2012/11/26 鈴木邦男

60年前の秋田から〈全て〉が始まった。

①「生態系が危うい」と朝日で喋ってる人がいた!

「朝日新聞」11/22付朝刊
「朝日新聞」11/22付朝刊

コンビニでスポーツ新聞を探していた。なんせ、昨日(21日)は横綱が2人とも負けちゃった。こんなことってあるのか。世も末だ、と思ってスポーツ新聞を買おうとしてたんだ。

その時、隣りにあった朝日新聞が目に付いた。題字の下に、〈今日の紙面〉という感じで、5つ位、見出しが並んでる。これが今日の超重要な記事ですよ、うちの主張ですよ、という事だ。

秋田・土崎のタワー「セリオン」 秋田・土崎のタワー「セリオン」

その中にあったんですよ。こんなのが…。

〈鈴木邦男さんに聞く「右」 19面〉

アッ、と思った。そうか。今日だったのか。私のインタビューが載る日は。

それにしても、こんなに大きく、それも題字の下に「目次」(予告)まで出ている。

「大江健三郎に聞く」とか、「村上春樹に聞く」だったら分かるし、読んでみようと思う。でも、こんな奴に聞いたって仕方ないだろう…と、私だって思ってしまう。

19面を開いた。デカイ!紙面全部だ。インタビューした高橋純子さんがリードを書いている。

私の疑問と同じことを皆、考えるんだろうな、と思って、こう言う。

「セリオン」展望室で 「セリオン」展望室で
〈「なんで右翼になんか話を聞くんだ」と憤慨しているアナタ。「左翼がまた鈴木邦男を利用している」と息巻いているアナタ〉

図星だ。皆、ドキッとしてるだろう。高橋さんは、そんな「アナタ」にさらに言います。

〈その何かにつけて「敵」と「味方」を二分する思考法が、この社会を閉塞させているのかもしれません。敵にも聞くべきところがあり、味方にも反省すべきところがあると言う鈴木さんだからこそ、話を聞きました〉

なるほど、うまいですね。ここに尽きてますね。

タイトルは「天敵いなくなった右」

〈軸が動き右翼増長。「生態系」が危うい。
左翼は理想を語れ〉

タイトルが挑発的ですね。私の写真のキャプションでは、こんな言葉も。

小3の絵日記。「ピストルごっこ」 小3の絵日記。「ピストルごっこ」
〈日本人は謙虚な民族。「弊社」「愚妻」にならって「弊国」「愚国」でいいんじゃないですか〉

これも凄いね。私が言ってるんだけど。「反日だ!」「非国民!」と言われかねない。

又、今、一時の勢いで改憲するのは反対だと言う。かえって、アメリカ追随の国になり、自衛隊を出すことになる。どんどん個人の自由もなくなる。

そして言うんですよ。

〈自由のない自主憲法よりは、自由のある占領憲法を!〉

究極の二者択一ですね。そんな断言、過激な言葉が躍ってますよ。

②「秋田」が私を作った

小学校3年の遠足です(昭和27年)
小学校3年の遠足です(昭和27年)
〈今は、政治が「大声コンテスト」になっている。
「スローガン政治はまるで街宣車だ」

異論を認め、ぶつけ合って進化を〉

…とも言ってます。

それから60年。同級生との再会 それから60年。同級生との再会

ともかく、日本の「生態系」の危うさを嘆く提言でした。

最後に、「そもそもなぜ右翼になったんですか」と聞かれ、「親孝行だったからです」と恥ずかし気もなく答えている。これは驚きですね。

何でも、母親が「生長の家」という宗教団体に入り、そこの集まりに中学生の頃から行かされた。みんな、いい人ばかりで、話が全部分かった。学校では左翼的な先生もいたが、「生長の家」では愛深く、日本の歴史を愛し、天皇の素晴らしさを教えてくれた。

どっちが正しいかを判断する以前に、生長の家の先生の方が優しくて好きだったから、そちらに傾倒しました。結局、人間にとって大きいのは、何を教えられたかよりも、誰に教えられたかです。

…と、言ってますね。要は〈人間〉なんですよ。そして、子供時代から高校まで、ずーっと東北で育った。そうした優しい、大らかな〈東北〉が私を育ててくれたんでしょう。

家の近くの「奇跡の一本松」 家の近くの「奇跡の一本松」

実は今週のテーマは〈秋田〉なんです。

写真も揃えて、さて秋田のことを書こうかと思ってた時に、「朝日」を見つけた。それで、初めに紹介したんだ。

私の中で「進歩」(そんなのねーよ。全て退歩だ、と言う人もいるが)が少しでもあるとすれば、それは「東北」が育ててくれた。

そして、「キリスト教」が育ててくれたと思う。

キリスト教については、2月に名古屋の教会に行った時に話をしよう。いや、キリスト教だけじゃなくて、勿論、「生長の家」の影響も大きいし、〈宗教〉そのものの影響と言っていいかもしれない。

私は、福島県郡山市で生まれた。だから「福島出身」と書かれることが多い。

又、仙台で長くいた。それで「仙台出身」と書かれることもある。

福島県が間違って、福岡県になることもある。

本当を言うと、ちょっと複雑だ。父親が税務署に勤めていたので、2年か3年で、転勤になる。だから、東北地方を転々とした。

福島県郡山市。会津若松市。福島市。青森県黒石市。秋田市。横手市。秋田県湯沢市。そして宮城県仙台市だ。

保戸野小学校を訪ねた 保戸野小学校を訪ねた

自分で物心ついて、覚えているのは横手からだ。そこで幼稚園と、小学校1年生の時にいた。小学2年、3年は秋田市の保戸野小学校だ。

小学4年から中学2年までの5年間は湯沢市にいた。ここが一番長い。だから湯沢中学の同窓会には呼んでもらっているし、よく出席している。

さらに、中学3年生は仙台で、高校も仙台だ。高校はミッションで、いろいろあったが、今は「和解」して、同窓会にも呼んでもらっている。

ただし、横手の小学校、秋田の小学校は、そこを去ってから、同級生と一度も会ってない。

横手は小一で、同級生の名前も覚えてない。その点、秋田は2年間いた。おぼろげに覚えている名前が4人いる。敬三君、勝君、ミチ子さん、せい子さんだ。でも探せない。

そうだ。敬三君は、市内でセトモノ屋をやっている店の子供だった。それだけの記憶から、地元の新聞記者に調べてもらった。

この辺に住んでいた この辺に住んでいた

その記者は、元東京にいて、「週刊SPA!」にいた。私の「夕刻のコペルニクス」の担当をしていた人だ。調査能力には定評がある。

彼は探し当てて、会ってくれた。しかし、敬三君、勝君も、私のことをよく覚えていない。彼らは1年から6年まで、ずっと同じクラスだったという。

その間に、何人かの転校生が入ってきて、出ていった。でも、印象にない。多分、名簿を見て、「ほう、そんな名前の人間が確かにいたな」と思い出したようだ。

他の同級生に聞くと、「あの、弱々しい奴じゃないの」「ほら、あのボーッとしてる奴だよ」と思い出す人がいる。

決定的なのは、「そうだ。頼りなくて、姉ちゃんが遠足に付き添ってきたぞ」「そうだ、そうだ。恥ずかしいよな」ということで、「鈴木少年」は特定されたようだ。

③自分で自分が分からない

これが小3の私です! これが小3の私です!

11月11日(日)、秋田の市会議員の倉田さんが呼んでくれて、北村肇さん(「週刊金曜日」発行人)と私の講演・対談があった。

夕方から集まりは始まる。私は昼に行って、まず3人の同級生と会った。面影があるような、ないような。なんせ60年ぶりに会うんだから、難しい。

「姉ちゃんが遠足に付いて来た」ことだけで皆、覚えているようだ。

変だな。私には記憶がない。そう言ったら、敬三君が、「これが証拠だ」と写真を出す。

だから、今回は、それをトップに紹介した。自分で自分が分からない。「これかな」と指さしたら、「違う」と言う。「これだ!」と教えてくれた。

アッ、確かに私だ。それにしても不思議だ。自分で自分が分からない。他人に教えてもらって初めて自分が分かる。シュールな話だ。(でも姉はすぐに分かった)。

北村肇さんとトーク(秋田市) 北村肇さんとトーク(秋田市)

それから、3人で保戸野小学校に行った。昔、住んでた鷹匠町にも行った。今は名前が変わって矢留町だ。

ウーン、この辺なんだが、…と探したが分からん。今度、又、探してみよう。

川の傍の2階建ての家で、春には2階から花見が出来た。そこに、お琴の大庭先生が教えに時々来て、うちの姉も習っていた。私もいたずらで、「サクラサクラ」を弾けるようになった。

このお琴の先生のご主人が、柔道、合気道の大家で大庭英雄先生だ。

ずっと後、私が早稲田に入ったら、大庭先生は早大合気道部の監督をやっていた。その縁で私も教えてもらうことになる。

今、3段だ。その後、サンボや柔道もやることになる。格闘技との最初の出会いは秋田なんだ。

トークの前に少し講演 トークの前に少し講演

それと、三島由紀夫に初めて会ったのも、小学3年生の時だ。「楯の会」の人だって、こんなに早く、三島と会ってる人はいない。

三島由紀夫原作の映画「夏子の冒険」を見たのだ。三島が原作を書いたとも知らずに…。

それと、母が「生長の家」に入ったのは、この秋田の地だ。伊藤先生と出会ったからだ。

その伊藤先生の息子は後、私が入っていた「生長の家学生道場」に入ってくる。そこへ、「楯の会」初代学生長の持丸博が遊びに来る。「目が輝いている青年だ。『楯の会』にほしい」と言われて、あげた。

④生長の家、楯の会、合気道、三島…もここから

倉田さん、北村さん、私 倉田さん、北村さん、私

この伊藤邦典は神奈川大学だ。そこで、古賀浩靖、小賀正義を「楯の会」に入れる。

この2人は、三島と共に1970年、市ヶ谷に行く。だから、秋田の地から始まるのだ。合気道も、学生運動も、三島事件も…。

今、思い出してみても、秋田の人々は優しい。横手、秋田、湯沢と、秋田県には計9年間、いた。だから、私は「秋田人」の要素が強い。

以前、立松和平さん(作家)の出版記念会で、秋田の人たちと会った。

私はつい聞いた。「秋田は日本一ですよね。自殺率が」と。

「とんでもない!」「データが嘘だ」と反論されると思った。

ところが、こう言うのだ。「そうなんです。秋田県人は皆、真面目だから、何があっても、他人のせいにしないんです。皆、自分で引き受けてしまうんです」と胸を張ったね。そうなのか。

それと小・中学校の全国一斉の学力テストでは1位だ。

終わって、打ち上げで 終わって、打ち上げで

でも、塩分を、塩辛いものを食べるせいか、脳卒中が多い。

最近新聞に出ていたが、NHKの視聴料を1番多く払っているのも秋田だ。人がいいし、真面目だ。真面目だから、「払わなくちゃ」と思うのだ。

それに、犯罪が日本で1番少ない。そういえば、「秋田生まれの殺人者」なんていない。皆真面目だ。

秋田には阿部勉氏もいる。一水会の副会長だった。伊藤邦典君も入っていて、一水会は「秋田人脈」で作ったようなものだ。

だから、〈全て〉は、この秋田の地で生まれた。

そうだ。忘れてはならん。おいしい米は穫れるし、食べ物はうまい。酒もうまい。キリタンポやしょっつるがある。それと秋田美人がいる。これが秋田第一の名物だ。

たとえば、60年前の私のクラス(3年桜組)を見たらいい。質素で素朴な中にも、キラリと輝く女の子がいる。この子たちが秋田美人になるのだ。

きりたんぽ きりたんぽ

子供の学力テストは日本一。皆、責任感が強くて、他人のせいにしない。だから、犯罪は日本で1番少ない。平和な町だ。そして秋田美人がいる。

これじゃ、〈ユートピア〉じゃないか。

私は、この会を主催してくれた倉田さんにそう言った。「そう思ってくれる人はなかなか、いなくて」「でも、脳卒中で死ぬ人が多いんです」。

ウーン、そうか。「じゃ、食事の塩分を減らす運動をしなくっちゃ」と私は言った。

「実際、長野はその運動をやって、寿命がグンと延びたんです」と言う。だったら、なおのこと、「減塩運動」をやったらいい。

江戸時代とか、その前なら、農家の人も、商家の人も、皆裸になって働いた。大量の汗をかいて、仕事をした。だから、塩も必要だった。

しかし、今はクーラーの効いたところで仕事をしている。もう、そんなに塩分は必要ない。だが、長年続いた「味覚」は変えられないのかもしれない。

でも、「早死」「自殺」の伝統は早く変えなくてはいかん。

そして、真面目な人が長生き出来る社会を作らなくてはならない。そう思った。

【だいありー】

「透明人間」の映画を見た 「透明人間」の映画を見た
  1. 11月19日(月)午前中、原稿。午後、取材。打ち合わせで銀座に。夜、柔道。
  2. 11月20日(火)昼、図書館。夜、本の打ち合わせで、飲む。仕事が重なっていて、バテたので、生ビールを2杯飲んだら、頭がガンガンした。ヤバイ。家に帰ってすぐ寝た。夜中4時に起きて、原稿を書いた。
  3. 11月21日(水)まだ頭が痛いし、眠い。午後3時、文化放送。「ニュース 本音と建前」は、『若者を殺すのは誰か』。これは城繁幸さんの本のタイトルだ。城さんを迎えて、世代間格差についての話を聞く。城さんは6年前、『若者はなぜ3年で会社を辞めるのか』を書き、大ベストセラーになった。この頃、私は大阪の「たかじん」で一緒に出た。そうか。「若者の就職問題は、即、日本の将来の問題だ」と思った。だから、今日、呼んでもらったのは嬉しい。

城さんは、「生涯を通じた純受益額」における世代間の格差について話す。又、「終身雇用が若者の未来を奪う」と言う。終身雇用なんて、世界中で、日本にしかない。又、歴史も浅い。1960年代終わりだという。これには驚いた。国家は、自分がやることを全て企業に丸投げした。だから、企業が〈国家〉になり、〈家〉の延長にもなった。「ここに入ったら、一生いるものだ」と思い、安心したのだ。これは奇異な現象だと言う。とても勉強になった。もう一度、城さんの本を全部読んでみよう。

三島由紀夫の「夏子の冒険」を見た! 三島由紀夫の「夏子の冒険」を見た!

「編集長は見た!」は、『週刊新潮』の塩見洋さん。「初めまして」と言ったら、「鈴木さんには10年前に取材で会ってます」。皆が、「赤報隊でしょう」。そうかな。「あの塩見さんとは親戚ですか?」「よく聞かれるが、無関係です」。うーん、迷惑してるのかもしれない。

今週の『週刊新潮』(11月29日号)の特集は、まず、

〈民主党「大量絶滅期」〉。
「集団自殺解散」というしかなく、今ある240議席のうち、150人前後の仲間が死ぬ可能性がある、と。
 野田総理は、「現実問題、120議席を取るのが目標だ」と本心を漏らしていた。

次の特集は、

〈物議を醸した新書『前田敦子はキリストを超えた』〉

これは、ちょっと、やり過ぎだろう。平岡正明の『山口百恵は菩薩である』を真似たのかもしれないが、日本の仏教や神道は寛容だ。しかし、他は違う。こんなことを書かれて怒るキリスト教関係者もいる。そうした人々への配慮がない。

そして、メインの特集は、

初代防衛大臣・久間章生さんと 初代防衛大臣・久間章生さんと
〈三島裁判記録の新資料発見〉。

なぜ、自衛隊や警察はすぐに突入し、鎮圧しなかったのか。三島に自殺の時間的余裕を与えたのではないか。中曽根氏や関係者の証言などから、その〈謎〉に迫る。随分と調べているし、これはぜひ1冊の本にすべきですよ、と私は言った。このあと、Wコロンの「隣りの芸人さん」。そしてUst延長戦。

それから、すぐタクシーで、キャピトル東急に。初代防衛大臣・久間章生さんの『安保戦略改造論』出版記念会懇談会に出た。久間さんとは久しぶりに話をした。しかし、人が多くて、ゆっくり話していられない。ロビーにまで人が溢れていた。

菅原文太さんと 菅原文太さんと
  1. 11月22日(木)仕事が進まなくて、朝まで原稿を書いていた。ほとんど寝てない。コンビニで「朝日新聞」を見て、ビックリ。こんなに大きく出てるとは…。午前中、打ち合わせ。午後、河合塾コスモ。先生や生徒に、「今日の朝日、凄いね」と皆に言われた。3時、「現代文要約」。5時、「読書ゼミ」。菅直人『東電福島原発事故。総理大臣として考えたこと』(幻冬舎新書)を読み、話をする。
     6時20分、早めに終わって、車で水道橋へ。ニコ生に出る。孫崎享さんと2人で、〈愛国心と領土問題〉。1時間以上、じっくり話をしました。「それにしても今日の朝日は凄いね」と孫崎さんは朝日を紹介しながら話す。外国には、領土問題で、冷静に話し合った例、解決出来た例もある。それを孫崎さんに聞いた。又、日本にとってアメリカとは何なのか、についても話し合った。
加藤登紀子さんと 加藤登紀子さんと
  1. 11月23日(金)昨夜もあまり寝てない。朝7時に家を出て、羽田へ。午前中、札幌に着く。出版社の人と打ち合わせ。仕事。
     そして4時半、札幌すみれホテル。原子修先生著『龍馬異聞〜秘め火』出版記念会に出る。なかなかの力作だ。原子先生には、一度お会いした。講演や、記念ステージがあり、その後、祝賀会。多くの人たちに会いました。
     遅くまで、飲み、泊まる。
  1. 11月24日(土)早朝の飛行機で帰る。午後1時、有楽町朝日ホール。第13回東京フィルメックス。この日、園子温監督の初期作の「BAD FILM」の上映を見る。
     16年前に、今の日本の状況を予言した映画だ。この時、私は園さんに一水会の街宣車を貸した。「外国人を叩き出せ!」と叫ぶ自警団の「街宣」に、本物だと思って、「入会したい」という若者が沢山いたという。確かに、それだけの迫力ある映画だ。終わって、園監督と少し話をして、高田馬場へ。ホテルサンルート。午後5時から、野分祭に出る。全国から多くの人たちが集まった。
中沢新一さんと 中沢新一さんと

第1部は三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼祭。祭主は伊藤好雄(野分祭実行委員長)。

第2部は記念講演。伊藤祐靖さん(元海自特別警備隊小隊長二等海佐)の「尖閣に上陸して見えたもの」。

第3部は直会。

  1. 11月25日(日)午前中、図書館。午後2時、憂国忌に行きました。星陵会館。川口マーン恵美さん、横山郁代さん、竹本忠雄さんなどの記念講演。若い人も多く来てました。
     又、昔の仲間とも会いました。懇親会にも出ました。

【写真説明】

小学校3年の遠足です(昭和27年)

①11月11日(日)、小学校3年の同級生と会いました。その時、遠足の写真をもらいました。確かに、姉がいます。「でも、オラは?」「左端かな?」「違うよ!」。自分で自分が探せない。
 教えてもらって、やっと分かりました。果たして、どの子でしょう。昭和27年(1952)6月3日。保戸野小学校3年の遠足で、八郎潟の傍の三倉花にバスで行ったそうです。

それから60年。同級生との再会

②同級生とは、それから一度も会ってません。新聞社の人に頼んで探してもらいました。左から、敬三君、邦男君、勝君、ミチ子ちゃん、みんな孫がいるそうです。4人共。

保戸野小学校を訪ねた

③母校の保戸野小学校を訪ねました。場所は同じですが、建て直したので、面影はありません。でも、傍の古い木が私を覚えていてくれました。

この辺に住んでいた

④私の家は鷹匠町にありました。鷹匠が住んでたんですね。今は名前が変わって「矢留町」です。どんどん、町名が古くなります。戦国時代です。「おめの家は、この辺にあったんだ」と同級生は言うのですが…。

家の近くの「奇跡の一本松」

⑤あっ!懐かしい!と思い出しました。一本松だけはありました。近所の家も道路も全部変わったのに、この一本松だけは変わりません。よく、登りました。60年前から同じです。「奇跡の一本松」と言われています。(私が、そう名付けました。これから、そう呼ばれるでしょう)。

これが小3の私です!

⑥「解答」は来週にしようと思いましたが…。私は、1番後ろの列の右から3人目。白いシャツを着て、ニコニコ笑っている少年です。しかし、その左隣りも同じ顔をしてますね。双子かもしれません。さらに左は担任の鎌田アエ子先生です。きれいな先生ですね。今、85才位で、ご健在だそうです。今度、会いに行きたいと思います。

北村肇さんとトーク(秋田市)

⑦11月11日(日)は昼、秋田市に着いて、同級生と会い、食事をし、学校や、私の家があった場所などを訪ねました。
 それから、5時半から、北村肇さん(『週刊金曜日』発行人)と対談をしました。市会議員の倉田芳浩さん主催の会で、多くの人が集まりました。午後5時半から、土崎港ベイパラダイス2階ドリームです。テーマは、「言いたいことは山ほどある。2012=愛国について」。2人で熱く語り合いました。

トークの前に少し講演

⑧対談の前に、2人が講演をし、そのあとトーク。そして、質疑応答でした。

倉田さん、北村さん、私

⑨主催者の倉田芳浩さん。「週刊金曜日」の北村肇さん。

終わって、打ち上げで

⑩終わって、打ち上げで。秋田の酒を飲み、秋田の料理を頂きました。秋田の酒を飲むのは60年ぶりです。おいしかったです。

きりたんぽ

⑪秋田名物「きりたんぽ」が出たので、写メしました。

秋田・土崎のタワー「セリオン」

⑫そうだ。この会場の向かいには、秋田名物の土崎タワー「セリオン」がある。100mです。昔はエレベーターで上るのは有料だったそうです。今は市営になって、無料です。何か申し訳ない気分でした。

「セリオン」展望室で

⑬その無料エレベーターで、最上階に登り、土崎の海を眺めました。

小3の絵日記。「ピストルごっこ」

⑭そうだ。小学校3年の時の絵日記も出て来ました。家の荷物の中から「発掘」されたのです。前にも紹介したかな。小3から荒れた子供でした。当時はオモチャのピストルでも火の出るのがあったんですね。リアルですね。
 「おもしろいので、ふみあきちゃんと弟を連れて来て、ピストルごっこをしてあそびました」と書かれている。恐ろしい。こんな子供は将来、何になるのでしょう。赤軍派か右翼でしょう。

「透明人間」の映画を見た

⑮映画「凸凹透明人間」を見たそうです。右が透明人間で、左は驚いている私ですね(違うか)。

三島由紀夫の「夏子の冒険」を見た!

⑯これは凄いですね。私の『遺魂』(無双舎)でも紹介しました。昭和27年1月6日です。何と、いとこのたけしちゃんと映画「夏子の冒険」を見たそうです。
 熊を撃つ青年の隣りにいるのが夏子です。その時は、知りませんでしたが、これは原作が三島由紀夫なんですね。小3で私は三島に出会っていたんだ。

菅原文太さんと

⑰11月14日(水)、保坂展人さん(世田谷区長)の出版記念会。京王プラザで。文化放送が終わってから駆けつけました。保坂さんが、『闘う区長』(集英社新書)を出したのです。
 もの凄い人でした。菅原文太さんも挨拶してました。その左は現代書館の菊地社長です。

加藤登紀子さんと

⑱11月17日(土)5時、日比谷・松本楼。〈藤本敏夫 没後10年を語る〜“土と平和の祭典”の前夜に〜〉
 藤本さんは全学連委員長でした。カッコいい人でした。奥さんの加藤登紀子さんと。

中沢新一さんと

⑲中沢新一さんが記念講演をしました。「今こそ農業の時代〜藤本敏夫から託された未来」。熱く語ってました。

初代防衛大臣・久間章生さんと

⑳11月21日(水)初代防衛大臣・久間章生さんの『安保戦略改造論』の出版記念懇親会に出ました。久しぶりにお会いしました。文化放送の後、駆けつけたので、途中から参加しました。キャピトルホテル東急です。
 超満員で、部屋に入りきれない人がロビーに溢れてました。山口敏夫さんなどに会いました。

「朝日新聞」11/22付朝刊

㉑「朝日新聞」11月22日(木)朝刊。19面「オピニオン」。
「天敵いなくなった右」
「軸が動き右翼増長。「生態系」危うい。
左翼は理想を語れ。
 こんなに大きく取り上げられるとは思いませんでした。驚きです。私なんかでいいのかなーと思いました。すみません。

【お知らせ】

  1. 11月26日(月)、今日発売の「週刊アエラ」(12月3日号)に原稿を書きました。山口正介さんの『江分利満家の崩壊』(新潮社)の書評です。凄い本でした。〈父・瞳が書けなかった母をめぐる壮絶な「ミステリー」〉と、本の帯には書かれています。山口瞳は好きで、よく読んでいたので、この本にはショックでした。
  2. 11月26日(月)午後1時〜4時10分。早稲田大学11号館913教室。
     公開座談会「美術・芸能・音楽と直面する歴史的現在」。パネラーは、内海信彦(画家)、立川談慶(落語家)、仲野茂(パンクロッカー、元アナーキーのボーカル)、福井紳一(早大アジア太平洋研究センター特別研究員)、鈴木邦男。
    (3.11以降、原発、領土問題、表現と社会などについて討論します)。
  3. 12月1日(土)新潟市で講演です。午前10時半より12時まで、新高教(新潟県高等学校教職員組合。日教組加盟組合)の教研集会で講演します。テーマは〈教育と「愛国」〉です。会場は、新潟ユニゾンプラザ中研修室です。
     本来は教職員の教研集会ですが、私の講演に限って、一般に公開するそうです。関心のある方は、いらして下さい。
  4. 12月3日(月)7時半、ロフトプラスワン。針谷大輔氏が、『右からの脱原発』(K&Kプレス)を出しました。その出版記念を兼ねて、「脱原発と総選挙」についてトークします。針谷氏を中心に、多くのゲストが出ます。私も出ます。
     針谷氏の他、ゲストの予定は。山崎行太郎氏、木村三浩氏、姫井由美子さん、久田将義氏、鈴木邦男です。
  5. 12月4日(火)山形市・大手門パルズ。午後6時から、佐高信さんと対談します。テーマは「右翼と左翼の交差点」です。
  6. 12月8日(土)10:00から映画上映「ガイサンシーとその姉妹たち」。上映後、11時20分より12時30分まで。班忠義監督と私のトーク。「従軍慰安婦」映画を通して考える。司会は山上徹二郎さん(シグロ)。渋谷のオーディトリウム渋谷です。
12/16(日)の「西宮ゼミ」 12/16(日)の「西宮ゼミ」
  1. 12月16日(日)「鈴木ゼミ」です。西宮です。午後2時から。神田香織さんの講談、そして2人でトークがあります。
  2. 12月18日(火)午後7時から。たんぽぽ舎講座で、「脱原発と右翼」について話します。
  3. 12月19日(水)一水会フォーラム。午後7時。ホテルサンルート高田馬場。講師、西鋭夫先生(スタンフォード大学教授)。「国民よ、日本のルネサンスを起こせ!」。
  4. 12月24日(月・祝)午後1時、ネイキッドロフトで、佐川一政さん(作家)のトークライブがあります。私も聞きに行きます。
  5. 2月3日(日)午後2時、「鈴木ゼミ」です。西宮です。ゲストは、反貧困問題で活動されている湯浅誠さんです。
  6. 2月9日(土)「おしどり」えりすぐり、らくごカフェ。私も出ます。
  7. 2月11日(月)午後1時より、名古屋。日本キリスト教団名古屋教会で講演します。テーマは、「私の宗教体験を通して−キリスト教を外から見れば—」です。一般の方も参加出来るそうですから、どうぞ。