「今日は、いよいよ“鶴ヶ城開城”ですね。悔しいですね」と言ってました。坂本龍一さんが。
7月21日(日)、対談した時です。
坂本さんは、NHK大河ドラマ「八重の桜」のテーマ音楽を担当しています。
「やはり会津若松の側に立って考えてしまいますね。この間、仕事で山口県に行ったんですが、身構えてしまいますね」と言う。
坂本さんは普段はニューヨークで仕事をしている。たまに日本に帰る。その時を狙って、対談してもらったのだ。
「週刊金曜日」でやった。掲載は8月中旬になるだろう。第2回目の対談だ。
1回目はいつだったんだろう。と思ったら、赤岩記者が、「1月6日(日)ですよ」と教えてくれた。正月早々、対談した。午後3時からだった。
そうだ。この日は、「八重の桜」がスタートした日だ。「皆は見てないでしょうが、僕は見たんです。とってもいいですよ」と言ってた。
テーマ音楽を作るので、事前に見たのだろう。この対談は、「八重の桜」と共に始まったのか。
「4月の末に会津若松に行ってきたんですよ。町中が『八重の桜』ブームでした。NHKの“大河ドラマ館”にも行きました」と私は言いました。
桜が満開でした。帰る日の朝、4月21日(日)は何と大雪が降り、桜に雪が積もってました。珍しくも美しい光景を見せてもらいました。と私は言いました。
私は福島県郡山で産まれましたが、そのあと、会津若松に行き、それから青森県黒石に移るのです。それから秋田県の横手市、秋田市、湯沢市。そして、宮城県仙台です。…と、話しました。
しばらくは、会津の話ばかりになりました。そして、坂本さんから『八重の桜』のCDをもらいました。ありがとうございました。
坂本さんのお父さんは河出の編集者で、三島由紀夫、高橋和巳、そして小田実らを育てたんです。
坂本さんの家には高橋、三島が遊びに来ていて、子供の頃の坂本さんと遊んでくれたそうです。そんな話も詳しく聞きました。
又、小田実の『何でも見てやろう』は、お父さんが計画を作り、お金も作ってあげて、海外に送り出したんだそうです。凄い企画力というか、先見の明があったのですね。
坂本さんは音楽の他にも本を書いたり、映画に出たりしています。なぜなんだろうと思ってました。
又、「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」に出演した時の「不思議な体験」についても語ってくれました。初めて聞く話です。驚きました。
そして…。
この時の話は8月中旬の「週刊金曜日」に掲載される予定です。
坂本さんからは『八重の桜』のCDと、その他にジャムをもらい、私は、最近書いた本をあげました。『終わらないオウム』、『内心、“戦争をしたらいい”と思っているあなたへ』、そして『先生!』です。
では、この話に移りましょう。最後の本は、前日、7月20日(金)に出版されました。
池上彰さんが選んで、27人の人に原稿依頼をしてます。
〈「先生!」。この言葉から思いつくエピソードは何ですか?〉
書いて下さい。その時、原稿の中で、「先生!」というフレーズを必ず使って下さい。と、「お題入り」の原稿依頼でした。「はじめに」で池上彰さんはこう書いてます。
〈…。人間として尊敬すべき人も、唾棄すべき人物も、学校で教えていれば、子どもたちにとっては、みんな「先生」。学校以外の場所にも「先生」と呼ばれる人たちがいます。そんな先生たちと交流したり触れ合ったり、衝突したり対立したりしながら、みんな成長してきました。先生たちは、教え子を育てたのか。それとも、子どもたちが勝手に育っていったのか〉
そして、27人の人を選び、池上さんは、「エッセイお願いの手紙」を出します。その手紙も、紹介されています。
「お願い」の最後はこうです。
〈この本の企画を、編集部は「冒険に出る」と表現しました。きっと、私を編者にしてしまったことが「冒険」なのでしょう。どうせなら、あなたもこの「冒険」に参加してくださいませんか。素敵なエッセイをお待ちしています〉
そして、「はじめに」はこう締めくくってます。
「この呼びかけに、それぞれの人が、どう答えたのでしょうか。あなたなら、どう答えるでしょうか。そんなことを考えながら、本文をどうぞ」
エッセイを書いている27人は、こんな人たちです。
太田光、パックン、武富健治、平田オリザ、しりあがり寿、押切もえ、山口香、乙武洋匡、山口絵理子…といった人々です。
その中に私まで入ってます。「冒険」です。危険な「冒険」です。
かなり売れてるようです。こんな人たちが、「先生」についてどんなことを書いたのか。皆、興味があるでしょう。
この中で、会ったことがあるのは押切もえさん、山口香さん、武富健治さんだけですね。武富さんは、テレビ、映画の『鈴木先生』の原作者です。とても面白い漫画だし、考えさせられます。
ロフトで一緒にトークしました。又、映画『鈴木先生』を見に行ったら、バッタリ会いました。「武富さん!」と言ったら、「あっ、鈴木先生!」と言われちゃいました。
そしたら、「わー!原作者の武富さんだ!」と人が大勢集まってきちゃいました。すみませんでした。
8月3日(土)の私の「生誕100年祭」にも時間があったら来てもらいたいと思ってます。
その武富健治さんは、この『先生!』の中では、
〈「消費者的感覚」に立ち向かう〉
という、硬派な原稿を書いてます。
押切もえさんは、「先生がくれた光」です。
山口香さんは「柔道とは?」です。
皆、面白いです。感動的です。他に、タイトルから見て、読みたくなるのは…。
「『抗う』こと」(安田菜津紀)。
「80歳を越えた中学生」(太田直子)。
「逃げる、逃げる!」(石井志昴)。
「自分の物差し」(山口絵理子)。
「とらわれちゃだめだ」(平田オリザ)。
「学問を武器にして生徒とわかりあう」(太田光)。
そうか。「先生」との出会いは、人生においてこんなに大事だし、重要なんだ。親や兄弟姉妹、友人、本、映画…などよりも、影響力は大きいだろう。
又、学校の先生だけではない。右翼や左翼や市民運動のリーダーを、「先生」と呼ぶこともある。その影響力も大きい。
又、作家や評論家を「先生」と呼ぶこともある。
さらに、全く別のことをやってきた人でも、教えられる人はいる。だったら、その人も先生だ。
あっ、この人たちも私の先生だな、と思い、「和歌山カレー事件を考える集会」で私は話をした。この『先生!』に原稿を書いたので、そんなことを考えたのだ。
カレー事件の林眞須美さんも私にとって先生だ。又、眞須美さんを私に紹介してくれた三浦和義さんも先生だ。
それに、自分が体験しなかったこと、やれなかったことを体験した人も先生だ。よど号ハイジャック事件、連合赤軍事件、オウム事件…などだ。
極限状況を体験し、〈地獄〉を見た人たちがいる。その体験は、どんな本や映画よりも、リアルだし貴重だ。
又、昔、『証言・昭和維新運動』を書いた時、血盟団事件、5.15事件、2.26事件の参加者に話を聞いた。
これらの人々も、私にとっては「先生」だし、その話によって、教えられた。今も考えている。
『先生!』の第2弾を書くとしたら、そうした人々との出会いを書くだろう。
とてつもなく信念の強い人たち。たとえば、三浦和義さんや林眞須美さんたち。
そして、決断力、思い切りの力、率先する力…。捕まってもいい。殺されてもいい。…という〈覚悟〉。
それを持った人たちを沢山見て来た。話を聞いてきた。それは又、紹介しながら、本を書いてみたい。
そんなふうに考えるのも、池上彰編『先生!』に原稿を書かせてもらったからだ。
悩み、迷い、何度も直しながら、「先生!」について考えて、書いた。
小・中・高の「先生」に限って書いた。右翼になってからとか、左翼や市民運動の「先生」たちになったら、話が広がりすぎる。又、一般読者にとっても馴染みがないだろう。
だから、「学校で習った先生」に絞って書いてみようと思った。
でも、ここで、ハタと困った。
普通なら、困った時に慰めてくれた先生。励ましてくれた先生がいる。その先生のおかげで、立ち直ることが出来た。今でも感謝している。…という美しい話。感動的な話がある。
多分、ここで書く人たちは、そういう話を書くのだろう。「先生!」と言われたら、まずそう思う。
しかし、ないんだ。私には、そんな美しい話、感動的な話は全くないんだ。慰め、励ましてくれた先生はいない。
マイッタな。これじゃ、原稿を書けないよ、と諦めかけた。これは断ろうかな、と思った。
でも、池上さんの依頼だ。それに岩波新書だ。大舞台だ。逃げちゃいけない。と思った。
悩んだ。迷った。そして、「まてよ…」と思った。私は、「いい先生」には出会ってない。
変な先生ばっかりだった。憎らしい先生ばっかりだった。よく殴られていた。先生方から見ても、私は「いやな生徒」で、「憎たらしい生徒」だったんだろう。イライラして、「こいつは体に教えなくてはダメだ」と思い、殴ったのだろう。
でも、私は反撥しただけだった。中には、「お前のことを期待してるから殴るんだ。お前は、こんなもんじゃないはずだ」と言って殴る教師もいた。「教育罰」なんだろうか。
何言ってんだ、こついはと反撥した。期待なんかしてくれなくてもいい。だから、殴らないでくれ!と思った。
思い出すのは、そんな先生たちばかりだ。本当は、優しい先生もいただろう。慰め、励ましてくれた先生もいたようだ。いい先生もいた。
でも、そういう「いい先生」のことは、どんどん忘れていく。申し訳ない。
逆に、すぐ殴る先生、理不尽なことを言う先生。授業もやらないで家族や同僚の悪口、愚痴ばかり言う先生…。そういう先生たちの〈印象〉〈思い出〉の方が強烈なのだ。
多分、(今思うと)こういうことかもしれない。いい先生のいう話、「正しいこと」「当たり前のこと」は、その場で納得する。だから、そこで消えるのだ。
その点、理不尽な先生、悪い先生、憎たらしい先生の話は、いつも反撥した。馬鹿なことを。何言ってんだ、こいつは、と。
だからこそ、ずっと頭の中に残っているし、考え続けている。こんな奴のことは記憶する必要なんかないよ。と思いながらも忘れられない。
皆だって、そうでしょう。ノートに写した授業の内容は全て忘れてるのに。ポロっと先生が漏らした個人的な話や。冗談や。授業が脱線して話したことや。
そんなことは覚えているだろう。試験には出ないし、覚える必要はないのに、忘れられない。
よし、そんな話を書いてやろうか、と思った。
でも、タイトルをどうしよう。「悪い先生から学んだこと」「殴られて知ったこと」。ウーン、つまらん。
「?」はどうだろう。こいつらのせいで、悩み、苦しんできたんだし。これじゃ、分かりにくいか。
あっ、そうだ。今、気が付いたが、「タイトル」なんて自分で考えてない。タイトルを付けないままに出したのだ。そしたら、岩波書店の編集部が付けてくれたんだ。
〈巨大な疑問符を与えてくれた〉
うまいですね。私にとっての先生たちは、そんな人たちだ。今も考えている。
思い出すのは、メチャクチャで、理不尽で、イライラして、怒鳴り散らし、すぐに殴る先生たちだ。
「正直なだけではダメだ。時には、嘘をつけ!」と本気で教えてくれた先生もいた。自分で授業をやりながら、「俺は何をやってんだろう」「こんなことを教えていて何の役に立つんだろう」と悩み、考え込んでしまう先生もいた。そんな先生たちばかりを覚えている。
そして、こっちも考え込まされた。「巨大な疑問符」を与えられたんだ。
本の中には書かなかったが、すぐチョークをぶつける先生がいた。騒いだり、無視されると、いきなり生徒にチョークを投げつける。
痛い。目に当たったら、どうするんだよ、と思う。こっちは真面目に授業を受けてるのに、何を思ったか「鈴木!ちゃんと聞け!」と言って、私にチョークをぶつけてきた。
ちゃんと聞いてた。でも、どこか馬鹿にしたり、薄ら笑いを浮かべて聞いていたのかもしれない。
その心を見抜かれて、チョークをぶつけられた。
瞬間、私はヒョイとよけた。チョークは私の後ろの生徒に当たった。「誤爆」だ。かわいそうに。
その先生は、ツカツカと私のところに来て、いきなり殴りつける。
エッ?なんだよ。こっちは「正当防衛」でよけただけなのに、と思っていたら。
「お前がよけるのが悪い! よけるから、罪のない後ろの人間が害を被る。お前が悪い!」と言って殴るのだ。
「チョークを投げたお前の方が悪いだろう」と思ったが、口答え出来ない。ただ、黙って耐えていた。理不尽な奴だ、と思いながら。
…と、そんな人ばっかりだった。でも、その中で反撥し、反逆し、そして考えた。
国語や世界史の授業にも、「何か変なこと言うよな、この先生は!」「違うだろう」…と、思うことだけが頭に残っている。そして考えている。
つまり、教育とは、子供の頭を混乱させることだ。そして「自分で考えろ!」ということだ。
その意味では、「巨大な疑問符」を与えてくれた変な先生たちに感謝している。
保江さんは、『愛の宇宙方程式』『人を見たら神様と思え』(共に風雲舎)などの著作があります。合気道の道場を持ち、指導もしています。お弟子さんたちも沢山、来てました。
第2部は、東大教授の矢作直樹さん、そして赤尾由美さんも加わって話しました。愛国党・赤尾敏さんの姪御さんです。赤尾敏さんは4人兄弟で、一番下がアカオアルミの社長さん。その人が、赤尾敏さんを経済的に支援していました。いわば、ゴッホと弟のようです。そのアカオアルミの社長さんの娘さんです。
この日は、いろんな話を聞きました。矢作さんは東大教授だが、かなりスピリチュアルなとこにも関心があり、『人間は死なない』(バジリコ株式会社)という本も出している。
「愛」を語るトークのはずでしたが、国家への愛、人類への愛…などについても話し合いました。11時半まで、語り合いました。会場は超満員でした。
お子さんが3人おりました。「一緒に空手をやってる人たちですか」と言ったら、「そうです」と言ってました。知事は、毎日、ジョギングをやって、携帯に記録を残している。以前は、子供と一緒に空手の稽古もしていた。前に親子で空手着を着て週刊誌に載っていた。それを思い出して聞いたのです。
第1部は、ヘルマン・ゴチェフスキさん(東京大学准教授)の講演。
〈『君が代』はどのように成立したのか?〉
ゴチェフスキさんはドイツ人で、長年「君が代」の成立について研究を続けてきた人だ。驚いた。詳しい。私らが知らないことを、教えてもらった。日本の古い和歌を初めは基盤にし、それをどう西洋音楽にするか。それを考えたようだ。その時々の政府の話も違い、複雑だ。それらを詳しく調べ、分析する。
第2部は、ゴチェフスキさんと森達也さん、私の座談会。司会は坂元勇仁さん(ユージンプランニング代表)。左右の元活動家が、日本の国歌「君が代」について、外国人から学ぶ。なかなか、面白い企画だ。
会場は超満員。立ってる人もいた。このトークのあと、質疑応答。「えーと、名前は分かりませんが、そこの右翼の人に聞きたい」。…なんて質問もある。「右翼の人」で括られている、私は。でも、全体として面白いし、刺激的な企画でした。
とても勉強になりました。外国人にも、こんなにも日本の文化、伝統を研究してる人がいる。感動です。
終わって、近くの居酒屋で打ち上げ。ゴチェフスキさんが挨拶。「妻に言われました。右翼と左翼が来るのよ。大丈夫?」と。でも、何とか無事に帰れますと。その奥さん(日本人)も来ていたので、「すんませんね。ご心配をかけて」と謝りました。
午後6時半、全水道会館。〈『領土とナショナリズム』出版記念討論会〉。
初め、この本の出版記念パーティだった。私も挨拶をすることになっていた。ところが会場に来ると、「出版記念討論会」なのだ。「パネラーになってますから前に」と言われた。出席者は、
木村三浩(一水会代表) 前田朗(東京造形大学教授)
四宮正貴
金東鶴(在日本朝鮮人人権協会)
清水雅彦(日本体育大学准教授)
そして私だ。
『領土とナショナリズム』は木村氏と前田氏の共著。右と左の活動家が闘っている。この日はそれをさらに広げた上での〈左右対決〉だ。自由な意見、質問も出て、とても勉強になりました。終わってから、近くの焼肉屋で打ち上げ。
この日のテーマは「右翼と保守」。そこから出発して、テロ、国家、革命…などについて語り合う。途中から神保哲生さんも参加し、後半は参院選後の日本分析。今日は、宮台、菅野両先生から、濃い授業を受けたという感じ。
とても勉強になりました。しかし、5時間の放送なんて初めてです。少々、バテました。でも、楽しかったし、教えられました。
④7月22日(月)代官山「山羊に聞く?」でトークに出ました。第1部は保江邦夫さん(ノートルダム清心女子大学教授)とトークでした。何と、安倍首相夫人の昭恵さんも聞きに来てくれました。ビックリしました。最後まで、聞いてました。とても気さくな人でした。