2013/09/23 鈴木邦男

台風の中、行きました。大杉栄の故郷・新発田へ!

①前の日も台風の中、静岡へ

蓮池薫さん講演会。超満員でした 蓮池薫さん講演会。超満員でした

襲い来る台風に立ち向かい、闘った。

もうダメだと何度も諦めかけた。でも頑張った。執念で切り抜けた。

そして勝った。その不屈の闘いの記録である。

9月14日(土)の夜、東北学院榴ヶ岡高校の同窓会に出ていた。「早く帰らなくっちゃ」と、地方から来た人は言う。「夜中から大型台風が来るんですよ」と言う。

「ヤバイな。明日は静岡に行くんだけど」と私は言ったら、「ムリ、ムリ。新幹線は動きませんよ」と皆、言う。心配になった。

翌15日(日)、目が覚めたら、もの凄い雨だ。テレビをつけたら、東海道新幹線は〈新横浜—小田原〉間が止まっている。と出ていた。

講演する蓮池薫さん 講演する蓮池薫さん

ゲッ、大変だ。どうしよう。行けないかな。静岡市で蓮池薫さんの講演会がある。それを聞きに行く予定だ。

普通なら、この時点で諦める。何も、自分が講演するわけじゃない。聴衆として聞きに行くだけだ。台風で新幹線が止まってるんじゃ、ムリだ。やめとこう。と思う。

でも、せっかくの機会だし、新幹線の切符は取ってある。

「新横浜—小田原」間は不通ということは、それ以外は運行しているんだ。

じゃ、在来線か小田急で小田原まで行き、そこから新幹線に乗って静岡まで行けばいいじゃん。

俺って、頭いい。と思ったが、ネットで調べると、そのどちらも止まっている。

開演前に挨拶しました 開演前に挨拶しました

万事休す。ダメか。他の手段を必死になって考えた。レンタカーを借りて、自分で運転して行く。久しぶりの運転で不安がある。

それ以上に、道路は渋滞していて、とても昼過ぎには着けないだろう。

やっぱり諦めるしかないのかと思っていたら、テレビで、「新横浜—小田原」間、運転再開。とテロップが流れる。

ヤッタ!神は見捨てなかった。あわてて、東京駅に行く。11時13分東京駅発の切符を取っていた。それに乗れば、12時17分に静岡に着く。余裕で間に合う。

ところが、新幹線が再開したといっても、その前に止まっている列車がある。

蓮池薫さんの『拉致と決断』 蓮池薫さんの『拉致と決断』

東京駅は大勢の人で、ごった返していた。「1時間ほどの遅れで、出発しております」とアナウンス。そうすると、12時13分発で、静岡着は1時16分だ。でも、間に合う。

蓮池薫さんの講演会は、午後1時半開場。2時講演開始だ。時間には十分に余裕を持って切符を買った。

実は、申込みの電話をした時点で、「もう〆切りました」とフェイスブックには出ていた。350人入る部屋だが、早々に予約で一杯になった。だから、入れませんという。

主催者の松谷清さん(静岡市議会議員)に連絡した。「この前、静岡で会った鈴木ですけど。立ち見でいいから入れませんか」とメールしたら、「立ち見ならいいですよ」と返事。それで早めに行こうとしたわけだ。

②蓮池薫さんに初めて会いました

蓮池透さんの対話集『拉致2』 蓮池透さんの対話集『拉致2』

東京駅に着いたのは、午前10時40分。駅員さんに聞いた。「11時13分発のひかりは、出発が1時間後だとすると12時13分ですか」。

そしたら意外な答えが。「9時30分発のひかりがもうすぐ出るので、それに乗って下さい」。

1時間前に出る予定だったひかりが今頃、出る。

飛び乗った。きっと立ちっ放しだろうな、と思ったら、ガラガラ。人が来たら移ればいいと思って、とりあえず座る。

そうか。9時か10時頃出るのは、切符を買った人も、運休と聞いて、皆、諦めて来ないのだ。

だから、初めの予定よりも早く静岡に着いた。台風で新幹線のダイヤは乱れたのに、かえって早く着いたなんて、変な話だ。

三島映画の舞台になった静岡市役所で 三島映画の舞台になった静岡市役所で

開場の1時間前だから、かなり早く着いたが、それでも、会場はもう長い列が出来て並んでいる。

主催者の松谷さんも来た。そして30分前に蓮池薫さんも来た。控え室に行った。「お兄さんとはよく会ってます。4日前も会いました」と挨拶した。「あっ、鈴木さん。兄からよく聞いてます」と言う。

それで、『拉致2』(かもがわ出版)を渡しました。蓮池透さんが、森達也さん、池田香代子さん、私と対談した本だ。

そのあと、植垣さんが来たので、主催者が紹介する。「連合赤軍事件で27年間、刑務所にいた植垣さんです」と。

薫さんは拉致されて北朝鮮に24年間いた。2人とも過酷な人生だ。

それから、講演を聞く。「立ち見」だと言われて来たが、急遽、補助イスを出してくれた。350名予定のところに、500名近くが集まったようだ。

薫さんの話は初めてだった。当事者でなければ分からない、生々しい話だった。

何が起こったか全く分からない中で、絶望し、死んでしまおうと思ったという。

その中で、どうやって生きる希望を見つけたのか。その24年間の話をする。

植垣康博さんと。スナック「バロン」で 植垣康博さんと。スナック「バロン」で

又、これからは、どうやって残りの人々を奪還するか、についても語る。

本当に精神の強い人だと思った。あんな情況で、希望なんか持てるのだろうか。そして〈絆〉を信じることが出来るのだろうか。とても考えさせられた。感動的な話だった。

終わって、サイン会をしている薫さんに挨拶して、スナック「バロン」へ。植垣さんがやっている店だ。

「その前に、三島が演説したバルコニーを又、見たい」と私が注文。静岡市役所を通りました。

森まゆみさん(作家)と(9/16月) 森まゆみさん(作家)と(9/16月)

若松孝二監督『11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち』で、井浦新さん扮する三島が、ここで演説したのだ。この静岡市役所を市ヶ谷自衛隊に見立てて演説した。

スナック「バロン」に行ってからは、さっき聞いた蓮池薫さんの話。北朝鮮の話。連合赤軍の話などを皆でしました。

いつもは10時半頃の最終で帰ればいいのだが、台風が来ている。それに翌日は新潟の新発田だ。だから早く帰らなくては、と思い出した。

皆は、「明日はもっと台風が激しくなるよ。ムリだよ」と言う。ともかく、8時半、静岡から帰りました。

③森まゆみさんの話をぜひ聞きたいと…

森まゆみさんの『「青鞜」の冒険』 森まゆみさんの『「青鞜」の冒険』

翌16日(月・祝)。午前10時12分、東京駅発の新幹線に乗る。12時17分に新潟着く。ここまでは大丈夫だ。

ところが、そこから在来線が止まっている。新発田(しばた)までは行けない。駅員に聞いても、「さあ、復旧は何時になるか」と言う。

ここまで来て、新発田に行けないのも悔しい。最後の手段はタクシーだ。1万円位で行くだろう。でも、タクシーがない。

そのうちアナウンスが流れる。新発田まで代替バスを出すという。それで「忠犬タマ公」のとこに並んでいて下さい、と言う。

エッ!何だ。渋谷の忠犬ハチ公なら知ってるぞ。と思ったら、駅構内にいた。「忠犬タマ公」という。

猟犬で、何でも主人が土砂崩れに遭って、生き埋めになった時、助けたという。

私の本も陳列されてました 私の本も陳列されてました

どうやって助けたのか。土を必死にどけたのか。主人の服をくわえて、引っぱり出したのか。そんなことが2度もあったという。それで、新潟駅構内に銅像が造られ、顕彰されている。

私も祈りました。「じゃ、今度は我々を救助して下さいよ」と。

しかし、30分経ち、1時間経っても、バスは出ない。そのうち、「新発田行きの列車が復旧しましたので、お乗り下さい」というアナウンス。

そして、途中、止まり止まりしながら、新発田に着く。

そうだ。何のために、新発田に行ったかだ。

この日、「大杉栄メモリアル2013」があった。そこに行ったのだ。新潟県新発田は、大杉栄が10年間、少年時代を過ごした土地である。

木島正之さんと 木島正之さんと

「僕のふるさとというのはほとんどこの新発田にあり、僕の思い出もほとんどこの新発田に始まるのだ」と大杉栄は『自叙伝』で言っている。毎年、ここで、追悼の催しをやり、講演会をやっている。私も一度、講師で来たことがある。

今年の講師は『「青鞜」の冒険』(平凡社)の著者・森まゆみさんだ。これはぜひ聞きに行かなくちゃ、と思ったのだ。

④伊藤野枝から見た大杉栄と辻潤

交流会で 交流会で

森まゆみさんは1954年生まれ。何と早稲田大学政経学部の卒業だ。地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を3人の女性で創刊し、編集人になる。(2009年終刊)。

著書に『鴎外の坂』、『円朝ざんまい』、『千駄木の漱石』などがある。又、中島岳志さんとの共著『帝都の事件を歩く』(亜紀書房)もある。

これは東京の〈事件の現場〉を歩くのだ。血盟団、2.26事件などの〈現場〉だ。凄い本だ。目次も凄い。たとえば。

「右翼クーデターは江戸川橋ではじまった」
「東京駅はテロの現場」
「隅田川と格差社会」
「日本橋と血盟団事件」
小和田さんの家があった所 小和田さんの家があった所

…などだ。

早大政経の10年後輩じゃないか。

それに、「円朝」の本を出してる。中島さんと一緒に「右翼テロ」の現場を歩いている。大杉栄、伊藤野枝についても書いている。

これは、ぜひ、聞きに行かなくちゃと思ったのだ。

「大杉栄メモリアル2013=映像と言葉で日本の近現代史を振り返る」は、16日の午後1時から始まる。会場は新発田市生涯学習センターだ。

でも、台風で遅れに遅れ、新発田に着いたのは、午後2時だ。それから、タクシーを飛ばして会場へ。

開始から1時間半が過ぎている。主宰者の斉藤徹夫さんが受付にいた。

すぐ隣り。田宮さんの家があった所 すぐ隣り。田宮さんの家があった所

「ちょうど、よかったです。今、終わったところです」。

エッ?終わったの。「あっ、映画が終わったところで、これから森さんの講演です」。

ホッとする。間に合った。

1時から第1部。ドキュメンタリー映画「100年の谺(こだま)。大逆事件は生きている」の上映。

「2012年、藤原智子監督作品で90分。内山愚童(唯一の県人死刑囚)の箱根林泉寺も登場」と紹介されている。私はこの映画は東中野ポレポレ座ですでに見ていた。

映画は1時から2時半。そして5分間の休憩をはさんで、いよいよ、森まゆみさんの講演だ。

瑞雲寺のご住職さんを囲んで 瑞雲寺のご住職さんを囲んで

「大杉栄と辻潤〜伊藤野枝の眼で読み解く」。

伊藤野枝は、平塚らいてうと共に『青鞜』の編集に加わり、辻潤と結婚。

その後、大杉栄に走り、関東大震災の直後、大杉と共に憲兵に逮捕され、虐殺される。野枝、そして大杉・潤の関係。当時の社会運動。『青鞜』の闘いなどについて講演する。

とても興味深かったし、感動的だった。

⑤田宮高麿さんのお墓参りをした。そして38度線に。

田宮高麿さんのお墓で 田宮高麿さんのお墓で

終わって、駅の近くの居酒屋さんで交流会。そこで、ゆっくり話を聞きました。

僕らの頃は早大の政経は1学年1000人のうち、女性が5、6人でしたよ、と言ったら、「私の時は1300人のうち30人位だった」という。1クラスに2人位いたという。でも、1人は休んでばかりいて、森さん1人だったという。

「円朝全集」を私は読破したんですよ、と言ったら驚いていた。

又、「鈴木さんは中島岳志さんと仲良しなんですよね」と言う。共通の話題が多い。

それで話が盛り上がり、夜の更けるまで、話し込みました。

翌日・9月17日(火)は、斉藤さんが、「日本の38度線に行きましょう」と案内してくれる。

新発田にある「38度線」 新発田にある「38度線」

えっ、日本にも板門店があるのか。北朝鮮では見たけど。でも、北朝鮮のほうがずっと北の方だと思ったが、同じ北緯なのか。知らなかった。

その前に、「田宮高麿さんのお墓参りをしましょう」と、瑞雲寺に行く。

前にも私は来た。和尚さんは覚えていてくれた。「あっ、鈴木さん。『たかじん』でよく見てましたよ」と言う。

新発田は、よど号ハイジャック事件のリーダー・田宮高麿さんが住んでいたところで、この瑞雲寺は田宮家代々のお墓もある。そこで、お参り。

さらに、田宮家のあった所に行く。今は駐車場になっている。

すぐその隣りが小和田さんの家だった。小和田雅子さんのおじいさんと、高麿さんのおじいさんは、隣近所だし、同じ教育者で仲が良かったという。「孫が生まれたら、結婚させたいね」と言ってたのかもしれない。

「大地に根をおろし」の記念碑 「大地に根をおろし」の記念碑

そして、いよいよ、本日のメイン「日本の板門店」だ。「北緯38度線」だ。

これを記念して、看板があり、モニュメントがある。大きな顔があり、大きな手でがっちりと大地をつかんでいる。そんな感じだ。

朝鮮半島の板門店。そして日本では新潟県の加治川町(今は合併して、新発田市になった)。さらに宮城県の丸森町も38度線らしい。同じ38度のギリシャから天然石を持ってきて、彫刻したという。凄い。

「“日本の板門店”として大々的に宣伝したらいいのに」と私は言いましたよ。世界中の38度線の都市の人々を集めて、「38度線サミット」をやったらいい。

他にも大杉栄がいた。田宮高麿がいた。じゃ、駅前には、大きな像を建てて、「アナキスト宣言の町」と書くとか。あるいは、「ハイジャックの町」とか…。それで町興しをしたらいいのに。

⑥事件〈現場〉を歩く…を書いたらと提言

斉藤さん、森さんと 斉藤さん、森さんと

森まゆみさんとは、田宮高麿さんのお墓で一緒に写真を撮った。ご住職さんとも撮った。又、38度線でも撮った。

まるで、『事件を歩く』みたいですねと言ったら、「中島岳志さんとは右翼事件の現場ばかりだったから、今度、左翼現場を歩いてみたいわ」と言う。

そうか。じゃ、植垣さんとか、塩見さんとか、いくらでも左翼の人がいるから紹介しますよ。それで歩いて本を作ったらいい。あさま山荘、大菩薩峠の福ちゃん荘、東大安田講堂、羽田空港、成田…と。

『「青鞜」の冒険』は本当にいい本ですね。『青鞜』の歴史がよく分かるし、あの頃の女性たちの闘いが目に浮かぶようです、と私は言いました。

新潟駅にある「忠犬」像 新潟駅にある「忠犬」像

それに、同人紙(誌)を出したり、自分たちの意見を発表してる人たちにとって、いい参考になります。市民運動をする上での「テキスト」になりますよ。どっかで、そういう話をしませんか、と提案しました。

「ぜひ、やりましょう」と言ってたので、どこかで実現するかもしれません。メルマガの「マガジン9」の連載に、そのことを書いて、この日、メールで送りましたので、関心のある人は読んでみて下さい。

私は昼過ぎに皆と別れて、新潟に向かいました。夕方から用事があったので。森さんは、斉藤さんたちと、さらに新発田を見て、もう1日、泊まるとのことでした。

どうも、お世話になりました。又、お会いしたいです。ぜひ、『「青鞜」の冒険』をテキストに話をしましょう。

元連合赤軍の岩田平治さんと(9/14土) 元連合赤軍の岩田平治さんと(9/14土)

…と、台風の中の、あわただしくも、実りの多い3日間でした。

そうだ。森さんは、「台風だから、前の日に来て下さい」と言われて、15日(日)の最終で新発田に着いたそうです。

大変ですね。本当にお疲れさまでした。私なんて、聞きに行くだけで、アタフタしましたが、とても勉強になりました。

そうだ。蓮池薫さんも、15日(日)の講演のために、静岡にかなり早く入ったようです。お疲れさまでした。

それなのに私は、こんなことを思ってたんですよ。「台風の中、こっちは大変な思いをして行ってんのに、講師が来れなくて中止になった、なんてことになったら目も当てられないな」と。

すんません。そんなことを一瞬でも考えた私が愚かでした。講師お2人は、大変な覚悟で、着いてたんでした。反省します。

【だいありー】

対談が終わって、ギャラリーの人々と 対談が終わって、ギャラリーの人々と
  1. 9月16日(月)昨日は台風の中、やっとのことで静岡に行き、帰ってきた。もう大丈夫かと思ったら、又、台風が来る。帰ってきて、仕事してたら朝方になった。雨も風も凄い。
     朝10時12分発の新幹線で新潟に行く。そこから、止まっている在来線を待って、やっとのことで新発田に着く。「大杉栄メモリアル2013」に出る。
     午後2時半にやっと着いた。午後1時から始まっている映画「100年の谺(こだま)=大逆事件は生きている」が終わったところだった。

「これから第2部の講演です」と主宰者の斉藤徹夫さん。森まゆみさん(作家)の講演を聞く。「大杉栄と辻潤=伊藤野枝の眼で読み解く」。とてもいい話でした。

東北学院榴ヶ岡高校同窓会(9/14土) 東北学院榴ヶ岡高校同窓会(9/14土)

そのあと、交流会に出る。森まゆみさんとは初対面。でも、早大政経出身だ。私の10年後だ。森さんの『「青鞜」の冒険』『円朝ざんまい』など、私はかなり読んでいる。その話をした。夜の9時頃まで、地元の人たちと楽しくお話しし、お酒を飲みました。

  1. 9月17日(火)朝9時に主宰者の斉藤さん父子が車で迎えに来た。森まゆみさんと合流。「日本にも38度線があるんです。そこを案内します」という。よく分からないが、朝鮮半島の板門店のようなとこがあるらしい。

「その前に、田宮高麿さんのお墓参りをしましょう」と瑞雲寺へ。私は前に来てる。ご住職さんは覚えていてくれた。「たかじんで見てますよ」と。

私が「締め」でした 私が「締め」でした

田宮さん一家の話を聞き、それからお墓参りに。そして、田宮さんの家があったとこ(今は駐車場)を見る。すぐ隣が小和田さんの家だった。

そして、今度は、「北緯38度線」に行く。大きく看板が出ている。モニュメントもある。「なんで38度線を記念するようになったのか」と聞いたら、「じゃ、市役所に行きましょう」と言って、斉藤さんが案内してくれる。市役所の人が応対してくれ、親切に教えてくれた。

そこから新発田駅に送ってもらい、私は東京へ。森さんはさらに新発田を見て、もう一泊するようだ。私は3時過ぎに東京に着き、仕事の打ち合わせ、取材。

そして夜は柔道。さすがにバテて、帰ったら、すぐに寝た。

扶桑社の安松さんと 扶桑社の安松さんと
  1. 9月18日(水)午前中、原稿。午後、取材。それから雑誌の座談会。
  2. 9月19日(木)午前11時、高田馬場で、週刊誌の人と打ち合わせ。
     午後、河合塾コスモ。3時、「現代文要約」。
     4時、「読書ゼミ」。田原総一朗さんと宮崎学さんの『誰も言えなかった戦後史=この国の選択は正しかったのか』(徳間書店)を皆で読み、話し合った。
     終わって、生徒と食事会。
  1. 9月20日(金)午前中、原稿。午後、打ち合わせと取材で新宿へ。
     6時半、ホテルニューオータニ。池口恵観さんの勉強会「恵観塾」に出る。久しぶりにお会いしました。私も喋らされた。そういえば、田宮高麿さんがなくなり、日本で「お別れ会」をやった。その時、恵観さんがお経を上げてくれた。
     それが恵観さんと初めて会った日だ。恵観さんも、それから北朝鮮や「よど号」との付き合いが始まったようだ。そんな話をした。
私は1回生。隣りの女性は何と40回生 私は1回生。隣りの女性は何と40回生
  1. 9月21日(土)午前中、図書館。午後3時、新宿の安田生命ホール。松元ヒロさんのライブを見る。面白かったです。ヒロさんは今、大活躍だ。
     終わって、楽屋に行って話し込みました。
  1. 9月22日(日)12時、新宿中央公園に行く。ヘイトスピーチ反対の大デモ。東京大行進に参加する。久しぶりのデモだ。かなり歩く。2時間だ。疲れたが、充実感があった。有田芳生さん、池田香代子さん、ノイエホイエさんたちと会いました。出発した時、2千人だったが、どんどん増えた。
     終わって、椎野さんたちと食事。

【写真説明】

蓮池薫さん講演会。超満員でした

①9月15日(日)、静岡音楽館AOIで、蓮池薫さんの講演会が行われました。「夢と絆を求めて=翻弄された運命のなかで」。台風の中、私も聞きに行きました。超満員で、やっと補助イスで座れました。

講演する蓮池薫さん

②講演する蓮池薫さん。痛切な体験と、その中で、どうやって夢を失わず、生きられたか。どうしたら拉致問題の解決はあるのか。…について語ってくれました。

開演前に挨拶しました

③開演前に挨拶しました。「兄から聞いてます」と言われました。お兄さんの透さんとは、よく会ってます。

蓮池薫さんの『拉致と決断』

④蓮池薫さんの『拉致と決断』(新潮社)。

蓮池透さんの対話集『拉致2』

⑤お兄さんの蓮池透さんの対談集。『拉致2=左右の垣根を超える対談集=』(かもがわ出版)。透さんが、森達也さん、池田香代子さん、私と対談しています。

三島映画の舞台になった静岡市役所で

⑥講演の後、スナック「バロン」に行きましたが、その前に、静岡市役所を見ました。若松孝二監督「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」で、三島が自衛隊に向けて演説するシーンはここで撮られました。この市役所のバルコニーから(井浦新さん扮する)三島が演説するのです。

植垣康博さんと。スナック「バロン」で

⑦スナック「バロン」で、元連合赤軍兵士・植垣康博さんと。 北朝鮮、連合赤軍の話を2人でしました。

森まゆみさん(作家)と(9/16月)

⑧翌、9月16日(月)は、又もや、台風の中、今度は新潟県新発田市へ。「大杉栄メモリアル」に、森まゆみさん(作家)の講演を聞きに行きました。「大杉栄と辻潤=伊藤野枝の眼で読み解く」。終わって、会場のロビーで。

森まゆみさんの『「青鞜」の冒険』

⑨森まゆみさんの『「青鞜」の冒険』(平凡社)。とてもいい本です。「青鞜」の全てが分かります。〈100年前の“新しい女”たちの雑誌づくり風雲録〉と書かれています。

<strong>私の本も陳列されてました</strong>

⑩会場ロビーには、大杉栄に関する本が沢山、展示されていました。その1つのブースに、私の本も。『竹中労』(河出書房新社)です。竹中さんによって、私は大杉栄への関心がさらに高まりました。

木島正之さんと

⑪木島正之さんと。「鈴木さんが来ると聞いたので」と。『現代の眼』発行人・木島力也さんの甥御さんです。新発田市長選に出た時、私も応援に来ました。当選したら、「大杉栄記念像」を造ってもらおうと思ってたのに、残念でした。
 『現代の眼』は、一世を風靡した反体制の月刊誌で、学生は皆、読んでました。野村秋介さんと私の対談も1976年に、ここに載り、それが「新右翼をつくった対談」と言われました。その発行人・木島力也さんのことは又、ゆっくり聞きたいと思います。

交流会で

⑫「大杉栄メモリアル2013」の交流会で。左は主宰者の斉藤徹夫さん。中央が森まゆみさん。

小和田さんの家があった所

⑬翌、9月17日(火)、新発田市内を斉藤さんが案内してくれました。ここが小和田家のあったところです。

すぐ隣り。田宮さんの家があった所

⑭そして、すぐ近くに田宮家がありました。小和田雅子さんのおじいさんと、田宮高麿さんのおじいさんは仲良しでした。「お互いの孫が大きくなったら…」と話していたのでしょう。

瑞雲寺のご住職さんを囲んで

⑮田宮家のお墓がある瑞雲寺を訪ねました。ご住職さんに高麿さんのお父さんのことをいろいろ、聞きました。「よど号」の関係者も以前、お参りに来てました、と言ってました。

田宮高麿さんのお墓で

⑯田宮高麿さんのお墓にお参りしました。田宮家の墓が、沢山ありました。一族の墓だそうです。

新発田にある「38度線」

⑰ここが、「北緯38度線」です。ギリシャ、板門店、新発田、丸森町(宮城県)を編んでいるんです、38度線は。

「大地に根をおろし」の記念碑

⑱この力強いモニュメントは平成4年に作られました。元は加治川町だった時に作られ、今は新発田市に合併されました。そのモニュメント建設の主旨を聞くために、新発田市加治川庁舎に行って教えてもらいました。38度線のギリシャから運ばれた石を使ってます。「大地に根をおろし」です。力強いですね。

斉藤さん、森さんと

⑲38度線で、斉藤さん、森さんと。田宮高麿さんのお墓。小和田さんの家の跡。38度線…と、まるで、「事件を歩く」ですね、と森さんに言いました。森さんは中島岳志さんと『帝都の事件を歩く』(亜紀書房)を書いてます。血盟団事件、2.26事件などの〈現場〉です。

新潟駅にある「忠犬」像

⑳新発田駅構内にある忠犬「タマ公」の像です。猟に行って雪崩に遭い、生き埋めになった主人を救ったんです。2度も。よく見ると、お乳があるので、メスのようですね。生き埋めになった主人にも、授乳して元気づけたのでしょう。

元連合赤軍の岩田平治さんと(9/14土)

㉑9月14日(土)高田馬場の喫茶店「ミヤマ」会議室で。『紙の爆弾』で、元連合赤軍の岩田平治さんと対談しました。一見すると普通のおじさんですが、連赤事件では地獄の体験をしたんです。その前も後も、激動の人生です。生き証人です。

対談が終わって、ギャラリーの人々と

㉒歴史的な対談を聞こうと、多くのギャラリーが詰めかけました。終わって、記念撮影。あれっ、赤軍派の金さんもいますね。猟銃強奪事件の雪野さんもいます。連赤ウォッチャー、連赤本を出してる出版社の人もいます。

東北学院榴ヶ岡高校同窓会(9/14土)

㉓対談が終わって皆は、近くの居酒屋「土風炉」へ。私は、上野東天紅へ。東北学院榴ヶ岡高校の同窓会があったのです。東京支部の同窓会です。私は校長先生(右)と同窓会長(左)の間に座らされました。学校が一番手を焼いた「問題児」だったからでしょう。今でも、腫れ物に触るように扱ってくれます。ありがたいです。
 あっ、榴ヶ岡出身の漫画家・荒木飛呂彦さん(「ジョジョの奇妙な冒険」)は、来れませんでした。残念です。

私が「締め」でした

㉔校長先生、同窓会長、先生たちの挨拶が続き、最後の締めの挨拶が私でした。「では皆さん、隣りの人の首に手をかけて下さい。一気に締めましょう。一本締めです!」。なんて言えませんね。連合赤軍の会じゃないから。
 真面目に高校時代の反省と懺悔をしました。「私の原点は榴ヶ岡にあります。そこで全てを学びました」と言いました。

扶桑社の安松さんと

㉕「えっ、鈴木さん、榴ヶ岡出身なんですか?」と声を掛けられました。19回生の安松聡さんです。扶桑社の社員です。「夕刻のコペルニクス」は、ワクワクしながら読んでました、と言います。その時も扶桑社にいたそうです。「担当の河井さんは私の先輩でお世話になりました」。
 じゃ、写真撮ってメールで送ろう。おーい!河井さん、見てますか!

私は1回生。隣りの女性は何と40回生

㉖私は1回生で、この日は1回生は2人だけ。10回生、20回生あたりが多い。途中から男女共学になったんだ。ズルイ。隣りにいた女性は何と、40回生だそうだ。今年の1年生は55回生だという。じゃ、私は高校に入学してからもう55年になるのか。やだな。ついこの前のような気がするのに。

【お知らせ】

次の札幌時計台ホールは、10/12(土) 次の札幌時計台ホールは、10/12(土)
  1. 9月28日(土)午後4時、ニュー大阪ホテル。大阪のコリア国際学園後援会設立総会があり、記念対談があります。寺脇研さんと私の対談です。
  2. 10月12日(土)。第4回「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。午後6時より。ゲストは藤野彰氏。北海道大学大学院教授。元読売新聞中国総局長です。テーマは「異質な隣人・中国といかに向き合うか」。問い合わせ、申し込みは、柏艪舎(はくろしゃ)の可知まで。
    Tel 011(219)1211
  3. 10月17日(木)一水会フォーラム。午後7時から、講師・呉善花さん。場所は如水会館14階「一橋クラブ 記念室東」です。
     参加希望者は一水会に申し込んで下さい。電話03(3364)2015へ。
  4. 10月18日(金)野村秋介さん追悼20周年「群青忌」。四谷市民ホール。18時30分開会。追悼講演・犬塚博英氏。会場整理費3000円(記念DVD進呈)。
  5. 11月19日(火)午後6時、第5回「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」です。ゲストは、小磯修二さん(釧路公立大前学長)です。テーマは〈地方の論理〉です。
     このあと、来年の予定も決まってます。
    1月21日(火)原田宏二さん(元北海道警察釧路方面本部長)
    3月18日(火)石川明人さん(北海道大学助教)
    5月(予定) 伊東秀子さん(弁護士)
1970年 森田必勝が駆け抜けた時代。=あの時代を、いま語り継ぐ= 1970年 森田必勝が駆け抜けた時代。=あの時代を、いま語り継ぐ=
  1. 11月23日(土・祝)13時。四日市文化会館。第3ホール。 〈1970年 森田必勝が駆け抜けた時代。
    =あの時代を、いま語り継ぐ=〉
     パネリストは、宮崎正弘氏(国際ジャーナリスト)。森田治氏(元県議。森田必勝氏のお兄さんです)。鈴木邦男。
     参加費1000円。参加申込みは、「四日市1970記念シンポジウム」実行委員会(担当・岩井)へ。080(5702)8405
  2. 11月24日(日)三島由紀夫・森田必勝追悼「野分祭」。
  3. 11月25日(月)憂国忌。