今年の1月18日(月)、岡山に行った。「一水会岡山支部結成三十周年記念講演会」が行われたからだ。
一水会代表の木村三浩氏と顧問の私が記念講演をした。
会場に入り切れないほどの人が集まった。「猪瀬問題」で木村氏のコメントを取ろうと押しかけたマスコミも多く来て、会場の外で待機していた。
次の日、19日(日)、私は直島に行った。かつては民族派の大先輩・三宅先生が町長をやっていた。
その時、福武書店と共同で島の改革を進めた。それで、直島はじめ、瀬戸内海の島々が、「アートの島」に生まれ変わった。
その変貌した島を見ようと、行ったのだ。三宅町長はすでに亡くなっているが、同志の菊田さん(80代半ば)は元気でいる。
菊田さんに新生直島を案内してもらった。それは、直後のHPに書いたので覚えているだろう。
当日、船に乗る前に菊田さんから電話があった。「鈴木さんに会いたいという人が、一緒に船に乗りますから、よろしく」と言う。
船が出航し、直島に向かう。ボーッと海を見てたら、営業社員風の人が近づいてきた。
あっ、この人がそうだな、と思った。「久しぶりです」と言って名刺を寄越す。
私は初対面だ。名刺には、「福武書店」と書かれている。直島などの「島アート化」計画は、福武(ベネッセ)が主導してやっている。その関係で、直島に行くのだろう。
でも、「久しぶり」と言ったな。こっちの方言では、歓迎の言葉として、「久しぶり」と言うのかな。
と思っていたら、1冊の本を見せる。『格闘プロレスの探究』と書かれている。
あっ、私の本だ。懐かしい。確か、25年ほど前に出した本だ。
その人は、本をパラパラとめくり、215頁を開いて、見せてくれる。
〈第6章・ファンの立場にたったプロレス・マスコミを!
=OWA(岡山大学プロレス研究会)大いに語る〉
そして、その福武の営業マンが言う。
「これが僕です。25年前に鈴木さんに取材されたんです。いい記念になりました」。
えっ! そうだったのか。驚いた。そう言えば、似ている。OWAの会長の笠原良二氏(法学部2年)が、この人か。
これは、これは。25年ぶりの再会か。「じゃ、写真を撮ろう」と、船の中で撮った。自分の載った頁を開いて、笠原氏。そして私。うしろは、穏やかな瀬戸内海。
懐かしい本だ。笠原氏から借りて、パラパラと頁を繰る。奥付を見る。1989年1月20日発行になっている。エスエル出版会(鹿砦社)発行だ。
この頃は、プロレスや格闘技の本を随分と書いていた。岡山プロレス研だけでなく、多くの格闘家に会い、取材している。タイやロシアにも格闘技の研修ツアーに行っている。体を賭けて、書いている。
大体にして、奥付の【編集者略歴】も、他の「鈴木本」とは、かなり違う。
〈鈴木邦男 早稲田大学政経大学院中退。産経新聞社勤務などを経て、現在、格闘技評論家として活躍。自ら、骨法、サンボ、柔道などを実践し、新たな格闘技論構築に努めている。そのためには、国内・海外問わず、どこにでも飛んでいく行動派。著書に『過激プロレスの崩壊』『プロレス・シュート・格闘技』『UWF革命』(いずれもエスエル出版会)のプロレス・格闘技関連書のほか、社会問題書など多数。プロレス評論雑誌『プロレス・ファン』(エスエル出版会)顧問〉
全く違いますよね。一水会、新右翼…なんて一切出てない。「社会問題書など」の著書がある。という所だけだね、この人の正体を暗示してるのは。
でも嘘ではない。贋の経歴ではない。本の取材も執筆も全て私がやっている。ゴースト・ライターもいない。「格闘技評論家」として本を何冊か書いてるし、他の格闘技雑誌でも書いたり、格闘家と対談したりしている。
月刊『ゴング』では、長い間、コラムを連載していたな。「誰がために鐘(ゴング)は鳴る」だ。
プロレス・格闘技だけでなく、そこを通して見た日本、世界についても書いている。
これも、まとめてみたいな。
OWA(岡山大学プロレス研究会)について、もう少し補足する。
今でも各大学に、「プロレス研究会」はあるが、当時はかなり盛んだった。
プロレス、格闘技が盛況だったから、自然と、ファンも増えるし、プロレス研究会も増える。
大学のプロレス研には、大きく分けて、二つの流れがある。「実技系」と「理論系」だ。
「実技系」は、自分たちも学内にリングを組み、プロレスをやっている。飛んだり跳ねたりをやる。テレビでもよく紹介されていた。
「京都大学プロレス研究会」はそれで、私は、そこにも呼ばれて講演した。今も現役のプロレスラーの藤波辰爾さんと二人で講演したこともある。
一方、「理論派」は、実技はやらないで、もっぱら研究し、会報を出して論評する。
岡山大学プロレス研究会は、こっちだ。『ロープ・ブレイク』という質の高い理論機関誌を出している。
彼らと知り合い、大学に行って、私が取材したのだ。どんな活躍をしてるのか。今のプロレスをどう見るのか。不満があるとすれば、どこか。プロレスから社会をどう見るのか。などについて聞いた。
この日、出席してくれたのは、8人だ。写真には会長の笠原良二氏だけが出ている。
今、この本をザッと見たら、話の中心は「プロレス・マスコミ」だ。
「東スポ」「週刊プロレス」「週刊ゴング」「週刊ファイト」を初め、日刊誌、週刊誌が出ていたし、月刊誌も出ている。一般のスポーツ新聞にも載っている。
「プレレス・マスコミ」抜きにはプロレスを語れない。そこから、プロレスそのものについて話は進む。ちょっと小見出しを見てみよう。
●ウソのない報道を!
●プロレスの源流は一つではない
●プロレスはもっと批判されるべし!
などだ。この座談会は、この本『格闘プロレスの探究』の最後に載っている。
このあとは、「あとがき」だが、こんなタイトルだ。
〈プロレス・ルネサンスと宗教革命
=あとがきにかえて=〉
何やら格調が高そうな文章だ。そうだ。せっかくだから、この本の構成も紹介しよう。目次からだ。
プロレス評論だけではない。〈実践〉もやっている。ロシアに行って、サンボを習っている。それも5回ほど行った。
デカいロシアの選手を相手に毎日、ハードなトレーニングをし、闘った。
又、タイには2度行って、ムエタイのジムで教えてもらった。ムエタイの試合もかなり見た。
又、その後、国会議員になった神取しのぶさんにもインタビューしている。
私はまだ柔道を始める前だ。神取さんの話を聞いて、「やはり、組み打ち格闘技の原点は柔道だ。講道館に行かなくては」と思ったようだ。
又、骨法の堀辺先生を知り、多くのことを教わった。
ある意味では、この本が、私の「格闘人生」の原点になっているのかもしれない。
民族派運動をし、街頭で闘うのも、言論活動をするのも、皆、〈格闘技〉だ。生きていくこと自体が、〈格闘技〉だ。
だったら、今も、「格闘家」だし、格闘人生の探究だ。
この本の中で、〈ロシアのサンボ体験記〉も面白いが、タイでの「ムエタイ」体験ツアーだ。
トランクスにグローブをつけて、ジムで指導してもらった。打撃、防御、首相撲のやり方を教えてもらった。だから、〈第5章〉は、そんな写真が出ている。
又、ドン・中矢・ニールセンとタイで会ったので彼の話も聞いた。ニールセンは日本に来て、数々の格闘家と闘っている。
又、格闘技以外にもタイ滞在中に感じたことを書いている。「知性・凶暴・そして求道のタイ国民」という見出しもある。
でも、この第5章の扉の写真は、ムエタイではない。なんと、私が銃を撃っている写真だ。上半身裸で、銃を撃っている。
これは、プーケット島に行った時、そこにあるシューティング・センター(射撃場)で撮ったのだ。本物の銃だ。本物の弾だ。
バンコック市内にもあるが、タイでは、合法的に銃を撃てる場所がある。本物の銃やピストルを撃たせてくれる。
銃の持ち方、狙いの定め方、引き金の引き方…など、基礎の基礎から教えてくれる。
私は何百発と撃った。タイのムエタイ・ツアーでは2回、タイに行ったが、そのあと、「よど号」の田中義三さんの裁判支援で、タイに5回行った。
そのたびに一人だけ抜け出して、せっせと、シューティング・センターに通った。計7回のタイだ。
そして1回で何百発と撃っている。金も随分とつぎ込んで、銃の腕を磨いた。
ピストルは反動があるから、なかなか当たらない。
腋をしめて両手で固定するが、それでも撃った時の反動で手が上がる。
何百、何千発と撃ったが、うまくならない。
それに、リボルバーだから、撃った瞬間、薬莢が飛ぶ。裸の胸に飛び跳ねてくる。アチチ、アチチと叫びながら撃っていた。離れていては、なかなか当たらない。
戦前の血盟団事件の時は、小沼正さんは井上日召からピストルを与えられた。
しかし、少しでも離れたらピストルは当たらない。だから、「相手の体にピストルを付けて、撃て!」と言われた。それを実行した。そして成功した。
ところが銃の方は、そんなに反動がない。肩や腕で固定したら、当たる。
私も、すぐに腕が上達した。的をどんどん遠くしてもらい、撃った。
又、動く的を相手にして撃った。百発百中だった。
指導員に言われた。「オオ!クニオ。君はスナイパー(狙撃手)になれるよ!」と。
悪い気はしない。気分はまさに「ゴルゴ13」だ。「仕事を紹介するよ」と言われたが、断った。
日本に帰って来た時も、ゲームセンターによく行った。そこで銃の練習をした。
「全く違うだろう」と思われるだろうが、そんなことはない。実戦の訓練になった。撃った時の反動がないから、ゲームセンターで練習したら、本物の銃でも当たるようになる。
嘘だと思ったら、やってみたらいい。実際に肩にあてて狙わなくても、たとえば腰だめでも撃てるようになった。
前に、『ゴルゴ学』という本で、「ゴルゴ13」の作者のさいとうたかをさんと対談した。銃の話ばっかりした。
又、いろんな右翼の事件があると、「鈴木じゃないか」と疑われ、やたらと、ガサ入れ、別件逮捕をされた。「銃の腕」があるからだろう。
しかし、しばらく銃も撃ってない。腕もなまっている。又、タイに行かなくっちゃ。
そうだ。今年の1月21日(火)、札幌で原田宏二さんと話をした。札幌時計台シンポジウムだ。
原田さんは元北海道警察釧路方面本部長だ。ピストルの使い方について、マニアックな質問をした。
僕はタイで何百発、何千発とピストルを撃った。しかし、さっぱりうまくならない。
もし逃げる犯人に向けて「足を撃て」と言われても、きっと当たらない。威嚇で撃ったのに、心臓に当たって殺してしまったりするだろう。ピストルは怖いという話をした。
「足を狙うなんて、とても出来ません」と原田さんは言う。
警察官は1年に何時間か、訓練を受ける。何百発撃つという規則がある。
でも原田さんは忙しくて、訓練に行けない。「1年間で10発も撃ってないでしょう」と言う。
「だったら、僕の方が原田さんより撃ってますよ」とタイの話をした。
「そうでしょうね」と原田さん。
じゃ、撃ち合いになったら負けないな。いや、ピストルは当たらないから、銃を持たせてもらわなくては…。
お巡りさんは、イザという時のために、ピストルを持っている。
でも、持っているのは、かえって怖いのだ。いつ、使っていいのか分からない。
又、「あいつは武器を持っているから」と過激派に狙われたりする。
連合赤軍事件の直前にもあった。左翼過激派が、交番を襲い、ピストルを奪おうとした。
ところが、奥から出てきた警察官に撃たれて死亡した。
そんなことがあるから、持ってることでかえって不安だし、怖い。
又、交番の中で、ピストルがあると、つい遊んでしまう。
西部劇映画の真似をして、指でクルクル回して遊んだり、あるいは、いかに早く抜くか、「早撃ち」の真似をしてみる。そして、暴発。
そんな例がよくあるし、酷い時は、傍にいた警察官に当たったりする。
新聞によると、こういう時は、「拳銃の掃除をしていた時、暴発した」と書かれている。
ピストルの機能上の不具合のように書かれるが、ピストルのせいではない。扱う人間の不具合なのだ。
だから、イギリスの警察官のように、ピストルを持たない。そういう選択肢もあっていい。
銃を持って立て籠もった犯人を取り抑えに行く時は、専門の狙撃班を連れて行けばいいんだし。警察官一人一人が日常的にピストルを持つ必要はない。警察官だって皆、そう思っているだろう。
私が、国家公安委員長に選ばれたら、そう進言しよう。
講師は蓮池透さん(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会・元事務局長、副代表)。演題は「拉致問題をどう考える—解決の枠組みを探る」。
感動的な話でした。この教会では毎年、2月11日にいろんな人を呼んで講演会をやっている。去年は私が呼ばれた。
今年は、講師が蓮池さんなので、ぜひ聞きたいと思って、「聴衆」として来た。活発な質問も出た。
終わってからも、場所を移して、話し合った。夜遅くの新幹線で帰った。
⑦直島に向かう船の中です。1月19日(日)です。
前日、「一水会岡山支部結成30周年大会」があり、そこに出席し、翌日、直島に行ったのです。そしたら、福武書店の人に声をかけられました。「実は私、25年前に、鈴木さんにインタビューされたんです」と。その本を見せてます。
⑬これは現在です。2月7日(金)、福岡。出光豊さんの主宰する勉強会に呼ばれて講演しました。
「あの出光石油の出光佐三さんと関係あるのかな」と思ったら、出光佐三さんの甥っ子さんでした。百田尚樹が出光佐三さんのことを書いてます。『海賊とよばれた男』。「読みました」と言いました。
出光豊さんは今、新出光の相談役です。もう一人、有名な人の甥っ子さんがいたな。と思い出しました。大杉栄の甥っ子で、大杉豊さんです。あっ、この人も豊さんだ。有名人の甥は皆、「豊さん」なのか。