今年は「三浦綾子全集」を全巻読破しようと思っている。
『氷点』『銃口』『母』『塩狩峠』『ひつじが丘』『天北原野』『積木の箱』…など、主要な作品は読んだと思っていた。
ところが、とんだ勘違いだった。『泥流地帯』『続・泥流地帯』を読んで驚いた。
感動した。涙が止まらなかった。こんな素晴らしい小説を知らずにオレは今まで生きてきたのか。と恥ずかしくなった。
『塩狩峠』は昔読んだはずだ。読み返してみて、これも驚いた。全く新しい本に思えた。新鮮な感動だった。こんなに勇気を持って人間は生きられるのか。考えさせられた。
三浦綾子は読み始めたばかりだ。まだ三分の一も読んでないだろう。今年1年かけて全集を読破する。
大阪の吉本さんは高橋和巳全集に挑戦している。
蛇の指輪の女性は三島由紀夫全集に挑戦している。今年中に読破するという。
平田竜二君は、ちくまの思想全集に挑戦している。
ツヴァイク全集に挑戦してる人もいる。『世界の名著』に挑戦している人もいる。いいことだ。
「全集」を読むために人間は生きているのだ。
そうだ。(何でもいいが)全集を読むことに挑戦してる人。そうした挑戦と向上心のある人たちだけと、これからは話をしていきたい。それ以外の人たちとは会話をしたくない。友達にもなりたくない。
初めての人に紹介され、名刺交換する時。「ところであなたは今、何の全集を読んでますか」と聞く。そこから話を始めたい。
いいじゃないか。読書友人の輪が広がる。「全集なんか読んでません」と言う人とは、「では、縁がなかったんですね」と言って、終わりだ。うん、そういう付き合いもいい。
本を読むことについては、いつまでも貪欲でありたい。何も知らない子供のように。
前にも紹介したが、ガンディーは言っている。「明日死ぬ覚悟で今日、一所懸命に生きなさい」。続いて言う。「永遠に生きるつもりで勉強しなさい」。
前段は、まあ、よく言われる。誰でもが言う。
重要なのは後段だ。「もう分かった」「随分、本も読んだ」と慢心してはいけない。いつでも小学生のような気持ちで勉強しなさい。本を読みなさい。と言っているのだ。
これは素晴らしい。私も小学生だ。三浦綾子の『泥流地帯』を読んで、「あっ、俺は今まで何も本を読んでなかったんだ!恥ずかしい!」と思った。こんな凄い本も読まずに今まで生きてきたのか。と悔しかった。
ところで、ガンディーのこの言葉は、どこに書かれているのだろう。
ガンディー研究では有名な中島岳志さん(北海道大学准教授)に聞いてみたが、よく分からないという。
ガンディーは、厖大な著作がある。日本語に訳されてないのも随分とある。原文から引いたのではないかという。
それに、ガンディーは、日本では、「凄い人だ」「偉人だ」とだけ教えている。
しかし、複雑な人なんです、と言う。
中島さんだって複雑な人だ。一般の人々の理解を超えることもある。
「リベラル保守」と自認しながら、「週刊金曜日」の編集委員になっている。温和で、あくまでも学究的な人なのに、なぜか「危ない人々」を取り上げ、本を書いている。そして、シンパシーを持っている。戦前のテロリストを書いた『血盟団事件』。又、安田財閥の安田善次郎を刺殺した朝日平吾のことを書いている。又、最近の秋葉原事件の犯人について書いている。
テロリストや無差別刺殺犯に飛び込み、その心理に入って、書いている。かなりシンパシーを持って書いている。不思議だ。
何不自由もないアカデミックな生活をし、次々と本を出している。それなのに、戦前のテロリストや現代の無差別刺殺犯に興味を持ち、取材し、本にする。
テロが頻発した戦前と、今が似てるというのか。かなり危険な発言だ。
だって、「時代が同じだ」と言うと、「じゃ、又、我々の出番だ」と勘違いして、テロをやる人が出るかもしれない。危ない。
中島岳志さんは、右翼テロリスト、秋葉原事件の他に、ガンディーについての本もある。又、NHK教育テレビでは2008年の12月から、ガンディーについて話している。今、手元に、その時のテキストがある。
〈NHK 知るを楽しむ。私のこだわり人物伝〉の中で、中島さんは、「マハトマ・ガンディー=現代への挑戦状」をやっている。そこでは、今までのように、ただ「偉い人だ」と誉め讃えて終わりはしない。
目次を見ても、「稀代のパフォーマー」「禁欲の矛盾」がある。ガンディーも複雑な人だ。信奉者でも、ちょっと理解が出来ないところもある。
この「ガンディー問題」に中島さんは、ズバリと斬り込んでいる。今まで、ここまで踏み込んで書いた人はいない。
放送が始まる前に、NHKのアナウンサーがこの講義の紹介をしています。
ガンディーは西洋の帝国主義支配に「非暴力」「不服従」という新しい方法で対抗し、祖国インドを独立へと導いた人です。
世界中に偉人と呼ばれる人はたくさん存在しますが、子供から大人まで誰でも顔を知っているという点では、ガンディーは「世界一有名な人」です。…と。
そうか。「世界一有名な人」なのか。そうだよな。だからなのか、ガンディーと言えば、「昔の人」というイメージがある。
しかし、違うのですね。
〈彼は遠い時代の人ではなく、たった60年前の人です。にもかかわらず、昔の人のような気がするのは、彼の主張が生かされず、むしろ反対の世の中になってしまったからではないでしょうか〉
そうなのか。今の日本を見ても分かるが、外国に対し、ただ「憎しみ」「罵倒」「差別」して、それで「日本は素晴らしい」と自惚れている。
愛や平和や話し合いはない。外国への憎悪を煽ることによって、政治家は自分たちを正当化し、出版・マスコミは新聞、本が売れる。自分のことだけを考えている。
そんな時だからこそ、ガンディーの愛と平和と非暴力の精神が見直されるのだといいます。こうもいいます。中島さんの放送前にNHKのアナウンサーが言います。
〈インドの政治や思想研究に携わってきた中島岳志さんは、学生たちと話し合う中で、さまざまな発見をしたそうです。「行者」的な側面だけでなく、矛盾を抱えた「人間」的な側面にも魅力が多かったというガンディーについて語ります〉
〈矛盾を抱えた「人間」的な側面〉というのが、いいですね。
ガンディーといえば、不服従、禁欲…と思います。非暴力ですが不服従ですから、何度も捕まります。生涯のうちで、2000日以上も刑務所で過ごしています。イギリスに対し、独立運動が盛り上がります。
ただ、その中で、「行き過ぎ」も起きます。デモを弾圧しようとして警察が発砲し、農民たちが怒って警官22人を焼き殺してしまったのです。
ここでガンディーはどうしたか。
〈それを知ったガンディーは、「この国の人びとは暴力に暴力で応える愚かさの意味がわかっていない」として、運動を停止してしまいました〉
そして、「なぜやめるのか」「少し、行き過ぎがあってもこの運動は盛り上がっているのだから」…という仲間の人たちの声に、こう言ったのです。
そして、政治運動の一線から退いてしまうのです。
〈ガンディーにとっての独立とは、常にイギリスという帝国主義との戦いではなく、究極的には自分たちの内面との戦いだったのです。イギリスを追い出しても、また暴力による統治が続くだけで、そんな独立には何の価値もないというのが、ガンディーの考え方でした。彼はこう言ってます。
「私たちがイギリスの文明を受け入れたので、イギリス人はここにいられるのです」〉
ガンディーは徹底しています。「何もそこまでやらなくとも」と周りの人は思います。「政治は妥協なのだから…」とも言います。
しかし、そんな不純な声には耳を貸しません。そんな暴力的な心のままだったら、むしろ独立なんかしない方がいい。そこまで言うんですね。
私たちはガンディーになれるのか。とてもなれません。もし、日本でガンディー主義を生かすとしたら…。中島さんは考えます。
〈ガンディーが首相になったら、たぶん「非暴力」「不服従」の考えから、アメリカや軍事力に頼らない安全保障の確立とか、自衛隊の完全解体とかをやろうとするでしょう。非武装中立路線を本気で歩み出すことになるかもしれません〉
そして中島さんは、もう一度、問います。
「人は、本当にガンディー主義に耐えられるのか」と。
それに、ガンディーの政治思想・行動は、個人の〈禁欲主義〉に支えられています。政治に参加する人々は、欲望の抑制を求められ、自己統御を確立することが要求されます。
〈人ごとだったら興味深いけれども、自分がやれと言われたら困る—それは、主にガンディーの極端な禁欲主義(ブラフマチャリヤ)の部分によっています。お酒もダメ、肉もダメ、おしゃれもダメ、医者もダメ、セックスもダメ、お金を必要以上にためるのもダメ…。ガンディーによると、いわゆる現代的な欲望はほとんどすべて禁止です〉
凄いですね。徹底しています。
これでは日本の政治家は1人だって政治をやれません。右翼・左翼・市民運動家も、1人だって、〈適合〉しません。全部落第です。
実はガンディーにはカストゥルバーイという妻がおり、夫の活動を支え、人びとから厚く慕われていました。
2人の間には4人の子供が生まれ、かなり仲睦まじい夫婦だったのです。
ところが、ガンディーは30代後半という若さで性的な関係を断ってしまうのです。女性をセックスの対象として見るのは、侮辱であり、失礼ではないか。〈人間〉として見てないのではないか。そう反省するのです。
若い時の、ある体験も大きく響いています。
16才の時、父親が重病になり、ガンディーは懸命に看病してました。新婚でもあり、若くもあったので、妻のことが気になって、つい父を置いて寝室に戻りました。
〈それから幾分もたたないうちに、父は容体が急変して死んでしまったのです。「性欲の虜」になっていたため、親の死に目に会えなかったという悔悟の念が、ガンディーの中には強く残りました〉
それがずっと気になってたのでしょう。真面目です。徹底しています。
〈ガンディーの自伝の中には、「自分は性欲に囚われていた」とか、「性欲に執着していた」といった言葉が、何度も出てくるのですが、もっとも強烈なのは、「自分は妻を性交の器だと思っていた」というものでしょう〉
ウッ、凄いことを言う。「性交の器」か。
だったら初めから結婚しなければいいのに。と思いますが、結婚は子供の時から決められていて、親孝行だから反対できなかったのでしょう。
ともかく、妻を「人間」として見てなかった自分を反省し、自己批判し、総括するのです。
私は、妻を「性交の器」として見てました。申し訳ありませんと総括し、30代後半で、セックス断ちをするのです。
〈妻と性的関係を断ってから、ガンディーは、「妻も他の女性も同じ人間である」とか、「人類の一部である」などと言います。しかし、妻としては、あまり清らかな目で見られるとさびしいでしょう〉
そうですね。さびしいでしょう。〈人間〉として尊重されるよりは、尊重されなくてもいい。「器」でもいいから…と、きっと思ったことでしょう。奥さんも自伝を残してたらよかったのに。
奥さんが亡くなった後、ガンディーは、さらに、果たして自分は「女性」を「人間」として尊敬しているのか。そのための「苦行」「修行」を続けます。
〈これは、カストゥルバーイが亡くなった後の晩年のことですが、ガンディーは共同生活をしている信徒の若い女性を横に寝かせて、自分に性欲が起こらないかどうか試したことがあるそうです。彼女たちにとって、ガンディーは教祖のような存在ですから、信徒の女性同士でやっかみあうような事態になるのですが、ガンディーは、今度は「そういう嫉妬心自体がいけない」と諭(さと)したりする。「だったら、そんなことしなければいいのに」と思うのですが、ガンディーは「実験」を繰り返しました〉
こんなことは全く知りませんでしたね。人類を救うために、あえて、こんな苦しい「修行」「実験」をしたんでしょうね。
ガンディーについては自伝や論評など何冊も読んでますが、こんな深いところは知らなかったですね。読み返してみなくっちゃ。
ある文化人ですが、バツ3です。でも、更にまだ結婚しようとしています。
「1回失敗したら、懲りたでしょう。何で、何度も何度も再婚するんですか?」と私は聞きました。
その先生は、こう言いました。「永久革命だ!」。
エッ?と思いました。何でも、1回の失敗で、もうやめたのなら、ただの失敗者になる。落伍者になる。それを反省・総括し、次に挑戦する。それでもダメなら、次だ。ソ連・中国でダメなら、我々が新しい革命をやる。同じことだ…と。
左翼の中にも、ガンディー主義者は多いのでしょう。
ガンディーは酒も飲まない。肉も食べない。ミルクも飲まない。菜食主義です。私も同じです。
ガンディーはさらに徹底しています。「味にこだわるな」と言います。
〈動物の乳は、人間のためにあるわけではないのに、無理にしぼって人間の食物にするのは搾取の一種であり、誤りだというわけです。そして、最終的には、「味覚」そのものを否定するところまでいきます。確かに、人が生命を維持するためには必要な栄養素とカロリーが満たされていればよいわけで、「味」は関係ありません。にもかかわらず、人間の美味への追求はきりがなく、おいしいものを食べれば食べるほど舌が肥えて、グルメになってしまいます。だから、ガンディーは味覚を愚かな欲望の一つとして戒めるのです。そして、最低限の塩以外は香辛料も使わず、「味付け」という発想自体を捨ててしまいます〉
これも凄いですね。徹底していますね。
そうか、「味覚」は〈愚かな欲望〉か。それは言える。
服だって、最低限、1枚か2枚持ってればいい。必要もないのに沢山の服や靴を持ち、高価な時計を持つ。化粧をする。タクシーに乗る。
全て、〈愚かな欲望〉だろう。贅沢だろう。
でも、考えてみたら、人間そのものがこの地球にとっては「余計なもの」「不必要なもの」かもしれない。それどころか、どんどん地球を破壊し、汚している。地球にとって「有害なもの」だ。
ガンディーの問題提起は余りに突飛で、行き過ぎている。
しかし、現代の物質文明への批判・反省の一助として考えることは必要かもしれません。
ガンディーの極端な主張はさらに続きます。いわく、「鉄道はいらない」「弁護士はいらない」「医者はいらない」…と。
皆、なくては困るものばかりです。でも鉄道があることで人びとは歩かなくなり、不用なものを流通し、「愚かな欲望」を刺激する。又、
〈鉄道がなければペストなどのような伝染病があっという間に広がることもなかった。もともと人びとは自然に「隔離」の状態を保って暮らしていたのに、鉄道という不自然な利器ができたために、疫病や災害や犯罪など邪悪なものが一気に国中に広がることになった、というのです。そして、「人間は自分の手足でできる範囲内だけ、行き来しなければならないように生み出されているのです」と主張します〉
では、弁護士は? ガンディーは自分が弁護士だったはずです。
でも弁護士は争いごとがなければ仕事もないため、わざわざ争いを起こすようにする。争いが起こると喜び、それを大きくしようとする。
ウーン、そういう側面はあるでしょう。でも、権力から個人・個人の権利を守るためには必要だろう。
多分、それは分かっていながらも、〈宗教戦争〉などで弁護士がどんなことをしたか。その苦い事実、歴史から、こう言います。
〈ガンディーは、弁護士こそがインドをイギリスによる隷属状態に陥れた大きな要因であり、ヒンドゥーとムスリムの争いにおいても、双方の弁護士がたがいに自分たちが有利になるように過剰な論拠を作り出すから、対立が煽られたのだと主張しています〉
確かに、そういう面はあったんでしょう。では医者は? 医者がいなかったら、大変だろう。と思うのですが…。ガンディーの言う医者とは西洋医学のことですが…。
〈彼の理屈によれば、人の病気の多くは、不摂生や不養生など、その人自身に原因があるのに、医者が安易に薬を与えるから、人は反省しなくなるというのです。薬をもらって治れば、また暴飲暴食し、また薬を飲んで治し、また暴飲暴食する。これを繰り返しているうちに、その人が本来持っていた自己治癒能力はどんどん弱っていくというわけです。いわく、「病院は罪悪の根源です。病院があるので、人間は身体にあまり注意を払いませんし、不道徳がはびこるのです」〉
こうなると宗教ですね。
前に私は『通販生活』で書きましたが、母が「生長の家」の信者だったので、我が家には薬は一切ありませんでした。
病院にも行けません。どんなに熱が出ても、風邪が酷くとも、「祈れば治る!」と言われました。又、実際、それで治ったのですから不思議です。
又、ガンディーの言うように、病気になったら自分の不摂生を反省しました。自己批判しました。医者や薬に頼らないので人間本来の治癒力が強くなったのかもしれません。
しかし、一人一人の「心がけ」『覚悟』として自発的に持つのは分かりますが、他人に強制するのはダメでしょう。「愛国心」と同じです。
中島さんは最後に言ってます。
〈どうでしょうか。やっぱり「ガンディー主義は無理だ」という方も多いのではないでしょうか。しかし、常に自己の欲望と向き合い、反省的に生きることは重要だと思います〉
ガンディー自身も、完全に悟りきった聖者ではなく、常に「実験」をしてきたのです。完全に全ての欲望から自由になったのであれば、そのような実験をするという発想自体が生まれないのではないか、と中島さんは言います。
〈ガンディーの「極端」な側面をどうとらえるのか。それは、今日の私たちのライフスタイルをどう見つめ直すかという問いに直結するのではないでしょうか。私たちが自分の問題として、ガンディーを問い直すことが重要なのだと思います〉
そうですね。だから私たちも〈実験〉をしてるのです。
この情報洪水の中で、どうやって「情報ダイエット」をはかるか。どうやって本を読む時間を作るか。どんなノルマを決めるか。どんな全集を読むか。
いっそ、スマホを捨てて、本を読もう! 本を読まない友達は、持たないようにするとか。
それらは愚かな「実験」かもしれません。でも、人間であることを自覚し、人間を取り戻すために必要な「実験」のように思います。
三島由紀夫は、「楯の会」を作って、自衛隊に体験入隊したり、国のために何か出来るかと考え、行動してた時に、こんなことを言ってました。
「我々はフラスコの中で、純粋性の実験をしてるのです」と。
現状に満足してる人に実験はありません。現状を変えよう、脱却しようという思いがあるから「実験」するのです。
〈『たたかえっ!憲法9条ちゃん』(尾崎隆臣)出版記念。小説や漫画にかいちゃいけないものはない!? メジャー雑誌でできるギリギリのラインを考えよう〉
過激な話をしていた。出演者は尾崎隆臣さん。武富健治さん(漫画家。『鈴木先生』)。架神恭介さん(作家)。岡田育さん(編集者)。終わって、尾崎さんや武富さんと話しました。
①4月25日(金)午後7時から、文京区民センターで行われた集会です。週刊金曜日主催で、「さらば、独裁者=徹底検証・暴走する安倍政権」です。満員でした。
佐高信さんと北原みのりさんの対談がトップでした。佐高さんはいつもの調子でガンガンいきます。
「でも安倍さんは独裁者なのでしょうか」と、北原さんは、至極真っ当な疑問をぶつけます。そうですね。佐高さんの方が「独裁者」っぽい。
ただ、安倍さんは、極右やネトウヨや、そんな人たちに「期待」「利用」されるのでしょう。甘いと思われて…。その先の危うさはあります。
⑩中島岳志さんです。「週刊金曜日」の編集委員ですが、この日は来れませんでした。これは一水会フォーラムで4月11日(金)に講演した時の写真です。今週の「主張」には、中島さんのことを主に書いたので、写真も載せました。
⑪中島さんがNHKで放送した「マハトマ・ガンディー」を中心にして、今週は書きました。2008年12月、NHK教育テレビで放送されました。「NHK 知るを楽しむ。私のこだわり人物伝」。その時のテキストです。上がそうですね。中島岳志さんの「マハトマ・ガンディー=現代への挑戦状」です。下は、この次の月(2009年1月)に行われた北康利さんの「松下幸之助=哲学した経営者」です。テキストでは2月分、まとめて載せてるんですね。
⑬今、渋谷のユーロスペースで、映画「チスル」を絶讃上映中です。朝鮮戦争前の済州島事件について、初めて映画化されました。そのポスターの前で。「本日、14時15分からの上映回のあと、鈴木さんのトークがあります」と書かれています。
⑭この映画を配給した「太秦(うずまさ)」の小林代表とトークをしました。これは実に衝撃的で、又、歴史的な映画です。3万人が殺された陰惨な事件ですが、映像はモノクロで、やけに美しいのです。それが、さらに戦争の残酷さを浮かび上がらせています。「何のために殺されるのか分からない」。撃つ兵士も「何のために殺すのか分からない」。不条理な戦争です。
⑮金廣志さんも観客で見に来ていました。元赤軍派の活動家で、指名手配になりながら全国を逃げ、時効の15年を逃げのびて、社会復帰しました。奇跡の人です。アンビリーバボーです。
何と、「父親は済州島出身なんです」。驚きました。それで、奥さんを連れて見に来たのです。
⑯4月29日(火)午後1時から、阿佐ヶ谷ロフトで気になるイベントをやってたので見に行きました。
〈『たたかえっ!憲法9条ちゃん』(尾崎隆臣)発売記念。小説や漫画にかいちゃいけないものはない!?メジャー流通できるギリギリのラインを考えよう〉
激しくも危ないトークでした。満員でした。
(左から)尾崎隆臣さん(作家。『たたかえっ!憲法9条ちゃん』)。架神恭介さん(作家。『戦闘破壊学園ダンゲロス』)。武富健治さん(漫画家。『鈴木先生』『江露巣主人大全』)。岡田育(編集者。『ハジの多い人生』)。
⑰漫画『鈴木先生』の武富健治さんと。この漫画は大ヒットし、テレビや映画でもブレイクしました。
前に、『鈴木先生』の映画を見に行ったら、館内でバッタリ会いました。「あっ、鈴木先生!」なんて言われちゃいました。『鈴木先生』の作者に。
㉑坂本龍一さんと対談し、本を作る時に、とても参考になった本です。田邊園子さんの『伝説の編集者・坂本一亀とその時代』(作品社)です。
坂本一亀さんは坂本龍一さんのお父さんです。河出書房の名編集者で、田邊さんは、その下で働いてました。一亀さんは、三島由紀夫、高橋和巳、小田実などを発掘し、育てた人です。凄いです。田邊さんも、担当者として三島などにもよく会ってました。
㉓4月29日(火)日本武道館。全日本柔道選手権大会を見に行きました。私も柔道マンですから。無差別ですから、70キロの人と100キロの人が戦ったりします。又、警察、警備会社、普通の会社に勤める人。大学生。そして高校生までいます。
高校生が警察官を投げ飛ばしていました。驚きです。又、兵庫県警と千葉県警の戦いもあります。「おっ、警察内部の内ゲバか」なんて思っちゃいました。