これはいい言葉だと思った。今こそこの言葉を噛みしめ、人生の指標にすべきだと思った。
だから、「週刊朝日」(11月15日号)の「最後の読書」の中にも引用した。
衝撃を受けた言葉は、ガンジーの次の言葉だ。
〈明日死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい〉
特に2行目の言葉だ。これは奥が深い。今も、考え続けている。
1行目の言葉は、「今、全力を尽くしなさい」と言うことで、他にも多くの人が言っている。
「まあ、そのうちやればいい」とか、「明日でいいや」と思っていたら、永遠に出来ない。「今でしょう」の心意気がなくては出来ない。
たとえ、明日死んでも悔いがないように。全力で生きたと思えるように、「今日」を生きなさい。ということだ。
問題は2行目だ。「慢心」を戒め、「謙虚」に努力することを勧めている。
中年、老年になり、「随分と学んだ」と思っても、慢心してはいけない。
まだまだ未熟な生徒だ。小学生だ。勉強は「これからだ」。
そういう気持ちで生きなさい。そういうことを言ってる。と私は理解した。
「最後の読書」は、「週刊朝日」の連載コラムだ。
このテーマで、いろんな人が毎週書いている。
「最後の食事」「最後の旅行」など、「最後」の付くものは沢山ある。
あれを食べたい。あそこにはもう一度、行ってみたい。そんな、究極の食事、旅行だ。
しかし、「最後の読書」については考える人は少ない。書いてる人も苦労してるようだ。
過去を振り返り、「若い時に感動した本」を挙げてる人が多い。
あるいは、初恋の人にもらった本。自分の人生を決めた本。落ち込んでいた時に、先輩にもらった本…。
中には、自分の初めて書いた本。などもある。
しかし、それでは余りに「保守的」だ。懐古的だし、進歩がない。
そう思っていた時、ガンジーの言葉に出会った。
そうだよな。死ぬまで勉強だ。死ぬまで挑戦だ。と思った。
だから、過去を思い出して、懐かしい本を読むなんて嫌だ。敗北主義的だ。それよりも、より高い目標を掲げて飛びたい。そう思った。
今まで、そして今も、「月30冊」のノルマは守っている。
文学全集、思想全集にも挑戦し、読破してきた。「全集読破」は、一つの山脈を踏破したような感動と満足感を与える。
じゃ、次はあの山を…と思う。
長い小説にも挑戦してきた。日本で一番長い小説は中里介山の「大菩薩峠」だと言われている。
前に勤めていたジャナ専(日本ジャーナリスト専門学校)の図書館に全巻あったので、毎週1冊ずつ借りて全巻読破した。
初めの部分は面白くて、引き込まれる。だから、何度も何度も映画化されている。
主人公の机龍之介には片岡千恵蔵、市川雷蔵などが扮していた。
しかし、長い長い小説だから、中だるみがある。
中には、一巻に一度も主人公が登場しないのもある。小説は進展しないで、作者の蘊蓄話だけで終わっている巻もある。
中里は執筆当時も、何度も何度も中断している。
大体、連載している新聞が何度も変わっている。そのたびに新たな心境で書くのだろうが、全く別の本になってたりもする。
でも、私は、毎週毎週、いわば「義務」として読んだ。
ともかく、日本で一番長い小説は読破した。よし、次は、「世界で一番長い小説」に挑戦してみようと思った。「千秋楽」は最大の〈敵〉と闘ってみたい。
世界一長いと言われているのは、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』だ。そう言われている。
よし、「最後」には、これに挑戦してやろうじゃないか。
そう思って、「週刊朝日」に書いた。その時のために、この小説はとっておこう。
前に、「漫画で読む世界文学」とか、「粗筋で読む世界文学」などでは、この本を読んだことがある。
勿論、「読んだ」うちには入らない。レストランでいえば、メニューを見た。あるいはウインドーの中のサンプルを見た。そんな感じだろう。「食べた」ことにはならない。「最後」に食べてみよう。
ところで、ガンジーの言葉に戻る。
これは、大阪にある「コリア国際学園」の後援会発足式で知ったのだ。
2ヶ月ほど前だ。そこで座談会に出た。その時、ここの学校の映像紹介があった。
「国際人」「超境人」を目指して、教育がされている。外国に研修、留学がある。「三ヶ国語弁論大会」がある。そんな紹介だった。
その中で、このガンジーの言葉が出て来たのだ。ウーン、深い言葉だな、と思ってメモをした。
でも出典はどこなんだろう。どの本に出てるのか。あるいは、どこかの集会でガンジーが講演したのか。
調べてみたが分からない。ネットで調べたり、いろんな人に聞いたが分からない。これを言ってるのは事実だ。ただ、出典は分からない。
そうだ。中島岳志さんに聞けばいいや、と思った。
中島さんは北海道大学准教授で、多くの本を書いている。ガンジー、パール判事の本もある。印度には詳しい。
11月13日(水)、Ustの「月刊・中島新聞」に出た。中島岳志さんと2時間、三島事件についての話をした。
始まる前に、ガンジーの「永遠に生きると思って学びなさい」の出典を聞いた。
しかし、分からないという。
ガンジーが言ってることは間違いないが、いつ、どこで言ったのか。書いたのか。それは分からないという。
ガンジーの著書は厖大で、日本語に翻訳されてない本がもの凄くあるという。
そうだったのか。私もガンジーの本は、大学の時はよく読んでたが、今は、ほとんど読んでない。又、キチンと読んでみたい。
今、考えたが。ガンジーの言葉の1行目は、「自分の決意」「覚悟」を言っている。
又、「いいこと」はすぐにやろう。困ってる人を見つけたら、すぐ助けよう。他人への思いや、善意もここにはある。
ところが2行目では、ゴールをずーっと遠くに持って行く。あるいは、「市民運動」への警告かもしれない。これは自己批判を込めて言うのだが。
右や左、市民運動、宗教運動では、20代の前半くらいで、「世の中を救う真理」に出会い、それを基にして運動をする。
左翼なら、マルクス・レーニンとか、トロツキー、ゲバラなどだ。それらの革命家の本を読み、「これだ!」と思う。あとは、それに基づいて、運動をする。世界革命をやろうと思う。
右翼、宗教もそうだ。それは間近に見てるから分かる。
でも、その時、せいぜい20代半ばだ。そして、「この真理のもとに世界のプロレタリアよ集まれ!」と言う。
「これこそが正しい」と思い、もうそれ以降は、「勉強しない」。進歩がない。
20代前半で、「究極の真理」を発見したのだから、あとは学ぶものはない、と思って、他の勉強は一切捨てるのだ。傲慢な話だ。
それらの〈運動〉を始めたら、もう本は読まない。「あとは行動だけだ!」と思う。
全く本を読まないか、たとえ読むとしても、「運動」に役立つ本だけを読む。
それで、ますます、「理論武装」しようとする。
もしかしたら、怖いからかもしれない。
だから、一般の本を読まず、ましてや「自分の敵」の本は読まない。〈自分の考えとは違う〉本を読むということは、「闘い」だ。
「なんだ、こんなものか」「こんなこと、私だって出来る」と思うかもしれない。
しかし、「打倒」されるかもしれない。「ちくしょう!」と思いながらも反駁出来ないかもしれない。
そんな「危険」に出会うことだよ、「学ぶ」「読書」とは。
それよりは、出会った「真理」だけを守り、運動を続ける方が楽なのだ。
だから、20代、30代、40代も、60代、70代も、「言ってること」は同じだ。「同じ」ことを言い続けることで、強くなったと思っている。しかし、違う。
その点、私は幸せだ。いろんな人に会える。いろんな本にも出会える。
そして、「読破」され、「打倒」されることも多い。
これこそが、「学ぶ」ことだ。「永遠に生きると思って学びなさい」だ。
話は変わる。三島事件について、軽井沢で鼎談をした。板坂剛さん(作家)、椎根和さん(作家)と私の3人だ。それが今月末に鹿砦社から本になる。
板坂さんは、三島についての本を何冊も書いている。フラメンコをやり、舞台で三島をやったこともある。
椎根さんは、元「平凡パンチ」の記者で、「三島番」だった。『平凡パンチの三島由紀夫』など著書も多い。晩年の三島を最もよく知る人だ。
その3人で、一晩話し合った。それが本になる。又、西宮でやっている「鈴木ゼミ」の報告集(Ⅲ)も、もうすぐ出る。内田樹、上祐史浩、湯浅誠…などと話し合った。
あと、「週刊金曜日」では、坂本龍一さんと2回対談したが、それが本になる。誌面に載せたのは、ほんの1割ほどだ。あとの分を含め、12月に出版するようだ。
そして「札幌時計台シンポジウム」の報告集も出る。1年位続けて、それで本にするんだろうと思っていた。
ところが、「第1回 鈴木宗男」「第2回 中島岳志」の2回分だけで本になった。これは凄い。それだけ分量があり、内容があるのだ。
11月19日(火)、札幌に行った。「第5回・時計台シンポジウム」だ。主催の柏艪舎の人が、「すみません。今日に間に合わせようと思ったんですが」と言う。こっちは別に急がないし。12月8日に出る予定だという。楽しみだ。
「こっちの方は、今日、刷り上がりました」と、本を渡された。小磯修二さんの『地方が輝くために=創造と革新に向けての地域戦略15章』(柏艪舎)だ。
小磯さんは、この日のゲストだ。ここに集まった人たちは、書店に出る前にこの本を読める。帰りにはサインももらえる。
私は、この日、対談するので、すでに読んでいた。本はまだ出ないので、ゲラの段階で読んだ。全く知らない分野なので、とても勉強になった。「永遠に生きると思って学びなさい」だ。
アメリカ、オーストラリアを見ても分かるように、初めて上陸した所が、栄えて、そこが「首都」になる。船で上陸した所を拠点にして、奥地へと入ってゆく。
だから、上陸した所が、アメリカ、オーストラリアの首都になった。そう言う。
ところが北海道は、函館が中心で、そこから北海道開発は始まったのに、函館は「首都」にならなかった。
遥か遠くの札幌が中心になり、いわば首都機能を果たす。これはなぜか。「北への守り」を明治の人たちが真剣に考えたからだ、という。
ロシアがアメリカにアラスカを売った。そして、〈対日本〉にターゲットを絞った。そのロシアに対抗するためだったという。
こんなことは当の北海道の人も知らない。小磯さんの本には、こう書かれている。
〈歴史を振り返ると、北海道は常に国の非常時において、大きな役割を果たしてきた地域であるといえます。明治の近代国家づくりのスタート時に北海道開拓が重点的に行われましたが、その背景には、南下するロシアからの植民地支配を防ぐための北辺の防備という大命題がありました。また、第二次世界大戦において、わが国は国土の45%を失い、植民地から引き上げる多くの帰国者を受け入れるために、北海道には食糧生産やエネルギー供給といった重要な役割が課せられました〉
そうなのか。北海道が日本を支え、救ってきたのか。その重要性を知りました。
そして、次の箇所ではさらに驚きました。
〈もともと北海道は、世界の中でも総合的な地域開発政策が有効に展開されてきた。地域開発の成功事例といわれています。明治の開拓初期に五万人程度だったのが、百年間で五百万人に。経済規模や所得レベルでもヨーロッパの中型国並みに成長しました。百年という短期間でこれだけの地域成長を成し遂げた国・地域は世界でも例がないといわれています。
新しい国づくりや地域づくりの貴重なモデルとして評価される要因の一つには、北海道開拓や開発システムに、平時の論理と非常時の論理がバランスよく組み込まれているように思います〉
これには驚いた。新しい指摘でした。
北大には、外国から多くの留学生が来ています。それはこうした北海道の開発を通して自らの国の国づくりに役立てようとするからです。
日本よりも外国の人が北海道に注目しています、と小磯さんは言う。さらに、今、具体的に、どう思っているのか、具体的な企業名を挙げて説明します。
これは、ぜひ本を読んでみて下さい。
さらに、函館で闘った榎本武揚や大鳥圭介の国際的な知識や実力を惜しんだ黒田清隆らが降伏を勧め、助命嘆願をし、2人を政府の重職につけて用います。
今だったら絶対にあり得ない。そうした明治政府の偉さも大きいと言います。
今まで全く考えなかったこと、知らなかったことを多く教えてもらいました。とても有意義なシンポジウムだったと思います。
『地方が輝くために=創造と革新に向けての地域戦略15章』(柏艪舎)。
〈疲弊が進む「地方」の活性化に向けて活動を続けてきた著者が豊かな経験と分析を交えて地域戦略を提言する〉
と書かれている。現在の〈地方〉問題の分析。そして、どうしたら活性化出来るか。この本をもとに、講演では、その具体的な提言をする。
とても勉強になりました。小磯さんの話のあと、2人で対談。そして質問を受ける。
終わって、打ち上げ。私なんか知らない分野なので、とても興味深く聞きました。そして、質問しました。
5時、「読書ゼミ」。今日は、田原総一朗、上祐史浩『危険な宗教の見分け方』(ポプラ新書)を読んで、皆で考えました。生徒たちにも〈宗教を考える上でいい勉強になったようです。全国の中学、高校でも、これをテキストにして、先生が「見分け方」を教えたらいいだろう。
7時に終わり、それから、ネイキッドロフトへ。辻元清美さんと川田龍平さんとのトークを聞きに行く。ところが川田さんは国会の仕事で抜けられなくて欠席。辻元さんの話をたっぷりと聞きました。
コスモの私の担当は福田典子さんといって、実は、石坂啓さん(漫画家)の姉。「今日は3姉妹がそろうから、鈴木さんも行こう」と言われて、付いて行った。
もう1人の福田千鶴子さん(元スッチー)も来ていた。さらに、石坂啓さんの旦那も来ていた。さらにさらに、石坂啓さんの息子がネイキッドロフトでバイトしている。
つまり、石坂啓ファミリー5人が勢揃いしたのだ。「うわー、今日の客の3割は石坂ファミリーだ!」と皆、驚いてました。
〈1970年 森田必勝が駆け抜けた時代〉
=あの時代を、いま語り継ぐ=
宮崎正弘氏(国際ジャーナリスト)、森田治氏(元県議。森田必勝氏のお兄さん)、そして私が話し、その後、3人でシンポジウム。それに、当日、東京から来てくれた森田氏の同志たちからの挨拶がありました。
会場は超満員。多くの仲間たちと会え、とても有意義でした。終わって、近くのお店で直会をやりました。最終の新幹線で帰りました。
=三島・森田両烈士の原点への回帰=
全国から多くの人たちが参列してくれました。終わって、近くの店で直会。懐かしい人たちにも会いました。
鹿砦社の人が来て本を売ってました。板坂剛さんの『三島由紀夫と全共闘の時代』(鹿砦社)も売ってました。この中に入ってるんです。「主張」で紹介した、板坂剛、椎根和、鈴木邦男の衝撃的な鼎談が。ぜひ読んで下さい。
⑧11月17日(日)午前10時半より正午まで、弓町本郷教会の礼拝に出ました。ここは大杉栄が洗礼を受けた教会です。新潟県新発田で毎年「大杉栄メモリアル」を開催している斉藤徹夫さんが上京し、連れて行ってくれました。
㉒辻元清美さんと。「この前、ビックカメラで会ったわね」と言われました。赤坂見附のビックカメラで、私が電子辞書を買ってたら、隣りに辻元さんがいたのです。iPadを買ってました。「これが、その時のiPadでっか?」「そうでんねん」。