三島由紀夫・森田必勝両氏は生きている。 生きてこの日本を動かしている。そう思った。
あの事件から42年だ。でも、今も三島本は続々と出版されている。単行本、新書…と。
週刊誌では、三島裁判の新資料が発見されたと出ていた。
若松孝二監督の「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」が絶讃上映され、話題になった。
しかし、若松監督の突然の死。
そんな中で、11月24日(土)は野分祭が行われ、25日(日)は憂国忌が行われた。私は両方参列した。
どちらも、厳粛な中にも、あの事件を考え、これからの日本を考える、内容の濃い集会になっていた。
そして、「11.25自決の日」で森田必勝役をやった満島真之介さんが「第37回報知映画賞」で、新人賞をとった。
「スポーツ報知」(11月27日)に大々的に出ていたし、満島さんの言葉も出ていたので、まず、これから紹介しよう。
この新人賞は2009年にお姉さんの満島ひかりさんも受賞しており、新人賞初の姉弟受賞だ。
満島真之介さんは、受賞して、真っ先に、若松孝二監督のことを思ったと、こう語っている。
〈自分自身が、というよりも監督への思いしかなかった。一番の恩返しになった。どこかで『バカ野郎、これで甘えるな』『この賞に満足せず、もっと頑張れ』と言ってくれているような気がする。監督が背中を押してくれたのかな〉
この「スポーツ報知」には、満島さんが、森田必勝氏の実家を訪ね、お兄さんに会ってきた話も紹介している。
〈撮影前、森田氏について知りたい一心で、三重県四日市市の生家にアポなしで出向き、運良く実兄の治氏と対面。墓参りもした。「門の前に立つと、神聖な空気が流れていた。魂が入り込むような不思議な感覚。『絶対にやり遂げなきゃいけない』と強く思った」〉
こんな覚悟と感覚があったからだろう。森田治氏は初対面の満島さんを見て、「弟(必勝氏)が帰ってきた!」と思った。
これは、治氏から直接、私が聞いた。今、必勝氏が生きていたら、60才以上だ。それなのに、23才の満島さんを見て、「弟が!」と思ったのだ。
9月30日に私が治さんに会った時は、「いつまで経っても弟は25才のままです」と言っていた。
しかし、今まで、必勝氏を慕う多くの若者たちが生家を訪れてきた。「1年に2、3人はいる」という。あの事件から42年だ。
そうすると、100人以上の若者が直接訪ねてきたことになる。だが、その若者たちを見ても、「弟が!」とは思わない。満島さんを見た時だけ、「弟が帰ってきた!」と思い、立ちすくんだのだ。
それだけ満島さんの覚悟、雰囲気が違っていたのだろう。
必勝氏のお墓参りをした後に訪ねた。だから、「必勝氏が付いてきたんじゃないの」と若松監督は言っていた。それは『千年の愉楽』(来年3月公開)の試写会で若松監督、満島さんと会った時に言ってたのだ。
さて、その若松監督についてだが、『11.25自決の日』では、徹底的にシゴかれたという。
「スポーツ報知」では。
〈映画デビュー作の撮影現場は地獄だった。「辞めちまえ」「幼稚園の学芸会じゃねえ」「オマエの表情じゃなく心を見たいんだ」。愛のムチとわかっていても、若松監督から浴びせられる容赦ない罵声と怒号。ギリギリの精神状態で「何くそ、この野郎」の反抗心を支えにした。「どんなことを言われても、はいつくばってでも食らい付きたい一心。監督だって満身創痍。だからこそ、自決シーンは力のある映像になったと思う」と胸を張った〉
私も見たが、本当に凄かった。「現場」にいたわけではないが、撮影現場を撮ったメーキング・ビデオを見たからだ。
阿佐ヶ谷ロフトで若松監督追悼イベントの時に流された。その前にも何回か見た。若松監督も、そこまで言うのか!と驚いた。
それに撮影現場では、三島役の井浦新さん、森田役の満島さん、2人とも真剣を持っている。
あそこまで監督に怒鳴られたら、私なら、カーッとなって、監督に斬りかかっていっただろう。
それなのに、満島さんは耐えた。ひたすら耐えて頑張った。
そして三島役の井浦さんが、満島さんを慰めている。「おっ、三島さんが森田氏を慰めている」と思った。
地獄の撮影を経て、「新人賞」を獲得したんだ。本当に、おめでとうございました、よかったですね。お姉さんのひかりさんも同じ23才で受賞した。「感慨深いです」と言い、2人で喜びを分かち合ったそうだ。
さらにこう言っている。
〈「想像を超えた場所に足を踏み入れた感覚。嬉しいけど、怖さもある。責任感を持ち、地に足を着けて前に進んでいきたい」
もう1人、若松監督に救われた俳優がいた。山本太郎さんだ。「アエラ」(12月3日号)の「現代の肖像」に山本さんがでてる。とてもいい記事だ。
〈3.11を境に彼ほど人生が変わった俳優もいないのではないか〉
と。
この記事を書いた岩切徹氏は言っている。
原発反対と声を上げただけで、あっという間にテレビから「消され」た。収入は一気に落ちる。
しかし、山本さんは負けない。又、いろんな人々が救いの手を差し伸べる。
美輪明宏が舞台「椿姫」に起用してくれた。又、李鳳宇(リボンウ)プロデューサーから声が掛かり、「EDEN」で主役に。
そして、若松孝二監督の遺作『千年の愉楽』にも出ている。私も試写会を見たが、ワンシーンながら好演していた。山本太郎さんの存在感があった。
それに、あの厳しい、怖い若松監督にしては珍しく、山本さんに対しては「優しかった」という。
山本さんを出すために、特別に「役」を作り、又、わざわざ、東京で撮影してくれたという。
三重県の遠いところで撮影してたが、そこまでは行けない。脱原発運動で忙しいからだ。
普通なら、「じゃ、いらない」と言うだろう。「来れないのなら、出なくていい」と言うだろう。
ところが、特別に、「じゃ、東京で、そのシーンを撮影しよう」となった。
若松監督にしては珍しい。今までないことだ。
それだけ山本さんを買っていたし、「この男はいい」と見込んでいたのだ。これは監督からも聞いたから、本当だ。
「アエラ」には、若松監督の発言も紹介されている。
〈生前の若松は山本についてこう語ってくれた。「テレビに出られなくなるのがわかっても活動やってるわけで、ぼくはそういう人が好きなんです。もっとみんな自由にしゃべればいいのにね。ひどいもんだ。彼は役者としても素晴らしい。頭がいい人ですよ」。自分のポジションがわかってる?「うん、ちゃんとそういう社会情勢とかわかってる。でなかったらオレの映画になんか出ますか」〉
いいですね。若松監督に期待され、励まされた2人だ。満島真之介さん、山本太郎さん。これからも頑張って下さい。
そうだ。今週は野分祭と憂国忌のことを書こうと思っていたのだ。
今年は、私は、両方、出ました。厳粛な、そして、身の引き締まる式であり、記念講演でした。
あの事件から42年が経ちますが、2人は忘れられていない。むしろ、ますます思い出されている。
追悼だけでなく、本が沢山出てるし、今でも「新発見」がある。日本を動かしている。
11月24日(土)の野分祭では、伊藤祐靖さんが記念講演をしてくれた。伊藤さんは元海自特別警備隊小隊長二等海佐だ。演題は『尖閣に上陸して見えたもの』。
とてもいい話でした。これは次号の「レコンキスタ」に載るでしょうから、読んでほしい。
尖閣上陸もそうだが、かつて自衛官だった時に、北朝鮮の船を追いかけた時の話も衝撃的だった。
必死で追いかける。向こうは逃げる。
ところがエンジントラブルで向こうは停止した。乗り込んで調べなくてはならない。
向こうも必死の抵抗をするだろう。銃撃戦になり、こちらにも必ず死者は出る。
それで、10分間与えて、皆に遺書を書かせた。そして、乗り込むのだ。
10分後、招集したら、皆の顔が全く変わっていた。全然違う。かつて特攻に行った青年たちもこんな顔だったんだろうと思った。
…こうした話は、全く知られてない。凄い話を聞いた。
(幸か不幸か、エンジントラブルが直り、北朝鮮の船は懸命に逃げ出し、領海外に逃げ切った。それで、「戦闘」はなかったが)。
この日は、伊藤好雄氏、田村司氏、伊藤邦典氏、篠原裕氏などの元「楯の会」の人たちもいたし、右派学生運動出身者も多い。
又、12月にブラジル帰国を控えた笹井宏次朗氏も来てくれた。
直会では、そうした人々から、昔の学生運動や、一水会創設期の話を語ってもらった。
笹井氏は、「レコンキスタ」の初期の頃、編集長をやってくれた。
もう35年ほど前だ。「レコンキスタ」編集人の笹井氏が、発行人の私のアパート(当時も、みやま荘だった)に来て、朝までかかって、割り付けをした。私が横で、原稿のリライトをしたり、行数の計算をしたりした。
その後、笹井氏は大望を抱いてブラジルに渡り、結婚。向こうで子供もいる。
そして、最近、日本に帰り、国体学会の仕事をしていたが、12月上旬に帰国することになった。
息子さんはとても優秀で、将来は、「ぜひブラジルの大統領にしたい」と言っている。私も選挙応援で行かなくっちゃ。
翌11月25日(日)は憂国忌に行った。ここでも昔の運動仲間と会った。元日学同委員長・斉藤英俊氏、「日本学生新聞」編集長の宮崎正弘氏などだ。懐かしい。
今も、ずっと「憂国忌」を続けてやっている。九段会館でやっていたが、3.11の大地震でホールが壊れ、使えない。
それで永田町にある星陵会館で行われた。超満員だった。
特別講演も素晴らしかった。「第1部」は、2人。
川口・マーン恵美さん(在独作家)が、「三島由紀夫とワグナー。芸術と政治的思想、あるいは愛と死」。
なかなか、深い話だった。三島が好きなワグナー。映画「憂国」のバックは、ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」だ。
なぜ、その曲だったのか。2人の共通点、そして相違点などについて詳しく話してくれた。
もう1人、横山郁代さん(ジャズボーカリスト)の講演で、「三島由紀夫の来た夏」。
横山さんは下田で三代続く老舗の洋菓子店とレストランを経営している。
三島は毎年、夏に下田に来ていた。その時の三島の意外な素顔が紹介されている。
横山さんは、東京でも一度、リサイタルをやったことがあり、私も聴きに行った。
今回の講演の後も、いろんな話をした。「ぜひ下田に来て下さい。一緒に対談しましょう」と言われた。
いいですね。三島の泊まったホテルに泊まり、三島の食べたマドレーヌを食べて、横山さんと対談する。ぜひ、やってみたい。
憂国忌の第2部は、竹本忠雄さん(筑波大学名誉教授)の講演だ。
〈『三島は、日本です!』(モーリス・ベジャール)—世界に向けて発せられたその死と美のイメージ〉
とてもいい話でした。私は新潮社の『決定版・三島由紀夫全集』を読破したし、三島については、かなり知ってると思っていた。
ところが、講師の3氏に比べたら、何も知らなかったんだと痛感した。3人の本も読んで、もっともっと勉強しなくてはと思った。
終わってから、懇親会があったので、そこにも参加し、川口さん、横山さん、竹本さんに、いろいろと話を聞きました。
又、昔の右派学生運動仲間とも、話し合いました。
斉藤、宮崎氏とは、45年前の学生運動時代の話になります。
「あの頃は毎日、全共闘と殴り合いをしてたな。懐かしいよな」
「そうだね。最近、人を殴ってないからな」
「又、殴りたいなー」と物騒な話になりました。
「鈴木さんは、口下手だから、左翼に論破されると、すぐに殴りましたね」「そうそう。ただの暴力学生でしたよ」…と。
あの頃は、毎日が闘いの日々で、生き生きしてたよな。いい時代だった。
学内じゃ、何をやっても許された。斉藤氏なんて、よく「誤爆」して一般学生を殴っていた。
抗議されると、「ウルセー、左翼みたいな顔してるのが悪い」と言い返す。
「ほら、今、左を見ただろう。だから左翼だ」と言って、又、殴る。それで済んだ。
明るく、殴り合い、明るく闘っていた時代だった。
今年は、野分祭と憂国忌、両方出ました。又、森田必勝氏のお墓参りにも行ったし。
若松監督が亡くなられたのは残念ですが、若松監督の「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」は全国で上映され、多くの人が見てくれました。
11月はいつも、42年前の事件を思い出します。そして、こんなことでいいのか、と自己嫌悪にかられます。
〈日本〉そのものが、11月25日に、疚しさを感じているでしょう。そんな気がします。
〈美術・芸能・音楽と直面する歴史的現在〉
パネラーは、内海信彦さん(画家)、立川談慶さん(落語家)、仲野茂さん(パンクロッカー、元アナーキーのボーカル)、福井紳一さん(早大アジア太平洋研究センター特別研究員)、そして私。
難しい話も出ました。必死に付いて行きました。会場も満員。活発な質問も出ました。昔、一水会の勉強会に来ていた女性もいました。今は「息子が受験生で、予備校で今回のチラシをもらったので来ました」。嬉しいですね。
終わって、高田馬場で打ち上げ。飲みました。
この日、「アエラ」(12月30日号)発売。山口正介『江分利満家の崩壊』(新潮社)の書評を私が書いてます。「現代の肖像」は山本太郎さんです。いいですね。それと、今週の特集は「右傾化する女子」。凄いです!内容が濃いです。
石原、橋下などの「右」といわれる政治家について語った。又、今週の「アエラ」は「右傾化する女子の正義」。特に、外国人参政権や夫婦別姓に反対する愛国・護国団体の「花時計」についても書いている。会員450人のうち、6割以上が女性。震災や出産、民主党政権への不信から入会する女性が多いという。昔は女性は、「平和」「反戦」のシンボルだった。「子どものためにも、9条を守り、戦争に反対しましょう」と言っていた。今は、「子どものためにも、強い日本を!」と叫んでいる。
ここで、寺ちゃんが、私が先週末に「朝日新聞」で喋った記事を紹介する。「天敵がいなくなった右」「生態系が崩れた」…と。
日本人は元々、謙虚な民族なんだから、「弊社」「愚息」にならって、「弊国」「愚国」と言えばいい。
…と、凄いことを言っている。
「改憲しろ!」という政党が多いけど、私は反対ですね。一時の勢いで、改憲したら危ない。占領中に押しつけられた憲法だが、変えるのなら、5年位かけて、じっくり検討したらいい。今、変えたら、「軍隊にしろ!」「防衛力を倍増しろ!」「アメリカを助け、世界中どこでも軍隊を出せ!」「国のためには個人の自由を制限しても構わない」「若者はだらしないから、徴兵制を敷け」…と、どんどんエスカレートする。たまらないですよ。だから、私は言ってる。
〈自由のない 自主憲法よりは、
自由のある 占領憲法を〉
…と。
次のコーナーは、「編集長は見た!」。「クーリエ・ジャポン」編集長の富倉由樹夫さん。今回(1月号)は7周年記念。その特集は、
〈世界から「仕事」が消えてゆく〉。
グローバル化の進展やテクノロジーの発展により、構造的に雇用が少なくなっている。コンピューターや、ロボットが主役になり、人間はそれをチェックするだけ。あるいは、それらに使われている。そんな時代になりつつある。そして、テクノロジーが仕事を変える。グローバル化とテクノロジーは高度なスキルを持つ労働者の需要を大幅に増やし、彼らの賃金を底上げする一方で、スキルの低い労働者の需要が減少している。格差は、どんどん開く。
又、従来型のロボットと違い、人間並みに仕事が出来る「バクスター」が出来ている。派遣社員のように使える。もう、こうなると人間の〈仕事〉はなくなる。思想運動や市民運動も変わるだろうな、と私は思いました。チラシを配り、ビラを貼るのもロボット、デモに出て、叫ぶのもロボット。「彼ら」で十分、出来るんだ。そうなると、取り締まる警察官もロボットだ。背後に控えた、〈思想〉を持つ人間同士の闘いになる。
他の特集は、
「垂直農家」が増える。屋上で家畜を飼う「ビル牧場」が出来る。
又、「ハーバード大学に『一日留学』してみよう」。世界中の頭脳が集まるハーバード大学は、教授も学生も優秀、世界が変わるだろう。私も行ってみたい。「人間を進化させたのは“料理”だ」という講義には驚きだ。思わず、目からコンタクトが落ちた。そんな超オモロイ企画が一杯だ。
そうだ。今日は、「漢字検定」の発表の日だ。ネットで3時50分に発表だというので、リアルタイムで見れた。寺ちゃん、貞包アナ、2人とも「漢検2級」を受けた。そして発表だ! 寺ちゃんは合格。貞包アナは落ちていた。明暗分けた結果だった。
「隣りの芸人さん」のコーナーに来た、Wコロンのねづっちに、「漢検」とかけて、と私は聞きました。即座に、「飲み会とときます」。そのココロは、「どちらも幹事(漢字)が大事です」。凄いね。すかさず私は聞きました。では、「漢検2級に落ちた貞包アナとかけて」。即座に、ねづっちが言います。「香辛料のないポークジンジャーとときます」。そのココロは、「しょうが(ショウガ)ありません」。
ウッ! 凄い! 天才だよ、この人は。貞包さんも、思わず、「凄い! 面白い!」と手を叩いてました。「あんたが面白がってどうするんだ、落ちたのに!」と木曽さんちゅうさんに言われてました。
〈祝 Wコロン、真打ち昇進ととのいました!〉
大漫才大会でした。日本の漫才界の主立った人が勢揃いした感じでした。超満員でした。貞包アナも来てました。終わって、Wコロン、おしどりさんらに会いました。
⑬11月26日(月)午後1時〜4時。早稲田大学11号館913教室。公開座談会「美術・芸能・音楽と直面する歴史的現在」。3.11以降の原発、領土問題、表現と社会などについて討議しました。(左から)内海信彦さん(画家)、鈴木、福井紳一さん(早大アジア太平洋研究センター特別研究員)、立川談慶さん(落語家)、仲野茂さん(パンクロッカー、元アナーキーのボーカル)。
⑱11月22日(木)午後7時半から、「ニコ生」に出ました。孫崎享さんと一緒です。「今日の朝日は凄かったね。鈴木さんが大きく出てたよ」と新聞を手にして紹介しています。ありがとうございました。領土問題は、他国ではどうやって交渉し、解決しているのか。孫崎さんから詳しく聞きました。
⑲12月26日(月)、「アエラ」(12月3日号)が発売になりました。私は書評を書いてます。山口正介さんの『江分利満家の崩壊』(新潮社)の書評です。凄い本でした。怖い本です。作家の「業(ごう)」を感じます。