明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
2014年(平成26年)が始まりますね。ウマ年なんですね。そういえば、大晦日、電車の中で馬の仮面を被った若者を見ました。
元旦、年賀状も沢山頂きました。今年は失礼してしまいました。「正月は年賀状を書くもんだ」ということも全く忘れていました。
年末ではなく、普通の月末気分でした。仕事に追われていました。それだけ仕事があることが、ありがたいです。能力がなくて、仕事が遅いこともありますが…。
年末3日間で、サプライズがありました。
12月29日(日)、鹿砦社から西宮ゼミの報告集(vol.3)が届きました。素晴らしい出来です。1月10日発売だそうです。
翌、30日(月)、友人からメールがありました。「今日の朝日新聞の“天声人語”に鈴木さんのことが出てるよ」と。
慌てて、近くのサンクスに行って買いました。本当でした。驚きました。
そして、31日(火)。〆切の迫った原稿の参考資料を集めていて、新宿の紀伊国屋書店に行きました。
そこで、田中卓先生の本を見つけました。それも新書です。
私も随分と教えてもらっている大先生です。もう90才近い大先生です。
それなのに、新書です。おっ、凄い、と思いました。タイトルも凄い。
『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか=女性皇太子の誕生=』(幻冬舎新書)です。ズバリと直球で勝負しています。
田中先生は、女帝公認論です。でも、世の「絶対男系男子」論者からは総攻撃を受けています。それに対し、キチンと答えています。〈女帝論議〉への決定打だと思います。買って、近くの喫茶店「ルノアール」に入り、読み耽ってしまいました。
そうだ。この年末の3大事件について書こうと思ったのだ。
29日の「西宮ゼミ」の報告集。30日の「天声人語」。31日の田中卓先生の本。
まず、この田中先生の本について書こう。
新書といい、タイトルといい、思い切って柔らかくしている。
エッ、先生はこういう本も書かれるのか、と驚いた。
勿論、中味は真面目だし、実に説得力がある。
その本を、どうやって若者に読ませるか。天皇問題に余りなじみのない人々に読ませるか。その工夫がある。幻冬舎のアイデアだろう。
そして新書として、ハッと目を惹く工夫だろう。
だって、帯には、「いいよね、女性天皇も!」だ。
まさか、田中先生が考えられたわけではないだろう。幻冬舎が考えた衝撃的なコピーだ。
でも、「それでもいい」と田中先生は容認されたのだろう。その度量が凄い。若々しい。
このポップなコピーのあとに、真面目にこう続く。
〈「絶対男系男子」とは、単なる“男尊女卑”ではないのか? 歴史学の泰斗が学者生命を懸けて緊急提言〉
本書は第1部「女系天皇への理解」と第2部「女性皇太子の誕生」の2つに分かれている。
第1部は、「男系男子固執派」の諸氏の説と正面から対決している。『諸君!』『日本』『わしズム』などに書いた激しい「憂国の論争篇」だ。
そして第2部は、平成25年に先生がやっているウェブサイト「戀闕(れんけつ)の友へ」をまとめたものだ。
ウェブサイトをやられていたのかと驚きだ。発想が柔軟だし、若い。
そうだ。我々民族派は、「戦後体制打破」を言ったが、よく、それを「YP(ヤルタ・ポツダム)体制打破!」という言葉で表現した。
この「YP体制」という言葉を考え、作り、理論付けしたのが田中卓先生なのだ。
私らも学生時代、「いやー、洒落た言葉だな」と思い、ずーっと使っている。発想が新鮮だし、若いのだ。
本書の第1部の見出しを見てみよう。
「“女系天皇”の是非は、君子の論争でありたい」「西尾幹二氏に問う。『日本丸の船主は誰なのか』」「女系天皇公認の歴史的正当性」などだ。
特に「君子の論争」はその通りだと思った。
「自分こそ皇室のことを考えている。女帝になったら、もう天皇ではない」「女帝などを言う人間は国賊だ。非国民だ!」と罵倒する論が多い。これでは冷静な議論は出来ない。
第2部では…。
「反論できぬ立場のお方に注文をつけ批判を公開するのは非礼・卑怯の極み」「憲法も典範も、改正以前に“常識に還ろう”」「皇家の『万葉一統』を獲得するために—次の『皇太子』は愛子内親王殿下が道理」「『皇室典範』に流れる“男尊女卑”思想」。
これに尽きてる。現在の女帝論、皇室論議は、これで尽きてると思いました。「ルアワール」で一気に読了しました。
これは田中先生でなくては書けない。去年出た本の中で、文句なしに最高の本です。ぜひ、皆さんも読んでみて下さい。
ところが、第1部第2章、「“女系天皇”の是非は君子の論争でありたい」を読んでいた時だった。
田中先生は『諸君』(平成18年3月号)に、女帝・女系の公認を基本とする原稿を書いた。
ところが保守派・右派の学者・評論家から大バッシング、反論を受けた。
「一論文の出現で、これだけの波瀾は、近頃の論壇では珍しいであろう」と言う。
山田孝男、新田均、伊藤和史、中西寛、西尾幹二…といった人々が、猛反論、猛批判した。
新田均氏のタイトルが凄い。
〈「師・田中卓氏への諫言。女系天皇は、なりません」(『諸君!』4月号)〉
かつての教え子から「諫言」されるとは、田中先生も切なかっただろう。
それにしても、いくら意見が違うといっても、かつての恩師に「諫言」(いさめる)はないだろう。「なりません」もないだろうと思った。
もし自分がそんな立場に追い込まれたらどうするか。
「諫言」は使わない。自分が正しくて、恩師は間違っていると初めから決めつけているからだ。人間としての礼がない。
私ならどうするか。そんな立場になったことはないし、そうなっても、こんな文は書かないだろう。
もし、どうしても必要なら、「教えて下さい」と言うだろう。
「きっと私が間違っているのでしょうが、最近、こんなことをチラッと考えました。失礼ですが、この考えはどうでしょうか。教えて下さい。そして叱って下さい」と書くでしょう。
「それでは腰が引けてる!」と言われるかもしれないが、何も人間を罵倒し、人格を否定してまで「論争」をする必要はないと思うのだ。
人間としては尊敬し、しかし、その人の「論」「考え」について闘い、争う。それが「論争」だろう。
それにしても、かつての弟子から「諫言」される田中先生も大変だ。
普通なら、カーッとなって、同じ次元の低みに落ちて罵倒する。
しかし、先生は、キチンと冷静に論争する。
かつての弟子であっても、今は立派な学者だ。対等の学者として、論争する。
偉いですね。とても出来ることではない。私は弟子はいないが、いたとして、「諫言」されたらどうするか。
私はずるいから、逃げるだろうな。「そうだ、そうだ。君の言う通りだ。成長したね」とか言って、誉め殺しにして、相手にしないだろう。卑怯な男ですよ、こいつは(あっ、私だ)。
…と、思いながら、田中先生の本を読んでいた。
これだけ思い切って女帝論を書いて、そして、大バッシングだ。
大変だったでしょうな、と思いながら、読み進んでいたら、アッと思った。先生への批判文を紹介していた次のところだった。
こう書かれている。
〈その他にも、インターネットのホームページ等でしきりに賛否両論があったようだが、本誌で一々に対応する紙幅はない。(一例だけ紹介しておくと、かつて「一水会」を創設し、現在も新右翼の重鎮と目される鈴木邦男氏が、自身のサイト「鈴木邦男をぶっ飛ばせ」(2月6日)の中で、「愛国者は、そんなに偉いのか」と題して鋭い批判をし、私見についても興味深い言及をしているので御参考まで)〉
これは驚きました。私のHPまで紹介してくれてる。
(2月6日)と出てるけど、去年ではない。先生が問題提起の論文を書き、大論争になっている時だ。じゃ7年前か。
探したら、ありました。2006年2月6日のHPだ。
それに、これは、私の単行本にも入っている。『愛国者の座標軸』(作品社・2600円)だ。2007年12月30日に出ている。私のHPをまとめたものだ。
2003年から2007年にかけてのHPから取ったものだ。1年に10から15くらいを編集部が選んで載せる。
そして、その一つ一つについて、「今思うこと」を書けという。
これは大変だった。死ぬ苦しみだった。本は厚いし、高いし、そんなに売れない。
しかし、苦労して作ったし、忘れられない本だ。
今、「あとがき」を読んだら、「単行本収録にあたってのコメント」は全56本について書いたという。全部で100枚以上だ。よくやったもんだと思う。今なら、とても出来ない。
ところで、2006年2月6日にupした「愛国者はそんなに偉いのか」だ。見出しはこんなのだ。
私も頑張って書いている。この3.に田中先生のことを書いたのだ。これは、HPで読める。
しかし、「単行本収録にあたってのコメント」は読めない。だから少し、紹介しておこう。
〈論争の規模が小さくなった。下品になった。左右激突がある時代の方が、高尚な論戦があった。「天皇制を守れ」という側と、「天皇制打倒」という人々との論戦もあった。「天皇制は差別の元兇だ」「こんな制度があるから戦争が起こる」と言う人もいた。しかし今、天皇制廃止論者はいない。少しはいるかもしれないが、その主張は全く聞かない。
今はむしろ「右」だらけだ。その中で、内ゲバをやっている。天皇制は大事だ。必要だと思っている。その大前提は同じなんだから、あとは小さな違いだ。冷静に論じたらいい、と思う。ところが「女帝論は天皇制廃止だ」「反天皇よりひどい」「彼らは共産主義だ」などと言う。これはないだろうと思う。内ゲバのテロだって起きかねない。でも、秋篠宮さまに男子(悠仁さま)がお生まれになって、この論戦は沈静した。国民があれこれ言うよりも、お世継ぎは天皇家で決めて頂いたらいい〉
皇室が日本にあってよかった。と国民のほとんどは思っている。「男子でなくては…」とは思っていない。国民があれこれ言う前に、天皇陛下に決めて頂いたらいい。
このことに関して、田中先生の本の中にこんな話が紹介されている。
〈(「女帝反対」の学者に対し)“天皇陛下の御意向を承る必要があるのではありませんか”と質問がでたところ、「それは必要ない。そのようなことをして若(も)し天皇陛下が将来は女帝でも差し支えない、と申されたらどうするのか!」と切りかえした。という話を私は仄聞(そくぶん)している。若しそれが事実なら、その講師は、日本国体の極致として至純の伝統、「承詔必謹」【詔(みことのり)を承(うけたまわ)りては必ず謹(つつし)む】の精神を何と考えられているのであるか〉
その通りですね。
さらに、田中先生はこう言う。田中先生でなくては言えないことだ。
〈女帝反対論者の一部には、男子を生めない皇妃は退下して貰い—つまり離婚—代わりの方を選べばよいと放言する者もいるらしいが、事実とすれば、それこそ、不遜極まる暴言であろう。また若し万一にも、そのような事態が起これば、聡明で責任感のお強い皇太子殿下はどうされるか。申すまでもない〉
では次に、2番目だ。「天声人語」だ。
12月30日(月)に、友人からメールで、「朝日新聞の“天声人語”に出てるよ」と言われて、近くのコンビニで朝日新聞を買った。
本当だ。安倍政権について書いている。まず天皇陛下の言葉を伝える。
〈▼80歳の誕生日を迎えた天皇陛下は、長い道のりで最も印象に残っている出来事として「先の戦争」を挙げた。「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って今日の日本を築きました〉
その次だ。
〈いま「戦前回帰」への懸念が膨らむ。特定秘密保護法が成立した。「一水会」顧問の鈴木邦男さん(70)は、「40年以上、右翼活動をしてきたが、今のやり方は危なくて仕方ない。戦争の本当の恐ろしさを知る人たちが少なくなってきたせいだろう」〉
うーん、ありがたいですね。でも、いいんですかね。私なんかを載せて。
そうだ。前にもあったな。去年だったかな。「天声人語」に載ったのは。
右翼の人が娘(受験生)に聞かれたという。「一水会とか鈴木邦男とか、出てたよ。これも書き写すの?」と。
大学受験生には「天声人語」を一字一字、原稿用紙に書き写している人が多い。作文の勉強になるからだ。学校の先生も、そう勧める。
この右翼の人も、娘が受験生だから、〈「天声人語」を写しなさい〉と教えている。
でも、外に行くと、「お仕事」で黒い街宣車に乗って、「朝日新聞は左翼だ。反日だ。不買運動をしよう!」と叫んでいる。ちょっと矛盾している。
そうだ。「天声人語」に載ったのは2回目だ。
では、その前はいつだったろう。パソコンで調べてみた。去年の9月30日の「天声人語」だった。
竹島問題をめぐる日韓の対立について書いていた。岩井志麻子さん、池澤夏樹さんなどの言葉を紹介していた。
そこで私も紹介されていた。
〈「日本だけが素晴らしいという考えは、思い上がった自国愛にすぎない。ただの排外主義。愛国とは最も遠いものです」。新右翼の一水会顧問、鈴木邦男さん(69)だ〉
さて、最後に、「西宮ゼミ」報告集(vol.3)だ。
12月29日に見本が送られてきた。1月10日、全国発売だ。
これは面白いし、売れるだろう。タイトルもいい。
〈錯乱の時代を生き抜く思想、未来を切り拓く言葉=鈴木邦男ゼミin西宮報告集(vol.3)=〉
ですよ。鹿砦社。1400円。厚い。そして豪華だ。
次の6人と対談している。1人ずつの対談でも1冊の本になる。勿体ない気もするが…。
対談したのは、次の6人だ。
ゲストとタイトルを見ただけで読んでみたいと思うでしょう。
写真も沢山入っている。300頁の厚さだ。これで1400円だから、安い。
ゼミは毎回、超満員だ。皆、ゲストとテーマを見て、期待して来る。
前田さんだから、プロレスの話だろう。内田さんだから、このテーマの話だろうと。
しかし、第1部は、私が自分の関心のあることを聞く。聴衆には配慮しない。
その点は、自由気儘にやらせてくれる。だから、西宮ゼミは面白いことが出来た。
たとえば、前田日明さんとはプロレス、格闘技の話は一切しない。中国の古典の話、愛国心の話だけだった。
又、内田樹さんとは、テーマの「国民国家」「グローバリズム」の話は一切しない。
内田さんは大学の先生だが、同時に合気道の先生であり、自分で道場を持って教えている。だから、合気道の話だけをした。
もっとも第2部に質問コーナーがあり、終わって、懇親会があるので、質問のある人は、そこで聞ける。
西宮ゼミは2ヶ月に1回だから、この本は去年1年のゼミをまとめたものだ。
年末、校正してみて驚いたが、まとめ方がうまい。編集はプロ中のプロだ。写真を撮ってくれたカメラマンもいい。
それに、ゼミの時は気が付かなかったが、ゲラを読んでいて気付いたことも多い。新たな発見がある。これは凄い。
ちょっと話は外れる。ある時、週刊誌の記者に取材された。
懇意な人なので、かなりリラックスして取材している。
時々、机に肘をつく。そして手で顎を支えたりする。若い女の子なら両肘をついて、両手で顎を支えたりする。
これは可愛い。まあ、記者は男だから、そこまではしない。
ただ、時々、肘をつく。そのうち、ハッと我に返って、「あっ、すみません。だらしない格好をして」と言う。
「構わないですよ。どうぞ、好きにやって下さい」と私は言った。
その時、記者が聞く。「そういえば鈴木さんは絶対に机に肘をつきませんよね」と。変なことを聞くな、と思ったが、即座に答えた。
「だって、いきなり敵に襲われたら、とっさに反撃出来ないでしょう」と。
答えてから、シマッタ!と思った。俺はそんなことを考えていたのか…と。
でも、無意識に口から出てしまったのだ。
記者も驚いていた。「ヘエー、今でもそんなことを考えているんですか。過激派をやめても、油断はしてないんですね」。
いや、違うんだよな。そんなこと考えてないのに。
何で、そんな言葉が口から出たんだろう。もう「敵」なんかいないのに…。
そうか。武道をやる人は、無意識のうちに、考えているんだ。「イザという時に…」「敵が襲ってきた時に備えて…」と。
でも、「敵」と闘うことなんてあまりない。格闘家だって、試合場で闘うだけだ。リングを降りたら、「敵」はいない。
西宮ゼミで、内田樹さんと対談してる時にも、その話をした。
「敵」と闘うとはどういうことか。一体、我々にとって、「敵」とは何か。
そんなことを聞いたのだ。内田さんはこう言う。
試合だと時間も場所も決まっていて、そこに自分の身体能力のピークをもっていく。
それが終わったら、あとはバラバラになってもいい。
でも戦争だと、いつ、どこから攻撃が来るかもしれない。
そこで、ともかく生き延びるしかない。敵も眼に見えない。
本当の合気道は、そうした、生き残る能力を身に着けるという。だからオリンピックには入れない。
〈合気道の場合の生き残る能力というのは、なんでも食える、どこでも眠れる、すごく怖い人が来てもすぐ友達になれちゃうとか、そういう種類の能力に近いんですよ。オリンピックで、なんでも食えるとか、どこでも眠れる競技なんてやらないでしょう(参加者爆笑)〉
そうなんですね。そうすると、「敵」という概念も考え直す必要がある。内田さんは言う。
〈敵というのはアリーナで目の前にいる相手のことだけじゃなくて、自分の心身の能力を下げるものはすべて敵なんですよ。風邪のウィルスだって敵だし、電車の遅れだって敵だし、スキャンダルとか天変地異とか家庭内不和とかも敵なんです(参加者爆笑)。雷に撃たれれば焦げますしね。子どもが死んだとかなれば、誰でもパフォーマンスはガクッと落ちる。
ですから武道家の目標というのは、そうした敵を作らないような心と体の作り方をしなければならないことなんです。師匠の多田宏先生(合気道多田塾師範)からはそう教わりました。「天下無敵」というのは、ライバル全部を倒すことだけじゃなくて、風邪ひかないようにとか、家庭内不和を起こさないとか、契約上のトラブルを起こさないとか、スキャンダルに巻き込まれないとか、そういう長大な敵のリストを作って、それを一つずつ潰していく作業になるんですよ〉
そうなのか!と驚きましたね。試合会場や場所が決まってる敵は分かりやすい。それに一般の人は、そんな「敵」はいない。
しかし、周りには本当は沢山の敵がいるんだ。風邪も敵だし、家庭環境も敵だし、スキャンダルも敵だし、奥さんも敵だし。
そう言ったら、内田さん。「最大の敵ですね(参加者爆笑)」と答えてました。
この対談は、まさしく、目からウロコが落ちる思いでしたね。
今は、内田さんのところだけをちょっと紹介しましたが、他の5人の人たちも皆、凄い話が聞けました。
私も、思い切って聞けましたし、その中で、化学反応が起きて、さらに、いい方向に議論がアウフヘーベンしたようです。
聴衆に気兼ねしなくていいし、「受けよう」とか、「ここは対立して、面白くさせよう」ということもない。そんな「配慮」はいらないのです。
だから、こっちも気が楽で、「自分のためのゼミだ」と思って、聞き、話し合いました。それがよかったのだと思います。
1月10日発売ですので、ぜひ、ご一読下さい。
さらに、これからは、「札幌時計台シンポジウム」の報告集。坂本龍一さんとの対談。孫崎享さんとの対談などが出る予定です。
年末・年始も、そのために頑張ってやりました。又、正月から、面白い企画もあって、やっています。
…と、年末の三大サプライズを紹介していたら、ついつい長くなってしまいました。
お正月の特番ということで、ここで終わります。
去年1年で何冊読んだか、何を読んだか、おススメの本は…。という、本についてだけの対談。
ギャラリーが何人かいて、適宜発言する。私は「月30冊」のノルマで、去年はノルマを達成した。
他にも、「月10冊から始めました」とか言う人もいる。筑摩の「思想全集」に挑戦してます、という人もいる。高木氏なんて、月50冊以上読んでんじゃないかな。それに、「読書代行」の仕事までしている。
終わって、「土風炉」で新年会をやりました。
①1月10日(金)発売です。
『錯乱の時代を生き抜く思想、未来を切り拓く言葉』(鹿砦社・1400円)。
「鈴木邦男ゼミin西宮」報告集vol.3です。最高の対談集になりました。ゲストはビッグな6人です。上祐史浩さん。神田香織さん。湯浅誠さん。前田日明さん。青木理さん。内田樹さん。私自身も衝撃を受け、勉強になりました。
本の表紙にはこう書かれています。
〈時代が要請する思想とは? 世界は何処へ行こうとするのか? 左右の対立するシェーマが崩れ、パラダイムの転換が求められている中で、思想家・鈴木邦男を中心に、中央から遠く離れた地で行われた思想的格闘…。「鈴木邦男ゼミin西宮」3年目一年間の記録!〉
⑬田中先生の本の中で、私のブログに載った原稿が紹介されてました。その原稿は、この本にも収録されてます。『愛国者の座標軸』(作品社)です。大型で、厚い本です。苦労して書きました。
編集の人も頑張ってくれて、カッコいい本になってます。スタジオで写真を撮りました。本の表紙にはこう書かれてます。
〈「日本一の愛国者」は、現代日本の争点をどのように見てきたか。過激でいながら人に優しい「新右翼のカリスマ」による現在の社会/政治状況を読み解くための基の書。入魂の評論集!〉
⑮「著者紹介」では、授業中の私の写真が使われています。これを作った時は、私は、ジャナ専(日本ジャーナリスト専門学校)の講師をしてました。それで授業の写真を使いました。
又、出版した作品社の青木さんも、ジャナ専の講師をしてました。表紙の写真撮影もジャナ専内のスタジオで行われました。お世話になりました。
⑯12月28日(土)午後7時から明大前の「キッド・アイラック・アート・ホール」で本多菊雄独り芝居を見る。「野村秋介という生き様=流るる雲の如く。駆け抜ける修羅の如く」。
とても感動的な舞台でした。そのあと、本多氏と私のトーク。司会は椎野礼仁さんです。野村さんの生き様、選挙、朝日新聞との闘いなどについて語りました。
⑰トークが終わって。椎野礼仁さん。私、本多菊雄さん、(進行の)松本格子戸さん。松本さんは、ポール牧さんのお弟子さんです。
ポールさんには私もお世話になりました。亡くなりましたが、とても真面目な人でした。週刊誌で対談したこともありました。
⑲右は椎野礼仁さん。真ん中の女性は若松孝二監督の熱烈なファンです。若松監督の映画「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」を何と、20回も見たそうです。それも、東京、大阪、京都、新潟…と全国の映画館を回って。
凄いです! 若松監督に会わせたかったです。他にも若松監督ファンの女性が何人かいるので、座談会をやってもらおうと思います。
㉕品川から京急に乗ったんです。「川崎大師」の前は、「鈴木駅」でした。何でも、味の素の創業者が鈴木さんで、それでここは「鈴木町」になったそうです。
そういえば、小平にも「鈴木町」があります。以前、見に行ってきました。日本に2つの貴重な町です。「鈴木市」や「鈴木県」はありません。でも鈴木姓は日本で一番多いんだから、「日本国」も「鈴木国」にすればいいのに。
㉖川崎大師のあと、「みなとみらい」に行きました。話題のミュージアムを見てきました。「Orbi Yokohama」です。パンフにはこう書かれています。
〈BBC EARTHの映像とSEGAの最先端技術を融合し、地球上の様々なシーンを再現。都会にいながら、大自然の真ん中に入り込んだかのような体験ができる世界初の「大自然超体感ミュージアム」〉
映画館がいくつかあって、驚きの体験が出来ました。マイナス20度の極寒体験もあります。大きな木組みの舞台に行ったら、いきなり、岩になり、さらに滝が流れ…。と変わります。