変わった本だ。変わった出版記念会だった。それも、2冊だ。
1冊は、佐高信さんと岸井成格さんの『保守の知恵=アジア平和外交の歴史的真実=』(毎日新聞社)だ。この出版記念会が4月12日(金)、7時からANAコンチネンタルホテルで行われた。
もう1冊は、田中森一さんの『塀のなかで悟った論語』(講談社)だ。「まるでジェットコースターのような人生だ」と作家の森功さんが言ってたが、その通りだ。
この本から先に紹介しよう。敏腕特捜検事だった田中森一さんは検事を辞めた後、弁護士になり、ヤクザの弁護を多くやる。そこで付いた渾名が、「闇社会の守護神」。凄い名前だ。
ところが逮捕され、5年の独房生活。その中で、必死に学び、1000冊の本を読破し、何と、『論語』についての本を出した。
そして、出所後の今は、定期的に論語の勉強会をやっている。「鈴木さんも来なさいよ」と田中さんに言われたので、行ってみようと思っている。
元々、頭のいい人だし、努力の人だ。1943年長崎県生まれ。あっ、私と同じ年か。
子供の時から秀才だった。「神童」と言われた。ここは私と違う。岡山大学法学部在学中に司法試験に合格したのだ。
もの凄く優秀だったんだ。郷里の期待も大きかった。当然だろう。
検事になってからも、敏腕検事で鳴らした。大阪地検特捜部などを経たあと、東京地検特捜部で、撚糸工連汚職、平和相互銀行不正融資事件、三菱重工CB事件などを担当。その辣腕ぶりが「伝説」となった。
その頃は、「巨悪」を斬りまくり、この国を守る「守護神」だった。エリートコースを突っ走る。
ところが、1987年、弁護士に転身。やはり辣腕だから、いろんな所から弁護を頼まれる。
今まで検事の時は、自分が厳しく取り調べ、刑務所に送っていた人間たち…つまり、ヤクザや「罪人」たちを、今度は、立場が一転して、弁護する。
その「転身」には迷いはなかったのか。苦悩はなかったのか。
あったと思うが、「こちら側」に移っても、優秀だし、敏腕だ。勝つ。そして、多くの人々に頼られる。
それが、古巣の検察からの恨みを買ったのか。2000年、石橋産業事件をめぐる詐欺容疑で東京地検に逮捕される。起訴され、無罪を主張するも実刑が確定。2012年11月に刑期を終える。
6年前、これから刑務所に入るという時に、「壮行会」で僕は田中森一さんに会った。そして、去年末、出所直後のロフトプラスワンのイベントでも会った。
努力の人だし、不屈の人だ。獄中で胃ガンが見つかり、手術した。「外にいたら忙しくて、検診も受けなかったし、発見も出来なかった。中にいたから見つかり、手術出来た」と言う。
又、中にいたからこそ、これだけ集中的に本を読み、勉強することが出来た。自分を見つめることが出来たという。ポジティブ・シンキングだ。
その元になったのが『論語』だという。だから、前の本とは随分違う。
田中さんの前の著書には、ベストセラーとなった『反転=闇社会の守護神と呼ばれて=』(幻冬舎)がある。
これは随分と話題になった。凄い人生だ。やり手だ。だからこそ、検察の恨みも買ったのだろう。
共著には、『検察を支配する「悪魔」』(講談社)などがある。
出版パーティの会場では、田中さんが獄中で綴ったノートも展示されていた。『論語』を書き抜き、言葉の意味を調べ、感想を書き…と、大学生のノートのようだ。
きれいな字で、几帳面に、びっしり書かれている。獄中で、これだけ集中して勉強出来るんだ。やはり優秀だし、努力の人なんだと思った。
そのノートの写真も撮ったので、見てほしい。
傍では、元刑事の北芝健さんがいて、何やらメモを取っている。手帳を見たら、驚いた。汚い!字は乱雑だし、字なのか絵なのか分からない。だから、隠れて盗撮した。これもお見せしよう。
これが検事と刑事の違いなのだろう(そんなことはないかな)。まぁ、2人の性格の違いが表れている。
このパーティでは、田原総一朗さん、大川豊さん、筆坂秀世さん、森功さん…など、多くの人に会いました。
では、もう1冊の本だ。佐高信さんと岸井成格さんの『保守の知恵=アジア平和外交の歴史的真実=』(毎日新聞社)だ。
この出版記念会が4月12日の7時からANAコンチネンタルホテルで行われた。その前、5時から私はテレビ朝日の番組の収録に出ていた。
6時に終わり、局の車でANAまで送ってくれた。
早いので、コーヒーでも飲んでようと思ったら、佐高さんと岸井さんがいる。奥さん方もいる。一緒にお邪魔した。
そこに河野洋平さんが来て、一緒に話をした。4月4日に、日本外国人特派員協会に呼ばれて、「河野談話」のことを話してきました、と言った。
テーマは「従軍慰安婦問題と歴史認識」だ。安倍内閣は「河野談話」を見直そうとしている。慰安婦、慰安所を認めて謝罪した「河野談話」は認められない。というのだ。
でも、第1次安倍内閣の時は、「河野談話」を認めてたのに。おかしな話だ。
私は「河野談話」「村山談話」は、かなり踏み込んでいるし、反省・謝罪もしている。評価していいと思う。
「それでは不十分だ。何も言ってないのと同じだ」と言う左翼の人もいる。
又、「許せない。日本は何も悪いことはない。撤回しろ!」と、怒鳴る保守派・右翼の人もいる。
だが、反省・謝罪したものを、「いや、あれは嘘でした」と言ったら、国家としての信用もなくなる。それこそ〈国益〉に反する。
あの「談話」を基にして、さらに広がりをもって具体的な問題を検討したらいい。
「河野談話」見直し、批判の動きがあることについて、河野さんは、「いじれば、いじるほど、おかしくなりますよ」と言っていた。
村山富市さんには、福島みずほさんのパーティで会って、「村山談話」の話をした。「談話」の当人、2人に会ったわけだ。
村山さんは、「そんなことをしたら、アジアの国々から信頼されなくなりますよ」と言っていた。今度又、2人にお話を聞いてみたい。
佐高さんと岸井さんの本だが、初めてもらった時、「あれっ」と思った。タイトルを見て、そう思ったのだ。
だって2人は、「保守」ではない。「革新」だろう。佐高さんなどは、むしろ「革命」だ。
これはどうしたことだろう。私らが学生の頃は、「保守」と言われるのが、最大の「悪口」だった。罵倒だった。「保守・反動」と、セットにして使われた。
まだ読んでないから分からないが、多分、「敵」である「保守」の中にも、こういう評価すべき人がいた。こういう動きがあった、ということだろう。
本の帯にはこう書かれている。
〈戦後政治の核心がいま初めて語られる。アジアと向き合い、情報を知り尽くした外交を展開した戦後保守の「平和の技法」を掘り起こし、いまこそ人間の営みとしての政治の原点を指し示す。
危機の時代に問いかける、未来のための政治論〉
やはり、そうだろう。「保守」といわれる人たちでも、こんなことをした。それは見習い、評価すべきだろう。そういう〈知恵〉なのだろう。
だって、このパーティの第1番目には、自民党の河野洋平さんが挨拶した。「河野談話」の人だ。他にも、自民党から何人かの政治家が来て、挨拶していた。
この本の目次を見てみよう
第1章 安倍内閣に保守の知恵はあるのか
第2章 民主党は生き残れるのか
第3章 園田直と保利茂の外交
第4章 いま中国は日本をどう見ているのか?
第5章 日米基軸から多角形の外交へ
第6章 派閥と利権は悪なのか?
第7章 橋下徹の何が問題か?
第8章 保守政治家の条件
やはり、私の思った通りらしい。後ろの著者紹介を見た。
佐高信さんは、1945年、山形県酒田市生まれ。岸井成格さんは1944年東京生まれ。そうか。私とほぼ同年代なのか。
それに、岸井成格さんだが、名前の読み方が分からなかった。「きしい・せいかく」さんだと思っていたら、名前は、「しげただ」と読むんだ。
知らなかった。きちんと読める人がいたのだろうか。大変だ。
今年の4月からは「NEWS23」(TBS系)のアンカーとして出演している。その新しい出発もあって、このパーティになったようだ。
終わって二次会の時、「従軍慰安婦」問題の話をした。4月4日の日本外国人特派員協会でもその問題で激論したからだ。そして千田夏光(せんだ・かこう)さんの話をした。
千田さんは『従軍慰安婦』(三一新書)を書いた人だ。この人が「従軍慰安婦」という言葉を作った。と言われ保守派から批判されることが多い。
僕もそう思い、批判的に取材した。ところが、ロフトなどで何度か会ううちに、むしろ千田さんの言うことの方が正しいのではないか。と思った。
その時のことは、当時、「週刊SPA!」に書いた。そして、私の『続・夕刻のコペルニクス』(扶桑社)に入っている。
この本は1998年3月に出ている。文庫化もされている。かなり売れた本だ。「週刊SPA!」に連載した「夕刻のコペルニクス」の1996年10月9日号から1998年3月11月号に掲載したものをまとめた。
単行本化にあたっては、何と、北野武さんとの特別対談も入っている。〈表現と暴力、そして死について〉という対談だ。よく武さんが応じてくれたものだ。
今、読み返してみても懐かしい。本の帯には、こう書かれている。
〈`96年、「ニセ米ドル事件。`97年、「柳美里氏脅迫事件。`98年、「東京証券取引所立てこもり事件」…。
すべての「真相」はここにある!〉
過激なコピーだ。かなり危ない取材をし、危ないことを書いていた。抗議もひっきりなしだった。担当の河井記者も大変だったと思う。
その中でも、慰安婦の映画を取り上げて、右翼に抗議されたり、その抗議文を載せたり。今思い出しても大変だった。
この連載はいろいろ大変だった。いろんな人に意見を聞き、自分でも悩み、考えた。その中で、千田夏光さんの話は衝撃的だった。その時は、こんな「見出し」で書いていた。
〈理想に燃えた軍人もいた。卑劣な軍人もいた〉
〈「従軍慰安婦」問題で見落とされているものは何か〉
〈日露戦争後、何が「従軍慰安婦」を生んだのか〉
これは千田さんの言葉から取った。保守派からは、「ありもしない「従軍慰安婦」という言葉を作った売国奴だ!」「反日だ!」と批判されることが多い千田さんだ。
しかし、話を聞いてみると、千田さんの方がずっと国を愛し、国を憂えていると思った。だって、こう言うのだ。
「大体、日清・日露戦争では日本の軍隊に従軍慰安婦はいなかった。強姦事件なども皆無だった。
ところが、暴行、略奪、強姦がシベリア出兵(`18年〜)の頃から急増する」
えっ、昔からあったんじゃないのか。日清・日露の時は、全くなかったという。その理由として言う。
〈1つは、明治時代の日本は欧米先進国の仲間入りすることに懸命であり、そのため、外国の顰蹙を買うことを極度に恐れた。俘虜を国際法上以上と思われるまで優遇したのもそのためだった。ところが、日清・日露戦争に勝ち、日本は大国と並んだ。そして次第に思い上がりも生まれ、他民族への蔑視も生まれた〉
この話を聞いた時はショックだった。全く別の視点から、この問題について考えさせられた。
さらに、日清・日露までは、〈武士道〉が残っていたから、戦いが終わったら俘虜を厚く遇することもした。
四国の松山などの捕虜収容所では、外出も自由で、市民にも親切にされたという。
こんなことは世界史上でもない。それだけ、「背伸び」したのだ。世界の先進国に追いつこうと思い。野蛮国と思われまいと、「背伸び」した。こうした「背伸び」は、いいことだと思う。
武士道について、千田さんは言う。
「明治時代の軍人は陸海軍とも士族、すなわち旧武士階級出身者に限られていた。 彼らには武士道があった。誇りを重んじ、恥を知り、人倫にもとる行為はなさないという美意識があった。
ところが、武士階級は消滅し、一般人の中から兵隊を取った。武士道は武士のみの哲学であり、父祖伝来の長い間の精神的土壌を必要とし、そこにおいてのみ意義を見いだせるものであった。
その土壌を持たぬ一般人が「武士道」を口にした時に狂いが生まれる。乱暴を武勇と勘違いし、他民族への蔑視を誇りと勘違いした」
うーん、と思う。今、読み返してみても、千田さんの指摘は深いし、正しいと思う。だから、4月4日の日本外国人特派員協会の席でも、この千田さんの話を紹介した。もう一度、千田さんの本も読み返してみて、考えてみたいと思う。
〈「右傾化する日本」を新右翼としてどう見るか。=改憲・愛国心強制、排外主義を乗り越えて=〉
「連合通信」は、労働組合が中心になって1948年に設立された通信社だ。主に労働組合・民主団体に記事を配信している。労働問題を専門に扱う新聞社は世界的にも珍しい存在だ。
「連合通信」は週3回発行。権利侵害との闘いや春闘、労働法制など、労働専門紙ならではの深い解説とニュースリポートが好評だ。
月に1回、主に労働組合や一般の人向けの「情報懇話会」をやっている。「今日は鈴木さんだから、一般の人も多いですよ」と主催者。組合の人も多かった。右の人の話を聞くのは初めてという人も多く、話しやすかった。質問の時間をたっぷり取って、応じました。
8時半に終わって、それから一水会フォーラムに行く。車で来ていた新聞記者がいたので、高田馬場まで送ってもらった。車の中で取材を受ける。前にもあったな、こんなことは。あっ、札幌か。
着いたら、もう終わっていたので、二次会だけ参加する。講師の常盤伸さん(東京新聞論説委員兼外報部デスク)が「安倍首相の訪露を待つプーチン・ロシアの現状」。「とてもよかった。勉強になった」と参加者は皆、言っていた。聞けなくて残念。二次会の席では常盤さんと、いろいろ話しました。
⑦松元ヒロさん、なかにし礼さんと。ヒロさんは、ショートライブを。二次会の席でも、「全共闘」ネタをやってくれました。サービス精神満点です。なかにしさんは大病を克服して元気です。今度、じっくりお話を聞きたいです。
⑱「マガ9学校」。4月14日(日)午後2時。金子勝さん(慶応大学教授)がゲストでした。「これからどうなる?日本の食と農」について話してました。 「反TPPです」「私こそが真正ナショナリストです」と言ってました。「ニセのナショナリスト」の鈴木と。
㉑4月15日(月)連合通信社での講演のあと、一水会フォーラムに行きました。二次会に参加しました。講師の常盤伸さん(東京新聞論説委員兼外報部デスク)です。(この写真はカメラマンの平早勉氏が撮ってくれました。ありがとうございました)。