2013/05/20 鈴木邦男

むのたけじさん、羽毛田信吾さんにお会いしました

①ジャーナリストの鏡です。むのさんは

むのたけじさん講演会(5/15) むのたけじさん講演会(5/15)

むのたけじさんに会いました。98才の闘うジャーナリストです。前々から会いたいと思ってました。

5月15日(水)、何と東京で講演会があったのです。午後3時です。

さらに、この日の夜は、前宮内庁長官の羽毛田信吾さんに会いました。

この日は、凄い人に2人も会ったのです。歴史を作り、今も作っている2人です。

まずは、むのたけじさんの話からしましょう。

午後3時、むのさんの話を聞きに行きました。とても元気でした。終わってから話をしました。

むのさんは終戦後、戦時体験を反省。ケジメとして朝日新聞を退社。苦悩の2年半を過ごし、故郷の秋田県横手市で、「週刊たいまつ」を発行。そして30年、闘い続けました。

プレスセンターは満員でした プレスセンターは満員でした

秋田の、というより日本の誇りです。伝説的な存在です。

「僕も子供の頃、横手にいたので、むのさんのことは、とても偉い人だと知ってました」と挨拶しました。

私は、父が税務署に勤めていたので、2年か3年で、転勤。東北地方を転々としました。

生まれたのは福島県郡山市。それから(最近知ったのですが)会津若松に行きました。

そして、青森県石黒市、秋田県横手市、秋田市、湯沢市。それから、宮城県仙台市です。

今年4月に会津若松に行き、このHPに、その報告を書きました。

NHKの大河ドラマ館で、「八重の桜」のスペンサー銃を撃ち、「あっ、こんなことが前にあった。前世の記憶だろう」と書きました。

それを見た私の兄貴に、誤りを指摘されました。

「前世ではなく、お前は現世で会津若松に住んでいた。2、3才の頃だ」と。

講演が終わって、話しました 講演が終わって、話しました

兄貴は鶴ヶ城のすぐ傍にあった「鶴城(かくじょう)小学校」を卒業したそうです。

5月18日(土)には、高校の同窓会があり仙台に行きました。その時、兄貴のとこに寄って、「私の歴史」をキチンと聞いてきました。

しかし、生まれた郡山、2、3才の時の会津若松などの記憶は全くない。

記憶があるのは横手で幼稚園に入ってからだ。でも幼稚園は余り好きじゃなかったようだ。「行きたくない!」と泣き叫んで、電信柱にしがみついていたそうだ。

そう言えば、そんな「記憶」がある。いや、親に何度も聞かされているうちに、〈映像〉のように自分の頭の中に、クッキリと残ったのだろう。実体験なのか、聞かされた知識なのか、自分でも分からない。

講演する羽毛田信吾さん 講演する羽毛田信吾さん

ともかく、幼稚園と小学1年が横手市だ。小学2年・3年が秋田市の保戸野小学校。小学4年から6年は湯沢東小学校。中学1・2年は湯沢中学。そして中学3年は仙台二中。高校は東北学院榴ヶ岡高校。そして大学は早稲田だ。

小、中学校は全部、秋田県だ。だから私は「秋田産」なんですよ。

父親も母親も保守的・良識的な人間だと思う。我々の世代の親は皆、そうだろう。「お父さんは新左翼」なんて人はいない。新左翼はまだ発明されてない。

両親は普通の保守的な家庭だ。母親は「生長の家」に入り、愛国的でもあった。

でも、「横手には、むのたけじさんという偉い人がいるんだよ。凄い人なんだよ」と母に聞かされていた。考えが違っても、地元の人々からは尊敬されていたのだ。

②父親は、むのさんと酒を飲んでたそうだ

全生庵で羽毛田さんと 全生庵で羽毛田さんと

最近、山形で佐高信さんと一緒に講演会をやった。その時、弟も来てくれて、佐高さんに紹介した。

佐高さんは、仙台で講演した時、私の兄貴にも会っている。

「鈴木さんと全然違うね」と佐高さん。「お兄さんも弟さんも紳士だし、よく勉強してるし」と言う。

そうですね。真ん中だけが粗野で、不勉強なんですよ。

講演会のあと、弟も一緒に打ち上げに行った。その時、たまたま、むのたけじさんの話になった。

「とても偉い人だ」と母親に聞かされていた。ぜひ会ってみたい、と言った。

その時、弟が言った。「親父も誉めていて、よく一緒に酒を飲んだらしいよ」。

エッ!と思った。そんな話は聞いてない。親父は横手税務署の署長だと思う。署長と反骨のジャーナリスト。全く接点があるとは思わなかった。

山田正彦さんと 山田正彦さんと

でも、むのさんは、いろんな人に会って取材していた。税務署長の父にあったとしても不思議ではない。父親からキチンと聞いておけばよかった。

それにしても、どうして父親は弟にだけ、そんな話をしたのだろう。次男坊の私は、粗野で、そんな話をしても分からないと思ったのかな。

ともかく、むのたけじさんのことは、昔から気になってたし、ぜひ会ってみたいと思っていた。秋田にいる知り合いの新聞記者にも、「ぜひ、会わせて下さいよ」と頼んでいた。

でも、機会がなかった。98才だし、もう東京で講演会をすることもないだろう。と思っていた。

そんな時、『月刊マスコミ市民』の5月号が届いた。パラパラ見てたら、「むのたけじさん講演会」の案内が出ていた。驚いた。まさか、と思った。

それで電話をして予約し、行ったのだ。

③軍部の弾圧ではない。新聞社は自制したのだ

三遊亭楽麻呂さんと 三遊亭楽麻呂さんと

5月15日(水)午後3時から5時。内幸町の日本プレスセンター9階だ。演題はこうだ。

〈希望は絶望のど真ん中に
=人類と個人・世界と地域—秋田・東北・ジャーナリズムを語る=〉

「首都圏秋田懇話会10周年記念」と書かれている。秋田の県人会のようなものなのか。

〈あくなき世界平和を望み、98才のジャーナリスト・むのたけじが、今問う! 人間とは、東北とは、ふるさと秋田は、真のジャーナリストは絶望から希望は見いだせるのか…と〉
余市・フゴッペ洞窟で 余市・フゴッペ洞窟で

数々の絶望を体験した。戦争の絶望、大震災の絶望。

そして故郷・秋田は自殺者が全国でトップ。少子化。過疎化。その中から、どう〈希望〉を見つけ、〈再生〉するのか。を語る。

どんな絶望的な中でも、希望を持ち努力すれば必ず叶う。諦めるからダメなのだ。諦めず努力すれば、必ず実現するという。

98才のむのさんの体験から出た話だけに説得力がある。

国民もジャーナリズムも、希望・夢を見失い、自分を見失ったからダメになった。

戦争中、軍部が新聞社にやってきて、「これは書くな!」「これを書け!」と検閲をして弾圧したのではない。そんなことは一度もなかった。社内で皆、「自制」し、「自粛」したのだ!と言う。ジャーナリズムとしての「自分を忘れた」のだ、と言う。

洞窟の外です 洞窟の外です

そうだったのか。軍に弾圧されて、書けなかったのかと思ったが違うという。

今だって、ジャーナリズムは「自分を見失っている」。自分のことを「メディア」という。これは「媒体」「手段」ということだ。

ものを考えない。自分がない。「こんなことでは記者とは言えない。トロッコだ!」と言う。記者と汽車をかけたのだ。

「あっ、今日は笑ってくれましたか。若い記者の前で言っても、誰も笑わないんですよ」とむのさん。

戦争中の、「自分を見失っていた」屈辱の体験から、むのさんの再出発はある。

そして、反骨のジャーナリストの闘いが始まる。プロフィールによると、こうだ。

〈1915年1月2日に秋田県仙北郡六郷町で百姓の子として生まれた。1936年3月に東京外国語学校を卒業。報知新聞に入社。地方支局と社会部で働く。1940年12月に職場を朝日新聞東京本社に移して社会部で働き、戦場にも出かけた。1945年8月に敗戦時に新聞人として戦時体験を反省。ケジメとして朝日新聞を退社〉
「翼を持った人間」が… 「翼を持った人間」が…

30才の、まだ若い記者なのに、自分なりに責任を感じ、反省し、朝日新聞を辞めたのだ。

これは凄い決断だ。そんなことをした記者は、他には(あまり)いなかっただろう。

辞めた後、どうしたか。

〈そして苦悩の2年半を過ごす。1948年2月に秋田県横手市で「たいまつ新聞」を作り、タブロイド判「週刊たいまつ」を発行。破壊された農業・農村を立て直し、戦争要らぬ・やれぬ社会づくりを提言。青壮年と女性の学習運動に努力した。経営は困難で、それを家族全員の労働で補いながら、発行を30年続けたが、1978年1月、第780号を出して休刊。
 それから今日まで、常に生活者の視点から日本の姿を見つめ、鋭く深い思索に裏打ちされたことばを紡ぎだしてきた。日本は果たして生まれ変われたのか?を問いかけながら、今も「戦争のない社会の実現」に向けて言論活動を続けている〉

④「自殺者がトップ」。悲しいが、恥ではない!

ニッカウヰスキー工場で ニッカウヰスキー工場で

むのさんは98才だが、元気一杯だ。ずっと立ちっぱなして喋る。声も大きい。マイクなしで、後ろまで聞こえる。

戦争中のマスコミの批判・自省は凄まじい。

「軍が怖かったのではない。怖くなかった。何かあったら、新聞がつぶされたら困る。そう思って、自主規制したのだ」と言う。自分で自分を見失っていたのだ、と。

「もしあの時、朝日と毎日が手を組んで命懸けで反対していたら戦争を止められたかもしれない」と言う人もいた。

そうだったのか、と思った。「あの当時、新聞は読者を忘れていた。しかし軍部は読者を知っていた」。

これも深い言葉だ。それで、戦争に突っ込んでいったのか。新聞の責任は重い。

ウヰスキーを飲んでます ウヰスキーを飲んでます

むのさんの主な著書は。『たいまつ16年』(岩波現代文庫)。『戦争絶滅へ、人間復活へ』(岩波新書)、『希望は絶望のど真ん中に』(岩波新書)などだ。

ぜひ皆さんも読んでほしい。ジャーナリストとしての使命。記事の書き方などについても話してくれた。又、秋田県人としての「誇り」もある。「自殺論」についても。

「自殺者が日本でトップというのは悲しいことではある。しかし、恥ずかしいことではない。又、秋田の人が弱いからでもない。勇気がないからでもない」と前置きし、こう言う。

「秋田の人は、人がいい。悲しみ、苦しみにまっすぐにぶつかる。逃げないで、自分で引き受ける」。
余市宇宙記念館で 余市宇宙記念館で
「(他の県の人なら)何か問題があると、他人のせいにする。秋田の人は、他人のせいにしない。自分で引き受ける」。

だから自殺者もトップなんだ、という。故郷・秋田に対して優しい。もしかしたら、日本人の本来持っていた〈謙虚な国・日本〉の典型例がそこにあるのかもしれない。

「他人のせいにしない。全て自分で引き受ける」。それは恥ではない。

ただ、その結果、自殺ということになるのは何とも悲しい。

もう一つ、秋田は殺人事件を含め、犯罪事件は日本最低なのだ。これも、「他人のせいにしない」からだろうか。

オラも宇宙飛行士です オラも宇宙飛行士です

そして、秋田美人で有名だ。美人率は日本でトップだ。小・中学校の学力検査でもトップだ。

美しい女性と、賢い子供がいる。そして、犯罪はないし、日本一治安のいい県だ。

何があっても、他人のせいにはしない。ある意味、ユートピアなのかもしれない。あとは自殺を止めることだ。

そうだ。秋田の中学・高校は全部、ミッションにしたらいい。そうしたら、自殺者はいなくなる。

キリスト教では、命の大切さを教えている。この体は神にいただいたものだ。自分勝手に処分してはいけないと教えている。

5月18日(土)に、東北学院榴ヶ岡高校の同窓会があって、行ってきた。皆、元気だ。勿論、自殺した人は1人もいない。病気で亡くなった人も1人もいない(少しはいるかな)。ともかく、ミッションに入ったら、皆、健康で、長寿だ。

⑤前宮内庁長官・羽毛田さんの講演に感動しました

これから宇宙です これから宇宙です

そうだ。もう1つ書こうと思っていたんだ。

5月15日(水)、むのたけじさんの講演を聞いて、二次会にちょっと出て、中座した。7時から谷中の全生庵に行ったのだ。北野さんが主催して毎月、「全生庵勉強会」をやっている。

数年前、私はここの講師で呼ばれた。それ以来、「どうしてもこの人の話を聞きたい」と思う時は、来ている。

元警察庁長官の國松さんなどは、他では絶対に会えない人なので、嬉しかった。

又、今回の羽毛田信吾・前宮内庁長官なども、普通なら会えない。

だから、光栄だったし、感動した。

羽毛田さんは、「ここは三遊亭円朝のお墓があるんですね。私、落語が好きなもので」と言う。

「ローソク岩」をバックに 「ローソク岩」をバックに

知りませんでした。「私も好きです。円朝の全集を読破しました」と言いました。

今、羽毛田さんは、九段にある「昭和館」の館長をやっている。その話もしてくれた。

「でも皆さんのお聞きしたいことは、天皇・皇后両陛下のご生活のことでしょうし。11年間、私はお仕えして、感じたことをお伝えしたいと思います」と言う。

かなり詳しく話してくれた。とても誠実な方で…と。国内での行事、海外での行事…などについても話してくれる。

皇居の中で天皇陛下は、車を運転することがある。

別に対向車もないし、公道ではない。それでも、キチンと制限速度を守られる。

柳澤協二さん(5/13) 柳澤協二さん(5/13)

又、曲がる時は、誰も来ないのに、キチンとウインカーを出される、という。

そうしたお話は初めて聞くことばかりだ。日本に皇室があってよかったと思った。

保守派の人や右翼的な人が、天皇論を言うのと違い、お近くでお仕えした羽毛田さんが言うのだ。

両陛下のご生活が目に浮かぶようだし、説得力がある。本当にいいお話を聞かせて頂きました。ありがとうございました。

【だいありー】

鈴木、柳澤さん、木村三浩氏 鈴木、柳澤さん、木村三浩氏
  1. 5月13日(月)午前中、原稿。午後、取材。7時、一水会フォーラム。ホテルサンルート高田馬場。講師は柳澤協二さん(元内閣官房副長官補)。「検証・官邸のイラク戦争=元防衛官僚による批判と自省」。
     あの時、官邸の中で何が話し合われたのか。そして、どんな「情報」が基になって自衛隊をイラクに出したのか。その反省と自戒を込めた講演だった。
     とても勇気のある人だと思った。初めて聞く話が多く、考えさせられた。岩波書店からもこの問題について本を出してます。
     終わって、二次会でも、詳しく話を聞きました。
緊縛師・有末剛さんと対談 緊縛師・有末剛さんと対談
  1. 5月14日(火)午前中、原稿。午後、図書館。5時。緊縛師の有末剛さんと対談。何度か会ってはいるが、こうして、じっくりと話を聞くのは初めてだ。
     これは、「日本文化なんだ」と思った。本も何冊か出ているし、英文の本もある。いわば「緊縛」に関する教科書だ。思想的な本でもある。『紙の爆弾』の対談だ。出席していた女性をモデルに、実際に緊縛を実演してくれた。さすがだ。匠の技だと思った。
     終わって、「土風炉」で飲みました。
  1. 5月15日(水)午前中、原稿。午後3時、日本プレスセンター9階。むのたけじさんの講演を聞きました。98才ですが、とても元気です。テーマは、
まさに「匠の技」です まさに「匠の技」です
〈希望は絶望のど真ん中に
 =人類と個人・世界と地域—秋田・東北・ジャーナリズムを語る〉

満員でした。終わって、挨拶しました。むのさんは、秋田県横手市に住んで、ジャーナリストとして闘っています。「私も、小学校の時、横手にいました。今度、横手に行きますので、じっくり話を聞かせて下さい」とお願いしました。

そのあと、打ち上げに出て、6時に中座。 午後7時から谷中の全生庵に行く。「全生庵勉強会」だ。今日の講師は前宮内庁長官の羽毛田信吾さん。これは聞きに行かなくちゃと思って、急いで行った。

私の甥、私の姉、私 私の甥、私の姉、私

実にいい話でした。 長い間、天皇・皇后両陛下のおそばで仕えた人の話は違います。実に感動的でした。終わってからも、いろんな話を聞きました。

  1. 5月16日(木)午前11時、取材。午後3時、河合塾コスモ。現代文要約。5時、読書ゼミ。今日は、よど号グループ、鳥越俊太郎の『「拉致疑惑」と帰国=よど号ハイジャックから祖国へ』(河出書房新社)を読む。

「よど号ハイジャック」に興味があるという生徒もいたり、「昔のことで、知らない」生徒もいたり。43年前だから、確かに歴史だ。それに、日本史、世界史の試験にも出ないし。

高木尋士さんと(5/10) 高木尋士さんと(5/10)

でも、当時の時代情況や、若者たちのことを知るには、いいテキストだと思う。終わってから、生徒と食事会へ。

家に、『北方ジャーナル』(6月号)が届いた。第1の特集が、『右』の6人、脱原発を語る』。凄い特集です。私も出ている。来週詳しく紹介しよう。

  1. 5月17日(金)〆切の迫った原稿があって、夕方までずっと、原稿を書いていた。

夜、久しぶりに柔道に行く。体がなまっている。いけないな。帰ろうとしたら、メールが来て、今日、猫ひろしさんがロフトに出てるよ、と。谷川真理さんと対談してる、と。

あっ、カンボジアから帰ってきてるのか。じゃ、ちょっと会いに行こうとロフトに行きました。

久しぶりでした。前に文化放送に出てもらった時は、楽しい話を聞かせてもらいました。でも、あの番組は終わったんですよ、と言いました。向こうの話や、マラソンの話や、オリンピックへの意気込みなどについて聞きました。猫ひろしさん監修の『爆笑!あるあるマラソン』をもらいました。なかなか面白い本です。

あべ・あゆみさんと あべ・あゆみさんと
  1. 5月18日(土)朝4時に起きて、原稿を書く。
     午前11時、東京駅発の新幹線で仙台へ。
     2時半。兄貴の家に行く。

そして、5時から、榴ヶ岡の仙台ガーデンパレスへ。東北学院榴ヶ岡高校の同窓会だ。

懐かしい同級生たちに会いました。吹奏楽部の演奏で校歌が流れると、目頭がうるみます。私にも愛校心があるのでしょう。あるいは単なる感傷でしょうか。

本当に苦しかった高校生活だったな、と思いました。あまり思い出したくありません。でも同窓会には来るんですよ。

ふくろうと劇団員と ふくろうと劇団員と

終わって、同級生と夜の街に出て、痛飲しました。仙台名物の牛タンで焼酎を飲みました。私より15期下の荒木飛呂彦さん(漫画家。「ジョジョの奇妙な冒険」の作者)も来てるかと期待しましたが、忙しくて、来れなかったようです。前には、2回ほど来てました。いろいろ話をしました。「今度、高校生活のことを、どっかの雑誌で話しましょうよ」と言ってたんだけど…残念です。
 夜は仙台に泊まる。

  1. 5月19日(日)午前9時、仙台市青葉体育館へ。北斗旗全日本空道体力別選手権大会をやっている。東孝先生に挨拶して、少しいて、仙台駅へ。新幹線で東京へ。
     午後2時から、豊島区民センター。「よど号」帰国支援センター総会に出ました。

【写真説明】

むのたけじさん講演会(5/15)

①むのたけじさんの講演会が日本プレスセンターで行われました。5月15日(水)15時からです。
 タイトル「希望は絶望のど真ん中に」

プレスセンターは満員でした

②会場は満員でした。98才のむのさんは元気でした。マイクを使わなくても声が後ろまで通るのです。

講演が終わって、話しました

③講演が終わって、お話しました。「私も横手にいたんです」と。

講演する羽毛田信吾さん

④前宮内庁長官・羽毛田信吾さんが「全生庵勉強会」に来ました。とてもいいお話でした。とても感動的なお話でした。5月15日(水)午後7時からです。
 むのさんの講演を聞いて、ちょっと二次会に出て、それから千駄木の全生庵に駆けつけました。

全生庵で羽毛田さんと

⑤終わって、羽毛田さんと。

山田正彦さんと

⑥元農林水産大臣の山田正彦さんも話を聞きに来てました。

三遊亭楽麻呂さんと

⑦三遊亭楽麻呂さんと…。羽毛田さんの講演のあと、「なぞかけ」をやってました。それがシメでした。

高木尋士さんと(5/10)

⑧高木尋士さんとトークしました。「劇団再生」のお芝居の前に。テーマは、「通貨としての言葉」です。 5月10日(金)です。

あべ・あゆみさんと

⑨「劇団再生」のあべ・あゆみさんと。お芝居、とてもよかったです。

ふくろうと劇団員と

⑩「劇団再生」の斉藤さんと。「再生」のマスコットの「フクロウ」も一緒です。

余市・フゴッペ洞窟で

⑪余市の「フゴッペ洞窟」へ行きました。5月11日(土)。北海道の小樽のそばです。前から行ってみたいと思ってました。

洞窟の外です

⑫洞窟の外はこうなってます。

「翼を持った人間」が…

⑬2千年前の人間が洞窟に描いた絵です。何と「翼を持った人間」が描かれてます。鳥を真似て仮装したのだと言いますが、昔々の人は本当に翼を持って、飛んでいたのかもしれません。
 今でも、翼を持ってる人はいますし。ただ、右とか左とか、一方だけの翼ですが。

ニッカウヰスキー工場で

⑭そのあと、「ニッカウヰスキー」の工場に行きました。

ウヰスキーを飲んでます

⑮中ではウヰスキーの試飲を楽しみました。沢山飲みました。

余市宇宙記念館で

⑯余市宇宙記念館。スペース童夢に行きました。ここは日本人初の宇宙飛行士・毛利さんの出身地なのです。

オラも宇宙飛行士です

⑰私も宇宙飛行士になってみました。

これから宇宙です

⑱これもそうですね。本当に宇宙に行ってみたいです。大きくなったら。

「ローソク岩」をバックに

⑲近くの海に、名物・奇岩「ローソク岩」があるというので見に行きました。波の侵食で、ローソクの形になったのでしょう。
 でも、よく見ると、「観音様」のようにも見えます。「観音岩」にした方がよかったのに。

柳澤協二さん(5/13)

⑳5月13日(月)一水会フォーラムに来てくれた柳澤協二さんです。柳澤さんは元内閣官房副長官補で、この日の演題は、「検証・官邸のイラク戦争=元防衛官僚による批判と自省」。とてもいい話でした。

鈴木、柳澤さん、木村三浩氏

㉑フォーラムの後で。柳澤協二さんを囲んで。右は木村三浩一水会代表です。

緊縛師・有末剛さんと対談

㉒5月14日(火)『紙の爆弾』の対談。緊縛師の有末剛さんから、「緊縛と日本思想・文化」の話を、じっくりと聞きました。
 稲作が日本に入り、縄が編まれ、神社の注連縄など、いろんなところに縄が使われた。自分を戒める縄。犯罪者を捕縛する縄。そして、時には、快楽を追求するためにも使われた。縛られることによって、より〈自由〉になり、より〈美しく〉見せることも出来るという。
 目からウロコの日本文化論でした。とても勉強になりました。学校では教えてくれない日本文化論、日本の歴史でした。

まさに「匠の技」です

㉓実演してくれた「作品」です。さすがです。匠(たくみ)の技です。

私の甥、私の姉、私

㉔5月12日、札幌に行った時、姉の見舞いに行ってきました。甥の康二君と一緒に行きました。

【お知らせ】

次の「鈴木ゼミ」は5/25(土)です 次の「鈴木ゼミ」は5/25(土)です
(クリックでPDFファイルが開きます)
  1. 5月24日(金)アジア記者クラブで講演します。午後6時半から。明治大学リバティタワーで。「言論・思想状況の危機」について。
  2. 5月25日(土)午後2時。西宮で「鈴木ゼミ」です。会場は西宮駅前・Caféインティライミです。ゲストは青木理さん(ジャーナリスト)で、「ジャーナリズムの危機とは何か?」です。お問い合わせ、参加申し込みは、0798(49)5302へ。
     『終わらないオウム』(鹿砦社)は5月2730日(木)発売ですが、この日、鈴木ゼミ会場で「先行発売!」するそうです。
  3. 5月30日(木)『終わらないオウム』(鹿砦社・1500円)。この日、全国書店で発売です。初めの予定より、ちょっと遅れました。上祐史浩、徐裕行さんの対談です。私が司会をしました。田原総一朗さんが解説を書いてます。「覚悟の書」「衝撃の書」です。
『終わらないオウム』(鹿砦社) 『終わらないオウム』(鹿砦社)
  1. 5月30日(木)午後6時30分。「第22回千代田平和集会」で講演します。〈「右」から改憲策動を斬る〉。会場は、市ヶ谷の「いきいきプラザ一番町・カスケードホール」です。資料代500円。主催・千代田区春闘共闘委員会。千代田九条の会。問い合わせ・申し込みは、千代田区労協に。03(3264)2905
  2. 6月2日(日)4時 国会を包囲。脱原発統一デモがあります。行きましょう。
  3. 6月4日(火)午後8時から。「iPS騒動」の森口尚史さんとニコニコ生放送に出ます。
     「人間に必要な強さとは何か〜iPS騒動を通して考える」
     あの「騒ぎ」は一体何だったのか。そしして、「人間が持つべき強さ」について語り合います。
  4. 6月10日(月)7時、ホテルサンルート高田馬場一水会フォーラム。講師は植草一秀さんです。「日本政治の危機=安倍政権がもたらす七つの災厄=」です。
  5. 6月11日(火)第2回「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」です。中島岳志さんと「愛国・革命・アジア」について語ります。中島さんは今、血盟団のことを書いていて、今と状況が似ていると言います。又、先日はNHKで、大本教について話してました。刺激的な話が聞けると思います。
  6. 6月14日(金)7時、東郷和彦さん(外交評論家)と対談。Ustreamでネット配信します。
  7. 6月15日(土)福島市で講演。木村三浩氏(一水会代表)と私です。
  8. 6月24日(月)7時。ネイキッドロフト。高木尋士さんの『フクロウのいる部屋』の出版記念イベントがあります。私も出ます。
  9. 6月29日(土)午後1時、静岡で講演。午後7時より、スナック「バロン」で講演。植垣康博氏と連合赤軍事件、よど号事件などについて話します。
  10. 6月30日(日)午後2時、「マガ9学校」。講師は伊藤真さん。
  11. 7月1日(月)12時半。日本外国特派員協会に出ます。「参議院選挙の行方と今後の日本」のテーマで。
  12. 7月7日(日)午後2時、西宮で「鈴木ゼミ」。ゲストは、内田樹さんです。内田さんは神戸女学院大学名誉教授で、『日本辺境論』『街場のメディア論』などのベストセラーがあります。
  13. 7月13日(土)名古屋に行きます。愛知サマーセミナーで講演。
  14. 7月14日(日)早大のサークル「早大鵬志会」で講演。「自由について考える」。
  15. 7月19日(金)〜21日(日)秋葉原ACT&Bで劇団再生の読書劇「二十歳の原点」の上演。
     19日(金)は高木尋士さんと私のトークがあります。「『未熟であること』について」です。
  16. 7月20日(土)12時より。和歌山カレー事件の「林眞須美さんを支援する集会」が行われます。大阪・御堂会館(南御堂)です。テーマは、〈「死刑弁護人」のクルーが見た和歌山カレー事件〉です。
    12:00〜13:30 映画上映「死刑弁護人」
    14:00〜14:15 挨拶 鈴木邦男他
    14:15〜15:15 斉藤監督×岩井カメラマン
    15:15〜16:30 弁護団報告
  17. 8月3日(土)午後1時、ロフトプラスワン。私の「生誕100年祭」です。
  18. 8月13日(火)午後6時、第3回「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」です。ゲストは山口二郎さん(北海道大学教授)で、「参院選後の政治状況」について語ってもらいます。
  19. 9月6日(金)〜8日(日)秋葉原・ACT&B。劇団再生の読書劇「テロならできるぜ」(原作・見沢知廉)が上演されます。9月7日(土)は、高木尋士さんと私のトーク。「テロと言葉と見沢知廉」を行います。
  20. 11月19日(火)午後6時、第4回「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」です。ゲストは、小磯修二さん(釧路公立大前学長)です。