東日本大震災から3年が経った。3月11日(火)、東北の被災現地では追悼式が行われた。
東京では政府主催の「東日本大震災三周年追悼式」が天皇・皇后両陛下ご臨席のもと国立劇場で行われた。民間主催の〈日本人の原点、「祈りの日」式典〉も憲政記念館で行われ、私もそこに参列した。
新聞もテレビも、「大震災から3年」の特集で、この日は忘れられない「鎮魂の日」になった。
一部には、大震災を風化させてはならないという声もある。しかし、「風化」などしていない。
皆、これだけその日を思い起こし、復興にかけて熱い思いを持っている。と思った。
ところが、そうではないようだ。
〈第3回 三月十一日 日本人の原点「祈りの日」式典〉は午後2時から憲政記念館ホールで執り行われた。入口で、「署名お願いします」と言われた。
〈3月11日 東日本大震災を心に刻む
「祈りの日」に制定する請願署名のお願い〉
と書かれている。
そして署名用紙が置かれている。
エッと思った。何もわざわざ「祈りの日」に制定しなくても、日本国民は皆、この日を忘れない。「風化」なんか絶対にしていない。
現に、こうして追悼式に多くの人が集まっているし、マスコミでも、大きく取り上げ、報道している。年を追うごとに、「この日を忘れるな!」という声が大きくなっている。私はそう思った。
ところが、この日の「祈りの日」式典に出、第2部の現地からの報告・講演を聞いて、驚いた。
東京では分からないが、現地の声を聞くと、確かに「風化」している。それを感じた。
その前に、「祈りの日」制定の〈請願署名のお願い〉だ。こう書かれている。
〈この未曾有の大惨事から、早くも三年の歳月が経過しました。この間、私たちは被災地の復旧・復興に叡智と力の限りを尽くしたでしょうか。一言で断ずれば、「否!」です〉
これには衝撃を受けた。ボランティアで現地に行った人も多い。復興支援した人も多いはずだ。マスコミでも、こんなに大々的に報道している。
でも、それを見ているだけで、やった気になってるのかもしれない。
確かに「力の限りを尽くしたか」と問われれば、「尽くした」とは言えない。
〈復興は遅々として進まず、被災者の方々の避難生活は続き、高齢者の孤独死が相次いでいます。私たちは再びこうした惨禍が起きることのないよう、全国民が挙って力を尽くさねばなりません〉
仮設住宅に住む人々も多く、初めは、「少しの間の辛抱だから」と思っていたのが、3年も続き、肉体的・精神的な病に倒れる人も多いという。鬱状態になる人も多く、特に、「音のストレス」にかかる人が多いという。
この日の「祈りの日」式典の第2部は、佐藤栄佐久さん(元福島県知事)、千代川茂さん(三陸花ホテルはまぎく代表取締役)の講演があった。
「東京では伝えられてない、現地からの話をします」と2人とも言う。
3年経ち、確実に「風化」は進んでいるという。ボランティアの人たちも急激に減ったし、復興は進んでない。長期の仮設住宅暮らしで鬱などになる人が増えている。
さらに驚くことを報告する。「東京オリンピックが決まって、かえって復興は遅れている」と。
そんな馬鹿な、と思った。オリンピックまでは東北を完全に復興させ、世界中の人々に来てもらい、東北を見てもらう。そのために、東北復興は急ピッチで進むのだろう。
そう思ったら、違っていた。政治家は口ではそう言うが、現地の実情は違う。
ゼネコンなどは、次々と東京へ戻り出した。東京での需要にひかれ、建設関係の人々が東京に戻っている。建設資材も高騰している。
そうなのか。このことは、全く知らなかった。だからこそ、「祈りの日」の制定を考えているのか、と理解した。
「請願署名のお願い」は、こう結ばれている。
〈私たちは三年目の大惨事を風化させることなく、心に刻み、再びこうした惨禍が起きることのないよう、誇りある国家を再興しなければなりません。そのために、この3月11日を「祈りの日」に制定する議員連盟の発足を図りたいと考え、皆様に請願のご署名をお願い申し上げます〉
この日の式典には、国会議員も沢山来ていた。ただ、国立劇場での政府主催の式典と重なる為、そちらが始まる前に出たり、あるいは、終わってから来る人が多かった。
第2部から参列した下村博文文部科学大臣は、「これはぜひやりたい」と言っていた。「祈りの日」という名前になるかどうかは分からないが、3月11日を、大震災を忘れない日にしたい、と言っていた。
大臣がここまで断言するのだ。実現すると思う。
この「請願署名のお願い」は村上正邦さん(元参議院自民党議員会長)が書いている。「祈りの日」に制定することで、大震災を風化させない。又、これまでの日本、これからの日本を考え直す日にもなると言う。
〈この東日本大震災は、私たち日本人に多くの教訓を残しました。科学技術の進歩や経済活動の成果として、私たちは生活の快適さや豊饒な日々を享受してきましたが、これらが大自然の脅威の前では如何に脆弱なものであるか、科学技術を信奉するあまり、自然への畏敬と感謝の念を忘却し、自己抑制という大切なものを失っていたこと等など。私たちはこうした教訓を真摯に受け止め、この未曾有の危機を克服せねばなりません〉
そうですね。そういうことを静かに考える日にしたらいいでしょう。「祈りの日」を。
国立劇場で行われた政府主催の追悼式では、天皇陛下のお言葉、安倍首相の言葉、遺族代表の言葉があった。
又、次の日の新聞には、「三権の長の式辞・追悼のあいさつ」が出ていた。
その中で、伊吹文明衆院議長の挨拶が印象に残った。
復興については全国民が一丸となって取り組んでいる。しかし…と言う。
〈一方で、被災地では仮設住宅等での不自由な生活を余儀なくされている方々も依然多く、震災前の生活を取り戻すことは容易ではありません。特に原子力発電所事故のあった福島県では、いまなお放射性物質による汚染に苦しんでいる方々が多くおられる現実を私たちは忘れるべきではないでしょう。そういった方々のことを思うと、電力を湯水のごとく使い快適な生活を送ってきたわれわれの責任を、全て福島の被災者の方々に負わせてしまったのではないかとの気持ちだけは持ち続けなければなりません〉
かなり、踏み込んだ発言をしている。さらに言う。
〈「3.11」を迎えるに際し、電力を無尽蔵に使えるものとの前提にたったライフスタイルを見直し、省エネルギーと省電力の暮らしに舵(かじ)を切らねばなりません。われわれ国会議員は、エネルギー政策の在り方について、現実社会を混乱させることなく、将来の脱原発を見据えて議論を尽くしていきたいと思います〉
これは勇気ある発言だ。「脱原発」についてキチンと発言しているのは伊吹さんだけだ。
3月11日を「祈りの日」として制定したら、こういうエネルギー問題も皆で考える日にしてもらいたい。
特に原発問題は一番、「風化」している問題だ。原発は危険だと思う人々が多いにもかかわらず、衆院選でも都知事選でも、争点にならない。
都知事選では脱原発派が、かえってそれを言うことによって負けた。「いつまでも脱原発を言うんじゃない!」「経済成長のためには原発は必要だ」という声が強くなっている。「安全」よりも「成長」なのだ。
これではいけない。追悼し、復興を考え、そして原発を考える。そういう日にしたらいい。
3月11日(火)は、私は〈日本人の原点「祈りの日」式典〉に出た。その2日前の9日(日)には脱原発の集会に行った。この2つが一緒にやってもいいのに。
でも今は、「追悼」と「脱原発」は別々だ。
又、9日(日)の脱原発の集会も日比谷野音と日比谷公園と2つに別れてやっていた。こんなに近いのに。都知事選でも脱原発候補が別々に立った。票が分れていた。
9日(日)は日比谷野音では、午後1時から「原発ゼロ大統一行動」が行われ、そのあと、「大請願デモ・国会大包囲」。
社民、民主、共産そして労組もいて、入り切れないほどの人だったという。
同じ時、すぐ近くの日比谷公園内の噴水広場では、「Peace on Earth」が行われ、私はそれに参加した。
坂本龍一さん、加藤登紀子さん、SUGIZO、エセタイマーズなどが出演。
噴水前のブースでは坂本さんと私の『愛国者の憂鬱』(金曜日)が売られていた。沢山あった本が完売した。
坂本さんのステージは2回。
1回目は2時50分からで、後藤正文さん、三宅洋平さんとトーク。
2回目は飯田哲也さん、吉原毅さん(城南信金)、「フタバから遠く離れて」の映画監督・舩橋淳さん、島キクジロウ弁護士とトーク。
その間には、控え室でテレビの取材などで忙しそうだった。その時に私も会った。
坂本さんとの本は発売1週間で増刷になるし、『週刊現代』や、いろんなところで書評に取り上げられている。
「世界のサカモト」のおかげだ。そのお礼を言いました。今度はぜひ、「愛と正義について」話して本にしましょうよ、と言いました。
この日は、多くのアーティストに会いました。K DUB SHINEさん、ウォン・ウィンツァンさん(ピアニスト)などです。
「SUGIZOに会いたい」と付いてきた女性は、「週刊金曜日」の赤岩記者に紹介してもらい、大感激でした。「私、泣いちゃう」「もう死んでもいい」と大喜びでした。
飯田さんや、吉原さんとも話をしました。とにかく、凄い人たちが集まるライブでした。
そうだ。3月11日(火)は、「祈りの日」式典。9日(日)は脱原発の日比谷公園集会。その前日の9日(日)は西宮に行ったんだ。
「浅野健一ゼミin西宮」で、ゲストは松本サリン事件冤罪被害者の河野義行さんだ。
これはぜひ聞きたいと思って、「一般客」として参加した。とてもよかったですね。
河野さんとも久しぶりにお話ししました。
そしたら何と、私の姪(兄貴の娘)が来てくれました。「坂本さんの本も、『反逆の作法』もよかった。涙が出た」と言ってました。親類の人に初めて認めてもらいました。嬉しかったです。
その前日の7日(金)は神田の東京堂で『愛国者の憂鬱』(金曜日)の発売記念トーク。
坂本さんは来れなかったのですが、金曜日の発行人の北村さんとトークしました。かなり、突っ込んだ話をしました。
こちらの会場には何と、私の姪(弟の娘)が来てくれました。坂本さんの本と、『反逆の作法』がよかった。涙が出た、と言ってました。
2日続けて、姪に会ったわけです。嬉しかったです。
去年の二月に、私は名古屋の教会に呼ばれて講演をしましたが、その時の岩本和則牧師さんからもお手紙をいただきました。
私は、東北で生まれたので、私自身がほとんど「東北製」だ。
だからこの本は、私を通し、〈東北〉が叫び、語ってるのだ。と書きましたが、そこがいいと言います。
パウロは、「私ではない。キリストが語っているのだ」と言ったが、それを思い出すと言います。そして、「鈴木さんはパウロだ」と言います。
パウロは、かつてはキリスト教徒を弾圧してたんですが回心して、キリストのために命を懸けます。そこが似てると言います。もったいないお話です。
『反逆の作法』では、キリストのこと、ドストエフスキーのこと、高橋和巳のこと、谷口雅春先生のこと、大森知義先生のこと…。かなり〈宗教〉のことに向き合って考えています。
又、親の話もよく出てきます。私が「生長の家」に入った契機は親ですし。だから、姪たちも、そこに感動してくれたのでしょう。
大森先生は「生長の家学生道場」の道場長さんです。とてもお世話になった先生です。
石川県の布清信氏は、私の後輩ですが、大森先生の家に行って、本をお仏壇に供えてきました、と言っていた。ありがたいです。
私もお参りに行かなくてはなりません。
『反逆の作法』は、私が影響を受けた11人の人々のことも書きました。又、さらに思い出して、続編を書いてみたいです。
坂本さんとも又、話をして、映画、音楽、世界とは…について聞いてみたいです。
『「日本の分」を考える』(柏艪舎)は、これから第2弾、第3弾と出るでしょう。
この本で中島岳志さんは「血盟団」の話をしています。
実は4月11日(金)に一水会フォーラムで中島岳志さんに来てもらい、「血盟団」の話をしてもらいます。この本が、ちょうどテキストになるでしょう。
『連合赤軍は新選組だ!』(彩流社)も、読んで「面白い!」と言ってくれる人が結構いますので、いろんな人と対談をして、又、まとめてみたいですね。
「本当にNHKの大河ドラマになったらいいですね」と言う人もいます。なりますよ。新選組と同じですよ。「その時は、僕は沖田総司ですかね」と植垣康博さんは言ってました。
「私は、逃げて15年の時効まで逃げ切ったから、さしずめ永倉新八でしょうね」と金廣志さんは言います。
その前に、ダラ幹として粛清された幹部もいますよね。
そう言ったら、「俺のことを芹沢鴨と言うな!」と塩見孝也さんに叱られました。「そんなことを二度と言ったら許さんぞ。総括だ!」と。
はいはい。だから、皆さんも、絶対に言わないように。では、おわり。
休憩の後、第2部が始まる。
佐藤栄佐久さん(元福島県知事)の講演。千代丸茂さん(三陸花ホテルはまぎく代表取締役)の講演。藤間浩菊さんの踊り。LAWBLOWの歌。午後5時、閉会の挨拶。
厳粛な中にも、戦後日本の歩みについて、又、我々自身の生き方について考えさせられる式典でした。国会議員も多く来ていました。「祈りの日」として法制化してもらいたいです。
午後6時、目黒の円融寺。松下昭氏のお通夜。前日聞いて驚いた。生学連、全国学協の活動を一緒にやった仲間だ。
「生長の家」の運動一筋で、「神の国寮」理事長をやっていた。66才。何とも残念だ。
全国学協の仲間だった井脇ノブ子さん(元衆議院議員)や安東巖氏などに会った。「この前は吉田良二氏の葬儀で会ったな」と言ってる人も。
こういう時だけ昔の仲間が会うというのも悲しい。終わって、ロフトプラスワンへ。終わり近くだが、までやっていた。
〈家入一真×上祐史浩
リアルお悩み相談室〉
家入さんとは初対面。この前の都知事選に出た人だ。皆に、「都知事!」と呼ばれていた。
11時に終了し、そのあと、2人を囲んで、懇談会。終わったのは12時半。長丁場だ。
午後、原稿。
7時、ホテルサンルート高田馬場。一水会フォーラム。耐震補修中だったホテルサンルートが補修が終了し、又、フォーラムはここに戻ってきた。
講師は小林節先生(慶應義塾大学教授・弁護士)で、「安倍政権が目論む集団的自衛権を考える」。とても勉強になりました。竹田恒泰さん、山口敏夫さんなども聞きに来てました。終わって、二次会。
⑤復興への激励の歌をうたった「LAWBLOW」のお2人です。岩手県を本拠に活動しています。「鈴木さん仙台でしょう。僕らも仙台でよくやってます」と言ってました。「マネージャーは東北学院出身です。鈴木さんと同じです」と。
⑥3月9日(日)の「Peace on Earth」のステージです。日比谷公園の噴水前広場で行われました。ミュージシャン、弁護士、文化人が集まって開かれ、「脱原発」を訴えました。このステージは、坂本龍一さん、舩橋淳監督、吉原毅さん、飯田哲也さん、島キクジロウ弁護士。
⑲指を見て、「あっ! 蛇の指輪の女性だ!」「ブログに載ってた!」と言われてました。左の女性です。若松監督の「11.25自決の日」を20回も見たことで有名です。
右は私の姪です。弟(山形大学教授)の娘です。初め分からなかったら、「あっ、可愛い姪を忘れたの?」。サインしようとしたら、「あっ、姪の名前も忘れたの?」と言われました。「いやー、大きくなって、きれいになっちゃって。それで分からなかったんですよ」と言いました。
㉚3月12日(水)午後3時から、河合塾コスモで。英語の吉田先生と「合同授業」。〈正義について〉。そのあと、私の『愛国者の憂鬱』『反逆の作法』を取り上げて、「愛国心」などについて語り合いました。質問も沢山出ました。このあと、近所の居酒屋で打ち上げ。