「今回の領土をめぐる紛争のことを言ってるんですよね。その通りですよ。たとえ『卑怯』と言われようと、あらゆる手を使って勝たなくては…」と言われた。
「それに、日本は中国軍にやられた戦法を、今度はアメリカ戦に使って、米軍を苦しめたんですよね。
それを又、今も、やれと言うことでしょう」とも言われた。
いや、そんな気はないんだ。週刊「アエラ」に書評を書いたけど、そんな大それた目論見はない。それに、領土問題に当てつけて書いたわけでもない。
「アエラ」8月27日(月)号だから、発売は8月20日(月)だったが、「アエラ」は1週間、休みだから、2週間前に原稿を入れている。竹島・尖閣騒動が起きる前に原稿を書いた。
といって、領土問題を予見したわけでもない。たまたま、書評の内容と、現実の領土問題が合致して見えただけですよ。
8月20日(月)発売の「週刊アエラ」(8月27日号)の書評で取り上げたのは、この本だ。一ノ瀬俊也さんの『米軍が恐れた「卑怯な日本軍」--帝国陸軍戦法マニュアルのすべて』(文芸春秋)
〈卑怯な日本軍〉という言葉には思わずビクッとした。本の帯には、
〈アメリカ兵の悲鳴が聞こえる!〉
と書かれている。驚いた。「卑怯な!」と叫ぶほどに、日本軍に苦しめられたのか。
日本は少数ながら、正々堂々と戦い、そして敗れた。そう思っていた。
初めこそ真珠湾の奇襲には慌てただろうが、あとは物量で日本を圧倒した。日本軍は追いまくられ、勝負にならない。そう思っていた。
それに、日本軍には、〈戦法〉〈兵法〉がない。常に正面作戦で、当たっては砕けた。そして「玉砕」「散華」だ。
バンザイ突撃、特攻…と。どう勝つかはもう考えない。どう散るか。どう死ぬかしか考えてない。そう思っていた。
大体にして、何故あんな無謀な戦争をやったのだ、と思っていた。国力、軍事力を比べたら、全く勝ち目はない。
それなのに、やった。「精神力」で勝てると思ったのか。イザとなったら「神風」が吹くと思ったのか。愚かだ、と思った。
昭和天皇は『独白録』で敗戦の原因として、「兵法の研究が不充分であった事」「余りに精神に重きを置き科学の力を軽視した事」を挙げている。その通りだと思った。
今、手元に文春文庫の『昭和天皇独白録』がある。ここから正確に引用してみよう。「敗戦の原因」について書かれた箇所だ。
〈敗戦の原因は四つあると思ふ。
第一、兵法の研究が不充分であった事、即孫子の、敵を知り、己を知らば百戦危うからずといふ根本原理を体得してゐなかった事。
第二、余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視した事。
第三、陸海軍の不一致。
第四、常識ある首脳者の存在しなかった事。往年の山縣(有朋)、大山(巖)、山本権兵衛、と云ふ様な大人物に缺け、政戦両略の不充分の点が多く、且軍の首脳者の多くは専門家であって部下統率の力量に缺け、所謂下克上の状態を招いた事〉
まさにその通りだ。昭和天皇はよく見ていた。この事は、戦争前から知っていた。だから、開戦には反対していた。
又、昭和20年9月9日、皇太子(現天皇)に宛てた天皇の手紙にも「敗国について」こう言っている。
〈我が国人が、あまりに皇国を信じ過ぎて英米をあなどったことである。
我が軍人は、精神に重きを置き過ぎて科学を忘れた事である。
明治天皇の時には、山縣、大山、山本等の如き名将があったが、今度の時はあたかも第一次世界大戦の独国の如く、軍人がバッコして大局を考えず、進むを知って、退くことを知らなかったからです〉
冷静に分析している。ここまで分かっていたのは昭和天皇だけだったのか。精神に重きを置き、精神的な(戦意昂揚)のスローガンだけが充満していた。「進め一億、火の玉だ」「鬼畜米英」…と。一般から標語を募集して、それを発表した。
「米英を消して、明るい世界地図」
「日の丸で埋めよ、ロンドン、ニューヨーク」
などだ。それで勝ったつもりになっている。愚かだ。兵法がなかった。戦法がなかった。精神論ばかりで、科学を考えなかった。だから、少人数で堂々とよく戦ったが、米英の圧倒的な物量の前には全く歯が立たず、負けた。
…そう思っていた。ところが、この本(『米軍が恐れた「卑怯な日本軍」』)を読むと、アレッと思う。「卑怯」といわれるほどに〈戦法〉〈兵法〉はある。
こんなにも、したたかに日本軍は戦ったのか。そして米軍を苦しめたのか。この本には、それが具体的に書かれている。
何もこれは、トンデモ本ではないし、妄想本、陰謀本でもない。米陸軍が兵士向けに作成した対日戦マニュアルだ。「日本を小国と思って侮ってはならない」と言う。この国は、ありとあらゆる兵法を使って攻めてくる。絶対に油断してはならない!と。たとえば、こんな奇抜な手を使う。
「降伏するふりをする。死傷したふりをする。我が軍の一員のふりをする。友好的な民間人のふりをする。地雷&手榴弾を卑劣な罠に使う」
この本の表紙にも、「降伏するふりをする」卑怯な日本兵のイラストが描かれている。
穴の中から、モゾモゾと出てきて降伏する。ふんどし一丁で、裸だ。両手を挙げて降伏してくる。
しかし、よく見ると背に日本刀や手榴弾を隠し持っている。
本文では、そうした日本兵の写真も随分と出ている。
又、死体の中に長い間、隠れて、米兵が来た時に襲撃する。木の上に登り、まるで枝になり切って、長時間待つ。植物や、あるいは、ゴミの中に隠れ、それらと「同化」して米兵を待つ。
そんなこともやっている。まるで忍者のようだ。動物の保護色や擬態のようだ。
又、楠木正成の戦法を使っている。ハリボテの偽装の武器を作り、米兵を威嚇したり、全く武器などないように見せて、罠を仕掛けたり…。
地雷の数や種類も半端ではない。椅子に座ろうと、ちょっと引いたら爆発する。道に倒れている木をどかそうとしたら爆発する。そんな、地雷も日本兵は多用した。
「卑怯な日本軍」の実態が、これでもか、これでもかと暴かれる。
又、驚くことに、手榴弾は、日本が初めて開発し、実戦に使ったという。凄い発明だ。
ただし、効率のいいものではない。敵のいるとこまで近づき、投げるのだ。射殺される可能性の方が大きい。
でも日本軍は特攻精神でやったのだろう。野球選手も、徴兵されると、投擲手に使われた。でもボールと手榴弾では重さも違う。投擲の仕方も違う。それで皆、肩を壊したそうな。
映画で、「最後の早慶戦」だったかな、印象深いシーンがあった。
戦局が厳しくなり、音楽やスポーツは次々と禁止になる。そんなことをやってる時ではない、と言われたのだ。
大学野球は、ぜひ、野球をやらせてくれと軍に直訴する。お偉方を招いて、「野球はいかに戦争に役立つか」を見せる。
足は速いから伝令に使える。体は鍛えてるから、いい兵士になる。それに、ボールを遠くまで投げ、正確に的に当てられる。これは「手榴弾投げ」に最適だ。
そう言って軍部を必死に説得する。涙ぐましい努力だ。
日本が発明した、この手榴弾は、戦争で、その使命を終えた。もう、こんな「卑怯な」戦法は使われない。
と思っていたら、その「伝統」「遺伝子」は生きていたのだ。左翼運動や学生運動では、よく「火炎瓶」が使われた。
あれなんですな。手榴弾の伝統の上に使われ、闘われていたんだろう。これは、著者の一ノ瀬氏は書いてないが、私が推測したことだ。
そうすると、大東亜戦争は続いていたのだ。アメリカを相手に、反米自立のゲリラ戦を続行していたのだろう。
しかし、手榴弾にしろ、火炎瓶にしろ、「効率」が悪い。手で投げるから、人によって飛ぶ距離が違う。命中の正確度も違う。左翼の学生運動家に聞いたことがある。
「火炎瓶を投げる機械を作ったらいいじゃないか」と。つまり、ローマ軍の投石機のようなものだ。
それだったら、人間の力でなくやれるし、大量に、そして命中の精度も飛躍的に上がる。
「実は、それは研究したんです」と活動家は言う。滝田修さんだったかな。藤本敏夫さんだったかな。いや2人ともだ。揃って言っていた。
「必死に研究し、開発しようとしたけど、いいものが出来なかった」と言う。
それに、大きな投石機は、車をつけて、引いていかなくてはならない。馬に引かせるわけにいかない。馬が興奮し暴れる。
それに、攻めたり逃げたり、戦いは個人個人単位でやっている。大きな投石機は、邪魔になる。そういう理由で、完成しなかったという。
今、「投石機」と言ったが、手榴弾は日本軍が発明したが、そのヒントになったのは投石だったという。この本の著者、一ノ瀬俊也氏は言う。
〈手榴弾を発明したのは日露戦争時の日本軍だという話がある。旅順で露軍と肉弾戦を繰り広げるなかで、最初は石を投げていたが、代わりに爆弾を投げてはという話になり、薬筒(砲弾の発射薬を詰める容器)に導火線を付け点火して投げてみたら「意外に破壊力が偉大で」両軍とも多用するようになった〉
そして、第一次大戦の塹壕戦以降、列強の軍隊がこぞって使い出したのだという。「卑怯な日本軍」の発明が、世界中に普及した。全世界の軍隊が「卑怯な軍隊」になったのだろう。
又、「歯ミガキ爆弾」や「石けん爆弾」も日本軍は発明したという。アメリカのブランド品そのものの歯ミガキ、石けんだ。
「おお、懐かしい。我が軍が捨てていったものか」と思って、拾おうとすると爆発する。持ち上げると引力式の摩擦点火装置が作動して爆発するのだ。
こうした「工夫」「研究」はまだまだある。『卑怯な日本軍』を書いた米陸軍も、驚嘆して言う。
〈日本軍は、その軍事行動において、少なくとも一つの側面では優秀と認めねばならない。偽装とダミーである〉
「卑怯だ!」といいながら、米軍も日本軍の奇抜な戦法・兵法を認めている。こんなにも日本軍は、したたかに戦ったのか。
これには驚いた。いろんな戦法・兵法があった。「科学」もあったんじゃないか。と思う。
では、昭和天皇の『独白録』はどうなるのか。日本は「兵法の研究が不充分であった」「精神に重きを置き科学の力を軽視した」というが、兵法はあったし〈科学〉もあった。
しかし、これは、あくまでもシークレットでやられていた。だから天皇の元には届かなかったのだろう。
「こんな卑怯な、セコイことまでやってます」「動物の保護色、擬態も応用して戦っています」とは言いづらい。あくまでも、「日本精神で、正々堂々と戦っています」としか報告しなかったのだろう。
そして今は、どうだろう。これは「アエラ」の書評でも書いたが、「かつての敵」は日本に対し、限りない淋しさを感じているのではないか。
あんなに、アメリカ軍を苦しめ、キリキリ舞いさせた「日本軍」はもういない。自衛隊があるから、〈自衛〉は出来る。
しかし、アメリカのように世界に軍隊を出して、戦うことは出来ない。「平和憲法」で、本当なら、自衛の軍隊も持ってはいけないのだ。
でも、自衛隊はある。しかし、これを海外に展開することは出来ない。
だったら、そのかわりに「外交」でやるしかない。かつては日本は外交でも、世界を相手に堂々と闘った。「卑怯な!」と言われるほどの手も使った。
しかし今はない。軍もない。外交力もない。〈卑怯!〉と感嘆されるほどの戦法もない。
これではどうしたらいいのか。そんなことを教えられた本だった。ぜひ、多くの人に読んでもらいたいと思った。
それと、最後に言いたいが、こうした「卑怯な」兵法は、実は中国から学んだようだと著者の一ノ瀬氏は言う。死んだふり、偽りの降伏…などで、日中戦争時、日本は中国に散々悩まされた。その戦法を今度は日本軍が米国に使ったのだろうと。ともかく、知らないことが多かった。思い込みを吹き飛ばす本だ。それにしても、「卑怯な!」と言われるほどの日本は今はない。
「いくらですか?」「3900円です」。エッ?と思いました。長い映画だと思ってましたが、3本なんですね、1300円×3本です。
お昼の12時半から6時半まで、6時間、ずっと見てました。2回、入れ替えで、ちょっと出ただけです。6時間も耐えられるかな、と思ったけど、全く時間を感じませんでした。迫力があるし、現代の世界史の〈裏面〉が如実に出てるし、テロリストと思っていたが、革命家なんですね。
帝国主義国と闘うために、PFLPや日本赤軍とも共闘します。和光さんらしき人も出てきます。又、リビア、イラク、ソ連からの〈仕事〉を頼まれて、反帝国主義の戦いをやります。何人も殺します。女にももてます。「007」より面白いです。なんせ、皆、本当のことだから。
テロリストではない。自分の弾丸の一つ一つには〈思想〉がある。と言います。カミュの『正義の人びと』のようですね。凄いですね。私らでは、とてもこんな生き方は出来ませんよね。昔の私の非合法時代のことも思い出されました。でも、とてもとても、ここまでは徹底出来ませんでした。
これはぜひ、活動家の人、元活動家の人たちに見てほしいですね。
〈尖閣国有化合意で懸念される日中関係〉
国は20億以上の大金で尖閣を買い上げることに決定。石原都知事は、漁船を係留出来る港湾施設などを造り、実効支配を強化するよう求めていたが、野田政権はこれに応じず。中国を刺激したくないという理由だ。しかし、中国と談判する気もない。これでは、都が持っていて、港湾施設を造った方がいい。
「編集長は見た!」は、「日本の防衛のこと、もっと知りたい!」がキャッチコピーの月刊雑誌『MAMOR(マモル)』編集長の高久裕編集長。10月号の特集は「自衛隊と気象予報」。普通の気象予報とは比べものにならない精度が要求される。自衛隊員の任務・訓練の命が懸かっているからだ。そして、
〈歴史が教える気象と戦争の密接な関係〉。
ウォーターローの戦い。諸葛孔明の赤壁の戦い。上杉謙信と武田信玄の川中島の合戦。…〈気象〉と、それを読むことにより勝負は分かれた。軍事史と気象の関係をじっくり講義してもらい、とても勉強になりました。
①8月31日(金)午後6時から脱原発・官邸前抗議デモに行ったら、白い風船を配ってる人がいました。「アッ、田中康夫さんだ!」と叫んだら、「鈴木さん、久しぶり」。日比谷野外音楽堂での騒乱事件など、いろんな所でご一緒しました。今は衆議院議員で新党日本代表です。脱原発に向けて頑張ってます。風船を配ったあと、皆の前で、元気に挨拶してました。
⑤8月31日(金)官邸前デモが終わって、車で代官山に行きました。「山羊に聞く?」で、北芝健さん(作家・左)と、北野誠さん(右)のトークをやってたので、聞きに行ったのです。「きたきた!最恐最凶の実話怪談」。お二人には久しぶりに会いました。
⑥一ノ瀬俊也さんの『米軍が恐れた「卑怯な日本軍」=帝国陸軍戦法マニュアルのすべて』(文芸春秋)です。一気に読みました。私は「アエラ」(8月27日号)に書評を書きました。多くの人に読んでもらいたい本です。
⑧大島武さん(東京工芸大学教授)と。実は、映画監督・大島渚さんの息子さんです。やはり似てますね。今は大島渚さんは闘病中です。「朝生では親父と、やりあっていましたね」と言われました。いやいや、一方的に、こちらが教えられました。それにしても、あの怒鳴り方は「朝生」名物でしたね。
⑪孫崎亨さんと。植草さん、孫崎さんがこの集会の講師でした。前の夜、(金〜土にかけて)は、孫崎さんは「朝生」に出てました。それから、NHKに出て…。そして「国民の生活が第一」と。全く寝てないそうです。タフですね。私と同じ年だというのに。「朝生では木村さん(一水会代表)と一緒でした」と言ってました。そうですね。「領土とナショナリズム」で皆、熱く語ってましたよね。
⑫9月2日(日)午前10時半。高田馬場「ミヤマ」会議室。札幌から乾淑子さん(東海大学教授)が上京しました。戦争柄の珍しい着物を見せてくれました。レーニンさん、あゆみさん、高木さんも興味深く見てました。熱心に質問してました。日の丸、旭日旗、トビなどが図案化されてます。
⑭これは子供用の晴れ着です。背中には、はっきりとした絵柄があります。東郷元帥、乃木大将、そして日の丸、旭日旗です。こうした服を着せてもらい、子供は大喜びで皆に見せびらかしたのでしょう。あるいは正月や七五三に着ていったのでしょう。
⑮これも戦争を伝える写真展です。この日、9月2日(日)の夜、江古田のギャラリー古藤に行きました。
〈中国に残された朝鮮人元日本軍慰安婦の女性たち。安世鴻(アン・セホン写真展)〉を見ました。
新宿ニコンサロンが中止を通告した写真展・東京第2弾です。写真を撮った安さんに話を聞き、かなり話し合いました。
⑱この写真展が開かれているギャラリー古藤の田島和夫さんと。実は、田島さんは長谷ゆり子さん(ゴールデン街・「飛翔」のママ)の弟さんだそうです。驚きました。長谷さんは、飛翔のママをやり、多くの人たちがそこに集まり、推されて選挙に出て、社会党の議員をやりました。辞めてからも店はずっとやってます。ただ、今は体調を崩して闘病中だそうです。
前の日は、大島渚さんの息子さんに会うし、奇遇です。驚きです。