寒かった。キツかった。バテた。疲労困憊だ。こんな所を歩いたのか。彼ら、連合赤軍の人々は…。
そして山小屋を造り、夜は〈総括〉だ。総括し切れない人は次々と殺されていった。「敗北死」だと言われて。
ひどい話だ。地獄だ。
その〈地獄〉を体験してみようというツアーがあった。それに参加した。「万里の長城」ツアーよりも過酷だ。
魔が差したんだ。フラっと参加申し込みをしてしまった。後悔した。こんな過酷なものだとは思わなかった。
これに比べたら、北朝鮮・「絶叫マシーン」ツアーなんて、遊びのようなものだ。昔、冬のハバロフスクに「サンボ(ロシアの格闘技)研修ツアー」で行ったが、あれだって、この体験ツアーに比べたら、遊びだ。
企画したのは、「連合赤軍の全体像を残す会」だ。「連合赤軍事件〈体験〉ツアー」だ。正確にはこう言うらしい。
「連赤の跡地を巡る旅」。どうせなら、「輝かしき連合赤軍事件の聖地を巡礼する旅」にしたらいい。この方が主旨にピッタリ合うよ。
ネットで募集したら100人か200人は集まるだろう。日本には連赤マニアがいるし、歴女もいる。三国志などにもやたらと詳しい女子がいる。
そんな人たちがドッと申し込むだろう。何なら、「歴女とマニアの為の・連赤跡地巡礼の旅」なんて銘打って募集したらいい。そしたら女性だけで500人は集まるよ。
そんで、山小屋で革命教育をやる! ブルジョア的な精神を洗い流し、革命的人間に改造する。来年はぜひ、これでやってほしい。
〈史跡巡礼ツアー〉は2日間だ。12月8日(土)と9日(日)だ。8日(土)は山小屋に泊まって、車座になり、〈総括〉を体験するらしい。
怖い。怖いけど体験してみたい。でも私は、(幸か不幸か)、その日は、前からの約束が入っている。「ガイサンシーとその姉妹たち」という従軍慰安婦の映画上映会があって、班忠義監督と対談するのだ。
これも危ない企画だ。「従軍慰安婦なんていなかった!」「嘘つきだ!」と右翼や保守派の人々が押し寄せるかもしれない。怖いから断ろうと思ったが、「卑怯者!逃げるのか!」と言われるだろう。それで、勇気を持って出た。
渋谷警察の人も来ていた。「きっと衝突が起こるだろう。事件になるだろう」と思ったのだ。トークしてても不安だった。幸い、妨害はなかった。
ホッとした。頑張って私も話をした。
そのあと、「マガ9学校」に行って、おしどりさんたちと会った。だから、8日(土)の「連赤体験ツアー」には参加出来なかった。
そんで私は、「9日(日)だけなら参加出来ます」と言ったら、暗号で、秘密のメールが来た。ヤケに詳しい〈指令書〉だ。みやま山荘を午前5時半に出て、馬場発50分の電車の最後尾に乗って、何番出口から降り、そこからJRの電車の前から何両目に乗れという。
東京駅からは、「あさま」だ。あさま山荘に行くから、特別列車の〈あさま〉なのか。でも、これは新幹線のようだ。連赤事件を記念して、名前も〈あさま〉になったんだろうか。
そして、電車を5つも乗り換えて、妙義山の裏に出る。山小屋かと思ったら、国民宿舎を借りて泊まっていた。
まさか。「連合赤軍体験ツアー」で借りたのではない。何か別の名前で借りていた。
宿舎の人が、「鳥の写真を撮りに来たのですか?」聞く。ここは、珍しい鳥が沢山いて、それを撮るための人がよく来る。あとは登山だ。ゲリラ訓練で来る人はいない。40年前にはいたが、今は絶滅して、いない。
そういえば、大きなカメラを持った人が多い。(他のグループだが)、川原にキャンプしている人もいる。
「鳥の写真を撮りに来たんですか」と聞かれて、私は、一瞬迷った。「いや、連合赤軍の聖地巡礼ツアーですよ」なんて言ったら、警察に通報されるだろう。
だから、「そうです。鳥の観察と撮影です」と言った。別に嘘ではない。左翼も右翼も、翼を持った鳥だ。それを見に来たのだ。もういないけど。
その鳥たちが山に集まり、囀り、喧嘩して、殺し合った〈現場〉を見に来たんだ。バード・ウォッチングのようなもんだよ。
そこに、連合赤軍の本を沢山書いている大泉さんが出てきた。「あっ、鈴木さん、久しぶり」。そして宿舎の女性に、「この人は、朝日新聞によく出ている評論家の先生ですよ」と紹介してくれた。「まあ、そうなの、ご苦労さん」と。
大泉さん、「まさか右翼だとは言えないでしょう。朝日に最近、よく出ているのは事実だし」と言う。
そこに、下りてきた山本直樹さんを宿の人に紹介して、「この人は有名な漫画家ですよ。ちょっとイロっぽいものも描いてるけど」。「あらまー、じゃ、色紙にサインしてもらわなくっちゃ」と色紙を持ってくる。山本さんは、丁寧にサインし、漫画を描いた。連赤の『レッド』を描いてるとは、書いてない。
全体で、15人ほどだ。元連赤の人、連赤シンパ、そして、連赤ファンだ。
「まず、森恒夫さん、永田洋子さんらが潜んでいた洞窟に行きます」と案内人。
1時間位山に分け入って歩く。歩く、歩く。道なきところを歩き、駈けのぼり、蔦に掴まり…。
大変だった。私は、車で見て回るだけと思ったから、革靴だ。困った。他の人は、ちゃんと運動靴だ。「ブルジョア的だ。そんな覚悟のないことでいいのか!」とすぐ総括されるだろう。しかし、文句を言う人はいない。
やっとの思いで、洞窟に着く。こんな真っ暗なとこで暮らしていたのか。
中に入ったが、狭い。はって歩く。外で火を焚いて、ご飯を炊いたという。そんなことをしたら不審に思われて、通報されただろう。
実際、山歩きの人とも出会っている。しかし、陽気な植垣さんが、対応した。「やあ、大変ですね」「寒いですね、お気を付けて!」と自分から声をかけた。あっ、学生さんで、キャンプの人かと思ったらしい。いつの時でも、コミュニケーションは大切なんだ。
それから、車3台で分乗し、山の中に入る。「ここからは歩くしかない」ということで、又、道なき道を分け入る。大変な行軍だ。
そして、ちょっとした平地に出る。よく見ると、警察が立てた目印がある。〈群馬・赤軍〉と書かれている。「ここが山田孝さんが埋められていた場所です」。
ゲッ、殺して同志をここまで車で運び、背負ってきて、穴を掘って埋めたのか。ひどい奴らだ。
山の中で、ここだけがちょっと平らになっていて、埋めた所だと思われた。それで発覚したらしい。
花束を供え、皆で線香をあげる。そんな〈聖地〉を訪ね歩くのだ。我々は見慣れない人だから、地元の人たちにも警戒される。何度も、尋問された。
そして、いよいよ、「あさま山荘」だ。すぐ分かるはずだと思ったが、見つからない。近くまで車で行き、そのあと、2時間近く歩き回る。
分かんない。ヘトヘトになる。凄いよな、こんなに歩いて、逃げてきて、そして、立て籠もったのか。逃げ回る人も、追いかける人も大変だっただろう。とても今の私らでは出来ない。
山本直樹さんに、「鈴木さんは健脚ですね。格闘技をやってるからですか?」と聞かれた。フーフー言って、やっとのことで付いて行ってるだけなのに。
「いやいや、こんなに歩いたなんて久しぶりですよ。人生で初めてかもしれない。人間と闘っている方が楽ですよ」と答えました。
そして、やっと、あさま山荘が見えた。下から見上げると壮観だ。これが聖地のシンボルか。よくテレビや写真で見たやつだ。感動的だった。
しかし、ここは入口ではない。さらに上に登り、1時間位歩く。
本当は、もっと近い道はあったのだろうが、迷いに迷いって着いた。ここに、土嚢を積んで機動隊が結集したのか。
玄関も小さい。ここに、民間人の人が、果物を持って行って、連赤の人に射殺されたんだ。
そう思って、歴史的な玄関を見、そこで全員で写真を撮った。今は誰も住んでない。
週刊誌出ていた。中国人の人が買って、ここを「博物館」にしようとしているらしい。入場料を取って。
だから、「買い戻せ!」と私は連赤の人たちに言っている。2千万円位のものだ。1口10万円として200人から集めたら、金は出来る。私だって1口位出す。やろうよ、と言った。
そして、〈革命記念館〉にする。塩見さんあたりを館長にして、いろんな記念品を展示し、日本の革命の歴史を示す。
〈総括〉している現場も写真で出す。写真を撮ってないか。だったら植垣さんのペン画で展示する。何なら、蝋人形で、その現場をリアルに再現してもいい。
今は、中には入れない。そこでじっと見ていたら、突然、「復讐だ!」「同志の恨みを晴らそう!」と叫ぶ人がある。玄関を斧で破り、中に突入する。「ここで機動隊と闘おう!」と言って、ドッと乱入する。
…なんてことになったら嫌だな、と実は心配していた。どうせ年取って、先のない人たちばかりだ。
あさま山荘を見ているうちに、そんな気になったら大変だと思った。その時は、私は〈脱走〉しよう。中に入れられて、銃撃戦に加えられたら大変だ。…と思っていた。
しかし、それはなかった。ホッとした。
それにしても、なかなか、スリリングな旅だよ。
それから、どこに行ったんだろう。そうだ。あさま山荘の横に、小さな慰霊碑が建っている。殺された警察官、それに民間人の慰霊だ。そこでお参りした。
「これが治安の礎ですか?」と聞く人がいる。連赤のニュースだと、毎年、その前で、警察の偉い人たちが集まって、慰霊祭をやっている。
「いや、それは軽井沢に近いところです」と案内人。案内人は事件関係者らしい。
そこに、見回りの車が来る。
実は、このあさま山荘のあるところは、レイクタウンとかいって、広い広い別荘地だ。周りは、山の高いとこも、中腹も、低いとこも、洒落た別荘が建ち並んでいる。
そこの入口には管理事務所があって、本当は、関係のない人は入れない。冬だから人はいないし、我々は勝手に入ったわけだ。
中はきれいに整備されていて、「みゆき通り」「すずらん通り」などがある。レストランもある。まるで銀座のようだ。「あづさの里」というとこもある。あづさという名前の子どもだけを集めているんだろうか。不思議だ。
でも、いくらお金があっても、こういう所で、別荘暮らしをしたいのだろうか。冬は寒いし、近くに本屋もないし、映画館もない。不便だ。それに不審者(我々もそうだ)は勝手に入ってくるし、いつ、乱入されるか分からん。不安だろう。
そして、見回りの車に尋問された。「ちょっと歴史的な関心があって、見ただけです」「学校の歴史で習ったもんで」「すぐ出ます」。
そして、外に出るまで車はずっと付いてきました。
それから、「治安の礎」に行く。大きい。墓碑には、殺された警察官を悼み、卑劣で凶悪な犯人を糾弾する言葉が書かれている。そこで、焼香した。
昔なら、「敵の警官じゃないか」と言う人もいただろうが、今はそんなことを言う人はいない。敵も味方もない。あの事件で亡くなった人々を、悼み、焼香する。
若い女性が1人参加してたので聞いてみた。「どこが一番、印象に残りましたか?」と。
「大槻節子さんが殺されて埋められたところです。可哀想で涙が出ました」。
そうだろうね。大槻さんの本は私も読んだ。革命のために命を賭けて、山に来たのに、小さなことで、皆で、糾弾し、査問し、殺したのだ。ひどい連中だ。
そうだ。このツアーは、初め、植垣康博さんが「案内人」になっていた。彼は、実際、山に来たんだし、全て分かっている。
しかし、日曜日は、子どもの世話をしなくてはならない。「じゃ、一緒に連れて来たらいいじゃないか」と皆は行ってたが、奥さんが許さない。そんな危ないとこに子供を連れて行ったら、ダメ!と言われた。「行ったら離婚よ!」とも言われたんだろう。それで、欠席。
だから、よく分からない山の中を、皆でウロウロしてしまった。15人で、迷いながら移動する。「あれっ、1人足りないな。山に置いてきたのかな?」とか言っている。
でも、昨夜は、30人近くいたようだ。それなのに、今日は半分だ。まさか山小屋で総括して、いなくなったのか。「いや、昨日からこの人数ですよ」と主催者は言ってたが。
「昨夜は、皆で、激論し、査問し、総括してたんでしょう。なんせ、連赤〈体験〉ツアーですから」と私は聞いた。
「いや、皆で酒を飲んで大いに語り合いましたが、喧嘩はしてません。査問も、総括もしてません」と全員が否認する。ホントかな、怪しい。
でも、初老の元運動家ばっかりだ。もう査問したり、総括したりするだけの気力はないか。
そうか。むしろ、私の方が、連赤の総括を体験したのか。昔、週刊「SPA!」で連載してた時、連合赤軍のことを書いた。
思い切り、面白く書いたら、植垣さんたちに猛烈に抗議された。連赤に参加した人が5人ほどいる。皆で私を糾弾する。ロフトプラスワンで、「総括」集会を開かれた。私はただ、ひたすら謝った。
謝りながら、「そうか、私は連合赤軍の総括を追体験してるのか。と思った。そのうち、客で来ていた、一水会の若者も、立ち上がり、私を糾弾し始める。
これにはビックリした。会場の雰囲気の中で、興奮し、「鈴木は許せない!」と思ったようだ。怖いもんだ。
又、若松監督の映画「実録連合赤軍」のメーキングビデオを見たら、「総括」のシーンで、「カット!」と言っても、役者たちが演技をやめない。興奮状態が続いている。怖ろしいことだ。
もしかしたら、こんなことは、どこか〈日本的〉なのか。日本人の精神にフィットするものなのか。そんなことを感じた。
何もあの事件は、40年前に突然起こりそこで終わったものではない。オウム真理教事件でも、似たようなことが起こった。
そして、今の日本だって、〈集団ヒステリー状態〉になっている。「連合赤軍化する日本だ!」と言った人もいた。
そんなことを考えながら、山を降りた。そして、無事、東京に帰り、みやま山荘にたどりついた。実りが多い旅でした。
選挙は、マスコミの予測通り、自民の圧勝だ。リベラルなとこは皆、吹き飛ばされてしまった。天敵はいなくなって、どんどん右傾化するのか。心配だ。
10時半頃、終わり、そのあと、ロフトプラスワンへ。平野悠さんが、来週、ピースボートに乗る。3ヶ月の世界一周だ。南極にも行くらしい。「悲壮な覚悟をしているし、もう会えなくなるかもしれません」と、ロフトの店員が言う。それで、今夜の送別会に参加した。
「送別会」というよりも、ロフト・チェーンの店員の忘年会だ。ロフトプラスワン、阿佐ヶ谷ロフト、ネイキッド・ロフト、それに音楽専門のロフト…と、巨大なロフト・チェーンだ。客は一切入れず、店員だけ100人で盛り上がっていた。
仕事にあぶれているから、来年は私もロフトの店員にしてもらおう。きっと、こき使われるだろうな。酔った客にはからまれて…。不安だ。朝4時までやるというが私は1時頃で帰った。壇上で、ロフトの店員だけに向けて喋った。奇妙な体験だ。
中国・北朝鮮には詳しいジャーナリストの富坂聰(さとし)さんがスペシャルゲストで出演。中国問題について発言しているジャーナリストは多いが、富坂さんは抜きんでている。北京大学に留学したのち、週刊誌の記者などを経て、フリーに。1994年には、『龍の伝人たち=「天安門」後を生きる新中国人の実像』で21世紀国際ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞した。「文芸春秋」「週刊文春」「週刊ポスト」などで活躍している。
その富坂さんに今の中国の現状を詳しく解説してもらった。又、北朝鮮と中国との本当の関係などについても…。北朝鮮に対し、大きな影響力を持っている、と示すことで中国は世界に発言権を持っている。しかし、現実には、中国は北朝鮮を押さえ切れない。ミサイルや核実験にしてもそうだ、という。
今年の4月、私は北朝鮮に行ってきたが、ヨーロッパからの人が多く来て、国際大会に出ていた。又、インド、ベトナムの人も多かった。中国の抑圧を受けている国々だ。それらの国々が対中国への対抗策として北朝鮮を頼りにしている。そう感じた。
「編集長は見た!」は、月刊『文芸春秋』の島田真編集長。月末で超多忙な為、電話での参加。1月号は「創刊90周年記念号」。凄い特集だ。この日本の90年の歴史が分かる。とても勉強になった。「激動の90年。歴史を動かした90人」。昭和天皇、吉田茂、田中角栄、山本五十六…などが取り上げられている。他にも、半藤一利の「文芸春秋90年のベスト9」もよかった。司馬遼太郎、松本清張など、文春があったから、出た作家だと分かった。又、愛知揆一の「三島由紀夫のデビュー」もよかった。どれもいい。読み切れない。
「隣の芸人さん」のコーナーは、レギュラーのWコロン。それに、「エレファント・ジョン」のお二人。漫才をやってくれた。面白かった。終わって、新宿で仕事の打ち合わせ。
①あの「あさま山荘」の前です。1972年の連合赤軍事件の時、テレビで毎日、見ました。そのまま残ってます。迫力があります。歴史の現場にいる、という感じです。12月9日(日)、連合赤軍〈体験〉ツアーに参加した時です。
⑬12月9日(日)連赤〈体験〉ツアーから帰ったら、ロフトのHPに「岩井志麻子さんが来る」と書かれていた。それで夜9時、途中から聞きに行った。(左から)久田将義さん。徳光正行さん。鈴木。岩井志麻子さん。中瀬ゆかりさん。