坂本龍一さんとJ-WAVEの「Radio SAKAMOTO」で対談した。12月22日(日)だ。
冒頭、「1月末に鈴木邦男さんとの対談本が出ます」と紹介してくれた。ありがたいです。
本のタイトルも凄い。『愛国者の憂鬱』だ。出版は(株)金曜日だ。「週刊金曜日」を出してる出版社だ。内容にピッタリのタイトルだ。
原発、憲法、防衛…など今の「日本」について語った。と同時に、それを語る時の覚悟、憂い、怒り、矛盾…などについても語った。
単純な〈愛国〉書ではない。「憂鬱」があるし、「苦悩」があるんだ、〈愛国〉を語ることには。
「世界のサカモト」の胸を借りて、話をしたし、疑問をぶつけた。
『愛国者の憂鬱』というタイトルは、実は坂本さんが考えてくれた。
タイトル案はいくつかあったが、あまりいいのがなかった。それで坂本さん自らが考えてくれたのが、『愛国者の憂鬱』だ。なかなかいい。
それに驚いたが、実は、高橋和巳が念頭にあったという。あっ、そうか。高橋和巳の『憂鬱なる党派』か。こりゃ、凄い。と思った。
高橋和巳は作家で、思想家だった。京大助教授だった。カリスマだった。三島由紀夫と並ぶ、文学・思想の巨人だった。
以前、「週刊金曜日」にその2人について書いた。「シリーズ・70年代」で、このシリーズはまとまって単行本になった。『70年代』(金曜日)だ。
私の文もそこに収められている。〈三島由紀夫と高橋和巳。学ぶべきものはすべてこの二人に学んだ〉だ。
三島由紀夫は1970年に自決した。
高橋和巳は翌1971年に病死している。
1972年に連合赤軍事件が起こり、「これが左翼運動の結果だ!」「革命なんて考えるから最後は“仲間殺し”になるんだ」…と断罪され、罵倒され、左翼は潰れた。
政治家、作家、ジャーナリストたちも、この「左翼バッシング」の激流に流された。
誰も抵抗出来ない。革命を求めて立ち上がった若者の夢も希望も熱情も、「全て」が否定された。
結果としての「失敗」だけでなく、学生が立ち上がったよき面での動機も夢も希望も、一緒に否定された。
『70年代』の表紙には、〈若者が「若者」だった時代〉と書かれている。
特に、1972年の連赤事件以降、若者は〈革命〉を取り上げられ、夢や希望も失った。
「若者」はいなくなったのだろう。
時流に逆らい、異を唱えるジャーナリストも作家も、この激流に流された。「左翼は悪い!」「こんなものは、日本に必要ない!」の大合唱だ。
そして、躍動する日本、若い日本は終わった。あとは無機質、無感動な〈日本〉だ。日本の余生だ。
「あの時、高橋和巳や三島由紀夫が生きていたら、もっと別なことを言ってくれたはずだ。連赤を否定しながらも、別な再生の道を指し示してくれたはずだ」と植垣康博さん(元連合赤軍兵士)は言っていた。
本当にその通りだと思う。ただ、あの時は、激流に流されるだけの知識人、作家しかいなかった。「二人の不在」は余りにも大きいし、日本にとっての最大の痛手だった。
坂本龍一さんと初めて対談した時、このことを言った。「そうです。時代を代表し、時代を動かす人がいたんです」と坂本さんは言う。
今年の1月6日(日)だった。NHK大河ドラマ「八重の桜」の第1回放送の日だった。夕方だった。
「皆さんはまだでしょうが、私は、第1回の放送をもう見ました」と言っていた。「八重の桜」のテーマ音楽を坂本さんが担当してたのだ。
12月22日(日)、坂本さんと対談しながら、八重の話もした。
私は、春には会津若松に行った。突然の大雪で、「雪に桜」の珍しい光景を見た。
日本中は、今年は「八重の桜」の1年だった。私にとっては、「坂本龍一イヤー」だった。
何度も坂本さんと対談し、坂本さんの本を手に入るだけ読み、坂本さんが企画する展示会、音楽会に行った。「八重の桜」も見て、会津若松にも行った。
坂本さんの第1回の対談の時だ。「その時代を代表し、時代を変える知性がいたんです」と坂本さんは言った。
その言葉だ。高橋和巳と三島由紀夫だ。この2人に私は「全て」を学んだと思っている。
それに、驚くべきことに、この2人を「作った」のは坂本さんのお父さんなのだ。そして、小田実も作った。
「面倒を見た」とか「育てた」とか、それ以上だ。「作った」と言っていい。
坂本さんのお父さんは河出書房の編集者だった。まだブレークする前の三島、高橋に目をかけ、育てた。
2人は坂本さんの家にも、よく遊びに来た。幼い龍一少年とも遊んでくれた。この2人に龍一さんは大きな影響を受けた。
又、小田実も遊びに来ていて、小田に話を聞いて、海外への目が開けた。
坂本さんが、世界に出て活躍するようになったのは、小田実に会ったせいかもしれない、と言う。
三島由紀夫はまだ大蔵省に勤めていた。「大蔵省を辞めて作家に専念した方がいい」とお父さんは言った。
高橋和巳については、学生運動家との距離をもう少し取った方がいいとアドバイスした。
あまりにドップリと付き合い、のめり込んだらいい作品を書けない。そのことをアドバイスした。
又、小田実には、「世界を旅して、それを本にしてみろ」と言って、ポンと旅費を与えたという。
これも驚きだ。世界を放浪してきた若者を偶然見つけ、その体験を書かせたのだと思っていたが。ところが違っていた。
プランを考え、大金を都合して渡し、そして、海外に行かせたのだ。もし、モノにならなかったら大変だ。そっちの方が「大冒険」だ。
今まで語られなかったそんな話を随分と聞いた。
又、「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」に出演した時の話を聞いた。
坂本さんは甘粕に扮し、中国で撮影した時は、夜中に、日本軍人が現れたという。鬼気迫る物語も聞いた。
又、音楽の話も沢山聞いた。坂本教授にシロウトが質問するんだ。どうせシロウトなんだし、思い切って質問した。
「言葉と音楽は、どちらが先に発生したんですか」「世界音楽というのはあるんですか」「音楽は人々を平和にしますか」「又、音楽は人々を闘いにも駆り立てます。音楽の本質は何ですか」「なぜ、この世に音楽は必要なんですか」…と。
あまりにも初歩的・原初的な質問なので坂本さんも戸惑っただろうが、キチンと答えてくれた。
なるほど、と思い、さらに質問する。混沌とした思考が、世界が、整理され、はっきり見えてくるような気がした。
今年1年かけて、「坂本学校」で教わったことは多い。こんな素晴らしい場を与えてくれた「週刊金曜日」に感謝したい。それに、担当してくれた赤岩さん。本当にありがとうございました。
そうだ。この対談本が出来たのは、赤岩さんの一言、赤岩さんの行動のおかげだ。
去年、官邸前の脱原発デモに何回か行った。そこで、坂本龍一さんを見かけた。
たった1人で、普通の労働者ルックでいるから誰も気がつかない。傍にいた人が、紹介してくれた。
僕のことなんて知らないと思っていたら、「あっ、鈴木さん。会いたいと思ってたんですよ」と言う。
マサカ!と思った。「世界のサカモト」からそう言われ、舞い上がって、「週刊金曜日」に行った時も、その話をした。
そしたら赤岩さんが、「じゃ、うちで対談してもらいましょう」と言う。
「そんな、無理だよ」と私は言った。「何を考えてるんだ、この人は」と思った。
世界的なミュージシャンだ。会えただけで十分だ。
「いや、ダメで元々です。連絡をとってみましょう」と赤岩さんは言う。
この人は、ファイトのかたまりだ。いろいろ調べて、ニューヨークの坂本さんに連絡をつけた。
そしたら何と、「いいですよ。私も鈴木さんとは話してみたい」という返事だった。
それで今年の1月6日(日)に「週刊金曜日」で対談した。さらに何回か対談し、12月22日(日)はJ-WAVEで対談した。
だから今年は、「坂本龍一イヤー」だと言ったのだ。
坂本さんとの対談の中で、憲法、日米関係、防衛、戦争と平和…などの政治的なことから、音楽、文学の話をした。
又、〈宗教〉についてもかなり語り合った。坂本さんの本の中でも、多分、初めてだろう。
坂本さんがテーマ音楽を担当した「八重の桜」も、隠された主題はキリスト教だ。
又、来年始まるNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」のテーマも(実は)キリスト教だ。
黒田官兵衛とキリスト教については12月11日(水)、姫路で話をした。官兵衛は、軍師として戦略を練り、大胆な作戦、奇策を考え出し、実行した。
しかし、個人的には、誠実で、ストイックで、人を騙すこともなかった。血なまぐさい争いを好まず、〈平和〉を求めて、尽力した。
又、側室を持たず、ただ1人の奥方を愛した。珍しい人間だ、若くして、キリスト教に触れ、入信した。当時、数少ない「キリシタン武将」だった。
ただ、キリスト教に触れて、誠実、ストイック、奥方一筋になったのではない。
元々、そうした生真面目な性格だったからこそ、キリスト教に関心を持ち、入信したのだろう。
司馬遼太郎の『播磨灘物語』にも、キリスト教との関係については詳しく書かれている。
又、姫路でも柳谷郁子さん(作家)から、詳しく聞いた。
「八重の桜」の新島八重もキリスト教に入信した。夫の新島襄の影響だ。
元々は、八重は会津若松で、スペンサー銃を手に取って、薩長軍(官軍)と戦った。
会津は負けた。その後、苦労して生き、後に、新島襄と結婚する。
新島は、いわば官軍側の人間だ。それが、「賊軍の娘」と結婚する。
新島はアメリカから帰ってきて、同志社大学を創る。〈仲間〉という意味の「同志」だ。神の前の平等な同志を考えたのだろう。
大学で問題があった時、新島は、問題を起こしたその生徒たちを叱らなかった。初めから許している。
「そんな事が起きるのは校長である私の責任だ。責任は全て私にある」といって、自分で自分を罰する。自分の杖(つえ)で、自分の体を打ったのだ。何度も、何度も。
生徒たちは、「先生、お願いです。もうやめて下さい。私たちが悪いのです」と言って、しがみついて泣いた。
感動的な話だ。大河ドラマでもそのシーンをやっていた。杖(じょう)で襄(じょー)を殴ったのだ。
その杖は、今も同志社大学の博物館の中に展示されているという。ぜひ、見に行きたい。
会津八一という人がいる。作家、詩人、教育者として有名だ。
私は「会津八一記念館」に去年行った。小島直記の本を読んでたら、会津八一のエピソードが書かれていた。
会津が学校の校長をしてた時、ある生徒が用務員さん(小使いさん)に、いじめられ、「お前の母ちゃんはまま母(義母)か」とからかわれた。
その話を聞いて、会津は生徒に謝った。そして、「これは私の責任だ。だから私を殴りなさい」と言って、生徒に自分を殴らせた。
凄い話だ。他人のせいにしない。自分の問題として考える。これでは、「いじめ」も「体罰」も起きない。
ここで連合赤軍事件のことを考えた。理想の革命家、完全なる革命家をつくろうと思い、毎日、討議し、総括する。
「私が悪かった」と反省する者に対しては、「じゃ、自分で自分を殴れ!」とリーダーの森や永田は命じる。
「自分で自分を殴る」というのは「自発的」ならば立派だ。新島襄や会津八一と同じだ。
ところが、連合赤軍は、そこを超える。いや、そこから逸脱し、暴走するのだ。他人によって、強制されたからだ。
若松孝二監督の映画「実録連合赤軍」にも出ていたが、革命家として未熟だと自覚した人間は、その罰として、自分で自分を殴る。
周りの人間は、掛け声をかける。「よし、よし、もっとやれ!」「何だそれだけで終わりか」…と。
自分でやってみたら分かるが、自分で自分を殴るのは難しい。なかなか、力が入らない。
そうすると、「何だ、手加減するな!」「それでは総括にならない!」と声が上がる。
自分は革命家として未熟だと「総括」した。その総括を体で表すために、自分で自分を殴った。
でも、うまくいかない。じゃ、お前の「総括」を俺たちが手助けしてやろうという発想が生まれる。「援助総括」だ。
自分で自分を殴るだけの「総括」では、力が入らない。甘えがある。だから、そこにいる他の人たちが「総括」を援助してやる。
何のことはない。その人を周りの人間たちが殴るのだ。思い切り殴る。
兄弟で参加した人もいた。加藤三兄弟だ。一番上の兄が、総括を迫られ、皆は、殴った。「援助総括」をしたのだ。
二番目の兄、弟も、殴らされた。「兄さん、キチンと総括してよ!」と言って、泣きながら殴った。
「初めの動機」は、新島襄や会津八一と同じような「愛」「自己批判」から始まっていたが、でも暴走し、怪我をさせ、殺してしまう。
もしかしたら、〈愛〉は怖いのかもしれない。
「こんな奴は嫌いだ」と思ったら、避ければいい。会わないようにすればいい。「お友達リスト」に線を引いて、消去したらいい。
ところが、「愛」ならば終わらない。続く。あきらめない。
「この女を幸せに出来るのは自分しかない」と思う。それなのに他の男に走った。いけない。止めなければ!と思う。力尽くでも止めて、自分のもとに置こうとする。
でも、女性の心はとっくに離れている。「それは間違っている」「目を覚ませ!」と言って女を責める。
言っても分からない時は、「援助総括」をする。首を絞める。
いっそ、あの世に2人で行って、そこで生きようと思う。誰も邪魔する者のいないあの世に行って、自分たちの愛を全うしようとする。そして殺す。
そんなことは私にもあった。(あっ、いけない。犯罪告白になっちゃった)。でも、首に手をかけたところで、ハッと我に返った。だから殺してはいない。私の「愛」から逃れた女性は、今もどこかで生きているだろう。
だから、「愛」は怖いですよ。と坂本さんと話をした。
今、住んでいるこの国に対してだって、関心もなく、愛もなかったら、普通に生きていける。
ところが、この国への愛を持ち、それがエスカレートすると、それだけで他国の人を殺すことにもなる。戦争だ。「愛国心」があるから人も躊躇なく殺せる。
愛は、時に執着し、暴走し、殺人をも犯させる。だから怖い。愛を客観視し、〈寛容さ〉を持たなくてはならない。
「それと、〈正義〉ですね。怖いのは」と坂本さんは言う。
そうだな。20代の若僧のくせに、右翼思想や左翼思想に触れ、「これが絶対だ」と思う。それを信じ切って運動をする。
それの分からない奴は、暴力でもって教えてやる。時には〈援助〉して殺してやる。「援助総括」をする。そして殺人も犯すことになる。
「だから、愛と正義ですね。この世で一番怖いのは」という話になって、じゃ、次はそれをテーマに話をして、本を作りましょうよ、と私は言った。来年のテーマは、『こわい話。愛と正義』だ。
じゃ、年末に、本を読みまくり、しっかり勉強しておかなくては…。と思いました。ては、いいお年を。
あっ、今、upしようとしたら、本が届いた。「鈴木邦男ゼミin西宮」特集号の第3弾だ。『錯乱の時代を生き抜く思想・未来を切り拓く言葉』(鹿砦社)だ。本は厚いし、内容も濃い。私も必死で頑張った。ゲストがいい。次の6人だ。上祐史浩さん。神田香織さん。湯浅誠さん。前田日明さん。青木理さん。内田樹さん。1月20日発売だ。ともかく凄い本だ。詳しくは来週、報告しよう。
午後7時から2時間。鳥越俊太郎さん、小島慶子さんが司会。吉永みち子さんとは久しぶりに会った。藤井聡さん、川村晃司さんとは、よく会っている。飯田泰之、小幡績さんとは初対面。
この日、突然、安倍首相が靖国神社に参拝し、その話でかなり激論した。それから、「2014年。飛躍への条件」を皆で考えた。
終わってから、川村さんと一緒に「マガ9」の忘年会に行く。中華料理店を借り切ってやっていた。
中島岳志さんも来ていた。「よく会いますね」。「月刊 中島岳志」。四日市の森田必勝氏追悼の集会など、よく会っている。
他、東京新聞はじめ、メディアの人も多い。本間龍さん(作家)とも久しぶりに会った。又、本を作りたいですね。映画「フォンターナ広場」の配給会社の人も来てました。盛り上がってました。
孫崎さんとの対談のあとは、急いで明大前のキッド・アイラック・アート・ホールに行く。本多菊雄独り芝居「野村秋介という生き様=流るる雲の如く。駆け抜ける修羅の如く」を見る。素晴らしい舞台でした。泣いてる人もいました。
大阪の下中さんたちも見に来てました。満員でした。
芝居のあと、本多氏と私と椎野レーニンさんのアフタートーク。自決から20年。野村さんの壮絶な生き方、死に方について語り合いました。終わって、飲みました。
①坂本龍一さんと。J-WAVE「RADIO SAKAMOTO」で。この日は収録で、1月5日(日)の夜12時から2時に放送されます。1月末には、坂本さんと私の対談『愛国者の憂鬱』(金曜日)が発売されます。
②フォンターナ広場・イタリアの陰謀」が12月21日(土)から公開で。この日、公開記念トークが行われました。シネマート新宿です。
12時55分の回のあと、3時15分から30分です。(左から)朝日新聞記者の諸永裕司さん(『葬られた夏=追跡下山事件』の著者)。鈴木。森達也さん。実は、諸永さんと森さんは下山事件について一緒に取材し、一緒に本を出す予定でした。
ところが、意見が分かれ、喧嘩してしまい、2人は別々に本を出した。その後、仲直りしたそうですが、又、記憶がフラッシュバックして乱闘になるかもしれない。それで私が間に入って、「イザ」という時に備えたわけです。こんな緊迫したトークは前にもあったよな。そうだ。上祐さんと徐さんの時だ。
⑥「フォンターナ広場=イタリアの陰謀」。ともかく凄い映画でした。現代史を見る眼が変わりました。ぜひ見て下さい。見て、つまらなかったと思う人がいたら、私が映画代を返します。それだけ自信を持って薦められる映画です。
⑨「次は雨宮さんを主役にして芝居をしたらいい!」と私は言いました。「ツレがウヨになりまして」の女性バージョンだ。自分の体験だから、やれるでしょう。国を憂えて、最後は割腹ですな。いや、「怒りのヌード」というのもいい。私が脚本を書きます。
㉒「墓マイラー」というのでしょうか。私もやってみました。亡くなった偉い人たちを訪ね、インタビューしました。初めての人が多く、多くを語ってくれませんでした。12月24日(火)です。クリスマスに、こんなことをしてたんですね、私は。4時間も取材しました。
㉔右に作家の本間龍さんがいます。元博報堂で、私とも対談本を出してます。
左の2人は、映画関係の人だそうです。きっと女優さんでしょう。あとで聞いたら、「フォンターナ広場」の配給会社の人だそうです。「よく女優に間違われます」と言ってました。
㉕中島岳志さんも来てました。わざわざ札幌から。11月23日は四日市まで来てくれました。ありがたいですね。血盟団、朝日平吾、秋葉原事件…と、「煩悶青年」のことを書いてます。
しかし、北大准教授で、若くて、イケメンで、人気作家なのに、どうして、「煩悶青年」の気持ちが分かるんだろう。「家庭がうまくいってないんですか? 奥さんに苛められてるとか?」と聞いたら、「そんなことはありません。家庭円満、ラブラブです」と言ってました。「じゃ、何故?」「高校、大学の学生時代は、悶々として苦しみ、煩悶してたんです。その頃を思い出して書いてるんです」「そうでしたか。すみません。深読みして」と謝りました。