教会で講演しました。2月11日(月)です。生まれて初めてです。光栄です。ありがたいです。
ミッション・スクールを出て、本当によかったと思いました。日本キリスト教団名古屋教会です。
午後1時、礼拝に出て、そのあと紹介されて、演壇に上がり、話をしました。
信じられませんでした。さっきまで牧師さんが聖書を開いて説教をしていた。その壇上で私が話をする。
いいのかな。私でいいのかな、と思いました。
私を呼んでくれたのは中村教会の岩本和則さん。その岩本さんが礼拝のあと、私を「紹介」してくれる。
その前に礼拝の説教をしてくれたのは後藤香織さんです。日本聖公会中部教区司祭です。
この日、聞いたのですが、この後藤さんは、何と東北学院榴ヶ岡高校の出身です。「鈴木さんの後輩です。在学中から鈴木さんの武勇伝は聞いておりました」という。
榴ヶ岡高校出身には、「ジョジョの奇妙な冒険」の作者・荒木飛呂彦さんもいる。「鈴木さんと荒木さん。この2人が榴ヶ岡高校出身の二大有名人です」と言う。私なんて、榴ヶ岡高校の名を汚しているだけだ。申し訳ないです。
私らの同級生・後輩には、後藤さんのように牧師になって活躍してる人がかなりいるようだ。
10年ほど前、喜納昌吉さんに呼ばれて沖縄でシンポジウムに出た時、「私も榴ヶ岡高校出身です」という牧師さんに会った。これで2人目だ。大変なお仕事だと思う。偉いです。
私を名古屋に呼んでくれた岩本さんも偉いです。勇気があります。
私はミッション・スクールを出たが、学校では反抗ばかりしていた。あげくの果てに教師を殴って退学になる。
その後、教会に通って「懺悔の生活」を送り、半年後に、やっと卒業させてもらった。ミッション・スクールの落第生だ。落ちこぼれだ。
さらにその後40年間、過激な右翼運動をやる。キリスト教徒だけでなく、世の人々、全てから嫌われた。
「ただの暴力団だ」「愛国者を僭称したテロ集団だ」と、皆に忌み嫌われた。暴力と、逮捕と、転落の人生だ。罪深い人間だ。
そんな私が、教会で話す。それも、宗教について話す。いいのかな。さらに罪を重ねることじゃないのかな。…と、ずっと思っていたんですよ。礼拝が終わるまで。
礼拝が終わり、岩本さんが私の紹介をする。
右翼運動をやっていて、その中で悩み、苦しみ、今は、テロを否定し、「全ては言論でやろう」と決意し、実行し、立場の全く違う人たちとも積極的に話をしています。
そして「愛国心」とは何かを考えています。それは決して排外主義ではない、と言っております。
そして、こう言った。「鈴木さんはパウロのような人だと思います」。
エッ!と思った。聞き違いかと思ったが、何度も言ったから本当だ。
パウロは初めは、キリスト教を弾圧する側の人間だった。ところが、回心し、熱心な弟子になり、伝道をする。命をかけて神の愛を説いた。
そんな偉い聖人にたとえられるなんて、畏れ多い。
パウロは誰でも知ってるだろうが、説明しよう。『辞林21』(三省堂)には、こう書かれている。
〈パウロ[Paulos] 初期キリスト教の伝道者。小アジアのタルリ生まれ。パリサイ派のユダヤ教徒として育ち、初めはキリスト教を迫害するが、回心を体験。エーゲ沿海地方を中心に異邦人に福音を伝えた。律法によらず、信仰のみによって義とされると説いた。60年頃、ローマで殉教の死を遂げたと推測される。生没年未詳〉
こんな偉大な聖人にたとえられるなんて、畏れ多いです。
この日の集会のチラシには、私の略歴が載っている。どうも、「パウロ的」だ。
昔は、「学校のキリスト教主義に反発」。学生時代は右翼学生運動をし、卒業後、産経新聞社に入るが、右翼活動で逮捕され、クビ。朝日新聞記者を殺した「赤報隊事件」への関与も疑われている。しかし、
〈現在はテロなどの非合法活動を否定。政治的、宗教的立場を超えた、言論による対話の重要性を主張。幅広い分野で活躍中。座右の銘とする聖句「義のために迫害される人々は幸いである。天国は彼らのものである」マタイ5:10〉
そうか。私は、知らない間に、「回心」し、福音を伝える仕事をしてるのかもしれない。
「座右の銘」は、かつて桂文珍さんと対談した時に言った。
岩本さんはそれを読んでくれたのだろう。『サンデー毎日』(1990年4月29日号)だ。「文珍の美男美女丸かじり」だ。私との対談では、こんなリードがついている。
〈政治も経済もボーダレスの時代。ソ連、東欧の激変に『日本人に真の愛国心が芽生えたら、右翼はつぶれてもいいんですよ』と、カゲキな発言をする鈴木邦男さん。『実にさわやかな姿勢ですが、マスコミ受けせえへんやろな』と言う文珍さんでした〉
『サンデー毎日』では文珍さんと並んで写真に収まっている。私は色紙を持っている。そこに書いたのだ。「モットーか、好きな言葉を書いて下さい」と言われて書いたのだ。こう書いた。
〈『義のために迫害された人たちは幸いだ。天国は彼らのものだから』。ミッション・スクール出身の民族派、鈴木邦男〉
今、考えると、よくも恥ずかし気もなく書いたもんだと思う。文珍さんは喜んでいた。面白がってくれた。「いやー、最後がキマッてますね」と。
そして、別れる際、「鈴木さんは、いちばん左っぽい右翼ですね」と言う。これも誉めてくれたのだろう。
この時のテーマは、「国際化の中で愛国心を考えたい」だ。この対談は、私の対談集『右であれ、左であれ』(鹿砦社・1999年・1600円)に収められている。文珍さんとの対談から9年後だ。
そして、この文珍さんとの対談は今も、はっきり覚えている。今も新しい。こうして、今、名古屋の教会でも紹介されているのだ。
この『右であれ、左であれ』には、多くの人々との対談が入っている。猪瀬直樹、デーブ・スペクター、井上章一、松本健一、大前研一、松崎明、重信末夫…と。本の帯には、こう書かれている。
〈時代を“挑発する”!!
左翼・右翼・保守・革新・硬派・軟派の呪縛を越えて、新たな思想像を探究する。闘う対談集〉。
そうか。鹿砦社からこの「時代を“挑発する”対談集を出してもらい、その系譜が、今の「鈴木ゼミ」に続いているのだ。…と、分かった。ありがたい話だ。
では、名古屋の教会について話を戻す。
講演を始めて気がついた。私の名前が左に大きく貼り出されている。「一水会名誉コモン 鈴木邦男」と。
「ただのコモンですよ。コモンセンスと呼ばれてますよ」と言った。「名誉」じゃない。むしろ、私なんて顧問じゃ、皆に迷惑をかけている。「不名誉顧問」だ。
ここで気がついたが、いつもは「顧問」と書かれているが、この日は「コモン」とカタカナだ。面白い。
こう書くと、シモン、ペテロ、パウロ…のようだ。私を神の子と認めてくれたのかもしれない。嬉しい。
この日の集会の統一テーマは
〈いま、「愛国」について考える=排外主義への異論=〉
だ。その前に、〈2013・2・11「建国記念の日」反対。第47回名古屋キリスト者集会と書かれている。
あれれっ、私は「建国記念の日、反対」の集会に来たのか。知らなかった。昔から、こういう名前でやってた集会なのか。
でも、この日はそんな話は一切なかった。私も、そのことには全く触れてない。あくまで「愛国」と「排外主義への異論」について話をした。
そうか。中には、右翼の人で、この〈「建国記念の日」反対〉をネットなどで見て、「けしからん!」「鈴木は左翼の集会で講演するらしい!」と怒った人もいたようだ。
でも、私は、あくまでも、「信仰と愛国」について話そうと思い、来ただけだ。
〈いま、「愛国」について考える〉は統一テーマで、私の講演は、こういう題だ。
〈私の宗教体験を通して=キリスト教を外から見れば=〉
午後1時から開会礼拝。1時半から私の話。「30分位かな」と思ったら、「4時までありますから、自由に使って下さい」という。
それで1時間半ほど話し、休憩のあと、質疑応答。沢山、質問が出ました。宗教的なもの、政治的なもの、市民運動的なもの…と。頑張って答えました。
他の皆はどう思っているのかな、と思い、その場の人たちに聞いたりもしました。
とても考えさせられました。とても勉強になりました。
写真でも分かるように、満員でした。
「神聖な教会に、右翼なんか呼ぶのか」と、戸惑った人たちも多かったと思います。
あるいは、「恐いもの見たさ」で来た人もいたでしょう。
岩本さんたちは、「とてもよかったです」と言ってくれて、ホッとしました。
外部からキリスト教徒がどう見られているか。又、信仰者はどうあるべきか。などについて、私の体験を通して、話しました。
高校では「強制」に反撥して、ロクに理解しようとしなかった。
しかし、今は、キリスト教の素晴らしさが分かります。高校時代の疑問や反撥についても具体的に触れ、その後の「回心」についても具体的に話しました。そうした宗教的な話が出来たのは本当に幸せだったと思います。
これをキッカケに又、岩本さんや後藤さんたちと話をしていきたいと思います。本当にありがとうございました。
2月11日(月)は「宗教の日」でした。
そうだ。名古屋教会に来る前に、午前中、森田治さんに会って、食事した。
1970年の三島事件の時、三島と一緒に自決した森田必勝氏のお兄さんだ。
必勝氏のことをいろいろ話しました。若松孝二さんの「11.25自決の日」の話も。
その前日の2月10日(日)は、「連合赤軍の日」でした。1972年の連合赤軍事件に参加し、2、3年間獄中にいた青砥幹夫さんと対談したのだ。次の『紙の爆弾』に出る。
その前の2月9日(土)は、何と、「お笑いの日」だった。
「ロケット団」の三浦昌朗さんと組んで、漫才をやりました。生まれて初めての挑戦です。「ミッション・インポシブル」です。
この年になって、「生まれて初めての挑戦」を2つもやったんですよ。「漫才」と「教会での講演」と。緊張しましたし、2つとも無事終わって、ホッとしております。
この2つの挑戦は、ツイッターやネットでも、騒がれております。ありがたいです。
漫才の方も写真を載せております。急遽作ったコンビですが、名前を考えなくちゃ。と思って、「ニカラグア・ライト」「ニカラグア・レフト」にしました。
それ以来、私は、「ライト師匠!」と呼ばれています。
文化放送に行った時も、Wコロンに、「よう!ライト師匠!今度、僕と組んでやりましょうよ」と言われました。いえいえ、もう、燃え尽きてしまいました。とても、とても。
漫才も超満員で、チケットもソールドアウト。
「何とか入れないのか」「当日券はないのか」と問い合わせが、かなりありました。「チケットがないのでやめた」という人もいました。申し訳ありませんでした。
「ロケット団」の三浦さんには本当にお世話になりました。アホなシロウトと一緒にやるのは嫌だったと思いますが、懇切丁寧に指導してくれました。
「やはりプロは違うな」と感心しました。
それなのに、「ロケット団」のことを、「テポドン弾」とか、「ミサイル弾」なんて言い間違いしてしまいました。緊張して、あらぬことを口走ったのです。分身の「ライト君」を叱っておきました。
又、三味線の恩田えりさんもお世話になりました。
三味線というから、80位のおばあちゃんかと思ったら、とても若い、チャーミングな方でした。
あっ、写真でも分かりますよね。とても面白い方で、又、一緒にお話が出来たらと思います。
そして、主催者の「おしどり」さん。本当にありがとうございました。
ケンさんには、ハリガネで、トンボ眼鏡をその場で作ってもらいました。おかげで、「ライト師匠」が出来上がりました。面白かったです。楽しかったです。
舞台では、2人の漫才のあと、「おしどり」さん、恩田さんも合流して、話し、そのあと、会場からの質問も受けました。ここ「落語カフェ」で、「質疑応答」なんて、初めてでしょう。
中には、お客さんで「右翼の鈴木さんじゃ聞きづらいから、眼鏡をかけて下さいよ」と言う人もいた。「漫才のライトさんになら何でも聞ける」と言う。
分かりました。では、ライトになりましょうと、いきなり、「ライトの人生相談」になりました。これも分裂病気味で、楽しい体験でした。
今年は、もう本が3冊も出たし、坂本龍一さんとも対談出来、2つの「ミッション・インポシブル」も体験しました。〈生まれて初めての挑戦〉を2連発です。ありがたいです。
さらに勉強し、次なるミッションに挑戦したいと思います。よろしくお願いします。
礼拝のあと、1時間半、講演し、その後、質疑応答。とても貴重な時間でした。ありがとうございました。私や岩井さんが持ってきた本も全部売れました。東京や北海道から聞きに来た人もおりました。嬉しいです。こちらの方が感激しました。こういう出会いの〈場〉をつくってもらい、本当にありがたいと思いました。
終わって、居酒屋で打ち上げ。ホッとして、ついウトウトしてしまいました。この日は、名古屋のホテルに泊まりました。
〈北朝鮮3回目の核実験。その狙いと対応策を考える〉
国際世論に逆らい、なぜ嫌われることばかりするんだろう。うまくやれる方法もあるだろうに。やり方が下手だ。そのことは去年、北朝鮮に行った時も、向こうの人たちと話をした。「いや、我々は正義だ」と言うばかり。
日本に帰って、宮崎学さんと話したら、「北に対する敵対ムードをわざと作っているんだ」と言う。北に対する「話し合い」派を潰すような行動を取る。そのことで、「北は許せない」と周りの国々が騒ぐ。それを利用して、国内を団結させ、まとめているのだ、と。そんな面もあるのか、と思った。
又、アメリカを引っ張り出し、自分たちの国家の「保障」を取り付けようとしている。それもあるだろう。「イラクの二の舞は踏まない」と(4月に訪朝した時)、言っていた。「イラクは徹底的に闘うかどうか迷っていた。そして、ズルズルと戦争に入った。又、核を持ってなかったから簡単に滅ぼされた。我々は違う」と胸を張っていた。
何が北の暴走を止められるのか。中国はどうか。などについて話をした。
「編集長は見た!」は、月刊「文芸春秋」編集長の木俣正剛さん。今月の特集は、
〈芥川賞作家・黒田夏子さんインタビュー。幼女からそのまま老人になりました〉
75才という、史上最高齢受賞だ。受賞作「abさんご」は、平仮名が多いし、読むのは大変だ。私も苦労した。でも、素晴らしい作品だ。早稲田大学の先輩だ。5才から書き始めたが、途中、苦労し、一作仕上げるのも時間がかかる。「10年に1作」だという。インタビューも、よかった。
他の特集は、
〈尖閣開戦前夜の中国報道〉
1月23日付の人民日報は、1面に、こんな記事が。
〈日本が対局の戦略判断を競った場合、軍神の山本勘助、上杉謙信を現代に呼び戻したとしても、大砲の餌食となることを免れないだろう〉
凄い話だ。凄い意気込みだ。中国の軍は、そしてメディアはなぜ、これほどまでに熱くなっているのか。政府はもう少し冷静なのに。そのへんのところを矢板明夫氏が分析している。
そして、次の記事。
〈桜宮高校体罰、書かれざる複雑な事情〉。
スポーツライターの森功さんが書いている。この人には最近、私も会ったばかりだ。力の入ったルポだ。体罰以外にも、こんな理由があったのか。
その他、この日は時間がなくて取り上げなかったが、興味のある特集が沢山あった。1つは「安倍政権大論争」。経済、TPP、憲法改正、安全保障、皇室について、2人ずつが、がっちり組んで討論している。これは読みでがあった。テレビの討論では、こうはいかないだろう、と思った。実りのある討論だ。
もう1つは、「司馬遼太郎が見たアジア」だ。これも凄かった。ドナルド・キーン、李登輝、山折哲雄…などが書いている。司馬の視線は広く、遠くを見ていた。こうした、小説家は今はいない。残念だ。今月の初めに、私は「司馬遼太郎記念館」に行ってきたので、特にこの特集には心打たれた。
そのあと、「隣りの芸人さん」。外に出ていたWコロンが帰ってきた。「いやー、ライト師匠!」なんて、いきなり言われてしまった。「じゃ、ここで木曽さんちゅうと組んで、漫才をやって下さいよ!」。そんなこと出来ないよ。プロじゃないんだから。先月の土曜日に、1回やっただけなんだし。「でも、ネットやツイッターでも大騒ぎですよ」。そうですか。
そうだ。今日は、孫崎さんの家に行かなくちゃ、と別れました。文化放送の後、貞包アナと、途中で待ち合わせて、孫崎享さん(外交評論家)の家へ。写真でも分かるように、部屋の壁にはイコンや宗教画が所狭しと飾られている。それを見るだけでも心が和みます。ロシアで外交官をしていた時に集めたらしい。
「じゃ、打ち合わせをしましょう」と3人で打ち合わせ。ニコ生の「孫崎チャンネル」だ。毎週、水と土に30分ずつ、放送している。忙しい人なのに、大変だ。隣りで奥さんが、機械の操作をしている。「もうちょっと寄って」「もっと大きな声で」と。
いつもは30分なのに、この日は、私らが来たので、「特別に1時間にしました」と拡大版だ。
今日のニュースでも話したが、北朝鮮の核実験、そして中国。さらにロシアの問題などを詳しく聞きました。奥さんはずっと赴任地に一緒に行っている。「大変だったでしょう」と言ったら、「忙しくて、大変だと思ってる暇はなかったんです」と言う。外交官って、そんなものなのか。さらに立ち入った話も聞いちゃいました。
それから池袋のジュンク堂へ。『三島由紀夫、左手に映画』(河出書房新社)を書いた、山内由紀人さんと松本徹さん(三島由紀夫文学館館長)のトークセッションがある。それを聞きに行ったのだ。以前、山内さんの本を「週刊読書人」に書いた。三島はこんなにも映画を見、映画を語り、出演していたのか。それを知り驚いた。お二人の話は、とても興味深く、勉強になりました。
「この本は、とても書評に恵まれた本です」と松本さんが言う。「その1つが、ここにいる鈴木さんの書評です」。エッ!と驚いた。本が素晴らしいから、素直にそう書いただけなのに。ありがたい。終わって、お二人といろいろお話をしました。椎野レーニンさんも来ていました。
①2月11日(月)日本キリスト教団名古屋教会で講演しました。「私の宗教体験を通して=キリスト教を外から見れば」です。この日の「第47回 名古屋キリスト者集会」のテーマは、〈いま、「愛国」について考える=排外主義への異論〉です。
それを踏まえながら、私も話をしました。超満員です。その様子を、2階から岩井さんが撮ってくれました。撮り方も、技術も進歩しています。いい写真が撮れました。
ありがとうございました。
⑥終わって、打ち上げで。皆で、楽しくお酒を飲みました。生まれて初めての体験ですし、無事終わって、ホッとしたのでしょう。ビールを飲んだら、ついつい、ウトウトとしてしまいました。それで、この日は名古屋に泊まりました。
⑦「聖」から、いきなり「俗」ですね。生まれて初めて、「漫才」をやったんです。右は「ロケット団」の三浦昌朗さんです。
「で、左の人は誰?」と、椎野レーニンさんに聞かれました。私でんがな。コンビ名は、「ニカラグア・ライト」「レフト」です。ベスト、蝶ネクタイ、トンボ眼鏡で、「ライト師匠」に変身です。
⑨「おしどり」さんは面白いですね。マコちゃんのアコーデオン。ケンちゃんのハリガネ細工。天才的な芸ですね。お客さんのリクエストに応じて、「ハリガネ細工」をするんです。「ソフトクリーム」はいいけど、「勧進帳!」は難しそうした。でも、見事にやってのけてました。
⑩恩田えりさん(左)の三味線もよかったですね。何と、日教組が「新しい国歌に」といって作った「緑の山河」をやってくれました。凄いですね。だから、私らも、「日の丸・君が代」をテーマにした危ない「漫才」をやりました。
⑬「闇の守護神」と呼ばれた田中森一さんと。元検事。その後、弁護士。ところが、国策操作で逮捕され、5年間刑務所に。仮出所して、この日、2月8日(金)、ロフトプラスワンで、思いのたけを話してました。「おつとめ、ご苦労さんでした」と挨拶しました。
獄中では中国の古典を読みまくったそうです。今は、『論語』の勉強会をやってるそうです。「私も勉強に行きます」と言いました。
⑭ロフトは満員。田中森一さんの右隣は、元刑事の北芝健さんです。北芝さんが最近書いた『20歳若返る美肌のつくり方』(KKロングセラーズ)を読みましたよ、と言いました。喜んでました。本当、北芝さんは、20才以上、若く見える。驚きだ。
⑯2月10日(日)、『紙の爆弾』の対談。連合赤軍事件に参加した青砥幹夫さんと。逮捕され、何と、23年間も刑務所に入っていたんです。ご苦労さまでした。とても内容の濃い話が聞けました。そのあと、「土風炉」で飲みました。
⑲2月14日(木)8時半から、池袋ジュンク堂。山内由紀人さんの『三島由紀夫、左手に映画』(河出書房新社)のトークセッションを聞きに行きました。とてもいい本です。
私は「週刊読書人」で書評しました。だから、ぜひ聞きたいと思ったのです。山内さんと松本徹さん(三島由紀夫文学館館長)がトークしました。「今語る60年代の三島由紀夫」です。とても勉強になりました。
㉑2月16日(土)、発売になりました。本間龍さんと私の対談本です。『だれがタブーをつくるのか=原発広告・報道を通して日本人の良心を問う』(亜紀書房・1500円)。本のカバーには、こう書かれています。
〈かたや元右翼団体代表にして孤高の論客。かたや元博報堂社員にしてタブーへの挑戦者。原発・広告・マスメディアを俎上にのせて語りこんだ。「表現」の自由と責任、「言論」の自由と覚悟。〉