凄い人だった。会場のアルカディア市ヶ谷3階「富士の間」は、全国から集まった人々で一杯だった。一水会結成40周年大会だ。もう40年も経ったのだ。
40年前に、一水会を作った世話人の人たちがいる。支えてくれた先生方、先輩方がいる。そして、応援し、激励したくれた文化人、評論家、政治家の人たちがいる。
「200人か、多くて300人でしょうね」と、初め、木村三浩代表は言っていた。ところが、当日は、400人以上の人が集まった。そして、心のこもった祝辞・激励の挨拶をしてくれた。
午後6時半に始まり、9時まで、2時間半。私は、皆に挨拶をし、お礼を言おうと、会場を歩き回った。
この間、一杯の水も飲まない。何も食べない。そんな余裕は全くなかった。後で聞いたら、木村代表もそうだという。スタッフの人たちもそうだろう。
終わって9時からは、スタッフと、ごくごく近い人だけで、二次会に行った。「会場は土風炉(とふろ)です」と言うから、「えっ、高田馬場に移動するのか」と思ったら、会場のアルカディア市ヶ谷の隣りにもあって、そこだったのだ。
喉も渇いたし、40周年大会も無事終わったので、ホッとして、ビールを飲み、飲み過ごしてしまった。
でも、こんな時ぐらいはいいだろう。それにしても、木村代表はじめ、一水会のスタッフは大変だったろう。ご苦労さまでした。
おかげで、懐かしい人々とも会うことが出来た。
学生時代、「生長の家」の学生道場にいた布清信君。又、民族派学生運動を一緒にやった日学同(日本学生同盟)の山本之聞氏たち。
そして、「楯の会」の人たち。伊藤好雄氏、田村司氏、伊藤邦典氏、篠本裕氏…。
そして、一水会を応援し、引っ張ってくれた亡き野村秋介さん、青木證司さん、阿部勉氏たちも、きっと見守ってくれてるだろう。
会場正面の舞台には、日の丸、そして「一水会」旗。そして、上には。
〈一水会結成40周年。「レコンキスタ」創刊400号。一水会フォーラム500回記念大会〉
「40年と400号と500回」を祝う会なのだ。午後6時半、開会。開会の辞は司会の葛城奈海さん(女優・キャスター)。そして、国歌斉唱。続いて、「清め祓いの演武」。荒谷卓さん(元陸上自衛隊特殊作戦群初代群長)。
続いて、ビデオ上映。「一水会40周年の軌跡」。よく出来たビデオだ。1970年の三島事件から始まり、昔右派学生運動をやった仲間が集まり、一水会をつくる。
1975年には私の『腹腹時計と〈狼〉』が出版され、その当時、テレビに出た私が映し出される。「うわー、若い」「かわいい!」という声も上がる。37年も前だ。そりゃ、若いだろう。
又、1975年、野村秋介さんが出所し、一緒に「新しい日本を創る青年集会」運動をやる。そして、経団連事件…と。
一水会も、過激な路線に突入し、当時のテレビ映像が紹介されたが、何と、一水会の若者たちは、「武装訓練」をやっている。
全員ヘルメット、タオルで覆面。そして、角材を持って突撃訓練をしている。又、角材で闘ったり、空手の練習をしたり…。こんな時代もあったんだ。と、懐かしく見ましたね。
さらに、赤報隊事件の容疑者にされたり、スパイ査問事件があったり。40周年のうち、30年ほどは私が代表で、大変だった。
そして、2000年からは木村代表のもと、新体制が発足。
北朝鮮、タイ、イラク、インドなどを訪問し、海外に飛躍し、一昨年は、フランスのルペンさんを初め、ヨーロッパの愛国政党のトップを招き、「愛国者世界平和大会」を開きました。これは画期的、歴史的なことです。
又、それまでタブロイド版だった「レコンキスタ」を、大きなブランケット版にし、HPを充実させ、実体のある運動体として急成長しました。
ビデオでは、その辺のこともよく出ていた。
それを見終わった時に、木村三浩・一水会代表による主催者挨拶。「ビデオで見たように、1970年の三島事件に触発され、一水会は出来ました。そして、40年間、運動を続けてきました」と挨拶。
ヤルタ・ポツダム体制打破。憲法改正。日米安保破棄。対米自立。自主防衛…を、スローガンに闘ってきた。さらにこれからも、「日米地位協定改訂、国際的愛国者連帯など、腹を括って闘いを展開してまいります。必ず実質的に政治を動かしてみせます」と、力強い挨拶。
次には、一水会を強力にサポートしてくれる来賓の祝辞。
西部邁さん(評論家)、田原総一朗さん(ジャーナリスト)、猪瀬直樹さん(東京都副知事)、頭山興助さん(呉竹会会長)、小林節さん(慶応大学教授)。
それぞれ、とてもいいお話だった。「レコンキスタ」の次号に詳しく出ると思うので、見て下さい。
さらに、国会議員・OBの祝辞。衆議院議員の下地幹郎さん、平沢勝栄さん、松木けんこうさん。参議院議員の有田芳生さん、田代かおるさん。さらに、元衆議院議員の山口敏夫さん。元参議院議員の村上正邦さんが激励の挨拶。
いい挨拶ばかりだ。山口さんは、「一水会はさらに開かれた団体になり、代表も4年に1回、公開選挙でやったらいい」と言う。自民党、民主党のように、「政党」を目指して、やれという。「次の代表選挙には私も立候補したい!」と。
又、村上さんは、「政治家の応援団が多いのは分かるが、これでは何をしたいのか分からない。もっと明確な、闘うビジョンを出せ!」と激しく叱咤しておりました。
そして、ここで、やっと乾杯。
乾杯の発声は、鈴木宗男さん(新党大地・真民主代表)。力強く激励し、乾杯の発声をしてくれました。ここで宴会・ご歓談の時間。
しかし時間も押しているので、歓談の時間はすぐに終わり、次の挨拶に。
犬塚博英氏(一水会顧問)による実行委員紹介。壇上に上がった実行委員を、犬塚氏が紹介し、その中で、一水会40年の歴史を紹介していく。
40年前の創設時の世話人(四宮正貴、犬塚博英、伊藤邦典、田村司、鈴木邦男)。そして、野分祭実行委員長の伊藤好雄。
その40年の歴史を語り、今の木村代表、番家誠副代表を紹介する。
又、創設時世話人だったが、残念にも亡くなられた阿部勉、田原康邦などについても犬塚氏が語る。
このあと、パレスチナ代表部からのメッセージ(代読)。浅香光代女史とお弟子さんによる「お祝いの舞」。
そして、ご出席者よりの叱咤激励、と続く。
福田和也さん(慶応義塾大学教授)、孫崎享さん(元外交官・評論家)、阿形充規さん(朱光出版会長)、小礒あきらさん(東京都議会議員)、南丘喜八郎さん(月刊日本主幹)、池内ひろ美さん(評論家)、猪野健治さん(評論家)。JR総連・武井委員長。尖閣に上陸した元自衛官の伊藤祐靖さん…などだ。
時間が長引いたので、帰られてしまい、挨拶してもらえなかった人も多かった。八木秀次さん、山本峯章さん、古賀俊昭さん、高野孟さん、歳川隆雄さんなどだ。
この日、挨拶した猪野健治さんは、私たちが右翼学生運動をしていた頃からのお付き合いだ。右翼研究の本も多く、実は、「新右翼」という言葉を作った〈名付け親〉でもある。
最後に挨拶した伊藤祐靖さんだが、挨拶を聞いて、ビックリした。
今出ている月刊『文芸春秋』(10月号)に、「独占手記。元自衛官、尖閣に日の丸を掲げるの記」を書いている。
この40周年大会の2日前、文化放送に出た私は、『文芸春秋』の島田真編集長と対談した。「この人は凄い人ですよ」と島田さんは絶讃していた。「じゃ、ぜひ会ってみたいですね。紹介して下さいよ」と言った。
その当人の伊藤さんが、挨拶していた。挨拶が終わった時に、声をかけた。「初めまして。おとといの文化放送で伊藤さんの話をしてたんですよ」と。
「あっ、鈴木さん。久しぶり」と言う。
エッ? 前に会ってたっけ。「一昨年の世界愛国者平和大会の時に会ってますよ」と言う。「ルペンさん(フランスの国民戦線代表)のボディガードをしてました」と言う。
アッ、あの時の人か、と思い出した。ルペンさんは世界的に有名だ。何かあったら大変だ。さらに、靖国神社にも参拝した。
その時、何人かでガードし、それを指揮していたのが伊藤祐靖さんだった。
伊藤さんは、二次会にも来てくれたので、ボディガードの苦労話、又、尖閣に泳いで渡り、日の丸を掲げた時の話などを詳しく聞きました。
元海上自衛隊・特別警備隊先任小隊長だった。「特殊部隊」だと言う。尖閣の上陸も、時間を計り、タイムリーに計画を実行している。
本を読んでも、さすがはプロだ、と思った。ルペンさんのガードでは、銃は持てない。そんな中で、どうやって守るのか。相手が銃なら、どう対応するのか。などについても聞いた。
ここで話を戻す。再び、40周年記念大会の会場だ。午後6時半から始まった会は、もう8時半を過ぎていた。
「出席者よりの叱咤激励」のあと、もう1回、宴会・ご歓談の時間。短い時間だった。
それから再開し、演奏・尺八。き乃はちさん(尺八奏者)。そして、祝電披露。スペイン・ファランヘ党など沢山、来ていた。
そして9時。いよいよ閉会です。「閉会の辞」は一水会前代表。つまり、私です。
「こんなに多くの方たちが集まり、激励して下さるとは思ってませんでした。本当にありがとうございました」と挨拶。
そして、「第一水曜に集まる」というサラリーマンの勉強会だったのが、こんなに長く続いた。その歴史について話しました。
一水会という「仮の名」だったのが、こんなに長く続いた。本格的な政治団体ではなかったので、「規約」も「綱領」もない。
それがよかったと思う。もし、しっかりした、規約・綱領を作ったら、「これに違反した場合、どうするか」「会員資格停止」とか、あるいは「除名」なども書かなくてはならない。
そんなのが嫌で、規約を作らなかったのかもしれない。学生時代、右の運動でも、内ゲバ、内々ゲバがあって、嫌な体験をした人が多い。
私もそうだ。「だから、どんなことがあっても除名はやめよう」と阿部勉氏が言い出し、皆、賛成した。
以来40年。自分から辞めた人はいても、除名した人はいない。これは、一水会運動の中で「最大の誇り」だと思う。
どこの団体も、民主集中制を持つ。議論は自由だ。でも、一旦決まったら、それに皆が従う。従わない時は除名などの処分だ。
一水会は、それがなかった。一水会の方針と反対のことを言っても、自由だ。処分はされない。
その自由な40年の歴史の話をしていて、ハッと気がついた。もしかしたら、これは私自身のためにあったのかもしれない。
だって、私は、一水会の皆とは違うことを勝手に言ったり、書いたりして、一水会には、多大な迷惑をかけてきた。今もそうだ。
もし、規約があり、「除名」があったら、私は、真っ先に除名されていただろう。40年前、私の将来に不安を感じて、阿部勉氏が考えてくれたのかもしれない。
「ウーン、それは言えるよな」と、挨拶のあと、皆に言われました。
そして、挨拶の締めとして、私はこう言いました。
「今日は本当にありがとうございました。では次は10年後。一水会結成50周年大会で、皆で、又、元気にお会いしましょう!」と。
「エッ?10年後、いるのかな」「少なくともお前はいないよ」などと言われましたが。でも、〈希望〉と〈未来〉を与えたんですよ。全員で、又、元気に会いましょう、と。さらに、これに何倍かする人たちが集まってくれるでしょう。
というわけで、40周年大会は無事、お開きとなりました。木村代表はじめ、一水会のスタッフの皆さま本当にお疲れさまでした。ご苦労さまでした。
終わったら、立川談慶さんに会った。立川一門で、昔は「立川ワコール」と言っていた。元、ワコールに勤めていたからだ。セールスの途中、交番の前で転んで、バックの中味が道路に散らばった。沢山のブラジャーが出てきた。すぐさま交番に入れられ、訊問。ワコールの名刺がなかったら、不審者で捕まるところでしたと言う。
その話を思い出して、「4月に北朝鮮に行ったんですが、デパートにはワコールのブラジャーが売ってましたよ」と私は話をした。でも、A、Bサイズしかない。人民が謙虚だからでしょう。「えっ、そういうものですか」「そういうものですよ」と、元ブラジャーのセールスマンにブラジャーの話をしてあげました。
その後、立川談慶と名を変えた。談志の弟子なので「談」。そして慶応大学を出て、小林節先生に習った。慶応の「慶」をとって談慶だ。襲名披露の時は、私も呼ばれた。談志さん、小林節さんも勿論いた。「お礼の挨拶」をする談慶さんに、談志さんが、「バカヤロー。そんな時は、ダンケ(談慶)シェーンと言うんだよ!」。凄いですね、と思いました。
その談慶さんと一緒に、終わってから、ヒロさんの楽屋に。「私の生誕百年祭の時はありがとうございました」と言いました。本当なら、何百万も払わなくちゃならないのに、来てくれた。いろんなコントやパントマイムをしてくれた。
「いやー、面白かったですね。今度、連合赤軍ネタや右翼ネタもやりたいですね」と、ヒロさん。いいですね。どんどんやって下さいよ。
「あっ、私らだけが喋っちゃいけない。後ろに並んでる人もどんどん入って下さい。はい、私がカメラを写してあげましょう」とファン整理係を買って出ました。そしたら、あっ、「原発スイシンジャーだ!」という声が。
えっ、もしかして、藤波心ちゃんと一緒に「脱原発コント」をやってる人かな。聞いたらそうでした。今、ネットで1番人気があります。悪い「怪人反原発男」を、いい「原発スイシンジャー」が、やっつけるのです。勿論、ヒネリの効いたギャグです。いい「推進派」が、どんどん馬脚をあらわし、自滅していくのです。でも、ギャグが分からないで、「脱原発をけなすとは何事だ!」「許せん」という声もあるようだ。
終わって、講道館へ。原発スイシンジャーに負けないように、私も体力を鍛えないと。そうだ。談慶さんは、何を思ったのか今、ジム通いをしているそうです。週に3回も。よく時間をとれますね。「ベンチプレス120キロあがります」という。腕も太い。私は完全に負けてる。私も筋トレしないと。でも、大久保のスポーツ会館は今月でなくなってしまうし。どうしたらいいのでしょうか。
政治家が国民と一緒になって、ワーワー騒いでいるだけでどうする。命を賭けて、中国に行って、談判しろ、と言った。そうでないと、いつまでも「解決」はない。しかし、こんな当然の提案でも、「弱腰だ!」「戦争に訴えてでも領土を守る覚悟がない!」「反日だ!」と言われる。
午後3時から文化放送。私の出番の前にやっている大竹まことさんが本番中だった。「今日の鈴木さんのコメントは実によかった!」と紹介していた。ありがたいです。恐縮しました。スタジオから出て来た大竹さんと「愛国心」についてお話ししました。
「夕やけ寺ちゃん活動中」は3時40分スタート。今日の「ニュース本音と建前」は、
〈自民、民主、維新の会。各党の政策を検証する〉
今日のスペシャルゲストは、京都大学大学院教授の藤井聡さん。「日本強靱化論」の主張で有名。強く、したたかな日本を作ろうと言う。最近出した、『日本破滅論』
(文春新書。中野剛志さんとの共著)も売れている。
おととい公表された読売新聞社の全国世論調査で、次期衆議院選挙の比例代表で投票する政党を聞いたところ、
「自民党」が31%でトップ。
橋下徹大阪市長を代表とする新党「日本維新の会」が16%で2位。
「民主党」が14%で3位。
という結果になった。政権党が3位だ。まだ、国政でスタートしてない「日本維新の会」に抜かれている。藤井さんによると、今や「嫌いな言葉」として、「談合」「民主」の2つがトップだという。
そうだ。自民党の5名の総裁選の公開討論会を聞いていて驚いたことがある。皆、「日本の強靱化が必要だ!」と言う。「これでは強靱化にならない…」とか、言い合っている。藤井さんの影響力は、こんなに大きい。自民党には、講演会に呼ばれたり、個別にレクチャーをしたりしている。つまり、5人とも藤井さんの「生徒」だ。だったら、「先生」の藤井さんに首相になってもらい、日本を強靱化してもらったらいい。その方が手っ取り早い。
あるいは、5人の誰かが自民党総裁になり、次には選挙のあと与党になり、日本の首相になる。そうしたら、「大臣として入閣してくれ」という声も出るだろう。「強靱化」を言い出した張本人だ。「いや自分は学者ですから」と逃げるような人ではない。さあ、その時、どうするのか。当の藤井さんに聞いた。又、TPPや橋下維新の会、そして民主党の「2030年代の原発稼働ゼロ」方針についても聞いた。
藤井さんは、橋下さんの「維新八策」については徹底的に批判していた。
続いて、「編集長は見た!」は「特別編」だ。藤井聡さんが引き続き、出演。中野剛志さんとの対談『日本破滅論』が売れているし、波紋を投じているので、この本について話してもらった。『日本破滅論』とあるが、破滅の願望ではないし、〈大予言〉でもない。こうしたら破滅する。破滅しないためにはどうしたらいいかについて語った本だ。「だから明るいし、活力にあふれてます」と、藤井さんは言う。
たとえば、第3章の「新幹線と失われた20年—物語論」。新幹線の計画が考えられた昭和30年代は鉄道斜陽化論が主流だった。鉄道はもい古い。近距離は自動車。遠距離は飛行機の時代が来るといわれていた。ところが国鉄総裁の十河信二氏は、「いや、世界で最も優れた鉄道技術を、われわれ日本人の手によって実現したい」と主張。政治家、マスコミ、国民を説得した。そして国民のナショナリズムを刺激した〈物語〉を創り出したのだ。それに向かって驀進した。これは素晴らしい。
それなのに今、公共事業はムダ、新幹線はムダであるという「物語」が一部の人に浸透している。TPPの問題にしろ、増税の問題にせよ、ある種の物語がベースになっている。そのため必然的に、TPPに入らないといけない、増税をせねばならない等々の帰結になる。TPPの場合は「第二の開国」「外に打って出るしかない」という物語が共有されているが、「開国」が本当に日本にとっていいことなのかどうかは検証されていない。増税については「経済はもう成長しない」という物語がベースになっている。
…と、藤井さんは強調する。今、「日本強靱化」という物語が必要なのだろう。
このあと、Wコロンが加わっての「隣の芸人さん」。そしてUst延長戦。最後まで藤井さんは付き合ってくれました。
車で、日本出版クラブへ。佐高信さんの出版記念会に出る。
佐高さんが今回出した本は、『徳間康快伝=飲水思源』(金曜日)。落合恵子さん、寺島実郎さん、若宮啓文さん、照屋寛德さん、小室等さんがお祝いの挨拶。小室さんのミニコンサート付き。それから隣の部屋でパーティ。岸井成格さんが乾杯の発声。パーティのあと、松元ヒロさんのミニライブ。そして、佐高さんが、『飲水思源』で登場された人を紹介する。さらに、午後8時から作家の森村誠一さんと佐高さんの対談。2人が徳間康快について語る。さらに森村さんは、自分がホテルマンをしていて、どうやって作家になったかの内輪話も紹介する。濃い1時間でした。
午後9時、閉会。
私は森村さんのファンで、200冊は読んでいる。紹介してもらいました。感激です。又、小室さん、照屋さん、落合さんとも初めてお話ししました。終了後、佐高さんに誘われて二次会へ。佐高さんの奥さん、小室さん、ヒロさん、若宮さん…と、10人ほどでした。楽しかったです。いかに人を斬り、いかに原稿を書くか…。佐高さんに、いろいろと話を聞きました。
午後6時、脱原発・官邸前抗議デモに行く。「水曜日の朝日新聞、よかったね」と、いろんな人に声をかけられました。「中道・左派」の人からは受けがいい。「右派・保守」の人からは、「弱虫!」「闘う覚悟がないのか!」「腰抜け!」と、罵倒されてます。
デモが終わって、ロフトプラスワンへ行く。松尾貴史さんが出ていたので、会いに行く。久しぶりでした。前は、松尾さん、それに、岸田秀さんと3人で、よくロフトでライブをやってたのに…。「又、やりましょうよ」と言いました。
⑨元自衛官の伊藤祐靖さんと。伊藤さんは、『文芸春秋』(10月号)に、尖閣上陸の記を書いてます。〈独占手記。元自衛官 尖閣に日の丸を掲げるの記〉
伊藤さんは、一昨年の愛国者世界平和大会の時は、ルペンさん(フランス国民戦線)のボディガードをしてました。
⑪ビデオ上映「一水会40年の軌跡」も上映されました。私が昔、テレビに出た時の映像ですね。昭和50年(1975年)『腹腹時計と〈狼〉』(三一書房)を出版した直後ですね。37年も前ですね。見てた人が驚きの声を上げてました。「うわー、若い!」「かわいい!」…と。
⑫9月15日(金)午後2時から、「マガ9学校」に行きました。河野太郎さんが講師で、脱原発の話をしてました。「どうする?どうなる?日本の脱原発と政治」。途中で、自民党の改憲案の話になり、私も呼ばれて、一緒に話しました。
⑭私たちは、男だけで、超厳しい校則で、縛り付けられ、教師には、殴られてました。ところが今は、男女共学になり、服装も自由化されてます。
「青春を返せ!」と叫びたい。私は1期生。後輩の女性たちは45期生。44才の年の差があるのか。ショック!
⑮9月16日(日)午後2時。「座・高円寺」に行きました。月蝕歌劇団の公演を見ました。団鬼六原作・高取英脚本・演出の「花と蛇」。とてもよかったです。
終わって、演出の高取英さん。団鬼六夫人の黒岩安紀子さんと。亡くなった団さんとは何度かお会いしお話ししました。黒岩安紀子さんは、上演前に挨拶し、「花と蛇」の一部を朗読。そして、歌をうたってくれました。
⑯左より、鈴木。黒岩安紀子さん。主演の三坂知絵子さん。緊縛師の有末剛さんと。三坂さんは東大大学院を卒業した才媛です。大学教授にはならず、女優の道を突き進んでおります。「貞包アナによろしく。先輩なんです」と。文化放送で一緒に出ている貞包みゆきアナとは同じ下関西高の出身なんです。他に、同校の先輩には、「沖縄密約」を暴いた西山太吉記者がいます。又、作家の船戸与一さんもいます。
有末さんは、緊縛師です。この日も三坂さんを縛り、吊るしてました。縄で縛るのは元々、犯人を捕らえて縛ることから出て、「遊び」の世界に拡がったと思いました。「いや、もっと古いんです。神社の注連縄、結界など、縄は元々、神聖なものです」と有末さん。そうだったのか。「縛り」は日本の文化であり、伝統だと言います。それで有末さんの本を2冊買ってきて今、勉強しています。『紙の爆弾』で対談したいと思います。
⑰9月18日(火)午後2時、安田生命ホール。松元ヒロさんのライブを見に行きました。面白かったです。亡くなった立川談志さんが絶讃していた芸です。ヒロさんは左から2人目です。談志さんのお弟子さんの立川談慶さん(右)も見に来てました。
そしたら、原発スイシンジャー(左。左から3人目)の2人も来てました。ネットで大評判の、脱原発コントの主演をやってる「尾米タケル之一座」の人です。左は、中洋人さん。原発スイシンジャーと、藤波心ちゃんが、「原発推進派」です。悪の「怪人反原発男」と闘います。勿論、ジョークです。コメディです。面白いです。
でも、全て、本気にして、「心ちゃんは原発推進派になったのか!」と怒る人もいるようです。難しいですね。
⑱9月13日(木)、『紙の爆弾』の対談です。大作家・見沢知廉氏のストーカーをやっていた松本せい子さんに話を聞きました。怖かったです。でも、とても面白かったです。10月5日発売の『紙の爆弾』を見て下さい。
⑲9月19日(水)付の「朝日新聞」朝刊・オピニオン面です。亀井静香さん、岩井志麻子さんと私が出ています。日本中がカッカしている中で、「もっと冷静になろうよ」と言ってます。
左のカットが素晴らしいです。写真には三島由紀夫もいます。日の丸もあります。そして、〈日本〉を抱きしめる女性がいいですね。時には暴走もするし、失敗もある。でも、それらを全て引き受けて、わが子(日本)を愛(いと)しいと、抱きしめるお母さん。これが本当の愛国心でしょう。
それにしても、〈日本〉は、抱きしめるのに、ちょうどいいですね。頭があり、胴体があり、そして足がある。初めて気がつきました。〈日本〉は、生きている子供です。