永年の夢がやっと実現した。噂には聞いていた。
しかし、外聞を憚り、ヒソヒソと伝えられる「伝承」であり、決して表には出ないものだと思っていた。
青森の人に会うたびに聞いていた。去年、8月、ねぶたを見に行った時も、皆に聞いた。
でも、知ってる人はいなかった。
「さあ、どうでしょう」「そんな噂もありますが…」「迷信でしょう」「そんな伝奇、怪奇的な目で見られると困りますな」…と言う。「触れてほしくない」という顔をする。
その「不思議な噂」とは、「キリストの墓」だ。
キリストは実は、ゴルゴダで磔にされず、日本に来ていた。青森に住み、106才の天寿を全うした。
そして、「キリストの墓」もある。その噂だ。皆も、一度くらいは聞いたことがあるだろう。
さらに、青森には、「ピラミッド」もあるという。
何だ、これはと思った。そんな馬鹿なことがあるか、と思った。だが、「見てみたい」とも思っていた。
だから、青森の人や、青森出身の人に会うたびに聞いていた。でも分からなかった。
青森には、一戸(いちのへ)、二戸(にのへ)、三戸(さんのへ)…という地名がある。八戸は有名だ。戸来(へらい)という地名もある。
これは実は、「ヘブライ」だという。又、この辺では、子供が生まれると額に墨で、「十字」を書く。それに、ヘブライ語でしか分からない言葉や踊りがあるという。
面白い。興味がひかれた。何故そんなものがあるのか。誰が発見したのか。青森の人は何故、隠すのか。
もっと知りたい。「キリストの墓」も行ってみたい。そう思っていた。永い間。
それがやっ、分かったのだ。「キリストの墓」に行けたのだ。
そして、「キリストの墓」の前では毎年、「慰霊祭」が行われていた。毎年、6月に。
「これはぜひ、行かなくては」と思った。そして、ネットで探し、電話をし、列車を調べ、苦労に苦労を重ねて、辿り着いた。
驚いた。こんなに大々的に、堂々と行われていたのか。知らなかった。
それに、国会議員、県知事、村長、観光協会会長も出席している。村役場の人も総出で手伝っている。これは驚愕の事実だった。
「キリスト渡来説」を信じる、少人数の人だけで、ひっそりと伝えられてる「伝承」だと思ったのに。
もしかしたら、狂信的なグループかもしれない。その時は闘わなくてはならない。でも山の中で数十人に取り囲まれたら脱出は出来ないな。どうしよう。
でも、この秘儀は見てみたい。えーい、どうとでもなれだ。と覚悟を決めて、〈現地〉へ乗り込んだ。
しかし、そんな悲壮な覚悟なんて必要ないのだ。安全なのだ。
ネットを見たら、問い合わせ先が「新郷村役場」になっている。まず、そこに聞いた。
さらに、JR東日本が発行している「あおもり紀行」にも、ちゃんと紹介されている。
それで、あっ、大丈夫なんだ、カルトじゃないんだ、と思った。では、「あおもり紀行」だ。
〈キリスト伝説の地
キリストの里伝承館〉
が出ている。教会のような建物だ。屋根に十字架がある。星のマークがある。こう書かれている。
〈ミステリースポットとして注目を集める「キリストの墓」。古文書や村の暮らしを復元したコーナーで伝説の謎に迫ります。6月にはキリストの慰霊祭も開催〉
ほう、ミステリースポットなのか。
交通は、「JR八戸駅より車約1時間」と書かれている。遠い。バスはないのだろうか。
ネットを見ると、「第51回 キリスト祭 開催」と出ている。6月1日(日)、青森県新郷村の「キリストの里公園」で開かれるという。午前10時から慰霊祭だ。
思い切って新郷村役場に電話した。「普通の人でも参加出来るのか」「この伝説を信じている信者しか行けないのか」と。
「そんなことはありません。どなたでも参加出来ます」と言う。
でも場所は遠そうだ。
「以前は八戸駅から送迎バスも出てたのですが、今はありません。お車で来てもらうしかありません」と言う。
東京から行くんですけどと言ったら、「えっ、東京から来るんですか? わざわざ。どうして?」と逆に聞かれてしまった。
「じゃ、タクシーで1時間くらいです。1万円ほどです」。
それにしよう。高いけど、やっと見つけたチャンスだ。行きますよ。
キリストさまの慰霊祭は午前10時からだという。じゃ、前日から行くしかない。
村役場に聞いたら、八戸駅周辺にはビジネスホテルがいくつもあるというし、紹介してもらって、そこに泊まった。
どうせ前日、5月31日(土)に行くのだから、早めに行って、「寺山修司記念館」に行ってみようと思った。ここも前から行ってみたいと思っていたのだ。
さて、当日だ。6月1日(日)、午前8時。駅前からタクシーに乗った。事情が分からないから、早めに行こうと思った。
運転手さんは分かっていた。「あっ、今日は慰霊祭なんですね」と。
秘密にしてる様子はない。むしろ、「村おこし」の積極的イベントという感じなのだろう。
思い切って、「ピラミッド」の話も聞いた。「方向的には同じですが、かなり山の中に入り、さらに歩くしかないんです」と言う。
じゃ、ともかく「キリストの墓」だ。タクシーで40分位で着いた。信号には、こちらが「キリストの墓」。こちらは「ピラミッド」と書かれている。
凄い。世界史的な、スケールの大きな標識だ。
「まだ時間があるでしょうから、ピラミッドの近くまで行きましょう。料金はここまででいいですから」と言う。申し訳ない。とても親切な運転手さんだ。
どんどん山の中に入り、狭い道をズンズンと進む。「光る石」とか、いろんな標識がある。そして、ピラミッド関係の標識も。
そして、とうとう、あった。ピラミッドの入口が。
だが、ピラミッドへ辿り着く「登り口」はやたらと急だ。
それに大きな看板が。「クマに注意!」「ハチに注意!」。
ゲッ。なんだこれは。クマに注意って、どう注意したらいいんだ。それに、出くわした時、闘うにしても、今日は武器は持ってない。それに時間もない。
じゃ、今度来た時、上まで登ってみよう。まずは「キリストの墓」だ。
近くに行くと、「キリスト祭」の幟が林立している。受付もある。村役場の人たちが総出で、手伝っている。そんな感じだ。
明るい。坂を登ったら、そこが「キリストの里公園」だ。そこに、椅子が並べられ、慰霊祭の準備が出来ていた。見物人も多い。
その先に、立派な「伝承館」。又、右手の小高い丘には「キリストの墓」がある。
土を盛り上げた墳墓の上に十字架が立てられている。2つある。右手はキリストの墓。左手はキリストの身替わりになって磔にされたキリストの弟(イスキリ)の墓だ。
「キリストの墓」には、こんな解説の標識があった。
〈昭和10年、茨城県の磯原市(現北茨城市)から訪れた竹内巨麿氏により、竹内家の古文書をもとに発見されました。古文書によると、ゴルゴダの丘で磔刑にされたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うしたというのです。向かって右側がキリストの墓“十来塚”、向かって左側が弟イスキリの墓“十代墓”と言われており、毎年キリスト祭では慰霊祭が行われ、ナニャドヤラの唄と踊りが奉納されます〉
慰霊祭は10時からだ。まだ時間があったので、「キリストの里伝承館」に入った。入館料200円。
新郷村の昔からの暮らしも紹介されている。
生まれた子はすぐに、額に墨で十字を書かれる。又、ヘブライ語に近い言葉もある。ビデオも流されている。
「聖書」には20代から10年間のキリストの行動が書かれてない。
実は、キリストは、その時、一度、日本に来て、修行をした。そして戻り、その後、もう一度、日本に来たという。
知らなかった。2回も来てたのか。今度、キチンと勉強してみよう。
そろそろ、慰霊祭が始まる。
200人ほどが椅子に座っている。それを取り囲むように見学者、そしてマスコミ人が200人以上。合計で500人ほどだ。大規模な慰霊祭だ。
それも神道で慰霊祭を行う。三嶽神社の宮司さんが執り行う。
式次第はこうだった。
慰霊祭10:00〜
●開会の言葉
●大祭長挨拶
●来賓祝辞
●祝電披露
●神事(祝詞奏上)
●玉串奉奠
●奉納舞(田中獅子舞保存会)
●第18回短歌ポスト入選歌表彰式<
●奉納舞(新郷村ナニャドヤラ芸能保存会)
●観光協会長 謝辞
●乾杯
●閉会の言葉
さっきも書いたように、国会議員、県議会議員、県知事、新郷村長などが次々と挨拶する。
ヘエー、よく来られたな、と思った。驚いたことに、前には、イスラエル大使も来たという。
いろんな人の挨拶を聞いていて、これは案外と、素晴らしいことかもしれない、と思った。
キリストの慰霊祭を神道でやる。神主さんが祝詞奏上し、皆で玉串を奉奠する。
「それは変だろう」と批判があるのではないか、と私などは思った。
しかし、あとで村長さん、神主さんに話を聞いたが、それはないという。
「東西の文化の融合」だ。「これこそ和の文化だ」と言ってる人もいた。
もっとも、キリストが青森に来て、ここで亡くなった、という事については、「その真偽は別として…」と、皆、バリアーを張りながら挨拶する。
イスラエルの大使だって、「渡来説」の真偽をムキになって確かめたりはしない。
それよりも、日本には、キリストを慕い、慰霊をしようとする人々がこんなにもいる。そのことに感動しているのだろう。
私だって、高校時代はキリスト教に反撥した。出会いは不幸だったが、でも、その後、キリスト教を勉強しようとしたし、私の〈原点〉になっている。
この「キリスト祭」だって、これをキッカケとして、「聖書」を読んだり、キリスト教文学を読むことにも通じる。
キリストを思い、その人生を考え、聖書を読む人も出るだろう。そして、世界の平和について考える。いいことだ、と思う。
でも、「キリスト祭」の神主をやり、祝詞をあげるなんて。宮司さんに、「神社界から文句言われませんか」と聞いたら、「全くありません」と言う。
「日本は八百万(やおよろず)の神がおられる。キリストを1人、増やしたって文句は言わない」。
うーん、度量が広いんだ。じゃ、キリスト教の方はどうだろう。
これをそのまま信じる人はいないだろう。と言って、「許さん!」「やめろ!」と抗議し、圧力を加える人もいないと言う。それはいいことだ。
神主さんに、あとでゆっくりと話を聞いた。イスラエルにも行って来たという。そこに行って、「キリストの渡来説」が本当だと分かったという。
又、青森で「キリスト祭」をやってることを知ってる人が結構いたという。世界の宗教者が集まる会議で聞いたのだという。
じゃ、日本人よりも外国人の方がより多く知ってるのかもしれない。じゃ、日本の全国区じゃない。世界に知られてるのだ。
神道界からもキリスト教会からも抗議は来ていない。大らかでいい。
「むしろ、ネット右翼的な人からの攻撃がある」と言う。日本に「誇り」を持ち、「愛国的」だからこそ、排外的になるのか。不寛容になるのか。
「このキリスト祭は、もう全国区のお祭りだ。だから、司馬遼太郎の「菜の花忌」のように大々的にやって、学者、文化人も呼び、シンポジウムをやったらどうですか」と私は村長さんに提案した。
何故青森にこんな伝承が生まれたか。ヘブライと新郷村の共通点。そして、こういう優しい心を通し、そこから世界の平和・共存を考えてみる。
これもいいのではないか。大きな可能性がある。と思った。
今、外国を罵倒し、外敵をわざと作り、そして、「だから国防強化だ!」「改憲だ!」「核を持て!」「世界のどこにでも自衛隊を出せ!」「戦争をやれ!」と勇ましいことを言う風潮の日本の中にあって、青森の新郷村から、新しい「和」の精神に基づいて、じっくりと平和を考える。
これはいいと思う。きっと実現するだろう。と、大きく、世界の平和を考えた旅でした。
午後から取材。打ち合わせ。
終わって、近くの居酒屋で打ち上げ。ここでも菅原さんに詳しく話を聞きました。
5時、「読書ゼミ」。『歎異抄』を読む。日本の最高の仏教書を、じっくりと読む。
それと、河合塾の伝説的な講師・権田雅幸さんの本だ。ベストセラー『権田地理B講義の実況中継』(上・下。語学春秋社)。
地理なんて全く分からない私にも面白かったし、深い。地理だけでなく、歴史、人間観、世界観も教えられる。とても勉強になった。
もう1冊は、『権田雅幸 追悼文集=悼む・考える・読む』(1993年1月発行)。
権田先生は1992年(平4)、1月19日、亡くなった。43才だった。その才能、人徳を偲び、多くの人が追悼文を書いている。斉藤雅久先生も書いている。これだけの追悼集はなかなか出来ない。
権田先生は「ゴルゴ13」も好きで、教科書にもよく出てくる。私も好きだし、ぜひお話を聞きたかった。残念だ。
その時、玄関に「東京人」が沢山積まれていた。あれ、と思ったら、「『東京人』を作ったのが粕谷さんですよ」と一緒に行った編集者に教えられた。『東京人』ではその後2回、書かせてもらった。お世話になった。
告別式では、川本三郎さんや、「東京人」の編集部の人に会い挨拶した。川本さん、芳賀徹さん、加藤丈夫さんの3人が弔辞を読んでいた。
夕方、取材。
〈佐村河内守事件、メディアの検証〜歴史的虚構はいかにつくられ、メディアはそれをどう報じたのか?〉
スペシャルゲストは、新垣隆さん(作曲家)。それにファシリテーターは月刊「創」編集長の篠田博之さん。パネリストは水島宏明さん、青柳雄介さん、塩田芳享さん、神山典士さん。超満員だった。
①6月1日(日)、午前10時。青森県新郷村で行われた「第51回 キリスト祭」に参列しました。
前の方は、主催する新郷村村長。青森県知事、国会議員、県議会議員、短歌選考者など。さらに後ろにも関係者がおります。又、一般参列者、取材陣などは、この周り。さらに山の上に沢山おります。
㉕5月30日(金)午後6時半。「木村三浩氏を囲む会」。例の猪瀬問題で15回も検察に呼ばれ、自宅・事務所はガサ入れされました。大変でした。この事件の真相を語ってもらい、慰労しようという集まりです。木村氏が真相を語ります。