3月27日(木)。袴田巖さんの再審が決定し、即日釈放された。何と、48年ぶりの釈放だ。
各新聞の号外が出たし、この日のニュースでは、この「再審決定」「釈放」が大々的に取り上げられていた。翌28日の朝刊は、どこも1面トップで報じた。
そして、静岡地裁(村山浩昭裁判長)の決定が見出しで、大きく出ていた。
「拘置、耐え難いほど正義に反する」東京新聞
「証拠捏造の疑い」産経新聞
「国家が無実の個人陥れた」朝日新聞
これは歴史的な決定だ。死刑囚が再審決定と同時に釈放されるのも初めてだ。
この日から3日後の3月30日(日)、その静岡市で、「袴田巖さんお目でとう。再審決定。報告集会」が開かれた。
これはぜひ行かなくては、と思い、豪雨の中、新幹線に乗った。27日の地裁前での集会には行けなかったので、この日はぜひ行こうと思っていた。
午後1時開場。1時半、開始だ。
でも、全国から支援者がドッと集まるだろう。
お祝いを言いたい人も来る。画期的な〈再審決定〉の話を聞きたい。弁護人の報告があるし、又、「冤罪事件」の他の被告の人たちも来る。マスコミもドッと来る。
30分か1時間前なら、もう座れないだろう。いや、会場には入れないかもしれない。
そう思って、2時間前に静岡に着いた。
改札口には名古屋から来た岩井さんたちが待っていた。他に東京から来た人々も合流する。
外に出たら、凄い雨だ。豪雨だ。
「歩いたら10分位ですが、この豪雨ですから」と地元の人が言う。それで車で行った。
会場は静岡労政会館。会場は開いてないし、主催者は来ていない。
でも、入場希望者がもう何人も待っている。じゃ、昼食に行こうとなり、豪雨の中、外に出て店を探す。牛丼屋があったので、そこで食べる。
「神奈川から来ました」という一行とも会う。やはり全国から来てるんだ。
それから会場に行って待つ。人が多くなったので、「1時開場」だったのに、予定を早めて12時半に開場。1時間前の開場だ。
広い会場がたちまち埋まる。弁護団の人、冤罪被害者の人たち、マスコミ、ジャーナリスト、支援者などが続々と詰めかける。
知り合いの記者に挨拶される。冤罪被害者の赤堀さん、菅家さんなどにも会う。袴田巖さんのお姉さんも来た。「本当におめでとうございます」と言いました。大変な闘いだった。
「まさか、当日に釈放されると思ってなかったので、ホテルも取ってなかったんです」とお姉さん。
お姉さんだって即日釈放されるとは思ってなかったんだから、当の袴田巖さんだって、そうだ。「再審」のことだって、信じられなかった。「嘘だ!」と言ってたという。
お姉さんに聞いたが、当日、3月27日、午後に東京拘置所で巖さんの面会の予定を取っていた。再審か否か。どちらに転んでも巖さんに伝えようと思っていたのだ。
午前中、静岡地裁で「再審」決定! 地裁前では喜ぶ人々の様子がテレビに出ていた。
でも、お姉さんは、すぐに新幹線で東京に向かう。「ともかく、再審決定の報を弟に伝えなくては…」と。
そして、面会した巖さんに、「再審が決定したよ!」と伝えた。
しかし、巖さんは信じない。「嘘だ!」「自分をだましにきたのだ」「帰れ!」と、全くとりつく島もない。
面会が終わると、係官が、「ちょっとこちらへ」と言って、応接室に案内する。アレッ、何かあるのかなと不思議に思って、入った。
するとそこに、巖さんも入ってきた。そして係官から、「釈放です」と告げられた。
お姉さんも驚いた。まさか即日釈放とは思ってもいない。
皆で、東京拘置所を出て、やっと巖さんも信用したようだ。「解放されたんだ」と呟いた。
大勢のマスコミの人が待っていた。巖さんに質問するが、スムーズには答えられない。拘禁症で体調を崩しているし、認知症だとも言われていたし。
又、興奮状況の中で〈この決定〉をはっきりとは理解出来ないようだ。「喜んでますよ」「解放されたと言ってますよ」とお姉さんが「通訳」する。
当日は、まさか釈放されるとは思わないから何の準備もしていない。ホテルも取ってない。慌てて、探して、東京湾のそばのホテルに泊まった。
朝、外を見て、「海だよ」と言ったら、巖さんは、「大井川か」と言った。故郷の川と思ったんだ。
お姉さんからその話を聞いて、「えっ、しっかりしてるじゃないですか」と思った。だって、肉体的・精神的にダメージを受けて、拘禁症や認知症が進んでると言われていた。釈放されても分からないんじゃないか…と。
でも、外に出て、「解放された」と言ったし、硬い表情ながら、Vサインもしている。
又、「大井川か」と言った。解放され、外に出て、急速に元気になってきたのだろう。
「いや、今までは、何を言ってもダメだ。何も言うまい。とガードしてたんでしょう」とお姉さんは言う。弁護士さんや支援者の人に聞いても、そうだろうと言う。
袴田巖さんはボクサーだ。だから、ボクサーとしてのガードをしてたのではないか。と言う人もいた。ウーン、そうなのかと思った。
この日(3月30日)の集会では、集会アピールが読み上げられた。
「袴田さんは無実だ! 再審開始決定報告集会アピール」だ。
その中に、こんな文がある。
〈獄中の袴田さんは無実の訴えを途切れることなく続けて来ましたが、誰をも信じることができなくなり、自らを護るため外界との接触を絶ち切ることでしか、生き延びることができませんでした〉
そうか、これなのか。と思った。
そうだ。ナチスの「強制収容所」での地獄の体験を書いたフランクルの『夜と霧』の中に、こんな話が紹介されていた。
時々、〈情報〉が入る。「噂」と言ってもいい。
「今年のクリスマスまでには戦争が終わり、我々は解放されるらしい」。連合軍は攻勢だし、ドイツは降伏するだろうと。それを百%信じ込み、「その日まで、頑張ろう」と思う。
ただ、それを信じるにも温度差がある。「まあ、あったらいいな」「そんなことないよ」と思う人もいる。
そんな人たちは、クリスマスに解放されなくても、「やっぱりな」「ムリだよ」と思い、それほどショックを受けない。
ところが、100%信じた人たちは、その「情報」「噂」が嘘だと分かった瞬間、皆バタバタと死んでいったという。
恐ろしい話だ。その「情報」だけに頼り、すがってきた。いわば蜘蛛の糸のようなものだ。
それがプツリと切れた時、自分も死んだ。
袴田さんはボクサーだ。格闘家だ。だから、「ガード」したのだ。ディフェンスの体勢を取ったのだ。取り調べの段階でも、いやというほど「情報」や「噂」や、甘い「囁き」もあったのだろう。
だから、どんな「囁き」にも乗ってはならない。…そう思って、ガードを固くしたのだろう。
3月30日の集会では、ある支援者がこんなことを言っていた。
「沢山の人が支援しました。弁護士さんも頑張りました。しかし、今回、第一番の功労者は袴田巖さんです。よくここまで生きていてくれた。闘ってくれた!」。
本当にその通りだと思った。最有力な証拠とされた、5点の衣類。そのDNA鑑定などに基づいて再審請求がされた。
それと何と言ってもお姉さんの力だ。獄中48年の巖さんをずっと支え続けて来た。全てを投げ打って、弟のために尽力してきた。とても出来ることではない。
あらゆる集会に出て、巖さんの無実を訴えた。
弁護士も頑張った。マスコミも動いた。ボクシング関係者も動いた。そして国会議員も動いた。日本中が大きく動いた。その大きな力があった。
又、これは日本だけではない。世界にも大きく発信された。アムネスティの人が言ってたが、世界でも大々的に報道された。
日本は人権に対し、真剣に考えている国だ。冤罪を無くそうと努力している国だ。…そのことが伝えられたのは大きいと思う。
大久保でのヘイトスピーチや、慰安婦問題、河野談話をめぐる、韓国、中国との軋轢。又、憲法改正や集団的自衛権をめぐる日本の右傾化。いや、超保守化。
日本は再び軍国主義の国に戻るのではないか…と周りの国々から警戒されている。
そんな時に、いや、日本は、人権のことを考え、(後ろ向きではなく)、ちゃんと前を向いて歩いているんだ。というメッセージを発信出来たと思う。
オリンピックを開催する国として、人権を考えた。明るく自由な国・日本を強調出来たと、思う。
と、ここまでは、明るい面だ。
30日の静岡の集会では、このまま、再審が開始され、完全無罪が立証されるだろう。
と思ったが、「いや、まだまだだ」と言う人もいる。
「地検が抗告しないようにしよう」「手紙を出そう。抗議しよう」と言う人も多かった。
まさか、この「時代の流れ」に逆らうことはないだろう。これだけ、「証拠捏造の疑い」「正義に反する」と静岡地裁が断言したのだ。地検が、それを否定出来るのか。「再審の流れ」は止められないだろう。と私などは思っていた。
ところが、翌31日、地検は抗告した。4月1日付の新聞にはこう出ていた。
〈静岡地検が即時抗告
袴田事件再審 「捏造」承伏できぬ〉
これは、いわば検察のメンツなのだろう。
自分たちの先輩がやってきたことを、「捏造」と言われては立つ瀬がない。検察の存在理由そのものが問われる。そんな恐怖感からの抗告なのだろう。
抗告の理由は産経新聞(4月1日)によると、こうだ。
〈同地検の西谷隆次席検事は抗告の理由について、「DNA型鑑定に関する証拠の評価などに問題がある」「証拠について、合理的な根拠もないのに、警察によって捏造された疑いがあるなどとしており、到底承服できるものではない」とコメントしている〉
今後は東京高裁の即時抗告審で改めて再審開始の可否が審理される。東京高裁の良識ある判断、決定を期待したい。時代の流れを逆行させることは出来ないはずだ。
「ミヤマ」を出てからは、柔道に行く。闘いました。闘う平和学だ。
しかし、1日10冊読めたら、「月300冊」も夢ではない。いやいや、そんなに読む必要はないか。そうだ。手帳を調べたら、今までの最高は「月100冊」だ。これ以上読む必要はないだろう。
あっ、今日はエイプリルフールだった。でも、10冊読んだのは本当ですけん。でも、こんな「荒れた読書」をしていていいんだろう。考え込んだ。
『連合赤軍は新選組だ!』は売れてるようだ。「読者カード」も沢山来てる、と見せてくれました。「面白い!」「右翼のくせに連赤を取材して本にするなんて偉い!」「心が広い」「植垣さんとの対談が特によかった!」…と。
植垣さんが27年の獄中生活を終えて出てきた時は、私は、郷里の鳥取まで行って対談したんですよね。思い出しました。とても衝撃的でした。
午後1時、喫茶店「ミヤマ」の会議室で、出版社の取材。5時まで。
それから新宿に行く。新宿西口の「SPACE107」。「劇団東京ミルクホール」の第20回本公演。残念ながら、これが最後の公演だという。それにしても何と衝撃的で、スリリングな公演だろう。題して、
〈英霊だよ!全員集合〉
凄かったです。ウワー! ここまでやるのか!ここまでやっていいのかと思いました。
終わって、演出の佐野バビ市さんと話しました。「鈴木さんには、ぜひ見てほしかったんです」と言う。予想以上だった。期待以上だった。今度、どこかで対談しましょう。
終わって、レーニンさんたちと飲みました。
夕方、週刊誌の取材。打ち合わせ。
⑦柳原浩さんが自らの冤罪事件について書いた本です。『「ごめん」で済むなら警察はいらない=冤罪の「真犯人」は誰なのか?』(桂書房)。
ある日、突然「ごうかん犯」として逮捕された。全く身に覚えがない。冤罪を訴えたが、認められず刑務所に。出所後、真犯人が逮捕されて、やっと冤罪は晴れた。
柳原さんの怒りの手記や支援者、弁護団の報告なども収められている。浅野健一さんの「マスコミは『真犯人が出たから無罪』で終わられせてよいのか」なども入っている。考えさせられる。
⑫発売中の「週刊SPA!」(4月8・15日号)のトップに出てました「憂国のSPECIAL対談」です。
○木村三浩氏(猪瀬前都知事・5000万円授受渦中の新右翼・一水会代表)
○デヴィ夫人(炎上上等!メディアを賑わす保守の武闘派論客)
この2人が大激論です。凄いです。
〈猪瀬事件、安倍外交、浦和レッズ垂れ幕騒動etcを喝破。
日本は「右傾化」などしていない!〉
とタイトルが。
⑯3月25日(金)土屋達彦さんの「お別れの会」が行われました。午後4時から、日本外国特派員協会、メインダイニングルームで。
土屋さんは、「東京オブザーバー」、そして「産経新聞」で記者をやり、辞めてからは、株式会社カイトの代表。
昨年出した『叛乱の時代』は、60年代、70年代の学生運動、叛乱を書き、反響を呼んだ。
私は週刊「アエラ」で書評をし、それが縁で、病床の土屋さんを訪ね、対談した。それは『紙の爆弾』に載っている。
残念ながら、その発売前に土屋さんは亡くなられた。たった一度の出会いだった。でも、素晴らしいジャーナリストに出会え、素晴らしい本に出会えた。
⑳土屋さんが書いた本が並べられてました。中央は、『叛乱の時代』。右手前は、『紙の爆弾』(4月号)。土屋さんと私の対談が載ってます。これが最後になりました。
又、この日、集まった人々には、大きな封筒が配られました。中を見て驚きました。週刊「アエラ」でした。私が土屋さんの本を書評した号でした。ありがたかったです。
「とても土屋は喜んでました。次の本を書く! と気力が甦ってました」と奥さんに言われました。こっちこそ、素晴らしい人と本に出会え、力を与えられました。
㉒会場になった日本外国特派員協会は有楽町にあります。ここでは、「時の人」を呼んで、外国人記者が話を聞き、質問をします。厳しい質問も出ます。
田中角栄は、質問に怒って途中で退場したといいます。協会の廊下には、今まで呼ばれた日本人の写真が出ています。三島由紀夫も来てるんですね。
㉓地下鉄サリン事件の直後ですね。オウム真理教の幹部・村井秀夫、上祐史浩さんが出てました。1995年4月7日だ。地下鉄サリン事件(3月20日)の18日後だ。
2人は、「オウムはやってない!」と訴えた。記者からは「ライヤー!(嘘つき!)」という怒号が飛んだという。
この会見の15日後の4月22日、村井氏は徐裕行氏によって刺殺される。
この写真について、又、刺殺事件については、『終わらないオウム』(鹿砦社)の中で詳しく書かれてます。上祐史浩さん、徐裕行さんと私の共著だ。去年の6月15日に発売された。
㉔高橋伴明監督の映画「光の雨」。連合赤軍事件を正面から取り扱った衝撃大作です。
4月14日(月)、阿佐ヶ谷ロフトで午後6時45分から上映します。そのあと、高橋監督と私のトークがあります。サプライズゲストも来る予定です。
〈鈴木邦男『連合赤軍は新選組だ!』発売記念!
高橋伴明監督と『光の雨』を見よう!〉
阿佐ヶ谷ロフトで午後6時45分から「光の雨」の上映。8時30分から、トーク。
「光の雨」は2001年公開の高橋伴明監督の映画。立松和平原作の「光の雨」を基にして、さらに、30年前の回想と現代の若者との対話。そして「劇中劇」が入り、リアルで、考えさせられる。出演者も豪華。山本太郎、大杉漣、萩原聖人、裕木奈江…など。
又、高橋監督は袴田事件を取り上げた映画を撮り、話題になってます。「BOX 袴田事件・命とは」(2010年)です。この話もしてもらえると思います。