さすが宗男さんの人気は凄いと思いました。雨の中、200人もの人が講演を聞きに来てくれました。4月9日(火)です。
〈鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台〉をこれから定期的にやることになりました。その第1回目が4月9日です。ゲストは鈴木宗男さんです。「新党大地代表」です。
そして、北海道といえば、宗男さんです。
このシンポジウムは、主宰が柏艪舎(はくろしゃ)です。今年の1月、『秘めてこそ力』をこの出版社から出しました。その出版記念も兼ねて、この企画がスタートしました。
北海道を代表する札幌時計台で、この日本を考えてゆこうという企画です。
これから先も決まっています。6月11日(火)が中島岳志さん。8月13日(火)が山口二郎さん。11月19日(火)が小磯修二さん。そして年が明けてから原田宏二さん。と、すでに第5回目まで決まってます。
主催の柏艪舎は札幌に拠点を置く出版社です。いろんな本を出して問題を提起しています。3年前には私は、ここから『日本の品格』を出しました。
そうだ。その時も、鈴木宗男さんと出版記念トークをしたのだ。お世話になりました。又、中島岳志さんともその前日、紀伊国屋書店でトークをした。
この柏艪舎からは、鈴木亜繪美さんの『火群のゆくへ=元楯の会会員たちの心の軌跡=』も出ている。「楯の会」の人たちの〈その後〉を追い、取材した力作です。類書はない。
三島事件以降の「楯の会」をこれほどきちんと取材し、書いたのは、この本だけだ。
実は、元「楯の会」の田村司氏が協力したからだ。彼が、「ぜひ取材を受けて、協力してくれ」と全国の「楯の会」会員たちに言ってくれたからだ。とてもいい本だ。
私たちの知らない「生の声」、苦しみ、悩み、エピソードが紹介されている。
三島さんに続きたい。しかし、小さな事件を起こしたら、あの事件を汚してしまう。
では、毎年11月25日に、1人ずつ自決するのはどうだろう。そんなことを話す元会員もいる。皆、思い詰めていたんだ。
そんな貴重な生の資料が載っている。元「楯の会」田村司氏の協力があってこその本だ。
実は、この田村司氏と、柏艪舎代表の山本光伸氏は従兄弟なのだ。そんなこともあり、3年前に、ここから私は『日本の品格』を出した。そして今回は、『秘めてこそ力』だ。
柏艪舎という名前は、いわれがある。船を漕ぐのに、柏(かしわ)の艪(ろ)は、軽くて強いし、最適なんだ。現代というこの荒海に船出し、乗り切ってゆくのに柏の艪こそが最もいい。その舵取りをする出版社になる、という意気込みがあるのだ。
では、4月9日(火)の、「時計台シンポ」だ。札幌時計台は、北海道観光では最もポピュラーなところだ。
その2階に、この大ホールがある。普段は演奏会などに使われている。定員150人だ。そこへ、200人が入った。
この日は午前11時に羽田発の飛行機に乗り、12時35分に千歳に着いた。「北方ジャーナル」の記者が出迎えてくれた。
札幌駅まで電車の中で取材を受ける。脱原発や憲法改正の動きについてだ。他に、まとまった時間がなかったので「電車内取材」になった。
千歳には、もう1人、下中忠仁さんが出迎えに来てくれたので、一緒に電車で札幌に向かう。
下中さんは、大阪から来た。私よりもちょっと前に千歳に着いて、待っていてくれたのだ。西宮でやっている「鈴木ゼミ」には毎回来てくれている。
今回は、わざわざ札幌まで来てくれた。「記念すべき第1回ですから」と言っていた。
札幌に着き、グランドホテルに行く。柏艪舎の山本社長、可知さんと合流し、打ち合わせを兼ねて、食事。
横松心平さんも来てくれた。初対面だ。でも、お父さんとは何度も会っている。作家の立松和平さんだ。立松和平さんは本名は「横松」なんだ。
早大で全共闘運動をやってた時、組織名を「立松和平」にした。警察に捕まった時なども、本名を言わず、「立松和平」で通した。
「どうせなら、全く別な名前にすればいいのに」と息子さんは言う。そうですよね。横松を立松にしただけなんて。
「和平」は、当時、流行っていた言葉だ。「ベトナム和平」とかいって。戦争に対峙する、平和のイメージだ。
そして、「立松和平」という、学生運動で使っていた組織名をそのまま作家のペンネームにしたという。
息子さんは、その立松さんに似ている。そして柏艪舎からも本を出している。奥さんの出産に立ち会った話だ。その話と、お父さんの思い出を今度、じっくり聞いてみたい。
その横松さんを交えて食事をし、打ち合わせをした。それから私は北海道新聞へ。
3時から取材だ。そして、5時、時計台に行く。5時半、宗男さんが来てくれた。打ち合わせ、そして6時から開始。
文化放送の「夕やけ寺ちゃん活動中」に私は、水曜日、コメンテーターとして出演していた。2年半続いた。
宗男さんは3度ほどゲストで出てもらった。他に、東国原英夫さん。そして小林旭さん、小説家の小池真理子さん、三上延さん、真山仁さんなどにも出てもらった。
三上さんは『ビブリア古書堂の事件手帖』の作者だし、真山仁さんは『ハゲタカ』の作者だ。
その他、多くの人たちに会い、とても勉強になった。
ところが、この「寺ちゃん」が3月一杯で終了した。いや、「寺ちゃん」は朝に変わって「おはよう寺ちゃん活動中」になった。今まで夕方3時半から5時半だったのが、朝5時〜7時になった。私の出番も終わった。
もう文化放送に行くこともないのか、淋しいな。
と思っていたら、大竹まことさんの番組から声がかかった。4月8日(月)の「大竹まことゴールデンラジオ」に出でくれという。
いやー、嬉しかったですね。14時25分開始なので、14時までに来てくれという。喜び勇んで行きました。
10日ぶりなのに、「久しぶりに来た」という感じだった。
スタッフと打ち合わせをした。脚本を書いてる人は、「実は6年前、鴻上さんのラジオに鈴木さんが出た時、僕が台本を書いたのです」と言う。
そうか。鴻上尚史さんの番組か。あの時は、お世話になりました。
この「大竹まことゴールデンラジオ」は、寺ちゃんの前だ。だから大竹さんとは毎週会ってたし、1年前に1度、出たこともある。
という話をしてたら、突然、寺ちゃんが現れた。「鈴木さんが来るというから」と来てくれた。
午前5時から7時に出て、あとは、帰って寝るのかと思ったら、違う。働いていた。そこに、プロデューサーの千吉良さんも来た。「随分、久しぶりのような気がしますね」と言った。本当は10日ぶりなのに。
今は、「おはよう寺ちゃん活動中」になってるという。落ち着いたら、鈴木さんにも又、出てもらおうと思ってます、と言う。ありがたいです。
「そうだ。今朝は、宗男さんに出てもらったんですよ」と言う。
驚いた。「エッ? 僕は明日、一緒に講演会ですよ」と言った。宗男さんは、朝来て、北方領土の話をしてくれたという。「今年は大きく動きますよ。宗男さんが断言してました」。
それは凄い。じゃ、明日の「時計台シンポ」で詳しく聞いてみますよ、と言った。
それから、「大竹まことゴールデンラジオ」の本番に入る。
この日は、阿川佐和子さんが出ている。「130万部突破おめでとうございます」と言いました。
阿川さんの『聞く力』(文春新書)が130万部突破で、「年間ベストセラー第1位」になったのだ。とてもいい本だ。又、「週刊文春」の対談はすでに900回を超えている。日本のトップの人たちは〈全て〉会って、話を聞いている。そんな感じだ。
その『聞く力』の天才・阿川さんから私は聞かれたのだ。それも、『秘めてこそ力』を取り上げて。
嬉しかったし、ありがたかったですね。大竹さん、阿川さんと、この本についてじっくりと話をしました。
そして翌日は、宗男さんと会って、『秘めてこそ力』出版記念だ。宗男さんには、文化放送で言った「今年は、北方領土問題が動く!」という話を詳しくしてもらった。
初めの予定では、2人が30分ずつ話し、その後に、トーク、質疑応答だったが、「いや、宗男さんに、十分に話してもらいましょう」と私が言い、急遽、予定を変えた。
初め、まず私が、15分挨拶をする。昨日の文化放送の話、このシンポの目指すものについて喋る。
そして、宗男さんが30分、休憩して、2人のトーク…だ。
ところが、宗男さんは話が乗って、1時間以上になった。
でも、かえってよかった。普段聞けない話もしてくれた。新聞記者も多く来てたし、終わってからも、30人以上が、「ぶらさがり取材」していた。
それだけ、衝撃的な話だった。ユーストでも生中継されたし、翌日の「北海道新聞」などにも大きく取り上げられた。
私も初めて聞く話が多く、眼が開かされた。さすが宗男さんだと思った。
終わって、2人でサイン会。長蛇の列が出来て、なかなか終わらない。必死で書きました
終わって、打ち上げ。中島岳志さんは大学の教え子も連れて参加してくれました。立松和平さんの息子さんも参加してくれました。
そこで皆に、昨日の文化放送の話をしました。そして4月4日(木)の日本外国人特派員協会に出たことなどを話しました。
「従軍慰安婦と日本の歴史問題」をテーマに、和田春樹さん、西尾幹二さんと3人で話をした。そして、外国人記者からの厳しい質問も受けた。
しかし、よく私なんかを呼んでくれたと感謝した。だって、ここは、「時の人」「世界の顔」と言うべき人を呼んでいる。
今まで出た人の写真が廊下に飾られていた。田中角栄、三島由紀夫、ブッシュ大統領、ダライ・ラマ…などだ。錚々たる人たちだ。
オウムの上祐史浩さん、村井秀夫さんもいる。サリン事件(1995年3月)の直後に出ている。「我々はやってない!」と訴えたのだろう。その手応えもあったのか、2人とも、にこやかに笑っている。
そして、この2週間後に村井氏は、刺殺される。刺殺した徐裕行さんは知り合いだ。
上祐さんは西宮の「鈴木ゼミ」に来てもらった。そのことを思い出しながら、外国人特派員協会の写真を見ていた。
4月9日の札幌の話に戻る。打ち上げに参加してくれた中島岳志さんとは次回の打ち合わせもした。
中島さんは大本教本部も訪ねている。NHKの番組で。又、今、血盟団事件の本を書いている。
「鈴木さんは、血盟団の小沼正に会ってるんですよね、それと、西田税を殺しに行った川崎長光とも…」。そうですよ。
そうだ。産経をやめてすぐ、『腹腹時計と〈狼〉』。それに『証言・昭和維新運動』を書いた。
後者の方に、血盟団、5.15事件、2.26事件などに参加した人々を訪ねて書いたのだ。日刊「やまと新聞」に連載して、それをまとめて島津書房から出した。
この時、やまと新聞にいて、全ての段取りをやってくれたのが久保内薫記者だ。とてもお世話になった。
「その娘さんが今日、聞きに来てくれたんですよ」と私は言いました。
初対面だ。本当にびっくりした。これも縁だろう。
そしたら、中島さんが、「私は去年、川崎長光に会ってきたんです。100才でした」と言う。その取材の直後に亡くなったそうで、私も会いたかった。
私が行ったのはもう35年前だ。次回、6月11日に中島さんと話す時は、『証言・昭和維新運動』を中心に、革命や愛国心などについて話し合ってみたい。
中島さんは、血盟団に関心を持って、本を書いている。もうすぐ単行本で出るそうだ。楽しみだ。その話も次回にしてみたい。
昔、『血盟団事件公判記録』を読んで感激したことがあった。かなりぶ厚い本だ。全4巻だったかな。
血盟団の1人1人は、「自分は革命家だ」と言っている。「革命」をやるんだと言っている。重信房子さんのお父さん、末夫さんのことも出ている。
「その末夫さんに、鈴木さんは会ってるんですよね」と中島さん。そうなんだ。だから、末夫さんは娘のことを「右翼だ」と言っていた。
自分たちもかつては〈革命〉をやろうとした。だから今だって〈革命〉をやる人は「右翼だ」と言ってる。それだけ自分たちの運動に自信と誇りを持っていたのだ。
中島さんは、血盟団事件の時と今は、時代的雰囲気が似ていると言う。そうしたことについても話してみたい。
中島さんと、対談する6月11日まで、さらに日本は大きくは変わるかもしれない。
午後3時、「北海道新聞」へ。取材を受ける。
5時、札幌時計台ホールへ。6時から開始。今日が「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」の第1回だ。
雨は降ってるし、寒い。人が集まるのかと思ったが、続々と集まって来た。200人。超満員だ。
私がまず始めに挨拶をする。そして「北方領土返還」について宗男さんが講演。大熱弁だ。30分の予定が1時間になった。でも、とてもいい話だった。
そこから2人で対談。そして、質疑応答。9時終了。それからサイン会。長蛇の列だ。かなり時間がかかってサインを終えた。
それから二次会へ。中島岳志さんも学生を連れて参加してくれた。
お陰様で大成功でした。柏艪舎の皆さまありがとうございました。司会の中尾則幸さん、ありがとうございました。
北朝鮮にいる「よど号」グループの手記。そして、鳥越俊太郎さんが北朝鮮に行き、彼らと話し合った、その全てが出ている。
その出版に合わせて、河出書房新社のHPに載せるため、私が北朝鮮に電話して、「よど号」グループと話をする。
リーダーの小西さんと30分ほど話をする。「いい本ですね。この本が出たら日本の世論も変わりますよ」と言った。
それよりも、今、「ミサイルが撃ち込まれる」「戦争になる…」と日本では騒いでいる。「そっちはどうですか」と聞いたら、「平穏ですよ」と小西さん。そうなんだ。私も4回行ってるが、日本で騒いでるのとは全然違う。
小西さんには、ヨーロッパの“拉致疑惑”と、なぜそんな報道がされているのか、その辺を聞いた。この本が出たら、シンポジウムをやり、大々的にこの問題を取り上げたい、と言いました。
そのあと、河合塾コスモに行って、自習室で勉強。
〈『保守の知恵(佐高信×岸井成格)』(毎日新聞社)の刊行を祝い、岸井成格氏の新たな出発を激励する会〉
岸井さんは、今年の3月で毎日新聞主筆を退任し、4月から「NEWS23」のアンカーになった人だ。その出発を激励する会だ。佐高さん、岸井成格さん、海江田万里さん、辛淑玉さん、落合恵子さん、なかにし礼さん、萱野稔さん、細田博之さん、渡辺周さんたちと話しました。松元ヒロさんも来てました。ミニライブをやりました。
終わって打ち上げに参加。途中で失礼して、7時から立花君主催の懇親会があって、そちらに参加。「世界一周」帰りの平野悠さん、アメリカから一時帰国したエミさんも来てました。
⑯村上むつ子さんも質問してました。「あっ、あの時の村上さんでは!」と思い、終わって話しかけました。そうでした。30年前、私は2人の女性に取材されたんです。1人は「クリスチャン・サイエンス・モニター」の桜井良子さん、もう1人が「シカゴ・トリビューン」の村上むつ子さんです。「野分祭の取材もしたし、一水会事務局にも行きました」と言います。その後、桜井さんは日本テレビのキャスターになり、独立して、頑張ってます。
当時、外人記者も沢山呼んで、桜井さんのマンションで酒を飲みました。「この人、右翼なのよ、怖いのよ」と皆に紹介してました。「オー!ノー!」「テリブル!」と皆は言ってました。でも、今は、桜井さんの方が私よりずっと右翼です。ずっとテリブルです。
「あの時の記事は、シカゴ・トリビューンに載ったんでしたっけ?」「そうです。探してみましょう」と村上さん。今は、国際基督教大学で教えています。
⑱そして、オウム真理教の村井秀夫さん、上祐史浩さんの写真が。1995年3月20日に地下鉄サリン事件があり、翌月4月7日に、ここで2人は講演してるんです。そして、この2週間後の4月22日に村井さんは刺殺されました。
⑲ピースボートで「世界一周」して帰ってきた平野悠さんの話を聞きました。4月4日(木)の夜です。ネイキッドロフトです。
3ヶ月、世界を周り、人間もグンと大きくなって帰ってきた。と思ったんですが、全く変わりませんでした。でも、南極、イースター島などの写真は素晴らしかったです。カメラマン2人も話してました。
㉔『“拉致疑惑”と帰国』(河出書房新社)が、4月20日、発売になります。「よど号」グループの手記。そして鳥越俊太郎さんのインタビュー記事などで、〈拉致疑惑〉に迫ります。衝撃的な本です。大反響を呼ぶでしょう。
そこで急遽、平壌の「よど号」グループに電話して私も話を聞きました。河出書房新社から電話してます。その内容は、河出のHPに出るそうです。4月27日(土)はこの本の出版記念会があります。