コンビニでスポーツ新聞を探していた。なんせ、昨日(21日)は横綱が2人とも負けちゃった。こんなことってあるのか。世も末だ、と思ってスポーツ新聞を買おうとしてたんだ。
その時、隣りにあった朝日新聞が目に付いた。題字の下に、〈今日の紙面〉という感じで、5つ位、見出しが並んでる。これが今日の超重要な記事ですよ、うちの主張ですよ、という事だ。
その中にあったんですよ。こんなのが…。
〈鈴木邦男さんに聞く「右」 19面〉
アッ、と思った。そうか。今日だったのか。私のインタビューが載る日は。
それにしても、こんなに大きく、それも題字の下に「目次」(予告)まで出ている。
「大江健三郎に聞く」とか、「村上春樹に聞く」だったら分かるし、読んでみようと思う。でも、こんな奴に聞いたって仕方ないだろう…と、私だって思ってしまう。
19面を開いた。デカイ!紙面全部だ。インタビューした高橋純子さんがリードを書いている。
私の疑問と同じことを皆、考えるんだろうな、と思って、こう言う。
〈「なんで右翼になんか話を聞くんだ」と憤慨しているアナタ。「左翼がまた鈴木邦男を利用している」と息巻いているアナタ〉
図星だ。皆、ドキッとしてるだろう。高橋さんは、そんな「アナタ」にさらに言います。
〈その何かにつけて「敵」と「味方」を二分する思考法が、この社会を閉塞させているのかもしれません。敵にも聞くべきところがあり、味方にも反省すべきところがあると言う鈴木さんだからこそ、話を聞きました〉
なるほど、うまいですね。ここに尽きてますね。
タイトルは「天敵いなくなった右」
〈軸が動き右翼増長。「生態系」が危うい。
左翼は理想を語れ〉
タイトルが挑発的ですね。私の写真のキャプションでは、こんな言葉も。
〈日本人は謙虚な民族。「弊社」「愚妻」にならって「弊国」「愚国」でいいんじゃないですか〉
これも凄いね。私が言ってるんだけど。「反日だ!」「非国民!」と言われかねない。
又、今、一時の勢いで改憲するのは反対だと言う。かえって、アメリカ追随の国になり、自衛隊を出すことになる。どんどん個人の自由もなくなる。
そして言うんですよ。
〈自由のない自主憲法よりは、自由のある占領憲法を!〉
究極の二者択一ですね。そんな断言、過激な言葉が躍ってますよ。
〈今は、政治が「大声コンテスト」になっている。
「スローガン政治はまるで街宣車だ」 異論を認め、ぶつけ合って進化を〉
…とも言ってます。
ともかく、日本の「生態系」の危うさを嘆く提言でした。
最後に、「そもそもなぜ右翼になったんですか」と聞かれ、「親孝行だったからです」と恥ずかし気もなく答えている。これは驚きですね。
何でも、母親が「生長の家」という宗教団体に入り、そこの集まりに中学生の頃から行かされた。みんな、いい人ばかりで、話が全部分かった。学校では左翼的な先生もいたが、「生長の家」では愛深く、日本の歴史を愛し、天皇の素晴らしさを教えてくれた。
どっちが正しいかを判断する以前に、生長の家の先生の方が優しくて好きだったから、そちらに傾倒しました。結局、人間にとって大きいのは、何を教えられたかよりも、誰に教えられたかです。
…と、言ってますね。要は〈人間〉なんですよ。そして、子供時代から高校まで、ずーっと東北で育った。そうした優しい、大らかな〈東北〉が私を育ててくれたんでしょう。
実は今週のテーマは〈秋田〉なんです。
写真も揃えて、さて秋田のことを書こうかと思ってた時に、「朝日」を見つけた。それで、初めに紹介したんだ。
私の中で「進歩」(そんなのねーよ。全て退歩だ、と言う人もいるが)が少しでもあるとすれば、それは「東北」が育ててくれた。
そして、「キリスト教」が育ててくれたと思う。
キリスト教については、2月に名古屋の教会に行った時に話をしよう。いや、キリスト教だけじゃなくて、勿論、「生長の家」の影響も大きいし、〈宗教〉そのものの影響と言っていいかもしれない。
私は、福島県郡山市で生まれた。だから「福島出身」と書かれることが多い。
又、仙台で長くいた。それで「仙台出身」と書かれることもある。
福島県が間違って、福岡県になることもある。
本当を言うと、ちょっと複雑だ。父親が税務署に勤めていたので、2年か3年で、転勤になる。だから、東北地方を転々とした。
福島県郡山市。会津若松市。福島市。青森県黒石市。秋田市。横手市。秋田県湯沢市。そして宮城県仙台市だ。
自分で物心ついて、覚えているのは横手からだ。そこで幼稚園と、小学校1年生の時にいた。小学2年、3年は秋田市の保戸野小学校だ。
小学4年から中学2年までの5年間は湯沢市にいた。ここが一番長い。だから湯沢中学の同窓会には呼んでもらっているし、よく出席している。
さらに、中学3年生は仙台で、高校も仙台だ。高校はミッションで、いろいろあったが、今は「和解」して、同窓会にも呼んでもらっている。
ただし、横手の小学校、秋田の小学校は、そこを去ってから、同級生と一度も会ってない。
横手は小一で、同級生の名前も覚えてない。その点、秋田は2年間いた。おぼろげに覚えている名前が4人いる。敬三君、勝君、ミチ子さん、せい子さんだ。でも探せない。
そうだ。敬三君は、市内でセトモノ屋をやっている店の子供だった。それだけの記憶から、地元の新聞記者に調べてもらった。
その記者は、元東京にいて、「週刊SPA!」にいた。私の「夕刻のコペルニクス」の担当をしていた人だ。調査能力には定評がある。
彼は探し当てて、会ってくれた。しかし、敬三君、勝君も、私のことをよく覚えていない。彼らは1年から6年まで、ずっと同じクラスだったという。
その間に、何人かの転校生が入ってきて、出ていった。でも、印象にない。多分、名簿を見て、「ほう、そんな名前の人間が確かにいたな」と思い出したようだ。
他の同級生に聞くと、「あの、弱々しい奴じゃないの」「ほら、あのボーッとしてる奴だよ」と思い出す人がいる。
決定的なのは、「そうだ。頼りなくて、姉ちゃんが遠足に付き添ってきたぞ」「そうだ、そうだ。恥ずかしいよな」ということで、「鈴木少年」は特定されたようだ。
11月11日(日)、秋田の市会議員の倉田さんが呼んでくれて、北村肇さん(「週刊金曜日」発行人)と私の講演・対談があった。
夕方から集まりは始まる。私は昼に行って、まず3人の同級生と会った。面影があるような、ないような。なんせ60年ぶりに会うんだから、難しい。
「姉ちゃんが遠足に付いて来た」ことだけで皆、覚えているようだ。
変だな。私には記憶がない。そう言ったら、敬三君が、「これが証拠だ」と写真を出す。
だから、今回は、それをトップに紹介した。自分で自分が分からない。「これかな」と指さしたら、「違う」と言う。「これだ!」と教えてくれた。
アッ、確かに私だ。それにしても不思議だ。自分で自分が分からない。他人に教えてもらって初めて自分が分かる。シュールな話だ。(でも姉はすぐに分かった)。
それから、3人で保戸野小学校に行った。昔、住んでた鷹匠町にも行った。今は名前が変わって矢留町だ。
ウーン、この辺なんだが、…と探したが分からん。今度、又、探してみよう。
川の傍の2階建ての家で、春には2階から花見が出来た。そこに、お琴の大庭先生が教えに時々来て、うちの姉も習っていた。私もいたずらで、「サクラサクラ」を弾けるようになった。
このお琴の先生のご主人が、柔道、合気道の大家で大庭英雄先生だ。
ずっと後、私が早稲田に入ったら、大庭先生は早大合気道部の監督をやっていた。その縁で私も教えてもらうことになる。
今、3段だ。その後、サンボや柔道もやることになる。格闘技との最初の出会いは秋田なんだ。
それと、三島由紀夫に初めて会ったのも、小学3年生の時だ。「楯の会」の人だって、こんなに早く、三島と会ってる人はいない。
三島由紀夫原作の映画「夏子の冒険」を見たのだ。三島が原作を書いたとも知らずに…。
それと、母が「生長の家」に入ったのは、この秋田の地だ。伊藤先生と出会ったからだ。
その伊藤先生の息子は後、私が入っていた「生長の家学生道場」に入ってくる。そこへ、「楯の会」初代学生長の持丸博が遊びに来る。「目が輝いている青年だ。『楯の会』にほしい」と言われて、あげた。
この伊藤邦典は神奈川大学だ。そこで、古賀浩靖、小賀正義を「楯の会」に入れる。
この2人は、三島と共に1970年、市ヶ谷に行く。だから、秋田の地から始まるのだ。合気道も、学生運動も、三島事件も…。
今、思い出してみても、秋田の人々は優しい。横手、秋田、湯沢と、秋田県には計9年間、いた。だから、私は「秋田人」の要素が強い。
以前、立松和平さん(作家)の出版記念会で、秋田の人たちと会った。
私はつい聞いた。「秋田は日本一ですよね。自殺率が」と。
「とんでもない!」「データが嘘だ」と反論されると思った。
ところが、こう言うのだ。「そうなんです。秋田県人は皆、真面目だから、何があっても、他人のせいにしないんです。皆、自分で引き受けてしまうんです」と胸を張ったね。そうなのか。
それと小・中学校の全国一斉の学力テストでは1位だ。
でも、塩分を、塩辛いものを食べるせいか、脳卒中が多い。
最近新聞に出ていたが、NHKの視聴料を1番多く払っているのも秋田だ。人がいいし、真面目だ。真面目だから、「払わなくちゃ」と思うのだ。
それに、犯罪が日本で1番少ない。そういえば、「秋田生まれの殺人者」なんていない。皆真面目だ。
秋田には阿部勉氏もいる。一水会の副会長だった。伊藤邦典君も入っていて、一水会は「秋田人脈」で作ったようなものだ。
だから、〈全て〉は、この秋田の地で生まれた。
そうだ。忘れてはならん。おいしい米は穫れるし、食べ物はうまい。酒もうまい。キリタンポやしょっつるがある。それと秋田美人がいる。これが秋田第一の名物だ。
たとえば、60年前の私のクラス(3年桜組)を見たらいい。質素で素朴な中にも、キラリと輝く女の子がいる。この子たちが秋田美人になるのだ。
子供の学力テストは日本一。皆、責任感が強くて、他人のせいにしない。だから、犯罪は日本で1番少ない。平和な町だ。そして秋田美人がいる。
これじゃ、〈ユートピア〉じゃないか。
私は、この会を主催してくれた倉田さんにそう言った。「そう思ってくれる人はなかなか、いなくて」「でも、脳卒中で死ぬ人が多いんです」。
ウーン、そうか。「じゃ、食事の塩分を減らす運動をしなくっちゃ」と私は言った。
「実際、長野はその運動をやって、寿命がグンと延びたんです」と言う。だったら、なおのこと、「減塩運動」をやったらいい。
江戸時代とか、その前なら、農家の人も、商家の人も、皆裸になって働いた。大量の汗をかいて、仕事をした。だから、塩も必要だった。
しかし、今はクーラーの効いたところで仕事をしている。もう、そんなに塩分は必要ない。だが、長年続いた「味覚」は変えられないのかもしれない。
でも、「早死」「自殺」の伝統は早く変えなくてはいかん。
そして、真面目な人が長生き出来る社会を作らなくてはならない。そう思った。
城さんは、「生涯を通じた純受益額」における世代間の格差について話す。又、「終身雇用が若者の未来を奪う」と言う。終身雇用なんて、世界中で、日本にしかない。又、歴史も浅い。1960年代終わりだという。これには驚いた。国家は、自分がやることを全て企業に丸投げした。だから、企業が〈国家〉になり、〈家〉の延長にもなった。「ここに入ったら、一生いるものだ」と思い、安心したのだ。これは奇異な現象だと言う。とても勉強になった。もう一度、城さんの本を全部読んでみよう。
「編集長は見た!」は、『週刊新潮』の塩見洋さん。「初めまして」と言ったら、「鈴木さんには10年前に取材で会ってます」。皆が、「赤報隊でしょう」。そうかな。「あの塩見さんとは親戚ですか?」「よく聞かれるが、無関係です」。うーん、迷惑してるのかもしれない。
今週の『週刊新潮』(11月29日号)の特集は、まず、
〈民主党「大量絶滅期」〉。
「集団自殺解散」というしかなく、今ある240議席のうち、150人前後の仲間が死ぬ可能性がある、と。
野田総理は、「現実問題、120議席を取るのが目標だ」と本心を漏らしていた。
次の特集は、
〈物議を醸した新書『前田敦子はキリストを超えた』〉
これは、ちょっと、やり過ぎだろう。平岡正明の『山口百恵は菩薩である』を真似たのかもしれないが、日本の仏教や神道は寛容だ。しかし、他は違う。こんなことを書かれて怒るキリスト教関係者もいる。そうした人々への配慮がない。
そして、メインの特集は、
〈三島裁判記録の新資料発見〉。
なぜ、自衛隊や警察はすぐに突入し、鎮圧しなかったのか。三島に自殺の時間的余裕を与えたのではないか。中曽根氏や関係者の証言などから、その〈謎〉に迫る。随分と調べているし、これはぜひ1冊の本にすべきですよ、と私は言った。このあと、Wコロンの「隣りの芸人さん」。そしてUst延長戦。
それから、すぐタクシーで、キャピトル東急に。初代防衛大臣・久間章生さんの『安保戦略改造論』出版記念会懇談会に出た。久間さんとは久しぶりに話をした。しかし、人が多くて、ゆっくり話していられない。ロビーにまで人が溢れていた。
第1部は三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼祭。祭主は伊藤好雄(野分祭実行委員長)。
第2部は記念講演。伊藤祐靖さん(元海自特別警備隊小隊長二等海佐)の「尖閣に上陸して見えたもの」。
第3部は直会。
①11月11日(日)、小学校3年の同級生と会いました。その時、遠足の写真をもらいました。確かに、姉がいます。「でも、オラは?」「左端かな?」「違うよ!」。自分で自分が探せない。
教えてもらって、やっと分かりました。果たして、どの子でしょう。昭和27年(1952)6月3日。保戸野小学校3年の遠足で、八郎潟の傍の三倉花にバスで行ったそうです。
⑤あっ!懐かしい!と思い出しました。一本松だけはありました。近所の家も道路も全部変わったのに、この一本松だけは変わりません。よく、登りました。60年前から同じです。「奇跡の一本松」と言われています。(私が、そう名付けました。これから、そう呼ばれるでしょう)。
⑥「解答」は来週にしようと思いましたが…。私は、1番後ろの列の右から3人目。白いシャツを着て、ニコニコ笑っている少年です。しかし、その左隣りも同じ顔をしてますね。双子かもしれません。さらに左は担任の鎌田アエ子先生です。きれいな先生ですね。今、85才位で、ご健在だそうです。今度、会いに行きたいと思います。
⑦11月11日(日)は昼、秋田市に着いて、同級生と会い、食事をし、学校や、私の家があった場所などを訪ねました。
それから、5時半から、北村肇さん(『週刊金曜日』発行人)と対談をしました。市会議員の倉田芳浩さん主催の会で、多くの人が集まりました。午後5時半から、土崎港ベイパラダイス2階ドリームです。テーマは、「言いたいことは山ほどある。2012=愛国について」。2人で熱く語り合いました。
⑭そうだ。小学校3年の時の絵日記も出て来ました。家の荷物の中から「発掘」されたのです。前にも紹介したかな。小3から荒れた子供でした。当時はオモチャのピストルでも火の出るのがあったんですね。リアルですね。
「おもしろいので、ふみあきちゃんと弟を連れて来て、ピストルごっこをしてあそびました」と書かれている。恐ろしい。こんな子供は将来、何になるのでしょう。赤軍派か右翼でしょう。
⑯これは凄いですね。私の『遺魂』(無双舎)でも紹介しました。昭和27年1月6日です。何と、いとこのたけしちゃんと映画「夏子の冒険」を見たそうです。
熊を撃つ青年の隣りにいるのが夏子です。その時は、知りませんでしたが、これは原作が三島由紀夫なんですね。小3で私は三島に出会っていたんだ。
⑰11月14日(水)、保坂展人さん(世田谷区長)の出版記念会。京王プラザで。文化放送が終わってから駆けつけました。保坂さんが、『闘う区長』(集英社新書)を出したのです。
もの凄い人でした。菅原文太さんも挨拶してました。その左は現代書館の菊地社長です。
⑳11月21日(水)初代防衛大臣・久間章生さんの『安保戦略改造論』の出版記念懇親会に出ました。久しぶりにお会いしました。文化放送の後、駆けつけたので、途中から参加しました。キャピトルホテル東急です。
超満員で、部屋に入りきれない人がロビーに溢れてました。山口敏夫さんなどに会いました。
㉑「朝日新聞」11月22日(木)朝刊。19面「オピニオン」。
「天敵いなくなった右」
「軸が動き右翼増長。「生態系」危うい。
左翼は理想を語れ。
こんなに大きく取り上げられるとは思いませんでした。驚きです。私なんかでいいのかなーと思いました。すみません。