本と映画のコラボだ。面白い企画だ。
阿佐ヶ谷ロフトも、シャレたことをやる。いや、考えたのは彩流社なのか。
彩流社から出した私の本、『連合赤軍は新選組だ!=その〈歴史〉の謎を解く=』が売れている。評判になっている。
それで、「じゃ、トークライブをやりましょう」という話が出た。
その時、映画『光の雨』を上映し、その後、高橋伴明監督とトークしてはどうか。という話が出た。
高橋監督も快諾してくれて、夢のコラボが実現した。
4月14日(月)阿佐ヶ谷ロフト。
他に、連合赤軍事件に参加した植垣康博さんたちが登場する。時代の「生き証人」たちだ。面白いものになるだろう。
『光の雨』は2001年に公開された高橋伴明監督の衝撃的映画だ。立松和平原作の小説『光の雨』を基にしている。連合赤軍事件を扱った小説で、力作だ。
それを基にしながら、さらに、〈現代の若者はどう考えるか〉が中心になる。
連合赤軍事件は1972年だ。
映画『光の雨』は、その30年後に作られた。
2001年の若者たちが、連合赤軍事件に関心を持ち、芝居をやろうとする。毎日毎日、議論しながら、稽古をする。
「全く理解出来ない」「何であんなことをしたんだ」「革命って、そんなに大切なことか…」と疑問を口にし、何とか「30年前の革命家たち」を理解しようとする。
つまり、この映画は、1972年の連合赤軍事件を、ただ「過去の事件」として描くのではない。現在の(と言っても2001年の)若者たちと30年前の若間のたちとの「対話」になっている。
〈劇中劇〉の形で連合赤軍事件は出てくる。
〈事件〉としての連合赤軍では、森恒夫役は山本太郎だ。永田洋子役は裕木奈江だ。他に、大杉漣、萩原聖人…などが出ている。豪華俳優だ。
さらに、連赤の芝居をやる若者たちの気持ちの変化も見ものだ。
芝居の打ち合わせ、会議の中で、熱くなると、まるで連合赤軍のようになる。
自己主張や、他人を批判する時は、〈連赤的〉になる。「そんなことじゃダメだ! プチブル的だ!」とか。「人民のことを考えているのか!」と。
これは今でも言える。連赤事件はとっくの昔に終わったが、「連赤的」なものは、残っている。いや、かえって、増えている。
他人の小さなミスでも許せない。全てを他人のせいにする。「小さな違い」すらも許せなくて、とことん追及する。
今の社会と同じではないか。「連合赤軍化する日本だ!」と言った人がいたが、その通りだ。
大久保のヘイトスピーチのデモもそうだ。排外主義・差別主義のデモも、自分たちだけが正しい。外国人は出ていけ! となる。
本屋に行っても、中国、韓国への罵倒本ばかりだ。「国交断絶しろ!」「戦争も辞さず…」と叫ぶ人もいる。まるっきり、「連合赤軍」だ。
連合赤軍の兵士だった植垣さんに、「リーダーの森さんはどんな人だったんですか」と聞いたら、「人の欠点を見つける天才だった」と言っていた。
どんな人間でも、欠点を見つけ、トコトン追いつめてゆく。どんどん追い込まれ、「私は反革命でした」と言わせてしまう。
「反革命」と〈自白〉したら、あとは「処刑」しかない。
今の警察にも言える。無実の人を捕まえてきて、トコトン、締め上げる。何もやってなくても、「私がやりました」と〈自白〉させてしまう。そして冤罪は生まれる。
袴田事件もそうだ。高橋監督は袴田事件を描いた映画『BOX』も撮っている。連合赤軍の「悪い遺伝子」を受け継いだ警察の姿を描いたのだろう。
いや、警察は、連赤よりずっと昔から、こんな傾向はあったのだ。
そんなことを色々と考えさせる映画なんだ。高橋監督の『光の雨』は。
そして、連赤〈検証〉の映画にもなっている。
検証とは、連赤のいい点も悪い点も考えてみる、ということだ。
「いい点」なんて何もないだろうと思うかもしれない。しかし、違う。
彼らは、連合赤軍に合流し、山に入った時。又、革命運動に入った時は、夢や愛や希望があったから入ったはずだ。
ベトナム戦争を行い、ベトナム人民を殺しているアメリカへの反撥。アジア・アフリカで飢えて死んでいっている人々への同情。世界で燃え上がる学生運動への連帯。
それがあったが為に、学生運動に飛び込み、革命運動に入ったのだ。それもキチンと見る必要があるだろう。
だが、そうした夢や希望は今、語られることはない。失敗した革命は、ただ、「犯罪」としか語られない。
それでいいのかと、高橋監督の映画は訴えている。
それにしても長かった。連赤事件を客観的に、いろんな角度から取り上げる。考えてみる。…それが出来るまでには30年もかかったのだ。
それまでは、論議するまでもなく、「連赤=悪」だったのだ。それ以外の何ものでもなかった。
その一面的見方を脱したのは、この映画だった。そして後に作られる若松孝二監督の「実録・連合赤軍」だった。
さらに言うならば、立松和平さん、高橋伴明さんたちに、〈「連赤」検証〉させる、一つのキッカケがあった。実は、私も、それがあったので、今の本につながっている。
それは、1984年に池袋文芸座で行われた集会だ。それが大きかった。
今からちょうど30年前になる。1984年6月。池袋文芸座で、激突トークが行われた。
「君は今燃えているか!? カゲキ世代が激突対談」だ。元全共闘の活動家を集めて行ったのだ。テレビ朝日が企画・放映した。司会は田原総一朗さんだ。
凄い討論会だった。終わってからも、場所を移して、朝まで激論は続いた。
「これは面白い。こんな討論会をテレ朝でやろう!」と田原さんは思い、この2年後、「朝まで生テレビ」が生まれる。
つまり、「朝生」の原点になったのが、この文芸座トークだ。
この激論トークは、テレビ朝日で放映され、さらに、『朝日ジャーナル』に載り、さらに講談社から単行本になった。単行本は、『激論全共闘=俺たちの原点』だ。これには文芸座の激論の全てが収められている。
さらに、場所を移し、居酒屋で朝まで激論した時の記録も全て入っている、貴重な記録だ。
では、この時の出演者だ。中上健次(小説家)、高橋伴明(映画監督)、立松和平(小説家)、前之園紀男(革命家)、そして私だ。
私は全共闘ではないが、同じ時代を闘った人間として出た。司会は田原さんだ。又、北方謙三、筑紫哲也の2人がビデオ出演している。
この時、全共闘はいかに闘ったか。今も闘っている。という話が多かった。
でも、今はほとんどなくなっている。悔しかったら、又、やってみろ! と私は噛みついた。
それに、1972年の連合赤軍事件から12年だ。あの事件で、学生運動・革命運動は全て潰れた。そう思われていた時だった。
だからこそ、あの頃の志を…と田原さんは考えたのかもしれない。
あの時、連赤の話は余り出なかった。もう、触れたくなかったのだろう。いわば自分たちの「恥」だ。触れられたくない。
ましてや、「このせいで全ては終わった」と思われていた。私も、そのことを言って、元全共闘の活動家たちに反論したと思う。その時、1人だけ堂々と逆襲したのは中上健次だった。
「鈴木さんも、評論家的なことを言っちゃいけないよ」と私を窘めながら、こう言った。
〈そうじゃなくて、俺がいいたいのは、簡単にこの人もいってることだけど、つまり、いまから振り返ってみれば、左翼の運動だといわれてたのが全部右翼にみえるということなんです。つまり、この全共闘の運動でも、60年安保でもね、70年の安保でもね、なんかみんな右にみえちゃうんだ。俺には。つまり暴力だとか革命だとかいってたのがね、ほんとうにそうだったのか考え直すんてすよ。
つまり頭ではレーニンだとかトロッキーだとかと、いろいろ本を読んで人なみに考えたよ。だけどいまこんなふうな平和な時代を迎えていると、あの時代やってたことは、つまり全部護国運動だとかと変わらないんじゃないのかと思ってしまう。そして、どんなことを俺たちはやれたのかと自問するんです〉
この時は、皆、「何言ってんだ」と思った。「バカな!」と思った人が多い。
中上は、さらに、皆がアッと驚くことを言う。それが、連合赤軍事件だ。
〈たとえば連合赤軍の事件なんかは天誅組の一種だったんじゃないかと、横にスライドすればそんなふうにみえちゃうんだ。それはもう小説家の目ではあるんだけど、ひとつの小説家の目で強くこうとらえ直すみたいなものだけどね。そうすると俺なんかが、いままで生真面目に暴力だとかかんとかっていってることが、すっ飛んじゃうんじゃないかっていう気がするんだ〉
これはショッキングな発言だった。
この時は、その〈真意〉が分からなかった。「何言ってんだ、中上は」と思い、私も反論した。
しかし、今考えると、これは「歴史的発言」だ。
この言葉から、「全て」は始まった。
そうか、連合赤軍事件は幕末の各藩の内部抗争のようなものか。
水戸藩、長州藩、薩摩藩…。どこでもあった。ただ、明治維新は成功したから、これら陰惨な内ゲバも、維新の前の「貴重な犠牲」として、温かく見てもらえる。
中国革命、ロシア革命、キューバ革命にも、いくらでもあった。連赤事件とは比べものにならない内ゲバ、大虐殺があった。
でも、成功した革命の前では、「その裏には、こんな尊い犠牲があったのだ」と温かく記述される。
「日本革命」も成功していたら、天誅組のように書かれただろう。いや、もっと格好よく立派に書かれただろう。
今、こう思っているが、当時は、分からなかった。
ただ、「連赤=悪」「連赤のおかげで革命運動は全て潰れた」という固定観念に穴があいた。一点、突き崩された。「別の視点」が与えられた。
そして、当日のパネラーは、その後、ずっと考えてきたのだ。又、当日、文芸座で聞いていた人々もずっと考えてきたのだ。
30年前の文芸座。そこから始まったのだ、全てが。いや、連合赤軍に対する再検討が。
パネラーの立松和平さんは、ずっと考えて、後に小説『光の雨』を書く。
現代の若者は、連合赤軍をどう考えるのか。
小説では、長い刑務所生活から帰還した連赤幹部と、(たまたまアパートの隣室になる)予備校生との会話から物語は始まる。
この小説を基にしながら、高橋伴明は、これを映画化する。現代の若者が、この事件を芝居にする。
その中で、何が生まれるか、〈連赤〉体験について考える。
司会の田原さんは、この2年後、「朝生」を立ち上げる。そして連合赤軍事件を取り上げる。何度も何度も。これだけ多く連赤を取り上げた番組はない。
オウム事件の後には、「連合赤軍とオウム」という特集もやる。
この時は、植垣さんたちと共に、私も出た。凄いことをやるなあ、と驚いた。
そして私も、連赤関係者と知り合い、対談し、書き、そして、『連合赤軍は新選組だ!』を書くに至る。
前之園紀男さんも、衝撃を受けたはずだ。「望郷七ヶ村」という北方領土返還運動をやるし、それまでの左翼とは違ったスタンスを取るようになる。
又、忘れてはならないが、その時、客席には、山平重樹氏がいた。日本学生同盟という民族派学生運動出身の作家だ。
彼は、中村武彦先生や、野村秋介さん、阿部勉氏などの評伝を書いている。又、ヤクザを取材した本も随分とある。
さらには、連合赤軍事件を描いた本も出した。『連合赤軍物語・紅炎(プロミネンス)』(徳間文庫)だ。私が「解説」を書いた。この本は、いわば、「右から見た」連合赤軍事件だ。対極にいたからこそ見えてくる事件の本質もある。
又、ヤクザものを書いて、人間の生死の極限状況を取材し書いてきた山平氏でなくては書けない〈極限〉状況もある。力作だ。
この本で書いていたが、30年前の文芸座で客席で聞いていて、中上健次の発言にショックを受けたという。
そうなんだ。30年前の中上の発言から始まったのだ。
あの発言がなかったら、連赤「再検討」はなかっただろう。立松の小説も、高橋の映画もなかっただろう。「朝生」も、私の本も、山平氏の本もなかった。
その意味では、こんなに大きな意味を持ち、後に、こんなに大きな影響力を持った発言はない。
午後3時30分。渋谷、ショウゲート試写室。「女の穴」。不思議な映画だった。教師と異星人の女子高生との恋だ。一般公開は6月、渋谷ユーロスペース他で。面白かった。
そのあと、渋谷Bunkamuraザ・ミュージアム。「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館華麗なる貴族コレクション」を見る。
中島さんも話に熱が入る。この話を最も聞きたい人たちの前で話すのだ。よく取材してるし、詳しい。又、事件決行者へのシンパシーもある。あの時と今では〈時代〉が似ている。という。
終わって、活発な質問も出た。
その後、場所を移して懇親会へ。そこでも、大いに議論が沸いた。
①今から30年前です。1984年に、池袋文芸座で行われた「激論・全共闘」を本にしたものです。テレ朝で放送され、「朝日ジャーナル」にも載りました。
これが基になって、2年後、「朝生」が始まりました。いろんな意味での〈原点〉になりました。又、この時の中上健次の衝撃的な発言が「連合赤軍事件・再検証」のスタートになりました。
④雨宮処凛『右翼と左翼はどうちがう?』が先月、文庫になりました。河出文庫です。文庫化にあたって、私は再度取材されました。それが「終章・その後の右翼と左翼」に入ってます。
第3章「左翼って何?」の中には、連合赤軍事件についても独自の分析をしています。「自傷行為という名の仲間殺し」です。
⑤孫崎享の『小説外務省=尖閣問題の正体』(現代書館)も話題を呼んでます。小説の形をとって「つくられた国境紛争」を告発します。主人公・西京寺大介が活躍します。
この人が孫崎さんかなと思うと、「孫崎享」も実名で出てきます。他にも、鳩山、野田、菅…と実名で出てきます。「夕やけ寺ちゃん」も出てきます。ハラハラ、ドキドキの小説です。
⑥5月20日(火)午後6時から、札幌時計台ホールで、伊東秀子さんとトークします。テーマは、「冤罪と特定秘密保護法」です。
伊東さんは、「恵庭OL殺人事件」の弁護に当たってます。伊東さんが社会党の議員だった時、私ともよくテレビで激論しました。
⑪ヘイトスピーチの行われている大久保と違い、(すぐ隣りなのに)東中野はリベラルでアナーキーです。駅前には、こんな垂れ幕も。飲食店のビルです。
〈戦争指導者・戦犯合祀への参拝に心底から反対します!〉
勇気がありますね。いっそ、ここの店で、討論会をやればいいのに。
⑯伝書鳩も活躍し、死んでます。敵に撃たれたり。あるいは敵が、「伝書鳩を襲うタカ」を訓練したり。知られざる「空中戦」があったのです。
このことは、私の『愛国の昭和=戦争死の70年=』(講談社)に詳しく書いてます。
⑰上野松坂屋でやっている「相棒展3」を見に行ってきました。
テレビの「相棒」は好きで、全部見てますし、この「相棒展」はぜひ見なくっちゃと、行きました。
ところが大変な人で、長い長い列が。2時間近くも待たされ、やっと入れた。
㉑今年の「読書シンポジウム」の報告を、もうすぐアップします。
月の目標だけでなく、何か「全集を読む」目標を立てようとなりました。「私はツヴァイク全集を読みたい」「私は小田実全集だ」…と、決意発表。神戸の吉本さんは、「高橋和巳全集」を読破すると宣言してました。偉いですね。
私は、「三浦綾子全集」に挑戦したいです。文庫で出てるのはまず全て読んで、それから選集、全集に行きます。
㉒これは、本当にお薦めですね。5月18日までやってます。上野の東京国立博物館・平成館です。
〈栄西と建仁寺〉です。
〈国宝“風神雷神”5年ぶりに参上〉と書かれてます。日本の仏教、建築、そして生活様式、考え方…。何と多く、中国から学んでいることか、実感します。
㉕星亮一さんの『明治を支えた「賊軍」の男たち』(講談社+α新書)。その通りだ、と思いました。福沢諭吉、野口英世、八重さん…など、「賊軍」が、明治の日本を作ったのです。今だって、そうです。「賊軍」が、この日本を作っているんです。「官軍」や「愛国者」ではありません。あっ、私も東北だから、「賊軍」だ。
〈鈴木邦男『連合赤軍は新選組だ!』発売記念!
高橋伴明監督と『光の雨』を見よう!〉
阿佐ヶ谷ロフトで午後6時45分から「光の雨」の上映。8時30分から、トーク。
「光の雨」は2001年公開の高橋伴明監督の映画。立松和平原作の「光の雨」を基にして、さらに、30年前の回想と現代の若者との対話。そして「劇中劇」が入り、リアルで、考えさせられます。出演者も豪華。山本太郎、大杉漣、萩原聖人、裕木奈江…など。
又、高橋監督は袴田事件を取り上げた映画を撮り、話題になってます。「BOX 袴田事件・命とは」(2010年)です。この話もしてもらえると思います。