森田必勝氏に会ってきました。新年のご挨拶です。三重県四日市市です。
この前、来たのは昨年の9月29日(土)です。それから3ヶ月半です。「また来てくれたんですか。嬉しいですね」と必勝氏も言ってくれました。
「あれっ?今日は金髪の外人さんも一緒ですね」と必勝氏。「いや、これでも日本人なんですよ。金髪に染めてるんですよ。遅れて来たロックンローラーだから」と紹介しました。
金髪女は「藤井です。森田必勝さんのことを尊敬してます」と挨拶してました。
もう1人の岩井さんは2度目です。「今日は下中さんが来れなかったので私が車の運転をして皆を連れて来ました」と挨拶してました。
1月14日(月)、四日市に行き、森田必勝氏のお墓参りをしてきました。
1970年11月25日、森田必勝氏は市ヶ谷自衛隊で、三島由紀夫と共に自決しました。
でも、私たちの心の中には生きてます。だから、お墓参りに来ても、森田氏と2人で話し込んでしまいます。
この日は、必勝氏のお墓参りをし、その後、実家を訪ね、お兄さん(森田治さん)にお会いする予定でした。
前回、9月29日に会った時、お兄さんは若松孝二監督の映画「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」の話をしてました。いい映画だと感動してました。「弟のことも、あそこまで正確に描いてくれてありがたい」と言ってました。
そして、「若松監督にお礼を言いたい。会わせてもらえませんか」と言ってました。
東京に帰って監督に伝えたら大喜びで、「ぜひ会いたい。四日市に行こう」と言ってました。
四日市で、この映画の特別上映会をやり、そこでお二人で話してもらう。私が司会をする。それもいいな、と思いました。
ところが、それから1ヶ月も経たないうちに若松監督は急に亡くなってしまいました。残念です。悔しかったです。森田治さんも、ガックリとしてました。2人を会わせるという私の約束も、実行出来なくなりました。
そのお詫びもあって、お兄さんにお会いしようと思ったのです。飛松さん、下中さんも行く予定でしたが、直前に、用事が出来て行けないことになりました。それで岩井、吉本、藤井、鈴木の4人で行くことになりました。
ところが、前日、1月13日(日)の夜です。講道館の鏡開きに出て、その後、飲んで帰った夜です。
私に急なメールが来ました。森田治さんの親族が亡くなられ、明日はそちらに行かなくては…とのこと。岩井さんからは、「じゃ、明日は中止しましょう。次の機会に…」とメール。
そうしようか。と思った時に、「でも吉本、藤井さんは払い戻し不可能の切符をもう買ってしまいました」。じゃ、行くか。私も、明日の切符をネットで買っている。
「それに必勝氏だって淋しがるよ。明日行くって、メールしておいたんだし」。
それで、翌、1月14日(月)、東京駅発8時半の新幹線に乗りました。名古屋駅着10時11分。岩井氏が迎えに来てくれました。
「下中さんが来れないので私の車で」と言う。外車だ。カローラだったか、スプリンターだったか忘れたが、横文字だから外車だろう。
まずは、四日市に向かう。四日市の駅で、少し待って藤井さんに合流。「電車が遅れまして」と藤井さん。雪で電車が遅れたそうだ。
三重県は大変だな、と思ったら、「東京の方が大変ですよ。大雪ですよ。サッカーの試合が中止になった位ですから」。
エッ?そうなの。iPadで見たら、確かにそうだ。東京は大雪だ。まるで2.26事件の時みたいだ。
もう1人、吉本さんが来るはずだが。「ギックリ腰で動けない」とメールが入る。雪のせいなのか。雪道で滑ったのか。あるいは、無理なダイエット体操をしたのか。若い女性が、かわいそうだ。
お墓参りに行く予定の3人が、行けなくなり、四日市の森田さんのお兄さんもいない。
そんな中で、残りの3人だけで、四日市に到着した。岩井さんの車は、外車なのにナビが付いてない。私のipadを貸してやった。そこのナビを見ながら、藤井さんが指図をする。
お墓に行く途中に「海星中学・高校」と標識が出ている。あっ、必勝氏の出身校だ。寄って行こう。と私が声をかけて、そちらへ右折。
今日は休みだから、誰もいないだろう。外から見るだけでもいい。と、思ったら、校門は開いている。
中に入る。生徒がいる。父兄も来ている。サッカーの試合があるらしい。グラウンドに行ったら、雨の中、ずぶ濡れになって生徒がサッカーをやっている。グラウンドも泥の海だ。
そんな中で、やっている。父兄が、傘をさし、震えながら見ている。応援している。
校長先生がいたので挨拶する。前回来た時、お話をしたので覚えていてくれた。
「大変ですね。大雨の中、サッカーをやって」と言った。「公式戦なので中止出来ないんです」と言う。
大変だ。東京では雪で中止なのに、ここでは、大雨の中、泥の海の中で、サッカーをやっている。
「学校の中を見たいです」と言ったら、「どうぞ、どうぞ。自由に見て下さい」と言う。
それで、見て回りました。教室には、どこも正面に、マリアさまなどの絵が飾られている。カソリックは、違うんだな、と思いました。私も高校はミッションでしたが、プロテスタントなので、こういった宗教絵画はありませんでした。
学校を見て回り、必勝氏はここで勉強したんだな。ここの廊下を走ったんだな、と〈追体験〉しました。
それから、必勝氏のお墓に行きました。きれいに掃除され、水や花も新しくなってました。「僕らが来るのでお兄さんが掃除してくれたんでしょう」と岩井氏。
金髪の藤井さんを見つめて、必勝氏が言いました。「そうだ。早稲田にも、金髪女を連れた奴がいたよね」。
44年前のことです。いましたね。キザな奴で、何と大学に着物を着て、来るんです。それに金髪の女の子を連れて…。
当時は、日本人が金髪に染めるなんて風習はありませんでしたから、本物の外人です。それを連れて大学を闊歩してたんです。
学生運動が激しい時だから、着物だなんて、そんな「反動的」な格好をした人間は、全共闘に襲われるはずです。それに「米帝国主義の女」を連れて歩いているのです。もっと酷いです。
でも、全共闘は手を出しません。笑って見てました。きっと〈芝居〉をやってる人間だろうと思われたんです。
早稲田には、演劇のサークルが沢山ありましたし、皆、当時は、左翼系でした。又、芝居をする人間の中には、髪を染める人もいたのです。
あっ、「キ○○君だろう」と私が言ったら、「そうだ。彼だよ」と必勝氏は懐かしがってました。「じゃ、今度、連れて来るよ」と言ったら、「今も会ってるんですか?」と言う。
そうなんだ。このキザ男は、その後、大学を卒業してから、何と、警察に入った。そんなとこに入った人間は他にいない。
そして、警察生活をネタにして、漫画の原作を書いた。『まるごし刑事(デカ)』だ。それが大ヒットして、今は作家だ。今は「北芝健」という名前で活躍している。
「えっ、あの時のチャラ男でキザ男が今は大作家なんですか」と必勝氏もびっくりしてました。
あっ、いけない。本当はこんな話をしちゃいけないんだ。だって、北芝健は、年齢が「40代後半」だと言っている。我々と同じ時代に早稲田にいたとなったら、年齢がバレる。
でも、私は政経に4年、そのあと、大学院、そして教育学部と、計、7年位、早稲田にいた。私が、早稲田を出る時に彼が入学してきた。
とすると、7才下か。それでも、北芝氏は60近くになる。いかん「40代後半」にはならん。じゃ、私や必勝氏が会った時は、北芝健は、まだ中学生で、金髪ネエちゃんを連れて大学に遊びに来てたのか。
だったら、我々より「20才」も若いのだろう。
それに最近、北芝健は新しい本を出した。アンチ・エイジングの本だ。「20才は若く見える!」と表紙に書いていた。これが本のタイトルかもしれない。
三宅久之さんの「送る会」の時、北芝氏に会い、チラッと本を見せてもらった。ちゃんと買って読まなくちゃ。
そしたら私も「40代後半」になれる。そして着物を着て、さらに、(ニセの)金髪ネエちゃんを連れて、早稲田に行こう。
そう言ったら、「それはいいね」と必勝氏が笑ってました。
今は、早稲田も、新左翼の「天敵」が死滅したので、自由に行ける。生態系も変わった。
「福島菊次郎という90才の反骨カメラマンがいるんだけど、その人の写真集を見たら、早大闘争のことが随分出ていた」と私は言いました。
あの頃、早大によく来ていたんだ。それに、革マル派のリーダーの高島氏をずっと追いかけて、写真を撮っていた。高島氏は背がデカくて、怖かった。部下を連れて、デモを指揮し、僕らはよく、殴られ、蹴散らされていた。
「あっ、あのフランケンか!」と必勝氏。そうなんだ。体はデカイし、顔付きも異様で怖かったので、早大では「フランケン」と言われていた。フランケンシュタインの略だ。
しょっちゅう、高島氏には殴られたけど、でも、気のいい奴だった。今、生きていたら、いい友達になれたのに残念だ。
そう、学生運動の中で、自殺してしまった。内心はナイーブで、純粋だったんだろう。その高島氏の闘い、そして自殺までも、福島さんは写真を撮っていた。
福島さんに会ったら、ぜひ、その話をしよう。今は、山口県にいるというし、何とか福島さんに会いに行きたい。
他にも、45年前、早大全共闘の議長だった大口昭彦氏とは、今ではよく会う。「必勝氏たちとは敵対してたよな」と懐かしく話してくれる。
今は弁護士だ。それから、何かの集会で木下氏に会った。私を中核派にオルグしようとした人だ。無謀な人だ。『紙の爆弾』で対談してもいいな。当時の私の話を聞いてみたい。自分でも、すっかり忘れているし。
又、「多田謠子反権力基金」授賞式で会った、産経労組の人とも対談したい。私が「右翼暴力学生」だった時に、私に襲われたと言ってたから…。
ここ何十年と、私は「平和」な生活をしている。だから、「暴力学生」「暴力右翼」だった時代を完全に忘れている。
そして、「全ては言論でやるべきだ」と言っている。それで朝日新聞にも出たりしている。「嘘つき!」と言われることも多い。自分でも、「仮面の告白」かもしれないと思う。…時もある。
そんなふうに、千々に心は乱れ、アンビバレントな心境になるんですよ。と、必勝氏に打ち明けました。
「そういう、いい加減なとこが、鈴木さんらしくていいんじゃないですか」と必勝氏に慰められました。
必勝氏と話し終わって、「じゃ」と別れました。また来ますよ。それから、時間があるので、どこか案内しますよ、と岩井氏が言う。
「だったら、大本教の綾部か亀岡がいいな」。遠いからダメです。
「一燈園」。よく知りませんが、そこも遠いですよ。
「そうだ。伊賀上野に行きましょう。鈴木さん、好きでしょう?忍者」。「好きだよ。オラも忍者だから」。
それで、車で伊賀上野へ。雪が残っている。広い田畑の中に、民家がポツリ、ポツリ。いかにも忍者の里だ。
伊賀上野城、そして、伊賀の「忍者博物館」に着きました。
忍者の道具を見たり、係員の説明を聞いたり…。実験したり…。ビデオを買ったり…。〈忍者〉を体験しました。
忍者は、どうやって闘ったのか。どうやって、走ったのか。どうやって記憶したのか。食事は? 睡眠は? いろいろ勉強になりました。
「記憶法」などは今でも利用出来ます。誰にも読めない、自分しか分からない字でメモを取る術もありました。
あっ、これは私もやっている。食事、睡眠も私の生活と似ている。
そうだ。『忍者に学ぶ記憶法』あるいは、『忍びの読書術』などを書いてもいいね。
というわけで、今は、みやま荘に帰ってきて、伊賀で買ってきた忍者の本、ビデオを見て、必死で勉強しております。
今年の私のテーマは「忍び」ですね。と、ここまで書いたところに忍びのメールです。柏艪舎からです。
見本誌が出来たので、今から送るという。1月23日(水)、全国発売です。タイトルは、『忍びの心』だ。いや、ちょっと違った。『秘めてこそ力=MY RESOLUTION』(1400円)だ。
同時に、亜紀書房からも忍びのメールが来た。今日、再校のゲラを送った。早く見てほしい。発売は2月18日(月)だそうです。本間龍さん(作家・元博報堂)との対談本だ。
なかなか、スリリングな対談になりました。タイトルは、
『だれがタブーをつくるのか
=原発広告・報道を通して日本人の良心を問う=」
です。お楽しみに。
それと、これもビッグニュースだ。若松孝二監督の「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」のDVDが1月25日に発売されます。一足先にサンプルをもらいましたが、これは凄いです。
映画の他、監督と井浦さん、満島さん、私とのトークショーも全部入っている。又、森達也さんと私のトークショーも入っている。さらに、さらに…。特典満載のDVDです。
「週刊アエラ」(1月21日号)が届いていた。「現代の肖像」は、何と、孫崎享さん(元外務省国際情報局長)。〈「アメリカ」に立ち向かった憂国の士〉と出ていた。凄いですね。
〈大島渚監督死去。小山明子さん壮絶介護〉
大島さんが昨日、亡くなった。私も、この日の朝刊で知り、驚いた。「朝まで生テレビ」では何回もお会いした。毅然として怖かった。でも普段は優しかった。
昨年は、大島渚さんの息子さんに会った。畑中純さん(漫画家)の追悼マンガ展の時だった。大島さんは、野村秋介さんとは、特に気が合ったようで、親しくしていた。よく、ゴールデン街で飲んでいた。左右の垣根はなかった。2人ともサムライだった。
次のテーマは、
〈「オウムの犯行」公表は違法。アレフの名誉毀損を認定〉
國松長官狙撃に関し、警視庁はオウム信者や幹部を逮捕したが、不起訴。しかし、不起訴処分後の公訴時効成立にもかかわらず、警視庁は2010年3月、記者会見で「銃撃事件はオウム真理教の信者グループが教祖の意思の下に組織的、計画的に敢行したテロ」と発表。この発表による名誉毀損が争点となっていたが、東京地裁は昨日、名誉毀損を認定し、東京都に「100万円の支払いと謝罪文の交付を命じる判決」を言い渡した。
これは画期的なことだ。オウム関係者だからといって、彼らに対し何をやってもいいことにはならない。警視庁、特に公安の強引なやり方が批判されたのだ。
続いての「ニュース 本音と建前」は、
〈「一票の格差」問題を考える〉
先月、行われた、衆議院選挙で、いわゆる「一票の格差」が最大で2.4倍あったことをめぐり、弁護士のグループなどが憲法に違反するとして、選挙の無効を求め、全国で起こした裁判だ。その初めての審理が、きのう、札幌高等裁判所で行われた。
先月の衆議院選挙で格差が最大だったのは、有権者数がおよそ20万4000人の高知3区と、およそ49万5000人の千葉4区の間での2.42倍。法律で決められた2倍を超えている。2010年の参院選については、最高裁は、最大格差が5.00倍であり、「違憲状態」であったと判断した。2009年の衆院選でも、最大格差が2.30倍であり、「違憲状態」と判断していた。ところが国会は、これを放置。こうした状態について、一票の格差是正を求める「一人一票 実現国民会議」の発起人の一人である升永(ますなが)英俊弁護士は、こう言う。
「現状は明らかに違憲国会。
何ら憲法上の地位を持たない人たちが国会議員を自称しているだけ。でたらめ、無法状態と言っていい」。
凄い言葉だ。この人たちは議員を「自称」しているだけなのか。じゃ、どうやって是正するのか、について話しました。重いテーマだ。
続いて、「編集長は見た!」
今週は「月刊ムー」編集長の三上丈晴さん。水野アナは、「ムー」とは初遭遇。「ムーという雑誌、知ってますか?」と寺ちゃんに聞かれて、「なんか怖いものとか、変なものを紹介する雑誌でしたっけ?」。寺ちゃん、驚いて、訂正してました。
「変なって…一応、超常現象など世界の謎と不思議に挑戦するという格調高い雑誌なんですよ。ねえ、三上さん」。三上さんも、「すでに創刊してから33年経つ、伝統ある月刊誌です」と胸を張る。
12月23日に人類は滅亡するという「マヤの予言」を乗り越えて、無事、人類は新年を迎えた。中国では、不安にかられて事件を起こす人まで出た。「その人たちは、ムーを読んだから?」と聞いたら、「ムーがなかったからです。正確な情報が伝わっていれば、そんな暴動にはなりません」と三上さん。今月の「ムー」(2月号)の特集は。
〈災厄の惑星ニビル、地球大接近!〉
これは怖い。それ以上に、怖いのがこれだ。
〈怪奇! 髪の毛が伸びる人魚のミイラ〉
写真を見たけど、怖い。私は恐がりなんです。
果たして人魚はいるのか。又、どうして、そのミイラがあるのか。三上さんによると、人魚のミイラを、くまなく調べてみたところ、頭部はニホンザル、口の部分は魚の口…などを合成して、精巧に作ったものではないか、と言う。日本は、昔から「ミイラ製造」の高度な技術を持っていた。仏教の即身成仏、あるいは奥州藤原氏のミイラにもそれは見て取れる。誇るべき〈日本文化〉だったという。それが、こうした「余技」の部分にも表れたのだろう。…と。凄い話だ。
次の特集は、
〈ついに火星人の姿が撮影された!〉
写真も出ている。確かに「人」らしいですね。見て下さい。
それと、一番感動したのは、この記事ですね。
〈ニュージーランド発
自動車の運転技術を修得した3匹の犬!〉
これは驚きだ。自転車に乗るクマならサーカスにもいるが、こっちは、車の運転だ。運転席に改造が施された本物の乗用車で、独力で運転してみせた。「ムー」の写真も凄いが、これは動画でも流されている。ハンドル捌きもうまい(私よりうまい)。本当に運転している。何のために、やらされたのか。サーカスや見せ物ではない。
〈ニュージーランド・オークランドの動物虐待防止協会がアニマルシェルターに保護された犬の里親を増やすため、犬に自動車運転技術を修得させるプロジェクトを成功させた〉
凄いですね。犬だってITを身につけないと生きてゆけない。今年一番、感動したニュースでした。
化放送が終わって、高田馬場へ。「土風炉」で、立花氏、風見さん、赤坂さんたちと新年会。風見さんは、愛犬の写真を皆に見せている。「親犬に似てかわいいね」「親犬、知ってんの?」。「君だろうが」。
最近、犬のカウンセラーに行ってるそうだ。犬と会話出来、犬の悩みを聞いてくれる。それに、亡くなった犬の写真を持ってゆくと、その犬の気持ちを伝えてくれる。犬と飼い主しか知らない秘密も口にする。「雨の日に僕を拾ってくれて、嬉しかった」「幸せな一生だった。突然、死んでしまって、ごめんなさい」…と。飼い主は泣き崩れるそうだ。
じゃ、今度、そのカウンセラーのとこに私も連れてってくれよ!と頼んだ。「ムー」の三上さんも誘おうか。「犬が車を運転した」記事を風見さんに見せてあげた。
「安倍政権で言論はどうなる
=原発・格差・メディア=」
について話す。
出演は、雨宮処凛さん(作家)、水島宏明さん(法政大学教授)、津田大介さん、安田浩一さん、阿曽山大噴火さん、そして私です。司会は篠田博之さん(「創」編集長)でした。超満員で、盛り上がりました。
④若松孝二監督の「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」のDVDがいよいよ、1月25日、発売です。本編が120分。それに「特典」が163分、付いてます。それは以下です。「メイキング・ドキュメンタリー」「2011.11.25完成披露上映会&鈴木邦男 森達也トークショー」「初日舞台挨拶。若松孝二、井浦新、満島真之介、岩間天嗣、永岡佑、鈴之助」「若松孝二、井浦新、満島真之介&鈴木邦男トークショー」etcです。凄いです。豪華です。これで4700円です。
⑤1月17日(木)、テアトル新宿で、「千年の愉楽」の先行上映会がありました。そこで、この三島のDVDを若松プロからもらいました。三島役の井浦新さんが、「あっ、僕もまだ見てない。凄い!」と叫んでました。「今、1本しかないの」と若松プロ。「じゃ、主役の井浦さん、どうぞ」と言ったんですが、「いや、僕は、若松プロに行ってもらいますから」と、私に譲ってくれました。
そこで記念撮影しました。このあと、「いいなー」と、井浦さんはDVDを写真に撮ってました。
⑧館長挨拶のあと、形の演武。乱取、精力善用国民体育。そして、しるこ会でした。形は、投の形、固の形、極の形、柔の形、講道館護身術、五の形、古式の形が行われました。最後の「古式の形」の演武をする村田直樹先生(7段)です。素晴らしい形でした。
⑫1月12日(土)、「アキバスクエア」で行われた「第3回秋葉原発!萌えクイーンコンテスト」決勝大会です。応援する人、見る人、取材する人で、2000人もいました。大会場が満員です。決勝に残った12人で争われます。歌やパフォーマンスがあり、第一次審査、第二次審査もある。ゲストの歌手、お笑いも参加し、何と、5時間も。私も、ずっと見てしまいました。