2月3日(月)、『東京人』(3月号)が発売されました。
凄い特集です。力の入った特集です。「特集・墓地で紡ぐ14の物語」です。
有名な墓地を訪ね、そこに眠っている政治家、文学者、革命家、宗教家を訪ねて、日本の近代を語るんです。壮大な企画です。
私は小平霊園に行き、革命家たちに取材して書きました。記念すべき特集号に書かせてもらい光栄でした。
そして、2月5日(水)。彩流社の茂山さんと、編集者の椎野さんに会いました。
「出来ましたよ!」と言って、新刊書をもらいました。見本誌ですが、2月10日(月)に全国書店で発売です。
タイトルが凄い。
『連合赤軍は新選組だ!
=その〈歴史〉の謎を解く=」
(彩流社。1800円)
ウッ、いいのかな。こんなタイトルで。連合赤軍が怒るんじゃないのかな。新選組も怒るんじゃないのかな。
誰が書いたんだ! と思うでしょうが、私です。この衝撃的・挑発的な本を書いたのは私です。犯人は私です。
連合赤軍に対する、国を挙げてのバッシングにはずっと違和感を持っていた。
銃強奪、銀行・郵便局を襲撃してのM作戦。あげくの果ては、「仲間殺し」。そして、あさま山荘立て籠もり事件。
この陰惨な事件に日本中は凍り付き、声を失った。
「革命なんか考えるから、こんなことになる」「世のため、正義のためなんて考えるからだ」…と、日本中から罵倒され、非難され、これで一切の革命運動・変革運動は潰れた。「新左翼」という種も絶滅した。
そして、「天敵」が滅びた後には、いかがわしい「保守」がはびこった。いかがわしい「愛国」運動が起こり、排外主義の運動ばかりが跋扈している。
タライのお湯と同時に、赤ん坊も流してしまったのだ。赤い子供たちも流してしまった。
でも、初めは、連合赤軍にも夢や愛や希望があったはずだ。いや、それがあったが故に、革命運動に走ったのだ。
そして、余りにひたむきに、そして、余りに焦燥に駆られ、急ぎ過ぎたが故に、あのような過ちを起こしたのだ。
では、夢や愛や希望は、どこで失敗し、間違ったのか。どうすればよかったのか。それを考えるべきだった。
三島由紀夫や高橋和巳が生きていたら、そのことを言ってくれたはずだ。「左翼や革命運動」全てを否定する愚かな保守主義者とは全く違ったことを言ってくれたはずだ。
そうしたら、灰の中から、新たなフェニックスが甦ったかもしれない。
だが、1972年の連合赤軍事件の時には三島由紀夫はいなかった。(1970年に自決)。高橋和巳もいなかった(1971年に病死)。
「もし2人が生きていたら…」ということは、植垣康博さん(元連合赤軍兵士)が呟いていたことだ。
その話を坂本龍一さんに言ったら、坂本さんはこう言ってました。
「その人がいることによって、国や社会の言説がある程度、倫理的に抑制されるということがありますよね」。
その人が三島由紀夫であり、高橋和巳であった。
そこから坂本さんと私の対談は始まった。それが、1月に出た2人の対談集『愛国者の憂鬱』(金曜日)だ。だから、この2冊は姉妹誌だ。
さらに今月末には、もう1冊、『反逆の作法』(河出書房新社)が出る。これは、「ナショナリスト・鈴木邦男」が生まれる迄の成長物語だ。
今年は1、2月で3冊の本が出る。
さらに札幌時計台シンポジウムの報告集(鈴木宗男さん、中島岳志さんとの対談)も出る。又、これからゲラが出るが…。
『歴史に学ぶな』や、孫崎享さんとの対談もある。忙しい。
それに、『通販生活』(特集・楽しい入院生活)や、『東京人』にも書かせてもらった。『東京人』の紹介の前に、もう少し、連合赤軍の話だ。
まるで新選組のようだ、と私は以前、植垣さんに言った。
新選組は、出身が武士ではなかったが故に、ことさら武士道にこだわり、失敗した者は、ことごとく切腹させた。そして〈時代〉に殉死した。
連合赤軍も、本物の軍人ではない。学生や労働者だ。
それなのに、「軍」をつくり、理想の「革命兵士」になろうとして足掻いた。ついて来れない者は「総括」し、処刑した。新選組だ。
新選組はずっと長い間、「悪の象徴」だった。
ところが、司馬遼太郎の小説などで、見直され、新選組ブームまで起きた。
だから、連合赤軍も今は、「悪の象徴」だが、50年後見直され、ブームになる。
NHKの大河ドラマになる。あさま山荘は「世界遺産」になり、「NHK大河ドラマ館」には、植垣さんたちの蝋人形が陳列される。そして、総括場面が電気仕掛けで再現される。
だから、私のこの本は、「予言」の書だ。「新選組」云々は、戯れ言かもしれないが、他にも、連赤について、かなり書いてきた。語ってきた。又、連赤関係者とも随分と会い、語り合ってきた。
それらをまとめて、さらに、今、思うことを書いた。それが、この予言の書だ。
それに、この本は、このブログから生まれた。
連赤については、随分と書いたし、当事者と対談したり、インタビューしたりした。朝日新聞にも書いた。
1冊の本になる位の分量はある。と書いたら、彩流社の茂山さんからメールがあった。
「じゃ、うちから出しませんか」。「じゃ、お願いします」となって、今回の本になった。
表紙は全て赤だ。共産主義者、赤軍の赤だ。
そして、あさま山荘の前で私が立っている。これは、連合赤軍の戦跡を辿るツアーに参加した時だ。いい写真だ。
本の帯には、こう書かれている。
〈なぜ右翼運動家が?
「連合赤軍は新選組だ!」といい続ける鈴木邦男は、
左翼運動の壊滅後、連合赤軍問題を現在まで検証し続けてきた唯一の人物なのだ〉
なかなか、いい文ですね。
それと、編集がうまい。さすがはプロだと感心しました。「匠の技」です。
「はじめに」は今年の1月20日だが、新たに書いた。それ以外は今までの原稿を集めたのだ。
でも、初めから、流れるように読める。初めから、書いたかのように、違和感がなく、話が進んでいる。
これは編集の力だ。たいしたものだと思った。
かつて、作家の中上健次は、「あれは右翼の運動に見える」と発言した。
明治維新前夜の水戸藩や、長州藩などの「内ゲバ」と同じではないか。
明治維新は成功したから、こうした「内ゲバ」も、大いなる維新の前の「尊い犠牲」と思われる。
中国革命、ロシア革命、キューバ革命でも、「尊い犠牲」はあった。
しかし、連赤は、革命が失敗したが故に、「ただの仲間殺しだ!」と言われた。
そこから連赤報道への疑問が生まれ、本当のところはどうだったんだろう、と考える旅が始まった。
まず、植垣康博さんに聞いた。又、連赤の当事者たちに聞いた。
さらには、野村秋介さんが考えた連赤事件。について書いた。
野村秋介さんは、わざわざ獄中の永田洋子に会いに行っている。そして、私は「40年後に考える連合赤軍事件」を書いた。大きな流れがあって、進んでいるように読める。
これは今、自分で読んでも、驚くほどだ。
又、連合赤軍を扱った映画、小説、本などについても言及している。
植垣さんの他、加藤倫教、前澤虎義、青砥幹夫、岩田平治…といった当時の連赤兵士たちに話を聞いている。一つの貴重な資料になっている。
苦労して、そのように作ってくれた茂山さん、椎野さんの力だ。ありがとうございました。
もう一つ、編集のうまさ、匠の技を感じたのが、『東京人』(3月号)だ。「マガジン9」の私の連載でも、そのことは書いたが、ともかく編集がうまい。
12月の中旬に「企画書」をもらった。年末までに墓地を巡って、取材をし、年明けに原稿を入れてくれ、と言う。やたらと、ハードな仕事だ。
特集は初め、「掃苔録(そうたいろく)=お墓でたどる歴史のドラマ」だったが、「掃苔」という言葉が難しいからだろう。変わっていた。
〈特集・墓地で紡ぐ14の物語〉
になっていた。こっちの方がスッキリしていて、いい。
東京にある有名な墓地に行き、文学者、宗教家、芸術家などを訪ね、話を聞く。そして、近代日本を振り返る。…という壮大な企画だ。
たとえば、池内紀は谷中霊園に行き、獅子文六、色川武大、川上音二郎らを訪ねる。そして、書く。「風刺とユーモアでシャレのめす」。
戸高一成は多磨霊園に行き、山本五十六、児玉源太郎らを訪ねて、書く。「軍人たちは安らかに眠っているか」。
中村彰彦は小塚原回向院に行き、吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎らを訪ねて、書く。「維新の原動力となった刑死者たち」。
一つの墓地で、何人もの人を訪ね、点から線に、そして面へと考え、近代日本を考え、振り返るのだ。壮大な企画だ。
森まゆみ、苅部直は対談し、「青山霊園で、日本の近代史をたどる」を語っている。
そうか、こういう形で日本の近代を考えることが出来るのか。
又、護国寺、雑司ヶ谷霊園、小平霊園…が取り上げられている。
そうだ。この小平霊園に私は行ったのだ。
ここには思想・革命運動の大物たちが眠っている。
宮本百合子、宮本顕治、青野季吉、村上一郎、佐野学など。
テーマは、「時代への抵抗者たち」。皆、共産党の関係者だ。
ただ、宮本夫妻、青野は、弾圧に負けず、非転向で、頑張った人々だ。
村上一郎は、後に、共産党を離れている。佐野学は戦前、日本共産党の委員長だったが、獄中で転向した。鍋山貞親と共に転向声明「共同被告同志に告ぐる書」を出した。
党のトップ2人が転向したのだ。ドッと、雪崩を打ったように転向現象が起きた。
つまり、非転向を貫いた人々と、転向した人々、その転向現象を作った張本人。これらの人々が、小平霊園という「同じ町内」に住んでいる。
不愉快ではないのか。中で、総括・査問をしているのか。再び地下活動をしているのか。大きな疑問だった。それを聞きに行ったのだ。
一日かけて、これらの人々に尋ねて歩いた。
そして厖大な資料を読み、悩み、考え、そして書いた。
小平霊園に行ったのは12月の24日(火)だった。クリスマスの日に私は、一日、墓地にいた。
そして、正月明けの1月6日(月)に原稿を書き上げて、メールで送った。
大変だった。大晦日も元旦もない。私も地獄のような状況で書いた。親生活者の手記だ。
ともかく大変だったが、いい特集に参加させてもらって光栄だ。
この特集号は、きっと歴史に残るだろう。
今、書店に行くと、この号だけでなく、バックナンバーも置いている。
時局に流されて、終わってしまうものは特集しない。「お墓めぐり」のように、ずっと残る特集をしている。
そうだ。『東京人』には、前にも出たよな。いつだったんだろう。
あっ、そうだ。12月に原稿依頼の電話があった時、「前にも出ましたよね」と言ったら、編集者が言ってたな。
「はい、1972年にお世話になりました」。
エッ? そんな昔に私は出たの? 42年前かよ。と思ったら、「『1972年』でお世話になりました」と言ったのだ。
同じじゃないか、だって? ちゃいまんねん。「1972年」という特集だったんだ。2012年9月号だ。そこで、泉麻人さんと、御厨貴さんと鼎談をしたんだ。
私は、1972年といえば、即、連合赤軍だ! と思い出す。それが全てだ。それしかない。
ところが、他にもいろんなことがあったんですな。「今の日本」はこの年に出来たのです。ということを泉さん、御厨さんから教えてもらった。
この号も、きっと書店に並べられているだろう。
もう一つ、付け加えると、私が『東京人』を知ったのは2007年だ。
『論座』(2007年8月号)で、「天皇表現とタブー」という特集をやった。私は6頁にわたる原稿を書いた。
今思うと、ちょっと危ない論文だ。
〈『不敬だ』といって、芸術を葬り去っていいのか…
=天皇に異常に熱くなる右翼の迷い=〉
これは自分の迷いを直に出して書いた。右翼からは不評を買った論文だ。
この後に、私はもう一本書いている。評論家の粕谷一希さんにインタビューしている。
粕谷さんは、あの「風流夢譚」事件の時、中央公論社にいた人だ。
あの事件はなぜ起こったか。あの小説を載せる時に、相当の覚悟をしたのか。長年の疑問をぶつけたのだ。
革命が起こり、皇室の人々が処刑されるというショッキングな小説で、これに怒った愛国党の青年は社長の家に行ってお手伝いさんを刺殺し、奥さんに重傷を負わせた。
その元になった深沢七郎の小説「風流夢譚」について聞いた。
粕谷さんは〈天皇制は、筋を通した「論説」で主張すべきだった〉と言っていた。このインタビューが8頁だ。
こうした危ないテーマを特集する『論座』も偉い。勇気があると思った。
しかし、その『論座』も今はない。
07年に粕谷さんに取材したときは、(神楽坂だと思ったが)粕谷さんの自宅に行って取材した。『論座』の編集者、カメラマンたちと一緒だ。
古いが、なかなか趣のある家だった。2時間位取材し、ホッとして帰るとき、玄関をキョロキョロと見た。
そしたら、『東京人』と書かれた雑誌が、うず高く積まれている。あっちにも、こっちにも…。
家を出てから『論座』の人に聞いた。あれは何ですかと。説明してくれた。今、話題になっている雑誌で、毎回の特集が凄いんですよ、と。
そして実は、『東京人』を創刊したのは粕谷一希さんなんですよ、と。
ヘエー、そうなんですか。と、その時は、それで終わった。
この時、この右翼のオッチャンは知らない。この5年後に、その『東京人』で「特集1972年」に出て喋ることになろうとは。
又、7年後には、小平霊園に行って、革命運動に参加した人々を訪ねて『東京人』に書くことになろうとは。
このボーッとした右翼オッチャンは、そんなことになろうとは、その時、夢にも思わない。…と、テレビドラマのナレーションのようになったところで、終わる。
さらに、
〈石原慎太郎&都教委による平和教育の破壊。これに一人で立ち向かう中学教師の奮戦記〉。
勇気のある先生だ。読んで感動しました。他にも、『中学生マジに近代史』(ふきのとう書房)。『教育を破壊するのは誰だ!』(社会評論社)などの著書がある。私はこの3冊を読んで、「生徒」として参加しました。
夜は打ち合わせ。
⑤弾圧に負けず、非転向を貫いた人たちですね。イラストは宮本百合子、宮本顕治、青野季吉。
写真の右は青野のお墓。左は村上一郎です。村上は、一度は共産党に入りながら、後に離れています。私は好きな評論家で、よく読んでました。
⑱ゼミの後、増田都子先生と、お互いの本を持って。私は増田先生の『たたかう!社会科教師』を。増田先生は『愛国者の憂鬱』を。
翌日、「面白くて、一気に読みました。夜中1時半までかかって」と電話をもらいました。
⑳「平沢武彦さんを偲び、帝銀事件を語りつぐ会」に出たら、司会者が言ってました。武彦さんは、「今は、森川さんのお墓に入っています。中野区上高田1丁目の青原寺です」。
エッ、私も上高田1丁目だよ。それで、訪ねました。家のすぐそばでした。 「救道武心信士」。行年五十四歳。と書かれてました。
㉑「ぜひ読んで下さい!」と言われて、西宮ゼミに来てる人からもらいました。実に感動的な漫画でした。郷田マモラの『モリのアサガオ』(双葉社)です。「新人刑務官と或る死刑囚の物語」です。全7巻と別巻です。
一気に読みました。死刑賛成・反対…と言う前に、考えさせられました。死刑を扱ったどんな論文・レポートよりも説得力があります。考えさせられました。
㉕同じ号で、粕谷一希さんに私はインタビューしています。あの「風流夢譚」事件の時に中央公論にいた人です。「天皇タブー」について聞きました。
〈天皇制は、筋を通した「論説」で主張すべきだった〉と言ってました。
㉖インタビューは粕谷さんの自宅で行われました。帰り際に玄関に積まれていた雑誌が目にとまりました。『東京人』と書かれてました。『東京人』との初めての出会いです。
実は、その『東京人』を創刊したのが粕谷さんだったんです。