若松孝二監督の関係者が新潟に結集した。2月23日(土)、新潟市のりゅーとぴあ・劇場で「第7回安吾賞授賞式」が行われた。若松監督が受賞した。
ところが、受賞内示の直後、若松監督は亡くなった。
この日は、若松監督はいないが、「きっと、魂はこの会場に来ているはずです」と主催者が挨拶。
又、若松プロの人や役者たちも、「おめでとうございます!」とお祝いムードだった。
2千人ほど入る大会場だが、満員。それも20代、30代の女性が多い。
「こんなことは初めてです」と主催者の新潟市長も驚いていた。
若松映画に出演した井浦新さん、高岡蒼佑さん、篠原勝之さんが来ることが伝えられたからだ。
私も、いろんな集会に出ているが、これだけ若い女性で埋め尽くされた会場は、今までにない。
「あれっ、安吾賞の集会は前にあったんじゃないの」と思う人もいるだろう。去年、東京であった。
あれは、「若松孝二さん、第7回『安吾賞』受賞者発表会」だ。12月20日(木)、1時30分よりホテルニューオータニで行われた。
そして2月23日が本番の「授賞式」だ。
若松プロの人たち、役者さん、安吾賞選考委員の人たち…と、関係者が最前列に並ぶ。私も「関係者」の一人としてそこに座らされた。
井浦さん、高岡さん、クマさん(篠原さん)に私は言った。
「若松組」の人は幸せですよね。もう、こんな偉大な監督は出ない。
その監督のもとで仕事が出来たんだ。井浦さんは「実録・連合赤軍」「11.25自決の日」など5作品に出ている。
高岡蒼佑さんは監督の遺作『千年の愉楽』で主演をしている。
クマさんは30年来の友人だし、若松作品には何本も出ている。
自分は「若松組」だ、と皆、誇りを持っている。これからも、「若松組だ」と自信を持って言えるだろう。
新潟には来れなかったが、佐野史郎さん、寺島しのぶさん、満島真之介さんたちもそうだ。「若松組」の人が羨ましい。
だから井浦さんに、ポツリと言っちゃった。
「皆さんが羨ましい。若松組の組員だから。私なんて若松組の準構成員ですよ」と。
若松監督と知り合ったのは多分、私が一番古い。1970年代だ。一水会を創った頃からの知り合いだ。
「楯の会」一期生で、一水会創設の世話人だった阿部勉氏に紹介されたと思う。それ以来だから、40年ほど前からのお付き合いだ。
同じ宮城県の出身だし、有名な監督だ。ピンク映画の監督だが、反逆的、反体制的な志を持ってる人だ。
よく酒を飲んだりした。特に、PFLP、日本赤軍、連合赤軍の映画を撮るようになってからは急速に親しくなった。その志に感動した。
「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」では、「楯の会」の人間を紹介したり、資料集めをしたり…と、ささやかながら協力した。
映画が出来たら、「企画協力」で私の名前も出ていた。光栄だった。何百年も残る映画に協力させて頂いて幸せだ。
そうだ。以前、監督とは『天皇論』をテーマに対談している。「まとりた」という雑誌でやった。監督が、まだ三島映画を撮る前だ。まだ、全く考えてもいない。
それなのに「天皇論」だ。監督はピンク映画を撮ってたが、何と、『明治天皇と日露大戦争』という大作の助監督をやっている。その時の衝撃的な話を聞かせてくれた。そして、天皇への思いも。
「楯の会」の阿部勉氏と親しかったし、彼を通して、三島や「楯の会」のことも聞いていたのだろう。
いつか、三島や「楯の会」を撮りたいと、その頃から思っていたのかもしれない。
では、2月23日(土)の「安吾賞授賞式」に話を戻す。午後3時開場だ。
始まると、関係者の紹介がある。
選考委員長の三枝成彰さん初め、選考委員の人たち。若松孝二さんの三女で、現在「若松プロ」代表の尾崎宗子さん、そして若松プロのスタッフ。若松映画に出ていた井浦さん、高岡さん、クマさん…と。
そして、私も紹介された。ビックリした。こう紹介されたのだ。
「若松監督の盟友で、映画「11.25自決の日」で企画協力された鈴木邦男さんです」
エッ!「盟友」と言われたよ! いいの?と思った。後輩の、さらに後輩なのに。若松組の準構成員なのに…。
嬉しかったですね。光栄ですね。いつもは、「右翼の」とか、「落ちこぼれの」、「逮捕された…」「会社をクビになった…」と紹介されるのに。この日の紹介は最高でしたね。
じゃ、ずっと、これを使おう。ところで、安吾賞だが、坂口安吾の生き方を記念し、そうした生き方をしている人々を顕彰しようとして作った。安吾生誕100年を記念して作られ、今年で7回目だ。
新潟市長・篠田昭さんは、こう言う。
〈新潟市ゆかりの作家である坂口安吾は、文学をはじめ多くの分野において何事にも一生懸命に挑み続ける人であった。安吾の精神を具現し、さまざまな分野で挑戦し続けることにより、わたしたち日本人に喝を与えた個人または団体を表彰する「安吾賞」。挑戦者を応援する新潟市は、第7回の安吾賞受賞者として、映画監督・故・若松孝二氏を選出した。選出後、交通事故により急逝。享年76。〉
坂口安吾は、ジャンルを超えた作家だ。どこまでも自由だ。そして、常に挑戦的で、『堕落論』は最も有名だ。そして、『日本文化私観』『桜の森の満開の下』などが代表作だ。
作品はまだまだある。『不連続殺人事件』や『安吾捕物帖』。それに「安吾風土記」など、いろんな分野で書いている。
2月23日の安吾賞授賞式には、安吾の息子さんの、坂口綱男さんも来ていた。「安吾にはジャンルがありません。あらゆる分野で書いてます」と言う。
そうなんだ。旅行記に、推理物、そして、「堕落論」「日本文化私観」といった文明論というか、思想的なものも。
そして驚くことに、今読んでみても、全く古くない。新しい。当日もらった「安吾賞」のパンフには、こう書かれている。
代表作三つを取り上げ、
安吾の覚悟・『日本文化私観』
安吾の純情・『桜の森の満開の下』
安吾の喝・『堕落論』
なるほど。うまいですね。この時代に「喝」を入れるのか。『堕落論』では、こんな一節がある。
〈堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である〉
そして、このパンフレットには若松監督の「受賞の言葉」が載っている。アレッと思ったら、授賞の内定を受けて新潟市に寄せたメッセージだという。その中で、こう言っている。
〈右向け右と言われたら、左を向きたくなるし、みんなが当たり前だと言っていることも、「ちょっと待てよ」と言いたくなる。自分の頭で考える。僕の頭では、そう難しい事は考えられなくても、それでも考えてみる。
そうやって考えていると、目の前に見えている風景が、本当は違うんじゃないかとか、みんな自分が生きていると思っているけど実は死んでいるんじゃないかとか、そんな不思議な考えが次々と浮かんでくるのだ〉
ここまで書き写していて、「アッ!」と思った。予言だ。
「おい、お前たち、気をつけろよ。そんなことで、生きてるって言えるのか!」と喝を入れられたような気がした。
本当は俺の方が生きてるんだ。こうして、世の中を騒がせ、世の中を動かしている。
それに比べ、君たちは、何もしてないじゃないか。政治も変えられん。自分の生き方すら変えられない。それで、「生きている」って言えるのか!と。
やっぱり、安吾賞は、若松監督しかいない。そんな「喝」に続いて、若松監督は言う。
〈そんな僕に安吾賞を下さるという事も、不思議な事だ。けれど、「堕落論」なんていう事を考えて戦後の世の中をあっと驚かせた安吾さんの賞を頂けることは、素直に嬉しい。皆さん、ありがとうございます〉
この「受賞の言葉」が、同時に「遺言」にもなってしまった。
「安吾賞選考委員」は5人だ。
委員長は三枝成彰さん(作曲家)。副委員長は斎藤正行さん(市民映画館シネ・ウインド代表)。そして委員は、角川歴彦さん(角川グループホールディングス取締役会長)。手塚眞さん(ヴィジュアリスト)。三好一美さん(日本MITエンタープライズフォーラム理事・事務局長)。
この日、三好さん以外の4人が出席した。
三枝さんは、20年前、東海テレビの討論番組でよく一緒になっていた。新井将敬さんもよく出ていた。3人で酒を飲んで語り合った。
「又、どっかで語りましょうよ」と三枝さんに言われた。高校では学生運動をやったというし、革命とか、安保とか。そんな話もしたい。
斎藤さんの映画館は、この日から「若松映画特集」をやる。前に、日教組に呼ばれた時、帰り、この映画館に寄った。「若松コーナー」もあるし、いろんな資料、本もある。
角川歴彦さんは、1月末の「経営塾フォーラム」に来てくれた。私の話を聞いてくれたのだ。申し訳ありません。
「授賞式」が終わったあと、4人の選考委員の人、若松プロの人、役者さんたちで、打ち上げをやった。新潟市長が一席設けてくれたのだ。
井浦さん、高岡さんたちとも、話し合えたし、楽しかった。
「11.25自決の日」の話になった。「鈴木さんは企画協力ですよね。だから、今までの三島観とかなり違いましたね」と言われた。
又、「楯の会」の他の人たちは、その後、どうなったんでしょうね」と聞く人もいる。
知る限りのことを喋った。野村秋介さんと行動を共にした人もいるし、一水会に来た人もいる。
でも、大部分は、会社に勤めたりして、普通の生活をしてますよ。と言ったら、「うちにも『楯の会』はいたよ」と角川歴彦さん。
あっ、そうだ。田村司君だ。「あっ、ありがとうございます」と、お礼を言った。
角川に勤めてたんだ。田村氏は。今はもう辞めて、一水会相談役になっている。
この田村氏の従兄弟が、柏艪舎(はくろしゃ)の山本光伸さんだ。私の本を2冊出してくれている。今年は、『秘めてこそ力』を出してくれた。
新潟の打ち上げの話だった。そして、4月からは、ここの出版社が主催して、「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」をやる。お世話になります。
そして、皆で、若松さんの話、安吾の話、新潟の話になった。
井浦新さんが、「僕は新潟の出身なんです」と言う。
知らなかった。「じゃ、僕も新潟出身なんです」と私も言った。対抗した。
「えっ、鈴木さんは福島県郡山生まれでしょ?」と言われた。でも、違う。
その前に、井浦さんの話だ。大体、ここは「潟」が多いから、「新潟」と名付けられた。と、カメラマンの天野尚さんが言っていた。
実は、この日、「安吾賞」と共に、「新潟市特別賞」がこの天野尚さんに与えられた。
授賞式では、天野さんの撮った写真が映し出される。凄い。思わず息をのんだ。
洞爺湖サミットの時は、天野さんの撮った写真が会場に飾られた。迫力ある巨木の写真だ。日本を代表するカメラマンだ。新潟をよく撮っている。
その時、言っていたのだ。新潟は、海があり、川があり、「水の都」と言われる。それから又、「潟」が多い。
だったら、「多潟」でいいじゃないか。と思ったが、隣りに座ってる市長さんが言う。
その潟の多い中でも、新しい方向に街が出来た。それで、「新しい方向」が「新方」になった。さらに「方」は「潟」になった。ということらしい。知らなかった。
この時、「僕は新潟出身です」と井浦新さんが言ったのだ。新潟津だという。
「井浦」はこの「新津」にしかいない。「浦」にしろ、「潟」にしろ、海にちなんだ名前だ。
そうか。「新」は、「新潟」からとったのか。さらに「新津」も含んでいる。
と私が言ったら、「そんな簡単な理由じゃないですよ」と言う。
「おじいさんの名前から取った」と親父に聞いた。と言う。
「おじいさんは何て名前なの?」「新吾です」。「あっ、『新吾十番勝負』の新吾か」。「何ですか、それ」
という会話が交わされた。昔、大川橋蔵の「新吾十番勝負」という映画があった。でも、昔だから、新さんは知らないのか。
でも、「井浦新」は本名だし、新潟県新津出身だ。これも本当だ。「新吾」から取ったのか。「新潟」から取ったのか。
多分、両方かけて付けたんだろうと、私は思いますね。
ウーン、推理ものになっちゃった。「安吾捕物帖」みたいだね。
さて、私の「新潟出身説」だ。新さんに対談して、つい言っちゃったけど、別に嘘ではない。
私の父親は税務署勤務で、東北各地を転々とした。私は福島県郡山市の生まれだが、そのあと、会津若松市、青森県黒石市。秋田県の横手市、秋田市、湯沢市と移る。その後、仙台市に行く。
元々、父親は宮城県塩釜市の出身だ。だから、鈴木家代々の墓は塩釜市にある。
一方、母親の出身だが、福島県会津坂下(ばんげ)だ。今年は、NHK大河ドラマは「八重の桜」なので、私も「会津の出身です」と自己紹介している。
母の旧姓は広田だった。会津坂下では、「肥料屋」をやってたらしい。それが何と、「新潟屋」という。
会津なのに、どうして「新潟屋」なんだろう…と、ずっと疑問に思っていた。
そして、その謎が解ける日が来た。このブログを見てる人なら覚えているだろう。
今年のお正月に叔母さんの家を訪ねた。私の母の妹だ。
そこで、長年の疑問を口にし、聞いてみた。
そしたら、「実は、新潟の五泉市から来た人だ」と言う。私の母とこの叔母さんの父親(祖父だったか)が、五泉市から来たという。ヘエー、私の体の中には、〈新潟〉の血が流れていたのか、と、一大発見だった。
だから、井浦さん、新潟市長を前にして、「私も新潟出身です!」と言ったのだ。
2人とも驚いていた。そして市長が言う。
「新津市と五泉市は、隣り同士ですよ」。
「そうですか。じゃ、僕らは兄弟のようなもんですね。新さん!」と言っちゃった。
若松組の兄弟盃ですよ。という、発見と、サプライズと、挑戦が続出する中で、新潟の夜は更けて行ったのであります。
〈日米同盟強化で考えられるいくつかの懸念〉
中国、北朝鮮の脅威。そして韓国、ロシア…と、外交問題は山積している。その中で、アメリカとの同盟を強化するしかないだろうと、安倍政権は言うわけだ。TPPだって「日本の言い分は通したんだ」と主張する。死刑も3人、執行するし、これで、「法を守る」「治安を守る」という意気込みを示そうとしている。
改憲して、自衛隊は国防軍にするという。沖縄問題はほったらかしにしておいて、このまま改憲じゃ危ない。アメリカから与えられた憲法を直し、自主憲法にするのならいいが、今のままでは、「よりアメリカ寄りの憲法」になってしまう。
「編集長は見た!」は、
〈ハーバード・ビジネス・スクールやペンシルベニア大学ウォートン・スクールなど、トップクラスのビジネス・スクールでは、「人生に必要なことはこう教える」〉。
これは、凄い。たとえば、
〈「やればできる」という精神では夢を実現するのは難しい〉
そうではなく、「チャンスに備えて準備をし、チャンスを見極めて行動すれば、どんなことでも達成できる」
余り違わないようだが、大きな違いがある。それを詳しく聞いた。
〈北朝鮮が最も恐れる韓国の「切り札」とは〉
それは何と、天気予報なんだそうです。「天気予報」を流すだけで、北朝鮮に心理的なダメージを与えることが出来る。軍事境界線地域で韓国軍が拡声器を使って「人民の皆さん、明日は傘の準備を」と呼びかける。その翌日に本当に雨が降ると、北朝鮮軍は動揺する。のだそうだ。もう一つの特集。
〈モロッコ。強姦しても「結婚すれば無罪」にNo!〉
これは加害者が起訴されるのを避けるためのもの。レイプ被害という「一族の恥」も表沙汰にならないとして、裁判官もそれを奨励してきた。ところが昨年3月、16才の少女が自分を強姦した男と結婚させられたのを苦にして自殺を図るという事件が起こり、激しい反対運動が起こる。今年1月、政府は法改正の検討段階にあると発表。
そして、
〈モスクワ市民を虜にする「柴犬」の魅力〉
ともかく、凄い人気だそうです。
柴犬は暑さにも強いが、氷点下の寒さもものともしない。ロシアの厳しい気候条件のもとでも、屋外で越冬する事が出来る犬なのだ。又、コメルサント紙は言う。
「柴犬はサムライ魂にあふれているので、たとえイノシシとトラとライオンが合わせてかかってきたとしても怯みはしないだろう」と。
終了後、車で四谷へ。スクワール麹町。海渡雄一・福島みずほ『脱原発を実現する』出版記念会の集会。私も挨拶しました。村山富市さん、佐高信さん、落合恵子さん、中森明夫さん、斉藤貴男さん、松本侑子さん、「制服向上委員会」の人々…などに会いました。
〈もう一つの武富健治物語。怪談。都市伝説。秘境…。「鈴木先生」の著者が描いた日本の暗部〉
武富さんの新作『狐筋の一族』『惨殺半島赤目村』出版記念だ。武富健治さん、小池壮彦さん(怪談史研究家)らが出演。ロフトに行ったら、武富さんに、「あっ、鈴木先生!」と声をかけられた。面白かったです。帰って、原稿を書く。たまってたので、朝までやった。眠い。
①第7回・安吾賞授賞式。2月23日(土)午後3時より。新潟市。りゅーとぴあ・劇場で。
(左から)審査委員長の三枝成彰さん。尾崎宗子さん(若松孝二監督の三女)。天野尚さん(新潟市特別賞)。新潟市長・篠田昭さん。
⑩楽屋にヒロさんを訪ねた時です。左端は亜紀書房の松戸さんです。本間龍さんとの『だれがタブーをつくるのか』を作ってくれた人です。
隣りにさっきの女性がいますね。実は(この後ろの)白井基夫さん(「週刊金曜日」記者)のお母さんなんです。俊子さん(80才)です。とても80には見えません。元気です。話が面白くて、つい「親子で漫才をやったら?」と言ったら、満更でもない様子でした。私の「生誕100年祭」の時にぜひお願いします。
⑲中森明夫さん、佐高信さんと。中森さんは、やたらと過激な挨拶をしてました。「社民党、民主党は何をしている!」と。「村山さんが首相になって、安保、自衛隊を認めたのが崩壊の始まりだ!」と、目の前にいる村山さんを糾弾してました。
⑳「制服向上委員会」のお二人と。左は小川杏奈さん(9代目リーダー)。右は橋本美香さん。「『脱原発』のデモに出ただけで、仕事なくなるぞ、警察に追いかけられるぞ、と脅されて、辞める人が続出したんです」と言う。
酷い話だ。そんなことを話してたら、3人一緒に壇上に上げられた。まるで、私は制服向上委員会の保護者みたい。