2013/10/21 鈴木邦男

札幌、仙台、姫路。直後に台風が来た。

①避難勧告をなぜ出さなかったのか

週刊「アエラ」(10/21号) 週刊「アエラ」(10/21号)

「伊豆大島、集落消えた」と産経新聞(10月17日)は報じていた。「土石流17人死亡 43人不明」とも報じていた。

さらに、20日(日)の朝刊では、「死者27人 不明21人」「行政不作為、被害拡大か」と出ていた。

これほど酷い災害だとは思わなかった。新聞、テレビを見て、驚いた。

16日夜に記者会見した川島理史・大島町長は、避難勧告を出さなかったことについて、「避難することで人的被害が拡大すると判断したからだ」と言っていた。

もの凄い豪雨、土石流、そして木々もなぎ倒される状況の中、外に出たら、かえって危ないと判断したのだろう。

水に流されたり、倒れた木の下敷きになるかもしれない。だから、「家にいた方がいい」と町長は判断した。

でも、その家も危なかったのだ。家々は破壊され、流された。そして、集落が消えた。

災害については町長は専門家ではない。それなのに、個人の判断で、「避難勧告しない」なんて決めていいのだろうか。

それに、この日、町長は大島にはいなかった。島根県で開かれていた会議に出席していて、15日から不在。16日午前3時過ぎまで連絡がとれなかったという。

こんなことがあるんだろうか。

〈副町長も出張で島を離れており、町長は、「台風が来ると知りながら島を離れたことの批判は受け入れる」と述べた〉
(産経新聞。10月17日)
「朝日新聞」名古屋版(10/7月)付 「朝日新聞」名古屋版(10/7月)付

責任は重大だ。自らの「判断」で避難勧告は出さなかった、とはっきり言ったが、同時に、こうも言っている。

「想定が甘かった。これまでの対策や当日の対応が適切だったか検証したい」

これも甘いだろう。こんな状況で、放っておかれ災害に遭い、犠牲になった大島の人々が余りにかわいそうだ。

被害者の救助・不明者の捜索についても町長たちが何らできることはない。自衛隊に頼るしかない。

自衛隊も大変だ。東日本大震災の時もそうだが、こんな時、一番頼りになるのは自衛隊だ。議員や町長などは全く役に立たない。人々の命を守ることが出来ない。

それなのに、こんな人々に、イザという時の「判断」を任せている。危ない話だ。

大島では、職員からの連絡で、「家が次々、崩壊している」「流されている」という悲鳴を聞きながら、「でも、外に出たら、かえって危ないだろう」と、町長は(島根県にいて)個人的に判断し、避難勧告しなかった。

自衛隊や警察にしても、危険を勧告していたし、「早く手を打ってくれれば…」と思ったはずだ。

こんな時、自衛隊や警察の判断で、避難させてもよかったのではないか。あるいは町長に命令するとか。

少なくとも、町長の個人的判断だけに、人々の命を委ねるのは危険だ。これからは、そういった問題が論議されるだろう。

今、そこにある危機だ。憲法改正問題などよりも早急に取り組むべき問題だ。

②榴ヶ岡高校の第1期生会に出た

東北学院榴ヶ岡高校第一期生会(10/14月) 東北学院榴ヶ岡高校第一期生会(10/14月)

そんな時に、個人的な報告をするなんて気が引けるし、申し訳ない気もするが…。

12日(土)、13日(日)は札幌に。14日(月)は仙台に行き、日帰り。

15日(火)は姫路に行く。「台風が来るから、早く帰った方がいいよ」と言われ、夕方5時前の新幹線で帰った。

慌ただしく、飛び回っていた4日間だった。

前にもあったな。台風の中、静岡に行き、新潟の新発田に行った。

9月15日(日)、16日(月)だった。もう1ヶ月前か。

それに前日の9月14日(土)も、学院高校の同窓会だった。東京にいる人だけの同窓会だったが。

今回、10月14日(月)は「第1期生会」だ。

今からもう54年も前だ。東北学院榴ヶ岡高校に私らは入学した。

1クラス45人。それが3クラスで、全員で135人だ。それが輝ける1期生だ。

「英語」の須田先生(右)と 「英語」の須田先生(右)と

54年経って、亡くなった人が10ほどいる。どうしても住所が分からず連絡が取れない人もいる。「それに、在学中に退学になった人や、途中で辞めた人が10人ほどいる」という。

自分で辞めたというよりは、ほとんどが「退学処分」だ。それが全体の1割近くいる。多い。

それも、たいした理由ではない。「タバコを吸った」とか、「町で、女の子と話をした」とか。そんなことで退学にされている。かわいそうだ。

「おめも、その中に入ってるはずだった。本当なら、ここにいねがったはずだ」と皆に言われた。

その通りだ。申し訳ない。だって、先生を殴ったんだ。

タバコを吸ったとか、服装の違反があったとか、女の子と話をした…なんていう事件よりも、ずっとずっと重大だ。重大犯罪だ。

実際、一度は退学になった。でも、3年の卒業間際だった。単位は全て取ってある。だから、転校も出来ず、放っぽり出された。

「美術」の小山先生、「キリスト教」の出村先生と 「美術」の小山先生、「キリスト教」の出村先生と

あの時のことを思うと、「もうちょっとで卒業じゃないか、何で我慢出来なかったんだ。バカめ!」と自分で自分を怒鳴りたい。

自分の中に、「狂暴な狼」がいるんだ。怖い話だ。

退学になった時点で、もう破れかぶれだった。

もう、高校中退でいいよ! チンピラでもヤクザでもなってやる!と思っていた。自暴自棄だ。

親にも迷惑をかけたし、大変だった。

札幌に嫁いでいた姉が急遽、帰ってきて、励ましてくれた。夫や2人の子供を放っぽらかして、「愚かな弟」のために奔走してくれたのだ。

そして毎日、教会に通い、「懺悔の生活」を続けた。

半年後、奇跡的に退学が撤回されて、学校は「1人だけの卒業式」をやってくれた。

ミッションスクールに3年間通い、それが私の〈奇蹟〉だった。

イエスさまのおかげです。その頃の、かわいそうな話は、『失敗の愛国心』(イーストプレス)に詳しく書いている。

③「チョーク投げ」の〈お礼〉をしようとしたが…

「社会」の赤沢昭三先生 「社会」の赤沢昭三先生

私は、1期生なんだけど、本当は皆と一緒に卒業したわけではない。2期生にも入れてもらえない。

でも、こうして同窓会には呼んでもらえる。

仙台では、40名以上が集まった。先生もいる。

英語の須田先生にも会った。「先生には、よくチョークをぶつけられました」と言ったら、「そんなことあったっけ」と笑い飛ばされた。

でも、皆、憶えている。「会ったら、お礼参りしなくっちゃ」と言ってる人もいたが、会うと、ただただ懐かしい。昔の恨みも消えている。それが、キリスト教の愛ですよ。

須田先生は、よくチョークをなげていた。銭形平次みたいだな。

1時間の内に、何人にも投げつけていた。かなり多くのチョークを持ってきてたのだろう。

あるいは、「これは、板書用のチョーク」「これは、小さくなったから、生徒に投げるチョーク」と分けていたのだろうか。

「ミニ新幹線」が走ってました 「ミニ新幹線」が走ってました

今度会ったら聞いてみたい。あっ、『紙の爆弾』で対談してもいいかな。

しかし、うまかったな、チョーク投げが。正確に当たっていた。家で特訓してたんだろうか。

あるいは、古武道の「手裏剣術」の道場に通っていたりして…。

わたしもよく、ぶつけられた。ある時、「来るな」と思ったので、瞬間的によけた。

そしたら、後ろの人間に当たった。

普通なら、「ゴメン、ゴメン」「誤爆しちゃって」と謝る。アメリカだって謝る。

ところが須田先生は謝らない。それどころか、ツカツカと私に近づいて来て、厚い出席簿でいきなり殴る。

交番の横で「暗殺教室」のイベントが(10/13日) 交番の横で「暗殺教室」のイベントが(10/13日)

「お前が悪い! お前がよけるから、関係のない人間が被害をこうむるじゃないか。バカ!」と。

理不尽な話だ。余りに、メチャクチャな論理で、こっちは怒る気もしなかった。

美術の小山先生にも久しぶりに会った。ある時、「本のカバーを作りなさい」という。

こんなことは初めてだ。「オラは漱石の『坊ちゃん』の表紙を作るか」「オラは芥川の『河童』だ」と。各々、考えて、取りかかる。

私は、『緑のハインリヒ』の表紙を作った。「これは、おしゃれでいいですね。センスがいい」と先生は褒めてくれた。あのまま画家か装幀家になってもよかったな、と思った。

駅構内では「求む!暗殺者!」 駅構内では「求む!暗殺者!」

その話をしたら、「そうでしたっけ」と、あまり憶えてない。

ところが、他の生徒が、「私も本の表紙を作って褒められた」と言ってる人がいた。

やっぱり、あったんだ。

社会の赤沢昭三先生にも卒業後、初めて会った。「名前から分かるように私は昭和3年生まれです」と言う。

初めて知った。「昭三」という人は、皆、昭和3年生まれなのか。じゃ、今は85才なのか。驚いた。

一方、化学の脇田先生は、「大学を出たばかりの若造で、皆さんを教えてました」と言う。じゃ、私らと5才位しか違わなかったのか。でも先生と生徒じゃ、天と地の差だ。

④12、13日(土・日)は札幌。14日(月)は仙台。

「けんか祭り」の会場で飛松さんと 「けんか祭り」の会場で飛松さんと

聖書の出村先生とも久しぶり話しました。そうだ。この会で、食事をする前に、先生が、お祈りをする。

いいですね。祈りに始まり祈りに終わる、高校時代を思い出した。

それにしては、私らは、荒っぽかったし、手負いの獣だった。先生たちも大変だったでしょう。

会が終わってから、「んだば、国分町さ、飲みに行ぐが?」と誘われた。同級生がやっているキャバクラもある。「んだば、あっこさ行くべ」となった。

「いやオラは帰る」「何だ、水くせーな」となったけど、次の日、15日(火)は姫路に行く用事がある。

勇壮、華麗なお祭りです 勇壮、華麗なお祭りです

「仕事で姫路に行ぐなだ、朝一番で」と言って、皆を振りほどいて、駅に行きました。

最終で帰って、朝まで仕事して、早朝の新幹線で姫路に行きました。

同級生には「仕事で」と言ったけど、本当は違う。姫路城とけんか祭りを見に行ったのだ。元刑事の飛松五男さんが誘ってくれたのだ。

食事から、桟敷代から全て、お世話になり、本当にありがとうございました。とても感動的でした。これから、原稿を書く上でも、大いに役立つでしょう。

雨が降ってきたので、ビニールシートをかぶってます 雨が降ってきたので、ビニールシートをかぶってます

その意味では、〈遊び〉ですが、でも、〈仕事〉の糧になると思ってます。

そうだ。今週のHPは、12(土)の札幌について書こうと思ってたんだ。

でも、「マガジン9」の連載で、かなり詳しく長く書いた。だから興味のある人は、そっちを見てほしい。

まあ、ここでも、少し書こう。

札幌時計台には2階にホールがあって、音楽会や講演会に貸している。素晴らしいホールだ。人気があって、予約が一杯だ。そこで、「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」をやっている。

早く予約を取らないとならないので、かなり、先まで予約を取っている。来年の5月まで決まっている。

今回は4回目だ。今まで、鈴木宗男さん、中島岳志さん、山口二郎さん、そして今回が藤野彰さんだ。

いつもタイムリーな話だが、その中でも、今回が一番タイムリーなテーマだと思った。

だって、「異質な隣人・中国といかに向きあうか」だ。

これは今、日本にとって一番重要な問題だ。

「嫌いだ」「付き合うな」「こんな国とは断交しろ!」という声が多く出ている。

しかし、それで済むことではない。

本屋では、「中国は崩壊する」「中国のものは食べるな」「こんな国とは話し合い出来ない」といった本が、ワンサカ出ている。

テレビの討論会でも、そんな激しいことを言う人が多い。新聞、週刊誌でも、そんなことを言ってる人が多い。

そんな暴言を吐くことで、何やら、自分が〈強く〉なつたと思っているのだろう。

⑤札幌・仙台。そして姫路

超満員の札幌時計台ホールです 超満員の札幌時計台ホールです

昔、日本がアメリカと戦争する直前、こんな標語があった。

「英米を 消して 明るい世界地図」。

アメリカやイギリスを消しちゃうと、世界は明るくなるという。早く、やっつけてしまえというのだ。

でも、地図上で、塗りつぶすことは出来ても、国そのものをつぶすことなんか出来ない。

そんな勇ましいことを言ってたら、日本の方が負けちゃった。日本の方が、あやうく地理上から消えるとこだった。

⑥「一つのもの」として、「断定」してはならない

活発な質問も出ました 活発な質問も出ました

今、「英・米」を「中国・韓国」に置き換えたような感情的排外主義が罷り通っている。

そんなことでは、何らの解決にもならない。

韓国がいくら嫌でも、日本列島は、逃げ出すことも出来ない。中国・韓国に移ってもらうことも出来ない。

だったら共存するしかない。共存の道を探すしかない。

それに、日本では皆、「ムード」だけで「中国は嫌いだ」と言ってる。

藤野彰さんは言う。中国を好きでも、嫌いでもいい。しかし、まず「知って」からだ、と。

藤野さんは元・読売新聞の中国総局長(計2回)だ。中国は長い。

それに学生時代から中国語を勉強し、喋るのも、読むのも堪能だ。

(左)鈴木邦男(右)藤野彰氏 (左)鈴木邦男(右)藤野彰氏

今は新聞社を辞め、北海道大学大学院の教授だ。「現代中国論」を教えている。

北大には中国人の留学生が多いが、そのうち何十人も藤野さんの授業を取っている。

そして、「中国のことがよく分かった」と言う。これは驚きだ。

今、中国では、天安門のことは話せないし、中国共産党の批判など一切出来ないし、そんなことを耳にすることもない。

ところが、北大に留学して、初めて天安門や中国共産党のことを知る。さらにそれを知って、中国に帰る。又、中国政府もそのことを許している。

又、中国共産党といっても決して一枚岩ではないと藤野さんは言う。

右から左まである。「毛沢東復権」から「多党制支持」まであるという。考え方、生活レベル、いろんな点で差がある。

考え込み、悩みながら話してます(札幌時計台ホール) 考え込み、悩みながら話してます(札幌時計台ホール)

又、政治的・歴史的には「反日」的なことを言っても、文化、音楽、映画、ゲームなどの点では「親日」的な面も多い。これはキチンと見る必要がある。

「反日的な人」と、「親日的な人」がいるのではない。一人の中に、「反日的な部分」と「親日的な部分」があるのだという。

そこを知った上で、付き合う必要がある、と言う。

藤野さんは最近、『「嫌中」時代の中国論』(柏艪舎)という本を出した。この本も実にタイムリーだ。

本屋に行っても、テレビを見ても、中国の悪口を大声で言う人ばかりだ。

新聞、週刊誌もそうだ。中国を叩き、悪口を言えば、売れるからだ。

そして、自分は「愛国者」だと思われる。情けない。まさに、「嫌中時代」だ。

打ち上げで 打ち上げで

その中にあって、知らないまま、「嫌いだ」なんて言うな、と藤野さんは言う。

北大で中国の留学生に勉強を教えるのでも、ともかく日本の実情を知ってほしいと教えている。

よく知った上で、「反日」になるのなら、それでもかまわないと言う。

この本を読んで、驚いた。私らの考えつかない、知らないことばかりだった。

これは、ぜひ、多くの人に読んでもらいたい。

そして、知った上で、中国とどう付き合うか。それを考えるべきだと言う。

時計台シンポジウムでも、その点から藤野さんに私は次々と質問した。

そして、日中の付き合いについて考えた。

【だいありー】

兄貴と(10/14月) 兄貴と(10/14月)
  1. 10月14日(月)午前中、原稿。  12時東京発の新幹線で仙台へ。今日は学院高校1期生会だ。
     その前に、兄貴の家に行く。最近、ヨーロッパに行って豪華客船に乗って来たと、写真を見せてもらった。元気だ。私よりも行動派だ。
     午後4時半、二番町にある「ギャラリー中央清月記」に行く。54年前に、私らは、東北学院榴ヶ岡高等学校」に入学した。その第1期生が集まったのだ。
     当時は1クラス45人で、3クラスだから135人だ。そうそう、在学中に退学になったり、この54年で亡くなったり、連絡が取れない人がいて、95人に案内を送った。
同級生と 同級生と

そしたら、50人近くが参加した。凄い。

ともかく、懐かしかった。「主の祈り」で始まり、讃美歌、校歌をうたい、厳粛な中にも楽しい同期会でした。夜は最終の新幹線で帰りました。

  1. 10月15日(火)昨夜、帰ってきてから、ずっと原稿を書いていた。急ぎの仕事があったので。どうも計画性がないから、ダメだな。慌ててやる。
飛松五男さんと。後ろは改修中の姫路城(10/5火) 飛松五男さんと。後ろは改修中の姫路城(10/5火)

あまり寝てない。東京駅発7時50分の新幹線に乗る。10時55分姫路着。姫路城と「けんか祭り」の見物だ。元刑事の飛松五男さんが誘ってくれた。ありがたい。

飛松さんを慕う若い美女2人も同行。一緒に写真を撮ろうとしたら、「会社をズル休みして来たので、アカンわ」。それで、飛松さんとの写真だけだ。

姫路城は日本で最も美しいお城だ。今は改修中で、全体に覆いがかかっている。「改修中でも、見れるんですわ」と飛松さんから前に聞いた。

改修中の城を見れるなんて、今しかない。それで、ぜひ見たいとお願いした。

城の改修作業が見れるのです 城の改修作業が見れるのです

それに、この日は、お神輿がぶつかり合う激しいお祭り「けんか祭り」がある。

「それも見ましょう。桟敷席を用意しますわ」と飛松さん。それに甘えて、姫路に来たのだ。

お城の覆いといっても、ビニールではない。ちゃんとした建物だ。中には、エレベーターもあるし、そこにいろんな写真、資料もある。そして、改修中の姫路城も見れる。これは凄い。

来年の春、改修は終わる。そして、この「建物」は壊される。勿体ない気もするが仕方ないのか。

外に出たら、「お菊の井戸」がある。あれっ、ここだったのか。「一枚、二枚…」とお菊が皿を数えるのは。飛び込んだ井戸は深い。

なんと、桜が咲いてました! なんと、桜が咲いてました!

それから、城の中の庭園へ。とても綺麗だ。

「あれっ、桜が咲いている」「ウソやろう」と思ったら、本当だ。「十月桜」と書かれている。十月に咲く桜があったのか。新発見。

そして、食事。とてもおいしかったです。ごちそうさまでした、飛松さん。

それから、市の中心部に行き、「けんか祭り」を見物。多くの神輿が出て、ぶつかる。そこを、段々になった桟敷席で見る。

それも、周囲の山を削って、天然の階段、桟敷席を作っている。コロシアムのように、もの凄く贅沢な客席だ。こんな施設はちょっとない。

「十月桜」と書かれてました 「十月桜」と書かれてました

ただ、途中から雨が降り出した。皆、ビニールの合羽を着たり、傘を差したり。我々は、ビニールシートをかぶって、見た。

「あっ、青森のねぶたを見た時も雨やったわ」と私。あれは8月だったか。ズブ濡れになりながら、けんか祭りを見た。それだけの価値はある。

夕方、姫路駅まで出て、お茶。「今日は台風が来るんですよ。早く帰った方がいいですよ。でないと帰れなくなりますよ」と言われ、慌てて新幹線に飛び乗る。

瓦もきれいです 瓦もきれいです
  1. 10月16日(水)午前中、原稿。午後、打ち合わせ。仕事がはかどらない。夜、家で必死に仕事をした。
    『FLASH』(10月29日号)が送られてきた。
    〈防衛外交の専門家100人に聞いた。
    「ニッポンの『真の敵』」に私も書いている。それで送ってきたのだ。
  2. 10月17日(木)午前中、取材。
     午後、河合塾コスモ。自習室で勉強。3時、現代文要約。5時、「読書ゼミ」。佐藤優・中村うさぎ『聖書を読む』(文芸春秋)を読む。
お菊の井戸です お菊の井戸です

本の帯にはこう書かれている。

〈天地創造から世界の終わりまで--。共にキリスト教徒の二人が語り尽くす。聖書をめぐるバトル対談〉

なかなか面白い本だったし、考えさせられた。私も高校はミッションスクールだったので、その話もした。「先週の土曜日は、その同窓会があって、出てきたんだ」と話をした。

終わって、いつもなら生徒と食事会なのだが、私は用事があったので、中座。タクシーで竹橋へ。

呉善花さん。一水会フォーラムで(10/17木) 呉善花さん。一水会フォーラムで(10/17木)

午後7時から、一水会フォーラムが始まっていた。30分ほど遅れて、参加した。如水会館14階「一橋クラブ記念東室」。講師は呉善花さん。

テーマは「今の韓国について語る」。最近も、韓国に行こうとして入国を拒否された。韓国政府から徹底的に嫌われている。

それというのも、呉さんは、韓国の今の現状を強く批判しているからだ。激しい。

私は、かなり昔に会って、話を聞いた。一貫しているし、全くブレない。勇気のある人だと思う。

終わって、近くの居酒屋で打ち上げ。

木村三浩氏、呉善花さんと 木村三浩氏、呉善花さんと
  1. 10月18日(金)午前中、原稿。午後2時、取材。6時、四谷区民ホール。野村秋介さん追悼20周年「群青忌」。大原康男さん(国学院大学名誉教授)、長谷川三千子さん(埼玉大学名誉教授)、フィリピンから来たヒロ山口さん、などが挨拶。そして、追悼講演。犬塚博英氏。
     会場は超満員だった。全国から、野村さんを慕う人々が集まっていた。亡くなってもう20年になるのか、と思い出していた。
     野村さんの生前の映像が上映される。格好いい人だった。又、一般の人に対する〈言葉〉を持っていた。今、野村さんの「不在」は大きい。
活発な質問も出ました 活発な質問も出ました

終わってから、近くで、二次会。懐かしい人々に会って、時間を忘れて、話し合った。

野村秋介さんの息子、娘さんも来ていた。その子供(野村さんの孫)も来ていた。男の子は野村んさの若い頃に似ている。私は野村さんの10代、20代の頃は知らないが、知ってる人は似てると言う。野村さんも嬉しいだろう。

  1. 10月19日(土)午前中、原稿。昼、雑誌の対談。
     3時、新宿space雑遊。愚安亭遊佐ひとり芝居・「鬼よ」を見る。満員だった。素晴らしい舞台だった。

愚安亭さんとは、メルマガ「マガジン9」で対談している。かつては学生運動をやり、その後、芝居をやる。

「直会」で 「直会」で

でも、昔から三島由紀夫が好きで、初版本で、集めて、全てを読破したという。とても感動的な芝居だった。

終わって、近くの居酒屋で打ち上げがあったので参加した。話し込んだ。

  1. 10月20日(日)朝10時、小田急線、伊勢原で集合。待ってたバスで野村秋介さんのお墓へ。野村秋介さんの墓前祭だ。午前11時から12時まで。
     一昨日は四谷区民ホールで「群青忌」があった。大雨の中、多くの人が集まった。地方から来た人で、一昨日からずっと東京に残ってる人もいる。
     終わって大森へ。サブミッション・アーツの大会を見る。麻生秀孝さんたちに会う。そのあと、打ち上げ。
     それから阿佐ヶ谷ロフトへ。「福島第一原発事件・31ヶ月目の真実」を聞きに行く。小出裕章さん、山本太郎さん、おしどり、小室等さん、吉岡忍さん、森達也さん、今西憲之さんらに会う。

【写真説明】

(左)鈴木邦男(右)藤野彰氏

①「第4回・鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」です。ゲストは藤野彰氏(北海道大学大学院教授)。テーマは、「異質な隣人・中国といかに向きあうか」。10月12日(土)午後6時より。

考え込み、悩みながら話してます(札幌時計台ホール)

②難しいテーマだけに、必死に考え、話しています。

活発な質問も出ました

③活発な質問も出ました。

超満員の札幌時計台ホールです

④札幌時計台ホールは超満員でした。タイムリーなテーマだったし、皆、関心があったようです。
(①〜④は、カメラマンの小森学さんが撮ったものです。ありがとうございました)

打ち上げで

⑤終わって、近くの中華料理店で打ち上げ。藤野先生の教え子(中国の留学生)もいます。

東北学院榴ヶ岡高校第一期生会(10/14月)

⑥10月14日(月)午後5時より、「東北学院榴ヶ岡高校第一期生会」が仙台市の「ギャラリー中央清月記」で行われました。50人近くの同期生が集まりました。

「美術」の小山先生、「キリスト教」の出村先生と

⑦「美術」の小山喜三郎先生、「キリスト教」の出村修先生と。とてもお世話になりました。

「英語」の須田先生(右)と

⑧「英語」の須田稔先生(右)と。左は同級生です。

「社会」の赤沢昭三先生

⑨「社会」の赤沢昭三先生。昭和3年生まれだから、「昭三」なんだそうです。知りませんでした。54年ぶりに知った〈真実〉です。

同級生と

⑩同級生たちと。右は幹事の大江君。年取ると、先生と生徒の区別がつきません。

兄貴と(10/14月)

⑪同窓会に出る前に、兄貴の家に行きました。

「ミニ新幹線」が走ってました

⑫仙台駅で。「ミニ新幹線」が走ってました。私も乗ろうと思ったら、希望者がズラリと行列で、諦めました。

飛松五男さんと。後ろは改修中の姫路城(10/5火)

⑬仙台の翌日、15日(火)は、姫路に行きました。改修中の姫路城の前で。飛松五男さんと。城は、大きな建物で覆われて、城の改修作業も見ることが出来ます。これは凄いです。

城の改修作業が見れるのです

⑭「覆いの建物」から改修中の城が見れるなんて、素晴らしいです。

瓦もきれいです

⑮瓦も、とても綺麗です。

お菊の井戸です

⑯城の中庭には、お菊の井戸がありました。そうか、ここだったのか。「皿屋敷」のお菊の井戸は。

なんと、桜が咲いてました!

⑰あれっ、桜が咲いていた。「昨日、急に暖かくなったからでしょう」と同行の女性が。まさか。

「十月桜」と書かれてました

⑱そしたら、「十月桜」と書かれてました。10月に咲く、特別な品種なんでしょう。だったら、毎月、咲かせてほしいね。

「けんか祭り」の会場で飛松さんと

⑲城のあとは、「けんか祭り」の会場に行きました。

勇壮、華麗なお祭りです

⑳激しいです。華麗です。

雨が降ってきたので、ビニールシートをかぶってます

㉑雨が降ってきたので、ビニールシートをかぶりました。でも、けっこう濡れてしまいました。それまでしても、見る価値はありました。よかったです。

交番の横で「暗殺教室」のイベントが(10/13日)

㉒10月13日(日)、札幌から帰って、バスで新宿に出ました。東口交番の横で、こんな危ないイベントが行われていました。
〈暗殺教室 体験入学!〉
だって。いいのかな。子供たちも、喜んで、体験入学してました。私もしました。でも、本の宣伝のようですね。

駅構内では「求む!暗殺者!」

㉓新宿駅構内にも、大きく出てました。「求む! 暗殺者!」と。いいのかなー、こんなことをして。でも、松井優征の漫画『暗殺教室』のお知らせのようです。
 でもでも、紛らわしい。本当に、暗殺者になろうと思って、来る人がいるんじゃないの。

呉善花さん。一水会フォーラムで(10/17木)

㉔10月17日〈木〉、如水会館で「一水会フォーラム」が行われました。講師の呉善花(オ・ソンファ)さんです。拓殖大学国際学部教授です。テーマは、「今の韓国について語る」。分かりやすくて、勇気のあるお話でした。

木村三浩氏、呉善花さんと

㉕呉善花さんを囲んで。木村三浩・一水会代表と。(㉔㉕はカメラマンの平早勉さんが撮ってくれました。ありがとうございました)

活発な質問も出ました

㉖質問も随分と出ました。

「直会」で

㉗「直会(なおらい)」で。

週刊「アエラ」(10/21号)

㉘「週刊アエラ」10月21日号。森まゆみさんの『「青鞜」の冒険』の書評です。面白いし、教えられることの多い本です。左右、市民運動と、あらゆる運動家に読んでほしい1冊です。

「朝日新聞」名古屋版(10/7月)付

㉙「朝日新聞」名古屋版。10月7日(月)朝刊です。「式年遷宮・伊勢神宮と日本」という連載をやっており、私は4回目に出ました。

【お知らせ】

  1. 10月27日(日)元「楯の会」初代学生長・持丸博氏を偲ぶ会が午後6時30分から行われます。ホテルグランドヒル市ヶ谷3階瑠璃西です。会費は5千円(懇親会費として)。
  2. 11月19日(火)午後6時、第5回「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」です。ゲストは、小磯修二さん(釧路公立大前学長)です。テーマは〈地方の論理〉です。
     このあと、来年の予定も決まってます。
    1月21日(火)原田宏二さん(元北海道警察釧路方面本部長)
    3月18日(火)石川明人さん(北海道大学助教)
    5月(予定) 伊東秀子さん(弁護士)
  1. 11月23日(土・祝)13時。四日市文化会館。第3ホール。 〈1970年 森田必勝が駆け抜けた時代。
    =あの時代を、いま語り継ぐ=〉
     パネリストは、宮崎正弘氏(国際ジャーナリスト)。森田治氏(元県議。森田必勝氏のお兄さんです)。鈴木邦男。
     参加費1000円。参加申込みは、「四日市1970記念シンポジウム」実行委員会(担当・岩井)へ。080(5702)8405
  2. 11月24日(日)三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼「野分祭」。午後2時より、市ヶ谷健保会館2階会議室。(新宿区市谷仲之町4の39)。玉串料2千円(会場整理費として)。
    第1部 追悼祭 午後2時
    祭主 伊藤好雄
    斎主 島田康夫
    記念講演 午後3時 講師 中山嶺雄
    「皇国再興・戦後体制を撃攘せよ!」
    =三島・森田両烈士の原点への回帰=
  3. 11月25日(月)憂国忌。午後6時開演(5時半開場予定)星陵会館大ホール
  4. 12月9日(月)午後7時、一水会フォーラム。講師は和田春樹先生。