昼は、市民運動の集会に出て、夜は、(元)過激派の人々の集会に出る。
6月29日(土)だ。昼に東京を出て、静岡市に行った。市民グループ、そして(元)過激派の集会だ。
朝から段々とヒートアップして、夜に沸騰点に達する。いい一日だった。
実は、「100%右翼の人」とか、「100%左翼の人」なんていない。
右翼の人だって、頭のどっかで、平和や人権や国際連帯を考えている。左翼の人だって、オリンピックの時、つい日本を応援し、「がんばれ!日本」と叫んでしまう。外国に行った時、日の丸を目にしてジーンとなる。「ヤベー、俺にも愛国心があったのか」と驚く。
それに、時代は変わる。人間も成長する。「右翼脳100%の人間」はいない。「左翼脳100%の人間」もいない。
割合なのだ。比率なのだ。右翼度:左翼度=70:30ならば〈右翼〉と呼ばれる。51:49でも〈右翼〉と呼ばれる。
私は、どうなんだろう。そんな区分は超えた。敢えて言うなら、50:50かもしれない。いや、40:60で逆転してるのかもしれない。
毎日、いろんな人々と会っている。いろんなことを考えている。いろんな本を読んでいる。「左脳」だけで動き回っている日もあるし、「右脳」を中心に働かせている日もある。
そんなことを以前、書いたら、小林よしのりさんに『ゴーマニズム宣言』でこう言われた。
「鈴木邦男は朝起きた時、今日は右翼でいくか、左翼で行くかを考えるらしい」。
いやー、面白いことを言う。私は、そこまで「計画的」「計算的」には生きていない。その日の成り行きですよ。
朝起きて、外に出て、その日の〈温度〉や〈湿度〉によって、右脳か左脳か決まるようだ。太陽によって左右される。(あっ、本当に「左右」されている)。
これじゃ、まるで「植物」だ。いや、ソーラー人間だ。
6月29日(土)は、もう初夏で、暑かったので、左脳がフル活動し、〈左翼〉になっちゃった。
静岡で講演する。とブログに書いたら、東京から2人、名古屋から1人が参加した。
静岡駅で合流して、4人で会場へ向かった。
まずは頭の中の「左翼脳」のスイッチを入れる。初めは「弱」だ。それから「中」。そして夜は「強」となる。
〈アジアを考える静岡フォーラム(FAS)
総会と記念講演会〉
に出る。記念講演が私だ。
午後1時開場。1時半から2時半は「2012年度活動報告・収支報告」。2時半から記念講演だ。「だから鈴木さんは2時までに来て下さい」と主催者から言われていた。
でも初めての場所だし、余裕を持って12時03分発の新幹線に乗った。
午後1時06分、静岡着。改札を出たら岩井氏がいる。名古屋から来たのだ。それに東京から来た2人も合流する。
「連合赤軍を見たい!」と3人は言う。夜は元連合赤軍兵士・植垣康博さんのやっているスナック「バロン」で講演をする。それが目当てだ。夜の左脳「強」が目的だ。昼の「弱」・「中」はどうでもいいらしい。
「夜までお茶してようかな」と言うが、それでは失礼だ。
だから私は、嫌がる3人を連行して、タクシーに乗せた。10分位で、会場の「静岡市民文化会館」に着く。
会場は駿府城のすぐ隣りだった。「静岡に城なんてあったのか?」という人もいるが、徳川家康のいた城だ。
昔、静岡市は駿府(すんぷ)と呼ばれていた。古代、駿河国府の所在地だ。中世、今川氏の城下町だ。徳川家康隠退後の居所、のち天領だ。
「じゃ、終わったら駿府城を見よう」と私は言った。「向こうがお城らしいです」と岩井氏が指をさす。
その横には変なオブジェがある。太った裸の女が空を飛んでいる。それがビルの正面に貼り付いている。
なんだろうあれは。あんなデブも空を飛べるんだろうか。「三保の松原が近いから、きっと天女ですよ」と言う人もいる。天女があんなデブか?分からん。
いくら考えても分からんので、文化会館に入る。
1時開場だし、1時半の開会だ。もう始まっている。
迷惑にならないように、後ろからソーッと入ろう、と思っていたら、ドアは開いている。スタッフが会場の準備をしている。「あっ、鈴木さん、早いですね」と言う。
時計を見たら、ちょうど1時半だ。総会が始まる時間だが、まだ3人ほどしかいない。
アララ、こっちの「持ち込み」の方が多いよ。大丈夫かな。
「大丈夫です。皆、鈴木さんの講演を目的で来ますから。2時半までは人が集まりますよ。総会は内輪の報告だけですし。下でコーヒーでも飲んでて下さい」と言う。
でも、せっかくだから、聞かせてもらおう、と座りました。
だって、何の会かよく分からない。どんなことをしてるのかも知らない。何か、アジアの人たちとの連帯をしている。そんな集まりのようだ。
「アジアを考える静岡フォーラム(FAS)は、アジアやその他の第三世界の人々と共に生き、共に問題解決の方法を考え、彼らを支援することを目的として、在日のアジア人および他の外国人との交流会や無料検診会を実施しています」
と、当日もらったチラシには書かれていた。25年ほど前に生まれたようだ。その経過は…。
〈静岡フォーラムは、1988年の4月29日に静岡葵区の駒形というところで餓死したフィリピン女性マリア・クルスデスさんがきっかけで生まれた市民団体で、既に25年の経過をたどり、初期のころの相談活動という盛り上がりから、昨年ころから活動の矛先をアジアと向かい合うナショナリストの在り方を啓蒙する講演会活動へとシフトしています〉
という団体のようだ。
代表の松谷清さんは、市会議員で、スナックバロンで私とは何度か会っているという。記憶力の弱い私も、そう言われれば会ったような気もする。
中国の人を呼んで講演会をやったり、韓国の人を呼んで領土問題の講演会をやったり、意欲的な取り組みをやっている。入管問題、留学生との交流、エスニック料理を食べる会…などをやっている。偉い。
そんな中で、6月29日(土)の講演会だ。
6月29日(土)の午後1時半から始まった総会では、今までの活動や、現状。今後の方針などを話す。「2012年度活動報告。収支報告」。そして「2013年度活動予定。予算等」が出され、終わる。
総会をやってるうちに、どんどんと人が入ってくる。
午後2時過ぎに、大会議室はほぼ満員。そして午後2時半からは講演会がスタートした。
だから、講演の初めに、つい言ってしまいました。
「人が沢山来て下さってホッとしましたね。1時半に来た時は3人しかいませんでした。「持ち込み」の方が多かったくらいで…」と。
そうだ。私の講演の前に、「大久保デモ」の映像が流された。在特会のヘイト・スピーチデモだ。
それを見てから私が話をした。持ち時間は5時までの2時間半だ。
初め1時間話し、後半1時間半で質疑応答だ。
熱中して話していたら、汗だくになり、上着を脱いで話をした。テーマは、こうだった。
〈右翼の立場で考察する=
東京新大久保コリアタウンにおける在日特権を許さない会嫌韓デモ〉
マスコミでは、ほとんど報道しないから、知らない人が多い。話には聞いていたが、映像で見て、「えっ!こんなに酷いのか!」と驚いた人も多い。
なぜ、テレビなどで映さないのか。
プラカードなどには「韓国人死ね!」「朝鮮人、毒を飲んで死ね!」などと、酷い言葉が書かれている。
それを見て、テレビの視聴者が、「どうしてこんな差別的なものを流すんだ!」と局に抗議する。デモをしている人間には抗議しないで、(それを批判的に放映した)テレビ局に抗議が集中する。
「じゃ、やってらんない」と思う。だから、どの局も流さない。
又、右翼や保守派の人々は、「こんな下劣なことはやめろよ」と思っている。
でも、何も、そこまで落ちて論争したくないと思う。
それに、「こんなものは国民が相手にしない。すぐにつぶれるさ」と思っている。
ところが、つぶれない。ますます盛んになる。
又、日本のテレビ局は放映しないが、韓国・中国などは大々的に報じている。毎日報じる。先週と今週、韓国と中国のテレビ局の取材を受けた。その時、聞いた話だから本当だ。デモの様子を流し、「ほら見ろ、日本人全体が我が国を攻撃している。死ね!殺せ!と言っている」。
そして、「日本なんか嫌いだ」という感情に火をつけ、さらに煽る。
又、警察(特に公安)は、彼らを使って、〈騒ぎ〉を大きくしようとする。
そんな中で、右翼の中からも、これはいかんと立ち上がる人が出た。
又、有田芳生さんたち国会議員も、これに反対する集会を開いた。
又、鈴木寛さん(民主党)は国会でこの問題を取り上げ、安倍総理に迫った。
総理も、「遺憾だ」「問題だ」と言った。そうなると、警察でも、もっと厳正にデモを取り締まるしかない、と思う。
そんな中で、在特会と、それに反対する人間が衝突し、両方に逮捕者が出た。そんな経過を私は説明した。
さらに、デモの他、国会議員や、文化人の失言・差別発言がなぜ起こるのか。についても話をした。
「ヘイトスピーチのデモは酷いが、中国・韓国のやり方を見たら、その位やってもいいのでは」と、内心思っている国民もいる。
又、それが「国民の声」だと誤解する国会議員もいる。そして、乱暴な発言をする。
又、「日本が中国、韓国に舐められるのは、こんな酷い憲法があるせいだ!これを変えて強い国にしなくては!」と言い出す。「そうだ、そうだ」と同調する国民もいる。嘆かわしい話だ。
1時間、話をし、そのあと、質問を受けた。
「日中友好をどうしたら出来るか」「なぜ暴力的方向にいくのか」「憲法はどうすればいいのか」…と。
午後5時になっても、まだ質問は終わらない。
「では、スナックバロンに来て下さい。そっちで話しますので」と言った。
外はまだ明るい。ブラブラと歩きながら、集団で、スナック「バロン」に向かう。
写真を載せたが、静岡は、いろんなオブジェ、銅像がある。まるでピョンヤンのようだ。
富士山と三保の松原が世界遺産になったことを祝ってか、静岡県庁には大きな祝賀看板が出てる。
又、「三保の松原」の天女が空を飛んでいるオブジェがある。
さらには、ワサビの大きな像まである。
分からんところだ。静岡市役所の前を通ったら、「ここが若松映画で使われたとこです」と説明する人がいる。
そうか。若松孝二監督の「11.25自決の日。三島由紀夫と若者たち」で使われたとこか。ここを、市ヶ谷の自衛隊に見立てたのか。
ビルの2階には大きく突き出たバルコニーがあるし、ここなら雰囲気が出る。
と思って、パチパチ、写真を撮った。
そしたら、「バロン」で喋っている時、「いや違う。あれは嘘だ。静岡県庁の方だ」と言う人もいる。
でも、三島が決起したシーンとは違うようだ。
家に帰って調べた。映画のビデオを見た。どうも静岡市役所に似ている。
決定的なのは公式ガイドブックに出ていた「撮影日記」だった。
〈4月25日、朝早く、三島と森田を乗せて、ロケバスは一路、静岡市役所へ。あの、芝居を超えた三島の壮絶な演説シーンがどうやって生まれたのか。ぜひ井浦新のインタビューをご参照いただきたい〉
三島(井浦)の演説してる写真も出ている。左側からで撮っている。屋根のそりなども、やはり静岡市役所のものだ。
しかし、市ヶ谷の自衛隊と違い、静岡市役所は大きな道路に面している。
車は通るし、人も通る。そこで演説するなんて、やりにくくて仕方ないだろう。
井浦新さんのインタビューも、そこを聞いている。
—あの市役所は目の前は一般道だし、人も車も行き交うし、非常にやりにくいのではと心配したのですが。
それに対する井浦さんの答えは、ちょっと長いが紹介しよう。
〈それが、逆だったんです。撮影用に用意された静かな場所じゃなくて、本当に良かったと思ってます。普通の日常の中だからこそ、あの絶叫が出てきた。
道路の向こうでは工事をしている。普通の人たちが忙しそうに歩いている。そんな中、自転車を止めて、何事かと上を向いて聴いてくれている人もいるし、何も見ずに通り過ぎてく人もいる。僕は、こちらを向いてくれている人に向かって叫びかけましたし、通り過ぎていく人の後ろ姿を見つめて悔しさを噛みしめてもいました。
工事の音など日常の中にかき消されまいと必死でした。演説以前のあの穏やかさから一転、自分の中に大きな渦が巻き起こっていったのです〉
凄いですね。三島になり切っている。
さらに、切腹の時、どう思ったか。森田を連れていくことをどう思ったか…。など聴いている。まるで三島になったように、井浦さんは答えている。
これも驚いた。これはぜひ皆にも読んでもらいたい。そして、もう一度、あの映画を見てほしい。
ということで終わり。
スナック「バロン」での模様は写真を見てほしい。植垣さんとは、連合赤軍事件のこと、北朝鮮のこと。そして、北朝鮮で、「よど号」グループと会い、何を話し、何を感じたか…を話してもらった。
又、ゆっくり話を聞いてみたい。
だが、昼の部と違い、酒が入ってるから、酔って騒いでる客もいる。からむ客もいる。「静粛!」と言おうと思って、つい「粛清!」と叫んでしまった。オワリ。
宗男さんの演説はさすがに熱が入っていた。娘さんのたかこさんも迫力がある。元NHKだけに言葉遣いがはっきりしてるし、うまい。
松木けんこうさん、小沢遼子さん、サンコンさん…に会いました。「週刊プレイボーイ」の小峯さんにも久しぶりに会いました。
この本の帯には大きく、〈元凶は田原総一朗!〉と書かれていた。これには田原さんもかなり気にしていたようだ。それで、5月31日の「朝生」には、方向転換を計った。…のではないかと、私は思った。
学校の1学期は今日で終わり。生徒と食事会に行く。来週からは夏休みだ。でも、合同授業や、特別授業などがある。
夜、打ち上げ。そして、ホテルに泊まる。でも私は、夜に仕事があったし、明朝も早いので、帰る。
最終7時半発で、羽田に9時に着く。それから新宿で、対談。
内田樹さんと会う。やっと会えました。感動です。
午後2時から「鈴木ゼミ」。超満員でした。内田さんは神戸女学院大学名誉教授だ。『日本辺境論』『街場のメディア論』などのベストセラーがあります。
又、武道家です。合気道の道場を持って教えています。その方面の話しから入りました。実に楽しく、有意義な話しでした。
終わって、質疑応答。そして、打ち上げ。最終の新幹線で帰りました。
⑥「聖フランシスコ」のTシャツを着てる人がいました。学生時代、極左のセクトに属して活動してたんですが、その後、キリスト教に触れて、入信したそうです。偉いですね。今度、じっくり話を聞いてみたいですね。『紙の爆弾』で。
⑩静岡県庁です。「祝富士山・世界遺産登録」の大きな看板が。きちんと足場も作ってるし、相当前から建ててたようです。「登録が決まった瞬間に、上のシールをとって、「祝!」と出したのでしょう。もしかしたら、もう一つのバージョンも考えていたのかも…。
⑫それで、映画を見直しました。若松孝二監督「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」です。屋根のふくらみから見ても、やはり静岡市役所ですね。映画の公式ガイドにも、「静岡市役所で撮影」と書かれてました。
⑬「アジアを考える静岡フォーラム」が終わってから、空飛ぶ裸婦像、ワサビ像、静岡県庁、静岡市役所…を見て、スナック「バロン」に着きました。元連合赤軍兵士の植垣康博さんのお店です。カウンターの中に入って、2人で話しました。
㉒「マガ9学校」が終わったあと、新宿西口に行ったら、鈴木寛さんがいました。『テレビが政治をダメにした』(双葉新書)は売れてます。「元凶は田原総一朗!」と本の帯に。凄い本です。田原さんも気にしてました。