「松代大本営」には、ぜひ行ってみたいと思っていた。
敗色濃くなった昭和19年、長野市松代町に巨大な地下壕を掘り、そこに大本営を移し、皇居も移す。松代の地下から戦争を指導しようとしたのだ。
莫大な労力と費用がかかった。犠牲も大きかった。
そして敗戦で、この地下壕工事は中止となった。
7割がたが完成していたという。そこが公開されている。
見たいと思っていた。又、近くには象山神社がある。無言館もある。ぜひ行きたいと思っていた。
作家・見沢知廉氏の〈書生〉をやっていた平田龍二氏と今年の春、『紙の爆弾』で対談した。
「今、どこに住んでんの?」と聞いたら、長野市だと言う。松代大本営のことを話したら、「いつでも案内しますよ」と言う。
でも、忙しいし、なかなか計画は進まなかった。
今年の9月、秋葉原で、劇団「再生」が見沢氏の『テロなら出来るぜ』を上演した。見沢氏のお母さんも見に来たし、平田龍二氏も来た。
実は、この作品は、見沢氏の書生だった平田氏のことを書いたのだ。つまり、平田氏は〈主役〉なのだ。
自分のことが作品になり、こうして芝居になる。感動していた。
その時、劇団「再生」の高木氏、編集者の椎野氏もおり、「ぜひ松代に行きたい」となった。
「じゃ、もう日程を決めようよ」となり、10月6日(日)に決まった。
それで行ったのだ。10月6日(日)午前8時半。新宿西口に集合。椎野礼仁さんの車で行く。バンだから7人は乗れる。
この日、集まったのは7人だ。編集者の椎野礼仁さん、高橋さん、高木尋士さん、もう1人、高木さん。「再生」女優、あべあゆみさん。そして私。
あれっ、6人だ。そうだ。現地で平田龍二氏を拾い、計7人だ。
車の免許のあるのは3人。椎野、高木、私だ。私も運転するつもりで免許を持っていったのに、「鈴木さんは、いいです」と外された。
途中、サービスエリアで休憩しながら、ひたすら長野市を目指す。
12時、長野で高速を降り、待ち合わせ場所のセブンイレブンで平田氏を拾い、まず昼食。
そして、象山神社に行く。佐久間象山を祀っている。近くに象山記念館もある。
「地元では“ぞうざん”と呼んでます」と平田氏が言う。
象山神社の中の説明文にも、わざわざ、“ぞうざん”と仮名がふってある。
「近くに、象山(ぞうざん)という山があります。そこから取って、号にしたのです」と平田氏。
だったら、やはり“ぞうざん”と言うんだろう。でも、“佐久間象山(しょうざん)”の方が、語呂も、発音した時の響きもいいように聞こえるのだが。
『辞林21』(三省堂)を引いたら、〈さくま しょうざん[佐久間象山](「ぞうざん」とも)と書かれている。
1811年〜1864。幕末の兵学者。信州松代藩士。名は啓(ひらく)。象山は号。佐藤一斎に朱子学を学び江戸神田に象山書院を興す。蘭学・砲術に通じ、開国論を唱えたが、攘夷派のために暗殺された。門人に勝海舟。吉田松陰らがいる。著「省諐録(せいけんろく)など〉。
象山神社に、さっそくお参りした。
「学問の神様」といわれていて、「象山鉛筆」も売られていたので、買った。受験生にあげよう。飛躍的に成績が良くなるだろう。
神社の前には、「佐久間象山先生」と書かれた大きな銅像が。
何と、象に乗っている。いや、象山が馬に乗っている。ダイナミックな像だ。
境内に入ると、象山の書いた文章が碑になっている。
丁寧にも、「この碑の読み方」が書かれている。そこだけを紹介しよう。
〈余年(われとし)二十以後即(すなわ)ち匹夫(ひっぷ)も一国に繋(かかわ)りあるを知り
三十以後即ち天下に繋りあるを知り
四十以後は即ち五世界に繋りあるを知る〉
いい言葉だ。
〈当時、一国は松代藩、天下は日本国、五世界は全世界をいう〉
と注釈も入っている。
そうか。20才で、藩のことを考え。30才で国家を考え。40才で世界のことを考えた。
今の日本人よりも進んでいる。今は、政治家、学者、活動家も、「愛国者だ」と言いながら、そこで止まっている。国で止まっている。世界のことを考えていない。
だから狭い排外主義に、すぐに陥る。
前にも紹介したが、「生高連(生長の家の高校生組織)」の歌では、こうなっている。
〈愛国の情、父にうけ。人類愛を母にうけ。光明思想を師に学び〉
そうなんだ。「愛国」だけではダメだ。「人類愛」をも考えた上での愛国でなくては。それがないと、「愛国無罪」で、暴走してしまう。
境内で写真を撮ってたら、「あっ、鈴木さん!」と声をかけられた。
「テレビで見てますよ」と。地元の人だ。
これから「松代大本営」に行くのですと言ったら、いろいろ説明してくれた。
そして言う。「松代大本営」の工事では、多くの朝鮮の人も働かされ、亡くなった人もいるという。
「しかし、余りに誇張して言い過ぎる。歴史を歪曲している!」と憤っていた。
しかし、多くの犠牲者が出たのは事実だ。
そうだ。と思い出した。栗林中将のことを聞いた。「ここは、硫黄島守護隊長の栗林中将の出身地ですよね」と。
「そうです」と言う。栗林中将も、ぜひ神社を造って、祀ってほしいですねと言ったら、「地元でも、その声が多いです」と言っていた。
そして、この地元の人と別れた。
「しかし、中途半端に顔を知られてると、悪いこと、出来ないよね」と同行の女性たちがヒソヒソと話している。
「金がなくてコンビニで万引きしようとして、知らない人に声をかけられ、思いとどまったらしいよ」
「高校生の頃は、本屋で万引きしてたくせに。今は、臆病になって、やめたらしいよ」
と無責任なことを言い合っている。冤罪だ。
象山神社にお参りをし、そこから歩いて、8分ほどで、「松代大本営」に着いた。
しかし、なぜ、ここにこんな大きな地下壕を掘ろうとしたのだろう。
地下壕の見学は無料だ。ただし、入る時に受付に名前をと人数を報告する。あとで、帰ってきたかどうかをチェックするのだろうか。
入口に、「注意事項」が書かれている。「ヘルメットを着用して下さい」。
他には、中で、飲食してはダメ。落書きをしてはダメ。「集会をしてはダメ」と書かれている。
でも、中で「集会」なんかする人がいるのかな。見てるうちに興奮して、「ここに立て籠もって、本土決戦を戦おう!」「異議なーし!」と、やる人がいるのだうか。こんな狭くて、暗い中では、いないだろう。
ただ、ヘルメットを被った時、「タオルで覆面しなくっちゃ」とか、「ゲバ棒はないのか」と言ってる人がいた。
同行者に、元過激派がいたらしい。喜んでヘルメットを被っている。
公開されてる地下壕は〈一部〉だというが、それにしても広い。
足場は悪いし、注意しながら歩く。ヒヤリとしていて、涼しい。ジャンパーを着てきてよかった。
中にコウモリもいる。掘った土や岩を運び出すためのトロッコがある。そのためのレールもある。
側面には小部屋や、連絡通路もある。触ってみたが固い。そして、ヒンヤリする。
ここを人力で掘り進めたのだ。大変だ。事故も多かったという。
しかし、なぜこの土地に〈大本営〉や皇居を移そうとしたのか。分からない。
入口で配られていたパンフを見た。
〈太平洋戦争の遺跡。
松代象山地下壕〉
となっている。別に、佐久間象山にちなんで造られたわけではない。
「象山」という山をはじめ、いくつかの山がある。その象山の下を掘ったということだ。
一般には「松代大本営」として知られている。その下に、こう書かれている。
〈見学できるのは、西条口(恵明寺口)から約500mの区間です。見学者の安全のため照明や柵、落石防止の支保工などが施されています。壕は素掘りのままです〉
そして、このパンフには、写真や全体の図などがあり、「松代象山地下壕とは」が書かれている。
〈太平洋戦争末期、本土決戦の最後の拠点として大本営、仮皇居、政府機関などを移す目的で軍部によって極秘のうちに、建設されたのが松代大本営地下壕跡で、主に象山(一部公開)、舞鶴山(現気象庁精密地震観測室)、皆神山の3か所に総延長約10kmの地下壕が碁盤の目のように掘削されました〉
そうか。10kmもあるのか。我々が歩いたのは、そのうちの500m。ほんの一部だ。
それに、「仮皇居」と書かれている。ここに皇居を一時期、移そうとしたのだ。さらに説明は続く。
〈本格的工事は、昭和19年11月11日の発破(ダイナマイト)で開始され、全体の7割方が完成しつつありましたが、終戦(昭和20年8月15日)によって、工事は中止となりました。この約9ヶ月間の突貫工事には、当時の金額で約1億円とも2億円とも言われる巨額が投じられ多くの朝鮮の人々や日本の人々(当時の中等学校生徒や国民学校児童も含む)が動員されたと言われています。工事の様子や動員された人々の実態は、詳しく分かっていませんが、犠牲者も出たと言われています。また、昭和20年4月には、工事を進めるため、軍部は舞鶴山周辺の西条地区の人々に強制立ち退きを命じています〉
たった11ヶ月で10kmの地下壕を掘り、その7割ほどが完成してたという。
一説には、(延べ)300万人以上の人々が、ここで働かされたといいます。
しかし、動員された人々の実態は、「詳しく分かっていません」と言う。
又、「実態は、詳しく分かっていませんが、犠牲者も出たと言われています」は、ちょっとないだろう。
かなりの犠牲者が出たが、はっきりさせたくないのか。
こうした点が、問題とされ、批判されてるのだろう。
「出たと言われています」は多分、書き直しを迫られるだろう。
だって、この壕の入口二は〈朝鮮人犠牲者供養〉の塔が立っているんだ。〈言われている〉くらいの伝聞、噂だけでは慰霊塔は建てないだろう。矛盾している。
パンフは次に、こう書かれている。
〈象山地下壕は政府機関・日本放送協会・中央電話局などに使うための施設で、計画の約80%の掘削が終わっていました。壕内には、岩に刺さったままの削岩用ロッド(鋼鉄棒)やトロッコの枕木の跡、落書きなどがあり、太平洋戦争の遺跡として多くの人々にこの存在を知っていただくため、平成元年から一部を公開しています〉
(ここでは80%と言っている。そうか。掘削の80%は終わったが、全体の工事では、70%が完成したということか)。そうか。昭和の時代には入れなかったんだ。戦争がまだ生々しかったのか、それとも、「負の遺産」だから、あまり知られたくなかったのか。
でも、なぜ松代なんだろう。日本の中心だからだろうか。
それに周りは山が多いし、敵が攻めにくいと思ったのか。佐久間象山の故郷だからか。
いや、近くには上田があるし、真田一族がいた。そうした人々の霊の力に頼りたかったのか。
いや、現地の人に聞くと、掘り進み、「地下帝国」を作るのに、地形的・土壌的に条件がよかったからだという。
でも全国の地形・土壌を調べて、その上で、ここに決定したわけではない。
幻の「松代大本営」については、いろいろ本が出てるようだし、調べてみよう。(今、ネットで日垣隆の『松代大本営の真実』を手に入れたので読んでいる)。
しかしなー、大本営、日本放送協会、中央電話局もここに移し、政府機関も移すという。
じゃ、国会も、国会議員も、役人も移すのか。とても入り切れない。
それに皇居も移すというが、無理だ。天皇だって、反対だったという話をどこかで読んだ。
それに、日本人には向いてないよ。地下に巨大な大本営を作って、全国でゲリラ戦をやるなんて…。
東京が爆撃され、全て消失しても、「でも、松代大本営がある! 闘おう!」と国民に呼びかけても、呼応しないだろう。
それに、軍部は本当に、本気で、これを考えたのか。疑問だ。それも終戦の直前だ。
個々人は優秀な軍の幹部たちが、こんな狂気の計画を本当に考えたのか。分からない。あの時代の雰囲気が全ての人間を狂気にしたのか。
その意味でなら、〈戦争〉の狂気と愚かしさを考えさせる〈遺産〉になっている。
いっそのこと、富士山の次は、ここを世界遺産に申請したらいい。
戦争の悲惨さ、愚かしさを世界の人々に知らせ、これからの戦争のない時代をどう作るか。それを考える遺産にしたらいい。
近くには、はあさま山荘もあるし、こっちは〈革命博物館〉にする。連合赤軍の兵士たちの蝋人形を作り、総括、虐殺場面を再現する。
長野は、〈本土決戦〉と〈革命戦争〉を呼号し実行しようとした県だ。「戦争を考える町」だ。十分に世界遺産になる資格はある。
そして、ここで、シンポジウムや当時のフィルムを上映するなど、毎日、イベントをやったらいい。
あっ、そうだ。「無言館」も行ったんだ。この日は。
昼に長野市に着いて、象山神社にお参りし、大本営を見て、それから、無言館に行ったのだ。
戦没画学生の絵が収められている美術館だ。日本中から見学者が来る。
「無言館」館主の窪島誠一郎さんには前に東京で会ったことがある。その時から、ぜひ行ってみたいと思っていた。やっと実現したのだ。
沢山の絵が描かれている。召集されて、出発する前の、あわただしい時間に描いたものだ。
家族を描いたものが多い。恋人のヌードを描いたものもある。何とも胸が塞がれる。痛々しい。
家族全員がソファーに座って、コーヒーを飲んでる絵もある。
えっ、こんなモダンな家族もあったのかと思ったら、〈願望〉なのだ。
実際は、貧しい家庭で、こんな豊かで、幸せな家庭であったら…と思って描いたようだ。
あるいは、自分が戦争に行って死ぬ。そのことによって、日本が勝ち、豊かな平和な家庭になる。なってほしい。そう思ったのかもしれない。いろんなことを感じた。
椎野さんという画学生が自画像を描いている。レーニンさんと似ている。
「お父さんですよ」と言ってる人がいた。本当は違うのだが。
でも、レーニンさんは受付に行って、「あの絵が載った本か絵葉書はありませんか」と熱心に聞いていた。
又、この無言館の隣には、「傷ついた画布のドーム」「オリーヴの読書館」があり、そこにも行ってみました。
本が沢山あった。全国の人々から寄贈された本だ。司馬遼太郎や松本清張の全集、谷口雅春先生の本、佐高信さんの本もある。
そして車で帰りました。窪島さんはいなかったので、「よろしくお伝え下さい」と受付の人に言った。
でも、近いうち、どっかで会えそうな気がする。
又、窪島さんや「無言館」の本は、沢山出版されてるので、皆さんも読んでみたらいいでしょう。
日本の「女子力」を上げることで、世の中を良くしようという意欲的な行動だ。池内ひろ美さんが主催し、「ぜひ来なさい!」と本人に言われた。活動し、闘う女子たちが集まっていた。心強い。
テレビ朝日キャスターの長野智子さんがジャーナリストの視点から日本と世界の女性問題を語る。又、オペラ歌手の碧木マリアさんの歌があった。私もついでに挨拶させられた。
「こんな行動力のある美しい女性と、私はどこで知り合ったのでしょう」と考えていたら、「遠藤誠弁護士の紹介ですよ」と、池内さん。そうか。もう20年近く前なんだ。それで、革命的弁護士の話をしました。
②ヘルメットを着用しないと地下壕には入れません。「ゲバ棒は?」「覆面用のタオルは?」と言ってる人もいました。準備していったらよかったですね。
左の人だけが、オーバーアクションです。女優さんでしょうか。案内人の平田龍二氏は右から3人目です。
⑭高速を走ってる時、休憩に寄ったドライブイン。いや、パーキング・エリア。あれっ、サービス・エリア。何て言うんだろう。
ともかく、そこで、サンマ定食を食べました。残したら、「ダメじゃないの!」と女性陣に叱られました。
㉓北芝健さんが手帳にメモしてたので、盗撮しました。キッタねー。暗号? でも、よく見ると、日本語のようです。
「レフカダ」「探偵ナイト」と書かれてます。「6入り」「7開演」。「鈴木邦男」「花園神社」と。ここで、この男と待ち合わせたのでしょう。
㉖テレ朝キャスターの長野智子さんと。長野さんは、冤罪で逮捕された少年たちのことを調べて書いてます。
「読みました。とてもいい本でした」と言ったら、「ありがとう。御殿場事件ですよね。これは大変でした」と言ってました。
㉗池内ひろ美さんの娘さんと。こんな大きな子供がいるとは知りませんでした。「じゃ、お母さんは15才で産んだの?」。「違います。母はあれでも○○過ぎなんです」。
エッ、知らなかった。「でも、最近、どんどん若くなっちゃって。私たち、姉妹に間違われるんです」。「それに、この服は母の服です」。ひろ美さんは、体型は20代の頃と変わらない。だから、娘さんと同じ服を着れる。凄いですね。
「美魔女です」と国会議員の逢沢一郎さんが言ってました。「来いと言われたので、何のイベントか分からないけど来ました」。「私と同じです」と言ったら、「じゃ、同志だ!」と握手されました。