「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」は今回で2回目だ。
6月11日(火)午後6時より行われた。150人定員の札幌時計台2階ホールは超満員だった。
〈「日本の分」について〉と題したこのシンポジウム。今回のテーマは「愛国・革命・アジア」だ。
北海道大学准教授の中島岳志さんをゲストに迎えて行われた。
中島さんは今、血盟団事件についての本を書いている。
今、何故、血盟団なのか。ほぼ書き上がり、8月には出版される。
又、右翼テロリスト・朝日平吾のことを書いた著書もある。『朝日平吾の鬱屈』(筑摩書房)だ。
でも中島さんは決して「右翼」ではない。「保守」を自任している。
又、「週刊金曜日」の編集委員でもある。だから、リベラルな保守だ。
その中島さんが右翼テロリストや血盟団に今、注目し、研究し、書くのは何故か。その辺から話を聞いた。
以前、「マガジン9」でも中島さんと対談したことがある。その時も聞いたが、家庭環境で「保守」になったわけではない。
家では「赤旗」を取ってたし、お父さんは共産党だったらしい。と言う。それで、「岳志」という名前を父親は付けた。
その話を紹介したら、中島さんが「訂正」した。「いや、ただ山登りが好きだったんですよ、父親は」と。
「いや、それでいいんです。だって、山が好きな人は左翼になり、海が好きな人は右翼になるんです」と私は解説した。
日本共産党の山村工作隊。赤軍派の大菩薩峠の「福ちゃん荘」事件。連合赤軍事件。…等々、左翼は山に登り、山の中に拠点を作り、山の中から革命に打って出ようとする。毛沢東もゲバラも金日成もそうだ。
それに比べ、右翼は海が好きだ。海の好きな人が右翼になるといってもいい。
昔、60年安保の時、革命前夜と言われ、恐怖した右翼は、「一人一殺」の訓練をした。海岸に藁人形を置き、それに突撃して殺す練習だ。
当時の記録映像や写真なども残っている。ネットや『一億人の昭和』などで見たらいい。
一水会は、さすがに刺殺訓練はしないが、海辺で瞑想したり、相撲大会をやった。海辺で瞑想なんて、まるで『海辺のカフカ』だ。
血盟団事件の拠点は茨城県大洗だ。海岸だ。そこにある護国堂に井上日召がいて、日召の話を聞こうと地元の青年たちが集まる。
自分たちの仕事の悩み、人生のことを語り、日本の行く末をみなで語り合う。
その中で、「これではダメだ」と思い詰める。この世の中を変えるためには、大衆運動も、選挙もダメだ。腐敗堕落した国家の奸賊共を取り除くしかないと思い詰める。
「一人一殺」だ。一人が一人のターゲットを狙って殺す。それによって「一殺多生」になる。一人を殺すことによって、大勢を救う。いわば宗教的情熱だ。でも殺人だ。
『日本暗殺秘録』という映画があった。血盟団、5.15事件、2.26事件が中心に描かれている。
血盟団の井上日召は片岡千恵蔵だ。小沼正は千葉真一だ。
一人一殺を決意した小沼は大洗の海岸で座禅する。これしかないと覚悟を決める。真っ暗な海に向かって叫ぶ。
これこそ右翼テロリストの典型だし理想だと思った。やはり、「右翼は海」だ。そして「左翼は山」なのだ。
左翼が山に憧れ、山を志向するのは何故か。「理論の高さ」に憧憬し、〈高さ〉を目指し、競合するからだろう。
では右翼は?海の広さ、深さに憧れる。理論の高さではなく、人間の度量の広さ、深さに憧れるのだ。右翼結社は、皆、そうしたメンタリティで結びついている。
今、血盟団の小沼正の名前を出したが、実は、私はこの小沼正に会っている。
小沼正だけでなく、5.15事件、2.26事件などに参加した人々を訪ね歩いて、話を聞き、本にまとめている。今から36年前に出した本だ。『証言・昭和維新運動』(仮面社)だ。
6月11日の「時計台シンポジウム」の時も、この本を持っていって、中島さんと話をした。
私は考え、書いたのは40年近く前だが、中島さんは今、血盟団を読み、研究している。だから正確だし、今の時点での問題点を話してくれた。
そうだ。5月末に『終わらないオウム』(鹿砦社)を出した。
元オウム真理教幹部の上祐史浩さん。18年前に元オウム幹部の村井秀夫さんを刺殺した徐裕行さん。そして私が話し合って、まとめた本だ。
18年前の事件直後、「村井、青山、上祐。3人のうち誰でもよかった」と徐さんは言っていた。
でも、「本当は、一番目立った上祐さんを殺したかった」と告白している。
その第1のターゲットだった上祐さんとテロリスト徐さんの対談だ。
その時の話を聞きながら、40年前にまとめた『証言・昭和維新運動』のことを思い出していた。危険な情熱も再び甦ってきた。
その話を「時計台シンポ」でもした。「そうでしょうね」と中島さん。
中島さんは『終わらないオウム』も『証言・昭和維新運動』も、両方とも読んでいる。
そして、「実は、川崎長光さんに去年、会って、取材したんですよ」と言う。
驚いた。血盟団の仲間だ。北一輝の側近・西田税が自分たちの運動を邪魔していると思い、西田を殺しに行った人だ。40年前に話を聞いた。
もう遠い歴史上の事件だと思っていたのに。中島さんは去年、会ったという。
「川崎さんが存命だとは知らなかったです」と言ったら、「去年会った時は99才でした。その直後に亡くなりました」と言う。
そうだったのか。私も会いに行けばよかった。
川崎長光は「5.15事件」のところで聞いた。川崎によると、5.15事件も「血盟団と一緒」だと言っていた。中島さんは、その辺を解説してくれた。
井上日召のもとに集まった若者たちには3つのグループがあったと。
第1は、近所の青年たちだ。農業や教員をやったりしている地元の青年だ。小沼正、菱沼五郎などだ。
もう1つは東大生のグループ。四元義隆などだ。このグループから誘われて重信末夫さん(重信房子さんのお父さんだ)も入っている。
第3のグループが海軍の青年将校たちだ。
血盟団事件は、「一人一殺」で政財界のトップ20人を狙った。この20人を殺したら、「君側の奸」は取り除かれ、「一君万民」の天皇の理想の統治がなされるはずだ。そう信じて、テロに向かった。
小沼、菱沼はテロに成功するが、その段階で一網打尽になる。
しかし、逮捕を免れた海軍将校グループが決起して起こしたのが5.15事件だ。
だから、血盟団事件と5.15事件はワンセットなのだ。
「時計台シンポ」では、はじめ、中島さんと私の2人に30分ずつ喋ってもらい、そのあと2人の対談のはずだった。
でも、私にしたら、中島さんの話を聞きたい。だから、はじめに中島さんに1時間話してもらい、そのあと2人の対談にしてもらった。
中島さんは、きちんとレジメを作って、全員にコピーを配付する。凄い。さすがは大学の先生だ。
そのレジメの大きな見出しだけを紹介してみよう。
これに基づいて、さらに詳しく話をする。
4のテロ・クーデターのとこには、イラストも描かれている。
天皇は太陽で、国民は大地だ。本来なら太陽の光が、サンサンと大地に降り注いでいる。これが日本の理想の社会だ。
ところが、今、雲によって、太陽の光が遮られている。その遮っている雲が「君側の奸」だ。
それを取り除けば、太陽は再び国民の上に降り注ぐ。その雲を取り除く運動が昭和維新のテロであり、クーデターだったのだ。…と力説する。
中島さん本人がそう信じているわけではなく、「右翼の論理」を解説し、説明しているのだ。
ただ、もの凄く熱の入った解説だ。ハイテンションだ。
だから、なぜか、「血盟団」の井上日召が乗り移って、我々「右翼青年、中年」たちに訴え、檄を飛ばしているように聞こえる。
そのくらい、「白熱教室」だったということですよ。
この日、参加した150人の人々も皆、感動しておりました。
10分の休憩をはさんで対談。気分は完全に戦前の「昭和維新運動」に入っていました。
血盟団の小沼正、2.26事件の末松太平などに会った時の話を交えながら、「革命と維新」について語り合いました。
熱い質問も沢山ありました。又、本のサインも随分としました。
そのあと、スタッフの皆さんと打ち上げに行きました。
柏艪舎の皆さま、お世話になりました。司会をやってくれた中尾則幸さん、ありがとうございました。
それに、昔、学生道場にいた後輩も来てくれた
乃木坂に、「生長の家学生道場」があった。そこに私はいた。
毎朝4時50分に起きて、お祈り。国旗掲揚…と。「生長の家」の勉強をし、そして、左翼学生運動と闘う拠点でもあった。懐かしい。
そこにいた藤原俊二君が来てくれた。私が、4年の時、彼は1年だったという。3才後輩なんだ。
「いやー、厳しい修行生活でした」と言っていた。何かあると、「お前たちはたるんでる!」と言って向かいの乃木神社の玉砂利の上で正座してお祈りさせられたという。それが大変でした、という。
そして、「このままでは、左翼革命が起こる。命を懸けて日本を守れ!」と言われたらしい。私ら4年生が言ってたのだろう。
私は4年生の時、学生道場の自治会委員長で、かなり厳しくしたようだ。
でも、「鈴木先輩は優しかったです」と藤原君は言う。「川嶋さんが怖かった」と言う。
そうか、副委員長の川嶋君が私の代わりに、厳しいことをやってくれたんだ。申し訳ない。
早大の政経を卒業して、私は大学院に行った。都合7年位、早大にいた。
「生長の家学生道場」にも、6年ほどいた。2年間は委員長をやった。
学生道場生を連れて紛争校に行き、左翼学生と闘った。随分と怪我もした。私のせいだ。
又、中国の文化大革命の影響を受けて、「この道場でも整風運動を起こさなくては!」と言って、やる気のない人間を叩き出したり、「闘う姿勢」を固めた。
司馬遼太郎の『燃えよ剣』を読んで、新撰組のような鉄壁の集団にしなくては、とも思った。メチャクチャなことをやったんだよな。
そうか、「学生道場血風録」をまとめなくちゃな。
3時に北海道文化放送のスタッフが迎えに来る。
テレビ局で取材。かと思ったら、「今日は天気がいいので、大通公園で撮影しましょう」。ポカポカと暖かい大通公園で取材を受けました。
それから、柏艪舎に行って、6時から、開始。第2回「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。
まず、中島岳志さんが「愛国・革命・アジア」について1時間講演。そのあと2人で対談。札幌時計台大ホールは超満員でした。
終わって、近くの居酒屋で打ち上げ。この日は、札幌に泊まりました。
芝居が終わってトークが始まった。「笑の内閣」代表の高間響さんが司会。パネラーは、斉藤貴弘さん(弁護士)、福山哲郎さん(民主党)、福島みずほさん(社民党)、泉健太さん(民主党)。風営法について語り合いました。
この日は他にも共産党の穀田恵三さん他、何人かが来てました。これだけの議員を動かしてるんだから、たいしたもんだ。
そのあと、劇団の人と打ち上げに。居酒屋で時間を待ってる時、何気なく隣のヤマダ電機に入ったら、同じくiPadを探している人がいる。帽子を深く被り、明らかに変装している。
「誰かな?」と下から見上げたら、辻元清美さんでした。「あ、鈴木さん。バレてもうたわ」。そんで記念に写メしました。
「あれっ?久しぶり」「昨晩、会ったばかりですよ」。昨晩は、ネットカフェで寝て、10時に安田さんと会っていたらしい。
午後、河合塾コスモ。3時、「現代文要約」。
5時、読書ゼミ。内田樹の『昭和のエートス』(文春文庫)を皆で読み、話し合う。
6時半、いつもは生徒と食事会に行くのだが、この日は用事があって、車でホテルニューオータニへ。「竹村直一君を励ます会」に出る。
竹村さんは衆議院議員だ。時々会っている。この日の記念講演は、京大教授の藤井聡さんだ。「日本強靱化論」を書いた人で、安倍内閣のメインの政策に取り入れられている。
今は「内閣官房参与」だ。文化放送では2度、会っている。
あの時、私は予言した。「これはきっと安倍政権で取り入れられる。そして、大臣かあるいは官房参与で呼ばれる。藤井さんはプロレス好きだし、挑戦されたら全て受ける。だからやるだろうと」。
本人に会ったので、「どうです。私の予言が当たったでしょう」と言ったら、「まさに、その通りでしたね」と言っていた。
そこに、「あっ、鈴木さん」と声をかけられた。K−1に出ていた空手家の佐竹まさあきさんだ。久しぶりだ。デカイ。
「今度選挙に出るそうですね」と言ったら、「今度の参院選です」と言う。それで、藤井さんに紹介しました。「佐竹さんの試合、よく見に行ってましたよ」と言っていた。その他、いろんな人たちに会いました。
〈世相を斬る!生愛会グループ教育文化公開シンポジウム〜歴史、教育、国際情勢、経済〜〉。
木村三浩氏(一水会代表)と私、それに生愛会理事長の本間達也さん、理事の野口尚一さんの4人で話す。病院のお医者さん、職員さん、そして一般の人々、130人が聞きに来てくれました。質疑応答もあり、熱気の籠もった講演会でした。
終わって打ち上げ。この日は福島に泊まりました。素晴らしい宿でした。本当にお世話になりました。
⑮キラー・カーンさんの歌を聞いてたら、ネイキッドロフトの店員に声をかけられました。「久しぶり」と。そうか。子供の時に会ってるか。漫画家・石坂啓さんの息子さんです。すっかり大きくなって、ここでバイトしてたんですね。
㉓芝居が終わって、高間さんたちと打ち上げに行きました。その時、iPadを買おうと、ヤマダ電機に入ったら、帽子を目深に被り、いかにも「変装」のような人がいました。
「怪しい」人です。傍で下から覗いたら、何と辻元清美さんでした。