昭和史最大のテロ事件である「血盟団事件」。そして、永田鉄山軍務局長暗殺の「相沢事件」。
これは2.26事件への導火線になった。
この2つの事件を追った2冊の力作を読んだ。圧倒された。連日の猛暑を吹き飛ばすような凄まじい本だった。いや、2冊の本そのものが、「火の塊」だった。
1冊は、中島岳志さんの『血盟団事件』(文芸春秋)だ。5年の歳月をかけて書いた力作だ。それも書き下ろしだ。
「今、血盟団を書いてます」と、前から聞いていた。
札幌時計台シンポジウムで会った時も言っていた。「あの頃の時代と今は似てるんですよ」と不気味なことも言っていた。
「一人一殺」で政・財界の腐敗分子を殺し、「君側の奸」を除き、昭和維新を実現しようとした。10人以上の「暗殺リスト」を作り、そのうち2人を殺した。
1932年2月、井上準之助暗殺。同年3月、団琢磨暗殺。
〈テロリストたちの血ぬられた青春。昭和史最大のテロ事件の真相にせまるノンフィクション〉
と、本の帯には書かれている。そして大きく、
〈「破壊し尽くしてやる!」〉
という怖い文字も!
これは、テロリストの絶叫なのか。あるいは著者・中島さんの絶叫なのか。怖い本だ。
もう1冊は、鬼頭春樹さんの『実録・相沢事件=二・二六事件への導火線』(河出書房新社)だ。
鬼頭さんは元NHKディレクターだ。『血盟団事件』を書いた中島岳志さんは北海道大学准教授。
そういう人たちが、どうして狂気のテロリストに関心を持ち、書いてみようと思ったのか。それが不思議だった。
いや、「狂気」とは思わない。真面目な農村青年が、思いつめ、国のことを考え抜いてテロに走る。これが血盟団事件だ。
一方の相沢事件は、血盟団事件から3年後の1935年8月12日だ。剣道4段の相沢三郎陸軍中佐(45)が永田鉄山軍務局長(42)を日本刀で暗殺した事件だ。
それも白昼堂々、陸軍省軍務局長室に入り、陸相に次ぐ実力者の局長、永田鉄山を殺したのだ。
なぜこんなことが起きたのだろうか。
陸軍の本拠地で陸軍エリートの軍務局長が日本刀で斬られて殺された。
そして殺したのは、真面目で、部下からも慕われていた相沢中佐だ。
相沢は、その前にも永田に会い、「辞職勧告」をしている。そんな要注意人物が堂々と入れた。それも軍刀を持って。
陸軍本拠で。まさかと皆が油断していたのか。面会を阻止する者もいなかった。
奇怪で、異様な事件だ。自分が尊敬する真崎甚三郎教育総監が更迭され、その元凶は永田だと信じての決行だ。
更迭をめぐっては多くの怪文書が乱れ飛んだ。当時の皇道派・統制派入り乱れての「怪文書合戦」だ。
2、3の怪文書かと思ったが、本書によると50以上の怪文書が流され、中には、相手側の怪文書を改ざんし、自分たちに都合よく作りかえて流したものもある、という。
当時の軍人たちは何と、膨大な「情報」の洪水の中で翻弄されていたのだ。
今、ネットの情報洪水の中で、溺れそうな私たちと変わらないのかもしれない。
ただ、相沢は、自らが信ずる同志たちの「情報」だけを信じた。それも過剰に信じた。
信じるが余り、「正しい事」を実行しただけだ。これは〈神意〉だ。犯罪ではない。そう確信し、疑わない。
血盟団の青年テロリストは、「天誅」と思いながらも、「殺人」は罪だと認めていた。
「天にかわって誅する」と思いながらも、自分は責任を取らなくてはならない。相手を殺したら自分も死のうと思っていた。
ただ、それを果たせず、逮捕され、刑務所に送られた。
一方の相沢は、45才。当時で言えば、「老テロリスト」だ。「革命は、老人から先に行かなくてはなりません」と常日頃、言っていたという。
そして、白昼堂々の惨殺だった。ただ、血盟団の青年のような「罪」の意識はない。こう言っている。
「伊勢の大神が、相沢の身体を一時借りて、天誅を下し給うたので、俺の責任ではない。俺は一日も早く台湾に赴任しなければならない!」。
異様だ。しかし、本当にそう思っていたのだ。台湾赴任が決まり、その途中に寄って「決行」したのだ。
伊勢の大神がやったことだ。自分の肉体は大神に使われただけだ。その俺をなぜ逮捕するんだ! 早く台湾に行かなくてはならんのだ!と言う。
今ならば、「狂気のテロリスト」と言われるだろう。〈病気〉と言われるかもしれない。
その事件を何故、今、書くのだろう。
1人は大学准教授、1人は元NHKディレクター。インテリのエリートだ。
テロリストに繋がる部分はない。関心を持ちようがない。ましてや感情移入など出来ないはずだ。それも大出版社が出している。
何故なのだろう。「時代が似ているからだ」なんて言ったら、危ないだろう。「じゃ、今だって、こんな思いつめたテロリストが出るかもしれない」と読んだ人は思うかもしれない。怖い話だ。
正直な話。ちょっと読みたくないな、と思った。
それに、この時代の話は全部、知ってる。という思いもあった。「知ってる」どころではない。こうした戦前の流血の「昭和維新運動」を俺たちが継いでゆくんだ、という思いがあった。
だから昔、多くの事件関係者を訪ね、話を聞いている。
たとえば、血盟団事件ならば、井上準之助を殺した小沼正氏には会って話を聞いている。血盟団事件のことは詳しく聞いた。『証言・昭和維新運動』(島津書房)にまとめて、書いた。
2.26事件に参加して逮捕され、その後、『私の昭和史』を書いた、末松太平氏にも会って、話を聞いた。
末松氏は相沢中佐の数少ない親友であり、同志だった。又、相沢が逮捕され裁判になった時、弁護したのは菅原裕さんだ。この人にも私は会っている。
又、血盟団事件の後、北一輝の側近・西田税を「裏切り者」だと思い、殺しに行った川崎長光氏とも会っている。
その事件を生きた行動者たちに会って話を聞いている。戦前の「昭和維新運動」のことは全て知ってる。だから、何を今さら…。という気があった。
『血盟団事件』は中島さんが送ってくれたので、「どんなことが書かれているのかな」と軽い気持ちで読み始めた。「でも、自分の方が知ってるよ」と思いながら…。
又、『相沢事件』の方は、「週刊アエラ」の編集部から書評を頼まれ、読み始めた。350頁以上もあるし、厚い。
しかし、今さら「新事実」もないし、「新しい見方」もないだろう。自分の方がよく知ってるよ…と思いながら。
ところが、読んでみて驚いた。「自分は全て知ってるよ」と思っていたが、違っていた。
愚かだった。「自分は何も知らなかったんだ」と思った。
だって、80年ほど前の事件なのに、まるで、「今」のようだ。「今の君たちのことだよ!」と言われているようだ。
それに、こんなことがあったのか。こんな背景があったのか…と、驚かされることばかりだった。
「俺の方が知ってるよ」と傲慢にも思っていた自分が恥ずかしい。自分の無知、思い込みを徹底的に打ち砕かれた。妙に、清々しいほどに…。
たとえば、相沢は、末松太平氏ら同志の青年将校を信頼していた。と同時に、真崎甚三郎、北一輝、石原莞爾などを尊敬し、影響を受けていた。
だが、その信頼する同志・将軍たちの中に、実はこの事件の〈黒幕〉がいると、鬼頭さんは思い、突きとめてゆく。
でも、それを言うなら、〈黒幕〉は「伊勢の大神」だろう。
いや、違うんだ。周りの人間だ。それどころか、「大丈夫。恩赦がある」と、そそのかした人間もいるという。本当なんだろうか。
これらのスリリングな「謎解き」もある。
「恩赦がある」というのは、ありうる。そんなことを言った人がいただろう。それ以上に、それまでの「事実」がそう語っている。
血盟団で井上、団を殺した小沼、菱沼は、恩赦で、驚くほど軽い刑期で出獄している。
5.15事件で犬養首相を殺した三上卓らもそうだ。三上は、出所後、日本の右翼運動の指導者となり、戦後、「三無事件」というクーデター計画まで起こしている。
そこに連座して逮捕されたのが、池口恵観さんだ。
血盟団のテロリスト、小沼正には、私は会って取材している。元気のいい人だった。
もう1人の菱沼五郎は後に、選挙に出て、茨城県の県会議員になり、後、県会議長にまでなっている。
又、血盟団事件、5.15事件では、「こんな純真な人を極刑にするな!」と全国から減刑嘆願書が何十万と集まった。
それらの〈事実〉を見ただけで、当時の雰囲気が分かるだろう。
相沢だって、たとえ一時逮捕されても、すぐ恩赦で釈放される。と思ったのかもしれない。
いや、本人は、一時、逮捕されることさえも〈不当〉だと思ったようだ。「これから台湾に赴任するんだ。何で『邪魔』するんだ」という気持ちの方が強かったのだ。
又、この本の中で、相沢の意外な面も知った。
「軍人勅諭を絵に描いたような人間」(末松太平)というのは分かるが、実は、相沢は、クラシックレコードを聴き、オルガンを弾き、テニスや卓球を楽しむ〈モダンボーイ〉だったという。これは全く知らなかった。
そんな相沢が、大岸頼好、末松太平たち青年将校と知り合い、いわゆる「昭和維新運動」に巻き込まれてゆく。その当時の〈時代〉の雰囲気がよく分かる。
私らだって、それを受け継いでいると思ったのだ。遠い昔の話ではない。思いつめて、起ち上がるのは、「今でしょう!」と思ったのだ。
そうした「決起への経過」については、中島さんの『血盟団事件』は詳しい。
〈事件〉そのものよりも、そこまで思い込む〈思索的過程〉〈悩み〉の部分の方が多いのだ。
これにはビックリした。なぜ素朴な農村の青年や、東大の学生たちが、「テロしかない」と思いつめるのか。井上日召というカリスマのある坊さんに煽動されただけなのか。
違う。ここが、オウム真理教と似ているようで決定的に違う部分だ。
どうしたら自分の悩み、苦悩を解決出来るか。さらには農村の貧困を解決出来るのか。選挙や宣伝戦では何も変わらない。そう思う。
では、どうすればいいのか。人々を助けるためなら、自分が死んでもいい。
そうだ、「捨て石」だ。自分が死ぬことで多くの人を救える。それが自分が救われることでもあり、日本を救うことでもある。そう悟る。
真面目な、思いつめた、そして、この貧困、差別社会を救いたいと思いつめる若き純真な青年たちが、初めは宗教に救いを求める。
そして「宗教的行為」として「一人一殺」「一殺多生」を考えるに到る。
その「苦悶の過程」が、これでもか、これでもかと書かれている。
この本の全体の五分の四ほどが、そのことに費やされている。中島さんは言う。
〈格差問題、ワーキングプア、社会的孤立、新興宗教、自分探し—。血盟団事件は、きわめてアクチュアルな事件である。当事者の姿は、現代の我々の鏡像に他ならない〉
「時代は今と同じだ」と中島さんは言う。かなり怖い話だ。
さらに、「中曽根康弘氏の証言」も入っている。
血盟団の四元義隆は事件後、いわばフィクサーとなり、政財界の「ご意見番」として、歴代の総理にいろいろとアドバイスしてきた。中曽根氏や細川護煕元首相などの「指南役」だ。
四元について、中曽根氏が初めて語る。
又、「血盟団事件の生き残り」にも話を聞いている。西田税を殺しに行った川崎長光氏だ。
これを読んで驚いた。「えっ、生きていたのか!」と思った。
私が取材したのは35年ほど前だ。中島さんは、2010年5月13日に会って取材している。この時、川崎長光氏は99才。
そしてこれが、「最後の証言」になった。翌2011年に亡くなったからだ。
そうか、生きていたのか。私も会いたかった、と思った。
巻末の「引用文献」では、私の『証言・昭和維新運動』も入っていた。ありがたい。
この夏、衝撃を受けた2冊の本だ。
団を殺した菱沼五郎は、「自分の暗殺は神秘的な暗殺である」と言ってる。
「暗殺の瞬間、自分と団は、共に有機的宇宙におけるそれぞれの役割を果たした。自分は初めて自分を認め、団を認めた」。
又、「初めて神意に叶ったことを喜び」とまで言っている。
「伊勢の大神が自分の身体を借りて…」と言う相沢とも似ている。
その意味では、この2冊は、怖い本だ。
そして、これほど、血盟団事件と相沢事件に肉薄した本は、かつてなかった。
巨大な危険を承知の上で、あえて挑戦したのだろう。
この2冊の本自体が、命知らずの「捨て石」的行為だ。
いいねー。こういうユーモアは。何か、自信を持ちました。「オラは、子供だ!」。何だって出来るんだ!
ぜひ毎月、毎週でもやってほしい。沢山食べました。
加藤さんは今は、日中友好協会会長として忙しい日々を送っている。政界からは今年引退した。残念だ。
だが娘さんが、とても政治に意欲があって、出馬するという。
8時までANAにいて、それからタクシーで、新宿のロフトプラスワンへ。ホリエモンさんが出てるので聞きに行き、挨拶した。獄中で随分痩せて、すっきりしていた。終わって、いろいろ話をしました。
〈「個」を滅して、「公」に仕える。という心情がが、21世紀になっても日本人の中ではとても強い〉
〈自民党が独り勝ちで、対抗勢力がない。みんな落胆して精神世界に逃避するのではないか〉
と心配してました。又、「世界から見た日本」について語っています。
この日、午前中、原稿。午後1時、一水会事務局で木村代表らと打ち合わせ。夜、新宿で週刊誌の取材。
⑲下にチャックがあって、開けると、「アジの開き」になるんですね。筆入れです。よく出来てます。二次会出席の女性が持ってました。
これは凄い。ぜひ、「売って下さい」と言ったら、「そんなに欲しかったら、あげるわよ」と言って、くれました。ありがとうございました。大切に使っております。