安倍首相は強運だ。と思いましたね。
猪瀬都知事も強運だ。「2020年東京五輪」が決まった。よかった。日本中が喜びに沸き返った。
安倍首相を初めとした力強いプレゼンテーションが成功したのだろう。原発・汚染水が問題視され、海外でもかなり報道されていた。
〈当初は原発問題に触れない予定だったが、海外メディアも大きく報じたため、首相が自ら言及することを決めた〉
という。(産経・9月10日)。
首相は7日の最終プレゼンテーションでのスピーチ内容を当日朝まで推敲し続けたという。
「健康問題は今までも現在も、これからも全く問題ない」と主張し、最後に、こう付け加えた。
〈私は日本の総理大臣として彼らの安全と未来に責任を持っています。日本にやってくるアスリートにも責任を持ってます〉
と力強く主張した。「世界」に約束したのだ。
これは大きい。これが汚染水に関する委員の不安払拭に成功した。
〈ロイター通信は「安倍首相の演説が東京五輪大会決定への決め手となった」と伝えた〉
汚染水の不安だけでない。
ヘイトスピーチなどの「排外主義」などの不評・不安も、政治主導で取り除いてほしい。こんなことで参加国がボイコットなどになっては大変だ。
それを避けるためにも、安倍首相は不退転の決意と覚悟を持って事に当たってほしい。五輪開催国としての責任だ。
7年後の五輪を目指し、その中で、日本がもっともっと開かれた、寛容な国になれたらと思う。かつては、そうだったんだし、出来るだろう。
東京は2度目だ。1964年の第18回大会以来56年ぶりの開催を決めた。
1964年は、私は大学生だった。乃木坂にある「生長の家学生道場」にいた。
テレビはないから、親類の家や、蕎麦屋でオリンピックを見た。
この日に合わせて、新幹線や高速道路も出来た。近代的な「今の日本」が出来たのだ。
でも、大学では、毎日のように左翼と殴り合いをして、闘っていた。
ただ、「オリンピック反対!」なんて叫ぶ左翼はいなかった。
「米帝国主義の来日を許すな!」と叫ぶこともない。ヘイトスピーチもないし、排外主義もない。
「五輪は別だ」と左翼も思っていたんだろう。「クリスマス休戦」と同じように、
「五輪休戦」だったのか。
かなり後になってから、外国ではオリンピックの選手村が襲われたりしたことがある。
又、モスクワ五輪への参加ボイコットで、日本もアメリカに従ってボイコットした。
五輪が〈政治〉に支配され、蹂躙された時があったのだ。
その話をしてる時だった。
「実は、東京オリンピックの時、僕は聖火ランナーをやったんですよ」と言う。
エッ!凄い。「聖火ランナー」と私は対談してるのか、と感動しましたね。
9月10日(火)の3時半から、「マガジン9」で、「ひとり芝居」の愚安亭遊佐さんと対談したのだ。
愚安亭さんは、1946年青森県むつ市生まれ。中央大学在学中は赤ヘルを被って学生運動もした。
その後、芝居の世界に。身体を使って、世の不条理と闘っている。
でも、高校時代から三島由紀夫を愛読し、全てを読んだという。それも高価な初版本を求めて買い揃えて読破したという。凄い財産だ。
ところが、芝居をやるのに金がなくて、ある日、古本屋に全て売った。
その3日後に三島事件が起こった。後でその本屋に行ったら、売った本は何倍にもなっていた。そんな話をしてくれた。
又、「表現と表出」の話をした。これは宮台真司さんの言葉だが。
表出とは、ただ怒りに任せて怒鳴っていることだ。街宣車で怒鳴ったり、喧嘩したり、もそうだ。
表現とは、きちんと一般の人々に訴える型を備えたものだ。
文学・映画・本なども表現だ。左翼的な芝居でも、集会でも、ただ、怒りをぶつけてるものがある。
愚安亭さんのは、そうではない。底には怒りがあるが、「ひとり芝居」としての面白さ、エンターテイメント性もある。だから、私も好きだ。
そんな話をした。寺山修司やつかこうへいの話もした。
つかは、学生運動を扱った「飛龍伝」などがある。面白いし、思想もあるし、又、それを茶化した楽しさもある。そして商業的にも大成功した。
「あれを見た時はショックでしたね」と愚安亭さんは言う。
そんな話をしてる時に、「聖火ランナー」の話が出たのだ。
東京オリンピックの時は高校3年生。陸上部だった。「でも、青森の山の中を走ったので観客は全然いませんでした」と言う。
観客やテレビがいなくても、聖火ランナーに変わりはない。
「じゃ、7年後もやったらいいのに。前にやった人は優先権があるんでしょう」と私。それはないのかな。
それから、憲法改正や最近の「右傾化」の話をしたんだった。ヘイトスピーチの話もした。
困るよね、キチンと対応しないと。五輪で外国から大勢の人を呼んでおいて、「でも中国・韓国・朝鮮人は帰れ!」なんてデモをやられちゃ。
「そうだ。そんな話を、さっきしたんですよ」と言った。
この日、9月10日(火)は、2つ、大きな対談が入っていた。午後1時から福島みずほさんとの対談。午後3時半から、愚安亭さんとの対談だ。
福島さんは、社民党党首を辞めて、時間的にも自由になったのか、自らのブログの中で、「みずほTV」を作り、いろんな人と対談する、という。ユーストかニコ生なのだろうか。
その「開局第1回に、鈴木さんを呼びました」と言う。参議院議員会館で収録したのだ。
私は言いました。「そんな記念すべき日に、私でいいんですか。なんで鈴木なんかと対談するんだ、とドッと批判が来ますよ。知りませんよ」と。
そこから、憲法、自衛隊などの話をした。「週刊金曜日」の坂本龍一さんとの対談もよかったですねと、言う。
1時間ほど話をした。「鈴木さんとは考えの違いはないですね」と言われた。
「鈴木さんは、ほとんど社民党ですよ」と褒められた。
「週刊金曜日」は、随分と読まれているようだ。
辛淑玉さんからも電話があった。「鈴木さんらしくて、とてもよかったよ」と。「上野千鶴子さんもとても褒めてたよ」と。
上野さんのツイッターやブログでも、随分と書かれていた。ありがたいです。
そうだ。福島さんと対談するために参議院議員会館に行ったら、ばったりと和田春樹さん(東大教授)に会った。
「北遺族連絡会の集会があるんで、終わったら出てよ」と言われた。
福島みずほさんとの対談は1時から2時。
それから、地下の集会室に行って「北遺族連絡会」の集会に出た。「北朝鮮に残された日本人遺骨の収容と墓参を求める遺族の連絡会」だ。
和田春樹さん、蓮池透さん、木村三浩氏らに会った。とても貴重な報告会だった。
そこに40分ほどいて、途中退席。木村三浩氏、蓮池透さんたちに挨拶して出た。
そして、新宿で、愚安亭さんと対談。1日に2つも大きな対談をやって、大変でした。愚安亭さんとは、随分と話し込んだし。
終わってから、「マガ9」のスタッフと共に中華料理店へ行った。
なぜか青森出身の人々が続々と来る。青森の県人会のようになった。
珍しい「壺酒」を愚安亭さんが持ってきて、皆で飲んだ。楽しい酒で、すっかり酔っ払ってしまいました。
家に帰ったら、「東京新聞」(9月6日)が来ていた。「鈴木さんのことが出てたよ」と鹿砦社の中川氏が送ってくれたのだ。
先頃亡くなった品川正治さんの訃報が出ていた。
〈財界護憲派、元日本火災社長 品川正治氏死去 89歳〉
と1面に出ていた。経済同友会終身幹事で、財界人としては珍しく護憲派だ。
「旧制三高に入学後、召集され中国で終戦を迎えた。その経験から憲法九条の堅持を主張し、武器輸出三原則の緩和に反対。」と書かれていた。
そして、この訃報の最後に、こう付け加えていた。
〈2007年夏には本紙で、評論家の鈴木邦男さんと終戦記念対談をした〉
エッ、と驚いた。
訃報記事の中に書かれている。「東京新聞」では毎年、8月15日に、いろんな人が登場して「終戦対談」をやっている。
07年には、品川さんと私が対談した。というより、戦争体験者の品川さんに私が一方的に聞いて、教えてもらったのだ。とてもいい話だったし、今でも覚えている。
この東京新聞(9月6日)の他の頁をパラパラと見てたら、社会面に、品川正治さんの「評伝」が大きく載っていた。
〈反戦訴え続けた品川正治さん。
「九条の旗を手放すな」〉
これを読んで、又もや驚いた。書き出しは、こうだ。
〈戦後62年の2007年夏、品川正治さんは本紙の終戦対談で、評論家鈴木邦男さんを相手にこう語り始めた〉
あの対談を中心に、「評伝」は書かれている。
品川さんは、他にも、いろんな人と対談してるし、全国で講演している。
それなのに私との対談だけが、こんなに大きく取り上げられていた。
そんな貴重な、歴史的対談に出れて、光栄だったと思っている。
品川さんとの対談で、とても印象に残ってることがある。
昔の戦争映画を見ると、軍隊内では、いじめ、リンチがよく行われていた。何かと理由をつけて、初年兵をしごき、いじめた。
日常的に行われていたと聞いたので、その話を聞いた。
「品川さんも随分といじめられたんですか?」と。
そしたら何と、「全くありませんでした」と言う。
エッと思った。たまたま、品川さんの周りではなくても、「日常的に行われていました。ひどい軍隊です」と言うかと思ったのに。「たまたま自分はなかったが、外では、よくやられていた」と軍隊批判をすると思ったのだ。それがない。
この人は正直な人だと思った。そして、こんなことを言う。
「私たちは前線でしたし、敵と闘っていたので、そんなことはやってられなかった。味方を傷つけたら、こっちの戦力が低下するわけですから」。
なるほどと思った。しごき、リンチなどは、内地や、あるいは外地でも、戦争をしていないところで起こったという。
つまり、敵と直面している、緊張状態では、ありえない、と。
そうか。学生運動でもそうだ。機動隊と直接闘っている時は、内ゲバや、内々ゲバ、査問なんかやってられない。
ところが、自分たちだけで山の中に立て籠もっているから、査問や総括が起きる。
連合赤軍事件などがいい例だ。と私は思いましたね。
連合赤軍の植垣康博さんにその話をしたら、「全くその通りですよ」と言っていた。
じゃ、ぜひ、お二人で対談してもらったら、よかったのに…と思った。
でも出来なくなった。あの戦争の体験者と、「革命戦争」の体験者。その2人が語り合う。面白いものになったと思う。残念だ。
そうだ。今週は、随分と〈戦争〉の話をした。又、聞いた。
9月9日(月)は宮崎学さん(作家)が一水会で戦争の話をした。
10日(火)は、福島みずほさん、愚安亭さんと〈戦争〉の話をした。
9月11日(水)は、『相沢事件』の著者・鬼頭春樹さんと対談した。
9月14日(土)は、連合赤軍事件に参加した岩田平治さんと対談した。
15日(日)は、静岡に行って、蓮池薫さんの話を聞いた。
本も必死に読んでる。『相沢事件』(河出書房新社)も凄かったし、中島岳志さんの『血盟団事件』(文芸春秋)も凄かった。
ここまで血盟団に思い入れをしていいのかと心配になった。『週刊読書人』(9月13日号)にそのことを書いた。
又、小池真理子さんの『望みは何と訊かれたら』(新潮文庫)も今頃になって、読んだ。
巻末に「参考文献」が出てるが、トップに植垣康博さんの『兵士たちの連合赤軍』(彩流社)が出ている。
そして、重信房子さんの歌集『ジャスミンを銃口に』(幻冬舎)などだ…。
そうなんだ。そんな時代の、そんな事件について書いている。
読み甲斐のある小説だった。
ズバリ、「連合赤軍」をモデルにした小説だ。
いや、連赤事件に続いて起こる、同じような事件だ。そこで、より激しい爆弾闘争が行われ、内部粛清が行われる…という小説だ。その中で、加わった女子大生が命からがら逃げ出して…。という小説だ。
小池さんとは文化放送で一度、会って話をした。又、話してみたい。なんなら、植垣さんも紹介したい。
この本を読んで思い出したことがある。
3年ほど前、ある地方都市に行ったら、街でバッタリ、小学校の同級生に会った。これも凄い偶然だ。
ちょっとお茶を飲んだら、驚くべき話をする。
「鈴木さんは、いろんな本を書いてますよね、『兵士たちの連合赤軍』の〈解説〉も書いてますよね」
「うん書いてるよ」。
「実は、自分の従姉妹があの中にいたんです」。
東京に出て、べ平連の運動をしていて、より過激な連合赤軍にオルグされたようだ。山で事件を体験して、捕まり、刑務所を出て、郷里に帰ってきた。
でも家族は必死に「秘密」を守った。別な地方に移り、本人は結婚し、名前も変わった。「過去」については一切語らない。子供も「母親の過去」を知らない。
うーん、そういう人もいるんだろうな、と思った。
小池さんの小説も、それに似ている。「そんなわけで、鈴木さんにも紹介出来ません」と同級生は言う。
9月14日(土)に、元連合赤軍の岩田さんに会ったので、その話をした。
岩田さんは、山からの「脱走第1号」だ。よく逃げられたものだ。
それに、あんな酷い事件だったし、逃げた方が正しかった。「俺が正しかったんだ!」と胸を張って言えるはずだ。
それなのに、「逃げた」という後ろめたさを今も引きずっている。
岩田さんは、表に出て話してくれたが、「一切出ない。話したくない」という人も多い。
特に、女性たちは、そうだ。結婚し、子供も「母親の連赤体験」を知らないのだ。
これも凄い話だ。これは又、考えてみたい。
午後3時半から、「マガジン9」の事務所で、ひとり芝居の愚安亭遊佐さんと対談。芝居の話、漁業権をめぐる下北での闘い、かつての学生運動の話、三島由紀夫論など、話は多岐にわたった。熱く語り合った。
終わって、近くの中華料理店で飲む。愚安亭さん持参の壺酒が珍しくて、おいしくて、ついつい飲みすぎました。
終わり頃「マガ9」の幹部からケーキを手渡された。一気に吹き消して、皆で食べました。私の似顔絵が描かれていた。誕生日祝いだそうだ。知らなかった。
そして、午後7時から、芳林堂へ。『歌舞伎・家と血と芸』(講談社現代新書)の著者・中川右介さんのトークショーがある。
芳林堂の8階に今度、イベント会場が出来、そこでやった。かなり広い。これはいい。満員だった。椎野レーニンさんと出る。
話も面白いし、活発な質問も出る。終わって、中川さんにサインをしてもらった。出版社の知り合いの人、何人かと会った。
昔、私は、『コミック・ボックス』という漫画評論雑誌に漫画評を連載していた。その時の担当者も来ていた。本当に久しぶりだ。又、あんな面白い企画があればやってみたい。
そのあと、学校へ。『漫画で読む戦争』(上下巻で3千円)を買いました、という生徒がいて、感激した。お母さんと本屋に行った時、たまたまこの本を見て、お母さんに言ったら、「これは勉強になる本だから」といって即座に買ってくれたそうだ。いいお母さんだ。
午後3時、現代文要約ゼミ。
午後5時、読書ゼミ。今日は、家永三郎の本を読む。『革命思想の先駆者=植木枝盛の人と思想=』(岩波新書)だ。昭和45年10月第8刷の本を買って、皆で読んだ。漢字や言い回しが古くて難しいが、とてもいい本だ。
苦労して読みながら、勉強した。明治憲法を作る時、枝盛は民間で試案を作り、「抵抗権」「革命権」をも入れた。画期的な自由民権の闘士だ。終わってから、生徒と食事会。
東天紅上野本店で、東北学院榴ヶ岡高校の同窓会に出る。東京にいる、同窓生だけが集まる。
皆で、高校時代を振り返り、そして食べ、喋り、飲む。楽しかったです。
①9月8日(日)。阿佐ヶ谷ロフトに行きました。7時から大槻ケンヂさんが出演するので、長蛇の列でした。
6時半、楽屋に行って、開演まで話し込みました。久しぶりでした。昔はよく会ってたのに。格闘技の会場などでも、よく会いました。オーケンは格闘技好きなんです。
前に会った時は、合気道の関節技を教えてあげました。柔道か、合気道を習いたいが時間がないと言います。「じゃ、自宅に道場を作って、空いた時間に先生に来てもらったらいいのに」とアドバイスしました。
Gacktは自宅に空手道場を作り、先生に来てもらってるそうです。ハリウッドの俳優もそうやってます。1人だから、20畳か30畳の部屋を作って、道場にすればいい。自衛のためにも、「さばき」「受け身」は知ってた方がいいですよ。…と、格闘技の話ばっかりしました。
又、「今度、私のトークの時に出て下さいよ」とお願いしました。
②福島みずほさんの事務所で。9月10日(火)午後1時。「みずほTV」開局第1回目で出ました。「その記念すべき日に、私の敬愛する鈴木さんに来てもらいました」とみずほさん。恐縮します。「日本書紀」の「豊葦原瑞穗の国」からとった名前だといいます。とっても愛国的な名前です。
「私は生まれは福島で、通帳はみずほ銀行です」と言ったら、「ありがとうございます」と言われました。とても楽しい収録でした。
⑨本文でも書きましたが、愚安亭さんのお芝居があります。10月11、12日は新潟県加茂市で。10月17〜19日は東京・新宿SPACE雑遊で。
お問い合わせ、申し込みは、090(2328)1175木本まで。
㉒9月9日(月)一水会フォーラム。高田馬場のホテルサンルートは耐震改装のため、会議室は使えない。それで、神田の如水会館でやりました。気分が一新します。宮崎学さんの「戦争というプリズムから現代史を見る」。とてもよかったです。