そうか。「今」だからこそ、カミュなのか。「今」だからこそ、カミュを読み、カミュの問いかけた問題を考えるべきなのか。カミュの『正義の人びと』を読み返して、そう痛感した。
『正義の人びと』は、ロシア革命前夜のテロリストたちの物語だ。セルゲイ大公に爆弾を投げつけて殺そうとするが、その馬車に子供が乗っていたために、決行を中止する。
それをめぐって、組織内部で激烈な論争が展開される。「それでも殺るべきだった」「いや、革命の〈名誉〉の方が大切だ」…と。
テロは人殺しだ。だが、1人を殺すことによって何万人を救う。又、一人を殺すことによって、もう、「人を殺さなくてもいい社会」をつくる。そんな理想に燃えた人びとの物語だ。実話を基にして、カミュが書いた戯曲だ。
昔は、カミュをよく読んだ。確か、私のデビュー作『腹腹時計と〈狼〉』(三一新書)にも、引用して書いた気がする。当時は、テロのことをあれこれと考えていた。
無関係な子供は殺してはいけない。しかし、セルゲイ大公は殺してもいい。テロリストたちは、迷いに迷って、テロという手段しかないと、思いつめる。又、テロをする前に、既に自らの命を捨てている。敵と自分。二つの「生命」を抹殺してまでも、〈正義〉を貫こうとする。
このテロリストたちは、日本の戦前のテロリストたちにも似ている。血盟団事件の人々。さらに、5.15事件、2.26事件の人々。戦後の山口二矢。
そうだ。1974年の〈狼〉たちにも似ている。連続企業爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線〈狼〉の人たちだ。
彼らは、カミュの書いた『正義の人びと』『心優しき殺人者たち』と同じだ。そう感じ、驚き、衝撃を受けたからこそ、私は、『腹腹時計と〈狼〉』を書いたんじゃないか。そのことを思い出した。
この『正義の人びと』と出会い、日本における『正義の人びと』(=企業爆破の狼グループ)を見たからこそ、私は、4年間勤めた産経新聞社を辞めて、活動家の生活に戻った。
又、『腹腹時計と〈狼〉』を書き、その後も、本を書くことになった。自分も『正義の人びと』になろうとしたのだ。
今でこそ私は、「テロは否定する」「すべては言論でやるべきだ」と言っている。しかし、カミュを読み、活動を再開した時は、正義のテロは必要だと思っていた。少なくとも、迷っていた。悩んでいた。当時の、私の書いたものを読むと、そう感じる。
7月31日、大阪の「たかじん」に取材された。「いくらデモをやっても原発は止まらない。国民の声は全く届かない。こういう時こそ、“テロしかない”と思わないのですか?」と。
「今こそ、右翼の出番じゃないのか」と言う人もいる。これは危ない。普段は、右翼のことを軽蔑し、嫌っているくせに、「右翼は何をしてるんだ。立て!」と煽る人々もいる。こんな時だけ、右翼を頼ってもらっては困る。
そうか。そんな危うい状況になる。いっそ戦争でも起きた方が希望がある。と口走った青年と同じように、「いっそテロでもやった方が」と思う人が出るかもしれない。いや、出ている。
そんな危ない、「テロ願望論」が出ている今だからこそ、カミュの『正義の人びと』を読め!考えろ!と思ったんだな、高木尋士氏は。私は、そう思いましたね。
8月16日(木)から19日(日)まで、千歳船橋・APOCシアターで、オフィス再生が「正義の人びと=神の裁きと訣別するための残酷劇」を上演するという。そう聞いた時から、「何故、今頃、カミュなんだ?」と思っていた。
高木尋士氏主宰の「劇団再生」は今まで、見沢知廉氏の『天皇ごっこ』を中心にして芝居を上演してきた。三島由紀夫や北一輝も出てくる。ロープシンの『蒼ざめた馬』も出てくる。
もしかして、その繋がりで、(見沢氏が好きだった)ロシア革命前夜のテロリストのことを上演するのだろうか。そう考えた。自分の貧しい頭では、その程度のことしか考えつかなかった。
ところが、もっと大きなことを考えているんだね、高木氏は。「劇団再生」から、「オフィス再生」と編成変えをし、テーマも、この日本を衝つものにした。
そうなのだ。「言論はどこまで可能か」「直接行動に意味はあるのか」と問うたのだ。
私らの学生の頃、学生の間では、カミュよりもサルトルの方が圧倒的に人気があった。サルトルは、左翼、マルキシズム、革命の世界にも大胆に踏み込んで行動した。闘う作家だった。
「その点、カミュは中途半端だ」と思う学生が多かったんだ。
革命を声高に叫んだ滝田修がサルトルならば、テロを否定し、悩む高橋和巳がカミュだったのかもしれない。「苦悩教」の教祖といわれた高橋和巳に似てると思った。
『正義の人びと』を読み返してみて、そう思った。いや、滝田はサルトルというよりも、ゲバラを目指したんだろう。そんなドキュメンタリーもあった。
さて、カミュの『正義の人びと』だ。1949年に執筆され、同年12月、エベルト座で初演、『カリギュラ』と同じ大成功を博し、その後も400回以上続演されたという。
白井健三郎氏の「解説」では、こう書いている。
〈戯曲の核心をなす事件は、1905年のロシアのセルゲイ公暗殺にまつわる実話で、当時の組織の指導者でニーチェ的超人を夢みた急進的インテリゲンチャのボリス・サヴィンコフ(ロープシンの筆名で『蒼ざめた馬』などを執筆)が亡命先で書いた『一テロリストの回想』に基づいている〉
見沢知廉氏の好きなサヴィンコフの「回想」が基になっているんだ。見沢氏は、もしかしたら、サヴィンコフになうとしたのか。そんなことを思う。
白井氏の「解説」を続けよう。
〈カミュはすでに48年に『心優しき殺人者たち』と題する小論で、1905年代のロシアのテロリストたちの肖像を描き、のちの『反抗的人間』でも、彼らの行動の形而上学的な意味をいっそう深くとらえているが、彼はこのロシアのテロリストたちを反抗の起源と限界に忠実な革命の闘士とみなし、彼らこそ、「まさに矛盾に引き裂かれながら、彼らの否定と死そのものによって、或る価値に生命をあたえた」人たち、「反抗の歴史のなかでの最後の人たち」だとして、反抗の堕落した形態である専制的社会主義革命、もしくは革命的ニヒリズムの現代において見習うべき模範とみなす〉
〈セルゲイ大公を爆殺する、学生カリャーエフは、自己の生命と等価である他人の生命を殺害するという有罪性を自己の死という最後の瞬間によって贖(あがな)い、殺人が革命にとって名誉に反することの証(あか)しを打ちたて、人間から人間への友愛を再編しようと試みた。カミュの言葉を借りれば、「正確に言えば、彼らは思想の高さで生きていたのだ、彼らは思想のために死ぬほど思想を肉体化しているので、最後には思想を正当化する」のである〉
ちょっと難しい文章だが、私にとっては懐かしい。かつては、この問題と向き合い、必死に考えたからである。白井氏の文章を続ける。
〈真の反抗者と絶対主義的な革命家との対立は、『反抗的人間』の重要な主題だが、その主題は、この戯曲で大公の馬車に思いがけなく甥と姪の姿を見て爆弾を投下できなかったカリャーエフの挫折をめぐって、革命家ステパンとの口論によって熱情的に劇化されている。目的のためには手段を選ばないステパンは「絶対的ニヒリズム」に帰結する全体主義的革命の代弁者である。これに反してカリャーエフらは、暗殺行為であろうと、反抗には限界があり、革命は名誉から訣別してはならないと反駁する。革命と良心とのこの悲劇的な矛盾は、同時に生にたいする愛と死への要求との矛盾をふくむのであり、当然、彼らにとって愛は実現不可能となる。かくして正義の革命を生きようとする、反抗の問題としてのこの戯曲は、愛の不可能の問題をも主題とすることになる〉
引用が長くなった。戯曲の中で、カリャーエフは言う。
「僕たちは、もう誰ひとり人殺しをしなくなるような世界を築き上げるために殺すんじゃないか! この大地がついには罪のない人間たちでいっぱいになるためには、僕たちは犯罪者になることさえいとわないんだ」「僕が殺すのは、彼(大公)じゃない。僕は専制政治を殺すんだ」でも、もし失敗したらどうする。「日本人の真似をしなきゃならないわけですね。(中略)戦争のとき、日本人は降伏しなかった。みんな自殺したでしょう」
これに対し、同志アネンコフは言う。「自殺なんて考えるんじゃない。テロだ。もう一度やるのさ」と。
日本人の武士道や特攻は、ロシアのテロリストにも、イスラムの自爆テロにも、いろんな影響を与えている。「サムライ」を見習おうとしたのだ。
セルゲイ大公を狙った日、テロは失敗する。幼い2人の子供が一緒に乗っていたからだ。
その行為を是とする人、「甘い」と批判する人々。激論が闘わされる。ステパンは言う。
「ヤネリがあの二人を殺さなかったばかりに、ロシアの幾千の子供たちがこれから先何年も飢え死してゆくのかい?俺は見たね。爆弾で死ぬことぐらい、あの飢え死に較べれば、極楽往生だ。だが、ヤネリはそいつを見たことがなかったのさ。大公の二人の小わっぱどもしか見なかったんだ。いったい、君たちはそれで一人前の人間なのかい?その場かぎりの生き方をしてるのか? それなら慈善でもやって、その日その日の悪を正してゆくんだね、現在や未来のいっさいの悪を矯正しようとする革命はやめたらいいんだ」
これは、〈革命〉と〈合法的変革運動〉、〈ボランティア活動〉の違いなのだろうか。「いっさいの悪」を矯正するための革命の前には、「二人の小わっぱ」の命など無視する冷酷さが必要なのだろうか。
そんなことまでして〈革命〉をする必要はない、と今は誰もが思うだろう。
しかし、人を1人殺すためにも、これだけの激論をする。今、アメリカはイラクを攻撃し大量の人々を殺す時、これほどの「迷い」を持ち、「激論」をするだろうか。ビンラディンを暗殺する時、これだけの悩みや激論があるだろうか。ない。
自分(アメリカ)こそ「正義の人びと」だと固く信じているからである。
幼な子が乗車していた為に一旦は、テロは中止された。しかし、何度も執拗に狙い、セルゲイ大公が1人の時に爆弾を投げ、殺す。
成功した。「正義」は実行されたのだ。決行者は捕まり、死刑を待つ。そこに何と、セルゲイ大公の夫人(大公妃)がやってくる。なぜ殺したのかと問う。なぜ犯罪をしたのかと。
それに対し、カリャーエフは答える。
「犯罪って何です?僕はただ正義の行為をしたというだけしか覚えがありません」
大公妃は驚いて叫ぶ。
「まぁ、同じ声!お前のいまの声はあのひとの声とそっくり。男の人は、正義について話すときは、誰もみな同じ調子になるんですね。あの人もよく言ってました。『これは正義なんだ!』って。そうするとみんな黙ってしまったものでした。あのひとは間違っていたのかもしれません。お前も間違って…」
さらに大公妃は言う。
「わたしは、苦しいのです。命を助けてもらうより、あのひとと一緒に殺されたほうがよかったのです」
それから後の2人の会話は、全く意外なものだった。全く忘れていた。いや、前に読んだ時は気がつかなかったのか。こんな会話だ。
カリャーエフ「僕が助けたのは、あなたじゃない、あなたと一緒にいた子供たちだ」
大公妃「知ってます。わたしは、あの子たちはあまり好きではありませんでした。(間)大公の甥と姪なんです。あの子たちには、伯父と同じようには罪がなかったと言うのですか?」
カリャーエフ「そうです」
大公妃「ご存じないのです。姪は意地の悪い子です。貧しい人たちに自分で施しを持ってゆくのは厭だと申します。貧乏な子たちに手を触れるのが怖いのです。そういう姪は不正ではないと言うんですか?
姪は正しくない子です。あのひと(=大公)は、すくなくとも、百姓たちを愛していました。一緒にお酒も呑んでいました。それなのに、お前はあのひとを殺した。どうしたって、お前も正しくはありません。この世はすさみきっています」
ウーンと、唸った。この大公妃に対し、何と答えたらいいのだろうか。又もや、頭が混乱する。迷う。
実は、ここに、『現代攘夷の思想』(暁書房)という本がある。昭和53年(1978)12月に出た本だ。私の本だ。
その中に、「朝日ジャーナル」(1976年1月30日号)に書いた論文が入っている。タイトルが何と、こういうのだ。
「テロリストたちの内在的な〈徳〉」
驚いた。テロ容認であり、テロ絶讃じゃないか。『腹腹時計と〈狼〉』を書いたので、こんな依頼があったのか。「右翼武闘派」だから、こんなタイトルを選んだのか。よく、載せたものだ。今なら、絶対に載せないだろう。
又、私も随分と思い切ったことを書いている。今ならとても書けないだろう。たとえば…。
〈生命尊重と口では言いながらも、人間が物体として、機械として、あるいはその一部として扱われ、その抹殺にあたっても賠償金、生命保険にあらわされるように金銭で等価視されるような時代が、果たして生命尊重なのだろうか。また若者の不安もいらだちも理解できずに、個と個の集合体の域にしか思いが及ばない時代が、さらにはその体制を超えて夢み、志向すること自体が圧殺される時代が、生命尊重の時代なのであろうか〉
35年前は、こんな〈疑問〉を持ち、こんな焦りを持っていたのか。別人の文章のようだ。過激だ。「生命尊重の時代」への疑問から、さらに、こう言う。
〈そうした時代精神に比べるならば、たとえ逆説的に聞こえようとも、生命尊重以上のものを求め、信じることこそが最大の生命尊重なのである。いつかは消えてゆく個の肉体に、いかほどかの価値があり、あるいは人によって絶対性があるとするならば、それは肉体の内奥に棲む精神のゆえであり、個を超出せんとする夢や志のゆえではなかろうか。絶対性を希求する夢を殺しておいて、肉体的生命をのみ〈尊重〉されたとしても、蛇の生殺しと同じことであろう。個を超出し、なお個にかえる精神こそが生命尊重である。また同時に、生命尊重というからには、かけがえのない生命には、同じくかけがえのない生命のみが等価で必要である。過去幾多のテロリストたちが、他に向けた同じ刃で自らの胸を突いてきたという事実にも、それは現れている。生命は金をもってしてもあがなえないと言いながら、金でしか弁済方法がなく、むしろその兌換性が当然視されかねない「生命尊重」の思想と、それを基軸とした〈現代〉に対し、テロリストの刃は不換性の命にやはり不換性の自らの命をもって迫る〉
ウーン、テロ容認だ。私自身が「正義の人びと」だ。カミュの影響なのだろう。いや、カミュは、テロリストに同情はしても、最終的にテロには反対している。
でもこの男(昔の私だ)は違う。テロを認め、それを否定する人間を批判する。
〈確かに各個人がみずからの生命は最高のものであると信ずるのは勝手であり、それこそ思想の自由である。しかしながら、その思想の自由をもって生命尊重以上の価値を志向する人間を批判するのは、やはり的はずれである。
地を這いずりまわる虫が、空を飛ぶ小鳥たちを苦々しく思おうとも、〈批判〉など出来ないのと同様に、それは異次元の問題である。たとえテロリストの外に向かう刃は批判できたとしても、返す剣で内に向かう刃には口をつぐむしかあるまい。内と外という刃の方向こそ違え、それは不離一体のものだとしたらなおのことである。
〈狼〉の諸君たちの企業へと向けられた一連の爆弾は、とりもなおさずみずからに向けられていた青酸カリ入りペンダントと一体のものであった。爆弾そのものが毒薬を内包していたのである。三島事件とて同じこと、割腹自決で内に向けられた刃は、同時にみずからの身体を貫いて自衛隊に、また〈国家〉不在の戦後日本に突きつけた刃であった。一方は他人を殺し、もう一方は自分を殺した。しかし方向は違え、個生命の抹殺、超越を通じて、それ以上の価値を希求した点では、全く同じ位相に属する。その地点からしか個生命の全き尊重はありえぬという行為者の確信がそこにはある〉
実にストレートだ。ここで、カミュの『正義の人びと』に触れている。
ロシア革命から、随分と時代が経ち、(又、ロシア革命が成功したからこそ)、カミュは、「心優しき殺人者」「正義の人びと」と彼らを呼び、同情をもって、書けた。
しかし、事件当時、テロリストたちはただ非難されただけだ。「無辜の民を殺して…」と。テロリストの爆弾で殺された人、巻き添えになった人、あるいは「誤爆」で死んだ「罪なき」人々も多くいたはずだ。
しかし、その人々も全て死に絶えたからこそ、書けた。
そうした「犠牲者」の怨嗟の声から解放されて、純歴史的、純文学的に、カミュは書けたのだろう。
1974年の連続企業爆破の〈狼〉の事件だって、今は同時代性の非難、怨嗟の渦中にかるが、必ず、〈客観視〉される時が来るだろうと言う。
「〈狼〉も現在においては同時代性のなまなましさがあり、批判の渦中にある。しかし、50年、いや20年後には評価が一変し、第2のカミュが出ないとも限らない。ただ時の流れが事件そのものの客観化を許すとしても、政治的、思想的な次元での評価もそれに続くわけではもとよりない。それは次の時代が決めることであり、その次代をつくる政治勢力の質と量とにかかわってこよう」
さらに、驚くべきことを言っている。
〈あるいは、ふっと夢想する。一人一殺の信念のもとに君側の奸を討ったテロリストたち。その伝統をつぐ山口二矢、また向けられた方向は違っても同じ刃でわが身を突いた三島由紀夫、さらにはロシアのテロリストたち…。彼らは本当に人を殺したのだろうか〉
「実際に殺したじゃないか。何を言ってるんだ」と今の私は言う。しかし、35年前の私は、「果たしてそうかな?」と言う。そして今の腑抜けた私を批判するのだ。
〈…彼らは本当に人を殺したのだろうか。いや、肉体を殺すことによって、その精神を解放し不滅ならしめようと凶刃をふるったのではなかったろうか。何もテロリズムとして極限化しなくともいい。暴力そのものからして、そうした企てなのではなかろうか。暴力をふるうということは、その対象よりもふるう主体たるわが身の方をより多く傷つける。抵抗を拒否したガンジーには、そした自明の理が見えていたのであろう。彼には〈防衛〉であれ何であれ、肉体的暴力をふるうことはその主体者を精神において腐敗させ、堕落させ、死滅させることだということがわかっていたのである。武装共産党のかつての企ても、暴力が敵に対するよりも自らにはね返って精神を殺し、どす黒い怨恨が内部を侵食したがゆえに瓦解したのであろう〉
この頃は、真剣にものを考えていた。必死に〈思想〉しようとしていた。テロについても、「否定だ」と言って、その一言で済ましているわけではない。
迷い悩みながら考えていた。今の私の方が退化している。
テロや暴力は、他を倒す前に、まず自らを傷つけ、破壊する。その上で、こう言うんですな、35年前の鈴木青年は。
〈とするならば、他人を傷つけ殺すということは、即、否それに何倍かして、みずからを傷つけ殺すことである。そして誤解を恐れずに言えば、それはみずからを肉体的、精神的にあらかじめ殺しておいて、対象者の精神を解放しようという、きわめて〈愛他的〉な企てでもある。他に向けられた刃がみずからへと返ってきた、その間に、いかほどかの時間が認められたとしても、それはわれわれの幻視なのだろう。他に向けられた刃は、その瞬間にみずからへと突きささっていたのである。
さらに夢想する。彼らは本当に人を殺したのだろうか〉
なんか、凄いことを言ってるよね、この人は。再び、「人を殺したのか?」と問うている。再び、今の私は言う。だって、本当に殺したじゃないか。「殺人者」だ。と、「今」の私は答える。違う、殺してない!と「昔」の私は反駁する。
〈あるいは人を殺し、あるいは企業を爆破し、あるいは国家の息の根を止めようとしたのだろうか。いや、そうではあるまい。「ニーチェは神を殺害しようと計画したのではない。彼は神が時代精神のなかで死んでいるのを発見したのだ」(カミュ『反抗的人間』)という論法を借りるならば、テロリストたちは、人が、国家が、死んでいることを発見しただけなのだろう。彼らは一般の人よりは遠くを見通す、けたはずれに優れた視力を所有していただけなのかもしれない。あるいは、みずからが依拠する次代の正義から見て、すでに死にたえたものと映ったがゆえの「発見」と「確認」だけだったのかもしれない。
そうか。こうして見てくると、私が言論活動を始める契機になったのがカミュだったんだ。カミュは、ロシアのテロリストを「正義の人びと」、「心優しき殺人者たち」と呼んだ。1974年の企業爆破〈狼〉の事件に出くわし、私は、日本においては、〈狼〉こそが、「正義の人びと」であり、「心優しき殺人者たち」だと思った。そして、『腹腹時計と〈狼〉』を書いた。
こんな激しい文を、よくも書いたものだ。又、「朝日ジャーナル」がよく載せたものだ。今なら、載せないだろう。それに、「朝日ジャーナル」も、とっくの昔になくなっている。
企業爆破の2年前に、連合赤軍事件があった。不思議なことに、当時、私はほとんど言及してない。「仲間殺し」の陰惨さがあり、「これで左翼は終わった」という怒りがあったからか。いや、〈同時代性〉だろう。少し離れて、客観視することが出来なかった。連赤から40年。今なら出来る。そして、「連合赤軍化する現代日本」だ、と言っている。昔、カミュを読んだ記憶が甦ったのだろう。
今年の8月15日は、今までにない終戦記念日になった。
少し前に北方領土にプーチンが上陸したと思ったら、竹島に韓国大統領が上陸し、さらに天皇陛下に謝罪を要求する。常軌を逸している。
又、尖閣には香港の活動家が上陸した。「日本はなめられている!」「闘え!」という声が充満している。「戦争してでも領土を守れ!」と。
さらには、「右翼は何をしている!こんな時こそ立つべきだ!」という声もある。
たしかに政府は不甲斐がない。抗議するだけでなく、総理は自ら、行けよ、と言いたい。
竹島に上陸されたら、野田総理も竹島に「急行」し、そこで談判したらいい。あるいは、島で韓国大統領と2人で闘えばいい。決闘でもいいし、柔道の試合でもいい。国家全体を巻き込む戦争よりはいい。
それがいやなら、別の機関を作って話し合うとか。あるいは国際司法裁判所に訴え出て、判断してもらうとか…。
日本は、もっともっと世界に対し、アピールすべきだ。そして、自らがロシア、中国、韓国に行って抗議したらいい。
「こんなことをして国民を煽動したら、両国のためにもならない」と説いたらいい。
自らがその力がなかったら、元総理に頼んでもいい。大物たちに行ってもらい、事態の打開を考えたらいい。
そうでないと、「戦争をしろ!」「右翼は決起しろ!」という無責任な声だけが溢れる。
かつての「正義の人びと」は、セルゲイ大公1人を殺すためだけにも、あれだけ激しい討論をした。苦しみ、悩み、迷った。今、それがない。
それなのに、簡単に、「やっちまえ!」「攻めてしまえ!」「殺せ!」と言う。ネット社会は、そうした無責任な「殺人奨励」で溢れている。
アメリカがイラクを攻め、多くの人々を殺した時も、「躊躇」はなかった。
かつての「正義の人びと」のような悩み、迷いはなかった。そんな、日本を、アメリカのような国にするつもりなのか。迷わない、悩まない「正義」の国にするつもりなのか。
こんな騒然とした時だからこそ、カミュを読み返せ!と高木氏は思ったのだろう。そして『正義の人びと』の芝居をやる気になったのだろう。そう思う。
それから河合塾コスモへ。3時からは漢文の授業に出る。竹内先生の夏期特別講習があったので、受けさせてもらった。
竹内先生には随分とお世話になっている。『愛国の昭和』(講談社)を書いた時は、「玉砕」について教えてもらった。「玉砕」は既に1500年も前の中国の文献に出ているが、日本の本には出ていない。白文で読み、解説してもらい、個人授業をしてもらって、考え、書いた。又、いろんなことを教えてもらっている。化学や、現代文、英語、数学の先生にも教えてもらい、授業に出たりしている。自分も1人の生徒だ。こうして勉強出来るのは、とてもありがたいし、贅沢だと思っている。
夜は、雑誌の座談会に出る。
3時からは文化放送。今日のテーマは、
〈終戦記念日の今日、日本の外交力を問い直す〉
毎年のように、終戦の日は、総理や国会議員の「靖国参拝」が問題になる。行くのはいい。しかし、それで問題は解決しない。「心構え」の問題だけではなく、政治家は、実際に「国を守り」「外交する」ことだ。それがない。
8月10日、韓国の李明博大統領は、竹島に上陸した。「独島(ドクト)は私たちの領土であり、命を捧げて守る価値がある」と言い、さらに、14日には、「天皇陛下が韓国を訪問したいのであれば、独立運動をして亡くなった方々を訪ねて、心から謝罪すればいいだろう」と発言。
それには、左右を問わず、日本中が激怒した。常軌を逸しているし、礼を失している。在日の人たちも、「私たちの立場を少しでも考えてほしい」と言っていた。その通りだろう。
肉親が逮捕され、「死に体」の大統領だ。最後の1発で、「愛国心」に訴えたパフォーマンスなんだろうが、余りにもひどい。「愛国心はならず者の最後の逃げ場である」という言葉があるが、今や、「死に体の政治家」の「最後の逃げ場」になっている。
又、これに対し、日本は手をこまねいていた。それで、中国に見透かされたのだろう。尖閣に上陸された。日本には全く外交がないし、国を守る気概がない。又、直接、乗り込んで談判する政治家がいない。
これは不幸なことだ。与野党挙党一致で、この〈国難〉に当たるべきだ。
「編集長は見た!」は〈特別編〉で、猫ひろしさんが登場。一時はカンボジアの代表でオリンピックに出る予定だったのに、残念だ。今はカンボジア人なんだし、来日しての出演だ。4年後のオリンピックを目指すという。
ナショナリズムと国際友好、そして、マラソンの話をじっくりと聞いた。
「猫さんと鈴木さんは共通点が一つあるんです」と、寺ちゃん。名前に「邦」が付くんです。猫さんは本名、滝崎邦明さん。1977年8月8日生まれですと、寺ちゃん。あら、誕生日も近い。私らの時代は「邦」という人はいるが、それ以降はあまりいない。「国」という名はあるが…。そんな話をした。
猫さんはこの日、赤いTシャツ、胸には「猫魂」と書かれている。ズボンを降ろすと、パンツにも猫の絵。前も後ろも。それを皆の前で披露した。
「そうだ。もう一つ、共通点があります」と私。「私も猫魂、いや、猫だましが得意なんです」と、柔道の試合で、猫だましを使って勝った体験を披露した。受けました。
「卑怯!と言われたんじゃないですか」、と寺ちゃん。いえ、いえ。キチンとルールに則って闘ったんですから。
そのあと、「隣りの芸人さん」のコーナーで、Wコロンが登場。猫さんも残って、「勝負」。ねづっちの謎かけ、と猫さんのギャグ。どちらが面白いか。
「審判は鈴木さんです」。エッ?私がレフェリーか。責任重大だ。どちらも面白かったけど、猫さんの方が大笑いしたので、猫さんの勝ちにしました。
それから急いで、車で、阿佐ヶ谷へ。阿佐ヶ谷ロフトで7時半から出ることになっている。
〈戦後67年特別企画・「戦後を超えて憲法から原発まで徹底討論」〉
古谷経衡さん(著述業)が司会。出演者は、久野潤さん(皇學館大学講師)、田中秀臣さん(上武大学教授)、山口祐二郎さん(民族派活動家)、そして私です。かなり白熱した討論になりました。
私は8時50分までいて、その後、車で新宿のロフトプラスワンへ。こちらでやっているトークの後半に出ました。
〈平和だからできること。戦場よりリング場、戦場よりエロス場〉
高須基仁さんが司会で、元木昌彦さん、福原進さん(映画監督)、岡本さんが話している。そこに私も入り、領土、憲法などについて話した。そのあと、木村三浩氏、三上治さんが登場。最初のとこには出てたが、テレビ出演があるため、2人は中座し、戻ってきたようだ。
でも、主役の前田日明さんがいない。「もうすぐ来ます」と言ってたが、11時半になっても来ない。「何だ、前田日明を見に来たのに。金返せ!」と言ってた客もいた。私も、久しぶりに会えると思ったのに、残念でした。
でも、2つのロフトとも、満員で、盛り上がってました。皆、日本の今の危機的状態をひしひしと感じているからでしょう。質問も、激しいものがありました。
そのあと、文化放送へ。今日は私の出番ではないが、月刊『文芸春秋』の編集長・島田真さんが出るので、聞きに行った。今月(9月号)も凄い特集だ。「完全保存版・太平洋戦争。語られざる証言」だ。またまだ知らなかったことがあったんだ。120ページほどの企画だが私は、一気に読んだ。それで、ぜひ編集長の話を聞きたいと思ったのだ。
又、今月号では、第147回芥川賞を受賞した鹿島田真希さんの「冥土めぐり」も掲載されていて読みました。今日のコメンテーターは荻原博子さんで、久しぶりに会いました。「編集長は見た!」のあとの、「隣りの芸人さん」も聞きました。山本シュウさん、そして、マシンガンズ。とても面白かったです。
夜は、雑誌の対談。
この日は、上演の前に、「再生」代表の高木尋士氏と私のプレトーク。「今、正義とは何か」。何やらサンデル教授の白熱教室のようなテーマだが、あくまでも、カミュの『正義の人びと』について話をした。以前はカミュは好きで、全集を読破したこともある。その頃のことを思い出しながら話をした。
終わって、芝居の上演。思想的に深いし、なかなか面白かった。今こそ考えてみるべきテーマだと思った。カミュを土台にしながらも、独自の解釈や大胆な創作も入る。三島由紀夫の『憂国』が出てきたのには驚いた。
終わって、芝居を見に来た人たちと打ち上げに。もう2日間、頑張って下さい。『転落の記』を書いた本間龍さん、元「週刊SPA!」のつるし編集長なども来てました。
⑦終戦記念日ですが、竹島、尖閣をめぐって、大騒ぎになっています。「領土を守れ!」という声が充満しています。そんな時だからこそ、「私も闘う決意を!」ということで、貞包みゆきアナウンサーは、戦闘用のズボンをはいてきてました。自衛隊のズボンでしょうか。シャッターを押したら、その瞬間、Wコロンのねづっちさんが、顔をのぞかせました。「ねづっちでーす!」と。さすがですね。
⑧8月15日(水)夜7時半から阿佐ヶ谷ロフト。〈戦後67年特別企画・「戦後」を超えて憲法から原発まで徹底討論〉
(左から)古谷経衡さん(著述業)、鈴木、久野潤さん(皇學館大學講師)、田中秀臣さん(上武大学教授)、山口祐二郎さん(民族派活動家)。私は8時50分で失礼して、新宿のロフトプラスワンに向かいました。
⑨8月15日(水)途中から、ロフトプラスワンに出ました。高須基仁さん司会の
〈平和だからできること。戦場よりリング場、戦場よりエロス場〉
(左から)岡本さん、木村三浩さん、鈴木、元木昌彦さん、福原進さん(映画監督)、三上治さん(評論家)、高須基仁さん。前田日明さんが出る予定でしたが、他の仕事が長引いて、来れませんでした。残念でした。
⑩8月9日(木)。午後8時から代官山で、脱原発ロックの会。松田美由紀さん、マエキタミヤコさんたちが主催。この日は、田中優さん(右)と村上敬亮さん(経産省資源エネルギー庁)の対談がメインだった。原発後のエネルギーをどうするか。かなり建設的、具体的な話だったので、とても勉強になりました。
⑫経産省資源エネルギー庁の村上敬亮さんと。よく出てくれたと思います。偉いですし、勇気があります。脱原発の集会で、脱原発の論客と討論するのですから。「でも立場の違う人間が、一致点を求めて話し合うのはいいですね」と村上さん。これは凄いです。今までで、一番、いい対談だったと思います。
⑭8月11日(土)午後2時、三島由紀夫研究会の公開講座に行きました。宮本雅史さん(産経新聞那覇支局長)が講師で、「沖縄問題にみる日本の国防」でした。知らないことも多く、とても勉強になりました。宮本さんとは久しぶりに会いました。又、三島研の人たちとも久しぶりで会いました。終わって、懇親会にも出ました。
⑰あまりに暑いので頭がボーッとして、幻覚を見てしまいました。昔の兵隊さんが鉄砲かついで歩いていました。又、突撃喇叭を吹いてる人もいました。いけない、私は夢を見ている。あるいは、タイムスリップして、昔の兵隊さんが現代に現れたのか。でも、写真もにちゃんと写っていました。不思議です。 超常現象です。月刊『ムー』に投稿しよう。
⑱8月8日(水)の一水会フォーラムに、平沢暁男さん(日本革新党)が、わざわざ仙台から来てくれました。
平沢さんは昭和15年(紀元2600年)生まれです。だから同級生には、「二千六百年」という名前の人がいたそうです。「かずとし」と読ませたそうです。「年」は「とし」だ。「二千六百」は「数(かず)」だ。こんな光栄ある名前をつけられて、きっと幸せだったでしょう。あるいは大変な苦労をしたか。「その人を探して、ぜひ会わせて下さい」と言いました。『紙の爆弾』で対談してもいいし。そうだ!星飛雄馬君(本名)も入れて、3人で話し合ってもいいな。