来年は、ここが日本の中心になる。兵庫県姫路市だ。来年の大河ドラマ「黒田官兵衛」だ。ここが舞台だ。
その姫路市の中心で、「黒田官兵衛を語る」集いが行われた。超満員だった。
それに、改修中の姫路城のすぐ前だ。
講師の後ろには姫路城が見える。聴衆は、城と講師を同時に見ながら、話を聞ける。
そして「黒田官兵衛の世界」に入って、当時の話を聞き、さらに、官兵衛なら、今の難局をどう解決しただろうか。を考えた。
贅沢な勉強の場であり、スリリングな知的空間が現出したのだ。
12月11日(水)だ。この歴史的イベントが行われた。「第1回飛松塾in姫路」だ。
テレビで大活躍している飛松五男さんが、憂国の至情やみがたく、日本を考え、日本を変えるための塾を開講した。
〈文化、政治、宗教、経済…。姫路から日本・世界へ発信!〉。
これが「飛松塾」の主旨だ。第1回目のテーマは、軍師・黒田官兵衛。
〈2014年、NHK大河ドラマは「黒田官兵衛」。官兵衛なら日本をどう変えるか〉。
場所は、姫路城のまん前、大手前第一ビル4Fだ。
第1回のゲストは作家の柳谷郁子さん。名著『官兵衛さんの大きな夢』(神戸新聞総合出版センター)を書いた人だ。
素晴らしい絵本だ。姫路市小学校4年生以下の副読本となった。又、大河ドラマ、官兵衛ブームの火付け役にもなった。
来年の大河ドラマを語り、「今、官兵衛が生きていたら」を語るのに最もふさわしい人だ。
そして、「飛松塾」のレギュラーゲストは私だ。呼んでもらってありがたい。
この日に備え、勉強してきた。
そして塾長の飛松さん。午後2時開始。前半は、この3人が各々語り、第2部は3人によるディスカッション。そして会場の皆との質疑応答。熱い討論が展開された。
終わって、駅前の居酒屋で二次会。時間を忘れて語り合いました。
「あっ、いけない。乗り遅れる」と、9時近くに、駅に走り、最終の新幹線で東京に帰りました。
慌ただしく、忙しい一日。でも、こんなに充実し、勉強になった一日もない。
「なぜ今、官兵衛なのか」少し分かった気がした。
愛国心、〈国益〉をめぐり、国中が湧き立ち、ヒステリックになり、騒然となっている。今だからこそ官兵衛の冷静な知恵と合理主義、優しさ、信仰に学ぶべきだろう。
今、「官兵衛」についての本は何十冊と出ている。本屋に行ってみたらいい。新書だけでも10冊以上が出ている。
「単行本と合わせたら100冊以上が出ています」と柳谷さんは言う。一つの本棚が一杯になる位だという。それだけの本を全て読破したのだ。
今回のゼミのために、私は柳谷さんの本をまず第一に読んだ。分かりやすいし、感動的な本だ。それから、新書を何冊か読んだ。
そして、現代書館から出たばかりの林洋海の『キリシタン武将 黒田官兵衛』を読んだ。
さらに、司馬遼太郎の『播磨灘物語』(1〜4巻。講談社文庫)を読んだ。4巻もあるので、かなり時間がかかったが、ファミレス、山手線などで読んだ。
昔、読んだが、今回、読み直して気が付いたことがある。
一つは、「キリスト教」だ。
戦国時代において、殺戮、裏切り、騙し合いは日常的だ。官兵衛も「軍師」といわれ、数々の作戦を考え、実行に移す。
しかし、人間としては、非常に誠実だ。奥さんも1人だけだ。
又、「敵をも許す」心を持っている。
こんな人は、この当時、他にいない。それはキリスト教の影響なのか。そう書いている本もある。又、そう考えると「納得がゆく」。
しかし、「それは違うでしょう」と柳谷さんは言う。
又、ほとんどの人は情や恩義で同盟関係を考えていた時に、官兵衛は、広い視野を持って、日本を見、誰が日本を平定し、まとめるかを見抜く。
そして、信長、秀吉に賭けて、藩を説得する。司馬は言う。
〈官兵衛は信長に新時代が出現しつつあるというまぶしさを感じていた。「だからこそ織田家を選んだ」のだ〉
そして、奇策を使い、謀略を使いながら、人間的には誠実で、敬虔で、ストイックだ。当時、こんな人は他にいない。
『播磨灘物語』の帯にはこう書かれている。
〈官兵衛には、おかしいほどに欲得とか栄達欲とかいうものはほとんど見られない。身を自由にし、当人が嗜好する芸をこの世でやってみたかっただけだということは、かれの晩年の姿を見ても想像がつく。水の如しなどと称したこの男は、人生など水の上に描いた絵のようなものだと思っていたのではないか〉
官兵衛は後、黒田如水と名乗った。人生など水の如し、人の交わりも水の如く清らかに、と思ったのだろう。人間の一生なんて水の上に描いた絵のようだと思ったのかもしれない。
圧倒的に多くの人の人生は、その通りだ。しかし、官兵衛の人生は、水に描かれた絵ではない。多くの人が活字にして記録している。今、NHKの大河ドラマにもなる。
官兵衛は信長こそが天下を統一すると見抜き、藩論をまとめて、信長方につく。
先祖がやっていた目薬売りや、あるいは寺社の人々から全国の様子を聞き、情報を得ていたからだという。
信長に官兵衛を取り次いでくれたのは荒木村重だが、村重は信長に謀反を起こし毛利につく。
村重を翻意させるべく伊丹を訪れた官兵衛は、囚われてしまう。
消息の途絶えた官兵衛を「裏切った」と錯覚し、信長は子の松寿丸を殺せと命じる。官兵衛、最大の危機だ。
それに、村重を説得に行く前に、官兵衛の主君の小寺藤兵衛は、村重に手紙を出す。「官兵衛が着き次第、殺してくれ」と。
小寺は官兵衛に言われ信長についたものの、不安でたまらない。毛利の力が怖い。
又、信長は残忍で情がない。小寺も、毛利につこうとしていたのだ。そのためには、「邪魔になる官兵衛を殺してくれ!」と頼んだのだ。
村重もここまでは出来ず、牢に入れておく。官兵衛は、ここで体を壊し、足にも大きな障害を負う。
1年以上牢に入れられ、やっと救出された。村重が打ち破られ、やっと牢から出る。
しかし、全く歩けないほど体は衰弱していた。
そのあと、官兵衛は信長、秀吉を助け、数々の作戦を立て、2人を「天下人」にする。
ここで考えてみる。自分を1年以上も牢に入れた荒木村重。荒木に「殺してくれ!」と言った小寺。
これらの人々は逃げ回り、零落し、流浪する。
そして、何と官兵衛を頼ってくる。
普通なら、「憎っくき人間」だ。即座に殺している。しかし、官兵衛は、許し、手厚く遇している。
一体これは何だろう。どうして、そんなことが出来るのだろう。今なら、「倍返し」「百倍返し」をする。又、官兵衛は、それだけの仕打ちを受けたのだ。
旧主・小寺藤兵衛は、「殺してくれ」と村重に手紙を送った。だが、官兵衛は恨まない。司馬は書く。
〈この男はつねに、物事を、表と裏や前後左右から見てしまうために、藤兵衛への絶対的な怨恨というものが、心の中で成立しにくいのである〉
あんなに仕えたのに、あんなに藩のことを思って命懸けで働いたのに。
でも旧主・小寺藤兵衛は官兵衛を捨てる。
〈藤兵衛は官兵衛をして伊丹に使いにゆかせ、荒木村重に殺させようとした。その結果が、いまの板輿の上にのっているこの姿になり果てている〉
自分の力では歩けない。板輿の上に乗って、運んでもらう。恨み骨髄のはずだ。
しかし、恨まない。
〈それでも官兵衛が恨まないのは、藤兵衛という人柄がどうにもならぬほどに自己本位で、そのためもあって物事に対する目が見えない。そういう藤兵衛を憐れむ気持ちのほうが、つい先に立ってしまうからである〉
そうか、「憐れみ」か。しかし、こんな、気持ちになれる人は、滅多にいない。
いや、官兵衛以外、誰もいないだろう。「敵をも許す」キリスト教の思想があったからか。とつい考えてしまう。
又、小寺に「殺してくれ」と言われた荒木村重も苦しむ。殺せない。
とりあえず牢に入れる。自らは会いに行かないが、接触する加藤又左右衛門にこう言う。
「シメオン殿は、お達者か」
村重が官兵衛を、この洗礼名で呼んだことの意味は大きいと司馬は言う。その中に「決して殺さない」という暗喩が秘められている、と。
村重はかつて部下である高槻城主・高山右近が織田方に寝返った時も、右近から預かっている人質を殺さなかった。
〈村重はまだ洗礼こそうけていないが、このあたらしい宗門の教義に傾倒しており、かねがね右近や官兵衛に対して同信の友のつもりである〉
だから、洗礼名で呼び、そのことで、「殺さない」と伝えたのだという。
他にもキリシタン大名は出てくるし、又、キリシタン大名同士の全国的ネットワークの話も出てくる。
私らが考えるよりも、その〈絆〉は広く、強かったのだろう。
こう見てくると、キリスト教の影響を感じる。私はかつてミッションの高校に行っていたから、特にそう思うのかもしれない。
先ほど紹介した林洋海の『キリシタン武将 黒田官兵衛』(現代書館)のサブタイトルは、「秀吉と家康から怖れられた知将」と書かれている。
そして本の帯には、こう書かれている。
〈信長の覇権を見抜き、秀吉を唆(そそのか)し、家康に与し、九州にキリシタン王国の壮大な設計図を描いた男の物語〉
それほどキリスト教に影響を受けていたのか。
それに、官兵衛は生涯、側室を持たなかった。奥方の光姫(てるひめ)1人だけを愛した。そして一子、長政をもうけた。
しかし、当時の武将なら、これでは少ない。何人も側室を持ち、子供を持たないと「危ない」。家の存続を第一に考えるとそうなる。周りも側室を勧めたが、官兵衛は頑として受けない。
そして、光姫だけを愛した。
ところが、光姫は、キリスト教の洗礼を受けない。官兵衛も勧めない。
普通なら、光姫は入信するだろう。だって、他の武将は皆、側室を持っている。
それなのに官兵衛は側室を持たず、自分1人を愛してくれている。それはキリスト教の教えによるという。
だったら、そんなありがたい教えに入信するのではないか。
ところが光姫は入信しない。仏教を厚く信じている。これは何なんだろう。
柳谷さんは、「官兵衛、光姫」の気持ちは、そんな切羽詰まったものではなかった。だから光姫も「キリスト教に恩義」を感じてなかったと言う。
「それよりも官兵衛はマザコンだったんだと思います」と柳谷さん。
官兵衛13才の時に、母は亡くなっている。そして「結婚した光姫は母に似ていたのではないか」と柳谷さんは言う。
又、「敵をも許す」愛の心も、キリスト教の影響もあっただろうが、それ以前に、おじいさん、父の教育、家の雰囲気…などが大きく、
それが「官兵衛」という人間を作ったのではないか。と言います。
柳谷さんの本『官兵衛さんの大きな夢』を読んでも、そのことを感じます。
光姫は官兵衛に言います。「どうか戦いのない、よい世の中にしてください」と。
官兵衛は答えます。
「それこそが、わたしの夢なのだ。だが、今のわたしには、残念ながらその力がない。それを成し遂げられるのは、たった一人、信長さまだけにちがいない」
そして、平和な世の中を作るために命を賭けます。
昔ながらの武将のように、「義」や「恩情」のために戦うのではない。そのために、国がさらに混乱し、多くの人が亡くなっては大変だ。本当に天下をとれる人を見きわめ、そこにつく。
それによって、藩の農民商人たちが安心して暮らせるようにする。
だから、〈平和〉を求める。知将、軍師としてのリアリズムを感じる。合理主義を感じる。
又、「個人的な恨み」を晴らそうとは思わない。この人たちも他に道がなかったのだろう。可哀想に、と、憐れむのだ。
もしかしたら、飛松さんのような人かもしれない。
飛松さんは昔は、泣く子も黙る刑事だ。ところが、辞めてからは、人々の相談に乗り、事件を調べ、あるいは未然に防いでいる。
私は数年前、「たかじんのそこまで言って委員会」で知り合った。元刑事だということで、いろんなことを聞いた。
又、私の方では、いろんな人を紹介した。元赤軍、元連合赤軍の人々。そして、右翼武闘派だ。
いくら警察を辞めたからといって、普通は、「反社会勢力」の人々と会おうとは思わない。
だが、飛松さんは会う。そして、意気投合する。こういう人たちの話は、警察官にこそ聞かせたいという。
「敵」をも認める、話し合いが出来る、広い視野を持った官兵衛と同じだ、と思った。これから「飛松塾」は何を仕掛けるのか。楽しみだ。
〈文化、政治、宗教、経済…。姫路から日本・世界へ発信〉
第1回目のこの日は、「黒田官兵衛を語る」。=2014年大河ドラマは「軍師・官兵衛」!官兵衛なら日本をどう変えるか=
午後2時開始。飛松五男さんが挨拶。開講の目的を話す。
そして私が挨拶。柳谷さんの本や司馬遼太郎の本を読んで、官兵衛についての勉強をしている。
なぜ、あれだけの人間がここ姫路に生まれたのか。今、生きていたら何をするのか。お二人に聞いて考えたいと言いました。
それから、今日のゲストの柳谷郁子さんが講演。早大出身の作家で、絵本『官兵衛さんの大きな夢』は姫路市小学校4年以下の副読本となった。来年の大河ドラマのキッカケにもなった。又、『望郷―姫路広畑俘虜収容所通譯日記』(鳥影社)など著書多数。
なぜ官兵衛に惹かれ、研究してきたか。を詳しく語ってくれた。それから休憩し、3時20分から第2部。
第2部は、3人によるディスカッション。「尖閣、竹島、北方領土問題を黒田官兵衛ならどう対処するか」。熱の入った討論が行われました。質問も活発に出ました。
終わって、駅前の居酒屋で打ち上げ。ついつい、話し込み、飲み過ぎてしまいました。
そして、最終の新幹線で東京へ。
その中で、イルカ保護運動をやってる人と知り合った。利島でイルカと泳いだこともあった。
この日のシンポジウムは、小野塚春吉さんの講演「海の汚染とイルカたち」。そして映像があり、辺見栄さん、渡辺仁史さん、坂野正人さんとのパネルディスカッション「イルカと人との共生について」。
③飛松さんが開催の挨拶をし、その後、「黒田官兵衛について」、私が少し話し、そして、柳谷さんの講演。そのあとの休憩時間です。
このあと、3人のディスカッションがありました。〈尖閣、竹島、北方領土問題は黒田官兵衛ならどう対処するか〉。
3人の後ろに改修中の姫路城が見えます。来年の春には出来上がります。桜に囲まれていますし、大河ドラマは1月から始まります。全国からドッと人が来るでしょう。
⑤一水会副代表の番家誠氏も駆け付けてくれました。岡山から。
1月18日(土)、「岡山一水会30周年大会をやります。木村さん、鈴木さんの講演もあります」と言ってました。姫路からは近いから、行ってみて下さい。
⑭この日のゲストは、サウジアラビア王国特命全権大使のアブドゥルアジーズ・トルキスターニさん。昔、早稲田に留学していたそうで、日本語で挨拶しました。
サウジは決して石油とアラビアンナイトだけの国ではない。日本の儒教・武士道精神に学んで国造りをしています、と言います。知らない話が多く、驚きました。とても親日的な国だ。
〈学生時代は、山手線に乗って、「高田のジジイ」じゃなかった「高田のババア」で降りてました〉。
面白いことを言う。日本語も流暢です。
⑯サウジ大使を囲んで。鈴木、木村三浩氏、中村明彦さんと。
「私も早稲田です」と言ったら、「おっ、先輩!」と言われました。
私らが学生の頃は、「高田のジジイ」からバスで大学に行き、帰りは馬場まで歩きました。それを「ありババ」と言いました。と言ったら、知っていた。
そうか。もしかしたら、アリババだから、大使が初めに言い出したのかもしれない。
⑳和田春樹さんと。和田さんのことは、「左翼だから敵だ」と昔は思ってました。初めて会ったのは、小田実さんの葬儀(青山葬儀所)の時でした。そのまま、一緒にデモに行きました。それから、親しくなり、いろいろ教えてもらっています。
㉑12月7日(土)銀座・資生堂ギャラリーで「森村泰昌展・ベラスケス頌:侍女たちは夜に甦る」を見て、その後、午後2時から資生堂新館で、森村さんと荒木経惟さんのトークを聞く。
トークの後、森村さんと。森村さんは三島由紀夫になり切って演説をやり、写真、映像でも発表している。又、毛沢東、ゲバラなど世界中の巨人たちに扮してアートにしている。私は、以前、『美術手帖』で対談しました。
㉒天才アラーキー。荒木経惟さんと。「写真」じゃなく、もう「写神」になった、と言ってました。
お父さんはゲタ屋さんで、店の看板に大きなゲタを掲げてました。トークの時に、その写真が出てました。「家の商売が役に立ちましたか」「立ったよ。こうして地に足を着けて写真を撮ってる」。
見沢知廉氏の写真はとてもよかった。彼も大好きで、あの写真ばかり使ってる。私らも、見沢といえば、あの写真を思い出し、使ってる。ありがとうございました、とお礼を言いました。