朝起きたら驚きました。大雪でした。一晩にして〈世界〉は一変してました。
白一色の雪の世界。そして降り続ける雪。「お城に行かなくては!」と思いました。
タクシーに分乗し、皆でお城に向かいました。4月21日(日)の朝です。
会津若松にいた私たちは、鶴ヶ城に駆けつけたのです。
「桜が満開の時に雪だなんて。こんなことは10年に1度ですよ」とタクシーの運転手さんは言います。
車も混んでます。傘をさし、カッパを着た人が続々とお城に集まりました。
きれいです。桜に雪が積もってます。桜なのか雪なのか分かりません。幻想的な世界です。来てよかったと思いました。
多分、今年の桜だけが特別なのでしょう。
なんせ、NHK大河ドラマ「八重の桜」が放送されてますし、会津若松市は、市をあげて「八重の桜」ブームです。どこに行っても八重さんのポスターばかりです。
「NHK大河ドラマ館」も出来て、沢山の人が来てました。
だから、大サービスしたのでしょう。天が。桜の満開に合わせて大雪を降らせてみせたのです。
会津若松は今も「歴史の街」です。そして、徳川さんの街です。反薩長の街です。薩摩や長州の軍勢を迎え撃って戦った街です。
多くの人々が立て籠もった鶴ヶ城。そして白虎隊が自刃した飯盛山。会津の藩校・日新館。そして武家屋敷…。歴史が生きてます。
さらに、スペンサー銃で薩長と戦ったハンサム・ウーマン、新島八重。
今でも戦っている街でした。「大河ドラマ館」では、スペンサー銃が撃てるのです。随分と並んで撃ちました。憎い薩長軍に狙いを定め、撃ちまくりました。
我々会津は天子さまのために京都を守り、卑劣な薩長と戦った。それなのに、「朝敵」にされ、攻められている。
これはおかしい。許せないと激怒し、私もスペンサー銃を撃ちました。百発百中です。「凄いですね!」と周りの人々は驚いてました。
「東北人としての怒り」が出たのです。それに、腕が違います。又、「実戦で鍛えたんだ。君たちとは違う」と口走ってしまいました。
「“実戦”って何ですか?」「赤報隊事件ですか?」「國松長官狙撃ですか?」と聞く人もいる。
馬鹿な。そんなことはしていない。戊辰戦争ですよ。鶴ヶ城に立て籠もって戦ったんですよ。前世で。
そんなこと言っても信じてくれないだろう。そうだ。タイで撃ったんですよ。よど号の田中義三さんがタイの刑務所にいて、裁判の傍聴、支援に5回ほど行った。
そのたびに、シューティング・センターに通って、銃を撃った。実弾を何千発と撃った。それで腕を磨いたんですよ。
もう一つ、実戦といえば、西郷四郎だね。「八重の桜」で有名な家老の西郷頼母がいますね。あの人の養子になったのが西郷四郎だよ。この人こそ、姿三四郎のモデルなんじゃ。
会津武家屋敷に行ったら、この西郷四郎の銅像が建っていた。又、中には、西郷四郎の着た柔道着も展示されていた。
小さい。だって、150センチだったという。それで、柔道日本一だ。必殺技「山嵐」を編み出し、誰にも負けない。
西郷四郎は、手だけでなく、足の指も自由に使えた。足の指が相手の柔道着をつかみ、離さない。吸い付くようにして、技をかける。
親となった西郷頼母も武術を極めていた。合気術をやり、多くの人々を教えたという。今度、じっくりと私も研究してみたい。
鶴ヶ城、飯盛山、大河ドラマ館。今、会津で人が集まる観光スポットですね。
でも、飯盛山を観光スポットと言うのは、ちょっと失礼だ。
だって、鎮魂の場所だ。白虎隊が自刃をして果てた所だ。可哀想だ。
白虎隊の墓がある。さらに、フランス、イタリア人など外国の人が白虎隊の話に感動し、像を贈ってくれた。それらの銅像がある。「死ぬときは、ぜひ飯盛山で」といった人のお墓もある。
一緒に行ったツアーの一人は猫を連れて来た。ところが部屋で遊ばせているうちに、猫は消えた。密室から消えたのだ。
実は、エアコンが部屋の隅にあり、その前には、柵が。ところが、エアコン操作用に小さな入口がある。その部分だけ、柵を切ってある。そこから入り込み、さらに通風口に入り込んだらしい。
縦に下まで落ちたら大変だ。でも、横に延びて、6階のフロアー全体に通じているようだ。
猫はそこに入った。飼い主は焦った。半狂乱だ。ホテルの人も総動員で捜す。「警察に電話しなくっちゃ」「消防のレスキュー隊を呼ぼう」という話になった。
飼い主は「あの子にもしものことがあったら、私は生きてはいない!」と叫ぶ。「飯盛山に行って自刃する!」と絶叫する。
まいったなー、と思った。薩長に攻められ、戦う会津兵のようでしたよ、我々は。
「じゃ、私も飯盛山に行きます」と言う人もいて、大変でした。
このまま猫が見つからなかったらどうしよう。飼い主は飯盛山で自刃。同情した人間も自刃。そして私は隣りの部屋だ。
「こいつが怪しい」「自刃に見せかけて殺したんだろう」と警察に思われて逮捕だ。冤罪が晴れないまま、一生刑務所だ。たまらない。
と思ってたら、やっと見つかったんですね。広い通風口に向かって、必死で呼びかけ、猫のエサで釣って、その匂いで誘き寄せたんですね。
ホッとしました。「飯盛山の自刃」も防げた。私の「逮捕、刑務所暮らし」も阻止出来た。よかったです。
次の日の朝は、その冤罪が晴れたのを祝福するかのように、大雪が降りました。そして、「桜に雪」の風景を愛でたのでした。
そうだ。日新館の話もしなくっちゃ。藩校です。
ここでは、『論語』『孟子』『大学』『中庸』などが教えられたんです。前田日明さんが言うように、「四書五経」です。人間としての教養、学問の中心は中国の儒教なんですね。
戊辰戦争で攻めた薩摩、長州の武士たちも、儒教を学んでいた。そうすると、「儒教」を学んだ同士の「内ゲバ」のようにも見えてくる。
日本中の藩には、それぞれ藩校があった。その中でも、最も優秀で、レベルが高かったのが会津の藩校・日新館だった。
儒学や算術、水練、さらに天文学まであって、日本初のプールが作られ、そこで泳ぐ。甲冑をつけたまま泳ぐ。馬に乗ったまま泳ぐ。
そして、天文台もあった。地球の位置も知ってたし、星の動きから、地球の仕組み、宇宙の仕組みも分かっていた。
薩長よりも、学問のレベルはグンと進んでいた。
そうした会津の人々の心の糧になったのが「什の掟」だ。
「八重の桜」で、よくやりますよね。「ならぬことはならぬものです」…と簡潔に教えている。
藩校日新館は、会津藩五代藩主松平容頌の時に作られた。家老田中玄宰は藩政改革の一環として学制の大刷新を建言した。
その柱が、日新館の設立だった。享和3年(1803)、5年の歳月を費やして完成した。
藩士の子供は日新館入学前の6歳から9歳まで、地域ごとに組を作り、「什の掟」というルールに基づいて、お互いに武士としての心構えを学んだ。
その「什の掟」が今も、いたるところに貼られている。又、額になっている。手拭いになっている。暖簾になっている。
私も買いました。ただ、「注意書き」が書かれている。「取り扱い注意書」だ。こう書かれている。
〈多少、今は合わない条文もありますが、混迷した現代社会の参考になるかも知れません〉
いえいえ、古くはなってはいません。今とも合います。
人間としての生き方をこれほど簡潔に言い表したものはありません。自民党の冗漫な憲法改正案などよりは、こっちの方がずっといいです。
そうだ。「日本国憲法」を変えるというのなら、いっそこの「什の掟」をそのまま、〈新日本国憲法〉にしたらいい。そう思いました。
では紹介しましょう。会津の「什の掟」です。これが200年後の今、日本の新しい憲法になるんです!
「什の掟」
1.年長者の言うことに背(そむ)いてはなりませぬ
2.年長者には御辞儀(おじぎ)をしなければなりませぬ
3.嘘言(うそ)を言う事はなりませぬ
4.卑怯な振舞いをしてはなりませぬ
5.弱い者をいぢめてはなりませぬ
6.戸外で物を食べてはなりませぬ
7.戸外で婦人と言葉を交(まじ)えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
いいですね。7ヶ条ですね。十はありません。一つの組が大体10人で、そこで学び合ったので、「什の掟」と言われたそうです。
年長者を尊敬し、嘘を言ってはいけない。卑怯なことをしてはいけない。弱い者いじめをしてはいけない。
これに尽きてますよね。これだけでいいでしょう。日本の憲法も。
大体、明治以前は日本に憲法なんてなかった。各藩に、こうした掟があっただけだ。
だから、地方分権で、県ごとに作ってもいい。ここの県の「教え」は古いから嫌だな、と思ったら、他の県に移ればいいのです。
大体、憲法なんて、なければないで、いいのです。イギリスなどはありません。法律があるだけです。刑法、商法…と、それだけで大丈夫です。
ではなぜ、憲法を作るかというと、国の「宣言」です。国としての「心構え」です。
今、自民党が出してる改憲草案。そして産経新聞が出した改憲草案。両方とも後ろ向きです。「自主憲法」と言いながら、今の憲法よりも、自主性がない。夢がない。理想がない。そんな気がします。
ゴテゴテと書いてみても、皆守る気がないなら、ただの「政治家の作文」です。
もっと簡潔でいいんです。この「什の掟」でもいい。聖徳太子の「17条憲法」でもいい。「和をもって貴しとなし」だ。敬虔でいい憲法だ。あるいは、モーゼの「十戒」でもいい。「殺すなかれ」といった根本的なことが書かれている。
再び、「什の掟」を見てみましょう。「多少、今とは合わない条文」もあると言われてますが、6、7のことでしょうね。
今、皆、外で食べてます。鶴ヶ城や飯盛山に来た人も、ソフトクリームを食べながら歩いています。
これはいけないでしょう。店だって、食べ物を持って外に出たら、すぐに阻止したらいいでしょう。
これは古くなったのではありません。我々が礼儀知らずになっただけです。
じゃ、問題は7ですね。でも、いいんじゃないの。
八重さんの頃は、家では、父や、兄弟姉妹と話す。
でも外に出たら、サムライの子なんだし、婦人に声をかけたり、ナンパしちゃいけません。当然のことでしょう。
当時だって、今だって、通じると私は思いますよね。
そうだ。私の通った高校は東北学院榴ヶ岡高校といって、ミッションスクールだった。これと似た校則があった。
年長者、先生には絶対服従だ。ウソをつくな、卑怯なことをするな、と言われた。
先生は、生徒を殴る。毎日のように殴る。生徒は「背いてはなりませぬ」だった。右の頬を殴られたら、左の頬を出すしかなかったのです。
それに、第6条、第7条だ。これは、私らの高校では、生きていた。
学校の帰りは、店でパンを買って食べた。買い食いだ。それが見つかって、停学になった生徒がいた。ましてや、食堂や喫茶店に入るなど、もっての外だった。
又、街で、女子と歩くこと、言葉を交わすことも厳禁だった。
やはり、東北人の矜持なんだろうか。「戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ」は生きていた。
家で母や姉妹と喋る。これは仕方ない。本当は、これもダメだけど、まあ、許してやる。
でも、たとえ姉や妹でも、一緒に外を歩くことは厳禁だった。本当の話だ。
「ミッションスクールの生徒として、他人から誤解されるようなことはするな!」と言うのだ。
じゃ、「この人は私の妹です」と首からプラカードを提げて、歩いたらいいのか。先生にそう言ったら、「屁理屈を言うな!」といきなり殴られた。
ともかく、「誤解を招くようなことはするな!」と言うのだ。
さらに酷いことを言う。「たとえお母さんでも、若いお母さん、きれいなお母さんとは一緒に歩いてはダメだ」と言う。これも、人様に誤解を与えるからだ。
もの凄く年取っていて、きれいではないお母さんなら、「誤解」を招かない。それならいいと言う。
先生方は何も、ジョークを言ってるわけではない。本気だ。
同級生で、町中で、他の女子校の生徒と話してるのが見つかり、それで退学になった人間がいた。
これは本当の話だ。何も、話をしたくらいで…と、今なら大問題になる。
でも、私らは会津藩以上に厳しい「掟」で縛られていたのだ。退学になった生徒のその理由が廊下に貼り出されていた。罪状は、「桃色遊戯に耽った」ため。
つまり、戸外で女子と話したことが、「桃色遊戯」だと言う。まるで江戸時代の発想だ。
そんな高校生活を送ったんですよ。おわり。
私は8時に、途中で失礼しました。8時半、ロフトプラスワン。ちょっと遅刻した。映画「戦争と一人の女」の完成記念トーク。4月27日(土)からテアトル新宿などで上映される。プロデューサーの寺脇研さん、監督の井上淳一さん、脚本の荒井晴彦さん、そして主演の永瀬正敏さん、江口のり子さんが出演。とてもいい映画です。この日、公式パンフレットをもらいました。私も書いてます。
家に帰ったら、『フクロウのいる部屋』(集英社インターナショナル)が届いていた。アレッと思ったら、「劇団再生」代表の高木尋士さんの書いた本だ。凄い。面白い。今、読み始めたところです。
北朝鮮と電話をつなぎ、「よど号」グループにも挨拶してもらった。鳥越さんと私が電話で話した。又、鳥越さんやPANTAさん。森達也さん。青木理さんなどが挨拶しました。
⑪八重さんのパネルの前で。会津若松は、あらゆる所に「八重の桜」のポスターが貼られてます。まるで「新島八重市」です。
大河ドラマ館では、八重さんの持ってるスペンサー銃も撃てるのです。私も撃ちました。百発百中です。
⑮NHK「八重の桜」の他に、主演の綾瀬はるかさんや鶴瓶さんが、会津若松に来て、いろいろ紹介してました。それで一躍有名になったのが、このオバさんです。タタミ屋のオバさんで、「現代のハンサム・ウーマン」です。
「でもね、ハンサム・ウーマンは80人位いますよ」と、一覧表を見せてくれました。「その中で一番年長なのが私」と言います。実物の八重さんに似てたからでしょう。
㉑4月24日(水)は6時半から8時まで、恵観さんの講演を聞き、その後、タクシーでロフトプラスワンへ。30分遅れて、トークに参加しました。
映画「戦争と一人の女」上映記念トークです。主演の永瀬正敏さん、江口のり子さんと。
㉒3部構成で午後8時から11時半まで行われました。原作は坂口安吾ですが、大胆に書き加えて、さらに刺激的な映画になってます。
(左から)脚本の荒井晴彦さん、主演の永瀬正敏さん、江口のり子さん、私。監督の井上淳一さん。プロデューサーの寺脇研さん。
この日、映画の公式プログラムも売られてました。シナリオだけでなく、安吾の原作も入り、上野昂志さん、川村湊さん、成田龍一さん、坂手洋二さんの座談会の他、多くの人が書いてます。私も書きました。
「〈理想郷〉としての戦争」を。危ない原稿ですが、この映画が危ない映画だし、挑発する映画なんです。4月27日(土)からテアトル新宿他で上映されてます。
㉓4月15日(月)連合通信社主催の講演会です。写真を送ってもらったので、再び、紹介しましょう。
〈「右傾化する日本を新右翼としてどう見るか。=改憲・愛国心強制、排外主義を乗り越える」というテーマで話しました。