勉強と挑戦の毎日ですね。新しい発見があるし、出会いがあります。
原稿も書かなくてはならないし、読書ノルマもあるし。6月はやたらと忙しかった。
21日(土)は大阪ジュンク堂難波店でトークをやってきた。ワンフロアーの床面積では「日本一」広い書店だ。
そこで、私の『歴史に学ぶな』(株dZERO)の出版記念トークをやった。
初めての体験が多く、感動した。カリスマ店長の福嶋聡さんともトークをした。これは「マガジン9」に詳しく書いた。
翌22日(日)は、愛知県の豊橋市に行った。湖西市長の三上元さんと講演をした。多くの人が集まってくれた。
現職の市長さんとトークするのは初めてだ。「原発No!」を宣言し、「浜岡原発の廃炉を求める」訴訟の原告団にも加わっている。勇気のある市長さんだ。
市長さんの講演を聞いて、その後、2人で話すのかと思ったら、「いや鈴木さんの講演会です」と言う。
そして、「私は前座です」と初めに5分ほど喋る。そして私が1時間半も喋る。
タイトルは、「今を生きる覚悟」。脱原発の話だけでなく、憲法、愛国心、集団的自衛権、ヘイトスピーチなどについて話してくれという。
じゃ、今までの「右翼運動50年」の全てを語るわけだ。その意味と反省を込めて1時間半も話をした。
そして、後半は三上市長とのトーク。とても勉強になりました。
三上市長は今、3期目だ。その前は、西友、そして船井総研にいた。その頃の話も聞きました。
年は私より2才若い。脱原発市長として有名だから、てっきり左翼運動をしてた人かと思ったが違う。
子供の頃は軍記雑誌『丸』を愛読し、飛行機や軍艦のプラモデルを作っていたという。「大きくなったら軍人になるつもりでした」という。
でも軍はない。自衛隊に入ろうと思ったが、諸々の事情で西友へ。その間、労組の委員長を体験。
その後、船井総合研究所を経て、2004年、湖西市長に初当選。現在3期目だ。
60年安保の時は私は高2。市長は中3。「とても衝撃を受けました」という。
樺美智子さんが殺され、山口二矢の事件があり、ハガチー事件があり…。そして全学連委員長の唐牛健太郎さんが暴れていて…と。第2部のトークの時に市長は話す。
「そうだ。さっき鈴木さんに紹介されましたが、今日は何と、唐牛さんのいとこの方が来てるんです」と言って、前の方に座ってるご婦人を紹介する。会場の皆も、「オオー!」とどよめいていました。
実は、私だって初めて会ったのだ。この講演が始まる前に、このご婦人に声をかけられた。村瀬さんという。「私は唐牛健太郎のいとこです。鈴木さんは唐牛のことを本に書いて下さって、ありがとうございます」と言う。
ビックリした。全く知らなかったからだ。唐牛(かろうじ)さんは、いろいろとお世話になった。一水会でも講演してくれた。「右翼で講演するなんて生まれて初めてだよ」と言って。
波瀾万丈の人生を送った人だ。50才にもならないうちに、若くして亡くなった。
この唐牛さんのお母さんと、このご婦人のお母さんが姉妹なんだそうだ。
子供の時から、ワンパクだが、心の優しい少年だったという。今度、ゆっくり話を聞いてみたい。
三上市長さんとも又、ゆっくり話をしてみたい。ほぼ同年代ということもあって、体験した「時代」も同じだし、感じ方も似ている。2人とも「経験」から学んだことが多いのだ。
「そうだ。昨日は、『経験からしか学べない』という話をしたんですよ」と三上市長に言った。大阪ジュンク堂難波店でのトークだ。
ここの店長も変わった経歴の持ち主で、何と芝居の役者を10年もやっていた。
それを、辞めてジュンク堂に入ったわけではなく、「両立」していた時間も長い。そこで両方の世界を見て、「経験」から学ぶしかないと思ったのだろう。
だから、私の『歴史に学ぶな』(dZERO)を読んで、面白いと思い、書店トークを開いてくれたのだろう。
ドイツの首相だったビスマルクは言った。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と。
この言葉に出会った時は感動した。その通りだと思った。しかし、最近は疑問に思っている。本当に歴史から学ぶことなんて出来るのだろうかと。「「歴史から学んで」嫌韓・反韓・反中になってる人々もいる。厖大な歴史の中から、じぶんの都合のいいところだけを取り出し、「歴史に学ぶと、こうだ!」と決めつけるのは、あまりに傲慢ではないか。そう思って、『歴史に学ぶな』を書いた。
それに、よく調べてみると、ビスマルクは、こんなことを言ってないらしい。
本当は、「じぶんの経験だけでなく、他人の経験からも学べ」と言ったらしい。こっちの方が説得力がある。私もこれを実行している。
しかし、これでは「普通」過ぎて、「格言」にはならない。多分、後の人が修正し「格言らしく」して、伝えたのだろう。
私は、湖西市長の「経験」から多くのことを学んだ。又、前日会ったジュンク堂難波店店長の福嶋聡さんからも、多くを学んだ。
「私が書いた本です」と店長から本を2冊もらった。こんな店長は初めてだ。
『希望の書店論』(人文書院)と、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書)だ。堂々と書店論を展開している。トークの時も、この店長を中心に話をした。
他にも何冊も本を出している。「著書略歴」を見たら、こんな本が出ていた。『書店員のしごと』(三一書房)。『書店員のこころ』(三一書房)。『劇場としての書店』(新評論)。
そうか。これかと思った。役者だった自分の(経験)を生かし、店長をやっているのだろう。これは読んでみなくては。
6月21日(土)は、ジュンク堂難波店。22日(日)は、豊橋市で三上市長さんとトーク。そして23日(月)は秋葉原で、劇団「再生」の高木尋士さんとトーク。「学生運動を知ってますか」。
「再生」では、高野悦子の『二十歳の原点』を上演していた。その前に、高木氏とトークしたのだ。
歴史から学んだのではない。左右の学生運動から学んだ。そのことを中心に話をした。
この劇も感動的だった。高野悦子の日記を中心にしながらも、いろんな話が入ってくる。
何と、三島由紀夫の「檄」も入ってくる。鶴見直斗氏の「檄」朗読には驚いた。全文を暗記していて、大演説をやる。驚いた。これだけ出来る人はちょっといない。
観客には、若松監督の三島映画を20回も見たという人もいて、この檄文には感動し、涙を流していた。
この「再生」の翌日、6月24日(火)は姫路に行った。「飛松塾in姫路」だ。
姫路城は工事中の覆いが取れて美しい姿を現していた。白一色で、きれいだ。でも、まだクレーンなどがあるし、完成するまでには、もう少し時間がかかる。
この日は、元オウム真理教幹部の上祐史浩さんを迎え、これに飛松さんと私が加わって、3人で話す。
開口一番、「姫路城にぜひ来たいと思ってたんです」と上祐さんは言う。オウムに入っていた時、恋人に都沢さんという女性がいた。一緒に活動をした。
彼女が、「実は私は前世は、姫路城のお姫さまだったんです」と言う。そして、姫路城の様子を事細かく説明する。それで姫路城のことはずっと気になっていたという。
「だから今日は、早めに来て、飛松さんに姫路城を案内してもらいました」と言う。
ヘエー、そんな因縁話があるのか。「それでどうでした。彼女の言った通りでしたか」と私が聞いたら、「彼女の妄想でした」とピシャリと言う。
彼女の言ったのと全く違うという。じゃ、お姫さまじゃなかったのか。でも「夢」を砕かれた彼女もかわいそうだ。
「幸福の科学」でも、よく「前世占い」をやっていた。たわいのない遊びだと思っていた。
でも、作家の景山民夫さんに、私の前世を占ってもらったら、「北条時宗ですよ」と言う。
ヒャー!と舞い上がって、「信じた」!。元寇と闘い、見事退け、日本を守った英雄だ。じゃ、「鈴木時宗」に改名するか。でも、名前負けしちゃうよ。
前世占いは、他の宗教でもやっている。又、ネットなどでもやっている。町の占いでも、やってくれ人がいる。
ただ、料金がマチマチだ。2万円出した人は、「フランスの水車小屋の娘」だったと言われた。当人から聞いたから本当だ。
10万円出したら、「マリーアントワネット」になったかもしれない。
5千円の安い占いをした人は、前世は「ほうれん草」だと言われた。植物だ。植物から人間に生まれ変わるのか。だったら、よほど良い行いをしたほうれん草だったんだ。
でも、もう、ほうれん草は食べれないよ。じぶんの「前世」「仲間」を食べることになる。
そうだ。インドネシアに旅行にいって、「私の前世の夫に会った」という人がいた。
女性だ。2人とも一目で分かったという。再び恋に落ちたのか。そして同衾したのか。「夫婦」だったんだから、すぐにするだろう。
そうだ。姫路では、上祐さん、飛松さん、そして私の3人でトークをする予定だった。
ところが写真を見ても分かる通り、もう1人いる。4人だ。
4人が壇上に並んでいて、その1人は作家・映画監督のさかはら・あつしさんだ。私もこの日、上祐さんに紹介された。
「経験」を聞いて驚いた。あの地下鉄サリン事件の被害者なのだ。それで急遽、壇上にあがって喋ってもらったのだ。あの事件に出くわした人の話なんて初めて聞く。
破れたビニール袋があって、液体が流れていた。きっとペンキ屋さんが仕事の道具をひっくり返したかして、そのまま降りたのだろう。…くらいに思っていたら、近くで人が倒れる。本人も目の前が真っ暗になる…。
その時の恐怖の体験を語る。そして病院に自力で行った話。「軽症の方は退院して下さい」と言われ、その日のうちに自宅に帰った。
その後、その体験をある雑誌に発表したら、1人の女性から感想の手紙をもらった。「感動して涙が止まらなかった」と言う。
読んだ彼の方も感動し、返事を出した。そして、会った。次から次と話は出るし、気持ちもピッタリと合う。恋が生まれ、結婚した。
「実は、私、隠していた事があるの」と結婚直前に言う。
「えっ、本当は鶴なの?」と聞いた(かもしれない)。
「実は私、オウムの信者だったの」と言う。
でも、今は辞めたという。そうか。それで「サリン体験記」を読んで涙が止まらなかったのか。
感動してというより、懺悔だろう。疚しさだろう。
自分は死にそうな目に遭った。自分を殺そうとしたオウムの一味だったのか!と思ったが、もう、やることはやっていた。それに、もうオウムは辞めたというし。
それで、結婚した。
「今日は、その嫁さんは連れて来なかったの?」と聞いたら、「別れました」と言う。
別の男が出来て逃げていったのか。あるいは鶴に戻って飛んでいったのか。分からない。
「あやしい夫婦」だし、警察だって、調べただろう。「埋めたんじゃないの?」と私が聞いたら、「そんなこと初めて言われました」と言う。否認していた。
本も出しているので送りますと言っていた。上祐さんとも会って話したという。又、自分の体験を含め、オウムとは何だったのか。サリン事件とは何か。…を映画にしたいという。
この日は、最終の新幹線で東京に帰った。翌、6月25日(水)は、午後5時半から、『紙の爆弾』の対談だ。四方田犬彦さんと対談した。久しぶりだ。
昔、私が「週刊SPA!」で「夕刻のコペルニクス」を連載してた時、四方田さんも「次は火だ!」という連載をしていた。
あの時、小林よしのりさん、宅八郎さん、松沢呉一さん、田中康夫さん…と、連載陣が豪華だった。
そして皆、激しい連載だった。連載同士で喧嘩もしていた。「SPA!」が最も勢いがある頃だった。
「週刊サンケイ」が潰れて、「週刊SPA!」になった。同じ頃、潰れた「朝日ジャーナル」の執筆陣が、この「SPA!」にドッと流れてきた。四方田さん、田中さんたちだという。
古い皮袋(週刊サンケイ)を新しくし、その新しい皮袋に、さらに激しい新しい水を注ぎ込んだわけだ。
それに、「新しい皮袋」の話と同様に、「次は火だ!」も聖書の言葉だという。
「ノアの方舟」で、神は堕落した人間を滅ぼした。大洪水で滅ぼし、清く正しいノアだけを助けて、残した。
今後また、人間が驕り高ぶって、神を忘れるようなことがあったら、「次は火だ!」と言った。前回は大洪水だったけど、「次は火だ!」と人間に断言し、反省を求めたのだ。と四方田さんは言う。
そうだったのか。もの凄く深い言葉だ。この日は、とても勉強になりました。
「連合赤軍」的な美女といわれる女性も来てました。自由国民社の人も来てました。
『現代用語の基礎知識』(2014年版)では、お二人は並んで書いてますよ、と教えてくれた。本当だ。四方田さんと私が並んで原稿を書いている。
さらに、「土風炉」に行って、打ち上げ。そこから合流した人も何人かいた。
蛇田さんも来てくれた。蛇の指輪をしてる人だ。蛇田まむし子さんだ。変な名前だ。もしかしたらペンネームか、ハンドルネームかもしれない。
四方田さんだって、四方田(よもた)は本名だが、「犬彦」はペンネームだ。間違って、「猫田犬彦さん」と呼ばれることもあるそうだ。犬と猫か。苗字と名前だけで喧嘩しそうだ。そこに蛇田さんだ。
最近は、よく分からないペンネームが多い。「辛酸なめ子」とか。「下関マグロ」とか。「丸出ダメ夫」とか(古い漫画にあった)。「からしめんたいこ」とか。「清水みえこ」とか。「つまみ枝豆」「えだまめおにく」とか。「ちちバンドよしこ」とか。「阿曽山大噴火」とか。「江頭6時55分」とか(時間が違ったかな)。
ウーン、憶え切れない。だから終わる。
6月はかなり地方に行った。21日(土)は大阪。22日(日)は豊橋。24日(火)は姫路か。
そうだ。18日(水)は名古屋に行った。それと、1日(日)は青森に行って、「キリスト祭」に参列したんだ。
「まるで旅芸人ですね」と四方田さんに言われた。旅芸人の記録か。
「でも、旅芸人というからには、『芸』をもっともっと磨かないと」と蛇田さんに言われた。「今じゃ、ダメよ」。厳しいことを言う人だ。…と、打ちひしがれ、傷心のまま次号へ。
あっ、そうだ。7月1日(火)から1ヶ月、やるんですよ。紀伊国屋書店の新宿本店3階で。「鈴木邦男が選ぶ連合赤軍」ブックフェアーが。
いいのかよ、そんなことをやって、と私も驚きました。今、読んでおきたい「連合赤軍」の本を並べ、解説しました。『連合赤軍は新選組だ!』(彩流社)の本にちなみ、新選組の本も並べました。それと、オウムや三島の本も。
連赤、オウム、三島事件。これは戦後の三大事件です。それに真っ正面から取り組んでみました。皆さんも、この人々の凄すぎる「経験」から学んで下さい。ブックフェアー開催中にトークもやる予定です。
上祐さんも偉い。自分を殺そうとした徐さんとも会って対談してるし。今度は、サリンの被害者だ。この人は映画も撮ってるという。実に濃いトークになった。
終わって、駅の近くの居酒屋で二次会。店を借り切っていた。100人近くいたんじゃないのかな。元フジテレビのアナウンサー・松倉悦郎さんもいた。「私も誕生日は8月2日です」という女性もいた。「じゃ、生き別れになった双子の妹か」と言ったら、「年が40も違います!」と言われた。
最終の新幹線で帰った。ノートパソコンで原稿を書こうと思ったが、座ったら、疲れて、爆睡してしまった。
㉑会場の外に出たところで、役者さんたちと。3人は「再生」の女優です。さすが女優さん、皆、きれいです。
(なお、⑱〜㉑の4枚は、カメラマンの平早勉さんに撮ってもらいました。プロはさすがに違いますね。ありがとうございました)