2014/01/27 鈴木邦男

まるで、ツヴァイクの小説のようだ…

①「都知事選に立て!」と言われた

岡山一水会結成30年大会(1/18土) 岡山一水会結成30年大会(1/18土)

まるで、ステファン・ツヴァイクの小説のようだなと思った。ツヴァイクが生きていたら、書いただろうな。と思った。

細川、小泉の元首相が2人、脱原発で意気投合して、現首相を打倒しようとする。現首相はその喧嘩を買わずに、かつて党を除名した桝添を公認する。

その桝添に対し、週刊誌は、「親を介護したという話はウソだ」と言い、元妻の国会議員は、「慰謝料もキチンと払われてない」と言う。

細川はかつて佐川急便から1億円をもらっている。猪瀬は5千万だ。

講演する木村三浩代表 講演する木村三浩代表

それも借りただけで、手つかずで返した。と思ったら、「紹介した大物右翼」に、そのうちの500万を貸していた。「手つかずで返した」というのはウソだ!徹底捜査しろ!となった。

その紹介した「大物右翼」は、一水会の木村代表だ。

急に、身近な問題になった。木村代表は友情で2人(猪瀬氏、徳田氏)を紹介しただけだ。

ただ、その後、猪瀬氏と木村氏の間でお金の貸し借りがあった。木村氏は、「疚しい所はない。全て取材には答える。都議会でもどこでも、行って説明する」と言っている。堂々としている。

1月18日(土)に、岡山で「岡山一水会結成30周年」の集会、記念講演会があったが、そこには、マスコミがドッと来ていた。

私も話しました 私も話しました

テレビカメラを肩にしたスタッフや、新聞記者たちが東京から新幹線に一緒に乗って来た。

岡山駅でも、木村氏はマスコミ陣に取り囲まれて取材されていた。「何の騒ぎだ」と岡山の人々も驚いて、見守っていた。

「30周年大会」が終わった後も、再び、マスコミの取材を受けていた。

「凄い展開になったな」と私は、ただただ驚いた。

そして、次の都知事選をめぐり、細川、桝添が声を上げ、宇都宮さんも出る。前回同様、私は宇都宮さん支持の集会にも行った。

ところが、さらなる驚きの展開があった。何と、元左翼の人たちを中心にして、「俺たちも都知事選に打って出よう」という動きだ。

一水会岡山支部の番家誠氏 一水会岡山支部の番家誠氏

それは面白い。選挙戦もさらに活性化し、論戦も〈我々のもの〉になるだろう。と思っていた。

ところが、その候補者が何と私だという。まさか?と思った。驚天動地とはこのことだ。

私は知らなかったとはいえ、「猪瀬問題」は一水会の代表がからんでいる問題だ。私なんか、立候補する資格はない。

「いや、右や左をまとめて、新しい運動を起こすのは鈴木しかいない」「今しかない。立て!」と言われた。「面白いんじゃない。やってみなよ」と面白がる人もいて、連日、説得されていた。

私は、ひたすら固辞していた。私が尊敬している人たちに言われたので、困った。でも、無理だ。やれない。私なんて、叩けばホコリだらけだ。

飛松五男さんも来賓の挨拶 飛松五男さんも来賓の挨拶

「こんなダーティな奴をなぜ立てたんだ」と皆も、バッシングされるよ。と言ったんだが…。

言ってくれた人たちは、私は好きな人だし、尊敬する人たちだ。

でも最後は仕方ない。その人たちと絶交し、殺されたとしても、固辞するしかないと、腹を決めた。

大事件は、思わぬ展開で起き、思わぬ勢いで進行、さらに自分も巻き込まれてゆく。ツヴァイクの小説のようだ。と思った。

②ワイルドな運動をやってたんだね

木村、番家氏を囲んで 木村、番家氏を囲んで

1月18日(土)は岡山で、私は一水会結成時の話をした。

1970年に三島事件があり、昔の仲間たちが再度集まり、1972年に一水会を創った。

その運動が全国に拡がり、各地で入会する人が増え、支部も出来た。

一つの県で何人かが集まると、支部が出来るのだが、中には、それまで運動していた団体が、丸ごと一水会に入ることもある。

岡山の場合はそうだった。それまで「憂国青年連盟」というハードな運動をしていた若者の団体が、それを解散し、「一水会岡山支部」となって、参加したのだ。

取材陣に囲まれる木村氏 取材陣に囲まれる木村氏

この「岡山支部結成30周年大会」の初めに、「岡山一水会30年」の歩みがスライドで上映される。

驚いた。皆、戦闘服を着た若いハードな人々が集まっている。一見、暴走族のようでもある。

だが、「岡山新空港反対!」「美しき山河を守れ!」と叫んで過激なデモをやり、警察官と衝突し、逮捕者を出している。

中央の一水会本部はさらに過激で、全員ヘルメット、角材等で、デモをしている。

米大使館などに火炎瓶を投げ、何度もガサ入れ、逮捕されている。

そのうち、「赤報隊事件」や、「内部粛清事件」が起こり、組織は壊滅状態になる。

二次会で 二次会で

又、イラクには、軍服姿で一水会の若者たちが乗り込む。「義勇兵として闘いたい!」と言って。

2000年には、一水会代表が私から木村氏に代わり、急に運動は大きくなる。世界的規模の運動になる。

ヨーロッパの右派政党のリーダーたちを呼んで、「愛国者世界平和大会」を開催したりした。

「世界」に目を向けた、世界的な組織になったし、世界的な運動になった。私が代表をやってる時は、とてもこんなことは考えられなかった。

スライドを見てたら、昔の私は、やたら過激だ。何度も捕まっている。後輩たちにも、過激にハッパをかけている。

三次会の店で 三次会の店で

「命懸けの闘いをやれ!」「逮捕なんて男の勲章だ!」「君らは“革命マシーン”になれ!」とアジっている。〈人間〉をやめて、〈機械〉になれ!と言ってるのだ。

岡山では、そんな昔の映像に刺激され、「闘う日々」の話をした。

又、1960年代後半の右派学生運動の話もした。当時は、かなり団体もあり、〈反全共闘〉ということで、一緒に共闘することも多い。

でも、全共闘が力を失うと、右派学生運動も衰退し、内部分裂、内ゲバを始めた。

その中で、私も、組織を追われる。「運動が伸びないのは、鈴木のような腐敗、堕落したリーダーがいるからだ」「こんな無能なリーダーは追放しろ!」と言われて追放された。

③アートな直島から、アートな時計台へ!

岡山駅前で 岡山駅前で

でも、そんな中にあって、ずっと生き延びた活動家もいた。他の団体に移ったり、自分で団体を作り…と。団体を渡り歩く人間もいた。

そんな人間に対し、よく、「あいつは、フーシェのような奴だな」と言っていた。

「ツヴァイク全集」(全21巻)の中に、「ジョゼフ・フーシェ」の巻がある。それを読んだ奴が言ったのだ。又、「フーシェのような奴だ!」と言って、皆、理解していた。

それだけ、(左だけでなく)、右派学生の間にもツヴァイクは読まれていたのだ。

ちなみに、フーシェは、フランス革命の激動のさなか、「昨日の友は今日の敵」で、次々と殺されてゆく。激動、流血の日々に、不思議に、スルスルとその敵、味方の間をくぐり抜けて生き残った人間だ。

直島に行きました 直島に行きました

そんな不思議な、奇跡的な人間をツヴァイクは書いている。

1月18日(土)は、岡山支部集会で、昔の私の過激な活動を思い出して話をした。

翌、19日(日)は、直島に行った。昔は何もない島だったのに、今は、一躍、「アートな島」として全国に知られるようになった。「劇的ビフォー・アフター」だ。ベネッセと協力して、凄い美術館やホテルが建てられ、道は舗装され、島は大改造された。

瀬戸内海の他の島々も大変身し、「アートな島々」が出現した。そこを見たのだ。

案内してくれた昔の仲間は、すでに80才。でも、50才も年の離れた恋人が出来たというし、元気一杯だ。

直島のホテルから 直島のホテルから

「鈴木さんも頑張って下さいよ。これから子供を作って!」と励まされたが…。私はダメですよ。もうアガっているし。と言いながら、元気の素、秘訣を聞きました。

それは『紙の爆弾』で対談してもいいな。

1月19日(日)の夜、東京に帰り、朝まで原稿。本を作るのが6冊ほど並行してやっている。その校正もあるし、寝ないでやった。

そして、翌、20日(月)は、札幌に行く。柏艪舎で本を出す企画があり、その打ち合わせがある。又、21日(火)に「時計台シンポジウム」があるし…。

本当なら、当日行けばいいのだが、今は冬だ。急に飛行機が飛ばないことがある。「だから、1日前に来て、控えていて下さい」と言われたのだ。それに、主催者の柏艪舎とは次の仕事の打ち合わせもあるし…。

ホテルの屋上で ホテルの屋上で

柏艪舎の可知さんに取材されていた。その時、彼女の携帯が鳴る。パッと見て、「あっ、知らない人だから」と言って、出ない。

「あっ、ダメだよ。私への連絡だから」と言って、出てもらった。

前の夜、原稿を送ったとこや、連絡をしていた人々に、「2日間、札幌にいるので、用事があったら、ここに電話してくれ」と、柏艪舎の人の携帯を教えておいたのだ。

おかげで、しょっちゅう、連絡が来る。「ゲラを送りたいんですが、会社にしますか」と言われたので、ホテルに送ってもらうことにしました」と言う。

時計台シンポジウムのあと、夜中、ホテルで校正し、そして、戻した。忙しい。

23日(木と)からは、学校も始まるし、その予習もしていた。

④覚悟の人・原田さんと熱く語った!

ホテルの間を結ぶモノレール ホテルの間を結ぶモノレール

札幌は大雪だった。これじゃ人が集まらんのじゃないかな、と思っていたら、超満員。

元北海道の警察のトップで、「裏金問題」で内部告発をし、大事件になった。その張本人の原田さんがゲストで来てくれたからだ。

この機会だからと思い、私も警察の話を突っ込んで聞いた。

凄い闘いをやってきた人だ。おとり捜査、公安、拳銃、麻薬の話が次々と出てくる。

原田さんの本を読んでも思うが、まるでサスペンス小説を読んでいるようだ。ツヴァイクの小説のようだ。

でも、小説ではない。全ては現実にあった話だ。背筋の凍る話が多い。

屋上から海を望む 屋上から海を望む

この日は、飛松五男さんも聞きに来てくれた。わざわざ姫路から来たのだ。

原田さんも驚いていた。「一言、言ってくれればいいのに」「いや、驚かそうと思って」と言っていた。

飛松さんも、〈衝撃的な事実〉を次々と報告してくれた。

だから、この日に聞きに来た人は幸せだ。他では絶対に聞けない話を聞けたのだし。

これじゃ、私の今の生活もツヴァイクのようだな、と思った。(昔の、命懸けで闘っていた非合法活動の日々も十分にツヴァイク的だが)。

そして、1月22日(水)、東京に帰った。前の夜も、仕事をしていて、ほとんど寝てない。

屋上から海を望む 屋上から海を望む

でも、ツヴァイク的な日々の人生を考えていたら、頭が冴えて眠れない。「時効」になった事件の数々についても書かなくちゃいけないな。

どんな形で書こうか、と思っていた。眠れないし、まず、本でも読もう、と思った。

今年は随分と本を読んでいる。忙しいけど、その間をぬって、移動の乗り物の中で読んだり、駅のベンチで読んだり。

児玉清の『寝ても覚めても本の虫』(新潮文庫)を読み始めた。児玉さんは、もの凄い読書家だ。それも、原書で読む。日本で翻訳本が出るのが待てないのだ。

一度、会って話を聞いてみたかったと思う。残念だ。

1/17(金)アントニオ猪木さんに取材 1/17(金)アントニオ猪木さんに取材

この児玉さんの本を読んでいたら、子供の時から、本好きの少年だった、と書かれている。

物心ついた時から、毎日、日課のように本を読んできた。まさに「寝ても覚めても」だ。

でも、後に、本格的な「本の虫」になり、原書を買って、一気に読むようになったのは、なぜか。

何と、ツヴァイクの影響だという。驚きましたね。ツヴァイクのことを考えていたら、向こうから、ツヴァイクがやってきたんですね。

私には、超能力があるのでしょうか。いやいや、不思議な力に、私はただただ引き寄せられてるんですよ。

取材が終わって 取材が終わって

そういえば、札幌でホテルに2泊したが、一階の大部屋で、「魔女たちの集まり」をやっていた。

何だこれは、一流のホテルでこんなことをやっていて、いいのか。そう思って、覗いてみた。

魔女のようなオバさんたちが沢山集まっていた。タロット占いや、水晶占いをやったり、食事したり。又、いろんな不思議グッズを売ってたり…。不思議です。

あっ、話が脱線した。児玉さんの本だ。こう書いている。

〈僕が翻訳物、所謂(いわゆる)外国小説に憧れるようになった直接の原因は、高校時代に遭遇したS・ツヴァイクの『マリーアントワネット』『ジョゼフ・フーシェ』『アモク』『人類の星の時間』といった一群の小説にある。ツヴァイクのテーマであったデーモンにしびれ、人生の不可思議、人間の運命、宿命といった超自然の力、理性を超えた魔力ともいえる神秘な力に心を深く抉(えぐ)られ、すっかり虜(とりこ)になってしまったのであった〉
札幌時計台シンポジウム(1/21火) 札幌時計台シンポジウム(1/21火)

そうだったのか。ツヴァイクを読んだために、本好きになり、西欧への憧れが芽生え、大学の独文科へ進む原動力になったという。

私も「ツヴァイク全集」(全21巻・みすず書房)を読んで、世の中の見方が変わった。そして、ノルマ式読書をやってでも大量の本を読もうと決心した。

さらに、人生もツヴァイクの小説のように、急転し急変した。毎日がドラマになった。特に、「権力とたたかう良心」には衝撃を受けた。ものの見方が変わった。

だから皆も、ツヴァイクを読んだらいい。本の読み方が変わる。人間の生き方が変わる。

【だいありー】

講演する原田完二さん 講演する原田宏二さん
  1. 1月20日(月)昨夜、岡山から帰ってきて、ずっと原稿を書いていた。ほとんど寝てない。
     午後、取材と打ち合わせ。3時に家を出て、5時羽田発の飛行機で札幌へ。
     時計台シンポジウムは明日だが、次の本の打ち合わせや、取材がある。それに、もし当日、吹雪いて乗れなくなったら困る、ということで、一日早く札幌入りした。
     夜は主催者の柏艪舎の人たちとカキ料理を頂いた。おいしかったです。
  1. 1月21日(火)午前中、柏艪舎の仕事。5時、柏艪舎に集合。姫路から来た飛松五男さんと一緒に行く。
私も挨拶しました 私も挨拶しました

原田宏二さんはもう来ていた。飛松さんを見て、「どうしたんですか?」とビックリしていた。「原田さんの話を聞きに来たんですよ」と飛松さん。

そして時計台へ。6時からスタート。原田さんの話は熱い。皆、引き込まれて聞いていた。

そのあと、2人でトーク。時々、飛松さんが「解説」を入れてくれる。豪華なシンポジウムになった。

そのあと、質疑応答。サイン会。そして打ち上げ。

「こんないい会場とは思わなかった。毎回来たい!」と飛松さんは大感激。そうですね。築150年の趣のある建物だ。

「監視社会と警察」について対談 「監視社会と警察」について対談
  1. 1月22日(水)東京に帰りました。夜は、打ち合わせと取材。
  2. 1月23日(木)午前11時、取材。昼から河合塾コスモ。今日から授業が始まる。
     3時、「現代文要約」。
     5時、「読書ゼミ」。今日は、この本を取り上げて、皆で読みました。田中卓さんの『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか』(幻冬舎新書)。女帝問題について読み、語り合いました。
     終わって、生徒たちと「食事会」。「サイゼリヤ」で。
原田さんに来た脅迫状 原田さんに来た脅迫状
  1. 1月24日(金)午前中、原稿。
     午後、打ち合わせ。
     6時半、神田の「週刊金曜日」の本社へ行く。赤岩さんたちと一緒に明治大学へ。
     7時から、私の講演会。天皇制やヘイトスピーチなどについて話す。
     そして質疑応答。活発な質問が出た。終わって、学生たちと居酒屋へ。
  2. 1月25日(土)午前中、原稿。
     午後、図書館。
     夜、柔道。久しぶりだ。あっ、今年初めてだよ。体がなまっていた。動かない。学生にぶん投げられ、体が痛い。
原田さんを囲んで 原田さんを囲んで
  1. 1月26日(日)午前中、原稿。午後2時、四谷の主婦会館。7F「カトレア」。
    〈平沢武彦氏を偲び、帝銀事件を語りつぐ会〉。
     この1月26日は、帝銀事件が発生した日だ。武彦氏の実父は作家で人権活動家の森川哲郎氏だ。帝銀事件の平沢貞通氏を支援し、無実を晴らすべく闘ってきた。

その実父の闘いを引き継いだ武彦氏は、平沢氏の養子となって、「平沢武彦」となり、闘いを続けた。

その武彦氏が「孤独死」した。当日の案内状にはこう書かれていた。

原田さん。佐藤千歳さんと 原田さん。佐藤千歳さんと
〈残された私たちが彼にしてあげられること。それは帝銀事件という権力の犯罪を後世にしっかり語り継ぐこと。そして、平沢貞通氏の無実を信じて人生の全てを費やした森川哲郎・平沢武彦父子の業績を心に刻み、第20次再審請求につなげて行くことだと確信しております〉

全国から多くの人たちが駆け付けました。私も「呼びかけ人」になっていたので挨拶しました。

【写真説明】

岡山一水会結成30年大会(1/18土)

①1月18日(土)午後6時半より岡山に。一水会岡山支部結成30周年大会。多くの人が集まってくれ、満員でした。

講演する木村三浩代表

②記念講演をする木村三浩一水会代表。「いかに我々の政策を実現させるか」。

私も話しました

③私も話しました。「一水会運動の起点」。

一水会岡山支部の番家誠氏

④岡山支部の歴史、活動報告をする番家誠氏。

飛松五男さんも来賓の挨拶

⑤飛松五男さんも来てくれました。挨拶してくれました。

木村、番家氏を囲んで

⑥木村代表、番家さんを囲んで。友好団体の人や、来賓の飛松さんもいます。

取材陣に囲まれる木村氏

⑦例の問題で、木村氏は取材陣に取り囲まれてました。

二次会で

⑧終わって二次会で。右は飛松さん。吉本さん。柳沢さん。

三次会の店で

⑨三次会のお店で。カラオケを歌いました。

岡山駅前で

⑩久しぶりの岡山です。駅前の桃太郎の像の前で。

直島に行きました

⑪30周年大会の翌日、直島に行きました。菊田さん(右)に久しぶりに会いました。

直島のホテルから

⑫直島のホテルから外を見ると、本当にきれいです。

ホテルの屋上で

⑬ホテルの屋上で。

ホテルの間を結ぶモノレール

⑭ホテルの上の新館に行くには、このモノレールに乗るんです。

屋上から海を望む

⑮菊田さん、番家氏と。屋上から。

1/17(金)アントニオ猪木さんに取材

⑯1月17日(金)参議院議員会館で。アントニオ猪木さんに取材しました。前日、北朝鮮から帰国したばかりです。テレビ局の取材がギッチリと詰まっている中を、無理を言って(レコンキスタのために)、時間を取ってくれました。

取材が終わって

⑰取材が終わって。やはり、大きいですね。

札幌時計台シンポジウム(1/21火)

⑱1月21日(火)札幌時計台シンポジウム。原田宏二さん(元・北海道警察釧路方面本部長)と。

講演する原田完二さん

⑲講演する原田宏二さん。

私も挨拶しました

⑳原田さんの前に、私も少し話しました。

「監視社会と警察」について対談

㉑そのあと、二人で対談。「監視社会と警察」について。

原田さんに来た脅迫状

㉒原田さんには随分と脅迫状が来ています。その一部を見せてくれました。「殺す!」「裏切り者め!」と言うのと、「共産主義者め!」「アカ!」という罵倒も。警察を批判する人間は「アカ」になるようです。

原田さんを囲んで

㉓終わって、原田さんを囲んで。右は飛松さん。岡山に続いて、札幌まで来てくれました。左は柏艪舎の山本社長。

原田さん。佐藤千歳さんと

㉔原田さん(左)。佐藤千歳さん(右)。千歳さんは、北海道新聞北京支局長でした。
 私は北朝鮮に行った時、北京に寄り、ごちそうになりました。又、三島由紀夫の中国語版『奔馬』を探してくれました。千歳さんは今は、北海商科大学の准教授です。

【お知らせ】

  1. ①発売中の『通販生活』(2014年春号)に、「大変だけど…愉快な明るい入院生活」が特集されてます。宍戸錠、ヤマザキマリ、スギちゃん、柴田理恵、松崎菊也さんと共に、私も出ています。小学生の時、1ヶ月も入院した時の話を書いてます。「入院中の私の代わりに母が行ったのは…」。です。
  2. 1月27日(月)文化放送に出ます。午後2次25分からの「大竹まこと ゴールデンラジオ」です。阿川佐和子さんも一緒です。久しぶりにお二人に会えるので楽しみです。
  3. 1月27日(月)この日発売の週刊「アエラ」に原稿を書いてます。書評です。さて、何の本を取り上げているのでしょうか。今話題の本です。
  1. 1月28日(火)坂本龍一さんと私の対談本『愛国者の憂鬱』(金曜日)が発売です。
  2. 1月31日(金)午後7時。「第30回マガ9学校」。今回は場所を変えて、ネイキッド・ロフトで行います。
    〈サバイバル・セッション。
    〜フクシマからTokyoへ〜〉
     出演は雨宮処凛、Yukari&佐藤さとみデュオ。中下大樹、その他のサバイバーの皆さん。
  3. 2月12日(水)7時、一水会フォーラム。如水会館。講師は三上治さん(評論家)。「日米関係と自立。ナショナリズムについて」。
  4. 3月8日(土)午後2時、西宮。去年で私の「西宮ゼミ」は終わり。今年から「浅野健一ゼミ」が始まりました。この日は、松本サリン事件・冤罪被害者の河野義行さんがゲストで来ます。私も聞きに行こうと思ってます。場所はいつものcafeインティライミです。
  5. 3月18日(火)午後6時。「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」です。ゲストは石川明人さん(北海道大学助教)で、「戦争、宗教、そして人間」です。又、5月20日(火)は伊東秀子さん(弁護士)です。テーマは「冤罪と秘密保護法」です。又、7月は合田一道さん(作家)。9月は高遠菜穂子さんの予定です。