4月20日(日)午前8時発の東北新幹線に乗った。9時半に福島に着く。
木村三浩氏(一水会代表)も同じ新幹線に乗っていた。改札口で合流し、タクシーに乗る。
寒い。でも、桜がきれいだ。15分ほどで着く。
広い。一つの山全体に、医療法人・生愛会の病院、リハビリセンター、高齢者グループホーム、養護老人ホーム…などがある。職員さんだけで200名もいる。ここだけで一つの町だ。都市だ。
この日は、11時から、新しい建物の落成式があり、そこに招待されたのだ。
〈医療法人生愛会 生活期総合リハビリテーション医療ケアセンター落成式〉なのだ。
この生愛会グループの理事長が本間達也さんで、老人医療に全力で取り組んでいる。
そして、日本を愛し、国の将来を憂えている。
老人大国になる日本。でも病気ではなく、元気になってもらいたい。
そのために肉体的なリハビリだけでなく、精神的利リハビリもやっている。
昭和のレトロな遊び、音楽、映画を使っての認知症予防などもやっている。画期的な試みだ。
この試みには、前から関心があったので、早めに行って、館内を案内してもらった。
理事長の本間さんは、かつては思想的な運動に入り、そこから人間や国家を救おうとした。
その後、医者の道に進み、今は老人医療、リハビリに生命をかけている。
お医者さんの世界でも、その試みは注目され、評価されている。
又、地域でも、誇りを持って支持されている。福島市長、相馬市長、そして衆議院議員、参議院議員も落成式に参加していた。
この病院では、医者以外にも、いろんな人を呼んで講演会をやり、地元の人たちに聞いてもらっている。
去年は、木村代表と私が呼ばれ、講演した。超満員だった。
又、本間さんは、一水会の講演会には毎月上京し、参加している。大変な勉強家だ。
落成式は11時からで、僕らは10時頃に着いたので、ゆっくり見学させてもらった。
2階、3階は、サービス付き高齢者向け住宅。
部屋を見せてもらった。きれいで広い。風呂は、腰掛けて体を洗い、そのままスライドして浴槽に入れるようになっている。バスの中には、富士山の絵などがある。あっ、銭湯のイメージだ。
又、部屋や廊下の床は、木が軟らかい。転倒しても大丈夫になっている。
そして1階は、内科、整形外科、リハビリテーション科などの医療クリニックがある。
さらに、トレーニングジムがある。たとえ老人でも、小さな負荷をかけて、マシーンを使う。今まで使ってない、衰えた筋肉を甦らせる。パワーリハビリ(マシントレーニング)という。
さらに、体を使い、手を使い、脳を使ってリハビリをする。「テーブル菜園」「健康マージャン教室」「転倒予防体操」などがある。
あれっ!と思ったのは、「昭和レトロ館」というコーナーだ。こう書かれている。
〈レトロな雰囲気による懐かしの映像や物を用いることで、視覚や聴覚から、昭和時代の思い出を巡らせ、記録の再生や精神の安定化による“認知症予防”に取り組んでいきます〉
これは凄い。ザ・ピーナッツの音楽、石原裕次郎の音楽もある。昔の懐かしい映画もある。
そして、パチンコ台まである。試しに私もやってみた。
30年ぶりだ。楽しい。結構、玉も出る。ジャラジャラ出る。
前日から来ている東京グループも見ている。伊藤氏や中村氏たちだ。
カメラマンの平早さんもいる。私がパチンコに熱中していたら、「鈴木さん、認知症が治ったんじゃないですか」と言われた。エッ、私は認知症だったの。
随分、玉が出たので、「じゃ、景品に換えよう。どこ?」と聞いたら、「あっ、まだ治ってない」。「タダでやったんだから、景品の交換なんかないですよ」。そうなのか。
そうだ。巨大な鉄道模型もある。精巧だ。福島市の町と駅もある。「生愛会」と看板も出ている。
何でも、理事長の本間さんが作ったようで、何年もかけて、理事長自らが「認知症予防」のために取り組んだのか。
でも、本間さんは若い。40才位だろう。顔はハードだが、心は優しい。そして大きな志がある。
ここでやってるのは、画期的なリハビリだ。「じゃ、昔の全共闘のデモなどの映像も見せたらいいでしょう」と私は提案した。
「それはいいですね」と本間さん。もう実際に採用してるのかもしれない。
昔、学生運動をやって、今も元気にやってる人がいる。連合赤軍の植垣さんや金廣志さん…。こんな人たちも呼んで、話してもらったらいい。
さらに若松監督の三島や連赤の映画なども上映したらいい。ピンク映画だってついでに上映したらいい。
そうだ。いい事を思いついた。塩見さんや植垣さんたちが来たら、話を聞くだけでなく、「実践」指導もしてもらったらいい。
まさか、「立て籠もり」「総括」「銀行強盗」の実践は出来ないが、外に出て、デモをやること位は出来るだろう。
隊列を組んで、「TPP反対!」「集団的自衛権反対!」…とやったらいい。
いろんなデモをやってみる。隣りの人とつないだ手を大きく開いて、道一杯になって歩く「フランス・デモ」。スクラムを組んで走る「ジグザグデモ」…。そんなものもやってみたらいい。
脳が活発に働き、若い時の情熱が戻り、認知症も治る。
そんなことを考えていたら、11時になった。「落成式」が始まる。
病院関係者が挨拶し、映像によるここの概要説明が行われる。本間理事長の挨拶がある。又、福島市長の小林香さんや大学の先生の祝辞がある。来賓の挨拶。
そして閉会。喉が渇いた。ここで乾杯かと思ったら、「第2部」がある。
えっ、ダブルの式典なのか。
第2部は、〈本間達也先生の厚生労働大臣表彰受賞を祝う会〉。
そこで、説明、挨拶がある。花束贈呈、記念品贈呈などがある。記念品は、本間さんの肖像画だ。似ている。
又、女子職員からの「感謝の手紙」も披露される。さらに職員さんの踊りもある。
又、東京から来た音楽バンドの人々による演奏もある。
衆議院議員・亀岡偉民さん、相馬市長・立谷秀清さんの祝辞もある。
そして、終わったのが、午後2時半だ。
11時に始まって3時間半。ダブルの式典だ。こんなの初めての体験だ。
それだけ、お酒もおいしかったです。料理もおいしかったです。
相馬市長さん、福島市長さん、議員さんたちと、いろいろ話をしました。
ここの病院は皆、「郷土の誇り」だと言っていました。
パーティの間に、リハビリのマシーンを見て回った。又、「回想療法室」「音楽療法室」なども見た。
どのようにリハビリするのか見てみたい。私が「体験」してもいいな。今度、お願いします。
パーティが終わったのが4時半。
それから東京組は車で福島駅へ。車で東京に帰る人、新幹線で帰る人に分かれる。
私は福島の友人と会うので皆と別れる。「今、三春の桜がきれいですよ」と友人に聞いたので、1人で見に行く。
まず、郡山に行って、そこから磐越東線で三春に行く。そこからバスだ。
町のあちこちに桜がある。きれいだ。
終点で降りて、目指す「滝桜」まで歩く。人が多い。
何でも「日本三大桜」なんだそうだ。樹齢1000年だ。驚いた。
ほう、これが1000年の桜か。風格がある。しだれ桜で、まるで滝のように見える。だから「滝桜」だ。
桜がどんどん下に垂れ下がってくるから、下からつっかえ棒で枝を支えている。
周りのオバちゃんたちが話している。「そこまでしなくていいんじゃないの。かわいそう」「でも、きれいだし」「補強ブラで、垂れた乳を持ち上げてるようね」。
エッ。凄いことを言う人たちだ。つい、胸元を見てしまった。同じ補強だった。
でも「1000才の姥桜」が必死に美しく咲き誇って皆を喜ばせているんだ。偉いじゃないか。桜のリハビリだ。
「でも、何も下から支えなくてもいいでしょう。上から吊せばいい」と言う人も。
「上って?」「天井よ」「天井って?」という会話を交わしてるオバちゃんたちもいました。
「あっ、鈴木さん」と何人かから声をかけられた。「たかじん見てますよ」とか。
「どうして1人で淋しく見てるんですか?」
「友達がいないんです。孤独なんです」と答えました。
「そうですよね。右翼や左翼のガサツな人たちでは、桜を見るような風流な人はいませんよね」と言う人も。
6時になるとライトアップ。7時近くになると、あたりは全くの闇。桜だけがポッと明るく浮かび上がる。きれいだ。
皆、その場にただ、じーっとして、待っている。そのゆっくりとした時間がいい。
カメラを構えてる人たちもズラリと並んでいる。
ちょっと小高い丘に登ると、そこも桜の林だ。きれいですね。時間を忘れて、見とれていました。
それから、バスで三春駅へ。そして郡山に。そして新幹線で東京へ。
疲れたけど、滝桜を見れてよかった。感動しました。
そうだ。この日は、ほとんど寝てないんだな。
前日、4月19日(土)は、静岡のスナック「バロン」に行って、植垣康博さんとトークをした。又、横山郁代さんの歌を聞いた。
どうせ静岡まで行くんだから、早めに行こう。
富士山のそばで、よく見えるとこに行きたいな。桜も見たいな。と思った。
ところが、急に叔母さんが亡くなった。だから昼は告別式に行った。慌ただしかった。
親類が大勢集まったが、私は途中で失礼した。「静岡で講演を頼まれてるので」と言って。
「おっ、仕事が沢山入ってるんだね。ご苦労さん」と従兄弟たちに言われた。「連合赤軍の人と危ない対談です」とは言えなかった。
「でも、邦男ちゃん、去年の正月、おばあちゃんに会いに来てくれたんだよね」と言われた。息子さん(従兄弟)のお嫁さんに。
そうなんだ。「でも、どうして?何十年かぶりに、突然、会いに来たの?」。
ウーンと、答えをためらっていると、「きっと、おばあちゃんが呼んだんだよね」
「そうです。そうです」。
そうなんだ。去年の1月3日に叔母さんに会った。
この時、98才だった。今年4月に亡くなったが、99才。「白寿」だった。「百」に一つ足りないので「白寿」だ。
叔母さんは去年行った時に、とても喜んでくれて、「邦男ちゃん、はい、お年玉」といって、もらった。
98才の叔母さんにお金をらっていいのかなと、さすがに躊躇した。でも、「せっかくだから、もらいなさいよ」と息子さんたちに言われて、ありがたく頂きました。
お年玉なんて、何十年かぶりだ。いいですね。
去年の1月3日に、叔母さんと会った写真もあるので載せとこう。
とても元気だった。「博ちゃん、どうしてる?」と心配していた。
博ちゃんとは私の姉だ。「元気ですよ」と、タブレットで写真を見せてあげた。とても喜んでいた。
この時、母方のルーツを聞いた。
叔母さんは私の母の妹だ。4人姉妹で、会津坂下(ばんげ)の「美人四姉妹」として有名だったらしい。谷崎潤一郎の「細雪」だね。
坂下では実家は「新潟屋」という店をやっていた。米、食料品や肥料などを扱っていた。
福島県会津坂下なのに、どうして「新潟屋」なんだろう。
そう言ったら、「実はおじいさんの更に前の人が新潟から来たんだよ」と教えてくれた。新潟の五泉市から来たそうだ。
じゃ、今度、行ってみなくっちゃ。坂下も、五泉も。「前世の記憶」が甦るかもしれない。前世思い出し療法だ。これも認知症予防になるだろう。
そうだ。去年の1月に、叔母さんが言ってた。
「でも、邦男ちゃん、よく来てくれたわよね。こんな遠くへ」と。
「いえいえ、近いですよ。それに、こんなにいい所ですね。又、来ます」と言った。
「長い間、来てなかったのに、突然思い出したの?」。
「いえいえ、いつも気になってたんですが、忙しさにかまけて。すみませんでした」と言いました。
実は、「寺ちゃん」だったんですね、キッカケは。
去年、その前も、文化放送の「夕やけ寺ちゃん」に出ていた。私は、週1回。
去年の1月に出た時だ。いや、そのちょっと前だ。12月に出てた時だ。
「来年(2013年)は巳年です。蛇年です。だから、蛇の指輪もはやるでしょう」と寺ちゃんは言う。(この予言は的中した。今、蛇の指輪をした人が沢山いる)。
「それと、全国には蛇をご神体として祀っている神社がいくつかあります」。
えっ、そうなのと思ったら、「東京では中延にあります。上神明天祖神社です」。
「エッ? 中延って、私の叔母さんがいますよ。昔、よく行きましたよ」と私は思わず叫んじゃいました。高校を退学になった時は、しばらく、居候させてもらったこともある。
そうか。じゃ、叔母さんの所に行ってみよう。久しぶりに。そして、帰りに蛇の神社に寄ってみよう。
そう思って、正月に電話しました。品川区中延だから、品川駅からすぐだ。
叔母さんは神谷幸さんという。電話したら、息子さん(私の従兄弟だ)が出た。
「おっ!邦男ちゃん。久しぶり。元気? えっ、明日来てくれるの? 嬉しいね。でも、こんな遠くまで来てくれるの? 時間あるの?」と従兄弟は言う。
遠いたって、中延だ。1時間もかからん、と思ったら、「今、長野県の山の中にお寺を建てて、そこに住んでるんだよ。新宿から3時間くらいかかるんだ」。
エッ? でも私は今、中延に電話してますよ。「うん、転送電話になってるんだ」。
「じゃ、やめます」とは言えない。だから、行きましたよ。新宿から「あずさ」で。茅野駅だ。そこに迎えに来てくれた。
車で30分。山の中だ。周りは高い山々。それに雪をかぶっている。きれいだ。「まるでスイスですね」と私は叫んでました。広大なお寺でした。
叔母さんの旦那さんは、雪印に勤めていたが、辞めてから、お坊さんになった。法華眞宗の管長になった。
息子さんも今、跡を継いで、そこの管長さんだ。
茅野に広大なお寺を建てて、そこに信徒が集まる。
又、東京の中延の家も、集会所になっていて、東京の人は、そこに集まる。
そんなわけで、去年の1月3日に、「日本のスイス」で叔母さんに会い、お年玉をもらったのでした。
その2日後かな、中延に行って、上神明天祖神社にもお参りしてきました。
この辺に、叔母さんの家があったはずだけど、と探したが、分からなかった。
そして、1年が経ち、今年4月に叔母さんは亡くなった。99才。白寿だった。
告別式は4月19日(土)の午後1時から、中延の自宅(法華真宗の宗務局)で行われた。
去年探したけど分からなかったので地図を送ってもらった。
そして、中延で降りたら、駅に地図が出ていた。そこに載っていた。ここのお寺が。
そして、告別式に出て、皆に会いました。久しぶりに会う親類の人たちだ。
そして、4時過ぎ、「すみません。途中ですが」と失礼して、東京駅へ行き、静岡に行きました。連合赤軍の植垣さんとのトークです。
夜は、最終で帰りました。そこから原稿書き。
次の日は、ほとんど寝ないまま、福島へ。
そして、この初めに戻る。生愛会の落成パーティに出る。
そのあと、友人と会い、さらに三春まで行って、樹齢1000年の「滝桜」を見た。
感動した。偉いと思った。滝桜に比べたら、我々なんて皆、「赤ん坊」だ、と痛感して、終わる。
終わって、1人の青年が声をかけてきた。「私、橘と申します。宮崎美乃利さんの友人です」。
ハイハイ、そうですか。「宮崎さんとは、かなり前からの知り合いです。でも、セックスはしていません」。
エッ? 何を言い出すんだ、こいつは。誰もそんなことは聞いてない。長い間、付き合ったら男女は皆、セックスをするものだと思っているのか。変な人だ。
「それ以来、鈴木さんに会うと、いつも“セックス”“セックス”と言われてます」。ウーン、言ったかな。
名前は「匠」で本名だ。それに、「バツ2.5」だという。0.5は婚約したけど別れたんだという。「もう1回くらい、バツを増やして“バツ3.5”になりたい」と言う。変な人だ。
傍に蛇の指輪をしてる人がいたので、紹介した。橘さんは「ぜひ結婚したい」と言う。
「したらいいじゃないの。2人の子供も引き取って育てると言ってるし」と指輪の女性に言った。
「失礼ね。子供なんかいません! それに私は独身です!」。
そんな話をしてる間に開会だ。今日の亀井さんは乗りに乗ってる。子供の時からの〈自叙伝〉を語る。初めて聞いた。
東大時代に合気道ばっかりしてたという。外交も、まず「体捌き」が必要だという。凄い。
超タカ派と思われているが、リベラルだ。死刑反対だし。又、元警察官僚でありながら、左右の過激派には理解がある。
世のため、人のためと思い闘っている青年たちだ。取り締まる立場だったが、何もしないで文句ばかり言ってる連中よりは、過激派の方がずっと偉い、と言う。これには驚いた。
終わって、「今日の話はとてもよかったです」と亀井さんに言いました。
合気道の話と過激派へのシンパシー。これはとてもよかった。ぜひ今度、どっかで対談させて下さいと、お願いしました。
そのあと、橘セックス君たちと皆で、居酒屋に行って、お酒を飲みました。
又、初めて一水会の人間を北朝鮮に連れて行ってくれたのは高沢さんだ。「第1回一水会訪朝団」は私はビザが下りなかったが、木村三浩氏、見沢知廉氏などはこの時、訪朝した。
ところが、その後、「よど号」グループと高沢さんは対立し、別れる。
リーダー田宮高麿さんの亡くなった後、高沢さんは1冊の本を出した。『宿命』(新潮社)だ。衝撃的な本で、ベストセラーになった。それ以来、高沢氏には会えなかった。僕らは、「よど号グループに近い」と思われたからだろう、もう2度と会うことはないのか。
でも、なぜ別れたのか。聞いてみたい気がしていた。
そして今年、唐牛健太郎さんの追悼集会で、バッタリ会った。「よかったら、当時のことを話してくれませんか?」と聞いたら、意外にもOKだった。
そして、この日の対談になった。不思議なことが沢山あった。『宿命』は文庫本にもなったし、売れている。とにかく、衝撃的でアッ!と思う話が沢山ある。3時間も話し込んだ。
⑪福島に行く前日ですね。4月19日(土)夜7時から、静岡市のスナック「バロン」で。「連合赤軍事件を語る歌とトークの夕べ」ですよ。
(左から)『三島由紀夫が来た夏』の著者・横山郁代さん。
三島は毎年夏に下田に来て、横山さんの店(お菓子屋さん)に必ず来て、マドレーヌを買っていたそうです。その頃の三島との「交遊」を書いてます。今は、歌手です。
隣は植垣康博さん。元連合赤軍兵士で、27年間、刑務所に入りました。今は、スナック「バロン」のマスターです。33才年下の奥さんと小学生の息子さんがいます。
⑲牧田龍さんが受付をやってました。お父さんは有名な牧田吉明氏です。過激な学生運動の中でも名前が轟いてました。
爆弾作りが上手くて、「爆弾魔」と言われてました。「牧田吉明を襲名したら」と言ってる人もいました。
⑳高沢皓司さんと。高沢さんは『宿命=「よど号」と亡命者たちの秘密工作』(新潮社)を書いた人です。ともかく衝撃的な本です。〈歴史〉を知る人です。
町田の近くのホテルでじっくりと話を聞きました。4月22日(火)です。
㉕叔母さんの長男・神谷信行さんと。私の従兄弟です。
高校生の時、上京した私を落語に連れて行ってくれました。生まれて初めて寄席に行きました。おかげで落語に興味を持ち、「円朝全集」も読んだし。
今回は岩波の『円朝全集』にも、原稿を頼まれて「月報」に書きました。それで、「月報」を信行さんにあげました。
㉙4姉妹の部分をアップにしてみました。(右から)長女(西山の伯母さん)。次女(函館の伯母さん)。3女(私の母親です。
赤ん坊は私の姉です。今、札幌にいます)。後ろの列の中央が4女です。神谷幸さん。今年4月に亡くなった叔母さんです。99才でした。白寿でした。
そして、その左隣が私の父親です。税務署に勤めてました。