2012/11/19 鈴木邦男

司馬遼太郎を読む

はじめに(鈴木邦男)

京都にて 左より岩井さん、藤井さん、吉本さん、鈴木(今年3月京都)

司馬遼太郎について、岩井正和さんと対談した。岩井さんは、2カ月に一度、兵庫県西宮市でやっている「鈴木邦男ゼミ」を、今年の3月まで担当してくれた。今年の4月から仕事で名古屋に住んでいる。学校で歴史を教えているそうだ。だから時々、日本史や世界史の話をする。たしか前には世界史についての対談をしたと思う。彼は「今度は司馬遼太郎について話しましょうよ」と言う。

初めは、乗り気がしなかった。自慢じゃないが、僕は司馬遼太郎の小説をかなり読んでいる。学生時代、過激な右翼時代は、司馬遼太郎の小説をそのまま生きている気がした。司馬遼太郎の小説を読んで、今の自分は作られた。そう思う。それだけ読破した司馬遼太郎だ。「まさか、2、3冊読んだ位で、司馬遼太郎について喋るつもりじゃないだろうね」と意地悪く聞いた。「そんな失礼なことはしません。司馬遼太郎の小説は、ほとんど読んでいます」と言う。えっ?本当かよ。「じゃあ受けてやろうじゃないか」と対談を実施した。もう3カ月ほど前だ。

名古屋に「笑いの内閣」の芝居を見に行って、その後にホテルのラウンジで対談した。8月26日(日)だ。長時間話し合った。驚いた。詳しい。よく読んでいる。それに僕の気付かなかったことも、ズバズバ指摘する。これは凄い、と思った。もう一度、自分でも、読み直してみようと思った。でも膨大な量だ。

今年の3月、京都駅の駅前の地下街にて今年の3月、京都駅の駅前の地下街にて

彼は学校の仕事も忙しいし、テープ起こしも大変だったようだ。喋った内容についても、裏を取り確認して原稿にしている。「ゆっくりでいいよ」と言っていたが、11月4日(日)の夜、原稿がメールで送られてきた。もの凄い量だ。それに驚いた。こんなにも長い対談だったのか。岩井さんは、大変な読書家だ。それに司馬遼太郎のことをよく読み込んでいる。僕の方は付いていくのに精一杯だ。これはいい。本にしてもいいな。

もう一つ驚いたことがある。11月4日(日)、家に帰った途端にメールが届いたのだ。実は3日(土)、4日(日)と、急に思い立って函館に行ってきたのだ。勿論、土方歳三に会うためで、学生時代、司馬の『燃えよ剣』を読み、土方歳三に魅了されたからだ。

「俺も土方だ」と思い、当時住んでいた生長の家学生道場の委員長になり、そこを左翼との闘いの拠点にした。道場生は、やる気のない人間は暴力的に追い出した。闘える人間だけの道場にしようとした。そして30人の道場生を引き連れて、僕は、左翼に闘いを挑んだ。その頃、自分たちはまるで新撰組だった。それを思い出し函館に行き、土方になり切って、東京に戻ってきた。そこへ岩井さんからの大量のメールだ。そして土方歳三や坂本龍馬の世界にポンと入ったんだ。この対談は、自分で読み返しても面白かった。皆も、司馬遼太郎を読んでみたらいい。僕も、次は『司馬遼太郎全集』を読むことに挑戦したい。

はじめに(岩井正和)

司馬遼太郎が愛した大阪の街かどで 司馬遼太郎が愛した大阪の街かどで

10代の頃より、司馬遼太郎の小説が好きだった。司馬遼太郎原作のTVドラマも好きだった。今でも覚えているのがNHK大河ドラマの『花神』。中村雅俊演じる高杉晋作、非常にかっこ良かった。

ところが読んでいるうちに、よく分からない部分が出てきた。『歴史の中の日本』という本である。彼は三島由紀夫について述べた文章の中で「思想はフィクション」だと言ったのだ。当時10代の私は、思想がフィクションだと言う意味が、全然分からなかった。

だって思想とは世の中を変えるリアルなものであり、フィクションでは絶対ないと思っていたからだ。文学がフィクションだと言うのなら分かる。また宗教がフィクションだと言われても何となく理解できる。この世に存在しないものを相手にしているからだ。しかしどうして思想がフィクションなのか。そこが分からなかった。

でも20代になって、「思想はフィクション」だと司馬遼太郎の言った意味が、少しずつ分かってきた。フランス革命だって、誰も最初から革命後に大量殺人の社会が出来上がるとは思っていなかったはずだ。革命に参加した人たちは、薔薇色の未来を信じて夢をもって行動した人が多かったのではないか。革命の夢に生きたのだ。

森田必勝氏の墓参り 森田必勝氏の墓参り

しかし夢は、必ずフィクションをともなう。でもフィクションのある夢だからこそ、多くの人たちが熱狂して命まで賭けて実現しようとする。思想って、それが夢の部分が多ければ多いほど、多くの人たちを巻き込んでしまうものなのではないのだろうか。そんなことを考えた。

鈴木邦男さんは「左翼も右翼も、思想に生きた日本人たちは司馬遼太郎の小説が好きだ」と言っていた。とくに全共闘世代と呼ばれる団塊の世代の多くの人たちが、司馬遼太郎に影響されているとも言っていた。「思想はフィクション」だと言った司馬遼太郎に対して、思想をリアルに信じた人たちからも支持されている。すごいことだ。なぜなのか、そしてどんなところが好きなのか、ぜひ聞いてみたいと思った。そして対談が実現した。今回の対談は「世界の歴史全集を読む」以来2度目である。前回も今回も、鈴木邦男さんと楽しくお話ができて、すごく良かった。素晴らしい対談になったと自負している。本当に鈴木邦男さんに感謝である。

◎国民文学としての司馬遼太郎

今年の8月に、名古屋で対談したもの 今年の8月に、名古屋で対談したもの

岩井鈴木さんの本には、司馬遼太郎のことを何度か書かれていましたね。一度、司馬遼太郎について鈴木さんと話してみたいと思っていました。私の子供の名前も、『竜馬がゆく』にちなんでリョウマと名づけました。

鈴木本当かよ(笑)

岩井本当です。知らなかったんですか(笑)

鈴木次の子供は何て言うの?歳三って言うの。

岩井子供は一人です。それに歳三なら三番目の子供につけると思います(笑)

鈴木あっ、そうだね。そう言えば司馬遼太郎の小説は全部読んだと言っていたね。

岩井対談集やエッセイ、『街道をゆく』の一部には読んでいないものもあります。小説は全部を読んだと思っていました。しかし司馬遼太郎の小説の目録を読んで、短編などは読んでいないものもけっこうあると分かりました。やはり司馬遼太郎は、膨大な量の小説を書いていますね。今さらですが、驚きました。あれだけの歴史小説をたくさん書けるのは、やはり偉大です。

鈴木僕らが若い頃、学生運動が全国に広がっていた時代には、活動家は右も左も、誰もが司馬遼太郎を読んでいたよ。とくに『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』はね。圧倒的に『竜馬がゆく』のほうに人気があるけれど。

岩井『竜馬がゆく』の本は、トータルで2400万部も売れたと言いますから、完全に国民文学ですよね。すごいです。

鈴木当時の学生は、右も左も『竜馬がゆく』を自分と重ね合わせて読んだんだ。自分のこととして読んだ。坂本龍馬が国を動かしたように、自分も国を動かしたい、なにごとかをなしたいと考えていたんだ。だから『竜馬がゆく』は、連合赤軍の連中も、「よど号」の連中も読んでいたと言っていたよ。ところが1970年に三島由紀夫と共に自決した森田必勝だけは『竜馬がゆく』より『燃えよ剣』のほうが好きだと言っていた。よく周囲の連中から「新撰組って、勤皇より佐幕のほうだろ。新撰組なんて反天皇の側だ」と言われていたけど、本人は「そうじゃない。新撰組だって京都で天皇を守っていたんだ」と言っていた。

岩井森田必勝さんも楯の会のナンバー2、土方歳三も新撰組のナンバー2ですよね。

鈴木主人公の土方歳三を、自分のこととして読んだのだと思うよ。政治活動家って、組織づくりもしていかないといけないからね。森田必勝は楯の会を背負っていたし。組織って、途中で辞めちゃう奴とかいるじゃない。どうやって組織を固めていけば良いか。『竜馬がゆく』にかぎらず右も左も『燃えよ剣』は当時の学生たち、とくに運動の組織を担っていた連中は皆が読んだと思うよ。自分と重ねて照らし合わせて読んだんだ。

岩井左翼学生が新撰組を読むとは、面白いですね。全共闘時代の左翼学生は、娯楽性の強い歴史小説なんか、全然読まないと思っていました。

鈴木いや、違うよ。皆が読んでいたと思うよ。とくに土方歳三って、最後の最後まで戦うだろ。そのあたりが、右や左だけでなく、今でも多くの人たちに人気がある理由じゃないかな。

岩井榎本武揚や大鳥圭介などは、函館で降伏しますが、土方歳三は降伏することなく、潔く死んでいきますからね。

鈴木じつは森田必勝は、函館が好きだったんだ。本人も函館に行っている。だからこそ、函館で死んだ土方歳三には、とても強い思い入れがあったんじゃないかな。

岩井新撰組って内部粛清が激しいイメージがありますね。かなり内部で人を殺してきた。考えてみれば日本の歴史でも例を見ない仲間殺しの集団だと思います。

鈴木内部粛清が激しい、そこは連合赤軍と相通ずるものがあるね。いや、連合赤軍以上だよ。だって敵を殺す以上に味方を殺しているんだからね。新撰組の土方歳三は英雄だと思う者がいたとしても、連合赤軍は、ただの仲間殺しの犯罪者集団だと誰もが思う。しかしその違いって、本当は紙一重なんだと思うよ。新撰組のほうが、実際は多くの仲間を殺している。

 

◎坂本龍馬について

鈴木坂本龍馬だけど、あれは司馬遼太郎がつくった坂本龍馬だと言っても良いんだ。もし司馬遼太郎がいなかったら、坂本龍馬は現代でこれほど取り上げられることはなかった。むしろ歴史の中に埋没して忘れ去られた存在になっていたと思う。よく司馬遼太郎の歴史に対する観方を司馬史観と言う人がいる。歴史上の人物を手のひらにのせて、鳥瞰図のように当時の歴史を観ていくやり方を、そういうふうに言うんだ。

岩井たしかに司馬史観と呼ばれていますね。司馬遼太郎個人の思い入れで書いた部分だってあるでしょう。たとえば司馬遼太郎は河井継之助を2度描いているんです。短編の『英雄児』と上下2巻の『峠』。どちらも河井継之助が主人公なんですが、キャラクターが全然違う。まったく異質な河井継之助になっています。官軍と長岡藩が決裂する小千谷会談と言うのがあるのですが、『英雄児』では官軍の無理解な指導者に颯爽と席をたって決裂して出ていきます。英雄っぽいですね。しかし『峠』では、粘りに粘って長岡藩が戦争に巻き込まれるのを回避しようとする。やはり責任ある政治家として描かれています。たぶん『峠』のほうが史実に近い気がする。そうだ大村益次郎だって、『花神』と『鬼謀の人』と二つある。

鈴木史実にないところなど、やはり作家の想像力がはたらくからね。坂本龍馬の話に戻るけど、司馬遼太郎が坂本龍馬を書く以前は、坂本龍馬なんて、本当に世間では忘れ去られた存在だったからね。ごく一部の人しか知らなかった。『竜馬がゆく』が書かれる前に、『幕末太陽伝』という古い映画があったけど、そこに坂本龍馬は出てこないよ。僕が子供の頃に流行った『鞍馬天狗』だって、坂本龍馬は出てこなかった。まったく忘れ去られた人物だったんだ。それを司馬遼太郎が掘り起こして、国民的英雄に描き上げた。だから司馬遼太郎がつくったと言って良いんだ。

岩井司馬遼太郎は、坂本龍馬は陸奥宗光がつくったと言っていました。日露戦争の頃に、バルチック艦隊の来航で日本中が右往左往していた時に、皇室の女性の夢枕に坂本龍馬が立ったという噂を、陸奥宗光が意図的に日本全国に広めたって。

鈴木あっ、その話は知っている。

岩井でもそれだけじゃ国民的英雄になりませんね。やっぱり司馬遼太郎がつくったんでしょう。薩長同盟だって、司馬遼太郎がいなかったら、坂本龍馬はたんなる薩摩藩のエージェントの一員として歴史であつかわれたかも知れない。

鈴木そうだよ。やっぱり坂本龍馬は司馬遼太郎がつくったんだよ。僕が子供の頃、幕末に活躍した人物と言えば益満休之助など登場していたよ。でも益満足休之助って、今はあまり聞かないね。

岩井旧幕府に捕縛された薩摩藩の藩士ですよね。西郷隆盛と勝海舟の仲を取り次いだと言う。江戸無血開城の隠れた立役者ですよね。直木三十五の『南国太平記』に出てきます。その続編が『益満休之助』だったと思いますよ。直木三十五って、よく知らないけど、昔は売れっ子作家だったらしいから、その影響で益満休之助も大きく取り上げられたのでしょうね。

鈴木あと坂本龍馬だけど、剣の達人なのに、人を一人も斬っていない。そこがすごいと思うよ。普通は人を斬るんだよ。

岩井そうですね。剣の達人なら、人と剣を振り回して、自分が何ほどの存在かを示したいと思うはずですよね。

鈴木そこが坂本龍馬のえらかったところだと思う。

岩井桂小五郎も、そうなんじゃないでしょうか。たしか誰も斬っていなかったと思います。真剣を持った立ち回りもしていない気がします。逃げる時に日本刀を振り回したことはあったかも知れないけれど。

鈴木そうだね。桂小五郎も、人を斬っていない。明治の陸軍を率いた桐野利秋などは、幕末には人斬り半次郎と呼ばれるぐらい人を斬っている。

岩井木刀を振り回して強いのと、日本刀の真剣を振り回して強いのとは、やはり違いますからね。桂小五郎や坂本龍馬は、それを知っていた気がします。木刀を振り回す勝負では、1対1でルールがあります。しかし日本刀の真剣なら殺し合いで、ルールなんてありません。多数で1人を刺殺することもあるでしょうし、何がおこるか分かりません。けっこうひどいことを新撰組の連中なら、斬り合いでやっていた気がします。仲間だった藤堂平助を殺す時なんか、藤堂と日本刀を突き出しながら永倉新八は目で「逃げろ」と合図したんです。やっばり元々試衛館時代からの仲間ですからね。藤堂平助はそれを見て逃げ出すのですが、逃げ出した途端に、別の隊士が後ろからバッサリ藤堂平助を斬っています。だまし討ちを新撰組はしたんです。この話は『燃えよ剣』に出ていた話です。

鈴木司馬遼太郎の小説は、司馬史観とも言われるぐらいに司馬遼太郎の視点やフィルターを通して描かれている。それにひきかえ作家の吉村昭などは、淡々と事実を書いているね。もちろん作家のフィルターを通しているけれど、より客観性が高いと読者に思わせるだけの筆力がある。

岩井吉村昭が言っていたけど、戦艦武蔵の乗組員に取材すると、同じ船に乗って同じ出来事を経験していても、人によって言うことが全然違うそうです。180度違う証言だってある。当事者が生きるか死ぬかの経験をしている真っ最中だから、記憶だって変色するんでしょうね。だから歴史って、絶対に事実とは違う。その人の見方やフィルターも通してありますから。

鈴木吉村昭は、小説を書く時に、かなり資料を読みこんだり、証言者に何人もあたって書いていると思うよ。一つひとつの文章が、それを推測させるものがあるね。

岩井司馬遼太郎だって、『坂の上の雲』を書く時は、全国の古本屋から日露戦争の資料をかなり集めたと言います。日露戦争の本は手当たり次第に集めたので、そのため何冊も同じ本が混じっていたらしい。ても編集者に「気にせず集めてくれ」と言って、膨大な資料で書かれたらしい。

鈴木今だったら、アマゾンなどネットで取り寄せられる。今のほうが段違いに資料は集めやすい。

岩井坂本龍馬って、雄大な志とか、大きな世界に飛翔するイメージがあり、すごく爽やかものを感じていたのですが、『竜馬がゆく』を読むと、必ずしもそんな部分ばかりじゃない。たとえば脱藩する時、乙女姉さんは離婚させられますが、もう一人の姉は嫁ぎ先の日本刀を坂本龍馬に贈った理由で自害しています。龍馬の脱藩で家族に死者を出しているんですね。龍馬本人だって、いたたまれない気持ちだったでしょう。龍馬には、こういう悲しい部分と言うか、辛いものを心の中に抱えているところがある。

鈴木「中学生まで寝小便をしていた」と言う知り合いがいたけど、本人は「坂本龍馬だって大きくなるまで寝小便をしていた。だから俺だって坂本龍馬のように大物なんだ」と正当化していたらしい(笑)

岩井あはは(笑)いろいろな人間の励みになっているんですね。坂本龍馬って。

鈴木『燃えよ剣』は読み直しても、若い頃と同じように感動しなかったけど、『竜馬がゆく』は全冊を3回読んだけど、読むたびに新鮮と言うか、発見もあり、やはり良い小説だと思った。

岩井坂本龍馬は龍馬であって竜馬という字を使わない。そこを司馬遼太郎はフィクションを強調するために『竜馬がゆく』と事実とは違う名前を使ったそうです。だから当然『竜馬がゆく』はフィクションです。そこがやっぱり司馬史観たるゆえんでしょうね。そして司馬遼太郎は死ぬ前に『21世紀を生きる君たちへ』で、若者にエールを送った文章がありますが、『竜馬がゆく』は、21世紀にも読まれるべき青春文学だと思いますね。

竜馬がゆく 「竜馬がゆく」

 

◎薩摩隼人の気質

鈴木当時の連中がえらいなと思うのは、『燃えよ剣』の土方歳三は北海道で死んだけど、あとに北海道に残った五稜郭の連中、榎本武揚とか大鳥圭介とか、明治政府は殺してないでしょう。本当だったら国家反逆罪で死刑だよ。しかし殺さなかった。むしろ何年かで釈放して、政府の役人に取り立てている。榎本武揚などは大臣にまで取り立てて、国家のために使っていった。国家に有用な人物だと明治政府が判断したからだ。今だったら、あり得ない。これはすごいことだよ。

岩井それは明治政府がえらかったと言うより、薩摩の人たちが偉かったのではないでしょうか。敵を味方に取り入れるのは、薩摩のお家芸のような気がします。薩長同盟だって、そうでしょう。蛤御門で血を流した憎い敵である長州藩を、大胆にも薩摩藩は味方にするんですからね。薩英戦争だって、そう。後にイギリスを味方にしています。その前に幕末の薩摩藩は、お家騒動で真っ二つに分かれていたけど、島津斉彬は敵対派閥を粛清せずに味方に取り入れようとします。粛清しないのは、すごいことです。本当は恐いから、敵対派閥は粛清するんですよ。二度と復活できないように。

鈴木土佐藩も、長州藩も、たしかに粛清しているよね。水戸藩なんか、それが激しい。勝った側が粛清につぐ粛清で、ついには藩に人がいなくなる。そして藩そのものが弱体化する。

岩井島津久光だって権力をにぎると、敵対派閥であるはずの誠忠組を自分の味方に取り込もうとする。大久保利通なんて、自分の母親を殺そうとしたテロリストの子供ですからね。そういう人物を大胆に引き上げて取り込んでしまう。私は島津久光だって、本当はすごい立派な人物だったと思いますよ。普通なら、自分の母親を殺そうとしたテロリストの家族とは、口も聞きたくないはずです。顔も見たくないですよ。

鈴木それこそ司馬史観で、島津久光とかは自分を将軍にさせてくれなかったと言って、大久保や西郷を憎んだ。あと廃藩置県では、それを断行した大久保や西郷に対して、腹いせに鹿児島で大きな花火を打ち上げて憂さを晴らしたと小説に出ている。たしかに司馬遼太郎は島津久光をひどく描いているね。幕末の歴史は、司馬史観のイメージが強い。彼の筆力による影響が大きい。

岩井そこまで視野の狭い人物だと思えない。『翔ぶが如く』では、司馬遼太郎は、かなり島津久光を小さい人物に描いている気がします。外様大名の島津久光が、江戸の幕府中枢に乗り込んで文久の改革をやるじゃないですか。しかも彼は藩主でさえない。国父と呼ばれて藩主の父親です。やっぱりひとかどの人物だったと思います。

鈴木たしかに島津久光の影響は強いでしょうね。西郷隆盛や大久保利通は、土佐藩や水戸藩だったら、とっくに粛清されて殺されていたはずです。西郷隆盛を島流しから呼び戻したり、大久保利通を引き上げた功績は大きい。

岩井西郷隆盛なんて、島津久光のことを「ジゴロウ」と言って、これは田舎者だと言う意味らしいですが、そんな無礼なことを島津久光に言った人間です。島津久光にしてみれば憎い存在だったはずです。島津斉彬に可愛がられていたから、藩内世論の手前もあって殺せないけど、殺してやりたい存在だったのではないでしょうか。それを島流しから呼び戻して抜擢しますから、島津久光の手腕は買われて良い。

鈴木後に島津久光は西郷隆盛のことを「安緑山」と呼ぶ。唐の時代に玄宗や楊貴妃から可愛がられたのに、反乱をおこす人物ですよね。やっぱり西郷隆盛が憎かったのでしょう。

岩井あと鈴木さんや私もお世話になっている元刑事でTVコメンテーターの飛松五男さん。彼は鈴木さんとも、元新社会党副委員長の原和美さんとも仲が良いけど、ほんらいなら右翼の鈴木さんも、左翼の原和美さんも、元警察官にとって敵でしょ。最大の敵なはずですよ。その人たちと仲良くできるんだから、やっぱり飛松五男さんも鹿児島県人なんですね。薩摩隼人なんです。西郷隆盛や黒田清隆の流れを組んでいる。そういう敵を味方にする文化的土壌が鹿児島にはある気がします。西郷隆盛は戊辰戦争の時に庄内藩を相手にして、ものすごく負けた側の藩士たちに気を配り、後に庄内藩の藩士たちから慕われている。敵を味方にしたんです。土佐の板垣退助が会津を攻めた時とは大違いです。黒田清隆だって、降伏した榎本武揚や大鳥圭介たちを命がけで助ける。そして味方にしていく。やはり鹿児島の人たちは、すごいですね。

鈴木『翔ぶが如く』に出てくる西郷隆盛だけど、やっぱりどこか悲しみを感じるね。私学校が行動に出た時に、「俺の命はお前たちに預ける」って、けっして仲間を見捨てない。むしろ責任を一身に引き受けて共に行動していく。私学校が最初に武器庫を襲った時には「しもうた」と言ったぐらいだから、本人も西南戦争には本意ではなかったろうけど、そこは言い訳しない。あくまで私学校の仲間たちと行動していく。

岩井それを言えば江藤新平だって、佐賀の乱では、最初は止めに行ったのに止まらない。結局は仕方なく反乱をおこした旧佐賀藩の連中と行動を共にして指導者になってしまう。あの時代の人たちは、そういう気質がありますよね。

鈴木司馬遼太郎は、若い時に戦車に乗って本土決戦に備えていた。逃げてくる避難民で戦車が動かなくなったら、上官から引き殺せと命令されたらしい。敗戦後になって、司馬遼太郎はどうしてこんな愚かな戦争をしたのだろうか、と疑問に持ったらしい。そしてその疑問の中で過去の日本人たちも愚かだったのだろうか。いや、そうじゃないだろうと。とくに明治の政府を率いた人たちは、そんな愚かなことはしなかったと考えた。それが歴史を書く原点だと何かに書いてあったよ。今の話を聞いて、たしかに西郷隆盛や江藤新平などの明治の指導者は、偉くて立派なところがあるね。

岩井その話、私も何かの本で読んだことがあります。司馬遼太郎は、北関東に配置されていたんですよね。そこで小さな子供が遊んでいるのを見た時、この子供たちのためなら死んで良いと感じたらしい。しかし上官から避難民が邪魔なら戦車で引き殺せと言われて「もう、やめだ」と思ったと書いてあった。正直ですね。私も『翔ぶが如く』を読んで、熊本城攻略に失敗した薩摩の軍が、山奥の中で官軍から身を隠すところを読んで、西郷隆盛の悲しさを感じました。彼らは最終的に鹿児島にボロボロになって帰ってくるんですよね。

鈴木西郷隆盛は永続維新と言った。明治維新だけでなく、さらに永続的に維新が必要だって。じつは西南戦争に参加できなかった頭山満も、その西郷隆盛の志を引き継ごうとして、玄洋社をつくっていく。全国でも西郷隆盛の永続維新を引き起こそうと、同じような運動がおこってくる。じつはそれが右翼運動の原点なんだ。右翼のルーツは、西郷隆盛の精神だと言って良い。

岩井右翼の源流が、西郷隆盛だと言うことですか?

鈴木そうだよ。

岩井西南戦争で分からないのは、西郷隆盛に味方する人たちの中には、自由民権運動の人たちもいますよね。どうして自由民権運動の人たちが、不平士族とか呼ばれている西郷隆盛たち私学校のグループに味方したのか不思議です。

鈴木やっぱりそれは、反大久保とか、反中央とか、反権力の意識が自由民権運動にあったからじゃないかな。もちろん玄洋社などは、後に反権力とばかり言い切れないところも出てくるけど。

岩井宮崎滔天の兄弟とかも西南戦争に参加しているし、玄洋社の頭山満だって、じつは自由民権運動との関係が深いですよね。自由民権運動の民権と、右翼運動って、かなり隔たりがあるイメージですが。民権と国権は、対立軸だとも思うけど。

鈴木じつは自由民権運動を担った連中だって、後に外交問題で政府を攻撃して、かなり国権派の部分も強い。民権と国権という対立軸より、藩閥の中央政府と在野勢力との対立軸があった気がする。

岩井オッペケペの川上音二郎だって、自由民権運動の闘士だったけど、玄洋社の頭山満との関係は深いですね。

 

◎松下村塾の人々

岩井以前に何かの本で、鈴木さんは尊敬する人物に吉田松陰と2・26事件の安藤輝三を上げていたと記憶しています。やっぱり吉田松陰って魅力ありますよね。

鈴木そうだね。魅力あるね。僕も実際に山口県の萩に行ったんだよ。それも2回。松下村塾の跡も見てきた。そうすると思った以上に建物が小さい。こんな小さなところで教えてたんだと思ったね。

岩井教える場所は、関係ないと言うことですよね。どんな小さな建物であっても、たとえあばら家であっても、そこに伝えようとする人間がいて、学ぼうと思う志をもった人間がいれば、立派に教育は成立する。

鈴木司馬遼太郎に出てくる小説は、長州藩にかぎらず、脱藩したり、天誅という名のテロを引きおこしたりする事件が出てくる。ああいう小説を読んで、当時の学生運動をやっていた連中は、「そうなんだ。幕末の志士だって脱藩したり、人を殺したり、法律をいっぱい破って活動してきた。だから俺たちも法律を破って良いんだ。国のためにしているんだから、法律なんて破っちゃえ」となる連中が出てきた。そして「俺たちは高杉晋作であり、坂本龍馬なんだ」だと自分たちで思って行動を始めると、法律を破ることが正当化されていくんだね。

岩井それって恐いことですよね。連合赤軍のM作戦だったかな。資金調達のために犯罪行為に身を染めたのは。やっている本人は革命戦士のつもりでも、世間から見たら、ただの強盗であり、引ったくりの犯罪者集団です。

鈴木高橋和巳の『日本の悪霊』にも出ていたけど、ああいう犯罪行為は、その時は目的のために手段を正当化すると思い込もうとするんだけど、人間はそんなに器用な存在じゃない。どれだけ思い込もうとしても、やはり犯罪行為という自覚はある。その犯罪を担う人間たち、そして組織そのものが勝手に自壊していくんだ。それは戦前の武装闘争していた日本共産党も、そうなんだ。国家権力の弾圧で負けたんじゃなくて、自分たちが犯罪行為に手を染めて自壊していったんだ。自分で自分に負けたんだよ。

岩井戦前の日本共産党って、田中清玄が委員長の頃は、かなり乱暴なことをしていたんですよね。

鈴木司馬遼太郎が『世に棲む日日』で言っていたけど、革命には3段階あって、思想と行動と建設。思想があって、破壊する行動があり、最後に新しい世の中を建設していくことが革命だと書いてある。最初の革命をおこなう思想は、もちろん平田篤胤や水戸学なども含まれるけど、やはり吉田松陰でしょう。そして行動は、高杉晋作や坂本龍馬。そして建設は伊藤博文や大久保利通が担っていたんだろうね。

岩井そのことは『世に棲む日日』で書かれていましたね。破壊は徹底的におこなう必要があり、焦土の中から新しいものが出てくると書いてありました。西郷隆盛などは「戦争が少ない。足りない」と言っていたらしいけど、本当に戊辰戦争で日本の国を焦土にしていたら、無茶苦茶なことになっていたと思います。それこそ欧米の植民地ですよ。江戸無血開城にしても、本当は西郷隆盛は徹底的に江戸の町を破壊したかったのかも知れませんね。勝海舟がイギリスあたりに手をまわして、その圧力で西郷隆盛の動きが封じ込められただけかも知れない。もちろん推測ですけど。

鈴木『世に棲む日日』に出てくる吉田松陰と、高杉晋作たちの師弟の関係には読んでいて感動したよ。吉田松陰は、獄中にあっても、その獄中の人たちにさえ影響を与えて感化してしまう。その獄中には女性もいたけど、その女性にさえ感化を与えていく。そういうところが良いですね。

岩井これは私の推測ですが、吉田松陰と松下村塾の塾生たちとの関係は、イエスとその弟子たちの関係に似ていると思います。イエスって、死ぬ前に弟子たちが裏切るじゃないですか。本当は弟子たちだって、裏切りたくないけど、命が惜しくて寝返ってしまう。人前で聞かれて「イエスなんて知らない」と公言した弟子まで出てくる。キリスト教って、よく知らないけど、そういう弟子たちの恥じ入る意識、贖罪の気持ちが出発点になった気がする。イエスが死んでから、「もう今度は裏切らないぞ。死ぬのを恐れないぞ」と弟子たちが思い布教を広めていく。吉田松陰だって、再度の入獄で弟子たちにテロを煽るんです。弟子たちに立ち上がれ、決起せよと命令するんです。しかし弟子たちのほうが当時の客観的な情勢を理解していますから、誰もその命令を聞かない。誰一人テロなんて実行しないんです。高杉晋作や伊藤博文が外国人の屋敷を焼き討ちしたりするのは、吉田松陰が死んでからです。松下村塾の塾生たちも吉田松陰にそう言われると非常に困ったことでしょう。「これだから先生は困るよ」と皆が考えたと思います。高杉晋作でさえ、獄中の吉田松陰の言葉には、付いていかなかった。吉田松陰は、獄中の手紙で何もしない高杉晋作に対して、激しい言葉を浴びせています。

鈴木それって「君は功業をなすつもり、僕は忠義をなすつもり」だよね。三島由紀夫も、石原慎太郎にそんな言葉を使っていたよ。

岩井その言葉は、自分と君とは違うって。功業って、ほめ言葉でも何でもなく、高杉晋作に対して非難する意味で使っています。高杉晋作だけでなく、塾生たちも吉田松陰の激に付いていけなくて辛かったと思いますよ。大好きな吉田松陰だけど、理想主義が極端で、とても共に行動などできないと。師匠に対して申し訳ない気持ち、裏切ってしまったと言う気持ち。そんな気持ちが吉田松陰の死後に、塾生たちが動く原点になったと思います。

鈴木なるほどね。「イエスと弟子」の話は、当たっているかもしれないね。凄い発見だ!

岩井もっとも吉田松陰も、死ぬ間際には高杉晋作などに優しい言葉の手紙を書いています。そして父母に孝行して時期を待てと。高杉晋作を思いやっているんでしょう。そういうところが魅力的です。もともと吉田松陰って、国禁を犯してペリーに会ったりして国事犯として長州の牢屋に入れられたわけですから、いわば長州藩にしてみれば危険人物です。しかし危険だとか、危険人物だと大人に言われると興味が出て会ってみたくなるのが若者でして、それに吉田松陰なら若者たちにとって知的好奇心も刺激されるでしょう。長州の多くの若者たちにとって魅力的な存在であったはずです。そういう若者たちが、最後に吉田松陰の獄での檄に付いていけなくなった。でも付いていきたい、そんな葛藤がきっとあったと思います。

 

◎政治運動から振り返る

保田與重郎翁のご自宅 保田與重郎翁のご自宅

鈴木高杉晋作の有名な言葉で、「艱難は共にできても、富貴は共にできない」という言葉がある。高杉晋作は吉田松陰の死後、長州藩のクーデタを成功させた立役者の中心人物になるんだけれども、その後に自分は権力の椅子にすわらない。そんな時に発した言葉で、印象に残っている。政治の運動をしていると、たしかに艱難と言うか苦しい時は仲間と共有できても、楽しい部分、あるいは豊かさを持った部分は、仲間と共有しにくいところがある。とくに高杉晋作は遊び人だったから、遊びを通じて、そういう富貴と言うか、良い部分は共有しにくいことを感じていたんじゃないかな。

岩井高杉晋作は賢い人だから、自分が権力を握るとヤバい部分を感じていたんじゃないでしょうか。藩のカネを芸者に使って飲んでしまうとか。これも有名な話ですが、高杉晋作が藩のカネを使って藩の若者たちと遊郭で飲み代にしてしまい、後で藩の家老に弁明した桂小五郎が困ってしまったと言う話があります。「いくら使った」と家老に聞かれて、「小さな軍艦が買えるぐらい」と言って、家老が腰を抜かしたって。この発言は史実かどうか分からないけど、あり得る話です。他の藩なら、もちろん家名断絶の切腹ものです。

鈴木よく右翼の活動家でも、酒の席で大言壮語する人がいるよ。「立ち上がる時が来るその日まで」と言って、カネにだらしない人だっています。そういう人なら高杉晋作を自己弁護の道具として使うかも知れないね。「高杉晋作だって、藩のカネで飲んだんだ。自分たちだって、企業のカネで飲んでも悪いわけではない」って。自分たちは天下国家のために運動をしているから、目先の金儲けに走る企業の人間たちの代わりになって国家のために右翼運動しているんだって。

岩井これは偏見かも知れないけど、長州藩の藩士って、カネにだらしない部分がありますよね。江藤新平を主人公にした『歳月』で、そこにカネにだらしない長州の人間たちが出てきます。山県有朋は陸軍のカネを横領していたし、井上馨だって、弱い者いじめでカネを巻き上げている。江藤新平が憤慨して事件化した。

鈴木『歳月』も読みましたよ。細かい部分は忘れてしまったけど。そう言えば『歳月』と同じように幕末を描いた小説で『俄』って言う明石屋万吉を描いたものがあるけど、オウムの村井さんを刺殺した除裕行さんが『俄』が好きだと言っていた。

岩井『俄』ですか?あれは殴られ屋だった明石屋万吉が、天下の動乱で、いつのまにか官軍のえらい人になってしまう話ですね。たしか明石屋万吉は、任侠出身の人ですよね。あれって、フィクションですけど、明治の品川弥次郎の選挙弾圧に協力した話も出てくるから、きっとモデルがいたんでしょうね。

鈴木除裕行さんも、『俄』を自分に重ねて、自分と照らし合わせて読んだのかも知れないね。

岩井除裕行さんって、お話しをしたことはないのですが、鈴木さんの誕生パーティでお会いしたことはあります。北朝鮮の拉致問題とか、許せないって皆の前で言っていました。すごく正義感の強い方ですね。マスコミ報道の印象とは、全然違う感じでした。

鈴木マスコミでひどく報道されていても、本当は全然違う人は多いね。とくに僕のまわりには。

岩井『俄』の明石屋万吉って、大坂で攘夷浪士の取り締まりをするんです。どこかの藩から依頼されて、ヤクザなのに、警察官のようになってしまう。これって、当時は普通のことであったらしいけど、ちゃっかり攘夷派の大物を捕まえると逃すんです。桂小五郎とか。敵対陣営にも保険をかけておく意味でね。だから明治になっても生き残る。こういう人って、今の建設会社の社長とかにも多い気がします。選挙で民主党を応援しているのに、ちゃっかり対立候補の自民党にも隠れて応援しておくとかね。

 

◎TVドラマと司馬遼太郎

鈴木あと司馬遼太郎で言えば大村益次郎の『花神』があるね。NHKの大河ドラマで歌舞伎役者が大村益次郎をやっていたけど、ちょっと主演役者が地味な感じがして、もう一つだった気がする。

岩井中村梅之助さんですね。息子さんの中村梅雀さんが活躍されていますよね。司馬遼太郎は、NHKで『花神』をやっていた時に中村梅之助さんから挨拶されて、それが誰か分からなかったらしい。自分の小説の主人公をTVで演じている役者だと言うのに、です。つまり大河ドラマのTVを観ていなかったんですよ。

鈴木へえー、そうなの。

岩井吉本のタレントであるジミー大西さんを「あいつ、ほんまは頭ええんや」と周囲に言っているぐらいだから、お笑い番組は観ていたのでしょうが、大河ドラマは観ていなかった。やっぱり司馬遼太郎は大阪人です(笑) 出身は奈良らしいけど。

鈴木あと『菜の花の沖』もNHKでやっていたよね。主人公の高田屋嘉兵衛のイメージが、ちょっと違っていた気がする。

岩井あれは竹中直人さんですね。NHKのBSで放送したんです。当時は私の家はBSが映らないので、数年後にNHK総合の再放送で観ました。面白かったです。あのTVには、原作にない部分が出ていましたね。たとえば息子を勘当する話とか、高田屋嘉兵衛の奥さんが四国の西国八十八カ所巡礼に出る話とか。

鈴木あと、今は平清盛をやっているけど、司馬遼太郎は平清盛を描いていたんだろうか。

岩井『義経』に少し出てきますね。あと『街道をゆく』にも。『義経』では奥州藤原氏のことが出てきて、奥州藤原氏が藤原氏の縁戚であることを自称しているけど、嘘だろうと司馬遼太郎は言っています。しかし今から10年前か20年前に、奥州藤原氏がたしかに藤原氏の縁戚であることが分かっています。京都にある仏像の中から、奥州藤原氏の祖先である藤原経清の官位が書かれていて、それが藤原氏との縁戚を証明するものだと分かったそうです。

鈴木『街道をゆく』も、全冊読んだけど、それだけじゃない。図書館にあったNHKの『街道をゆく』のビデオも全部観たよ。最初は『街道をゆく』は、司馬遼太郎が小説を書けなくなって、手を抜いて書いたものだと思っていた。たしかに司馬遼太郎の作品、一部の対談集や随筆には、手を抜いたと思われるものだってあるんだよ。でもね、『街道をゆく』は、そうじゃなかった。全冊読んだけど、とても良かったよ。

岩井私も『街道をゆく』シリーズでスペインのバスク人を取り上げたものが、とても印象に残っています。あと『街道がゆく』の『ニューヨーク散歩』だったかな。文明と文化の違いについて書かれていて、文化は不条理なものを抱えたもので、文明は誰もが共存できる普遍的なものを抱えたものだと書いてあった。そこが今でも印象に残っています。私の近所の図書館にも『街道をゆく』のビデオが置いてあるのですが、もう観られない。残念です。

鈴木えっ、どうして?

岩井昨年か一昨年、地デジに備えてTVを買い替えたのですが、DVDのビデオしか観られません。図書館に置いてあるのはVHSのビデオなんです。

鈴木僕はVHS用のデッキを買ったよ。それだけの価値はあるよ。『街道がゆく』のビデオは、ナレーションが良かった。『街道をゆく』の文章をナレーターが独特の声で朗読するんだ。そして背景に映る風景は、『街道をゆく』の舞台となった地域なんだ。すごく観ていて良かった。勉強にもなったよ。あれは観るべき作品だね。

岩井当たり前ですが、やはり歴史小説を書くなら現地を見ないとね。そういう意味で司馬遼太郎が日本国中を歩いているのは立派たと思います。もちろん世界もね。何年か前に関ヶ原の現地に行ったのですが、やはり現地に行って良かった。小説『関ヶ原』と同じように、小早川秀秋の松尾山、毛利の南宮山、そして徳川の桃配山、そんな山々が石田三成の笹尾山から全部見えるんです。感動した。あと『播磨灘物語』とか読まれましたか。

鈴木昔に読んだけど、あまり覚えていないなあ。関ヶ原も行きたいね。案内してよ。

岩井主人公の黒田如水は、織田信長の使者として派遣され、そこで捕まって牢屋に入れられるんです。まさか織田信長は黒田如水が捕まったと思っていないから、黒田如水に裏切られたと考えた。織田信長は人質の子供を殺せと言うんですね。その子供が後の黒田長政です。ところが殺す命令を受けた羽柴秀吉は、その子供を竹中半兵衛に渡して殺せと言う。誰だって子供は自分で殺したくない。ところが竹中半兵衛は殺したと言ったのですが、実際は殺さなかったんです。すごく立派な行動です。

鈴木たしかに立派だと思うよ。

岩井もし黒田如水が牢屋で死んでいたら、歴史は息子も竹中半兵衛に殺されたと記述されたでしょう。黒田長政が生きていたことは、歴史に隠れていたはずです。じつは歴史には、そんな隠れていることがいっぱいあって、表面に出てこないだけだと思うんです。

鈴木そうだね。そういう部分も多いだろうね。歴史小説と言うのは、そういう隠れた部分をイマジネーションで掘り起こしたり、点と点をつないで、新しい推理をしてみたり、そんなところが読まれる原因でもあると思う。それに日本で歴史の本がよく売れるのも、司馬遼太郎の功績が大きいと思う。

岩井司馬遼太郎が分かれば、日本人が見えてくる。そこまで言うと言い過ぎでしょうか(笑)

 

【だいありー】

在特会の桜井誠さんと(11/10) 在特会の桜井誠さんと(11/10)
  1. 11月12日(月)前日、秋田市で北村肇さんとトークし、夜、遅くまで打ち上げ。駅前のホテルで泊まる。午前中、市内を歩こうと思ったが雨だったので、原稿を書く。11時56分の秋田発新幹線に乗る。倉田さんが見送りに来てくれた。申し訳ありません。いろいろと秋田市の現状と、これからの展望を聞きました。16時東京着。夜、集会。
  1. 11月13日(火)午前中、原稿。午後、取材。夜、柔道。
  1. 11月14日(水)午前中、原稿。午後3時、文化放送。「今日の夕刊読み比べ!」では、「夕刊フジ」を取り上げた。〈都知事選最新調査。猪瀬圧勝。自民が支援へ〉。自民党が2度目の情勢調査を行ったところ、石原氏が後継者指名した猪瀬氏が40%超で首位だった。東国原英夫氏が10%、池上彰氏が8%、松沢成文、宇都宮健児氏が6%、桝添氏は5%。立候補を予定しない人もいるが、「誰がふさわしいか」という調査をサンプル数3000で実施。猪瀬氏も、自民の推薦で出馬するだろう、という予測だ。
維新政党新風で挨拶する桜井さん 維新政党新風で挨拶する桜井さん

「ニュース 本音と建前」は「石原新党と日本国憲法」。前日、石原氏が新党を「太陽の党」と発表。新党メンバーは、石原さんと「たちあがれ日本」の所属議員5人を合わせた6人で、平均年齢は73.8才。1970年の大阪万博の「太陽の塔」と同じ発音だ。石原氏の「太陽の季節」から、とっているのだろう。

石原さんは、第3極との連携を踏まえ、「必ず衆院選前に大同団結」し、「関ヶ原の戦いに勝利する。太陽の党が吸収されて消えてもかまわない」と発言。日本維新の会や、みんなの党との第3極の結集を目指すという。「維新」からさらに歴史を遡って、「関ヶ原」になっちゃった。

「太陽の党」は、かなり保守色が強い。いや、タカ派だ。だって、「自主憲法の制定」「国際社会で主導的役割を果たせるよう防衛力を倍増」と、元気がいい。

しかし今、「自主憲法の制定」を急ぐ理由があるのか。私も改憲は必要だと思うが、これは時間をかけて、じっくりやるべきだ。一時の勢いでやるべきではない。その前に、経済、原発、東北の復興、北朝鮮の拉致など、やるべきことは多い。それなのに、「憲法を改めないから、こんな事件、事故が起きるのだ。復興が進まないのだ」と、憲法に全ての罪をなすりつけている。憲法さえ変われば、国の安全も、経済も、全てがうまくゆく。そんな幻想を与える。これは危険だと思う。

「編集長は見た!」のコーナーは、月刊『文芸春秋』の島田真編集長。今月号(12月号)の大特集は「日本人と中国人。宿命の対決」。そして、総力特集「いまなぜブームなのか。日本人のための宗教」。さらに、「石原慎太郎、不退転の決意。国を変え、日本人を変える」。この3つを取り上げた。どれも内容の濃い、読ませる特集だ。

藤波心ちゃん、本間龍さんと(11/9) 藤波心ちゃん、本間龍さんと(11/9)

たとえば、「日本人と中国人」では、何と1970年に行われた、司馬遼太郎と陳舜臣の白熱対談「日中『文明の相剋』」が再録されている。全く古びてない。山内昌之が「『預言的な響き』をもって現代に甦る」と解説しているが、その通りだ。又、富坂聰氏が書いた「新指導者 習近平十三才で見た地獄」には驚いた。「中国通」は多いが、この人は、抜きん出ている。優秀だ。

〈“反革命”の現行犯として収容所に入れられた少年時代—。そこで若き“指導者”が見たものは〉

と、リードにある。反革命として広場で糾弾され、殴られた。

〈この集会では、習の母親である斉心もスローガンを叫びながら自らの息子を殴打することを強いられたというから、十三歳の子供にとってはあまりに過酷な体験というほかはない〉

凄まじい話だ。習は、1度収容所を脱出して家に逃げ帰る。しかし、母は他の子供たちのことを考え、心ならずも、地区のリーダーにそのことを報告しにゆく。大変な苦労をしたんだ。そして、苦労に苦労を重ね、中国のトップになる。こんなことは知らなかった。世の「中国通」は、いかに中国がダメか、しか言わない。又、こんな国とは付き合うな、としか言わない。中国の本当の姿を伝えてくれない。その点、富坂さんは違う。何回か会ったが、「見る眼」が違う。しっかりしている。

又、石原慎太郎は、この「文芸春秋」に書いたものが一番いい。テレビや週刊誌では、どうしても、キャッチフレーズを言うだけで終わってしまうからだ。たとえば、横田基地の使用について言う。

〈アメリカとの交渉が急務なのが、横田基地返還問題。最低限軍民共同化です。空からのアクセスは、経済を支える大きな要素です。実現すれば、日本経済に対する波及効果も極めて大きい。成田、羽田はあと5年も経てば満杯になります〉

これは、ぜひやってもらいたい。それに、米軍は、「ほとんど利用せぬまま、太平洋戦争勝利の記念品だとうそぶく尊大さで通している」という。そうだ。「No!と言える日本」を通してほしい。又、第3極の結集については、毛沢東の『矛盾論』をひいて、こう言います。

〈原発をどうするか。消費税増税はどうするかといった個々の政策は「従属矛盾」。硬直した官僚支配こそが「主要矛盾」なのです〉

驚いた。毛沢東を援用しながら、第3極の結集を訴えている。他にも、読むべき内容は多い。

文化放送、このあとは、「隣りの芸人さん」でWコロンが登場。そして、Ust延長戦。全部終わったのは6時半。それから車で、京王プラザへ。保坂展人さん(世田谷区長)の出版記念会。『闘う区長』(集英社新書)を出したのだ。

〈脱東電、PPS化を実行、エネルギーの地産地消に着手。チャイルドラインを強化。
 世田谷区から変える。
 変えられる日本社会〉

と本の帯には書かれている。もの凄い人だった。菅直人さん、菅原文太さん、辛淑玉さん…などが来ていた。一番大きな部屋が満杯だった。

ここに45分いて、車で中野ゼロホールへ。都知事選立候補を表明した宇都宮さんを励ます会。

「宇都宮けんじさんとともに人にやさしい東京を!」集会(11/14) 「宇都宮けんじさんとともに人にやさしい東京を!」集会(11/14)
〈東京を変えるキックオフ集会。
宇都宮けんじさんとともに人にやさしい東京を!〉
宇都宮けんじさん(左)と 宇都宮けんじさん(左)と

1時間遅れで会場に着いたが、1階、2階が超満員。立ってる人も多い。さらにロビーで、テレビモニターを見ている。私も入れないので、テレビで見てたら、「鈴木さん、何してんのよ。テレビなんか見てる場合じゃないでしょう」と言われた。控え室へ。そして、「応援弁士」として壇上へ。雨宮さん、佐高さん、松元ヒロさん…など、大勢の人が来てました。私も喋りました。10時に終わり、スタッフと共に、「村さ来」に行って、打ち上げ。楽しく飲みました。

  1. 11月15日(木)午前11時、取材。高田馬場で。午後三時、河合塾コスモ。「現代文要約」。午後5時、「読書ゼミ」。森達也、上杉隆の『誰がこの国を壊すのか』(ビジネス社)。なかなかエキサイティングな本だった。終わって、生徒と食事会。
  2. 11月19日(金)午前11時、新聞の取材。午後、打ち合わせ。夜、柔道に行く。
  3. 11月17日(土)午前中、原稿。午後、図書館。5時、日比谷・松本楼。
応援に駆けつけた人々 応援に駆けつけた人々
〈藤本敏夫 没後10年を語る
〜“土と平和の発見”の前夜に〜〉

元全学連委員長です。歌手・加藤登紀子さんの夫です。私はとてもお世話になり、多くのことを教えてもらいました。もう10年か。「夕刻のコペルニクス」にも登場してもらいました。今、藤本さんのようなヒーローがいない。寂しい限りです。加藤登紀子さん、高野孟さん、小川和久さんなどに会いました。

  1. 11月18日(日)午前11時から、4時半。四谷、スター貸会議室。森田征史先生の第60回「谷口哲学を学ぶ勉強会」に参加しました。テキストは『維摩経解釈』(谷口雅春先生著)。森田先生は、「生長の家」の前本部講師。そして、1960年後半は、「生学連」(生長の家学生部)の委員長でした。その時の第2代目・書記長が私です。こうして昔の学生運動仲間たちが再び集まって、勉強出来るのは幸せです。
     夜は雑誌の座談会。

【写真説明】

京都にて

①左より岩井さん、藤井さん、吉本さん、鈴木(今年3月京都)

今年の3月、京都駅の駅前の地下街にて

②鈴木、岩井さん(今年3月、京都のスターバックス)

保田與重郎翁のご自宅

③昭和前期に活躍した著述家・保田與重郎宅訪問。(2年前の10月、奈良の桜井市)

司馬遼太郎が愛した大阪の街かどで

④司馬遼太郎が愛した大阪の街かどで(今年1月)

森田必勝氏の墓参り

⑤2か月前の9月に、森田必勝さんの墓参りで撮った写真。3人で撮りました。もう1人は、いつも鈴木邦男ゼミでお手伝いしてもらっている吉本女史。

今年の8月に、名古屋で対談したもの

⑥名古屋のホテルにあるラウンジにて、8月、この対談を行いました。

在特会の桜井誠さんと(11/10)

⑦⑧在特会会長・桜井誠さんにバッタリ、会いました。「こういう席だから、喧嘩はやめときましょう」と桜井さん。私も同意し、しばしの「休戦」です。11月10日(土)午後5時、四谷の主婦会館です。維新政党新風の平成24年大会に行ったら、桜井さんも招待されていて、会ったのです。

 桜井さんの挨拶のあと、私が指名されました。「桜井さんのあとで、光栄です」と言いました。新風の前代表の魚谷哲央さんとは45年前からの付き合いです。魚谷氏は日学同、私は全国学協の活動家でした。

維新政党新風で挨拶する桜井さん

 2人の挨拶のあと、桜井さんと話をしました。「個人攻撃や中傷などはやらないで、フェアーに堂々と闘いましょう」とお互い、約束しました。これは嬉しかったですね。これも大きな事件です。「じゃ、記念に写真を…。やっぱりダメですか?」と恐る恐る聞いたら、「いいですよ」と言ってくれました。それで、この歴史的な写真になったわけです。
 会場にいた人も、この事件に、ドドドーッと駆け寄ってきて、写真を撮ってました。中には、「握手してくれませんか?」という人も。いくらなんでもそれは無理だろう、と思ったら、「いいですよ」と桜井さん。どっかの新聞か週刊誌に載るでしょう。

藤波心ちゃん、本間龍さんと(11/9)

⑨11月9日(金)恵比寿の「カフェパーク」。脱原発ロックの会で。藤波心ちゃんに本間龍さん(作家)を紹介しました。本間さんは、「来年1月、鈴木さんと対談して本を出します」と言ってました。そうですか。知らなかった。じゃ、今度は心ちゃんも入れて3人で本を作りましょうよ。

⑩11月14日(土)19:00より、中野ZERO大ホール。〈東京を変えるキックオフ集会。宇都宮けんじさんとともに。人にやさしい東京を!〉集会です。超満員。1500人以上が集まりました。急に決まって、数日で案内し、これだけ集まったそうです。ツイッターなどで集まったんですね。私も前日にメールをもらって、あわてて駆けつけました。

 この日は、6時まで文化放送があり、そのあと保坂展人さんの出版記念回に40分出て、そして、遅れて宇都宮さんの会に行きました。行ったらすぐ、「応援の挨拶をしろ!」と言われて、しました。宇都宮さんを先頭に、東京を変えようと思う人々で、満員。1階も2階も、立ってる人もいて、凄い熱気でした。壇上、左が宇都宮さん。次から次と応援の人が挨拶してました。

⑪休憩時間に、控え室で。左が宇都宮さん。雨宮さん、佐高さんもいます。

⑫舞台の袖で、控えている人々です。松元ヒロさん、佐高さん、上原さんなどがいます。

 

【お知らせ】

  1. 11月22日(木)午後7時半より、「ニコ生」に出ます。孫崎享さんと一緒です。
  2. 11月24日(土)午後5時から、ホテルサンルート高田馬場で野分祭が行われます。
    第1部は、三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼祭です。祭主は伊藤好雄(野分祭実行委員長)です。
    第2部は、記念講演。伊藤祐靖さん(元海自特別警備隊小隊長二等海佐)の「尖閣に上陸して見えたもの」。
    第3部は直会。
    玉串料2千円。
  3. 11月25日(日)午後2時、憂国忌。星陵会館。記念講演。川口マーン恵美、横山郁代、竹本忠雄他。
  4. 11月26日(月)午後1時〜4時10分。早稲田大学11号館913教室。
     公開座談会「美術・芸能・音楽と直面する歴史的現在」。パネラーは、内海信彦(画家)、立川談慶(落語家)、仲野茂(パンクロッカー、元アナーキーのボーカル)、福井紳一(早大アジア太平洋研究センター特別研究員)、鈴木邦男。
    (3.11以降、原発、領土問題、表現と社会などについて討論します)。
  5. 12月1日(土)新潟市で講演です。午前10時半より12時まで、新高教(新潟県高等学校教職員組合。日教組加盟組合)の教研集会で講演します。テーマは〈教育と「愛国」〉です。会場は、新潟ユニゾンプラザ中研修室です。
     本来は教職員の教研集会ですが、私の講演に限って、一般に公開するそうです。関心のある方は、いらして下さい。
  6. 12月3日(月)7時半、ロフトプラスワン。針谷大輔氏が、「右から考える脱原発」についての本を出します。その出版記念を兼ねて、「脱原発と総選挙」についてトークします。針谷氏を中心に、多くのゲストが出ます。私も出ます。
  7. 12月4日(火)山形市・大手門パルズ。午後6時から、佐高信さんと対談します。テーマは「右翼と左翼の交差点」です。
  8. 12月8日(土)10:00から映画上映「ガイサンシーとその姉妹たち」。上映後、11時20分より12時30分まで。班忠義監督と私のトーク。司会は山上徹二郎さん(シグロ)。渋谷のオーディトリウム渋谷です。
12/16(日)の「西宮ゼミ」 12/16(日)の「西宮ゼミ」
  1. 12月16日(日)「鈴木ゼミ」です。西宮です。午後2時から。神田香織さんの講談、そして2人でトークがあります。
  2. 12月24日(月・祝)午後1時、ネイキッドロフトで、佐川一政さん(作家)のトークライブがあります。私も聞きに行きます。
  3. 2月3日(日)午後2時、「鈴木ゼミ」です。西宮です。ゲストは、反貧困問題で活動されている湯浅誠さんです。
  4. 2月9日(土)「おしどり」えりすぐり、らくごカフェ。私も出ます。
  5. 2月11日(月)名古屋の教会で講演します。