。そして国民の要望、不満を聞き、決断する。それが、「政治主導」ということだろう。
「永田町のルール」だけに縛られ、財界の要望だけを聞き、アメリカだけに目が向いている。それこそが、「特定の人々」への配慮だ。
でも、首相は、スポーツ選手の訪問を受けたり、「リンゴ娘」「サクランボ娘」に会ったりもしている。
だったら、「デモ娘」たちにも会っていい。多くの人々にあって、声を聞いたらいい。
7月30日付の「東京新聞」は、1面トップが「脱原発の灯 国会包囲」だった。
これは凄い。他の新聞は、皆、オリンピックが1面なのに。この時期、一般新聞も全て、「スポーツ新聞」になってしまった。
その点、東京新聞は偉い。今、何が一番大切かを、キチンと伝えている。その点産経は国会包囲デモについて1行も書いてない。〈事件〉を全く伝えない。変だ。
この日の抗議行動には私も行ってたが、人、人、人だった。「デモ」ではない。「抗議行動」だ。
全く人は動かない。歩かせない。歩道から少しでも出ると警察が大声で注意する。
それに対し、「抗議行動」参加者から怒りの声が飛ぶ。「いつまでこんな規制をしてるんだ!」「弾圧はやめろ!」「警察官は帰れ!」と。
いたる所で、警察官との口論がある。いつ、乱闘になるか分からない。ハラハラしながら、参加した。
8月3日(金)の官邸包囲行動にも参加した。ここでも20万人だ。周りの歩道は抗議する人々で、ぎっしりだ。全く身動きがとれない。
その時、知った声が耳に入ってきた。「山口県知事選を闘った飯田哲也さんが来てくれました! ご挨拶をお願いします」という司会の紹介のあとに、飯田さんが挨拶する。
選挙直前に山口知事選への出馬を決めた。25万票対18万票で敗れたが、自民、公明が推薦する山本繁太郎氏だって、「原発凍結」を言って、やっと勝った。飯田さんの主張を取り入れて、「抱きつき」で、かろうじて勝ったのだ。だから、結果的に飯田氏が勝ったようなものだ。
「選挙期間中は、もの凄い反応でした。1日1日、支援の声が増えていくのか分かりました。もう1週間あったら確実に勝てました!」と飯田さんは断言する。その興奮状況の選挙戦は見てみたかった。
実は、池田香代子さん(作家)に誘われていた。「一緒に、応援に行きましょうよ」と。
7月22日(日)に西宮で「鈴木ゼミ」をやった。その時、池田さんは言った。「今晩、これから山口に行きます」と。飯田さんの応援だ。「鈴木さんも行きましょう」と。
行きたかったが、私は東京に用事があって帰らなくちゃならない。残念だった。
それに、私なんかが応援に行ったら、かえってマイナスになるんじゃないのか。そんな心配もあった。
私は市民派の人や、左翼的な人にも友人が多い。時々、「選挙応援に来てくれよ」と言われる。
少しでも役に立てばいい。でも、周りから「迷惑」がられることも多い。本人は友人だから、「ぜひ来てくれ」「右から左まで応援が来ると、幅が広がる」と言うが、選挙事務所の人は、冷静に分析する。
「いや、右翼はダーティイメージだ。それが来るとマイナスだ」「他の候補から、“右翼とつるんでる”“黒い付き合いだ”と批判される。怪文書も出される」と心配する。
地方に応援に行ったら、選挙の事務局長に呼ばれ、「候補者は、ああ言ってますが、右翼が応援に来たとなるとマイナスだ。相手候補から何を言われるか分からない。
だから、ここは黙って帰って下さい」と言われた。「俺は候補者に呼ばれたんだ」と思ったが、あとで、「お前のせいで落ちた」と言われたら申し訳ない。
だから候補者には、「すみません、急な用事が出来たんで帰ります」と言って帰った。
そんなことが何度かあった。「なんだ、わざわざ来て、帰るのか!」と候補者には恨まれるし、周りの人たちには、「右翼のくせに」と白い眼で見られる。
「右翼の原罪」だ。そんな経験が何度かあるから、つい、「選挙応援」には臆病になる。
保坂展人さんの世田谷区長選の時は、ロフト人脈や、極左の人、変わった人が総動員で応援に行った。
そんな時は、私が行っても、「変な人」の一員で応援出来た。だからよかったし、本人も当選した。
しかし、それ以外は、たとえ保守だろうと、革新だろうと、私が応援に行ったらマイナスだ、と思っていた。
山口県知事選に出た飯田さんの時も、その心配が働いた。本当にかわいそうだ、私が。
だから、8月3日(金)に官邸デモで飯田さんに会った時も、「私なんかが行ったんじゃマイナスだと思いまして」と正直に言った。
せっかく盛り上がっている「飯田ブーム」に水をかけちゃう。「何で右翼なんか来るんだ」「原発も右翼も帰れ!」と言われるんじゃないか。そう思ったんですよ…と。
「いや、違いますよ」と飯田さんに言われた。
「山口は保守王国だ。そこに、右翼運動を長い間やっていた鈴木さんが来て、脱原発を言う。そしたら、流れがガラリと変わりますよ!」
そうなのか、と思った。申し訳ありませんでした、と謝った。少しでも貢献出来たのに、遠慮して行かなかった。
申し訳ありませんでした。自らの小さな経験からしか学んでない。もっと大きなところに目を向けなくては…と反省した。
「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。この「愚者」とはまさしく、私のことだ。
「又、何かあったら連絡しますから、携帯を教えて下さい」と飯田さんに言われて、教えた。又、「次の行動」を考えているのだろうか。今度こそ、お役に立ちたいと思います。
この時は、飯田哲也さんは今井一さんと一緒でした。今井さんは、原発は国民投票で決めよう、という運動をやっている。
大賛成だし、私も賛同人になっている。2人としばらく立ち話をしていたら、マエキタミヤコさん、池田香代子さんたちに会った。
そして、メインスタジアム(というのかな。発言者のコーナー)に連れて行かれた。何と坂本龍一さんがいる。紹介され、話をした。
坂本さんは中沢新一さんとも親しいし、脱原発の「顔」になっている。いろんな話をした。もっともっと話を聞きたいですね。
次の週、8月10日(金)の「官邸前デモ」にも行った。「デモ」じゃないな。
デモなら車道を歩くが、官邸前は、国会関係や議員の車が多いから、デモは許可しない。でも、道路を歩くのはやむなく許可している。
歩くといっても人が多いから、止まって、叫んだり、演説するだけだ。
でも、それが20万人ともなると、永田町全体が「反原発」になる。ところどころで、舞台、というか、スピーチ台が造られ、演説している。
官邸のすぐ前がメインだが、他にも、いくつも、演説場がある。8月10日も、メインの場所を目指してたんだが、全く進まない。
そしたら、別のところで、ロフトの加藤さんが司会をしていた。「鈴木さんも喋って下さいよ」と言う。いいですよ、と言って、その前に全体を見てこようと歩いたが、全く進めない。全体の十分の一も進めない。
仕方ないので、加藤さんのコーナーに戻った。黒山の人だかりで、いろんな人が演説している。
「フランスにいる日本人です」「福島から来ました」「青森から来ました」という主婦も話している。
そのうち、「社民党の阿部知子さんです」と司会。おう、頑張っている。
終わって声をかけたら、「あら、鈴木さん久しぶり」。そこで立ち話をしてたら、隣に大きな人がいる。
あっ、共産党委員長の志位和夫さんだ。ビックリした。「あっ、久しぶり」と握手された。そして、写真を撮った。隣には、共産党・衆議院議員の笠井あきらさんがいる。
加藤さんが「次、鈴木さんお願いします」と言ったが、「忙しいとこを志位さんが来てるんだから、先にお願いしましょう」と言って、志位さんに挨拶してもらった。
さすがに、うまい。テレビカメラ、新聞社の人も、ドーッと集まって来る。
その次は、笠井さんだ。それから私の挨拶。
これも感動だ。こんなこと、なかなかない。社民党の阿部さんが挨拶し、共産党の志位さん、笠井さんが挨拶し、それから私だ。
周りにいた人たちもビックリしていた。「だから、右も左もないんですよ!」と挨拶した。
それに、ここに来て、ショッキングな体験もした。
何と、右翼の街宣車が走っていて、「何が脱原発だ!馬鹿野郎!」と怒鳴られた。「さっきは、右翼の人に怒鳴られました」と言った。
この日、竹島に韓国の大統領が上陸した。そのことで、韓国大使館に抗議に行き、その帰りにこっちに来たようだ。
勿論、竹島、尖閣列島、北方領土は日本の固有の領土だ。その島は守られなくてはならない。
今、福島は原発で汚され、住めなくなっている。その土地を守るのも日本人の努めだ。美しい日本を守る。日本の土地を守る。その点では竹島問題も「脱原発」も同じだと思う。
それに、こうした問題には、右も左もない。政党の違いもない。現に、こうして社民党、共産党と共に、私も喋っている。
さらに、年齢を超えて、これは全国民の問題なのだ、と訴えた。
そしたら、次の挨拶は、何と高校1年生だった。ハーフの子だ。とても、しっかりしている。なぜ脱原発なのかを理路整然と語る。凄い。皆の拍手を受けていた。
さらに、次は驚くことに、小学3年生だ。「なぜ原発は必要ないのか、お話しします」と言って、話す。凄い。なぜ野田首相は、原発と消費税にこだわるのか、についても話す。
驚いた。私なんて小学3年の時は、日本に首相がいるなんてことも知らなかった。首相の名前なんて、勿論、知らない。凄い、凄い。立派な活動家になるだろう。
ということで、午後8時まで、ビッチリ、やりました。
あっそうだ。今回は、「大生誕祭」の報告を書こうと思ったんだ。でもいいか。「脱原発」の方が重要で、大きなテーマだから。
ただ、一言だけ付け加えよう。「大生誕祭」は大盛況でした。
第1部は森達也、青木理、斎藤貴男さんたちと「言論の自由」「言論の覚悟」の話をした。ジャーナリズムの問題だ。
そして、第2部は「訪朝報告」だった。
訪朝報告は、もっと詳しくやろう。そこで、北朝鮮問題をもっと語ろう。という声も出ていて、椎野レーニンさんたちを中心にその企画は進められている。
それと、第1部の方も反響がよくて、「ぜひ続篇を!」ということになり、10月に「続篇」をやることになった。頑張ってやりましょう。
ロフトは最近、出ることが多いです。「週刊金曜日900号記念」「創30周年」「100才生誕祭」…と、他にも言論をめぐる〈大激論〉がいくつもあった。
そうだ。8月15日(水)は、終戦と日本の自立、憲法をめぐって、阿佐ヶ谷ロフトと、ロフトプラスワンで、同じような企画がある。
阿佐ヶ谷から先に声がかかり、行くことに決めた。そのあと、ロフトプラスワンからも「出てくれ」と言われた。「でも、阿佐ヶ谷が決まってますから」と断った。
その後にも、「ロフトプラスワンにも出てくれ」と強硬に言われ、両店の店長が会談、激論になった。竹島をめぐる日韓のバトルのようだ。
それで、「鈴木二分論」で話がついた。この日は昼、文化放送で、やはり、終戦の企画だ。
それが終わって、午後7時半から9時まで、阿佐ヶ谷ロフト。午後9時から11時までは、ロフトプラスワンだ。
大丈夫なのかな、と思いながらも、頑張ってやらなくっちゃと思ってます。
ところが、座談会は2時間で終わった。じゃ、あの映画を見に行こうと思って、テアトル新宿に行った。4時45分から6時45分まで、ヤン・ヨンヒ監督、井浦新主演の「かぞくのくに」だ。試写会の案内をもらってたけど、見れなかったので劇場公開で見たのだ。
いい映画だった。「帰還事業」で北朝鮮に渡った16才の青年が25年ぶりに日本に帰る。病気治療のため、一時帰国だ。日本に帰り、何を見、何を考えたのか。「帰還事業」とは何だったのか。日朝関係はどうあるべきか。そんなことを考えさせられた。
終わって、ロフトプラスワンに行く。
創出版30周年記念イベント
(第1部)清武問題とジャーナリズム
(第2部)雑誌ジャーナリズムの現状
私は第2部参加だから、8時過ぎに来ればいいと言われてたが、清武英利さんに会いたかったので、早めに行きました。紹介してもらい、始まるまで、いろいろお話をしました。読売のナベツネ相手に闘うのですから、凄い勇気です。
第2部は田原総一朗さん、山口一臣さん、北村肇さん、矢崎泰久さん、綿井健陽さん、元木昌彦さん、そして私でした。白熱した対論になりました。
〈原爆の日を迎えた被爆国ニッポンの進むべき道とは〉
広島は67回目の「原爆の日」を迎えた。忘れてはならない日だ。今回の平和記念式典には、広島、長崎への原爆投下を命じたトルーマン元アメリカ大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルさんが初めて来日し、広島の平和記念式典に参列した。「祖父の決定は今ここで判断できない」と評価は避けながらも、式典で黙祷を捧げた際の心境を問われると、
「原爆で亡くなった魂のことを考えました。美しかった広島で何があったか、人々がどんな風に暮らしていたかを想像した」と答えた。さらに、「二度と核兵器が使われないよう自分も貢献したい」と語った。
これは立派だと思う。アメリカの政治家、又、ハリウッド俳優でも、平和式典参加には躊躇する。アメリカの「国策」が問われることになるからだ。しかし、それの評価は避けながらも、黙祷し、核のない世界を創りたい、と答える。ダニエルさんは勇気があると思った。
ダニエルさんは長崎には出席するが、アメリカの駐日大使も参加するという。だから、アメリカの事情もかなり変わってきているのだろう。アメリカ大使には、一水会の木村氏が何度も会い、書簡を出し、ぜひ祈念式典に参列してほしいと要望していた。
又、野田総理は、平和祈念式典で、「脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指す」と話した。「中長期的」という言葉は曖昧だ。誤魔化しだとの批判もあるが、脱原発の国民の声に揺れているのだろう。
さらに、広島、長崎では、被爆者の高齢化が進み、語り部が減少の一途をたどっている。こうした現状を受け、広島市は今年、語り部の後継者を募り、養成していく事業に着手したという。
こうした問題について語った。
「編集長は見た!」のコーナーは、久しぶり、月刊「ムー」の三上丈晴編集長。
特集は、「出口王仁三郎の大予言2012」。これは興味深かった。出口王仁三郎の大本教は、「生長の家」のルーツだ。谷口先生はここの出身だ。又、合気道の祖、植芝盛平先生も大本教にいた。だから、二重の意味で(つまり「生長の家」と合気道と)、大本教は私のルーツでもある。
又、大本教をモデルにした高橋和巳の『邪宗門』は、私の最も好きな本だ。
さて、出口の予言だが、
〈日本近海に眠る膨大な量の「宝」が日本を救済する〉
実際、鹿児島湾で見つかった180年分のレアアース。新潟県沖にあるとされる中東の中規模油田並の油田など…。
他にも、出口の予言の数々が紹介された。
他の特集では、
〈ハワイ・オアフ島の海岸に数百万匹。正体不明の小さな生物が打ち上げられた〉
もしかしたら、宇宙外生命体かもしれない。
〈石を食べて、電気にアレルギー反応!イギリスに想像を絶する病状に悩む女性達がいた!〉
〈ロシアの国立エルミタージュ美術館を守り続けるネコ警備隊の正体〉
美術品がネズミにかじられないように、「ネコ警備隊」が組織されていた。そういえば、昔、日本の修行僧が中国から仏典を日本に持ってきた時、仏典をネズミから守るためにネコを連れて来た。だからネコは偉いのだ。仏典を守り、美術品を守り…。
文化放送が終わって、急いで高田馬場へ。少し遅れたが、一水会フォーラムに出る。講師は小河正義さん(航空評論家)で、「オスプレイは安全か?」。今、最もホットな話題でもあり、満員だった。とても勉強になりました。終わって二次会。
戦争、原爆、公害、学生運動などの写真を、体当たりで撮り続けている。国家の犯罪を暴くためなら、自らも犯罪をおかしていい、という強固な信念を持っている。
自衛隊を取材した時、「約束を守らない」「騙して取材した」と批判されると、「自衛隊そのものが、国民を騙して作ったものだ」と反撃。凄いカメラマンだ。
そのあと、河合塾コスモで勉強。午後8時、代官山、ロックの会。脱原発の集まりだ。松田美由紀さん、マエキタミヤコさんたちが主催している。今月は、田中優さんと経産省資源エネルギー庁の村上敬亮さんとの対談。時に対立し、時に合意点もある。次のエネルギーをどうすべきか。それをめぐって、かなり具体的な話だったので、とても勉強になった。
政治家や活動家の報告よりも、こうした、具体的、建設的で、じっくりとした話し合いの方がいい、と私は思いました。
①8月3日(金)官邸包囲デモで、坂本龍一さんに会いました。さすがに、いるだけで大きな存在感がありますね。中沢新一さんとも仲良しだし、そんな話をしました。又、ゆっくり話を聞かせて下さいと言いました。このあと、坂本さんはテレビの出演に行きました。
②山口県知事選を闘った飯田哲也さん(中央)。そして原発を国民投票で!という運動をしている今井一さん(右)と。「選挙応援に行けなくてすまみせん」と謝りました。今井さんの「国民投票」運動には私も賛同人になっております。お二人の力は大きいです。
④8月4日(土)午後1時より、阿佐ヶ谷ロフトで私の「生誕100年祭」をやりました。その第1部です。〈闘う言論・表現の覚悟〉がテーマでした。(左から)司会の白井基夫さん(週刊金曜日)、鈴木、斎藤貴男さん(作家)、古川琢也さん(ルポライター)、青木理さん(作家)、中川右介さん(作家)。
大好評でした。「ぜひ、この続篇をやってくれ!」という声が多く、10月にやることになりました。でも「生誕祭」が年に2回やるんじゃ、倍の早さで年取っちゃうよ。
⑥第2部の「北朝鮮篇」です。初めに、貴重な「記録映像」が流されます。7月に行った訪朝団が、「よど号」グループと会い、討論する。遊園地で「絶叫マシーン」に乗る。…と、驚きの映像です。連合赤軍の植垣さんは、「よど号」赤軍の人々とは再会です。いや初めての対面です。同じ運動をしていながら、別々のところで闘っていたので、実際に会うのは初めてなんですね。
(左から)司会の椎野レーニンさん、塩田ユキさん、植垣康博さん、鈴木、新崎盛吾さん(共同通信社)、山中幸男さん(救援連絡センター事務局長)。7月に訪朝したのは、レーニン、塩田、植垣、山中さんです。
⑦森達也さん、斎藤貴男さんと3人で。こんなポーズをして、本の表紙になったことがありましたね。『言論統制列島』(講談社)です。その後、河出文庫になりました。タイトルは、より過激に、『言論自滅列島』になりました。
⑧あの人気コメディアンの松元ヒロさんが来てくれました。「見に来ただけです」と言ってましたが、無理に頼んで、コントをやってもらいました。さすがです。二次会、三次会にも付き合ってくれ、そこでも「原発ネタ」などをやってくれました。本当にありがとうございました。皆、大喜びでした。
⑨「劇団再生」のあべあゆみさんたちと。セブンイレブンで、プリントしてたら、知らないおばあさんが、覗き込んで、「かわいいですね。お孫さんですか?」。失礼な人だ。「ウルセー!」と言いそうになりました。でも、前にも同じことを言われたな。LIFEで。「同一犯人」かな?公安のSかな?
⑪8月7日(火)、ロフトプラスワン。「創出版30周年記念イベント」。「時の人」清武英利さんと。読売のナベツネを相手に闘ってる人です。凄いです。本当に「言論の覚悟」ですよ。始まる前に、いろんなことを聞きました。
⑫清武さんがこの第1部に出て、そのあと第2部は、「雑誌ジャーナリズムの現状」です。
(左から)北村肇さん(「週刊金曜日」発行人)、山口一臣さん(前「週刊朝日」編集長)、鈴木、元木昌彦さん(元「週刊現代」編集長)、矢崎泰久さん(元「話の特集」編集長)。矢崎さんは、「時間がないから帰る。一言だけ鈴木さんに言いたい!」と言って天皇問題、戦争について激しいことを言って、帰りました。
⑭『SAPIO』(8月22・29日号)は凄いです。各新聞、電車の吊り広告にも大きく出てました。特集「ネトウヨ亡国論」です。
〈これで「ニッポン」が救えるのか?
この国の本当の「保守」とは何か〉
本当の「保守」の櫻井よし子さん、小林よしのりさんが叱ってます。『ネットと愛国』の安田浩一さんが喋ってます。ともかく驚きの大特集です。
⑰この『東京人』で、座談会に私も出ています。御厨貴さん(前東大教授、現放送大学教授)、泉麻人さん(コラムニスト)と。座談会のあと、外で撮影しました。
「さよなら連帯、そして愉しき日常が始まった」
(1972年)を読み解き、あの年から日本の全てが変わったと言います。読んでみて下さい。
⑱「じゃ、1972年には何をしていたのか」。その時の写真を持ってきて下さいと言われました。私の出したのはこの写真です。1970年に産経新聞社に勤め、初め販売局。1972年は広告局に移りました。これは広告局の社員旅行の時の写真です。伊東に行きました。
後列、左から2人目です。何か、ボーッとしてますね。1人だけ、無能社員というのが一目で分かりますね。そして今もボーッとしています。
ロフトプラスワンは、
〈平和だからできること。戦場よりリング場、戦場よりエロス場〉
出演は、前田日明氏、黒岩由紀子さん、戸川昌子さん、木村三浩氏、関川光雄氏、滑川裕二氏、花田紀凱氏、平井康嗣氏、福原進氏、三上治氏、三井環氏、元木昌彦氏、そして私です。(私は後半だけ出ます)