2014/05/19 鈴木邦男

渋沢栄一の生家・深谷へ。そして、大阪ロフトへ。

①明治を支えた「賊軍」の人々

渋沢栄一の銅像の前で 渋沢栄一の銅像の前で

「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。ドイツのビスマルクの言葉だ。

ズバリと本質を衝いている。と思った。愚かな人間は、自分の小さな体験からしか学ばない。

お母さんは、子供にクドクドと説教する。「勉強しないとお父さんのようになるよ」と。そうなっては大変だと、子供は勉強する。

「いつまでも弾圧されたら大変だ。方法を変えよう」と、政治運動の活動家たちも考える。

皆「体験」から学ぶ。別に悪いことじゃない。

しかし、それではダメだ。もっと、広い視野で、〈歴史〉全体から考える。そう言うのだ、この格言は。

しかし、〈歴史〉は、実は客観的な正義ではない。又、完結したものでもない。今も続いている。

又、時の権力によって「作られた」ものだ。たとえば、明治時代になって豊臣秀吉は英雄になったし、〈物語〉は出来た。

渋沢栄一記念館で 渋沢栄一記念館で

江戸時代は、秀吉はいなかった。だって、豊臣秀吉の一族を滅ぼして、徳川の世になった。徳川時代になった。だから、豊臣は「滅ぼされるべくして」滅んだ。「旧悪」だった。徳川300年を通し、豊臣は旧い悪であり、タブーであった。

ところが、明治時代は違う。徳川を滅ぼして、明治維新は出来た。自分たち(薩長)が倒した「賊軍」(徳川軍)は徹底的に罵倒した。

又、その徳川に対抗した豊臣は、〈英雄〉として甦った。「日吉丸物語」も、明治になって、流布した。

そして、明治は、徳川の幕臣や、徳川の体質を色濃く持ったものを疎外し、弾圧した。

又、新政権になった薩摩、長州、土佐の人間だけが、〈歴史〉の表舞台に登場した。そして華々しく活躍した。どうしても、そうした面に我々の目は向きがちだ。

実際は小柄な渋沢栄一 実際は小柄な渋沢栄一

だが、徳川時代には実は、優秀な幕臣たちがいたのだ。

又、彼らが築いてきたものがあったから、明治も成功した。

前にも紹介したが、星亮一『明治を支えた「賊軍」の男たち』(講談社+α新書)は、そんな人々について書いている。

「男たち」だけではなく、新島八重さんのように、「賊軍の女たち」もいた。

この本の帯には、こう書かれている。

〈逆境にあって生き抜く!日本人の肚の据え方!〉
産経新聞にも出てました 産経新聞にも出てました
〈逆賊として差別される旧幕府陣営。幕末から明治へ。不屈の魂がつくりあげた近代日本!〉
〈貧困、冷遇、嘲り、敗北をはね返した実例10人!〉

その代表的な「実例10人」とは、この人たちだ。

①渋沢栄一
(徳川将軍の家臣から日本財界のトップへと上り詰めた真の経済人)

②福沢諭吉
(下士出身。超個性派が海外視察三昧で慶應義塾を開く)

③榎本武揚
(世界を見て回った幕臣随一の秀才。五稜郭敗戦ののち、蝦夷島政府総裁となる)

深谷駅です。東京駅そっくりです 深谷駅です。東京駅そっくりです

④原敬
(薩長藩閥政治に鉄槌を下した名宰相)

⑤山川健次郎
(東大総長となった白虎隊士)

⑥後藤新平
(東京を作り直した水沢の腕白少年)

⑦藤原相之助
(官軍参謀を糾弾した気骨のジャーナリスト)

⑧内藤湖南
(東洋史学の大家。薩長官製の維新史を強く批判)

⑨野口英世
(「おれは会津のサムライだ」が口ぐせだった世界の医聖の心意気)

⑩朝河貫一
(無謀な侵略戦争に反対し全米で尊敬を受けた学究)

②西郷に匹敵する渋沢栄一

深谷シネマで 深谷シネマで

凄い人たちばかりだ。「朝敵!」「国賊!」と罵倒され、差別された中で、「なにクソ!」と思い、闘った人たちだ。

実は、この人たちこそが明治日本を作ったのだ。

第1番に挙げられているのは、渋沢栄一。日本の資本主義を作った男ともいわれる。星亮一は書いている。

〈経済人として近代日本の国家建設に貢献した渋沢栄一は、岩崎弥太郎のような勝者サイドの人間ではない。敗者サイドの人間である。それが日本の財界を仕切ったことが痛快だ〉

岩崎はNHK大河ドラマ「龍馬伝」にも出てくる。坂本龍馬にくっついて活躍した。三菱を作り、日本の財界を作った。

竹中労さんの本もありました 竹中労さんの本もありました

しかし渋沢は、〈敗者〉の賊軍だ。ハンディを背負いながら、苦闘する。

そして、日本の資本主義の父と呼ばれた。大変な苦労だ。

〈生涯、かかわった企業が約500社。明治6年(1873)に創立した第一国立銀行、現在のみずほ銀行では40年間、頭取を務めた。「憲政の神様」と言われた尾崎咢堂(行雄)に「渋沢は西郷、大久保に匹敵する人間」と言わしめた明治国家のスーパースターである〉
渋沢栄一の生家で 渋沢栄一の生家で

そうなのか。西郷にも匹敵する男だったのか。それで、急に会いたくなって、生家に行って来た。勿論、もういない。しかし、生家はある。埼玉県の深谷にある。それも奇妙な名前の町にある。

〈生家は武蔵国榛沢(はんざわ)郡血洗島(ちあらいじま)村、現在の埼玉県深谷市である。深谷駅は「高崎線」の快速で上野駅から約70分。駅前広場に渋沢の銅像がある。そこから渋沢の生家まで歩いていくのだが、目の前に生家の全景が広がった時は、その広さに驚いたものだった〉
生家で。写真の前で 生家で。写真の前で

私も、深谷駅から歩いた。深谷駅には、「渋沢栄一、生誕の地」と大きく書かれている。駅には銅像があるし、そこから歩いて10分。生家がある。

又、そこから少し離れたとこに渋沢栄一記念館がある。ここにも銅像がある。駅前、生家にもあるが、この記念館の銅像は巨大だ。

尾崎咢堂は、「渋沢は西郷に匹敵する人物」と言った。だから上野の西郷さんの銅像に匹敵するものを作ろうとしたのか。いや、いや。西郷さんよりもさらに大きい。もしかしたら、日本でも一番大きな銅像かもしれない。

記念館そのものも、新しいし、きれいだ。古代ローマの建物を思わせるような洒落た建物だ。アメリカにあるミュージアムのようだ。

③渋沢の生地は「血洗島」

渋沢栄一。左は断髪した直後 渋沢栄一。左は断髪した直後

その前に、「血洗島の生家」を見てきたから、特にそう感じたのかもしれない。

昔は壮大な屋敷だったのだろう。又、畑も広々と広がっていた。

今はかなり小さくなっている。これが日本の資本主義を作った男の生家か、と思ったほどだ。

説明してくれる人も、いなかった。少し待ってたら、「すみません。畑仕事をしてたもので」と、おじさんが走ってきて説明してくれる。

ここに来た人は、まず第1に疑問に思う。ここの住所だ。今も、「深谷市血洗島」になっている。

大阪ロフトで。5/13(火) 大阪ロフトで。5/13(火)

島といっても海に浮かぶ島ではない。場所のことを「島」といったんだ。他にも西島とか、なんとか島という町名がここにはある。

問題は「血洗」の方だ。血で血を洗うような戦争があったのか。

「ここは元、刑場だったと聞きましたが」と質問する人もいる。初めは私1人が、説明を聞いてたが、ボツボツと何人かが集まってきた。

その中で、質問する人がいるんだ。「古戦場があって、血なまぐさい戦いがあったんじゃないですか」と言う人もいる。

生家の説明係の人は、「いえ、違うようです」と、説明パネルを指さす。今まで、何百回、何千回も質問されたんだろう。まず、このパネルを見て下さい、ということだ。

とてもきれいな会場です とてもきれいな会場です

パネルには、こう書かれている。本当は、土地が荒れていたので、「地荒い」だった。そこから「血洗」になったというのが第1の説明。

じゃ、町名は、「地荒い」でいいじゃないか。でも、土地が荒れているというのは恥ずかしい。

誰かが冗談で「血洗」という字を当てた。「面白い!」と手を叩く人もいて、初めは冗談で、通用してたが、そのうち、これが町名になった。

ウーン、これが一番ありうると思う。

今なら、「血洗」なんて不気味だ。不吉だ。怖い。と思うだろう。

平野悠さんと 平野悠さんと

でも、昔は、日常的に戦いがあって、血に対する観念も違う。

他の地方では、敵の首を洗った池が残っていて、「血洗い池」「首洗い池」なんてのもある。又、切った敵の武将の首を、奥方や娘たちが洗って、化粧して殿に見せたという。

首、血、洗う…ということに対する観念が今の我々とは違うのだ。「気持ち悪い」「ゾッとする」という感覚はない。

むしろ「地荒れ」の方が、カッコ悪い。恥だ。と思って、「血洗い」にしたのだろう。そんな気がする。

でも、現在も、「血洗島」のままというのも怖い。

他にも説があって、アイヌ語だという説。又、日光の神と赤城の神が戦った時、腕を切られた赤城の神がその傷を洗った場所だとか。又、八幡太郎義家(源義家)が受けた傷を洗った場所だとか。いろんな伝説があるそうです。

④渋沢の覚悟と先進性

トークが終わって トークが終わって

渋沢は、「最後の将軍」徳川慶喜を慕い、仕えた。

名前を覚えてもらおうと、慶喜の朝の調馬を毎日、追いかけた。それも走ってだ。

〈渋沢は背が低く、肥満で腹が出ている。馬になど追いつけるものではない。でも毎日、走った〉

そして、慶喜の目に止まり、「あれは何者だ」「太っておるな」ということで、お目通りがかない、やがて財務担当として頭角を現した。

さらに渋沢はフランスに行った。

慶喜はフランスとの提携による近代日本の建設を考えていた。そして、パリ万博に実弟の徳川昭武を派遣した。

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その昭武のお供として渋沢はフランスに行った。

その時の写真が生家には飾ってある。

行く時は、チョンマゲだが、向こうで、落として総髪にした。

その写真を日本の奥さんに送ったら、「情けない!」と言って泣き出したそうだ。チョンマゲを落としてはもう武士ではない。人間ではない、と思ったようだ。

フランスに行くまで48日だ。香港、サイゴン、アラビア半島、紅海…と。船に乗ったり、汽車に乗ったりだ。スエズから汽車に乗ったが、一同は驚いた。

「細長い家屋の如きものが動いている」。
打ち上げで 打ち上げで

これが蒸気車だったのだ。

又、フランスでは、人々の生活に驚いた。政治の仕組みにも驚いた。

〈渋沢が各地で感心したことは、国民全体を考えた政治だった。政府のためではなくすべて、国民のためだった。渋沢は美人が多いことにも驚いた。皆、胸を張って歩いている。日本とは違うと思った。街は夜でも煌々と明るく、至る所に噴水があり、人家は7、8階の高層建築で、その屋敷の壮観なことは、大名の屋敷も及ばぬものだった〉

西欧の進んだ文化に対しては、素直に感動する。日本はとてもとても遅れている、と思う。

その気持ちがあったから、「追いつき追い越そう」とする気持ちも生まれる。

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維新を成し遂げた薩長よりも、むしろ、そのコンプレックスは強かったのだろう。

だからこそ、日本の「資本主義の父」にもなった。

又、フランスの女性を見て、「美人が多い」と思った感性だ。

他の日本人たちの見聞記では、外国人は、ただ大きくて赤ら顔で、天狗のようだ。…という表現が多い。

見慣れた日本人の女性こそが美しい。外国女は、グロテスクだ。気持ちが悪い…。と思った人が多い。

「美人」観はそれだけ保守的なのだ。

「テルマエロマエ」でも、ローマ人は日本人の女性を初めて見て、何だ、この「平べったい顔の、平べったい胸」の人間は!と思った。これは映画だが、実際に外国人が日本人、日本女を見た時も、そうだったのだろう。

⑤遅れた日本をどう変えるか…と

食いだおれ人形の前で。風見さんと 食いだおれ人形の前で。風見さんと

そうした民族的「美人観」を超えて、渋沢は、西欧の女は美しい、と感動した。これは凄いことだと思う。

フランスに行っている途中、日本では徳川幕府が崩壊する。その話を聞き、渋沢はただ、泣きに泣く。

そして日本の再建に尽力する。「西欧体験」が大きく影響した。

〈渋沢が見るに日本の商工業は、すべてが零細だった。この狭い国土に小さな商売人がひしめき、農業といえば大根を作り、沢庵漬けにする程度であり、商業は味噌を量り売りする程度。工業といえば老婆が糸車を回して、小娘が機織(はたお)りするのが関の山だった。金融機関は両替商、蔵元、札差(ふださ)ししかなく、まともな金融機関はない〉
ホルモンの看板から顔を出してます ホルモンの看板から顔を出してます

そんな遅れた日本を渋沢は変えたのだ。大変な苦労だ。

明治6年(1873)、第一国立銀行を設立(名前は国立だが民間の銀行だった)。

〈渋沢は全体を統括する総監役に就き、幾多の試練を乗り切り、鉄道建設、紡績業、海運業と手を広げた。今日の王子製紙、東京ガス、帝国ホテル、サッポロビール、JRなど渋沢が手がけた企業は枚挙にいとまがない〉

凄い人だったんだ。志を持った、道義の人なのだ。

そんな渋沢に、接近してきた男がいた。土佐出身の岩崎弥太郎だ。

「グリコ」の前で 「グリコ」の前で

渋沢を向島の料亭に招いて、岩崎はこう言った。

「僕と君が手を握れば、日本の実業界を思う通りに動かすことができる」。これに対し、渋沢は…。

「冗談ではない。君が言うことは、ただの金儲けではないか。そんなことをする気は毛頭ない」

そして、渋沢は怒って退座したという。

〈渋沢と岩崎には、決定的な違いがあった。渋沢に言わせれば、岩崎は薩長政権と結託した御用商人ではないか。自分は違う。痩(や)せても枯れても幕臣の端くれだ。徳川慶喜公にお仕えした者だ。幕臣をなめてもらっては困る。そんな心境だった〉
「ペンの森」で講演。5/12(月) 「ペンの森」で講演。5/12(月)

今だったら、「守旧派」と罵倒されるだろう。現政権からの誘いにも乗らず、「幕臣」の誇りを持って、生きた。

経済人として、それを貫くのは大変だったろう。学者や言論人ならば、言えるかもしれないが。

いや、今の政府の有識者会議「安保法制懇」を見ても、完全に「御用学者」ではないか。

「渋沢がフランス各地で学んだことは私心なき社会奉仕だった」と星亮一は言う。

さらに、早大、日本女子大などの設立に協力した。

70才を過ぎてから3回も訪米し、日米関係の改善にも骨を折った。

マスコミを目指す学生の前で マスコミを目指す学生の前で
「渋沢はヨーロッパの自由正義、民主主義を身につけ、かつ日本古来の道義心も兼ね備えた日本人だった」。

この、「日本古来の道義心」というのがいい。

皆、維新以降は、薩長に靡き、徳川幕府を罵倒し、それが日本を世界に押し出す力だと思っている。それが〈愛国心〉だと思っている。

「違う!」と渋沢は言う。幕臣の誇りを持って、言う。

日本古来の道義心を失っては、ダメだ、と。

これは今も言える。この覚悟を持った人がどれだけいるのか。考えさせられた。

⑥大阪ロフトに初めて行った

「ペンの森」主宰の瀬下さんと 「ペンの森」主宰の瀬下さんと

と、ここで終わりだ。最後に、大阪ロフトについて少し触れておこう。

深谷に行った2日後、大阪に行った。4月から大阪にロフトが出来たのだ。ちょうど1ヶ月前だ。

初めて行った。トークをした。大阪の宗右衛門町の賑やかな所にある。

いい所だ。会場も広いし、きれいだ。音響もいいし、ガラス張りの「喫煙室」も出来ている。

そこで、5月13日(火)、トークをした。お相手は、部落解放同盟大阪府連池田支部長の、みなみあめん坊さんだ。久しぶりだ。

それにもう1人、松井かんこさん(映画宣伝プロデューサー)だ。

生徒さんたちと 生徒さんたちと

タイトルは「タブーの側からタブーを撃つ!」。

解放同盟も右翼も、以前は「怖い」と思われ、「タブー」だった。

ところが今は、〈言論〉の場を持ち、又、「朝生」などによって、「話し合いの場」に出ている。

これはいいことだが、それによって、かつてのような厳しい姿勢や緊張関係が薄れているのではないか。そんな疑問や反省もある。

社会的な差別がなくなり、それで団体の力が弱まるのならばいい。

でも、かえって差別表現が広がっている。大久保では堂々とヘイトスピーチのデモがやられている。昔なら、とても人前では言えない民族排外の差別言葉も発せられている。

それらにどう闘うべきか。そんな話を中心にして、3人で話し合った。

又、会場からも活発な質問や問題提起もあった。

打ち上げで 打ち上げで

ロフトが生まれたのは「朝生」と同じ頃だ。テレビでも、政治討論番組が増え、いろんな喫茶店、居酒屋でも、「討論」する店が増えた。

ロフトはその第一番の功労者だ。ロフトプラスワン、阿佐ヶ谷ロフト、ネイキッドロフト…と、毎日、熱い議論が展開されている。

そして、今、大阪にも進出した。さらに、福岡、札幌にも考えているという。

これは楽しみだ。そして、念願の「ニューヨーク・ロフト」もぜひ、実現してほしい。

さらには、「ソウル・ロフト」「ペキン・ロフト」「ピョンヤン・ロフト」だ。

世界各地で、民間同士の討論が行われたら、確実に世界も変わる。

政治家やマスコミだけではダメなんだ。民間人の交流、討論が必要だろう。

【だいありー】

講演する藤和彦さん。5/15(木) 講演する藤和彦さん。5/15(木)
  1. 5月12日(月)午前中、原稿。
     午後、打ち合わせ。
     6時、神田神保町。「瀬下塾」(ペンの森)で講演。瀬下恵介さんが主宰するマスコミ向けの就職セミナーだ。
     大学生でマスコミを目指す人々。そして卒業生が集まる。そこで、現在の「右傾化現象」について話をする。活発な質問も出た。
     終わって、瀬下さんの事務所に行って打ち上げ。私は7年前もここで話をした(らしい)。
     この日、週刊「アエラ」(5月19日号)発売。ジョン・ハンターの『小学4年生の世界平和』(角川書店)の書評を書いた。
木村三浩氏、藤和彦さん、鈴木 木村三浩氏、藤和彦さん、鈴木
  1. 5月13日(火)午前中、原稿。午後2時、東京発の新幹線で大阪へ。下中、風見両氏が迎えに来てくれる。
     宗右衛門町のホテルにチェックインし、近所を案内してもらう。「グリコ」の看板や「食いだおれ」の看板。そして、法善寺横町を見る。
     そのあと、大阪ロフトへ。4月から、大阪ロフトはスタートした。私は今日が初めて。
     部落解放同盟大阪府連池田支部長のみなみあめん坊さん、それに松井かんこさん(映画宣伝プロデューサー)の3人で話す。テーマは「タブーの側からタブーを撃つ!」。
     怖いイメージがある解放同盟と右翼。その人間が、現在の「差別」「タブー」をどう考えるか。どうやって差別、排外主義をなくしていくのか。…について考え、話し合った。11時過ぎまでトーク。
     そのあと、打ち上げ。
     午前1時頃、ホテルに帰る。
「アエラ」(5/19号) 「アエラ」(5/19号)
  1. 5月14日(水)午前11時、新大阪から東京へ帰る。午後、打ち合わせ。7時、四谷のホテル・ニューショーヘイ。山口二郎さん(法政大学教授)と、月刊『創』で対談。山口さんは長い間、北海道大学教授だったが、今年から法政大学に移った。移って初めてだ。9条、集団的自衛権…などについて、じっくりと話し合った。
  2. 5月15日(木)午前11時、取材。
     それから河合塾コスモへ。3時、「現代文要約」。
     5時、「読書ゼミ」。今日はジョン・ハンターの『小学4年生の世界平和』(角川書店)を読んで、皆と話をする。ちょうど「アエラ」に書評も出た直後だったので、いろんな話が出来た。
     7時、授業を終わってすぐタクシーで、高田馬場のホテルサンルートへ。一水会フォーラムに、遅れて行く。
     講師は藤和彦さん(世界平和研究所研究主任)で、テーマは「今こそ日露エネルギー同盟を締結せよ!」。衝撃的な話で、質問も多く出た。
     終わって、近くの居酒屋で二次会。
山口二郎さんと。5/14(水) 山口二郎さんと。5/14(水)
  1. 5月16日(金)午前中、原稿。
     午後、新宿で取材。
     午後5時、高田馬場の喫茶店「ミヤマ」会議室。細野不二彦さん(漫画家)と『紙の爆弾』で対談。
     細野さんは、『Gu-Guガンモ』『ギャラリー・フェイク』『ヤミの乱破(らっぱ)』などで有名。特に、『ギャラリー・フェイク』は1500万部も売れたベストセラー。
       私は、この日まで全巻読んだ。そして対談に臨んだ。細野さんは私の『遺魂(ゆいこん)』(無双舎)を読んでくれていた。三島に関心があって調べているという。
     そこから話は始まって、連合赤軍や「よど号」に話が及ぶ。又、漫画の構想をどうやって作っていくか…など、漫画家の内面世界にも踏み込んで対談した。とても楽しかったし、又、美術の勉強にもなった。
     終わって、「土風炉」で二次会。
  2. 5月17日(土)午前中、原稿。
     午後12時の新幹線で仙台へ。2時に仙台着。まず、兄貴の家に行く。
     それから、仙台ガーデンパレスへ。東北学院榴ヶ岡高校の同窓会だ。
     懐かしい友人たちに会う。先生たちも沢山出席していた。
     会が終わってから、皆で、一番町に出て、飲み直す。かなり遅くなって、ホテルに帰る。
  3. 5月18日(日)あまり寝てないが、9時半、仙台広瀬川畔協会に行く。日曜礼拝に出る。榴ヶ岡高校の田口先生、出村先生も出席されると聞いて…。田口先生とは52年ぶりだ。
     高校で私は事件を起こし、卒業が延びて、半年後、1人だけ卒業式をやった。田口先生にもとても迷惑をかけた。52年ぶりに会えて嬉しかった。先生も、とても喜んでくれた。礼拝後、いろいろお話をし、それから、新幹線で東京へ。
     一度、家に帰って、夜8時、TBSに。BSの番組に出る。「週刊BS・TBS報道部」。夜9時から出る。テーマは「愛国を利用する総理—真の保守とは」。

【写真説明】

大阪ロフトで。5/13(火)

①5月13日(火)大阪ロフトに行きました。初めてです。正確には、「Loft Plus One West」というらしいです。午後7時半から、「タブーの側からタブーを撃つ!」。みなみあめん坊さん(部落解放同盟大阪府連池田支部長)とトークしました。左がみなみさん、右は松井かんこさん(映画宣伝プロデューサー)と。

とてもきれいな会場です

②大阪ロフトは広いし、きれいで、とてもいい会場でした。

平野悠さんと

③みなみさんとのトークの前。平野悠さんと話しました。私は、ロフトが新宿富久町で生まれた時からの付き合いです。20年近いロフトの歴史について平野さんと語り合いました。

トークが終わって

④トークが終わって、3人で。

最新設備、最新鋭のロフトです

⑤放送・映像設備も最先端。きれいです。ガラス張りの喫煙室もあります。

打ち上げで

⑥打ち上げで。東京から京都にきていた佐藤さん(右)も来てくれました。

護身用の必殺指輪です

⑦ロフトに来てた女性が、こんな指輪をしてました。先は尖っています。「護身用」といいますが、ほんど凶器です。うっかり握手も出来ません。「ロフトは、危ない人が多いから護身用です」と。「それに、私は可愛いから、狙われるし…」と。
 そうだ。東京には蛇の指輪の女性もいる。闘わせてみたい。面白い勝負になるだろう。

食いだおれ人形の前で。風見さんと

⑧時間があったので大阪ロフトの近所を歩きました。下中さん、風見さんたちと。有名な「食いだおれ」の人形前で。

ホルモンの看板から顔を出してます

⑨「昭和大衆ホルモン」で。どうせなら、首を出したら、食えるようにすればよかじゃん。

「グリコ」の前で

⑩グリコの有名な看板ですね。大阪ロフトの周りは楽しいですね。

渋沢栄一の銅像の前で

⑪5月11日(日)日本の資本主義研究のために、深谷市の「渋沢栄一記念館」に行きました。こんな巨大な渋沢の銅像が建ってました。驚いて、見上げてます。

渋沢栄一記念館で

⑫銅像は裏側で、こちらが正面入口です。記念館の。

実際は小柄な渋沢栄一

⑬等身大の渋沢ですね。小柄です。でも銅像だけは何であんなに巨大なのでしょうか。

深谷駅です。東京駅そっくりです

⑭東京駅そっくりの深谷駅です。埼玉県です。

産経新聞にも出てました

⑮産経新聞(3月5日)にも出てました。「ここは東京駅?」と。産経によると、この深谷駅は平成8年に、東京駅を模して改装されたそうです。「これは東京駅が、深谷産のれんがを使用していることによるが、こちらはれんが風のタイルを貼ったものだという」。
 フーン、そうなのか。

深谷シネマで

⑯有名な「深谷シネマ」で。よく映画会などもやってます。古い酒会社の建物を改装して、映画館にしました。

竹中労さんの本もありました

⑰「深谷シネマ」の中には図書館もあって、映画関係の本も沢山ありました。竹中労さんの本も何冊かありました。これは、『日本映画縦断1 傾向映画の時代』。面白くて、読み耽ってしまいました。

渋沢栄一の生家で

⑱こちらは、渋沢栄一の生家です。記念館と違って、古いです。ガランとしてます。

生家で。写真の前で

⑲生家にあった渋沢の写真(左)の前で。

渋沢栄一。左は断髪した直後

⑳チョンマゲ姿の渋沢です(右)。左は、フランスから渋沢が奥さんに送った写真です。チョンマゲを切ったんです。「まあ、カッコいい」と奥さんに言われたかったようです。でも、奥さんは、「情けない!もう武士ではない!」と泣いて嘆いたそうです。

「ペンの森」で講演。5/12(月)

㉑瀬下恵介さんがやっている「ペンの森」で講演しました。5月12日(月)、神田神保町で。

マスコミを目指す学生の前で

㉒「ペンの森」(瀬下塾)は、マスコミを目指す大学生のための塾です。論文指導などをやってます。受講生の多くが大手マスコミに入ってます。

「ペンの森」主宰の瀬下さんと

㉓瀬下恵介さんと。

生徒さんたちと

㉔瀬下さんと、生徒たちです。

打ち上げで

㉕会場を移して打ち上げ。「瀬下塾」の卒業生も多く来てました。

「アエラ」(5/19号)

㉖「アエラ」(5月19日号)です。ジョン・ハンターの『小学4年生の世界平和』(角川書店)の書評を書きました。アメリカでは小学生が、ゲームを使って、世界平和を考えている! 驚きました。凄い本でした。考えさせられました。

山口二郎さんと。5/14(水)

㉗5月14日(水)月刊「創」で山口二郎さんと対談しました。山口さんは、北海道大学教授でしたが、今年から、法政大学教授です。家が北海道にあるので、土・日は帰るそうです。単身赴任です。今の「右傾化」する日本について話し合いました。

講演する藤和彦さん。5/15(木)

㉘5月15日(木)一水会フォーラムで講演する藤和彦さん(世界平和研究所研究主任)。テーマは、「今こそ日露エネルギー同盟を締結せよ!」。衝撃的な話でした。とても勉強になりました。

木村三浩氏、藤和彦さん、鈴木

㉙藤和彦さんを囲んで。左は一水会代表の木村三浩氏。

【お知らせ】

5/20(火)伊東秀子さんとトーク 5/20(火)伊東秀子さんとトーク
  1. 5月20日(火)午後6時。札幌時計台ホール。「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。ゲストは伊東秀子さん(弁護士)で、「冤罪と秘密保護法」です。
     なお、7月15日(火)は合田一道さん(作家)。9月9日(火)は高遠菜穂子さんの予定です。高遠さんも出演している映画「ファルージャ=イラク戦争日本人人質事件…そして=」は、札幌では4月5日から上映中です。
     又、10月21日(火)の時計台シンポジウムのゲストは上祐史浩さんが決まりました。
5/20(火)歴史に学ぶな 『歴史に学ぶな』(株式会社dZERO)
  1. 5月22日(木)、『歴史に学ぶな』(株式会社dZERO)が発売です。書き下ろしです。去年から書き進めていた本です。ちょっと視点を変えて、この日本について、歴史について必死に考えてみました。
  2. 5月23日(金)シンポジウム「小沢一郎ならどうする—日本の外交と経済」。午後6時より、豊島公会堂。小沢一郎さん、植草一秀さんらが出演。
  3. 5月24日(土)劇団「再生」の高木尋士氏とトークをします。APOCシアター(小田急線千歳船橋駅徒歩1分)で。「スーザンナ・マルガレータ・ブラント」の上演(午後7時)の前に行います。テーマは、〈鈴木邦男が芸術を語る〉
     なお、演劇は5月23日(金)〜25日(土)まで行われます。
飛松塾in姫路 5/25の飛松塾in姫路(詳細
  1. 5月25日(日)「飛松塾in姫路」
     飛松五男さん、植垣康博さん、鈴木邦男。
     東京では、「マガ9学校」があります。午後1時半から。新宿NPO協働推進センターで。「集団的自衛権と自衛隊」。講師は伊勢崎賢治さん、柳沢協二さん。
  2. 6月3日(火)午後7時、ホテルサンルート高田馬場一水会フォーラム。講師は菅原出さん(ジャーナリスト・国際政治アナリスト)で、「ウクライナで暗躍する謎の武装組織」。問い合わせ、申し込みは一水会事務局へ。03(3364)2015。
6/22(日)豊橋市民文化会館で講演 6/22(日)豊橋 市民文化会館で講演
  1. 6月22日(日)午後2時から、「浜岡原発の危険性を考える会」で講演します。三上湖西市長との対談もあります。会場は豊橋文化会館リハーサル室。
  2. 6月23日(月)秋葉原アトリエACT&B。読書劇「二十歳の原点」(劇団「再生」)の午後7時30分の回の前に、プレトークをします。高木尋士さんと私です。テーマは〈学生運動を知っていますか?〉。なお演劇は6月23日(月)と24日(火)の2日間あります。
飛松塾in姫路 6/24の飛松塾in姫路(詳細
  1. 6月24日(火)午後2時から。「飛松塾in姫路」。ゲストに上祐史浩さん、鈴木邦男を迎えて、飛松五男さんが熱く語ります。
  2. 7月15日(火)「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。合田一道さん(作家)がゲスト。
  3. 8月2日(土)午後1時、阿佐ヶ谷ロフト。毎年恒例の「生誕祭」です。