2013/12/02 鈴木邦男

三島由紀夫・森田必勝。43年目の追悼と事件

①辻井喬さんが亡くなった

(左から)宮崎学さん、辻井喬さん、鈴木、川上徹さん(7/26) (左から)宮崎学さん、辻井喬さん、鈴木、川上徹さん(2011年7/26)

11月は三島由紀夫・森田必勝両氏の追悼の月だ。又、両氏について語り、43年前の事件について語る月だ。

本は今も出ている。「新しい発見」もある。四日市での集会のように、新しい企画、新しい出会いもある。

又、悲しいことだが、関係者の訃報も届く。

「楯の会」初代学生長・持丸博氏が9月24日に亡くなり、10月27日(日)に「偲ぶ会」が行われた。69才だった。

又、今日、11月29日(金)の「産経新聞」を見て驚いた。

堤清二さんが亡くなった。

〈25日午前2時5分、肝不全のため死去したことが28日分かった。86歳〉

と書かれていた。残念だ。

〈1970年。森田必勝が駆け抜けた時代〉四日市(11/23) 〈1970年。森田必勝が駆け抜けた時代〉四日市(11/23)

三島由紀夫とも親しかった。堤清二さんはセゾングループの創業者で、又、詩人・作家としても有名だ。辻井喬の名前で多くの詩集・小説を書いている。

平成16年に父・康次郎氏を描いた『父の肖像』が野間文芸賞を受賞した。24年には文化功労者に選ばれた。

「2つの顔を持つ異才経営者」として産経には評伝が出ていた。

経営者としての堤清二氏を紹介し、次に辻井喬氏を紹介する。

〈隠喩を巧みに駆使した詩は高く評価され、後に小説にも進出。「彷徨の季節の中で」に始まる自伝的小説3部作や、父・康次郎氏の半生を描く『父の肖像』などで、日本人にとっての家や父性といった根源的な問題を追究し、独自の私小説を確立した〉
講演する森田治さん 講演する森田治さん

とてもいい本だった。産経では、続いてこう書いている。

〈西武百貨店時代に営業部門の反対を押し切り、当時はなじみが薄かった抽象画家らを積極的に紹介。経営の一線を退いてからも、セゾン文化財団の理事長として、若手芸術家の育成に尽力した。晩年も、入退院を繰り返しながら詩作に励んだ。物腰は柔らかく、インタビューには穏やかな口ぶりで丁寧に答えた〉

そうなんだ。全く、偉ぶったところがなかった。

実は私も何度かお会いした。一緒にお酒を飲んでいても、本当に穏やかだった。

初めに会ったのは、宮崎学氏と3人で、池袋で会った。

講演する宮崎正弘氏 講演する宮崎正弘氏

池袋は西武デパートがあるし、セゾン文化財団もある。だから池袋かな、と思ったら、路地裏の本当に小さな店だった。

学生が飲むようなところで、畳の上で飲んだ。

宮崎学氏は『突破者』で有名な作家だ。それに2人とも「元・日共」なのだ。

日共に入り、活動をしたことがあって、その後、作家になっている。共通体験があるから、2人はとても仲がいい。うらやましい。

それに、辞めたとはいえ、共産党を罵倒しない。批判はするが、「いい体験だった」と言う。

元共産党の人には、口汚く共産党を罵倒し、右翼以上に右翼的になった人が多い。

そんな「反共主義者」にはなりたくない。と2人とも言う。それには私も感動した。

②元・日本共産党の2人による対談本

挨拶する鈴木 挨拶する鈴木

2人は、東日本大震災後に、対談本を出している。『世界を語る言葉を求めて=3.11以後を生きる思想を求めて』(毎日新聞社)だ。

とてもいい本だ。私は、週刊「アエラ」(2011.12.5)で、書評した。そのため、丁寧に読んだ。

「僕自身は共産主義に触れたことで、今の自分があると思っているんです」と辻井さんは語る。

又、宮崎学氏はこう言う。

〈黒字か赤字かでいえば、私は多分に黒字でした。いちばん恩恵を受けたのは、人を見る目をあたえてもらったことです〉
超満員でした 超満員でした

人を見、物事を見、世界を歴史を見る目が与えられたのだろう。

それが多少、間違っていて、偏見であっても、社会に向きあう姿勢が出来た。

そうした運動に入り、勉強しなかったら、まともに〈社会〉を見つめることもなかっただろう。

宗教や政治運動をやって、後に辞めた人は、怒りや恨みだけで自分の過去を振り返る人が多い。

そして、ただ、罵倒し、口汚く罵る。中には、「青春を返せ!」と絶叫する者もいる。

嫌だね。浅ましい。お前の意志で入ったんじゃないか。

中島岳志さんも挨拶 中島岳志さんも挨拶

その点、この2人は、いい。清々しい。

カルトや危ない新左翼過激派と違い、共産党は合法政党だから、安全だ。武装闘争など考えていない。

2人も、いい体験だったというし、いい勉強になったという。

いい「学校」だ。だったら、この貴重な体験は2人だけが独占するのではなく、全国民に「お裾分け」したらいい。

今の若者はだらしがないから、「軍隊に入れろ」とか、「強制的にボランティア活動をさせろ」…と言う人がいる。多い。

だったら、むしろ共産党の方がいい。世の為、人の為に無私の精神で働く。人間も大きくなるし、視野も広がるし、人を見る目も与えられる。

「書評」でも、そんなことを書いたと思う。

③実は、辻井喬さんと本を出す予定だった

森田必勝氏のお墓で 森田必勝氏のお墓で

又、辻井氏は、日共時代の貴重なエピソードを紹介していた。

〈僕は上田耕一郎から、毛沢東と宮本顕治が掴みあわんばかりの喧嘩をしたことを聞きました〉

中国の文化大革命開始直後、日本にも遊撃戦術を取れと毛沢東は言った。つまり、武装闘争をやれと言ったのだ。

宮本は断固として拒否した。そして、掴みあわんばかりの大喧嘩になったわけだ。

あの時、共産党が武装闘争に立ったら、大変だった。拒否した宮本は偉い。

森田必勝氏の母校で 森田必勝氏の母校で
〈そうか、宮本顕治によって日本は救われたんだ。真の愛国者として、人間国宝にすべきだった〉

と『アエラ』の書評には書かれていた。おいおい、そこまで言うかよ、と言いながら読んでしまった。あ、私の文章だったか。

辻井喬さんとは何度かお会いした。ある出版社から、「2人の対談本を作りませんか」と言われていた。辻井さんも承諾してくれた。

私は、辻井さんの詩、小説、評論などを読んで勉強した。

著書は厖大にある。メモを取りながら読み、「こういう問題について話し合いたい」とレジュメも出した。

辻井さんも私の本をいくつか読んでくれた。

シンポジウムの後です シンポジウムの後です

そして対談の日程を決める時に、辻井さんは体調を崩された。「回復してからやりましょう」と出版社は言う。

心配しながらも、対談の準備はしていた。三島由紀夫とのこと。又、三島が辻井さんに頼んで「楯の会」の制服を作ってもらった。又、野村秋介さんとも何回か会って、文学の話をしたという。

さらに、「経営者」と「文学者」。2つの分野、2つの顔をどう使い分けていたのだろうか。聞いたみたいことは沢山あった。「愛国心」や日本人論についても。

さらに、かつての共産党体験についても。それなのに…。残念だ。

④四日市で「森田必勝を語る会」

斎藤英俊氏、魚谷哲央氏と 斎藤英俊氏、魚谷哲央氏と

辻井さんの話が長くなった。今週は、「追悼の3日間」について、まず書くつもりだった。順番が逆になったが、書こう。

何度か、いろんなとこにも書いたが、11月23日(土)は四日市に行った。

朝早く東京を発ち、9時20分に、名古屋。岩井さんや下中さん、飛松さんたちと合流し、四日市へ。そこから森田必勝氏のお墓へ。

もうすでに多くの人がお参りしてるようで、沢山の花が供えられていた。

「お兄さんのおかげで、やっと四日市で集会が出来ます」と必勝氏に報告した。

それから、必勝氏の母校、海星中学・高校へ行く。カソリック系のミッションスクールだ。

野分祭(11/24日) 野分祭(11/24日)

そして、会場の四日市文化会館へ。

〈1970年 森田必勝が駆け抜けた時代〉
=あの時代を、いま語り継ぐ=

会場は超満員だった。「憂国忌」を主催する三島研の人たちが30人、バスで来てくれた。

宮崎正弘、斎藤英俊、山本之聞といった、当時の活動家たちが来てくれた。

懐かしいし、ありがたかった。作家の中島岳志さんも札幌から来てくれた。

厳粛に執り行われました 厳粛に執り行われました

森田必勝氏のお兄さんの森田治さんが、この集会が出来るまでの経過を話し、宮崎正弘氏が、大学時代の必勝氏について話す。私も、思い出を話す。

そして第2部は3人によるシンポジウム。今まで知らなかった話も披露されました。

必勝氏は二浪して早稲田に入った。早稲田にどうしても入りたかった。

初めは全共闘運動をやりたいと思ったが、余りに横暴な全共闘に失望。

そんな時に、斉藤、宮崎、そして我々と知り合い、民族派学生運動に飛び込む。

第1部・追悼祭 第1部・追悼祭

初め日学同(日本学生同盟)に入り、そのあと、「楯の会」に入り、学生長になる。

この頃の〈複雑な事情〉も宮崎氏は詳しく話してくれる。

あの事件については、実に多くの本が書かれている。100冊以上の本が出ている。

その中でも、森田必勝『わが思想と行動』(日新報道)は群を抜いている。というより、森田必勝氏の肉声はこれしかない。

必勝氏の中学・高校時代の日記、そして大学に入ってからの日記、活動日誌などをまとめたものだ。

まとめたのは宮崎正弘氏だ。この努力、この功績は大きい。

記念講演の中山嶺雄氏 記念講演の中山嶺雄氏

事件直後、宮崎氏は森田氏のお宅にうかがい、4日間、泊まり込んで、日記を読み、写した。それを基にしている。

今と違い、コピーもない。これはと思うところを書き写した。18冊の大学ノートを読み、写したのだ。

そのおかげで我々は今、必勝氏の思い、思想を知ることが出来る。

又、鈴木亜繪美さんの『火群(ほむら)のゆくへ=楯の会会員たちの心の軌跡=』(柏艪舎)もいい。楯の会会員たちを訪ね歩いて、生の声を聞いたものだ。「楯の会」の田村司氏が、全国の会員に連絡し、取材協力を頼んでいる。

⑤そして野分祭、憂国忌

実行委員長の伊藤好雄氏と 実行委員長の伊藤好雄氏と

当日、必勝氏と一緒に活動した多くの人たちが来てくれた。

と同時に、必勝氏の小学校や中学校の同級生たちも来てくれた。運動のことは知らないが、昔の子供時代の話をしてくれる。

又、お兄さんは、教員をし、その後、県議になっている。その頃の知り合いの人たちも発言してくれた。いろんな政党の人たちが、必勝氏について語る。

又、「ミッションスクールにおける必勝氏」についても同級生が語る。

四日市で開催して本当に良かったと思った。

終わって、近くのお店を借り切って、話をした。

夜、最終の新幹線で帰京した。

翌、11月24日(日)は野分祭。

蜷川正大氏と 蜷川正大氏と

午後2時から市ヶ谷健保会館で行われた。

厳粛な追悼祭のあと、中山嶺雄氏の記念講演。半袖のシャツ姿だ。

一体どうしたんだろうと思ったら、「シベリアに抑留され、亡くなった人のことを思ったら、寒いなんて言えない!」と言う。獅子吼だった。

そして直会。この日は、東北や岡山など、全国から同志が駆け付けてくれた。

その翌日、11月25日(月)は憂国忌に参加した。星陵会館だ。

以前は九段会館でやっていたが、地震で使えなくなり、今は、ここだ。

野分祭も高田馬場のサンルートで毎年行っていたが、今年は館内改修のために、市ヶ谷になった。

伊藤邦典氏と 伊藤邦典氏と

憂国忌は、今年は、憲法についてのシンポジウムがメインだった。

三島は43年前、憲法改正を訴えて自決した。

今の「改憲ムード」を三島はどう思うのか。

「やっと考えてくれたか」と思うのか、「いや、俺の考えたものはそんなことじゃない」と思うのか。

この問題に関して、パネラーの間でも考えが分かれた。

そして、終わったあとの直会の席でも議論されていた。

又、シンポジウムの前に、富岡幸一郎氏が話していたが、その中で、「こんな本が出ました」と1冊の本を紹介していた。

元楯の会班長・本多清氏監修の『天皇に捧ぐ 憲法改正』(毎日サンズ)だ。

私も、翌日、本屋で買った。これは衝撃的な本だ。帯にはこう書かれている。

憂国忌(11/25) 憂国忌(11/25)
〈超国家主義憲法の衝撃!〉

三島は、「楯の会」の中に、「憲法研究会」を作り、学生で討論させ、改憲試案を作らせた。三島自身も参加し、考えを言う。

その「討論の中味」が公表されたのだ。

これは貴重な資料だ。「憲法研究会」の責任者は阿部勉氏だった。「楯の会」一期生で、事件後は、私らと共に一水会創設に関わる。

早大法学部だったので、「じゃ、阿部ちゃんだ」と三島に指名されたようだ。

前に、阿部氏から聞いていたが、こうした形で、まとまって読むのは初めてだ。学生の真摯な論争、そして三島の「時代を見通す眼」を感じた。

詳しくは又、書いてみたい。

⑥板坂剛の「問題本」も出た!

シンポジウム シンポジウム

43年経っても、まだまだ「三島事件」は熱い。全国で追悼され、語られている。

そうだ。もう1冊、紹介しなくては。

11月25日に発売された、板坂剛の『三島由紀夫と全共闘の時代』(鹿砦社)だ。

板坂は全共闘を闘った人間だ。そして、フラメンコダンサーでもある。そこから、三島を語る。

本の帯には書かれている。

〈血と死と狂瀾の時代を、〈三島由紀夫〉で今に読み解く、洗練と鮮烈の新・文化論!〉
水島総さんと 水島総さんと

この本のうち、半分は、鼎談だ。

板坂剛。「平凡パンチ」で三島番だった椎根和さん。そして私の3人だ。〈三島由紀夫 死への希求〉だ。

真剣勝負の鼎談だ。意見が一致し、新しい発見もある。と同時に、激突し、喧嘩する場面もある。それを、はっきりと記録する。

若松さんの三島映画をめぐっても対立した。私は激怒し、「やってらんない。もういいよ!」と言って席を立った。鼎談はそのシーンも忠実に記録している。そして、そこで、「もういい!」で終わっている。

こんな迫力のある鼎談も珍しい。史上初だろう。

【だいありー】

小川榮太郎さんと 小川榮太郎さんと
  1. 11月25日(月)午前中、原稿。
     午後1時、3時に取材。
     6時、星陵会館。「憂国忌」に出る。
     憲法改正に関するシンポジウムは、勉強になった。「三島精神と憲法改正=占領憲法廃棄か、自主憲法か」。
     井尻千男、小川榮太郎、藤井厳喜、松本徹、水島総さん。司会は佐波優子さん。その前に、発起人の玉川博巳氏から、「11月23日の四日市集会」の報告が行われた。
     東京から、「憂国忌」関係者が30人も来てくれた。大盛況だった。必勝氏も喜んでいるだろう。
     「憂国忌」が終わって、近くのお店で直会。パネラーの人たち、それに、西尾幹二さん、玉利斎さん…などと話をしました。
玉利齊さんと 玉利齊さんと
  1. 11月26日(火)午前中、原稿。
     午後1時から5時まで、「ミヤマ」の会議室で取材。終わって、家に帰って原稿。
  2. 11月27日(水)午前中、原稿。
     午後2時から5時。孫崎享さんのやっているニコ動「孫崎チャンネル」に出る。
     夜は、出版社との打ち合わせ。
佐波優子さん、御手洗さんと 佐波優子さん、御手洗さんと
  1. 11月28日(木)午前11時半。ANAコンチネンタルホテル。「経営塾」に出る。
     今月の講師は、町田勝弘さん(JA共済総合研究所理事長)で、テーマは、「日本農業の未来」。当事者からの報告、問題提起なので、勉強になりました。

終わって、河合塾コスモへ。3時、「現代文要約」。

5時、「読書ゼミ」。渡辺京二『近代の呪い』(平凡社新書)を読んで、生徒と考えました。

「週刊金曜日」(11/22号) 「週刊金曜日」(11/22号)
  1. 11月29日(金)午前中、原稿。
     午後2時、取材。
     午後7時、五反田の「GENRON Cafe」に行く。今年の初めから出来たという、お洒落な討論喫茶だ。ロフトをさらにお洒落にして、グレードアップした感じ。
     普段は喫茶店だが、夜は毎日のように、いろんな人のトークが入っている。何と小林よしのりさんも来ていて、壁に漫画を描いている。高橋源一郎さんは「俺はサヨクじゃない」と壁に書いていた。
    今日は、週刊金曜日の赤岩さんに誘われた。斉藤環さんとpha(ファ)さんのトークを聞きに来たのだ。
     テーマは、〈インターネット時代の金と幸福の倫理学〉。知らない話が多く、勉強になった。phaさんは京大出のニートだ。『ニートの歩き方』という本を出していて、斉藤さんとは、久しぶりに会った。
     終わって、「引きこもり」と「ニート」の話をした。両者を受け入れる社会が成熟した社会なんだろう。夏目漱石の小説には、金はあるが、全く働かない「高等遊民」がよく出てくる。あれだってニートだ。今は、「食うために働く」のではなく、「自己実現と承認を求めて働く」のだという。
板坂剛『三島由紀夫と全共闘』(鹿砦社) 板坂剛『三島由紀夫と全共闘』(鹿砦社)

さらに、外国と日本の〈家族〉観の違いなどを話してくれた。知らない分野だったので勉強になりました。終わって、ゲストや店員、お客さんたちと話しました。

  1. 11月30日(土)午前中、原稿。午後、図書館。いろいろと調べることがあり、夜までいる。
  2. 12月1日(日)午前中、原稿。  昼、柔道を見に行く。「柔道グランドスラム東京2013」。講道館の村田直樹先生にチケットを送ってもらった。ありがとうございました。テレビで見るのと違い、間近で試合を見ると迫力がある。
     終わって、横浜へ。午後5時、蜷川正大氏の出版記念会に出る。ホテル横浜ガーデン。『師・野村秋介』(展転社)だ。実にいい本だ。野村さんの自決についても、実に詳しい。又、今まで知らなかったこともあった。教えられる。全国から大勢の人が来ていた。三次会まで付いて行った。

【写真説明】

〈1970年。森田必勝が駆け抜けた時代〉四日市(11/23)

①11月23日(土)13時半。四日市文化会館第3ホール。
〈1970年 森田必勝が駆け抜けた時代。
=あの時代を、いま語り継ぐ=〉
(左から)森田治氏(森田必勝氏のお兄さんです)。鈴木。宮崎正弘氏(国際ジャーナリスト)。

講演する森田治さん

②講演する森田治氏。森田必勝氏の「楯の会」の制服も見せてくれました。

講演する宮崎正弘氏

③講演する宮崎正弘氏。大学時代のエピソードを話してくれました。

挨拶する鈴木

④挨拶する鈴木。手に持ってるのは鈴木亜繪美著『火群(ほむら)のゆくへ=楯の会会員たちの心の軌跡=』(柏艪舎)です。

超満員でした

⑤会場は超満員でした。

中島岳志さんも挨拶

⑥中島岳志さん(北海道大学准教授)も札幌から駆け付けてくれました。

森田必勝氏のお墓で

⑦会が始まる前、森田必勝氏のお墓参りをしました。左は飛松五男さん。

森田必勝氏の母校で

⑧次に、森田必勝氏の母校、海星中学・高校を訪ねました。

シンポジウムの後です

⑨シンポジウムが終わって近くのお店で。飛松さんや大阪の女子大生もいます。手前の人は東京から来たらしい。若松監督の「11.25自決の日」を20回も見たそうです。凄いですね。

斎藤英俊氏、魚谷哲央氏と

⑩早大で日学同を創った武闘派の斎藤英俊氏(中央)と。右は、やはり、昔から右派学生運動をやっていた魚谷哲央氏。洛風会を創り、維新政党「新風」を立ち上げました。2人は、当時の代表的活動家です。

野分祭(11/24日)

⑪三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼「野分祭」。11月24日(日)午後2時より、市ヶ谷健保会館2階。斎主は島田康夫氏です。

厳粛に執り行われました

⑫厳粛に執り行われました。全国から多くの人たちが来ました。

第1部・追悼祭

⑬第1部。追悼祭。満員でした。

記念講演の中山嶺雄氏

⑭第2部「記念講演」の中山嶺雄氏。「皇国再興=戦後体制を撃攘せよ!」。
 熱く語ってくれました。シャツ一枚です。「シベリアに抑留された人のことを考えたら、この程度で寒いと言えないですよ!」と言います。

実行委員長の伊藤好雄氏と

⑮野分祭実行委員長の伊藤好雄氏と。早大時代は一緒です。初め日学同に入り、後、「楯の会」へ行きました。

蜷川正大氏と

⑯蜷川正大氏と。蜷川さんは野村秋介さんの秘書をやってました。毎年、墓前祭を執り行い、今年は「群青忌」もやりました。

伊藤邦典氏と

⑰伊藤邦典氏と。邦典氏とは小学校の頃からの知り合いです。邦典氏のお父さんは「生長の家」の先生で、母も私も大変お世話になりました。病気も治してもらいました。

憂国忌(11/25)

⑱11月25日(月)午後6時から「憂国忌」にも参加しました。23日、24日、25日と、3日続けて、三島・森田追悼の夕べです。

シンポジウム

⑲憂国忌でシンポジウムが行われました。
 「三島精神と憲法改正=占領憲法廃棄か、自主憲法か」。(左から)司会の佐波優子さん、井尻千男さん、小川榮太郎さん、藤井厳喜さん、松本徹さん、水島総さん。

水島総さんと

⑳チャンネル桜の水島総さんと。

小川榮太郎さんと

㉑作家の小川榮太郎さんと。安倍総理の本「約束の日〜安倍晋三試論」(幻冬舎)を書いてます。売れてます。

玉利齊さんと

㉒玉利齊さんと。日本ボディビルフィットネス連盟会長です。三島由紀夫にボディビルを教えた人です。今度、詳しく話を聞かせて下さい、と言いました。

佐波優子さん、御手洗さんと

㉓シンポジウムを司会した佐波優子さん。そして御手洗志帆さんと。
 佐波さんは「サハ」と読むのかな。「名前はサハだけどウハ」と思ったら、「サナミ」と読みます、と言われました。キャスターで、予備自衛官です。最近、『女子と愛国』(祥伝社)を出して、売れてます。私も買って読みました。

「週刊金曜日」(11/22号)

㉔「週刊金曜日」(11月21日号)。「誰に山本議員を批判する資格があるのか」と書きました。東京新聞(11月24日付)で、「これは面白い」と、書いてました。

板坂剛『三島由紀夫と全共闘』(鹿砦社)

㉕板坂剛『三島由紀夫と全共闘』(鹿砦社)。板坂さん、椎根和さん、そして私の3人の座談会も載ってます。
 議論がヒートアップして、「もういい!」と喧嘩別れしています。凄いです。

12/11(水)姫路

㉖12月11日(水)姫路に行きます。

1/21(火)札幌

㉗1月21日(火)札幌時計台ホールで、原田宏二さんと対談です。


(左から)宮崎学さん、辻井喬さん、鈴木、川上徹さん(7/26)

㉘辻井喬さん、宮崎学さん、川上徹さんと。辻井さんとは対談して本にするつもりでしたのに。残念です。

【お知らせ】

  1. 12月2日(月)午後7時半。「笑の内閣」の東京公演「ツレがウヨになりまして」(12月9日〜21日)に先駆けて、「ネトウヨとヘイトスピーチ」についてトークをします。安田浩一さん、高間響さん(「笑の内閣」代表)。そして私です。高円寺パンデットです。申込み電話は、090(2588)9905
     なお、この日発売の『アエラ』に原稿を書いてます。
  2. 12月4日(水)午後10時より、ニコニコ動画「のりこえねっとTV」に出ます。辛淑玉さんとヘイトスピーチについてです。
  3. 12月9日(月)一水会フォーラム。講師は和田春樹さんです。
  4. 12月11日(水)午後2時、「第1回 飛松塾in姫路」です。姫路・大手前第一ビル4Fです。柳谷郁子さん(作家)と私がトークします。飛松五男さんも話します。「黒田官兵衛」についてです。
     参加希望者は、079(297)2096へ。
1/21(火)札幌 1/21(火)札幌
  1. 12月15日(日)午後7時、阿佐ヶ谷ロフトに出ます。月刊「創」プロデュースのイベントで。ヘイトスピーチについて。
  2. 12月18日(水)午後7時より、高田馬場芳林堂8階。
    〈杉山卓男さんのトーク〉
    =布川事件冤罪被告人が語る冤罪のカラクリ=
    お申し込みは、03(3208)0241へ。(河出書房新社より発売中の『冤罪放浪記』を買った人、又は参加費1000円を払った人に整理券を渡すそうです)
     〈私と対談の予定でしたが、変更になり、杉山さんの講演会となりました〉
  3. 12月19日(木)〜22日(日)、「笑の内閣」の衝撃のお芝居「ツレがウヨになりまして」の東京公演が行われます。こまばアゴラ劇場です。これは必見です。時代を見越してます。
  4. 12月28日(土)から30日(月)野村秋介さんの闘いを描いた演劇が上演されます。演劇の後、いろんな人たちがトークショーをやる予定です。私もトークに出ます。
    〈野村秋介自決20年。本多菊雄独り芝居〉
    =流るる雲の如く、駆け抜ける阿修羅の如く、野村秋介という生き様=
    場所は、明大前、キッド・アイラック・アート・ホール。チケットの申込みはTEL070(5029)9622へ。