終戦記念日の2日前ですから、どうしても戦争の話になります。
又、「参院選後の政治状況」を語るとなると、「民主党とは何だったのか」という問題になります。
8月13日(火)、札幌では、山口二郎さん(北海道大学教授)と、そんな話をしました。第3回「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」です。
初めに私が20分ほど話をし、その後、山口さんが1時間講演。「民主主義の危機を乗り越える」と題して話し、休憩をはさんで2人の対談。質疑応答と続きました。
対談の時、私はつい口走ってしまいました。「民主党は連合赤軍だった」と。
これは失言だな。又、思いつきだけで言っちゃったか、と焦り、こう注釈しました。
「1972年の連合赤軍事件で〈学生運動〉は終わった。左翼運動・革命運動も終わった。『革命や“世の中を変える”なんて思うことが間違っている。そんなことを考えるから、こんな陰惨な“仲間殺し”になる』」と断罪されました。
この時から、「革命」「学生運動」は〈悪〉であり、〈犯罪〉になったのです。
本当は、革命に向かう学生の夢や理想や希望もあったはずなのに、それらは全て無視され、結果としての〈犯罪〉だけが言われる。
この時から革命も学生運動も終わった。
同じことは民主党にも言える。政権交替し、理想や夢もあり、旧い政治を変えたことも沢山ある。
又、沖縄の基地問題で、「海外への移転。少なくとも県外移転」を言った鳩山さん。脱原発を主張した菅さん。
理想は正しかった。しかし、全くの準備も、根回しもなく言い出して、潰れた。
さらに、「そんな理想や夢を言うから民主党はダメなんだ」
「現実を見ろ! 中国・韓国が日本を攻めようとしている。軍備を増強し、憲法を改正しなくては! 日本を取り戻し、強い国にするんだ!」
…というタカ派的な国民の声に敗れた。その声を代表する安倍自民党に負けた。
〈現実〉路線の前に、政治の〈理想〉や〈夢〉が敗れたのだ。
「夢や理想を言うから民主党は敗れた。そんなことを言ってられない。〈現実〉の国際的脅威に対抗し、強い日本を作るのだ!…という〈声〉が勝ったのだ。
連合赤軍の国民的「総括」と似ている。
革命や人民のため、なんていう理想や夢を言うから、仲間殺しになったと、〈総括〉された。
同じように、民主党も、理想や夢を言ってたから敗れた。そう、〈総括〉されている。それでいいのか。
又、キナ臭い「戦争も辞さずに…」という声も多い中、リベラル勢力の結集は可能なのか。そして「民主主義の危機」をどう乗り越えるのか。
そういう焦りがあって、私は口走ったのだ。
マズカッタかな、と思っていたら、「確かにそれは言えますね」と山口さん。
「でも、民主党はそんなに立派なものではありません。連合赤軍のように、確固とした思想もなかったし。それでは連合赤軍に悪いですよ」と言う。
民主党のブレーンと言われた山口さんの「謙遜」かもしれない。
でも、(自分で言っておきながら何だが)民主党に失礼だと思った。「連合赤軍と比べるなんて許せない!」と思うだろう。「敗北という結果からだけ見るな!」と言われるだろう。
では今、民主党再生の可能性はあるのか。その辺をじっくりと話し合った。
そうだ。連合赤軍の話しをもう少しする。
1972年の連合赤軍事件で、革命、学生運動、左翼は全て終わった。潰された。
「これはダメだったが、別の形の左翼運動は出来る」「こんなことで革命の火は消えない」と言う人がいなかった。
少々いたにしろ、体制側の「革命を考えることが犯罪」というキャンペーン、思想戦争に敗れたのだ。
「あの時、三島由紀夫や高橋和巳が生きていたら、全く別の批評をしてくれただろう。そうしたら、連赤を否定しながらも、別の革命運動が起こっただろう」と、植垣康博さん(元連合赤軍のメンバー)は言っていた。
何千人、何万人の評論家、学者、思想家は全く無力だったのだ。学者も世間も、結局、(警察の言う)、批判・罵倒に同調した。
この地獄の底からの「革命運動の復活」は成らなかった。〈思想戦争〉で負けたのだ。
でも、三島と高橋和巳がいたら、どちらか1人でもいい。生きていたら、そして連合赤軍事件について語ったくれたら…。こんなことにはならなかった、と植垣さんは言う。
「それだけ、2人は突出した思想家だったんですね」と山口さん。
でも、他人事のように言われては困る。「民主党敗北」の中にあって、山口さんが、三島由紀夫・高橋和巳になってほしい。民主党再生の理論的支柱になってほしい。私は、そう言いました。
いや、民主党の問題だけではない。今の政治については〈現実〉派ばっかり跋扈して、もう夢や理想を言う人はいない。
これではダメだろう。と山口さんに問い質しました。
3年前だったと思う。山口さんと初めて会ったのは。
その前から、山口さんの言動は見聞きしていた。
「リベラルな学者で、この人は違う」と思っていた。評価が高かった。
その山口さんが民主党に期待している。そのブレーンにもなっている。
そんな時、山口さんの講演会があった。
「マスコミ市民」の主催で、千駄ヶ谷の区民会館であった。私は聞きに行った。ちょっと挨拶した。
それから、民主党政権は生まれ、消えた。
「理想や夢を語るから民主党はダメだったんだ」と一般には酷評され、総括された。
じゃ、今、どう思っているのだろう。ぜひ話を聞いてみたいと思った。
そして「8月13日に時計台で」と決まった。
久しぶりに会える。いや、前は挨拶だけだから、ほとんど初めてだ。初めて、じっくりと話し合えると思って期待していた。
そしたら、5月に思いがけなくも、会った。5月5日のBS朝日で山口二郎さん、私、田原総一朗さんで、「リベラル勢力の結集」について話し合った。
「今は現実派ばかりで、理想を語る人がいない。リベラル派の貴重な1人だ」と山口さんを紹介する。
そして、「右翼というよりも、最近はリベラルな鈴木さん」と私を紹介する。
どうして、政治から〈理想〉や〈夢〉が失われたかを話し合った。
そして、5月31日(金)の「朝生」で再び会った。
だから、時計台は3回目の討論になる。さらに、時計台では1時間、話してもらった。
山口さんは、きちんとレジュメを作り、それを写しながら説明する。詳しい。
日本の政治のことが大局的に分かった。さすがは大学の先生だ。と思った。
私たちは、貴重な特別授業を受けたのだ。
「テレビ討論でも、こういう講義をして、そのあとで皆で話せばいいのに」と私は言いました。
初めから、「さあ、闘え!」で、バトルを展開してるんじゃ、1人1人の話を聞けない。
そうだ。山口さんの前に私は20分ほど話しをした。
山口さんと3年前に出会い、今年5月にテレビ討論で2回、ご一緒したという話。
それから、今、「自民圧勝、民主惨敗」の中で、自民は改憲、国防軍、強い日本…と、やたら、キナ臭い雰囲気だ。
本屋に行くと、「中国とは付き合うな」「韓国とは国交断絶しろ」「戦争も辞さずに闘え!」といった好戦的な本ばかりが並んでいる。
そんなものを、「国民の声」だと誤解し、政治家は、「じゃ、もっと強いことを言わなくちゃ」と思って失言する。情けない話だ。
そんな中で、『内心、「日本は戦争したらいい」と思っているあなたへ』(角川oneテーマ21)という本が出た。
又、『漫画で語る戦争』(小学館)が出た。どちらにも参加させてもらった。
いわば、「これでいいのか」と諫め、問題提起する本だ。
それを紹介しながら、では、次に、どうすればリベラル勢力を結集出来るか。それを山口さんと共に考えたいと言った。
山口さんは、じっくりと1時間、日本の戦後政治について、民主党の果たした役割、なぜ敗れたかについて…具体的に話してくれた。
さらに、どうしたら、民主主義の危機を乗り越えられるか。についても話してくれた。
だから、かなり深い討論が出来たと思う。
2人とも上着を脱いで、熱く語り合いました。
実は、この時計台ホールには、冷房がない。古い建物だから、ないのだ。いくら札幌でも、これじゃ耐えられないだろうと覚悟してきた。
「でも、昨日は大変だったけど、今日は涼しいです」と山口さん。
札幌に着いた時も、東京と比べ13度も低いというし、涼しかった。時計台ホールも、夜だったし、何とか耐えられた。
それと、「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」は、第3回目だが、山口さんは、ここは長い。
実は、山口さんが主催して、3年間ここで討論会をやってきた。
その記録は、七つ森書館から、本になっている。それも3冊も。事前に読んでいったが、かなり深い。驚いた。
1冊目は、『札幌時計台レッスン。政治を語る言葉』だ。中島岳志、辛淑玉、香山リカ、佐藤優…の各氏と語っている。
2冊目は、「札幌時計台レッスン2」で、『ポスト新自由主義』。金子勝、片山善博、高橋伸彰、上野千鶴子、柄谷行人…の各氏と話している。
3冊目は、「札幌時計台レッスン3」で、『民主政治のはじまり』だ。寺島実郎、外岡秀俊、西山太吉、寺脇研…の各氏と話している。
凄い本だ。本当に、「レッスン」だ。特別授業だ。私のシンポジウムもぜひ、こうした本にしたい。
会場の定員は150人。そこに160人の人が集まった。「ここはクーラーがない」と知っていて、それでも聞きに来てくれたのだ。ありがたい。
それに、元社会党の国会議員だった伊東秀子さんも聞きに来てくれた。
驚いた。もう15年か20年前になるだろうか。「朝まで生テレビ」など、政治討論番組で、よく、ご一緒した。
あの時は、社会党の論客で、「次の委員長は伊東さんだう」と私は思っていた。
その後、北海道に帰って、国会議員、知事選に出た。
そして今は弁護士として、冤罪事件に取り組んでいる。
懐かしい。伊東さんは、このシンポジウムで一緒に話し合うことになっている。
それと、函館から、新聞社の人が来てくれた。「筑波大学4年の時に、卒論を書くために鈴木さんに話を聞きました」と言っていた。
そうだった。日本のナショナリズムについて卒論を書いたそうだ。
そして今は、北海道の新聞社に勤めている。函館勤務だが、休みが取れたので、来ました、と言う。嬉しかったですね。
それから、「親類のものです」と言って、2人の女性が来てくれた。
私の従兄弟の息子さんのお嫁さん。そして、その娘さんだ。お嫁さんは、元スッチー。その娘さんは、今は大学生だ。
私は初めて会う。朝日新聞に、この日の案内が出ていて、来てくれたという。
いやー、ありがたいですね。この時計台シンポジウムのおかげで、親類の人とも会えるし。本当に嬉しかったですね。
そんなわけで、8月13日(火)は充実した一日でした。翌14日(水)は、東京に帰り、夕方から台湾のテレビ局の取材を受ける。日本と台湾の関係について、2時間以上、じっくりと話し合いました。
今年の夏は、韓国・中国・台湾のテレビ局の取材を受けた。三つとも日本でいえばNHK的な公共放送だ。こちらもとても勉強になった。
そして、8月15日(木)。この日も暑かった。昼、靖国神社に行った。
兵隊の格好をした人が行進したり、軍歌をうたっていたり。
又、右翼の街宣車の怒号が響き渡る。
さらに、いろんな政治的団体の集会、演説、呼びかけが多い。多すぎる。騒然としている。もっと静かに慰霊したらいいのに、と思う。
午後7時、ニコ生の「演説会」に出たので、そのことを訴えた。
戦争で亡くなった人々は、日本がもう2度と戦争をやらないことを願っているはずだ。
それなのに、今の日本人は、愚かにも、「戦争も辞さずに…」と口走っている。
中国、韓国になめられるな!やっちまえ!と絶叫し、憲法改正だ!国防軍だ!と叫んでいる。
そんな人々が、靖国神社に詰めかけ、叫んでいた。国のために亡くなった人々に応える道だと言っている。
しかし、亡くなった人々は、そんなことを望んでいるのだろうか。
敗れた戦争の敗者復活戦を願っているのか。
敗れた戦争への恨みを晴らしてほしいと思っているのか。
大東亜共栄圏の理想をもう一度、実現してほしいと思っているのか。
そんなことはないだろう。「もう二度と戦争はしないでほしい」。そう願っているはずだ。
それなのに今、あまりにもキナ臭い状況だ。
「戦争をやる覚悟」を声高に言い、あえて、アジアに緊張をもたらし、挑発している。
これでは、亡くなった人々の気持ち、願いを踏みにじることになるのではないか。
そんなことを「ニコ生」演説会では訴えた。
批判、ブーイングが集中した。18人の演説者の中で、多分、支持率は〈最低〉だったと思う。
私も45年、右翼運動をやってきた。
だから、今の「右傾化日本」において、「受ける方法」は知っている。
「改憲しろ!国防軍を!」「一回位負けたからといって、萎縮するな。今度勝てばいい!」「中国、韓国なんかやっちまえ!」
と叫べば、「そうだ、そうだ!」「いいね、いいね!」と熱狂的な支持を受けるだろう。(実際、受けるために、あえてそんなパフォーマンスをしている人もいる)。
しかし、これでは良心が痛む。人間の良識がない。今の自分の正直な思いを言いたい。
それで、ブーイングの嵐になってもいいし、「裏切り者!」「反日!」「売国奴!」と言われてもいい。
そう挑発した。そして、その通りになった。
この「大演説会」のあと、急いでロフトプラスワンへ行く。高須基仁さんの「終戦記念イベント」をやっていた。
元全共闘、脱原発テント村の人たちを集めて、いわば〈反戦〉派、左翼的な集まりだ。
テーマは「平和だからこそ出来ること」。このテーマはいいよね。〈戦争〉を待ち望む、好戦的、排外主義的な人間が多い中で、こんなことを語り合うことは貴重だ。
ただ、時代に取り残された人ばっかりだ。塩見孝也、三上治…と、左翼の老パネラーは壇上に10人。ところが、客席は20人。少ない。ガラガラだ。
準備不足もあっただろうが、〈時代〉の〈趨勢〉ですよ。
今、自民党圧勝で、右派・保守派は〈勢い〉に乗っている。そして、憲法改正、国防軍。中国・韓国やっつけろ!なめられんな!…の大合唱だ。
下らないと思うが、それで溜飲を下げて、スッキリしている。
ところが、対抗すべき左翼・リベラル派は、そんな「スッキリ感」すらもない。
グダグダと、昔の闘いの〈総括〉をどうするか、議論している。
もうダメだな。過去の思い出なんか、捨てろよ。小さな〈仲間〉集団を脱皮して、それこそ「人民」に向かって話せよ!と思いましたね。
私にとって、〈最も長い一日〉でした。
〈第3回「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」〉
ゲストが山口二郎さん(北海道大学教授)で、「参院選後の政治状況」について。その前に私が、最近のキナ臭い状況、ヘイトスピーチなどについて話す。
山口さんの講演のあと2人で対論。民主党とは何だったか。民主主義の危機をいかに乗り越えられるか。などについて話す。
冷房もない会場だったが、満員でした。我々も上着を脱いで汗だくで話しました。
終わって、居酒屋で打ち上げ。元国会議員の伊東秀子さんも来てくれました。本当に久しぶりです。昔は、朝生などによく一緒に出てました。少し先ですが来年の5月に、この時計台で出てもらいます。
又、この日、「朝日新聞に出た案内を見た」と言って、私の親類の女性2人が、来てくれました。初めて会いました。嬉しいですね。それに、以前、大学生だった時に、卒論を書くために取材に来た女子大生も(今は新聞記者です)来てくれました。
そのあと、河合塾コスモで、自習。
夜6時、ニコ生に行きました。六本木のニコファーレ。〈終戦の日特別企画。ネット演説会〉。田母神さんや、いろんな人たちが10分間の〈演説〉をする。「青年の主張」みたいだ。私もやりました。
そのあと、急いで、ロフトプラスワンへ。高須基仁さんの終戦記念トークだ。毎年やっている。毎年、満員だ。ところが今年は、20人。ゲストは10人なのに。これも〈時代〉なのか。
保守派、右派は、どこも満員なのに。「ニコ生大演説会」だって、13万人が見てるというし。そこで、「日本を取り戻せ!」「改憲だ!」「東京裁判を見直せ!」「従軍慰安婦なんてなかった!」と叫んでいる人が多かった。13万人の支持を得ていた。
「ちょっと待てよ」と言ってる孫崎享さんは、「共産主義者め!」と書き込まれていた。私も不評で、ブーイングの嵐だった。
①8月13日(火)。第3回「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。全体のテーマは〈「日本の分」について考える〉。今回は、参院選の結果を踏まえて、「民主主義の危機を乗り越える」。ゲストは山口二郎さん(北海道大学教授)
③元社会党の国会議員・伊東秀子さんも聞きに来てくれました。伊東さんは来年、この時計台シンポでお話しします。伊東さんは久しぶりです。前は、「朝生」などでよくご一緒しました。今は、弁護士活動で忙しそうです。
④元筑波大生も来てくれました。日本のナショナリズムについて卒論を書いたそうです。「その時、鈴木さんにお世話になりまして」。私の喋ったことなど、参考にならなかったでしょうが、今は卒業して、函館で新聞記者をしています。休みだったので来てくれました。隣りは弟さんです。大学生です。
①〜④までは、カメラマンの小森学さんが撮ってくれました。さすがですね。ありがとうございました。
⑤「朝日新聞」に、この時計台シンポのことが載ってたそうです。それを見て、親類の女性が聞きに来てくれました。私の従兄弟の息子さんの奥さん。そして、その娘さんです。お母さんは元スッチー。娘さんは、大学生です。
⑪この日、青森で宿が取れず、弘前に行って泊まりました。弘前では、「ねぷた」といい、青森の「ねぶた」とは少し違います。駅に実物が置いてありました。青森の「ねぶた」と比べて、かなり、小さく、優しいですね。
⑱8月3日(土)、私の「生誕100年祭」の時です。元連合赤軍兵士で、27年間、刑務所に入っていた植垣康博さん(右)も出てくれました。(左は金廣志さんと、塩見孝也さん)。
その時、43年前の逮捕時の写真が紹介されました。中央の凶暴そうな人ですね。でも、いい男ですね。左右は刑事でしょう。でも、左の刑事も凶悪犯のようです。右の刑事は、お笑い芸人のようです。