人間はなぜ、闘うのか。なぜ、戦争はなくならないのか。それも、「平和を求めて」いるのに…。
いや、〈平和〉を求めるからこそ、戦争を起こしているのだ。
そのことを考えた。4日連続で、個人授業を受けたような感じだった。
3月18日(火)札幌時計台シンポジウムで、石川明人さん(北海道大学助教)と、「戦争・宗教・そして人間」について話し合った。
3月19日(水)は武闘家の甲野善紀さんに会った。
20日(木)は女子柔道の銀メダリスト・溝口紀子さんと対談した。
そして21日(金)は骨法道場の堀辺正史先生と会った。
濃い4日間だった。武道について、そして平和について考えた。
では、18日の石川さんとの話だ。
石川さんはキリスト教徒だ。そして、『戦争は人間的な営みである』(並木書房)という、何ともショッキングで挑発的なタイトルの本を書いている。
「戦争」と「宗教」。これは全く相反するものなのか。宗教を基にした平和運動はあるし、その力は大きい。宗教こそがこの世から戦争をなくせるものだ。そう思う人が多い。
だが、同時に、「宗教が生まれたから、戦争は拡大し、妥協のない戦いになった」と言う人もいる。
十字軍戦争やイスラム過激派がからむ戦争などを考えると、それも言えるだろう。
別の言葉で言えば、こうだ。
神、正義、そして民主主義。
これら、絶対に正しいものだと思われる概念で戦争をすると、もう止められない。
徹底的に相手を滅ぼすか、自分たちが玉砕するか。どちらかしかない。
神、正義、民主主義は絶対に正しいのだから、「この辺でやめとこう」という妥協はない。
日本だって、負け戦が続いて、「もうこの辺で止めよう」と言う者がいても、許されない。国家が皆で決めた戦争だからだ。
「そんなことをしたら、戦死した何十万人の人々に何と申し訳できるのだ」と言われると、皆、黙るしかない。死んだ人間を持ち出されたら、誰も抵抗出来ない。勝てない。
もし、独裁的な王国ならば。又、貴族制の国ならば、自分たちの利害で考えるから、「この辺でやめよう」「徹底的にやったら、我々の地位も危ない」と考えて、やめることも出来る。王や貴族の「個人的利害」で考えて、戦争をやめることが出来る。
しかし、神、正義、民主主義…という「正しい」動機、「正しい」手続きで始められた戦争は、妥協出来ないし、停戦も出来ない。
だから、「民主主義国家」の方が、「王や貴族などの独裁国家」よりも、はるかに多く戦争をしているのだ、という。
なるほど、と思った。
民主主義国家では、人々は、自分の考えを発し、それが多くなると国家を動かす。
戦争もそうだ。独裁者や軍部が、無理に戦争を起こし、(平和を愛する多くの)人々に銃を押しつけて戦争に向かわせた。…と、私らは学校で教わってきたが、全くの嘘なのだ。
人民が戦争を欲し、マスコミが煽り、政治家、軍人の尻を叩いて、戦争に向かわせたのだ。
(勿論、政治家や軍部がリーダーシップを取っただろうが、マスコミも国民も支持したから戦争になったのだ)
東條英機のお孫さんの東條由布子さんと何度かテレビで一緒になったことがある。
「おじいさんの所に国民から多くの手紙が来てました」という。
戦争前だ。それも、脅迫、批判の手紙ばかりだったという。
「早く戦争をやれ!」「なぜ、やらない。臆病者め!」「売国奴め!」というものばかりだという。そんな手紙が段ボールにいくつもあったという。
人民の方が「好戦的」なのだ。
それなのに、我々は、歴史の時間に嘘を教えられていた。
人民、庶民は常に平和を愛し、普通の生活をしたいと願っていた。
ところが、為政者や軍人が、無理矢理に戦争を始め、人々に銃口を突きつけて、戦場に連れて行ったのだ、と。
これは嘘なんだ。
3月18日(火)の時計台シンポジウムでは、初めに私はそんな話をした。
それから、石川明人さんが50分、講演をする。
休憩をはさんで、石川さんと私の対談。
そして会場からの質問を受ける。
石川さんの主要な著書は3冊だ。私も事前に精読した。
今まで余り考えてなかった問題が多かったので、驚いたし、考えさせられた。
以下の3冊だ。
1.『戦争は人間的な営みである=戦争文化試論』(並木書房)
2.『戦場の宗教、軍人の信仰』(八千代出版)
3.『ティリッヒの宗教芸術論』(北海道大学出版会)
3冊とも興奮して読んだ。軍隊の中の聖職者たち(アメリカ軍の従軍チャブレン)については、ほとんど知らなかったので、教えられた。
単なる「従軍牧師」ではない。大尉や少佐など軍の階級を持つ士官であり、他の将校と全く同じ軍服を着用している。敵軍からは見分けがつかない。だから、戦死者も多い。
軍隊内で祈り、兵隊の相談に乗り、魂の救済をしながら、共に闘っている。
その〈チャブレン制度〉がなぜ生まれたか。そして今、どうなっているのか。詳しく書かれている。
キリスト教徒のいる軍隊なら、どこでも、このチャブレンはいるし、その世界的な交流機関もあるという。
それが、世界平和を考える大きな動きになるかもしれない。
石川さんは又、内村鑑三の非戦論についても深く突っ込んで考える。
この3冊の他に、4月中旬には、もう1冊出る、という。
星川啓慈さん(大正大学教授)との共著で、『人はなぜ平和を祈りながら戦うのか?=私たちの戦争と宗教』(並木書房)だ。
この本のタイトルも凄い。人間そのものの矛盾、葛藤でもある。楽しみな本だ。
『戦争は人間的な営みである』の本の帯には、アルピニスト・野口健さんの推薦の言葉が書かれている。
〈戦争について考えるきっかけが詰まっている〉
又、第2弾の『戦場の宗教、軍人の信仰』には橋爪大三郎さん(社会学者)の推薦の言葉がある。
〈戦争と宗教の両輪に、未踏のテーマに挑む。勇気ある挑戦の書だ〉
野口健さんとは高校の同級生だという。それも、立教大学の高校生の時だ。
そこの高校はイギリスにもあり、そこで、高校時代を過ごしたという。
18日に会った時、石川さんは言う。「学生時代に、鈴木さんに勝ってることが一つあるんですよ」と。
「鈴木さんは学生道場で3人部屋だった、と言ってましたが、私は34人部屋でした」。
高校のロンドン校の話だ。3人だって嫌で嫌でたまらなかったのに…。
でも「34人部屋」なんて、あるのか。どうやって作るのか。
これじゃ、学校の部屋というよりも軍隊の兵舎ですよね。
本当に、ご苦労様でした。私なんかは3人部屋で文句を言ってちゃいけないのかもしれません。
その石川さんの『戦争は人間的な営みである』の中に、こういう記述がありました。ウーン、そうだよな。と唸ってしまいました。
〈人間は、ただ食って、寝て、子供を残すだけでは満足できない生き物である。「正しく生きる」「快適に生きる」「美しく生きる」ことを求める。愛とか正義とか平和とか理想といったものにこだわるからこそ、「この社会を正しくせねばならない」と思うわけであろう。
そうした思いが通常は政治運動や社会運動へと結びつくが、時にはさらに、戦争やテロへと結びつく。そういう意味で、やはり戦争と平和は、正反対のものではなく、むしろ同じ地平にあるものだと考えられねばならない〉
そうか。左右の政治運動も、究極の「平和」を求めながら、それを「勝ちとる」ために「闘う」。
赤軍派なんて、「東京戦争」「大阪戦争」なんて呼号してたし、「革命戦争」を目指していた。
右翼も、ほとんどの人がテロを肯定している。
じゃ、左右の政治運動は「ミニ戦争」をやっているのか。
そして、「その後は、より大きな「戦争」を目指しているのか。
そうだ。テロリストや戦争指導者は「きれい好き」が多いと、誰かが言っていた。
誰だっけ。もしかしたら、私かもしれない。
きれいな社会を欲し、一点でもゴミやシミがあると許せない。それはすぐに消してしまおうとする。元のきれいにしたい。そう思うのだ。
ただ、「きれいにしたい」というのは、排外主義や差別やテロ、戦争に結びつきやすい。そう言うんですな。
〈もちろん、清らかなもの、清らかで純粋な社会を求めることそれ自体は正しい。
だが、浄化の思想は、しばしば排斥の思想につながるものである。人は、純粋さや清浄さを愛し、それを求めようとするあまり、相反するものを排除しようとし、結果として善意から悪を行ってしまうことがある。そこまでいかなくても、異なる立場に対して、極めて不寛容になってしまうことがある。
そうした点では、極端な信仰の持ち主や、極端な右翼や左翼は、実によく似ている。彼らは、いずれも、極端な平和主義者なのである〉
そうですね。私も昔は、「極端な潔癖主義者」で、「極端な平和主義者」でした。
石原莞爾は日蓮主義者で、平和主義者で軍人だった。究極の「平和」を求める余り、その前に「最終戦争だ!」と言った。
第二次世界大戦だって、連合国は、究極の〈平和〉な世界を夢みたのだろう。日、独、伊という「悪の枢軸国」さえ倒せば、世界は、清らかな、平和な世界になると思ったのだろう。
宗教があり、極端な平和を求めるから〈戦争〉になる。
その中で、宗教の果たす役割は何か。反戦運動はどうあるべきなのか…といった壮大なテーマについて、話し合いました。3月18日(火)の札幌時計台では。
翌3月19日(水)。朝一番の飛行機で千歳から羽田に。
そして、午前11時、ザ・プリンスパークタワーで、武道家の甲野善紀さんに会いました。前からお会いしたいと思ってました。
前に福岡で出光豊さんにお会いした時、その勉強会をコーディネートしていた大塚聖さんが、紹介してくれたのです。福岡の勉強会にも何度か来てもらったといいます。
甲野さんは、本は沢山出してるし、NHKを初め、テレビでもよく紹介されてます。
だから、見たことのある人は多いでしょう。
私は、NHKの「課外授業ようこそ先輩」などで見ました。
武道の極意を生かし、巨人軍の桑田選手を指導したり、バスケ、卓球の選手なども指導。大きな成果を上げている。さらに
〈武術を用いた介護法が腰を痛めないこと、楽器演奏者も武術の体の使い方から思いがけない気づきを得るなど、いくつものジャンルから関心を持たれ…〉
と、『武道から武術へ』(Gakken)の著者紹介には書かれている。
武道・格闘技の世界を大きく超えて、活躍している。さらに、農業、芸術の世界をも視野に入れて、活動している。
武道で発見した真髄をもって、他の分野にも貢献しようというのだ。柔道のいう「自他共栄」だ。
柔道界は、しばらく激震が続いた。15人の女子選手の告発、セクハラ問題などだ。
それに対し、『性と柔』(河出書房新社)を書いて、問題提起したのが溝口紀子さんだ。
甲野さんと会った次の日、3月20日(木)に会って、対談した。『紙の爆弾』の対談だ。
溝口さんの本の帯にはこう書かれている。
〈嘉納治五郎が掲げた柔道の目的は「精力善用」「自他共栄」であるが、今日の暴力や公金不正使用、といった相次ぐ全柔連の不祥事をみると、現在の柔道は皮肉にも「精力悪用」「自他共犯」と置き換えることができる。反面、15人の選手の告発は、本当の意味でスポーツの民主化、オリンピズムが浸透してきたことの何よりの証左である〉
溝口さんはバルセロナ・オリンピックの銀メダリストだ。
そして今は静岡文化芸術大学で教えてる。准教授だ。
本も、実に詳しい。柔道の歴史、問題点についてキチンと指摘している。
この対談は、近く、『紙の爆弾』に載るので、読んでもらいたい。
そして、翌3月21日(金)は、骨法道場の堀辺正史先生にお会いした。
中野の喫茶店でお会いしたが、話が尽きない。
というより、私が一方的に質問し、教えてもらったのだ。
「武士道とは何か」。現代における「護身」とは何か。「敵」とは何か…。といった問題について教えてもらった。
私の本は全部、読んでもらっている。その上で、私は、分からないことがあると、よく電話して、質問している。
今は、不安な社会で、通り魔やストーカーや、ともかく得体の知れない「敵」に襲われる危険性がある。
そうした危険から、どうやって身を守るのか。そんな本を書かれてはどうですかと私は言った。武士道の真髄を、一般の人々にも知らせてあげてはどうかと言ったのだ。
かなり難しいという。
というのは、子供の時から武士は、イザという時の心構えを教わっていた。
口に出さなくても、生きている日常生活全てが、「イザ」という時に備えていたのだという。そういう「心構え」を教わっていた。
そういうものがないのに、「電車の中で襲われたらどうする」「ナイフを突きつけられたらどうする」といった「知識」「技術」「情報」ばかりをいくら知っていても役に立たないという。
それを使える、覚悟がないからだろう。
「技」「知識」を教えるより前に、「心」を教えなくてはならない。
武士は子供のうちから、それを学んだのだ、という。
極端なイザという場合は、「切腹」する覚悟も持っていた。子供の時から、切腹の作法も教わっていた。
だから、生命は、初めから捨てているのだ。その上で闘う。日常生活を生きる。
志や覚悟もないのに、今の自分をただ護るという「護身」なんかは考えていなかった、という。なるほどと思った。
武士道のこと、歴史教育のこと、国際社会のこと。いろんなことを教えてもらった。贅沢な個人授業だ。
気がついたら、4時間も話していた。
いつか、キチンと話を聞いて、〈武士道〉の本でも作りたいですね。レーニンさん、よろしくお願いします。
OPEN 18:00 / START 18:45
予約¥1,500 / 当日¥1,800(共に飲食代別)
【出演】
鈴木邦男(一水会顧問、作家)
高橋伴明(『光の雨』監督)
ほか、サプライズゲスト!!
【司会】
椎野レーニン(編集者)
“新選組は武士出身でなかったがゆえに「武士道」にこだわった。連合赤軍も似てい
る”と、『連合赤軍は新選組だ!』を出版した鈴木邦男。
実は鈴木邦男さんが連合赤軍に「目覚めた」のは、1984年、あの池袋文芸坐での、伝説のシンポジウムだった(司会・田原総一朗)。
そのシンポジウムに、鈴木邦男、中上健次、立松和平らとともに登壇したのが、高橋伴明監督。
そのシンポから遅れること十余年、「光の雨」を世に問うた!二人が、連赤を徹底的に語り倒す!
〈呉善花さんを励まし、励まされる集い〉
来日30年。拓大教授就任10年。そして新著を祝う〉
大きなホールが超満員だった。呉さんは、何と和服姿で現れた。
渡部昇一さん、渡辺利夫さん、石平さん、黄文雄さん、ペマ・ギャルポさんの「即席シンポジウム」。そして田母神俊雄さんの乾杯。櫻井よしこさんらが挨拶。
凄い人たちばかりでした。その人たちと話しました。
終わって近くのお店で打ち上げ。伊東秀子さん(元衆議院議員)も来てくれました。5月のゲストです。「今日は下見も兼ねて、お邪魔しました」と言ってました。
夜12時頃、ホテルに帰る。急ぎの原稿(校正)が3社から来ていた。メールとFAXで。朝までかかって、仕事をする。1時間ほど寝て、千歳に。
そこに、武道家の甲野善紀さんが来られて、紹介してもらう。
武道を極め、武道の真髄を、他のスポーツや介護、芸術の世界にも輸出し、教えている。凄い。
甲野さんは、沢山の本を書いている。もっともっと読んでみよう。その上で又、教えてもらいたいです。夕方、家に帰り、少し寝てから、仕事。
①3月18日(火)午後6時から、「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」が行われました。私が挨拶し、石川明人さん(北海道大学助教)が講演。「戦争、宗教、そして人間」のテーマで。そのあと、2人でトークをしました。
③打ち上げ会場で。左は、柏艪舎の山本社長。私、伊東秀子さん、伊東さんは弁護士で、元衆議院議員。5月20日(火)の「時計台シンポジウム」のゲストです。右側は司会をしてくれた中尾さん。石川明人さん、石川さんの生徒。
⑰秋田から伊藤邦典氏(右)も来てくれました。「生長の家」の運動をずっとやっています。元「楯の会」です。
左は弟の邦明氏。今、一水会事務局にいます。左から、邦明、邦男、邦典です。子供の頃からの知り合いです。なぜか名前が似てます。「邦」で因数分解出来ます。
㉒「明日、面白いイベントがあるんで、来ませんか」と及川健二さんに言われて来たのです。3月16日(日)。下北沢。堀潤さん(左)と下村健一さん(右)のトーク。「市民メディアと災害報道」。とてもよかったです。
㉓あれっ、参加者の中に、知った人が。赤ちゃんを抱いてました。
「さあ、父親は誰でしょう?」。エッ? おいら? 「そんな訳ないでしょう。手も握ったことないのに」。近くにいた父親を紹介されました。
よかったですね。幸せになって。かわいい赤ちゃんで、つい、喉をなでてしまいました。
㉕3月13日(木)松下昭さんのお通夜に参列しました。
松下さんは「生長の家」の学生運動出身です。そして「全国学協」の運動をやりました。そのあともずっと、「生長の家」の運動をやっていて、国立にある「神の国寮」理事長でした。数年前から体調を崩し、最近急に亡くなりました。66才でした。まだ若いのに。ガックリしました。
㉘長崎大学自治会を握り、民族派学生運動を作った人です。左、安東巖氏です。「生長の家」本部に勤めてましたが、定年で辞めて、今はフリーです。
「今からでも国会に出たらいいのに。才能があるのにもったいないよ」と私は言いました。