生まれて初めてです。病院で講演なんて。きっと患者さんを前にして話すんだろう。
でも、「我々でいいんですか。右翼の話を聞いて熱が出て、かえって病気が悪化した。なんてことになったら大変ですよ」と言った。
「いえ、患者さんではなく、職員と、あとは外から聞きに来る一般の人たちです」と言う。
「それに木村さんにしろ鈴木さんにしろ、一般の『右翼』とは思ってませんし。お二人とも朝生で昔から見て知っていましたし」と言う。
6月15日(土)、福島市の医療法人生愛会グループで講演した。木村三浩氏(一水会代表)と私だ。
行って驚いた。大きな病院だ。病院だけでなく、リハビリセンター。グループホーム。特別老人ホームなどもある。広大な土地に、大きな建物、施設がいくつもある。
看護婦さんなど働いている人だけで150人いる。大病院だ。
そこの理事長の本間達也さんが我々2人を呼んでくれた。
本間さんは若い。まだ40代だ。20代の頃から医療の傍ら、国のこと、政治のことにも関心を持ち、勉強していた。
木村氏や私の出た「朝生」は25年前から見てるという。2人の本も読んでいる。最近は、一水会フォーラムにも、わざわざ福島から聞きに来てくれる。それも職員さんも連れて。
「一度、うちの病院でも話をして下さい」と言う。いいですよ、と言った。
それに病院も見てみたい。特に、リハビリをどうやるのか。関心があった。
両者で日程を調整し、6月15日(土)午後1時半からになった。
病院を見学し、あとは市内の会館でやるのだと思っていた。
ところが、「大集会室がありますから」と言う。
本間さんが主催して、一般市民向けの講演会を毎月のようにやっている。そのために、150人ほどが入る集会室を作った。
超満員だった。その時の写真を載せたので見てほしい。
打ち合わせの時に言った。「私がまず前座で20分位喋ります。あとはメインの木村氏に1時間半喋ってもらい、そのあと質疑応答にしましょう」と。
「いや、4人全員が前に出て、シンポジウム形式でやりましょう」と本間さんは言う。
「じゃ、それでやりましょう」となって始まった。
正面に向かって左2人が主催者側。本間達也理事長と野口尚一理事だ。右側は私と木村三浩氏だ。
正面には日の丸の旗と生愛会の旗。そしてこの日のテーマが貼り出されている。
〈世相を斬る!生愛会グループ教育文化公開シンポジウム〜歴史・教育・国際情勢・経済〜〉
テーマは大きい。広い。主催は医療法人生愛会だ。1時半の開始で、本間、野口さんから挨拶がある。
本間さんは言う。「いつもはお医者さんや病院関係者を講師にお呼びしてますが、今日は、あえて政治活動をしている木村さんと鈴木さんに来てもらいました。一緒に国のこと、歴史、教育のことを考えましょう」と。
野口さんは戦後日本の歩みへの疑問を話す。子供の頃、戦争を体験し、米兵の横暴さを目の当たりにしたという。
次にゲストの我々が一言。木村氏は原発のこと、救援で何回も来たことを話す。
私は、「私も実は福島県人なんです」と言った。
生まれたのは福島県郡山市。(父親の仕事の関係で)2、3年単位で東北地方を回る。
郡山の次は福島県の会津若松だ。それから青森県黒石市。秋田県の横手市、秋田市、湯沢市に住んだ。それからは仙台だ。
父親は宮城県塩釜市の出身だが、母親は福島県の会津坂下(ばんげ)だ。
だから私は福島県人だ。
「それに今日は従兄弟の廣田先生も来てくれてます」と紹介した。会場の前の方に座っていた。
東北大学大学院を出て、長い間、福島高校の社会の先生をしていた。
私もとてもお世話になったし、教えてもらった。
私は、中学3年と高校3年間を仙台で過ごした。その時、廣田先生は、我が家に下宿して、そこから東北大学に通っていた。
母親は会津坂下で、廣田先生もそこの出身だ。
会津坂下では母の実家は「新潟屋」という肥料屋をやっていた。
福島なのになぜ「新潟屋」なのか、ずっと疑問だったが、母の親が、新潟の五泉市から来たのだという。その経緯を書いた書類を、この日、廣田先生は持って来てくれた。
木村氏は土方歳三と同じ日野市で育ったことを言い、高校生の時から国のことを考えて運動し、20代前半の時に、日本青年社の先輩たちと尖閣に渡って、1ヶ月もいて、灯台を建てた。
それも2回も行き、長期間「実効支配」している。その時の話をする。
その時、「いざとなって食糧がなくなった時の為に」と山羊を2匹、持って行った。
島には何もないし、山羊には情が移って、食うどころではない。大事にし、可愛がった。
あれから30年、その山羊が増えに増えて、今では400匹以上になるという。
又、あの時(30年以上も前だ)建てた灯台は、今でも立派に機能し、傍を通る船がその灯台のおかげで何度も助けられている。
その後、尖閣に行って、ちょっと上陸し、すぐに帰って来た人は、何人かいる。
しかし、1ヶ月以上もいて、「実効支配」した人は日本青年社の人たちしかいない。
30年以上前のあの上陸、長期実効支配は、もっともっと語られていい。
そして、灯台は今でも多くの人々の目印になり、助けになっている。木村氏に、その時の話を詳しく聞いた。
「鈴木さんは、どんな経緯で愛国心を持ち、右の運動に入るようになったんですか」と本間さんに聞かれた。
母が「生長の家」という宗教に入っていたからですよ、と答えた。
私が子供の頃、母親は肺病にかかり、医者から見放された。もうダメだと思い、死ぬしかないと思った時に、「生長の家」の先生に救われた。
それで私も子供の頃から、「生長の家」の神童会(=子供会)や、中学生、高校生の集まりに連れて行かれた。
学校とは違う人々の集まりだったし、楽しかった。
特に、高校になってから、学校では教えない歴史を教わった。
天皇陛下の話が多い。「終戦当時、天皇陛下はマッカーサーに会い、自分の命はどうなってもいいから国民を助けてほしい、とお願いした。私たちは天皇陛下に救われたのです。天皇さまのいる素晴らしい国に生まれたのです。感謝しましょう」と。
高校は、ミッションスクールだったが、左翼的なことを言う先生もかなりいた。
どっちが正しいのか、よく分からないが、「生長の家」の先生の方が優しかった。それで、そっちの方を信じたようだ。
高校を卒業してからは、早稲田大学に入り、「生長の家学生道場」に入り、そこで静かに宗教的生活に親しみながら、平和に学生生活を送る予定だった。
ところが、「生長の家」の谷口雅春先生は言う。
〈宗教者は本来は、個人の病いや精神を治すものだ。ところが今、日本そのものが病んでいる。重病だ。危篤だ。だから我々宗教者も立ち上がらなくてはならない〉と。
瀕死の病で寝ている〈日本〉を救うのだ。
そう思って立ち上がった。私たちも「医者」だと思った。
「大学でストをやってる人間は学外の左翼の指令を受けてやっている。学園紛争を利用して、日本に革命を起こし、中国・ソ連のような国にしようとしてるんだ」と先輩に言われた。
そして、「学内でも左翼と闘え!」と言う。
言われるまま、「スト反対」のビラを撒いたら、全共闘の学生に取り囲まれ、いきなり、殴りつけられた。集団で殴られ、ボコボコにされた。「この右翼め!」と言われた。
「エッ!右翼って何だ?」とその時は思った。
ともかく、その痛い体験から始まって、学内で左翼と闘い、右派学生になっていった。そんな話をした。
そしたら野口理事が、「実は私の母親も生長の家で、とても影響を受けました」と言う。
隣りにいた本間理事長は、「全く知らなかった。初めて知った」と驚いていた。
口には出さなくても、親や親類に「生長の家」がいる人はかなりいるのだろう。政治家でもいるし、格闘家でもいる。
今は、格闘家というよりもダンスで有名になった須藤元気さん。洋服のAOKIのCMでも有名だが、彼はおばあさんが「生長の家」だ。
そのせいか、格闘技をやってた時、勝つと必ず、「We are all one!」という横幕を掲げていた。
須藤さんとは格闘技雑誌で何度か対談をした。
おばあさんの影響なのか、昔から宗教的・精神的なものは関心があり、随分と本を読んでいる。私も、勧められて、何冊か読んだことがある。
どうも彼は、本当は〈平和〉を訴えたい。それが主目標のようだ。
でも、「朝まで生テレビ」などの番組に出て、いくら喋ったとしても分かってもらえない。グチャグチャ論争が続くだけで、決着しない。
その点、格闘技ならば、ちゃんと「勝負」が着く。
そこで勝ったら、自分の反戦平和の思想も訴えられる。納得してもらえる。という。
では今、ダンスを通じて何を訴えているのか。きっと〈平和〉〈愛〉だろう。又、会った時に聞いてみたいと思う。
6月15日の福島シンポジウムでは、さらに教育の問題、経済の問題、そして憲法改正の問題などについても話し合った。
3時間ほど4人で話し合い、そのあと会場からの質問が出る。
大会議室には150人が入り、超満員だ。それに皆、熱心だ。
そして、質問する。今の政治のこと、個人のやれること、選挙のことなども聞かれた。
我々2人が東京から来て、皆に話した。
それは事実だが、福島の病院の人たち、一般の人たちから我々が教えられたことの方が多い。とても有意義な福島シンポジウムだった。
終わってから、広大な病院を本間理事長が案内してくれる。
リハビリの様子、マシーンなども見せてくれる。グループホームなども。大変な仕事だと思った。頭が下がる。
あるいは私らの「政治運動」「思想運動」も、疲弊した戦後日本をリハビリしようという運動なのかもしれない。
この日は、奥飯坂の温泉旅館に泊めてもらった。豪華だった。申し訳ありませんでした。
生愛会の皆様、本当にお世話になりました。とても素晴らしい体験でした。とても勉強になりました。教えられました。
よく、徐さんと対談する気になりましたね、と聞く。
上祐さんは気持ちの変化について詳しく語ってくれた。有田さんは仕事があるので、途中で帰る。
休憩をはさんで、第2部は、徐さんに入ってもらい、3人で話す。
この日のロフトは超満員。なかなか聞けない話だ。皆、真剣に聞いている。店長の平野さんも、「これは凄い。面白かった」と言ってた。
11時に終わり、そのあとも残って、話をする。本も随分と売れ、3人も必死でサインをしました。
それから高田馬場。6時半から「ミヤマ」の会議室で、月刊『紙の爆弾』の対談。井上清志さんと。昔、学生運動をしていて、ピース缶爆弾で冤罪逮捕され、長期勾留。長い間かかって裁判をし、無罪になった。そして国賠訴訟をやっている。
又、北朝鮮を訪問したのを機に、「よど号」グループの支援に携わる。冤罪の「ヨーロッパ学生拉致事件」では、国賠請求を推進している。劇的な人生だ。ピース缶爆弾のこと、「よど号」の帰国問題などについて詳しく聞いた。
第2部がパーティ。西村さんとは久しぶりだった。新浪さんとは初対面で、挨拶した。
「ザ・アール」社長の奥谷禮子さんも来ていた。昔よく一緒にテレビに出ていた。本当に久しぶりだ。「最近は左翼になっちゃったの?」と言われた。「ライフ」代表の清水信次さんとも会った。
そこに、「あら、鈴木さん久しぶり」と声をかけられた。女性だ。アレッ?と考えていたら、「忘れたの?前はよく会ってたのに」と言う。「デーブ・スペクターの家内よ」。あっ、そうか。すみません。ボケッとしてました。
パーティを途中で抜けて、阿佐ヶ谷ロフトへ。選挙、尖閣、立候補をめぐって、今、ドキュメンタリーがドッと公開されている。その関係者を一堂に呼んで、大いに語ろうというイベントだ。
〈映画「ムネオイズム」「尖閣ロック」公開記念イベント=参院選直前、どうなる選挙の争点?ネット選挙、領土問題、憲法改正〉
7時半から始まっていたが、私は30分ほど遅れて参加。11時過ぎまで熱く語りました。出演した人は…。
山内和彦さん(映画『選挙』出演)。金子遊さん(「ムネオイズム」監督)。園田映人さん(「尖閣ロック」監督)。岩井秀世さん(「ムネオイズム」宣伝)。そして私。司会は佐藤嘉一さん。(他)
「働く」の意識がどう変わったか。産業革命前は、「labor」だ。牛や馬と同じように働く。それから工業化時代で、「work」になる。さらに情報化時代になって、「play」になる。
そうか、イチローもサッカー選手も過酷だが、主体的なplayだ。全ての仕事がそうなるという。これから国際化を迎えた企業の進む道なども話してくれる。門外漢の私にもとても興味深かったし、理解出来た。
「ライフ」会長の清水信次さんが来ていた。金井さんを紹介してくれた。少し話しました。
それから急いで、河合塾コスモへ。
3時、「現代文要約」。
5時、「読書ゼミ」。今回は『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』(角川oneテーマ21)を読み、皆で話し合いました。保阪正康さん、東郷和彦さん、宮坂聰さんらの章を読み、考えました。終わって、生徒と食事会へ。
〈矢口壹狼20周年記念特別試合。THIS IS 邪道ワールド!〉
大仁田厚が特別参加。曙、ダンプ松本も。豪華でした。久しぶりにプロレスを見た。
アルファ・ジャパンの荒井さんの招待です。面白かったです。興奮しました。矢口はいい。大仁田もいいですね。
荒井さんに、「場外乱闘があるから気をつけて下さいょ」と言われた。「襲ってきたら闘ってやるよ」と思っていたけど、曙や大仁田が目の前でイスで殴り合いを始めた時は、肝を冷やしました。皆、逃げ回っていました。
昼の会が終わったあとに、監督とトーク。あの超多忙な鈴木宗男さんを追いかけて撮った映画だ。全身全霊、100%の政治家だ。そして、奥さん、子供たち…家族全員で闘っている。そして「鈴木宗男」を作り、育てている。実に感動的な映画だ。撮影時の苦労話。宗男さんが時に見せる個人的な素顔などについても聞いた。
それから、中野ZAROホールへ。7時から、鳥肌実のライブを見る。凄い。過激だ。何が出てくるか分からない。面白かった。終わってから、楽屋に訪ねて、いろいろ話をした。
〈第67回「谷口哲学を学ぶ勉強会」〉
テキストは谷口雅春先生の『維摩経解釈』。私は久しぶりです。とても勉強になりました。
夜は、新宿へ。コニカミノルタプラザで「ニュージーランドテカポ展」を見、そのあと雑誌の対談。
①6月15日(土)午後1時半より。福島市の医療法人生愛会グループから呼ばれて、シンポジウムに参加しました。木村三浩一水会代表と私です。
〈世相を斬る!生愛会グループ教育文化公開シンポジウム〜歴史・教育・国際情勢・経済〜〉です。
⑦北の湖親方を囲んで。左は、この日、記念講演をした京大教授の藤井聡さんです。「日本強靱化論」を主張し、今、内閣官房参与です。文化放送では2回ほど出てもらい、話をしました。プロレスファンで、馬場が大好きなんです。
⑧藤井聡さん。そして空手家の佐竹まさあきさんと。佐竹さんはK−1にもよく出てました。私は昔から知ってます。
久しぶりでした。今度、参院選に出るそうです。藤井さんは、「よく試合を見に行ってました」と喜んでました。
⑨「鈴木さん」と、隣りにいた女性に話しかけられました。名刺を見て、ビックリ。妖艶な演技で一世を風靡した女優・筑波久子さんでした。「よく映画を見ました」と言いました。今度又、映画を撮るそうです。楽しみです。
⑩6月14日(金)夜7時から、角川書店本社で、東郷和彦さんと対談しました。Ustreamで放送されました。『内心、「日本は戦争したらいい」と思っているあなたへ』(角川oneテーマ21)の出版記念トークです。
〈激論!日本の外交・国防はいかにあるべきか!?〉
とても勉強になりました。教えてもらいました。
⑮参加者の中に、変わったTシャツを着てる人がいました。「お母さん?」「違います。菊地直子です」。オウムの指名手配で、捕まった人です。
驚きました。ちゃんと買ったんだそうです。2500円で。「会社に着ていってます。嫌がられてます」と言ってました。警察にもよく不審者だと尋問されるらしい。そんな危険を冒してまで、着る価値があるのかね。でも、偉いですね。
⑯衆議院議員・自民党の西村やすとしさんの「特別セミナー」に参加しました。6月19日(水)午後5時からです。ホテルグランドアーク半蔵門です。
西村さんは21年9月には自民党総裁選に立候補しています。現在50才。内閣府副大臣。久しぶりに会いました。
⑳6月20日(木)12時20分から。アークヒルズで「経営者フォーラム」に参加しました。以前、ここで私は講演をしたことがあります。
今回は「無印良品」で知られる株式会社良品計画の代表取締役社長の金井政明さんが講師でした。知らない世界の話なので、とても教えられました。
「ライフ」の会長清水信次さん(中央)が来てたので、金井さん(右)を紹介してもらい、いろいろ話をしました。