2014/05/12 鈴木邦男

「百年たったら帰っておいで」
=寺山修司と九條今日子さんの物語=

①死後も成長し、ビッグになる

九條今日子さん 九條今日子さん

『回想・寺山修司=百年たったら帰っておいで』(角川文庫)を読んだ。

寺山の元奥さん、九條今日子さんが書いた本だ。いい本だ。

九條さんはSKD(松竹歌劇団)で活躍し、松竹映画に移り青春スターとして活躍。

「九條さんのファン」だった寺山修司と出会い結婚。67年、「天井桟敷」をともに設立し、制作を担当。離婚後も劇団運営に従事し、寺山亡き後も、その遺志を継ぎ、精力的に活動を続ける。

青森県にある寺山修司記念館の名誉館長も務めていた。

5/4、千日谷会堂でのお通夜 5/4、千日谷会堂でのお通夜

寺山が亡くなって31年。寺山は偉大だ。天才だ。

「でも、死後、どんどん大きくなった」と中森明夫さん(評論家)は言っていた。

劇団を支え、寺山をプロデュースし続けてきた九條さんの力があったからだ。と中森さんは言う。

その九條さんが亡くなった。78才だった。

5月4日(日)、午後5時からお通夜が行われた。信濃町の千日谷会堂だ。

庚芳夫さん、篠田正浩さんと 康芳夫さん、篠田正浩さんと

多くの人が参列していた。式が終わった後も、一般の人やファンの人の長蛇の列が、九條さんに最後のお別れをし、献花しようと、会館の外にまで溢れて並んでいた。

お通夜から帰ってきて、九條さんの本を読んだ。

寺山修司の本も読み直している。高取英さんの「月蝕歌劇団」などで寺山の芝居はかなり見てるつもりだった。寺山の遺伝子を継ぐ演劇人も多く知っている。

でも、何も知らなかったんだ私は。寺山の全ての本を読み、全ての演劇、映画を見てみよう。そう思った。

庚芳夫さん、林静一さんと 康芳夫さん、林静一さんと

寺山の〈世界〉は、かなり知ってるつもりだったが、九條さんと会ったのは1回だけだ。それも、亡くなるほんの前だ。まさに一期一会だ。

2月17日(月)、阿佐ヶ谷に月蝕歌劇団の芝居を見に行った。終わって、高取さんに誘われ、駅前の店に行った。

そこに、いろんな人が集まって来た。今の芝居を見終わった人だ。

中森明夫さんがいた。劇団の人、編集者の人、ライターなどがいた。そして、九條今日子さんがいた。

あの伝説的な人だ、と思った。レジェンドだ。中森さんも初対面だと言う。寺山修司の話で盛り上がった。

中森明夫さんと 中森明夫さんと

九條さんは78才だというが元気だった。お酒も飲んでいた。

ところが、その2ヶ月後に亡くなった。そしてお通夜。

それから、九條さんの本や寺山の本を買い込んで、今、読んでいる。

『回想・寺山修司』の表紙にはこう書かれている。

〈公私ともに無類のパートナーとして支えた著者が振り返る。演劇界の貴重な回顧録であり、深い絆を描いたエッセイ〉

そうですね。演劇界の貴重な歴史だし、証言だ。普通の夫婦なら、別れたらもう一生会わない。そんな夫婦が多い。

九條今日子さん(左)と。今年の2月 九條今日子さん(左)と。今年の2月

ところが、離婚後も、2人は共に演劇の世界で活躍する。

又、寺山の死後、九條さんが、演劇、詩歌、本、映画などを管理し、寺山修司記念館の名誉館長を務めてきた。

そのおかげで、寺山は死後、更に、どんどんと大きくなり、世界に知られ、メジャーになった。

寺山の遺伝子を継ぐ劇団も次々と生まれ、多くの作品が上演された。

寺山の本は、今でも若者たちに圧倒的な人気がある。九條さんの力が大きい。

②「表現への飢餓」が引力となって…

SKD時代の九條さん SKD時代の九條さん

『回想・寺山修司』の「解説」を書いている萩原朔美は言う。

「一度、離婚した相手の仕事を、最後までサポートするのは並大抵ではない。距離を感情抜きで維持しなければならないからだ。こういうスタイルこそが本当の比翼の鳥、連理の枝というものかも知れない」

それにしても…と思う。別れた後まで、どうして仕事をサポートしてやったのか。出来たのか。萩原もそんな疑問を持つ。

「それにしても、と思わざるを得ない。どうして九條今日子という人は、離婚後別の生き方を選択しなかったのだろうか。何がそうさせない決定的な要因だったのだろうか」
女優時代の九條さん 女優時代の九條さん

天才・寺山の引力なのか。別れても、その仕事を手伝いたいと思わせる「大きな仕事」だったのか。

いや、〈表現〉の問題だと、萩原は言う。

〈表現というのは飢餓だ。他人との埋められない溝に対する寂寥(せきりょう)。自分の夜見た夢を他者に説明できないもどかしさ。コミュニケーション言語ではどうしても伝えられない事柄を前にした時、人は表現に活路を見出すのである。寺山さんと九條さんとの共通項はこの飢餓感ではないだろうか〉

そうなのか。夫婦関係を超えても、同じ「表現者」としての飢餓感を共有していたのか。

九條さんの『回想・寺山修司』 九條さんの『回想・寺山修司』

寺山の死後、寺山をプロデュースして寺山をさらにビッグにしたのは九條さんだ。と中森明夫氏は言っていたが、もしかしから、生前から寺山修司をプロデュースしていたのかもしれない。

萩原は言う。

〈表現への傾斜は、九條さんがそもそも松竹歌劇団に身を投じたことから始まったと言える。彼女はすでに十代で受け手の人生ではなく、送り手側に籍を置いたのだ。離婚したぐらいで、すぐ受け手に舞い戻ることなど身体感覚が許さないだろう〉

九條さんは「寺山修司」という夢を人々に向かって送ったのだ。離婚後も。寺山の死後も。

『寺山修司・迷宮世界』 『寺山修司・迷宮世界』

これは送り手、演劇人、表現者としての「業(ごう)」だ。もっときれいに言えば、使命感、義務かもしれない。

寺山は死ぬ前に医者にこう言ったという。

「今、45才だけど、あと5年間は演劇をやりたい。その後、10年間は文筆一本にしぼる。だから、とにかく60才まで生かしてほしい」

しかし願いは叶わなかった。47才で死んだ。

しかし、死後も成長し続けている。寺山は不滅だ。不死だ。

③「寺山修司のお母さんですか?」と聞かれた

完全保存版『寺山修司』 完全保存版『寺山修司』

『回想・寺山修司』のカバーには、こう書かれている。

〈幸せでした。恋と結婚。そして永遠の別れ…
天才の遺志を継ぐ私の人生。〉

この本は、2005年10月、デーリー東北新聞社から刊行され、2013年4月に、角川文庫になった。

その「あとがき」に九條さんはこう書いている。

〈私は本来楽観主義者なので、本当は辛かったことや悲しかったこともあったはずなのに、「あー楽しかった!」と言って静かにフェードアウトしたいものだと考えている〉
蕗谷龍夫さんと 蕗谷龍夫さんと

いいですね。本当は、「聞いておけばよかったのにと思うことがありすぎるほどだけど」と言う。

そうでしょうね。寺山の死の47才は余りに若すぎる。

九條さんにとって寺山は「師」であり、「兄」のような存在。いや、「同志」だったのだろう。

でも年は九條さんの方が1才上だ。寺山は時には、やんちゃな「弟」のように甘えたのだろう。

最近、腰痛を患い、部屋の掃除に頼んだ女性が九條さんに言ったそうだ。

講演の後、話しました 講演の後、話しました
「寺山さんて(私のこと)、もしかしたら寺山修司さんのお母さんですよね?」

これにはショックだったようで、一日寝込むほどだったという。酷いよね。九條さんに向かって、「お母さんですよね」はないでしょう。

〈彼女は慌てて「お姉さんでした?寺山修司さん若くして亡くなったのですよね」
 寺山がたとえ元気でいても、もう喜寿になっているのと、改めて早く逝ってしまったことへの悔やみがわいてくる。四十代の寺山の写真の前では、もう何も喋るのをよそうと思う〉
『蕗谷虹児』(河出書房新社) 『蕗谷虹児』(河出書房新社)

でも、自由奔放に生きた寺山だ。我が儘に表現活動をした寺山だ。

道を歩いている時に、突然大声で叫んでみたり、突然、走り回ったり、いきなり、町を歩く人々に演説してみたり。突飛な行動があったらしい。

道に迷って私有地に入りこみ、住民の通報で警察に捕まったこともある。「覗き」の嫌疑をかけられて…。

大きくなっても、腕白少年だ。子供だ。不良少年だ。

九條さんも、「いけない子ね。子供よね」と思ったことも多かったようだ。そんな時は「母」になっていたんだ。

④景山民夫さんの葬儀もここだった…

『少女画報』の表紙です 『少女画報』の表紙です

九條さんのお通夜で、「ここ前に来たことがある」と思った。

デジャブではない。そうだ。景山民夫さん(作家)の葬儀だった。

「この前、来た」と、近くにいた康芳夫さんに言った。

「“この前”じゃないよ。もう20年も前だよ。私も来たよ」と言う。この千日谷会堂だ。

景山さんは人気作家だったが、「幸福の科学」に入り、いわば「広告塔」のような存在になった。歌手の小川知子さんもそうだった。

私は、プロレスの取材で景山さんと会い、それからよく会うことになった。

景山さんはプロレスの大ファンで、「ひょうきんプロレス」では自分もプロレスラーになり切って、闘っていた。

「令女界」口絵 「令女界」口絵

とてもいい人だし、面白い人だった。

景山さんに誘われて、「幸福の科学」の集まりにもよく行った。でも、「入信しなさい」などと言われたことは一度もない。

よく、奢ってもらった。何度か対談した。突然の事故で亡くなり、この千日谷会堂でお葬式が行われた。

その時、奥さんが挨拶していた。

「景山は私の師であり、父であり、兄でした。多くのことを教えてもらいました」
蕗谷虹児 蕗谷虹児

そうだろうな。偉大な作家だった。今、読んでも面白いし、映画になった作品もある。

続いて、奥さんは言う。

「同時に、景山は私の弟であり、子供でもありました」。

エッ!と思った。子供って何だ!「ママ!」と言って、甘えたのかな。赤ちゃんプレーをしたのかな、と、妄想が湧き、気持ちが掻き乱された。

たとえ年下の奥さんでも、夫のことを「まるで子供ね」「いい年をして…」なんて、思う時があるのだろう。九條さんも荒れた頃の寺山を見て、そう思ったに違いない。

スカイツリーの前で スカイツリーの前で

もう一つ思い出した。月刊『創』(今出ている。5・6月合併号)にも書いたが、フランスの「国民戦線」の話だ。

日本では、「極右政党」と紹介されることが多い。ルペンさんが党首だったが、今度、娘のマリーヌ・ルペンさんが新しい党首になった。

パパ・ルペンさん、娘さんには私も何度か会っている。

2003年、国民戦線30周年大会に招待され、木村三浩氏(一水会代表)と共にフランスのニースに行った。

その時、ルペンさんは我々2人のために時間をとってくれ、3人だけで、じっくり話をした。

三島由紀夫のことや、武士道の話をルペンさんはする。

カフェオレを入れてます。凄い技です カフェオレを入れてます。凄い技です

驚いた。会場には娘さんのポスターも貼られていた。次は、娘さんになるのかと思っていた。

今、娘さんに代わり、かなり、「極右色」を薄めている。

マリーヌさんは、弁護士だし、人権派だ。又、バツ1だ。そして今は、別の相手と事実婚だ。

「開かれたナショナリズム」の持ち主だ。

それで、支持率もグングン伸びている。

最近の「国民戦線」の状況を聞いた。3月22日(土)だ。

下北沢で、畑山敏夫さん(佐賀大学教授)の講演を聞いたのだ。「欧州極右・仏国民戦線・ルペン」と題した講演だった。

女子柔道の溝口紀子さんと対談しました 女子柔道の溝口紀子さんと対談しました

畑山さんはルペンさん親子に何度も取材しているし、本も出している。「日本で一番ルペンさんに詳しい方です」と主催者の及川健二氏に紹介された。

今、「国民戦線」は、マリーヌさんの下で、急激に伸びているという。

そして畑山さんから興味深い話を聞いた。

この躍進する「国民戦線」の書記長は、実は、マリーヌさんの別れた夫だという。

驚いた。普通、別れたら憎み合って、「一生会うものか!」と思う夫婦が多いのに…。

と思ったら、畑山さんは言う。

「夫としては失格でも書記長としては有能なんです」。
前に住んでたアパート 前に住んでたアパート

日本じゃ、こんな事はないよ。スキャンダルで潰されちゃう。

「夫として失格」だったら、人間としても失格。全てに失格。生きていく資格はない…と思われちゃう。

その前に、週刊誌やテレビのワイドショーで叩かれ、葬り去られる。

その点、フランスは凄い。人間を小さな尺度で見ない。

「じゃ、今マリーヌさんが事実婚している夫は何をしているんですか」と私は畑山さんに聞いた。

「国民戦線の幹部をしてます」。

これも驚きだ。マリーヌさんは、元夫と今夫の2人に支えられて党を引っぱっているのか。凄い。日本じゃ、あり得ないよ。そう思った。

でも、寺山修司がいたか。「夫としては失格」でも、〈表現者〉としては天才だった。

又、それを受け入れ、支える人々がいた。そんな話も、沢山聞いてみたかったな。九條さんに…。と思ったが、何とも残念だ。

【だいありー】

  1. 5月5日(月)午前中、原稿。午後、図書館で勉強。夜、打ち合わせ。
  2. 5月6日(火)午前中、原稿。午後、週刊誌の取材。
  3. 5月7日(水)午前中、原稿。
     午後2時、ホテルサンルート。出版社の人と打ち合わせ。出版界の現状を聞く。
     今、なぜ本が売れないのか。昔は人口も少ないのに、今よりも本が売れたし、読む人がいた。
     又、思想全集、文学全集、歴史、講座…が随分と出ていた。今は、日本人全体が確実に知的劣化しているのか。
     夜は、自分の劣化に脅えて、喫茶店をハシゴして本を読む。
  4. 5月8日(木)午前11時、高田馬場の喫茶店「ミヤマ」の会議室。新聞社の取材。3時間ほど話す。
     「ミヤマ」って、みやま荘と関係あるんですか、と聞かれた。みやま荘の「応接室」です。とも言えず。でも、そんな機能も果たしている。
     それから急いで、河合塾コスモへ。会社の車で送ってもらった。
     3時、「現代文要約」。
  5. 5月9日(金)午前中、原稿。午後、取材。打ち合わせ。夜、久しぶりに柔道に行く。体がなまっている。体が痛い。
  6. 5月10日(土)午前中、原稿。午後、上野の美術館。夜、柔道。
  7. 5月11日(日)埼玉県の深谷駅を見に行く。「東京駅そっくり」と有名な駅だ。ただ、それだけの好奇心で見に行く。
     本を読まなくちゃならない。そのために電車に乗る必要もあったので…。
     それから、有名な「深夜シネマ」を見る。そして、渋沢栄一の生家、記念館を見る。とても勉強になりました。

【写真説明】

九條今日子さん

①九條今日子さん。寺山修司の元奥さんです。でも、離婚後も、寺山死後も、寺山の志を継いで、演劇、映画、著作出版に尽力しました。78才でした。5月4日、お通夜に行ってきました。

5/4、千日谷会堂でのお通夜

②千日谷会堂には全国から多くの人が集まり、お別れをしました。山田太一さん、ファイティング原田さん、三沢市長なども参列し、献花をしてました。

庚芳夫さん、篠田正浩さんと

③康芳夫さん、篠田正浩さんと。康さんは、怪人です。「呼び屋」です。アリvs猪木戦を仕掛け、ネッシー探しの探検隊を組織し、「人間か猿か」と騒がれた「オリバー君」を日本に連れて来た人です。沼正三の『家畜人ヤプー』を出版し、三島由紀夫もこれは絶讃してました。
 康さんの出版社に「楯の会」の森田必勝氏たちがバイトに行ったこともあります。私も昔からのお付き合いです。篠田さんは「ゾルゲ」などで知られる映画監督です。去年までは早大で教えていました。九條今日子さんの出演した『乾いた湖』は篠田さんの監督作品です。

庚芳夫さん、林静一さんと

④康芳夫さん、林静一さんと。林さんは画家です。CMの「小梅ちゃん」のイラストも描いております。

中森明夫さんと

⑤作家の中森明夫さんと。

九條今日子さん(左)と。今年の2月

⑥九條今日子さんとは今年の2月17日(月)に初めてお会いしました。それが最後になってしまいました。残念です。
 左端が九條今日子さん。中央が中森明夫さん。右端が「月蝕歌劇団」の高取英さんです。
 この日、「月蝕」のお芝居を見に行って、その打ち上げで、九條さんを高取さんから紹介されました。九條さんは元気で、お酒も飲んでました。それなのに…。

SKD時代の九條さん

⑦SKD時代の九條今日子さん。お通夜の時に頂いた写真です。

女優時代の九條さん

⑧女優時代の九條さん。この時、寺山修司にプロボーズされ、結婚しました。

九條さんの『回想・寺山修司』

⑨九條今日子さんの『回想・寺山修司=百年たったら帰っておいで=』(角川文庫)。

『寺山修司・迷宮世界』

⑩寺山修司の本は沢山出ています。又、寺山について書いた本。寺山を特集する本も沢山出ています。これは、〈没後30年、今甦る『寺山修司・迷宮世界』(洋泉社)です。

完全保存版『寺山修司』

⑪これは、〈この人に会いたい!完全保存版 没後30年目のリアル。『寺山修司と演劇実験室・天井桟敷』〉(徳間書店)です。

蕗谷龍夫さんと

⑫スカイツリーの建物・スカイツリータウン・ソラマチの中の郵政博物館では、現在、「蕗谷虹児展」が開かれています。5月25日(日)までです。蕗谷虹児は大正から昭和にかけて、少女雑誌の挿絵や表紙絵などで活躍。当時の少女たちを魅了しました。
 実は、三島由紀夫が自決の2年前に作った限定豪華本の表紙、挿絵も描いてます。『岬にての物語』です。三島のお母さんが熱烈な蕗谷ファンで、そのため、「最後の親孝行」のつもりで蕗谷に頼んだようです。その経緯を、蕗谷の三男・龍夫さんに聞きました。
 5月3日(土)は、その蕗谷龍夫さんのミニ講演会もあるというので、聞きに行きました。右が龍夫さんです。父・虹児の描く「花嫁」と一緒に写真を撮りました。

講演の後、話しました

⑬そのあと、龍夫さんに、いろいろと話を聞きました。今度、雑誌で、ゆっくり話をしたいです。とお願いしました。

『蕗谷虹児』(河出書房新社)

⑭『蕗谷虹児』(河出書房新社)の表紙は、虹児の代表作「花嫁」です。名曲「花嫁人形」の作詞もしています。

『少女画報』の表紙です

⑮『少女画報』(昭和8年12月号)の表紙です。モデルは奥さんの龍子さんだそうです。
 『少女画報』の字も、一つ一つ、デザイン化しています。
 龍夫さんが教えてくれました。ハートやダイヤで字を作ったり、「報」の字は、(キューピットの)矢が龍子さんに向けられています。
 この本が12月で、発行後すぐ、12月20日。2人は婚姻届けを出してます。人生も美しい絵にしています。

「令女界」口絵

⑯「令女界」口絵。昭和13年11月号。「星からの音信」。ロマンチックに描いてます。

蕗谷虹児

⑰これが蕗谷虹児です。いい男ですよね。

スカイツリーの前で

⑱ソラマチから出たら、スカイツリーがありました。その辺にいた田舎から出て来たオバちゃんにシャッターを押してもらいました。
 そしたら、よく写ってませんね。人物は真っ黒です。

カフェオレを入れてます。凄い技です

⑲これはもう、「匠の技」です。新宿の「珈琲貴族」です。カフェオレを頼むと、かなり高い所から、コーヒーとミルクを注ぎ込みます。泡が出るし、よくミックスするのでしょう。たいしたものです。

女子柔道の溝口紀子さんと対談しました

⑳女子柔道の溝口紀子さんと対談しました。『紙の爆弾』(6月号)です。
 溝口さんは92年、バルセロナオリンピックで銀メダルを獲りました。女子柔道の問題点を歴史的に掘り下げた『性と柔』(河出書房新社)を書いてます。
 現在、静岡文化芸術大学准教授。話は面白かったし、とても勉強になりました。

前に住んでたアパート

㉑原稿を書いていて疲れたので、落合のあたりを散歩してました。そしたら、あったんですね。前のアパートが。
 みやま荘に移る前に住んでました。新宿区上落合です。左の狭い階段を上がって、2階です。六畳一間で、トイレ、洗面所は外。風呂はないので、近所の銭湯に行きました。
 2階なのに本が多すぎる。公安が聞き込みに来る。学生時代の友人が洗濯機を借りにきて、洗濯をしてる時に、ホースを外してしまい、水が全部下の大家さんの部屋に落ちる。主にその事件のために「出ていってくれ」となりました。
 ともかく、ご迷惑をかけました。ありがとうございました。

【お知らせ】

  1. 5月12日(月)、週刊「アエラ」発売です。私は原稿を書いてます。『小学4年生の世界平和』(角川書店)の書評です。ジョン・ハンター(著)。伊藤真(訳)。
     ゲームを使って、「世界平和」を考える。こんな授業をやってたなんて。アメリカの小学生は凄い! 感動しました。日本じゃ、大学教授や政治家だって、こんな発想はない。子供たちが“交渉”によって「世界平和」を目指すゲームだ。国連、国防総省も注目し、この教師と小学生が国防総省に招待された。驚くべき“ゲーム”の授業だ。
  2. 今、発売中の『紙の爆弾』(6月号)で、女子柔道の溝口紀子さんと対談しています。
     溝口さんは、92年のバルセロナオリンピック、柔道52kg級で銀メダルを獲得。その後、日本人女性で初めて、フランス代表チームのコーチを務める。
     2013年、女子柔道の問題点を歴史的に掘り下げた『性と柔』(河出書房新社)を上梓。現在、スポーツ社会学者。静岡文化芸術大学准教授。
     とても貴重な話が聞けました。楽しかったです。世界で闘ってきたビッグな選手との対談は初めてですし、感動しました。溝口さんは、とても勉強家ですし、私らも知らない日本柔道の歴史、そして国際化の問題点などについても教えてもらいました。
  3. 5月13日(火)午後7時から、大阪ロフトに出ます。初めてです。部落解放同盟大阪府連池田支部代表のみなみあめん坊さんとトークです。
     みなみさんは本も沢山書いてます。久しぶりです。以前、池田支部に呼んでもらい講演したこともあります。
     この日のテーマは、「タブーの側からタブーを斬る!」。解放同盟そして右翼。怖いイメージがある。その中で、今の言論抑圧された社会をどう思うのか。ヘイトスピーチ、民族排外主義とどう闘うのか。大いに語りたいと思います。地図
  4. 5月15日(木)7時。一水会フォーラムホテルサンルート高田馬場。講師は藤和彦さん(世界平和研究所研究主任)で、「今こそ日露エネルギー同盟を締結せよ」です。
5/20(火)伊東秀子さんとトーク 5/20(火)伊東秀子さんとトーク
  1. 5月20日(火)午後6時。札幌時計台ホール。「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。ゲストは伊東秀子さん(弁護士)で、「冤罪と秘密保護法」です。
     なお、7月15日(火)は合田一道さん(作家)。9月9日(火)は高遠菜穂子さんの予定です。高遠さんも出演している映画「ファルージャ=イラク戦争日本人人質事件…そして=」は、札幌では4月5日から上映中です。
     又、10月21日(火)の時計台シンポジウムのゲストは上祐史浩さんが決まりました。
  2. 5月23日(金)シンポジウム「小沢一郎ならどうする—日本の外交と経済」。午後6時より、豊島公会堂。小沢一郎さん、植草一秀さんらが出演。
飛松塾in姫路 5/25の飛松塾in姫路(詳細
  1. 5月24日(土)劇団「再生」の高木尋士氏とトークをします。APOCシアター(小田急線千歳船橋駅徒歩1分)で。「スーザンナ・マルガレータ・ブラント」の上演(午後7時)の前に行います。テーマは、〈鈴木邦男が芸術を語る〉
     なお、演劇は5月23日(金)〜25日(土)まで行われます。
  2. 5月25日(日)「飛松塾in姫路」
     飛松五男さん、植垣康博さん、鈴木邦男。
     東京では、「マガ9学校」があります。午後1時半から。新宿NPO協働推進センターで。「集団的自衛権と自衛隊」。講師は伊勢崎賢治さん、柳沢協二さん。
6/22(日)豊橋市民文化会館で講演 6/22(日)豊橋 市民文化会館で講演
  1. 6月22日(日)午後2時から、「浜岡原発の危険性を考える会」で講演します。三上湖西市長との対談もあります。会場は豊橋文化会館リハーサル室。
  2. 6月23日(月)秋葉原アトリエACT&B。読書劇「二十歳の原点」(劇団「再生」)の午後7時30分の回の前に、プレトークをします。高木尋士さんと私です。テーマは〈学生運動を知っていますか?〉。なお演劇は6月23日(月)と24日(火)の2日間あります。
飛松塾in姫路 6/24の飛松塾in姫路(詳細
  1. 6月24日(火)午後2時から。「飛松塾in姫路」。ゲストに上祐史浩さん、鈴木邦男を迎えて、飛松五男さんが熱く語ります。
  2. 7月15日(火)「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。合田一道さん(作家)がゲスト。
  3. 8月2日(土)午後1時、阿佐ヶ谷ロフト。毎年恒例の「生誕祭」です。