2012/10/22 鈴木邦男

残念です。悔しいです。若松孝二監督が亡くなられました

若松孝二監督 若松孝二監督

若松孝二監督が亡くなられました。信じられない思いです。信じたくないです。

偉大な監督でした。もう、こんな監督は出ないでしょう。残念です。悔しいです。

10月12日(金)、東京都新宿区内でタクシーにはねられ重傷を負って入院。その時は、自分の名前も言ってたそうですし、命に別状はないとされていました。腰を打って重傷だが、重態ではない。じゃ、リハビリして又、監督に復帰出来るんだと思ってました。

10月17日(水)の夜、若松プロの人に聞いたら、「命に別状はないです。今は面会出来ないけど、安定したら面会出来るので連絡します」と言っていた。

ところが、この日の深夜、容態が急変。この日、17日の23時5分、亡くなられた。その報を聞いても、「そんな…」「嘘だろう」と、ずっと思ってました。

友人や、新聞社などからも電話が来ました。どうも本当らしい。全身の力が脱けるようでした。残念ですし、悔しいです。

9月14日(金)、「一水会結成40周年大会」に若松監督は来てくれました。それが最後になってしまいました。

その1ヶ月前には、河合塾で会った。若松監督の最新作「千年の愉楽」が完成し、その試写会だった。上映は来年になるし、一足先に、大作を見せてもらった。中上健次さんの代表作「千年の愉楽」を映画化したものだ。感動的な作品だった。

私は、中上さんには随分とお世話になった。特に20年前、「全共闘」をめぐる討論会では一緒に出たが、中上さんはとても刺激的なことを言って、皆を挑発していた。連合赤軍事件についても、「こんなことは歴史上、いくらでもあることだ」と言っていた。

「連合赤軍事件で新左翼は終わった」なんて、泣き言を言うな!と皆を叱ってたのだ。

その話を若松さんとした。試写会には、満島真之介さんも来ていて、中上健次さんの話をした。「残念でしたね。あんな才能のある作家を」と言い合った。

「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」 「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」

中上さんの「千年の愉楽」は代表作だが、とても映画化は無理と言われていた。それを若松監督は撮った。不可能を可能にする人だ。

満島さんとは、森田必勝氏の話もした。彼は、若松監督の「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」で、「森田必勝」役で出演した。

その前に、四日市にある森田必勝氏のお墓参りをし、実家に行って必勝氏のお兄さんにお会いして話を聞いてきた。そのことは、このブログにも書いた。

お兄さんは満島さんを一目見て、「弟が帰ってきた!」と思ったという。

「しばらく行ってないので、僕も近いうちにお墓参りに行ってきますよ」と満島さんと話をした。そして、9月29日(土)に四日市に行ってきた。お墓参りをし、必勝氏の母校・海星高校を訪ね、実家を訪ね、お兄さんにお会いした。

若松監督の映画「11.25自決の日」はとてもよかった、感動した、と言っていた。名古屋まで行って見たという。「四日市でも上映してくれれば、よかったのに」と言っていた。そして、「若松監督にぜひお会いしたいです」と言っていた。

じゃ、監督に伝えますよ、喜びますよ、と私は言った。

そうだ。映画館での上映は終わったが、全国で上映会をやったらいい。「実録・連合赤軍」の時も、全国で上映された。各地で、上映委員会が作られて、何十カ所かで行われたのだ。

この「11.25自決の日」も全国でやったらいい。「ぜひ、上映したい」という声も随分と聞いたし、四日市でもやったらいい。

その時に若松監督にも行ってもらって、そこでお兄さんと一緒に話してもらう。

それはいい。「満島さんも又、お会いしたいです」とお兄さんは言う。「梅ちゃん先生でも活躍してるし、見てますよ」と言う。

若松監督は宮城県出身だし、同郷ということもあって、私は、随分と面倒を見てもらい、お世話になった。映画「実録・連合赤軍」「キャタピラー」ではパンフレットに原稿を書かせてもらい、「11.25自決の日」では「企画協力」として名前も入れてもらった。これは後世に残る、貴重な映画だ。

その歴史的映画に、少しでも参加させて頂いて、光栄だった。

三島役の井浦新さん、森田役の満島さんをはじめ、若松映画に出てる人たちは、「若松組」と呼ばれている。若松映画で鍛えられたんだからと、NHKなどにもよく出ている。

おかげで、俳優の皆さんとも親しくなった。お酒を飲むことも多かった。42年前の三島事件、40年前の連合赤軍事件…などは、知らない世代だ。まだ生まれてない。

でも、彼らと会うと、その頃の「闘う若者たち」と会ってる気分になる。それは映画を見ても分かる。連赤や三島の「メーキングビデオ」を見せてもらった。撮影現場の記録だ。凄まじい風景だ。

若者たちが監督に怒鳴りまくられている。でも、皆必死にやっている。そして、40年の時間は完全に超えていた。40年前がそのまま再現されている。驚いた。一体、これは何なんだろう。「若松マジック」なのか。

こんなことが出来る監督は、他にいない。日本に若松監督がいて、本当によかったと思った。

大体、連合赤軍だって、三島事件だって、他の監督は皆、怖がって撮らない。連合赤軍は、何本か映画があるが、「こんなものではない。俺が撮ってやる!」と若松監督は決心して撮った。

多分、今後、連合赤軍事件を考える時、この映画が第一級の資料になる。

又、当時のことを考える上で、又、当時の若者たちの気持ちを考える上で、一番いい〈教科書〉になるだろう。

これは、「11.25自決の日」にしても、そうだ。

若松監督について、「左翼の監督だ」と思っている人が多い。監督は、こんな「小さな区別」などとうに乗り越えた人だ。

でも、左翼の人脈が多いし、連合赤軍を撮っているからだろう。「左翼だ」と思っている人が多い。

だから、「11.25自決の日」でも、「どうして右翼の映画を撮るんだ」と疑問に思った左翼人が多かった。さらに、「左翼が我々の三島さんを撮ったって…」と思ってる右翼の人も多かった。

でも、見て驚いた。左も右も、いや、日本中の人が、世界中の人が驚いた。三島由紀夫、そして、「楯の会」。これは若松監督にしか撮れなかった。最高傑作だと思った。

「楯の会」の人たちも絶讃していた。森田必勝氏のお兄さんも感動していた。右翼の人が言っていた。「ケチをつけようと思って見たのに、凄い映画でした。よかった」と素直に告白していた。

日本に若松監督がいて、よかった、と思った。

76才だが、元気だ。次は東北大震災、原発事故の映画を撮りたいと言っていた。国家が隠しているものを暴いてやる、と言っていた。

反逆の人だ。革命家だ。いつも、次は何を撮るか、本当に楽しみだった。ドキドキする。

ところが、突然、亡くなってしまった。まだまだ撮ってもらいたかった。本人も、撮りたい映画が沢山あると言っていた。

本人も無念だろう。残念だろう。私らも悔しい。もう、これだけの監督は日本に出ないだろう。そんな監督と、同じ時代に生きた、そして話を聞いた。それは幸せだった。

「河北新報」(10月19日)には、監督のことを「涌谷の誇り」「感謝」と報じていた。

宮城県涌谷町出身なのだ。若松監督の中学の担任だった木村未有子さん(85)のコメントが載っていた。

「中学時代は体が小さかったが負けず嫌いだった。その精神こそ彼の生き方そのものだったのではないか」。母親を慕い、盆には墓参を欠かさなかった。「温かい心は、古里涌谷の風土が育てたものと思います。いまはよくやった、偉いと褒めてやりたい」

これを読んで涙が出ました。前にNHKで若松監督が出た時も、この先生はコメントしてました。「この子は子供の時から目が輝いていた」と。 「76になって、“この子”なんて言われたよ」と若松監督は嬉しそうに笑ってました。そのことを思い出しました。

次に「今週の主張」を入れます。これを書き終えたあとに、若松監督が亡くなられたという報を聞きました。茫然自失で、何も考えられません。その気持ちだけを書きました。

以下の文は、その前書いていた。「銀幕維新」の話です。京都での不思議な体験の話です。

第2部・京都での不思議な体験

①あの一色正春さんも投げられた!

一色vs榎木さんの対決です 一色vs榎木さんの対決です

京都で不思議な体験をした。

まず、大柄な空手家が投げ飛ばされた。

次に挑んだのは一色正春さんだ。尖閣の中国船衝突ビデオを公開した勇気ある人だ。日本の海を守る海上保安庁に勤めていて、あの事件で辞めた。体も大きい。武道もやっている。

「90キロ以上ありますから、私を倒せませんよ」と言ってたが、簡単に投げ飛ばされた。

馬鹿な!相手に遠慮して、飛んでるんじゃないのか。オーバーに、投げ飛ばされる「演技」をしてるのではないか。私はそう思った。

「じゃ、僕にかけて下さい」と出て行った。「鈴木さんは合気道をやってたんですね。じゃ、“気”についても分かるでしょう」と言う。

だからこそ、簡単には、その〈術〉にはかからんぞ。と思った。合気道3段、柔道3段だ。投げられるはずはない。

それに、この人は格闘家ではない。俳優だ。映画撮影用の殺陣(たて)や、格闘の型はやったかもしれない。

しかし、それはあくまでも型であり、映画の「お約束」だ。実際に、本物の格闘家と戦って、通じるはずはない、と思った。

ところが、違うのだ、この人は。

俳優の榎木孝明さんだ。時代劇にはよく出ているし、テレビでは「浅見光彦シリーズ」で、ずっと主演をやってきた。

10月15日(月)、京都のウェスティン都ホテルで行われた「銀幕維新の会」の発足記念祝賀会に出た。そこで榎木さんと初めて会った。「浅見光彦はずっと見てました」と言った。

一色正春さん、舞妓さんと 一色正春さん、舞妓さんと

そして、祇園のスナックで二次会が行われ、そこで、「事件」は起こった。榎木さんの不思議な技というか、「術」を見せられた。

榎木さんは、多才な人で、俳優の仕事の他にも、絵などを描き、プロ級で、何度も個展を開いている。しかし、武道の修行も積んでいる。

剣道を子供時代から習い、その後、空手をやり、そして古武術をやってるという。古武術は理屈は多いし、演武も派手だ。

しかし、実際の戦いには通用しないだろう。リアル格闘技の空手、ボクシング、柔道には敵わないだろうと思っていた。

その場にいた皆も、多分そう思っていたのだろう。そんな〈空気〉を察したのだろう。「じゃ、お見せしまょうか」と立つ。

スナックの真ん中に歩いて行く。少し、スペースがある。私の左隣りに座っている大男に声をかける。空手の有段者だ。

「ちょっと立って、こっちへ来て下さい」

「しっかり立って、力を入れて下さい」と榎木さん。

空手家を投げ飛ばす榎木さん 空手家を投げ飛ばす榎木さん

空手家は腰を落とし、力を入れて構える。「強いですね。私がいくら力を入れて押しても、ビクともしませんね」。

そりゃそうだ。体格差が違う。榎木さんはスリムだし、優しそうだ。腕力だってないだろう。

「相手が力を入れている。私も力で倒そうとする。力と力だからダメなんです。ここで私は力を抜きます。ダラーッとします」。

相手は力を入れたままだ。不動だ。

「では、脱力した私が、この空手家を軽く突いてみます」。そして、本当に、フワーッと軽く突いた。

その瞬間、大男の空手家は、部屋の隅まで吹っ飛んだ。

周りの人たちが抱きかかえ、かろうじて、床に倒れるのを防いだ。

皆が、アッと思った。「エッ、本当かよ」と言う人。又、「うまいよな、演技が…」「役者になれるよ」と言う人もいる。

榎木さんは今日のパーティの主役だ。この人に「時代劇の再生」を託している。大事な人だ。だから、「敬意」を表したのだろう。皆、そう思った。

「気で飛ばす」ということは、あったとしても、一瞬の隙を衝いた「術」のようなものだろう。それにしても、オーバーに飛んだものだ、と思った。

②私も、軽く、投げ飛ばされた

榎木孝明さんと 榎木孝明さんと

「不思議ですね。そんなことがあるんですかね」と一色さんが立ち上がる。

海を守る男たちは格闘技をやってるし、特殊な逮捕術もやっている。不審船は停めて、飛び移って検査することもある。攻撃してくる人間には立ち向かい、制圧しなくてはならない。だから、逮捕術をやる。

それに、一色さんは体がデカい。身長もあるし、体重も90キロ以上ある。自分なら、ビクともしないと言う。榎木さんに「敬意」を表して、飛んでやる必要はない。

その「術」を暴いてやると、前に出たのだ。

店にいた人は皆、ビデオを構える。デジカメ、携帯を構える。俳優が勝つか、海上保安庁が勝つのか?

その勝負の瞬間を撮ってやろうと、皆、カメラを構える。どっちが勝つにせよ、貴重なビデオだ。きっと、誰かが、流すだろう。

この勇気ある一色さんを前にしても榎木さんは悠然としている。

又もや、一色さんをチョコンと突くと、一色さんは店の壁まで吹っ飛んだ。

「銀幕維新の会」(10/15) 「銀幕維新の会」(10/15)

何が起こったか分からない、という顔で再度、挑む。力を入れる。でも同じだ。軽く、吹っ飛ばされる。

「では、今度は、前方に投げましょう」と言う。一色さんの手首をつかみ、前に引っ張る。ビクともしない。一色さんも腰を落とし、抵抗してるからだ。3、4人で体当たりしても動かないだろう。

「一色さんは力で頑張っている。それを私が力で投げようとしている。力と力だからダメなんです。じゃ、私は力を抜きます。そして、一色さんを引いてみましょう」

そして、ちょっと引っ張る。一色さんは前方に飛ばされる。ダダダーッと壁まで吹っ飛び、叩きつけられる。

でも、まだ信じられない人がいる。「一色さんもうまいよな。役者になれるよ」と小声で言ってる人もいる。

私は、わざと飛んでるとは思わない。でも、少々オーバーに飛んでるんだろう、と思っていた。

でも面白い。こんないいチャンスはない。私も体験しよう。それで、立ち上がって行ったのだ。

他の2人と違い、私は力の抜き方も知っている。「気」のことだって、分かる。なんせ、合気道3段だし、柔道3段だ。そう簡単には〈術〉にかかるもんか。そう思っていた。

肩や足に力を入れ、ガチガチになるのではない。力を少し抜いて、それで、ナチュラルな形で、身構えた。自然体で、足の指で地面をガッチリとつかむ。そんなイメージで立った。

これだとどんな力でも倒れることはない。どんな揺れる電車でも転ばない。

そして、体の中心軸から気をみなぎらせ、自然の力をみなぎらせた。自分としては格闘家人生の全てを賭けて、そこに立った。戦う愛国者の実存の全てが、そこにあった。

ところが、ダメだった。気負った分だけ、私が一番、軽く飛ばされた。チョコンと突かれ、後ろの壁まで飛ばされた。手首をちょっと引っ張られて、前の壁まで飛ばされた。「おかしい」と思って再度、挑んだが、同じだった。

「鈴木さんも、うまいよな。オーバーだよ」という声も聞こえる。この野郎!と思い、いきなり殴りかかりそうになった。

③「見てる」。でも、「見てない」のだ。歴史だって

「プリズン・アート」の実行委員と(10/13) 「プリズン・アート」の実行委員と(10/13)

そうか。見てる人は、そう思うのか。「見なければ信じない」と愚かな人々は言う。

しかし、そんな人は、見ても信じないのだ。「何か、約束でやってるんじゃないか」「オーバーに演技してるんじゃないのか」と。

『戦後史の正体』(創元社)で孫崎享さんは、我々が見てきた映像や、写真などについて、「実は、何も見てなかったのだ」と喝破した。

世の中にあふれる〈情報〉もそうだ。世界の情報を知らなくては…と、強迫観念にかられて、皆、携帯ばかり見ている。メールを見、いろんな情報を仕入れようとしている。朝から晩まで、映像を見、ニュースを見、情報を取り入れている。

しかし、実際は何も見てないのだ。そんなことを感じた。榎木さんの〈術〉を見せつけられて、そんなことまで思ったのだ。

しかし、今、目の前で起こったことは何なんだろう。見ただけではない。実際に、体験したのだ。嘘ではない。本物だ。

私らは弁慶だ、と思った。力自慢の弁慶だ。京の五条の橋の上で、牛若丸に翻弄される弁慶だ。「こんな小さな子供など、一太刀だ」と思うが、ことごとく、かわされる。翻弄される。そして、牛若丸に打ち据えられる。3人の弁慶だ。

どうしてこんなことが出来るのだろう。あとは、ずっと榎木さんに質問し続けた。

「プリズン・アート」の作品 「プリズン・アート」の作品

榎木さんは鹿児島出身だ。子供時代から、剣道をやらされた。俳優になってから空手も始めた。演技に役立つと思ったのかもしれない。

しかし、腰と膝を痛めた。無理な力を入れすぎたのか。動きに不自然な力が加わったのか。

そんな時に古武術に出会った。〈術〉の凄味を味わった。柔道がまだ柔術だった頃。剣道がまだ剣術だった頃。その頃の、術について学んだ。体の原初的な使い方を学んだ。

自分でも考え、悩み、研究した。そして分かったことがある。と言う。その〈成果〉をこの日、見せてもらったのだ。

しかし、榎木さんが出会った古武術とは何か。

もしかしたら、あれかな。よし、帰りの新幹線の中で、ノートパソコンで調べてみようと思った。

それにしても、今日は、京都まで来て本当によかったと思った。不思議な術で投げ飛ばされただけでも、得難い体験だった。無理しても、来てよかった。

そうだ。キチンと説明してなかったな。何のために京都に来たのかだ。

「銀幕維新の会」の発足パーティだ。銀幕とはスクリーンのことだ。要は、映画界を活性化させようという集いだ。

映画、特に時代劇は、今や全くない。テレビでは「水戸黄門」が終わり、シリーズの時代劇はテレビでは全くない。

映画も時代劇はない。作るのに金がかかるし、時代劇をやれる役者もいなくなった。撮れる監督もいなくなった。

これではダメだ!時代劇がなくなったら、〈日本〉もなくなる。そう危機感を持った人たちが集まって、決起したのだ。

映画もそうだが、「日本の活力」を取り戻そう!という集まりでもある。

④俳優、左翼、元警視庁捜査一課長も…

野田聖子さんと 野田聖子さんと

この会の「呼びかけ人」は以下の6人だ。

石浜朗(俳優)
西垣内堅佑(弁護士)
花房東洋
甲斐田宗寛
平田富峰
野田聖子

多分、花房氏が案内状を送ってくれたのだろう。花房氏とは学生時代からの知り合いだ。同じ、「生長の家」の出身だ。

西垣内さんは左派の弁護士だが、今は〈縄文〉の会をやっている。病気をしたが元気になった。

平田さんは元・警視庁捜査第一課長だった。昔だったら会って話は出来ない。今だから出来る。平田さんには又、会って話を聞きたい。じゃ、この会に行こうと思った。

花房東洋氏と 花房東洋氏と

10月15日(月)午後1時から、ウェスティン都ホテルで開かれた。大きなホテルの大きな宴会場だった。

真剣の演武があり、試し斬り、空手、太鼓、絵画のアート、民謡など、超一流の人たちによって演じられる、豪華な会だ。

その中で理事長の二之湯真士さんが挨拶。そして国会議員の野田聖子さん、俳優の石浜朗さん、榎木孝明さんらが挨拶する。そして、「銀幕維新の会」会長の中村龍馬さんが挨拶する。

とにかく盛り沢山な内容で、時間もかなり延びて、終わったのは5時頃だ。

「花房さんを囲む、ささやかな打ち上げがあるので行きましょう」と一色正春さんに誘われ、祇園のスナックに行った。

花房氏と榎木さんがすでに待っていた。映画人、そして武道家が多いので、「日本を元気にするには…」という話になり、榎木さんの「古武術」の話になったのだ。

そうだ。帰りの新幹線で、ノートパソコンを開いて、調べてみた。

榎木孝明さんは、1956年、鹿児島出身。「俳優・水彩画家」と書かれていた。画家としても有名だ。

この日の大会の引き出物は、来年のカレンダーで、榎木さんが描いた絵が毎月入っている。実にいい。

魚谷さん、鈴木、平田さん、西垣内さん 魚谷さん、鈴木、平田さん、西垣内さん

1956年生まれというから、今年、56才か。ウィキペディアにはこう出ていた。

〈幼少の頃は、一人で絵を書くのが好きな目立たずおとなしい泣き虫だった。しかし、そんな息子の軟弱さが許せず父親から厳しく鍛えられたという。そのひとつとして、習った薩摩示現流は玄人の域。その薩摩示現流の教えは、芸能界に入ってからも生きており、「どんな仕事でも決して手抜きはしない。いいわけはしない。たとえ自分が悪くなくても全て自分が引き受けよう。たとえ損をしても後からくる得が大きい」という心構えで仕事に臨むという。
 絵が好きで進学した武蔵野美術大学で、アルバイトで経験した芝居にのめり込む〉

示現流の達人なのか。それに絵が好きで武蔵美に入ったのか。

たまたまバイトで芝居に出て、のめり込む。

そのあと、劇団四季に入り、84年、連続テレビ小説「ロマンス」でテレビ・デビューをする。そして今は、大スターだ。絵の方も、ずっと続けていて、

〈北海道美瑛町・大分県九重町・鹿児島市にアートギャラリーを持ち、画集を出版するほか、日本各地のみならずインドやネパール等の国を旅をして数々の絵を手がけている〉
石浜朗さんと 石浜朗さんと

そして武道だ。示現流の達人で、さらに空手をやる。

でも腰と膝を怪我して、身体のことを真剣に考え始める。その時、古武術に出会ったのだ。こう書かれている。

〈特技は、古武術。現場では共演者・スタッフを気功にて一瞬のうちにひっくり返してみせるというお茶目な一面もあり、絵画個展のファンクラブ会員限定の茶話会でも、実技を行ったことがある。テレビ番組で介護に古武術の体術を応用した「古武術介護」を実演したこともある〉

「オーラの泉」に出て、古武術の実演と、「古武術介護」を紹介していたという。

あれっ、これは甲野善紀(こうの・よしのり)さんもやってたな。と思ったら、どうも榎木さんのお師匠さんは、甲野さんらしい。

甲野さんの本は、私は何冊も読んでいる。武術を介護に活用するということで、病院などでも実際に取り入れられている。

古武術の技を使い、動けない人を無理なく動かす。介護する人は、力のない人が多い。それに、動けない人は、とても重く感じる。その人をどう動かすか。そこに古武術の技を使うという発想がいい。

さらに榎木さんは自分なりに研究し、苦労して、現在の域に達したのだろう。凄い人だ。

…ということで、京都で体験した不思議な話でした。

【だいありー】

越生町議会議員の水沢努さんと(10/16) 越生町議会議員の水沢努さんと(10/16)
  1. 10月15日(月)午前中の新幹線で京都へ。「ウェスティン都ホテル」。大きなホテルだ。この大きな宴会場にビッチリ、人、人、人だ。「銀幕維新の会」発会パーティだ。
  2. 10月16日(火)午前中、原稿。午後5時、高田馬場の喫茶店「ミヤマ」。『紙の爆弾』の対談。かつての過激派「戦旗派」は、まず、「ブント」になり、さらに、「アクティオ」になる。その、理事なんだ、水沢努さんは。戦旗派からの活動家だった。その「パラダイム・チェンジ」を聞いた。
  3. 10月17日(水)午前中、原稿。午後3時、文化放送。今日のスペシャルゲストはムルアカさん。鈴木宗男衆議院議員の元私設秘書だ。国際政治評論家のジョン・ムウェテ・ムルアカさんだ。
ムルアカさんを囲んで。文化放送で(10/17) ムルアカさんを囲んで。文化放送で(10/17)

今日の「ニュース・本音と建前」は、

〈日本におけるアフリカ外交の必要性〉

ムルアカさんがスタジオに入った瞬間、皆、「オーッ!」と驚きの声。大きい。2メートル9センチだ。鈴木宗男さんの元秘書として有名だが、今は、いろんな仕事をしている。大学の先生もしている(千葉科学大学の教授だ)。日本政府の仕事もしている。それに、日本国籍も取っている。「日本人」なのだ。驚くことが多かった。

ムルアカさんは1961年、コンゴ民主共和国生まれの51才。5才で空手を始め、14才でプロ格闘家としてデビュー。49勝1敗。日本に来て、宗男さんの秘書を務めた後、2005年に帰化し、現在は三つの役所(総務省、文科省、経産省)の参与をしている。経産省でやってることは資源外交、総務省はデジタル、文科省は衛星。政治家秘書をしていたので「文系」かと思ったら、子供の時から「理系」なのだ。その話も詳しく聞いた。アフリカのことを日本はいかに知らないのか。ムルアカさんから教えられた。

教会で講演する高橋哲哉さん(10/14) 教会で講演する高橋哲哉さん(10/14)

アフリカは今現在54カ国。全世界で国連に参加しているのは200カ国に至ってない。2011年時点で193カ国。その中の54カ国というのは4分の1以上で、これは大変な影響力を持つことになる。

これまでにうまく関係を作っていくなら、日本は国連の常任理事国入りも出来たかもしれないし、経済的にもアメリカと互角以上の本当の世界一になれただろう。又、アフリカは資源大国だ。鉱山資源が豊富である。しかし、日本はアフリカの重要性に気が付いてなかった。政治家は、票にならないからか、アフリカに目を向けない。そうするうちに中国が気付いて、韓国、インドも出てきた。そして中国が日本を超えてしまった。日本は大きく出遅れている。そのアフリカに注目し、今後、その関係をどう進めていくのか。ムルアカさんに具体的に話してもらった。

ムルアカさんは日本国籍を取っている。だったら、国会議員になって、日本を代表し、アフリカとの関係を推進してもらったらいい。そう言ったら、「国会議員では、働けない」という。今のポジションの方が、影響を行使出来るのかもしれない。とても頭のいい人で、世界的視野で日本のことを考えている。今の混迷する日本経済、そして当面する領土問題についても語ってもらった。

高橋哲哉さんと 高橋哲哉さんと

このあと、Wコロンの「隣りの芸人さん」。そして、Ust延長戦。

そのあと、新宿に出て、打ち合わせ。実は気になっていたことがある。ネットなどに、「若松孝二監督が交通事故で大怪我をした」と出ていた。何人かからもメールがあった。若松プロの人に聞いたら、「腰を打って重傷」だが「重態」ではないという。今は面会出来ないが、安定したら面会出来ます。と言ってた。一安心だと思った。ところが、深夜、「亡くなった」という報が。まさか、嘘だろう、と思った。いろんな所から電話があり、どうも本当らしいと分かった。茫然とした。一晩中、眠れなかった。

  1. 10月18日(木)産経新聞にも出ていた。やはり本当だ。

若松プロに聞いたら、今日、明日は、ご家族だけで密葬をし、そのあと、お通夜、告別式をしますので、お伝えします、とのことだった。本当に愕然とした。こんな監督は、もう出ないよ。残念だ。悔しい。

重信メイさん(中央)、荻原博子さん(右)と 重信メイさん(中央)、荻原博子さん(右)と

学校に行き、そのあと、(約束してた)展示会に行く。それから、文化放送へ。私が出る日ではないが、重信メイさんが出るというので会いに行く。メイさんの帰国には、若松さんも随分と尽力した。放送でも、メイさんは、「とても悲しい」と言っていた。そして、若松監督の思い出を話していた。

このあと、「隣りの芸人さん」のコーナーに女子プロレスラーの神取忍さんが来て、久しぶりに会った。又、神取さんの真似をする古賀シュウさんも出ていた。他にロケット団も。やたらと賑やかなスタジオになった。「オテンキ」のノリさんとも会った。柔道が強い、最強の芸人だ。「炎の体育会」では、キューバの金メダリストとも闘っている。凄い人だ。

そのあと、青砥に行く。ペペの公演会。そのあと、遅れて熊谷博子さんの出版記念会。『むかし原発、いま炭鉱』(中央公論社)の出版記念だ。会場は、中央公論社1F「プロント」で。どこに行っても、若松監督の話ばかりだ。

神取忍さん、鈴木、古賀シュウさん、ノリさん 神取忍さん、鈴木、古賀シュウさん、ノリさん
  1. 10月19日(金)午前中、原稿、取材。午後、打ち合わせ。6時、東京会館。「山本美香さんを送る会」に出ました。山本さんは、シリア内戦で取材中に銃撃を受け亡くなったジャーナリストです。本当に残念です。皆と、山本さんの話をし、そして若松監督の話になりました。
     このあと、六本木の「ミュージックバー・モビーディック」に行きました。7時から、「愛川欽也パックインニュース」の場外乱闘編「原発とアメリカ」が始まっていた。私は、第2部(9時から)に参加しました。孫崎享さん、池田香代子さんと共に出て、話しました。司会は横尾和博さん。
  2. 10月20日(土)午前11時、伊勢原の浄発願寺に行く。野村秋介さんの墓前祭。多くの人が全国から参列してました。
     そのあと、新宿で、テレビ局の収録。3時から5時まで河合塾コスモで「全体会」。
     6時半、阿佐ヶ谷ロフトに行く。「ボンバイエ結成10周年記念」。「ONE NIGHT ボンバイエ!」。ゲストは、山本太郎さん、雨宮処凛さん、そして私。若者と共に、この日本が当面している問題について考えました。超満員でした。
  3. 10月21日(日)朝の新幹線で大阪へ。11時、新大阪駅。下中さん、藤井さんたちと合流し、浪速区日本橋へ。午後1時から大阪の討論Bar「シチズン」で、マスターの西岡正士さんとトーク。テーマは、ちょっと長い。
    〈左翼が好きな右翼の巨魁と、右翼が好きな左翼の論客による社会イデオロギーについての対談〉
     満員でしたし、大いに盛り上がりました。原発、アメリカ、憲法などについて話し、やはり、若松監督の話になりました。最終の新幹線で帰京しました。

【写真説明】

若松孝二監督

①若松孝二監督です。今でも信じられない思いです。残念です。

「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」

②若松監督の「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」です。歴史に残る映画です。若松監督だからこそ撮れた映画です。

「銀幕維新の会」(10/15

③10月15日(月)。京都で、「銀幕維新の会」発足記念祝賀会=日本映画推進プロジェクト」が開かれました。日本映画、特に時代劇の復活を祈る多くの人々が集まりました。

榎木孝明さんと

④このプロジェクトの「呼びかけ人」の俳優・榎木孝明さんと。絵画も古武術も師範級です。

野田聖子さんと

⑤衆議院議員の野田聖子さんと。「あっ、右翼のカリスマの鈴木さんですね」「いえいえ、“右翼の裏切り者”と言われてます。堕落してます。」と話しました。野田さんは演壇で、「日本精神を取り戻せ!」と強く訴えてました。

花房東洋氏と

⑥呼びかけ人の1人、花房東洋氏。この人は、45年前からの付き合いです。私が、「生長の家学生道場」にいた時、花房氏は、飛田給にある「生長の家錬成道場」にいました。共に「武闘派」で、日本を共産革命から守ろう、と思ってました。そして、闘っていました。

一色正春さん、舞妓さんと

⑦「あらっ、鈴木さん。久しぶり」と舞妓さんに声をかけられました。「おっ、鈴木さんも隅に置けないね。遊んでますね」と一色正春さんに冷やかされました。一色さんは、元海上保安庁で、例の尖閣での〈中国船追突〉ビデオを公開した人です。でも、舞妓さんは知らないな。あっ、そうだ。5月15日に花房氏の大夢館のパーティに出てた時だ。そこで会っただけですよ。(何なら当日のビデオを公開してもらいましょう)。

魚谷さん、鈴木、平田さん、西垣内さん

⑧「維新政党・新風」の魚谷哲央さん、鈴木。平田富峰さん(元警視庁捜査一課長。現・日本協会会長)。西垣内堅佑さん(弁護士)。

石浜朗さんと

⑨俳優の石浜朗さんと。昔、花房東洋氏が開いた集会で、石浜さんの講演を聞いたことがありました。と、その時の話をしました。

一色vs榎木さんの対決です

⑩会が終わって、スナックに移った時、巨漢の一色正春さんが、榎木孝明さんに挑みました。しかし、榎木さんに投げ飛ばされました。

空手家を投げ飛ばす榎木さん

⑪巨漢の空手家も臨みましたが、飛ばされました。その瞬間です。

教会で講演する高橋哲哉さん(10/14)

⑫10月14日(日)午後3時から、カトリック清瀬教会。「赦しは可能か?」と題し、死刑問題について話す、高橋哲哉さん(東大教授)。主催は「無実の死刑囚・袴田巖さんを救う会」。

高橋哲哉さんと

⑬高橋哲哉さんとは久しぶりでした。内村鑑三の「非戦論」について、いろいろと聞きました。とても勉強になりました。

「プリズン・アート」の実行委員と(10/13)

⑭10月13日(土)、東中野で、「プリズン・アート=塀の中のアーティスト」が開催されました。獄中者の作品が展示されました。5時から、私の講演。テーマは「獄中作家たちの生活と苦悩」。野村秋介、見沢知廉、永山則夫、三浦和義…さんなどについて話をしました。

「プリズン・アート」の作品

⑮「プリズン・アート」の中の作品です。左の一番下に人が立ってますね。小さく。そして言います。「人生が谷底ならば、のぼりのみ」。獄中で、よく、これだけのポジティブな気持ちになれますね。驚きです。

越生町議会議員の水沢努さんと(10/16)

⑯10月16日(火)『紙の爆弾』の対談をしました。越生町議会議員の水沢努さんです。又、NPO法人「アクティオ」の理事でもあります。元は、戦旗派という新左翼でしたが、それが「ブント」に変わり、今は、(左翼)ではありません。自然・環境保護をやるNPO法人です。そこまで、どうやって変われたか。詳しく聞きました。

ムルアカさんを囲んで。文化放送で(10/17)

⑰10月17日(水)文化放送で。ムルアカさんです。元鈴木宗男さんの秘書でした。2メートル9センチです。巨人です。左は寺ちゃん。右は貞包アナウンサー、鈴木。3人とも、まるで子供ですね。

重信メイさん(中央)、荻原博子さん(右)と

⑱10月18日(木)。私の出演する日ではないのですが、重信メイさん、神取忍さんが出るというので、聞きに行きました。メイさんは若松さんのことをとても残念がってました。右は、木曜日のコメンテーター、荻原博子さん。

神取忍さん、鈴木、古賀シュウさん、ノリさん

⑲この日の、後半、「隣りの芸人さん」のコーナーに来た人たち。左は女子プロレスラーの神取忍さん。鈴木。古賀シュウさん(鈴木宗男さんや神取さんの真似をやってます)。オテンキのノリさん。(柔道3段です。テレビの「炎の体育会」ではキューバの金メダリストと闘ってました。大したものです)。

【お知らせ】

  1. 10月23日(火)午後6時、青山葬儀場。若松孝二監督の通夜。
  2. 10月24日(水)午前10時半、同じく青山葬儀場。若松孝二監督の告別式。
  3. 10月27日(土)午後1時から4時まで。阿佐ヶ谷ロフト。8月4日(土)に行った私の「生誕祭」が好評で、「ぜひ、続篇をやってくれ」とのことで、決まりました。「言論の覚悟とは?」で又、やります。
     ロフトで発行している『Roof top』(10月号)を見たら、予告が、こう出ていました。
「鈴木邦男の『言論人の覚悟』を問う!」
[ゲスト]森達也、中川右介、金廣志、徐裕行、塩見孝也、平野悠
[司会]白井基夫(編集者)

おっ!凄いゲストですね。驚きました。なお、急遽、第1部は「若松孝二監督追悼集会」にする予定です。

  1. 10月28日(日)12:00より。杉並区立「座・高円寺」ホール2で、シンポジウム「ナショナリズムの誘惑」があります。入場料1200円。出演者は、安田浩一さん、木村元彦さん、園子温さん。私も聞きに行こうと思ってます。チケット予約は「座・高円寺」チケットボックスへ。03(3223)7300
  2. 10月29日(月)北海道文化放送の「スーパーニュース」(午後6時から7時)に出る予定です。孫崎享さんも出る予定です。領土問題と愛国心がテーマのようです。
  3. 11月11日(日)秋田に行きます。北村肇さん(「週刊金曜日」発行人)とトークします。午後5時半から、秋田市土崎港ベイパラダイス2階ドリームタイムです。トークのテーマは、「言いたいことは山ほどある2012=愛国について」です。
  4. 11月24日(土)三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼の「野分祭」です。
  5. 12月1日(土)新潟で講演です。
  6. 12月4日(火)山形で、午後6時から、佐高信さんと対談します。
  7. 12月16日(日)「鈴木ゼミ」です。西宮です。午後2時から。神田香織さんの講談、そして2人でトークがあります。