2014/03/10 鈴木邦男

〈伝説〉になった反逆の人たち

①時代を共にしたことは幸せだった

たかじんさんのお別れ会。3/3(月) たかじんさんのお別れ会。3/3(月)

たかじんさんのお別れ会が2月3日(月)、リーガロイヤルホテル大阪で行われた。

〈TAKAZIN MEMORIES 2014 あんたのことがichizuに やっぱり好きやねん〉

というのが、このお別れ会の名前だ。

6時半から始まった。大ホールが満員。

この時間は招待客のみ。たかじんさんの友人、テレビに出てた人などだ。

私は、「たかじんのそこまで言って委員会」に何度か出た。

橋下徹さんと(撮影:松尾貴史さん) 橋下徹さんと(撮影:松尾貴史さん)

しかし、東京・関東圏では放送しない。反東京への反骨・反逆精神だろう。

東京では見れないという〈飢餓感〉があって、かえって人気は急上昇。DVDも売れ、ネット放送もされた。

それこそ、そこまで言っていいのか、やっていいのか、という過激、衝撃的な放送で、タブーを破り、激論が闘わされた。

司会も際だっていたし、たかじんさんでなければ、とても出来ない。

お別れ会は、冒頭、たかじんさんの生前の活躍が映像で紹介される。

食っていけない若い時代。そして歌手として大ブレーク。さらにテレビの司会。

江本孟紀さんと 江本孟紀さんと

次々とヒットし、驚異的な視聴率を取り続ける。テレビ界に次々と奇跡を起こす。

しかし、64才で亡くなった。たかじんさんの映像の終わりは、こう締め括られていた。

「…そして、伝説になった」。

6時半からのお別れ会は、生前交流のあつた安倍晋三首相やビートたけしさんら10人の発起人と、在阪民放5社が共同で開催。辛坊さんなどが司会。

驚いたことに、この「夜のお別れ会」の前に、昼、一般の人向けの「お別れ会」が同会場で行われたという。辛坊さんが発表していた。

ラモス瑠偉さんと ラモス瑠偉さんと

そこには何と、3700人が参列して、別れを告げたという。ホテルのロビーには、終わっても帰らずにいる一般のファンが大勢いた。

この日は、政治家、言論人、タレント、スポーツ選手…など、多くの人たちが挨拶した。

「そこまで言って委員会」の人たちは集まって下さいと言われたのが、午後8時半。

田嶋陽子さん、宮崎哲弥さん、勝谷誠彦さん、飛松五男さん、百田尚樹さん…などが集まる。そして、一言ずつ、お別れの言葉を。

それが終わったのが8時50分近く。会はまだまだ続く。私は、あわててタクシーに乗り、新大阪へ。9時20分発の終電に乗って、帰京しました。

次の日、3月4日(火)は、元全学連委員長・唐牛さんの追悼集会だ。

飛松五男さん、松尾貴史さんと 飛松五男さん、松尾貴史さんと

「没後30年。唐牛健太郎を問う」講演会および懇親会。午後2時から、憲政記念館だ。

さらに、3月5日(水)は12時から、西垣内堅佑(にしがいと・けんすけ)さん(弁護士)の告別式。

72才で亡くなった。昔からの知り合いだし、随分とお世話になった。

2月の末は、25日が「竹邑類さんをしのぶ会」。(三島由紀夫『月』のモデル)。

26日は、辻井喬さん(堤清二さん)のお別れ会。

お葬式や、お別れ会が続いた。皆、時代をつくり、駆け抜けていった人々だ。一代の風雲児だ。残念だし、悔しい。

ただ、こういう人たちと同じ時代に生き、励まされたことは幸せだったと思う。

②橋下徹さん、頑張ってますね

竹田恒泰さん、飛松五男さんと 竹田恒泰さん、飛松五男さんと

では、3月3日(月)のたかじんさんのお別れ会に戻る。

6時頃に着いたら、「控えの間」に案内された。そこが又、広いホールだ。

たかじんさんの写真や、本や、使っていたものなどが展示されている。各界のビッグな人たちが次々と集まって来る。

そして6時半に、会場に案内される。こんな広いホールがあったのかと驚いた。

松尾貴史さんが、「前もここで会いましたね」と言う。たかじんさんの還暦祝いをやったという。

あっ、そうか。私も出た。ここだったのか。「その時に、元共産党幹部の筆坂さんと3人で写真を撮ったんですよ」と言う。「私が真ん中で、右に鈴木さん。左に筆坂さん」。

石さん、花田さん、一色さん、百田さん、鈴木、飛松さん 石さん、花田さん、一色さん、百田さん、鈴木、飛松さん

そう言ってる時に、筆坂さんとも会った。「年末に、宮本顕治さん、宮本百合子さんのお墓参りをしてきました」と言った。

「エッ? どうしたの」と驚いていた。『東京人』という雑誌の企画で行ってきたんです、と話した。

「佐野学のお墓にも行きました」と言ったら、筆坂さんも佐野学は尊敬してると言う。何か、嬉しかった。

「私は佐野学全集を読んだんですよ」と言った。「転向」したと言われてるけど、違いますよ、という話をした。

元日本共産党にいた有田芳生さんもそばにいたので、その話をした。「じゃ、ぜひ読まなくちゃ」と言っていた。

安倍さんはビデオで 安倍さんはビデオで

宮崎哲弥さんは、「坂本龍一さんとの対談本、読みましたよ。とてもよかったですね。鈴木さんの考えがよく出ていたし、それに坂本さんの憂国の情をうまく引き出してるし」と。「すみません。送らなくちゃならないのに」と謝った。

宮崎さんは凄い読書家なんだ。ありがたいです。

田嶋陽子さんは、歌手として全国を回っている。「聴きに来てよ」と言われた。行きますよ。

番組では三宅久之さんとよく喧嘩してたが、でも、本番が終わると、一変する。とても仲良しなのだ。

「仲良しでなかったら、あそこまで怒鳴ったり出来ませんわ」と飛松さんが解説していた。

話題の人、橋下徹さんは前の方に座っていた。お久しぶりですと挨拶した。

西垣内堅佑さんの告別式3/5 西垣内堅佑さんの告別式3/5

「あっ、鈴木さん。久しぶり。この前は新幹線でバッタリ会いましたね」。

そうでした。せっかくだから写真を撮りましょう。と思ったが、頼めるような人がいない。それに会場は、「撮影禁止」なのだ。ホテルの人にも頼めない。

そしたら、松尾貴史さんが目に付いた。「ビッグな人にこんなこと頼んですみませんが」とシャッターを押してもらった。

「いいですよ、その代わり、“カメラ・松尾貴史”と、ちゃんと書いて下さいよ」。はいはい、分かりました。

松尾さんとは、以前、ロフトでよくトークしていた。岸田秀さんと3人で。

でも松尾さんは、テレビのワイドショーに出てるし、忙しそうだ。

「いえ、やりましょう。ロフトで」と言ってくれた。だから、近いうちに実現するでしょう。岸田さんとの三人組で。「三匹のおっちゃん」だ。松尾さんだけは若いから、おっちゃんにしちゃまずいかな。

③「よど号」グループは百田さんの本に感動してた

西垣内堅佑さん。72才でした 西垣内堅佑さん。72才でした

百田尚樹さんは、今や、本が最も売れている作家だ。

『永遠の0』が出てすぐ私は読んだ。そして、北朝鮮に行った時、「よど号」グループにも買っていって、あげた。

すぐに読み、感動していた。「祖国への思い」は私ら以上に強い。望郷の念もあるし。だから、百田さんの小説には感動していたのだ。

その話をしたら、百田さんは喜んでいた。それに、「よど号」、日本赤軍、連合赤軍にも関心があるという。随分と調べている。ぜひ書いてほしい。

「革命ごっことか言われますが、彼らは〈戦争〉をやりたかったんでしょうね」と言う。

たしかに、革命戦争をやると言ってたし、赤軍、連合赤軍もそうだろう。名前からして、「軍隊」だ。そして革命戦争の中で、闘って戦死したいと思っていたのだ。

宇宙飛行士の秋山豊寛さんと 宇宙飛行士の秋山豊寛さんと

「じゃ、そんな話を、どこかでやりましょう」と言いました。

又、『海賊と呼ばれた男』の話もしました。

出光佐三がモデルだ。「先月、出光佐三さんの甥っ子さんに呼ばれて福岡に行って、話してきたんですよ」と言ったら、驚いていた。

出光さんは、実業家だが、本当に国のことを考えていた。経済だけではなく、若者を外国に留学させたり、美術館を造ったり、文化に金を使った。

今、そうした実業家はほとんどいないのではないか。百田さんとも、そんな話をした。

三宅久之さんの奥さんと息子さんも来ていて、挨拶していた。驚いたことに、息子さんは、そっくりだ。

ラモスさん、北芝健さん、それに一色正春さんにも会った。尖閣で中国船が体当たりするビデオを公開した人だ。石平さんたちにも会った。

「そこまで言って委員会」は、激論が展開され、なかなか喋れないが、そこで会った人たちは貴重だ。飛松さんとも、そこで初めて会ったし。

飛松さんとは、月末、たんぽぽ舎でトークをする。いろんな事件について、突っ込んで話をして、本を作りたいですな。

橋下徹さん、田母神俊雄さんとも、「たかじん」の番組で会った。

2人とも過激で、ズバズバ言うけど、私は好きですね。明るいし、ユーモアがある。時には極論を言って、「さあ、どうだ!」と問題提起をする。そのやり方は見事ですね。

④唐牛健太郎さんも〈伝説〉だ

「没後30年。唐牛健太郎を問う」3/4(火) 「没後30年。唐牛健太郎を問う」3/4(火)

たかじんさんを送る会については又、書いてみたい。

次の日の、「唐牛さん、没後30年」のことについて書く。たかじんさんは「そして伝説になった」と映像に出ていたが、唐牛健太郎さんも「伝説」になった人だ。

この人に初めて会ったのは1982年だ。一水会を作って10年目だ。我々もまだ、かなり危ないこともやっていた時だ。

右翼の白井為雄先生に、「草間さんのパーティがあるから行こう」と誘われて行った。

草間さんは情報誌を出していて、そこに、労働運動、左翼そして右翼の情報も載せていた。その席に、何と、唐牛さんが来てたのだ。

逮捕時の唐牛さん 逮捕時の唐牛さん

当時はデジカメもないし、私もカメラを持ってない。でも、こんな「伝説」と会ったのだ。感動して、そばにいた新聞記者に頼んで撮ってもらったのだ。

この時は感動して、「ぜひ一水会で講演して下さい」と頼んだ。「あっ、いいよ」と引き受けてくれて、実現した。ビデオを撮っておけばよかったのに、残念だ。歴史的な瞬間だったのに。

その時の話は、私の『新右翼』(彩流社)に詳しく書いている。〈新右翼の歴史〉の中でも、画期的な出来事だったと思う。

そうだ。『反逆の作法』(河出書房新社)では、私が影響を受けた人について書いたが、唐牛さんのことも書くべきだったな。と今は後悔している。本当に、一代の風雲児だった。

去年7月の墓前祭(函館7月) 去年7月の墓前祭(函館7月)

60年安保では全学連を率いて、国会突入をした。

その後、指導者として逮捕されるが、出所してからも、苦難の道を歩き続ける。

建設作業員をやったり、居酒屋をやったり、北の海で漁師をやったり。自分を追い込み、苛め、敢えて苦難を求め続けた。

〈自分の命令で国会に突っ込み、逮捕され、人生が大きく狂った人たちが多い。その人たちへの責任がある。その人たち以上の苦難を自分は引き受けなくてはならない〉
奥さんの挨拶 奥さんの挨拶

と唐牛さんは思ったようだ。大変な覚悟だ。そんな話を、じっくりと聞きたかった。

当日、参加した作家の佐野眞一さんは、唐牛さんの評伝を書くと言ってたし、期待したい。

唐牛さんは、右とか左とかを超えた人だった。とてつもなくスケールの大きい人だった。

この日、作家の長部日出男さんと、元文春の堤堯さんが記念講演した。堤さんは、唐牛さんの手記を出そうとして、随分と会ったという。今からでも遅くないから、ぜひ、まとめて出版してほしい。

それと、〈60年安保〉の敵だった岸信介首相と唐牛さんの対談を企画してたという。

唐牛健太郎さんと 唐牛健太郎さんと

これは凄い話だ。マスコミでは、岸はすっかり「悪者」にされてるが、アメリカとの関係を少しでも対等なものにしようと努力した、と言う。(孫崎享さんも、岸は対米自立派だと言ってた)。

唐牛さんは勿論、反米反ソの独立派だ。〈60年安保〉では激突したが、2人の胸中には、似たような対米自立のレジスタンスがあったのではないか、と言う。

この2人の対談が実現したら、日本中が驚いただろう。

唐牛さんは、やってもいいと言った。岸も、いいよ、と言ったという。

でも、出来なかった。残念だ。自分が勤めている雑誌社がダメなら、他に持ち込んでもいい。いや、単独で本にしてもよかったのに。ともかく、2人は会うこともなく、亡くなってしまった。

唐牛さんの奥さんと 唐牛さんの奥さんと

惜しい話だ。しかし、あるいは、実現しなくてよかったのかもしれない。この点は難しい。

会ったら、最初から最後まで喧嘩するわけにはいかない。理解する部分もあるし、ホロリとする場面もあるだろう。

60年に命をかけて闘い、傷つき、死んだ人もいる。その対談を読んで、「何だ、妥協しやがって!」「許せん!」と思う人も出るだろう。

だから、かつての〈敵〉同士が会って話すというのは、大変なことだ。自分たちの闘いの意味・歴史を全て壊すことになるかもしれない。

2人のリーダーは、会わないままの方がよかったのかもしれない。2人とも亡くなったんだ。そうとでも思うしかないだろう。

⑤岸と唐牛。60年安保のリベンジは…

佐野眞一さんと 佐野眞一さんと

「あの時はこうだった」「実は、あの真相は…」と、語られることは意味はあるだろうが、かえって、闘っていたその〈時代〉を、小さく理解させることにもなる。皆、自分が「理解出来るレベル」に落として、分かろうとする。

それではダメだろう。我々の〈理解〉を超えた世界があったのだ。理解を超えた人々がいたのだ。素直に驚いた方がいいだろう。電車の中で、スマホで見て、「あっ、そうか」と簡単に理解してもらいたくない。そんな気がする。

そうだ。「のりこえねっと」で安田浩一さんと対談した時だ。

2月26日(水)の夜だ。ネトウヨや、日本の右傾化の話をした。そして最後に、『アンネの日記』の話を安田さんがする。

高沢皓司さんと 高沢皓司さんと

全国の図書館や書店で、この本や、関連する本が破られている。どう思いますかと聞くので、「許せないですね。ネトウヨ的な時代の風潮に背中を押されてやったんでしょう」と私は言った。

それに、私も特別な思い入れのある本だ。感動して読んだし、2003年には、アンネの家に実際に行った。

2003年にイラクに行ったが、その帰り、アムステルダムで乗り換えがある。5時間ほど時間があったので、他の一行は勝手にいろんなとこへ行く。

「マリファナ喫茶に行こう」「飾り窓の女を見に行こう」と。

パンタさん(ミュージシャン)と私の2人は、「絶対、アンネの家に行こう」と、行った。

小野田襄二さんと 小野田襄二さんと

思ったより大きな家だった。ここに潜んでいたのですという屋根裏部屋も見た。我々の他にも多くの外国人がいた。日本人は我々だけだった。そのあと、ゴッホ美術館に行った。

そんなこともあったので、とりわけ、『アンネの日記』を破る人間は許せないと思った。

そんな話をしたら、安田さんが唐突に、「犯人は誰ですか?」と言う。

「えっ、分かりませんよ」と言った。

「案外、知ってるんじゃないですか。知ってても、権力に突き出すのはしたくない。鈴木さんはそう思ってるんでしょう」と言う。

ギクッとした。「赤報隊や、他のいろんな事件もそうだし」と言う。

私も挨拶しました 私も挨拶しました

再び、ギクッ、ギクッだ。他にも未解決事件がいろいろある。テレビでもよく、検証番組がある。

でも、その動機、犯人を知ってしまって、「こんなことか」と、軽くスマホを見て「理解」されるのも嫌だ。

スマホなんかで理解出来ない、大きな、衝撃的な事件なんだよ。そう思う。

それをリアルに伝えるだけの表現力が私にはない。それだけの覚悟もない。

唐牛さん、たかじんさん、西垣内さん、竹邑さん、辻井さん。…そうした覚悟の人。反逆の人。風雲児の生き様を見るにつけ、痛切に、そう思う。

【だいありー】

たかじんさん愛用の品々が たかじんさん愛用の品々が
  1. 3月3日(月)午前中、原稿。午後2時30分、東京発の新幹線で大阪へ。リーガロイヤルホテル大阪。6時半。たかじんさんのお別れ会。
〈TAKAZIN MEMORIES 2014 あんたのことがichizuに やっぱり好きやねん〉

凄い人だった。昼は一般の人のお別れ会があり、3700人がたかじんさんにお別れをした。6時に着いたら、その人たちがまだロビーに残っていた。

控え室には、たかじんさんの愛用の品々、本、DVDが展示されていた。出演した多くの人たちに会った。

6時半から始まり、8時40分頃、私も挨拶。すぐ出て、最終の新幹線に乗って東京に帰った。お別れ会は、9時過ぎまで続いたのだろう。言論人、政治家、それに、オール阪神・巨人。トミーズ雅さんなど芸能人も多かった。

栗本慎一郎さんと 栗本慎一郎さんと
  1. 3月4日(火)午前中、原稿。午後2時、憲政記念館。「没後30年。唐牛健太郎を問う」講演と懇親会。
     唐牛さんは60年安保の時の全学連委員長だった。スケールの大きな人だった。私も1982年に出会い、一水会でも講演してもらった。偲ぶ会では、挨拶を求められたので、その話をした。
     60年安保、70年安保を闘った多くの人たちに会った。
  2. 3月5日(水)12時、用賀。西垣内堅佑さん(弁護士)の告別式。72才だった。
     私は随分前からの知り合いで、とてもお世話になった。塩見孝也さんを初め学生運動の弁護をしていた。その後、縄文の研究をやる。
     この日、国際縄文協会の理事の関さんが弔辞を読んでいた。又、宇宙飛行士の秋山豊寛さんも弔辞を読んだ。栗本慎一郎さんなど懐かしい人々にも会った。夜、新宿で取材。
足立正生さんと 足立正生さんと
  1. 3月6日(木)午前11時、週刊金曜日に行く。9日(日)に日比谷公園で、「Peace on Earth」があり、坂本龍一さんも出る。
     そこで『愛国者の憂鬱』(金曜日)を売るという。2人のサインがほしいというので、まず私がサインする。何十冊も。
     午後から、河合塾コスモ。来週、英語の吉田先生と「合同授業」をするので、その打ち合わせ。〈正義について〉話しましょう、ということになる。白熱教室みたいだ。  そのあと、新宿で打ち合わせ。
  2. 3月7日(金)午前中、原稿。
     午後、取材。打ち合わせ。
     6時半、神田の東京堂書店。『愛国者の憂鬱』(金曜日)の発売記念トーク。「金曜日」の北村社長と私が話す。会場は満員だった。本音で、今の日本の状況について話が出来た。
     その後、サイン会。そして、金曜日のスタッフと打ち上げ。食事。
  3. 3月8日(土)午前8時30分東京発の新幹線で大阪へ。
     11時、新大阪駅で岩井さんたちと合流し、西宮へ。
     2時から、「浅野健一ゼミin西宮」を聞く。これを聞くために西宮に行ったのだ。
     ゲストは河野義行さん。松本サリン事件・冤罪被害者だ。河野さんとは去年の「のりこえねっと」の発足記者会見以来だ。とても感動的な話でした。
     最終の新幹線で帰った。
  4. 3月9日(日)午前中、原稿。昼から日比谷公園へ。「Peace on Earth」を見に行く。
     坂本龍一さん、加藤登紀子さんたちが出るので。週刊金曜日の赤岩記者と。坂本さんのステージを聞いて、そのあと挨拶に行きました。加藤さんにも久しぶりに会いました。
「毎日新聞」3/1(土)
「毎日新聞」3/1(土)

【写真説明】

たかじんさんのお別れ会。3/3(月)

①3月4日(火)やしきたかじんさんのお別れ会。午後6時半、リーガロイヤルホテル大阪。
〈TAKAZIN MEMORIES 2014 あんたのことがichizuに やっぱり好きやねん〉
 ヒット曲を歌うたかじんさんの映像が流れた。その後、司会をやり、次々とヒット番組を生み、そして「伝説になった」。

たかじんさん愛用の品々が

②控え室では、たかじんさん愛用の品々が展示されていました。下は、「そこまで言って委員会」のDVDですね。

橋下徹さんと(撮影:松尾貴史さん)

③大阪市長の橋下徹さんと。近くにいた松尾貴史さんに撮ってもらいました。大物タレントを使って申し訳ありません。

江本孟紀さんと

④江本孟紀さんと。デカイですね。元プロ野球選手ですからね。選挙に出た時は、私も応援に行きました。「もう出ないの?」と聞いたんですが、「もう、いいです」と。

ラモス瑠偉さんと

⑤ラモス瑠偉さんと。日本に30年もいるので、日本語はペラペラです。「たかじんのそこまで言って委員会」に出てますが、たかじんさんとは、その前からの友達だそうです。歌手時代でしょう。

飛松五男さん、松尾貴史さんと

⑥飛松五男さんとは「委員会」で知り合ったんです。右は、松尾貴史さん。又、ロフトで一緒にやりましょう。

竹田恒泰さん、飛松五男さんと

⑦明治天皇の玄孫・竹田恒泰さん、そして飛松五男さんと。「華原朋美さんとの結婚式には、ぜひ呼んで下さい」と竹田さんに言ったら、笑ってました。竹田さんとは2003年に一緒にイラクに行ったんですよ。元皇族としては、勇気があります。

石さん、花田さん、一色さん、百田さん、鈴木、飛松さん

⑧凄いメンバーですね。(左から)石平さん。『WiLL』の花田編集長。元海上保安官の一色正春さん(尖閣の衝突ビデオを公開した人です)。ベストセラー作家の百田尚樹さん、私、飛松五男さん。

安倍さんはビデオで

⑨安倍さんは来れなくて、ビデオ出演でした。たかじんさんとは一緒に温泉に行き、裸で2人で温泉に入ってる映像も出しました。

「没後30年。唐牛健太郎を問う」3/4(火)

⑩「没後30年。唐牛健太郎を問う」講演と懇親会。3月4日(火)2時、憲政記念館です。唐牛(かろうじ)さんは60年安保闘争時の全学連委員長でした。

逮捕時の唐牛さん

⑪国会突入で逮捕された時の写真です。2人の警察官を引きずって走ったそうです。

去年7月の墓前祭(函館7月)

⑫毎年、7月に函館で墓前祭をやってます。これは、去年ですね。中央は、お墓を造った秋山祐徳太子さん。その後ろに私がいます。

奥さんの挨拶

⑬唐牛さんの奥さんの真喜子さんが挨拶しました。

唐牛健太郎さんと

⑭唐牛健太郎さんの写真の前で。私は1982年に会ってます。その時の写真はこのHP(去年7月の墓前祭)に載ってます。一水会の勉強会にも来てもらって講演してもらいました。「右翼の集会で講演するなんて初めてだよ」と言ってました。

唐牛さんの奥さんと

⑮唐牛さんの奥さんと。

佐野眞一さんと

⑯作家の佐野眞一さんと。今度、唐牛さんの評伝を書くそうです。期待してます。楽しみです。「鈴木さんも晩年に、よく会ってたんですね。話を聞かせて下さい」と言われました。

高沢皓司さんと

⑰『宿命』(新潮社)を書いた高沢皓司さんも来てました。本当に久しぶりでした。一番初めに「一水会訪朝団」が出来た時、木村・見沢氏らを連れて行ってくれた人です。

小野田襄二さんと

⑱小野田襄二さんとも久しぶりに会いました。学生運動の大幹部だった人です。ジャナ専(日本ジャーナリスト専門学校)の講師をしていて、そこで私もご一緒させてもらいました。型破りな先生で、生徒に慕われていました。そのジャナ専も今はありません。淋しいです。

私も挨拶しました

⑲懇親会では私も挨拶しました。

西垣内堅佑さんの告別式3/5

⑳3月5日(水)12時より、用賀で、西垣内堅佑(にしがいと・けんすけ)さんの告別式がありました。72才。
 私はとてもお世話になりました。弁護士さんですが、縄文の研究をやったりしてました。塩見孝也さんの弁護士でもあります。

西垣内堅佑さん。72才でした

㉑多くの人たちが参列しました。宇宙飛行士の秋山豊寛さん。国際縄文学協会の理事の関俊彦さんが弔辞を読みました。

宇宙飛行士の秋山豊寛さんと

㉒秋山豊寛さん、宇宙飛行士で、今は、京都造形大学の教授です。「宇宙のことを教えてるんですか」と言ったら、「農業のことを教えてます」。じゃ、大学に聞きに行ってみよう。

栗本慎一郎さんと

㉓久しぶりに会いました。栗本慎一郎さんです。元大学教授。元衆議院議員。一度、倒れられたんですが、リハビリをやって回復。元気でした。今の名刺には、肩書きは(NPO法人 神道国際学会会長)と書かれてました。

足立正生さんと

㉔映画監督の足立正生さんと。

「毎日新聞」3/1(土)

㉕「毎日新聞」3月1日(土)。〈他国批判に「愛国」使うな〉と私は言ってます。

【お知らせ】

  1. 月刊『創』(4月号)発売中です。私は連載で北朝鮮と拉致問題について書きました。又、『紙の爆弾』(4月号)も発売中です。私は土屋達彦さん(ジャーナリスト)と対談しています。元「東京オブザーバー」記者でした。『叛乱の時代』(トランスビュー)を書いた人です。入院中の病院で対談しました。そして、これが最後になりました。残念です。
  2. 3月14日(金)午後7時、ホテルサンルート高田馬場。一水会フォーラム。小林節先生。「安倍政権がもくろむ集団的自衛権」です。
  3. 3月15日(土)新宿のK’cinema。話題の映画「怒れ!憤れ!=ステファン・エセルの遺言」の2回目上映後。16:10からトークに出ます。
6/22(日)豊橋市民文化会館で講演 6/22(日)豊橋市民文化会館で講演
  1. 3月18日(火)午後6時。「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」です。ゲストは石川明人さん(北海道大学助教)で、「戦争、宗教、そして人間」です。又、5月20日(火)は伊東秀子さん(弁護士)です。テーマは「冤罪と秘密保護法」です。又、7月15日(火)は合田一道さん(作家)。9月9日(火)は高遠菜穂子さんの予定です。
  2. 3月29日(土)午後1時、飛松五男さん(元兵庫県警刑事)とトークをします。特定秘密保護法、日本の右傾化、警察国家化の危険性について語り合います。千代田区三崎町のたんぽぽ舎集会場です。
  3. 6月22日(日)午後2時から、「浜岡原発の危険性を考える会」で講演します。三上湖西市長との対談もあります。会場は豊橋文化会館リハーサル室。