実物を手にした瞬間、手が震えました。
本当に出版されたんだ!と感動しました。
今までの本作りの中でも最も衝撃的で、最もスリリングな本だと思います。5月25日(土)、西宮の「鈴木ゼミ」会場で、この本は先行発売されたのです。
『終わらないオウム』(鹿砦社・1500円)です。
本の表紙には、上祐史浩さん。徐裕行さん。そして私の写真が大きく出ています。
〈あの時、本当に殺そうとしたのは上祐さんだった〉
という徐さんの言葉が書かれています。
18年前、オウム真理教幹部・村井秀夫さんを刺殺したのが徐裕行さんです。
「上祐、青山、村井を狙った。3人のうち誰でもよかった」
と逮捕された徐さんは語っています。
しかし、本当は、テレビに出て一番目立った上祐さんを殺したかった、とこの本の中では告白しています。
その「殺そうと狙った」徐さんと、会ったのです。当の上祐さんが。本の帯にはこう書かれています。
〈殺す/殺されるはずだった。「絶対に会うはずのない、会ってはいけない2人」が、いま出会い、事件の真相を徹底討論した「覚悟の書」、緊急出版!〉
上祐さんもよく出て来てくれたと思います。
「安全」の保障は何もない。シークレットに行われた対談だ。
警備の人はいない。高田馬場の会議室に1日中、閉じこもって話し合った。熱く、激しく。
実は、2人が「会おう」となるまでは、いろいろと大変でした。苦労があった。いばらの道だ。それは本書を読んでほしい。
上祐さんにとって徐さんは、18年前、「自分の親友」村井さんを殺した男だ。
徐さんはその場で逮捕され、12年の刑務所生活を送る。
たとえ出所しても、上祐さんは会いたくない。そう思うのが当然だ。会う意味もない。
又、徐さんは、会って、「昔の激情」「殺意」が甦るかもしれない。本当に殺したかったのは上祐さんだったのだし。
その「主要敵」が目の前にいる。徐さんだって嫌だろう。
18年前のあの事件は、忘れたいはずだ。それなのに、思い出させられる。突然、フラッシュバックするかもしれない。そんな不安だってあるだろう…。
「会うはずのない二人」が会った。そして相対極から、あの事件について語り合う。考える。そこで初めて見えてきたこともある。
又、オウムはなくなったが、かえって、オウムの言う「陰謀論」は拡大して世の中に浸透しているという。
「鹿砦社出版ニュース」では、その辺のところを、こう紹介している。
〈元オウム真理教最高幹部にしてスポークスマンだった上祐史浩と、そのオウム真理教に怒りを覚え、義憤からオウム真理教・科学技術省大臣の村井秀夫を刺殺し、12年間服役していた徐裕行が事件後18年目にして初対面。二人をよく知る鈴木邦男を交えた徹底対談が遂に実現!
実行犯とターゲット両者が仔細に語る緊迫した「村井刺殺事件」現場の状況と真相。それぞれが「加害者」として生きていくことの意味。“オウム以前”の「連合赤軍」。“オウム以降”の「ネット右翼、在特会」といった、20周年で発生する「オウム」的なもの=日本の暗部にわれわれは今、どう立ち向かうべきなのか? オウムの「抗いがたい魔力」について、麻原彰晃と何度も対峙したジャーナリスト・田原総一朗による解説を収録!〉
「解説」は田原さんしかいないと思って、お願いした。お忙しい中を、書いてくれた。
5月3日、BS朝日の「激論!クロスファイア」で会った時、「凄い本だね!」と言っていた。
「上祐、徐の2人も凄い。あんな人間は、ちょっといない」と。
田原さんは、日本のトップの人たち、凄い人たちの、ほぼ「全て」に会ってきた。
その田原さんが驚くのだから、本物だ。司会をした自分でも、あんな危ない対談がよく、実現したと思う。そして本になったと思う。
2人の勇気、まとめてくれた風塵社のスタッフ、本を出してくれた鹿砦社の皆さんのおかげだ。この「歴史的な本作り」にかかわることが出来て、私も幸せだ。
この本の目次を紹介しよう。
今考えても、凄い本だ。よく出来たと思う。
上祐さん、徐さんという勇気ある2人の決断があった。
そして、「本にしましょう」と提案し、覚悟を決めた鹿砦社の松岡社長、福本氏、藤井さんの尽力があった。
さらに、編集をしてくれた風塵社の苦労があった。
皆が皆、全力を尽くした。そして、この本が出来た。
本のまとめ方、構成もうまい。舌を巻いた。
だって、この順番で鼎談、対談は行われたわけではない。
初め、2月27日に、上祐さんと私が朝から夕方まで話し合った。
3月1日に、徐さんも入れて3人で、やはり朝から夕方まで話し合った。
それをシャッフルし、3人の鼎談をトップに持ってきて、テーマごとにまとめている。
凄い力量だ。編集プロダクションとしての「匠の技」を感じた。
そのあと、私が第1章を書けと言われた。
えっ、対談や鼎談で全て話してるよ。と思ったが、書いた。
この3人がどうして出会ったか。どうしてこの本が出来たか。その「奇蹟の書」が生まれるまでの経緯を書いた。必死で書いた。30枚は、書いた。
そして上祐さんも「終章」を書いてくれた。実にいい文章だった。
又、田原総一朗さんに「解説」を書いてもらった。
田原さんは、「朝生」でオウムを何度も取り上げていたし、麻原には何度も取材している。「オウムvs幸福の科学」「オウムと連合赤軍」を作っている。「オウムと連合赤軍」は本にもなっている。
これだけ勇気をもって立ち向かったジャーナリストはいない。
だから、「解説を書いてもらうなら田原さんしかいない」と思った。超多忙な中、田原さんは書いてくれた。本当にありがとうございました。
この本の帯には、下にこう書かれている。
〈著者印税は全額オウム事件被害者への賠償に充てさせていただきます〉
もの凄く苦労して作った本だ。この本は無理だ。とても出来ないよ、と何度も諦めかけた。
やっと出来た。でも「仕事」にはしていない。収入は全くない。でも、これは当然だと思った。
そして、この歴史的な仕事に参画出来たことが嬉しいし、誇らしい気持ちだ。
本の帯には、この本の内容を箇条書きで紹介している。これが衝撃的だし、挑発的だ。マスコミや、警察、国民世論への批判にもなっている。大きな問題提起になってると思う。
だって、こんな見出しが、並んでいる。
この2人だからこそ言える。
そして「地獄をくぐり抜けた」2人だからこそ見えることだ。
これだけズバリと本音で、あの事件について語った本はないだろう。
オウムは潰れたが、オウム的なものは残っている。と上祐さんは語る。
たとえば、いろんな「陰謀論」「謀略論」だ。
〈あれは「裏がある」〉〈大きな謀略があるのだ〉
と、したり顔で言う人たちがいる。そして自分は「安全圏」にいながら、その〈敵〉を撃て!と絶叫している。
たとえば、徐さんの事件についても、
「村井は口封じで殺された」「麻原が闇の勢力に頼んだ」「北朝鮮もからんでいる」「国家権力もからんでる」
…と言う人々だ。テレビでも堂々と言っていた。
「義憤」だけでやれるはずがない。「莫大な金をもらったんだ」「出てきたあとのポストを約束されていたんだ。そんなことも分からないのか!」…と。
しかし、2人の話を聞いてみると分かるが、金もポストも一切、見返りはない。
又、「口封じ」をするのなら、他人に頼まず、麻原が自分の部下にやらせるだろう。実際、何度もやってるのだから。
上祐さんも、村井氏が殺された時は、「ユダに殺された!」と言ってたが、2人で徹底的に話し合った結果、義憤でやったと思う、と言っていた。
では、なぜ、謀略論が流行るのか。
日本も戦争に負けた時、「ルーズベルトの謀略にひっかかったのだ」「暗号を読まれていた。戦争に誘い込まれたのだ」と言う人がいた。日本は「ルーズベルトの陰謀」で負けたのだと。
情けない話だ。「負け」を認めたくなくて、何とかして言い訳してるのだ。さもしい根性だ。
オウムもやっていた。選挙に出て、惨敗した時、「負けるはずがない。これは投票箱をすり替えられたのだ」と言い出した。
「そうだ、そうだ!」と弟子たちは言う。馬鹿な話だ。
そんな中で、「そんなことは、ありえない」と唯一反対したのは上祐さんだった。
勇気がある。というか、命知らずだ。
思想運動、大衆運動をしたことのある人なら知っているだろう。
団体がこうだと決めた時、1人だけ反対することは出来ない。「自分1人だけ反対しても仕方ないな」と思ってしまう。
私だって、そんな場にいて、黙り込んだことが何度もある。卑怯な人間でしたよ。
だから、オウムの「これは陰謀だ!」「投票箱はすり替えられた!」と皆が騒いでる時、私でも、そこにいたら、反対出来なかっただろう。
そんなことをして追放されたら嫌だ。下手をしたら殺されると思ったら、なおさらそうだ。オウムの場合は、その危険性があったのだし。
上祐さんは、「殺されてもいい」と思っていたのか。その時の〈覚悟〉も聞いてみた。
又、徐さんは、上祐、村井、青山の3人のうち誰でもいいから殺そうと待っていた。
本当は、上祐さんを一番、殺したいと思っていた。
記者に紛れ込んで。あるいは、渋い背広を着て刑事に偽装して、その場にいたのだ。と思っていた。
ところが違う。このHPの写真でも載せたように、やたら派手なシャツを着ている。
一目で「これは変だ」「怪しい」と思う。
でも誰も警察に知らせない。それどころか、徐さんが時々カバンに手を入れて凶器を確認してる様子をテレビで撮っている。
徐さんに言わせれば、(そこにいたマスコミ人は)「皆、何かが起こるのを待っていた」と言う。
エッ?と思った。まさか!と思った。
でも、ずっとこの「不審な男」をカメラは迫っていた。
だからこそ、「刺殺の瞬間」もテレビは映していた。殺した直後の写真も出ている。
しばらくしてから、警官が来て、「誰がやったんだ!」と聞いた。間抜けな話だ。
「私です」と徐さんは言って、連行された。
その時、後ろから中学生がトコトコと駆け寄ってきて、「頑張って下さい!」と背中を叩いた。ちょうど試合会場でプロレスラーの背中を叩いて、応援するように…。
「嬉しかったですか?」と私も間の抜けた質問をした。
「こっちは人を殺し、心が昂ぶっているし、手も血で真っ赤です。そんな時、何だこいつは…と、思いました。おかしい…」と。
マスコミも、中学生も、警察も、興奮の中にいて、自分を見失っていた。決行者だけが何故か、冷静なのだ。
オウム事件は終わったわけではない。今も続いている問題だ。
これからロフトや、いろんな所で、トークをやる。多くの人たちとも話し合い、考えていきたい。
午後、取材。
夕方、講道館。頑張って闘いました。しかし、柔道界は「体罰」「セクハラ」などの不祥事が最近は報道されている。
テレビを見てたら、セクハラを追及された幹部が、「男だから、つい、やっちゃったんでしょうな」と、まるで他人事。
柔道は強いかもしれないが、〈話し方〉が全く出来ない。「言葉」を知らない。戦争の犠牲者に対して心ない発言をする政治家も多いし…。
夜8時から、椎野レーニンさんたちと仕事の打ち合わせ。そして、『終わらないオウム』の出版を祝って、飲みました。
今日の「東京新聞」4面に出てましたね。『終わらないオウム』の広告が!1面に大きく。鹿砦社は広告にも力を入れてます。勝負に出てます!
「経営塾フォーラム」5月例会。私は前に、ここで講演した。今日は、オリックス取締役兼代表執行役会長・グループCEOの宮内義彦さん。「オリックスの成長戦略」のテーマで。とても勉強になりました。
経営者の経営哲学を聞く機会は余りないので、とても貴重な話で、教えられました。終わって、宮内さんとそんな話をしました。夜は雑誌の座談会。
午後3時、河合塾コスモ。「現代文要約」。
5時、「読書ゼミ」。赤坂真理『東京プリズン』(河出書房新社)を読んで、皆で考える。
終わって、いつもは生徒と食事会だが、この日はすぐ、車で半蔵門へ。
〈第22回千代田平和集会。「右」から改憲策動を斬る〉
集会そのものは、6時半から始まっているが、私は7時15分から講演。
1時間20分ほど話し、質疑応答をしました。
とてもきれいな会場で、定員は150人。満員でした。
毎年、憲法学者や文化人を呼んで講演してもらう。
今年で22回。初めての試みで、立場の違う、「右」の人を呼んだ。勇気がある。
それで人が集まらなかったら私の責任だ。心配した。
ところが、満員だった。ホッとしました。質問も沢山出ました。楽しく話が出来ました。
驚いたことに河合塾コスモの生徒や、フェローたちも来てくれました。8人ほど。ありがたいです。感激しました。
私の前に、合唱団「ソレイユ」、そして島田修一さん(九条の会東京連絡会事務局長)の情勢報告がありました。
この集会は主催が千代田区春闘共闘委員会・千代田区九条の会。
終わって、近くの居酒屋で飲みました。「立場は違っても話し合えるんですね」と、皆に言われました。嬉しかったです。
6時、講道館。村田直樹先生が主宰する「武道懇談会」に出る。村田先生が、このたび8段になられた。おめでとうございます。そのお話をしてもらい、7時から、近くの居酒屋「北海道」で飲み会。
私は、今日は、酒を飲めないので失礼しました。
夜12時、テレビ朝日の迎えの車が来る。12時半、テレビ朝日着。打ち合わせ。1時20分から「朝まで生テレビ」が始まる。本当に久しぶりに出る。
今日のテーマは、「激論!大丈夫か?日本の防衛」。第32代陸上幕僚長・火箱芳文さん。第26代海上幕僚長の古庄幸一さんが出演。
お二人の話を聞いて、激論が始まる。伊波洋一、小沢遼子、香山リカ、ケビン・メア、田岡俊次、森本敏、山際澄夫、山口二郎、そして私だ。多岐に渡る討論だし、話が専門的になるし、私は、なかなか、ついて行けませんでした。疲れました。
午後、取材。
6時半、畑中純さんの「偲ぶ会」に出ました。
もう1年になるんですか。とてもお世話になりました。いろんな話をしたし、教えてもらいました。亡くなる少し前、「今度、漫画で三島由紀夫の生涯を描きたい」と言ってました。「ぜひ、やって下さいよ」と言いました。
でも、亡くなってしまいました。残念です。調布駅北口のクレストンホテルでした。
⑫青木理さん、飛松五男さん、鈴木。飛松さんは元兵庫県警の刑事さん。よくテレビに出てます。ズバズバと言ってます。街を歩いていても、「あっ、刑事さんや!」と子供たちが叫んでます。「婦警はブスばっかりや!」と飛松さんの真似をしています。
⑮5月24日(金)。「アジア記者クラブ」で講演。午後6時半から。場所は明治大学リバティタワーの10階です。〈これでいいのか。憲法96条改正、靖国参拝、右翼から見ても今の政治状況はおかしい〉。長いタイトルです。初め、1時間、話しました。
⑰「神戸新聞」(5月27日)に載りました。5月25日(土)に西宮に行った時、ゼミの前に取材されました。〈「右傾化」の政治、どう見る〉〈失われる「自由と寛容」〉〈右、左なく考えるべき〉…と小見出しが出ています。