半信半疑だった。いや、「疑い」の方が大きかった。本当にやるのかな。こんな危ない企画を。直前になって、中止になるんじゃないのかな。と、思っていた。
7月1日(火)、新宿で仕事の打ち合わせがあったので、ソーっと覗いてみた。紀伊国屋書店新宿本店だ。3Fで今日からやるはずだ。
でも、やってるのかな。やってるにしても、隅のさらに隅の方で、小さくやってるんじゃないのかな。
…と思って、3階中央のレジの方に向かう。その瞬間、目に飛び込んできた。ウワー! あった! 大々的にやっている。本が何百冊と並べられている。
その特別コーナーの上には、こう書かれていた。
〈鈴木邦男が選んだ連合赤軍ブックフェア
=我々はあの事件から何を受け継いできたのか=〉
期間は7月1日〜7月31日だ。1ヶ月も、やってるのだ。
私があさま山荘の前で立っている写真がデカデカと載っている。それに遠近法で、私が3人いる。あさま山荘も3つある。
連合赤軍事件だけではない。その前に三島事件。かなり後のオウム真理教事件の本もある。いろんな形で影響を与え、刺激を与えている。
戦後日本の大事件といえば、まず、この三つの事件を思い浮かべるだろう。
だから、連合赤軍事件を中心にしながらも、この3つの事件について書かれた本を並べている。
さらには、新選組関係の本もある。司馬遼太郎の『燃えよ剣』『新選組血風録』。それに子母澤寬の『新選組始末記』などだ。
50年後、連合赤軍は「新選組」と同じようにNHK大河ドラマになる。と言う人もいる。私だ。
又、『連合赤軍は新選組だ!』という本も私は書いた。この本の出版記念も兼ねて、この連合赤軍ブックフェアは開かれたのだろう。
新選組は武士道に殉じた集団だ。必ずしも武士の出身ではない者も多く、だからこそ、「武士」であることにこだわった。
まず、〈自らを律する〉のが武士だ。敵と闘う前に、自らと闘う。武士道にもとる者は、次々と切腹させた。それによって、強力な「武士の集団」を作ろうとした。
連合赤軍も、一人一人は軍人ではない。兵士でもない。ほとんどが学生だ。
だが、「赤軍」という軍人になろうとした。兵士になろうとした。
「革命兵士だからこうすべきだ」「この位は出来るはずだ」という規律が、どんどんのしかかってくる。
そして「総括」の場だ。「敵」と闘う前に、どんどんと、内部から崩壊してゆく。それでも〈総括〉をやめない。
もしかしたら、連合赤軍の原点は新選組かもしれない。そう思った。
1970年に三島由紀夫と共に自決した森田必勝氏は、新選組の土方歳三が好きだった。司馬遼太郎が土方を主人公に書いた『燃えよ剣』を愛読していた。
私も森田氏に勧められて読んだ。いっぺんに魅了された。
当時の右派学生にとっては司馬の『竜馬がゆく』の方が圧倒的に読まれていた。
でも森田氏は、『竜馬よりも土方だよ』と言っていた。
「俺たちは勤皇の竜馬に学ぶべきだろう。土方は幕府側だし、敵だ。反天皇だ」と他の人間が言うと、森田氏は反駁していた。
「いや、新選組は勤皇の集団だ。京都で天皇を守るために命をかけて闘ったのだ」。
確かに彼らの考えはそうだ。そして、いくら敗けこんでも、決して幕府を見捨てない。
会津に行き、函館に行き、そこで討ち死にした。幕府に殉死した。
そうした生き方こそが〈男の生き方〉だと森田氏は言っていた。後の自分の行く末を予言しているようだった。
紀伊国屋の「連合赤軍ブックフェア」には、彩流社が急遽、パンフレットを作ってくれた。
なぜ、このフェアを開催するのか。そして、並べた本の中のいくつかについて、私がコメントし、さらに彩流社もコメントしている。
とてもお世話になりました。彩流社からは、『新選組は連合赤軍だ!』を出しているが、他にも『新右翼』『テロ』『読書大戦争』『鈴木邦男の読書術』を出している。
「連合赤軍ブックフェア」では、膨大な本を展示しているが、私がコメントを加えたのは以下の本だ。
『兵士たちの連合赤軍』(植垣康博)。『悲の器』(高橋和巳)。『新選組始末記』(子母澤寬)。『燃えよ剣』(司馬遼太郎)。『終わらないオウム』(上祐史浩、徐裕行、鈴木)。『平凡パンチの三島由紀夫』(椎根和)。『天皇ごっこ』(見沢知廉)。『本と映画と70年を語ろう』(川本三郎、鈴木)…などだ。
又、彩流社でコメントを付けてくれたのは、『十六の墓標』(永田洋子)。『あさま山荘1972』(坂口弘)。『マイ・バックページ』(川本三郎)。『それでも人は生きてゆく』(瀬戸内寂聴)…などだ。
それらは、ぜひ、紀伊国屋書店で直接見てもらいたい。
「連合赤軍化する日本」を私はこのパンフの初めに書いている。
連赤の「負の遺産」だけが伝えられ、それが、日本を覆っている。
革命に飛び込んだ際の愛や夢や希望は忘れられ、彼らが結果として残した「負の遺産」だけを批判し、罵倒し、「だから革命運動は間違っていた」と言う。「世の中のことを考えたり、変革を考えるから、仲間殺しになるんだ」とも言う。
そして今、そう批判する人々は、自らが「自分の仲間」だけに閉じこもり、相手を尊重せず、大声で罵倒し、そして「愛国心」だと絶叫している。日本中が「連合赤軍化」しているのではないか。そんなことを書いた。
又、彩流社では、「フェア開催するにあたって」を、こう書いている。
〈鈴木さんは、長きに亘り連合赤軍の当事者から実際に話を聞き、事件の実態がどのようなものだったのか丁寧に調べ続けている。また同時に「連合赤軍事件」「三島由紀夫事件」「オウム真理教事件」を戦後起きた3大事件と語り、最初は夢や希望に燃えていた者が、何故結果として死という結末を迎えてしまったのか。合理的に考えれば納得できないこの重大事件について、当事者たちと関わり、膨大な書籍を読み、考え続けている。我々は、果たしてこれらの事件を「負の遺産」「負のイメージ」として片付けてしまって良いものだろうか? 「連合赤軍化する日本」という鈴木さんの言葉が重たく響いている。
決して終わったものとしてではなく、誰にでも起こりうる自らの事件として、本を読んで考えて欲しいというメッセージがこもった鈴木さんの選書である〉
ありがたいです。彩流社による愛のこもったメッセージです。ともかく、足を運んで見て下さい。
そうだ。行って見て驚いたが、この「連合赤軍ブックフェア」の隣りは、何と、「日本赤軍」のフェアだった。
銃を持つ重信房子さんの写真があり、そして、「革命と表象」と大きく書かれ、「革命の子どもたち」上映記念フェアと書かれている。
これは、いい映画だ。この上映を記念しての「重信フェア」だ。これも凄い。
つまり、紀伊国屋新宿本店の3階は、「連合赤軍」と「日本赤軍」によってビルジャックされたような感じだ。
勇気がある。私だって、「いいのかな」と思うくらいだ。本当に凄い企画だと思う。
本を選んでブックフェアをするなんて、私も生まれて初めての体験だ。本当に嬉しいし、勉強になった。
どんどんと、こうした勇気ある企画が続くことを期待したい。
もう一つ、ぜひ、紹介しておきたいことがある。
別冊宝島で二つの画期的な本が出ている。一つは、前に紹介したが、『新しい「代表的日本人」』だ。日本人が世界に誇れる50人を集めて書いている。
〈「常識」「権力」「世界基準」を疑い、死ぬまで「信念」を貫き通した日本人たち〉だ。出光佐三、三島由紀夫、田中正造、岡本太郎、白洲次郎らだ。その中に、平塚らいてう、丸山眞男、石橋湛山も入っている。決して、「右派」的な人間だけでない。それら、硬派の人々を〈左右を超えて〉集めているところがいい。若松孝二、大島渚もいる。これは嬉しい。小田実、幸徳秋水、小林多喜二もいる。そうした人選には私も感動した。だから、この本には私も原稿を書いている。〈国賊と罵られ、潰される覚悟を持って行動した人に学べ〉
だ。
別冊宝島のもう1冊だ。これは今、出たばかりだ。『日本「愛国者」列伝』だ。〈「維新の志士」から「新右翼」まで52人の肖像〉を書いている。
三島由紀夫は、ここにも出ている。
他に、北一輝、井上日召、頭山満、石原莞爾らがいる。内田良平、大川周明もいる。
いわゆる右派的な人だけではない。又、右翼運動をした人だけでなく、「実業」「任侠」「軍人」「文人」の中からも愛国者を探しだして、書いている。これは貴重だ。
又、これらの人々は、今の保守派、右派文化人のように、「自分こそ愛国者だ」などと言わなかった人だ。亡くなったあとで、「あっ、あの人の一生は愛国的な一生だった」と他の人から言われる人だ。
そうした人々こそ、本当の愛国者だと思う。その点のことを私は書いた。
〈「俺は愛国者だ」という人に本物の愛国者はいない〉
だ。
やけに挑発的なタイトルだ。「一人で喧嘩売ってるんじゃないか」という人もいたが、決してそうではない。
昔、2.26事件の関係者の末松太平さんに言われたことを思い出して書いた。「君らは愛国者だとか、民族派だと名乗るけど、そう言われないと寂しいのですか?」と。
そんなレッテルを自分に貼ることはない。死んでから、「あっ、この人の一生は愛国者の生き方だった」と思ったら、皆、そう言うでしょう。
「愛国者」なんて自分で言うことじゃない。そう叱られたのだ。それを今、思い出している。
又、三島由紀夫は「愛国心」という言葉は嫌いだ、と言ってたし。
自分で名乗ると、その人間を傲慢にする。後の人々に「愛国者」と言われ、讃えられる人々は、決して自分から「愛国者」だと言わなかった。
そんな、伝説的な人々を集めている別冊宝島は、貴重だ。
それに、この本では、野村秋介さんは勿論だが、森田必勝氏、そして阿部勉氏も取り上げてくれたことだ。
これは嬉しかった。森田必勝氏においては、
〈三島由紀夫に殉じて割腹自決した「楯の会」の若きリーダーの覚悟〉
〈新右翼誕生への影響力〉
と書かれていた。
又、こうした本では余り取り上げられなかったが、阿部勉氏が大きく取り上げられていた。
〈「新右翼」勢力結集の中心〉。
〈「楯の会」第一期生としての入隊から「一水会」「風の会」までの道程〉。
阿部氏は一水会設立の時の中心人物だった。とても優秀な男だった。この男がいなければ一水会は出来なかった。
「名言」として、こんな言葉も紹介されている。
〈「吾人等は維新を阻害し停滞させる諸体制諸権力と対立し、その破壊を目的として行動する」
阿部が起草した一水会結成宣言より〉
そうなんだ。名文家でもあった。なお、「一水会」の名付け親でもある。又、「野分祭」も阿部氏が名付けた。
とても勉強家で、文章もうまい。優秀な人間だった。もっともっと多く書いてもらいたかったと思う。
ところが平成11年、亡くなった。53才の若さだった。
又、この〈日本「愛国者」列伝〉には、特別インタビューとして針谷大輔氏も出ている。「統一戦線義勇軍」議長だ。
〈愛すべき国であった日本を取り戻さないと。だから私は愛国よりも今は憂国なんです〉
〈巨大な利権構造の下に成り立っている原発。こんなもの失くしていかなきゃいかんでしょう〉
〈安倍総理は戦後レジームの脱却と言いながら、米国主導の戦後レジームにどっぷり浸かっている〉
…と発言している。なかなかいいですね。
そうだ。脱原発市長の三上さんにも送ってあげよう。
〈日本「愛国者」列伝〉と銘打ちながら、単なる「愛国者」の紹介には終わってない。果たして「愛国者」とは何か、と問題提起している。
こう書いている。
〈「嫌中・嫌韓」は果たして愛国なのか?
真の「愛国心」「日本愛」を考える〉
その意気やよし!だ。こうした論争はどんどんやってもらいたい。
これから、他にも、「愛国」「愛国者」を問う本が出るだろう。皆で、真剣に考えてもらいたい。
夕方、紀伊国屋書店新宿本店に行く。3階で、やっていた。「本当にやってた!」と感動した。「鈴木邦男が選ぶ連合赤軍ブックフェア」だ。凄い。こんなこと初めてだ。書店の人に挨拶し、写真も撮ってもらった。
夜、柔道。
①画期的なイベントです。
〈鈴木邦男が選ぶ「連合赤軍」ブックフェア
=我々はあの事件から何を受け継いできたのか=〉
凄いですね。紀伊国屋書店新宿本店3Fで行われています。7月1日(火)から1ヶ月です。フェアには、大きなポスターが掲げられてます。
あさま山荘の前に立つ私です。3人の私がいます。いろんな面から、連合赤軍事件を考える。ということでしょう。コメントのボードもあります。
又、「解説」のパンフレットを作って、置いてあります。ぜひ行って見て下さい。
②膨大な連合赤軍の本を集めました。当事者の証言。関係者の本。ライター、警察関係者。外国人研究者…と。私の『連合赤軍は新選組だ!』(彩流社)もあります。
それに基づいて、司馬遼太郎の『燃えよ剣』、子母澤寬の『新選組始末記』などもあります。私の独断で選んだユニークなブックフェアになってます。
③お隣のコーナーには重信房子さんのパネルが。「革命と表象=革命の子どもたち。上映記念フェア」と書かれています。重信房子さん、メイさんの本。日本赤軍の本など沢山あります。
左は連合赤軍。右は日本赤軍です。よく紀伊国屋もやったものだと思います。凄い決断です。
⑤7月2日(水)神戸に行きました。内田樹さんと対談しました。午後1時から5時まで4時間。それから、近くの居酒屋で7時まで。
内田さんは深いです。濃いです。何でも知ってます。
8時の新幹線で帰りました。話してる時間6時間、新幹線に乗ってる時間。6時間。ひたすら本を読みました。充実の一日でした。
⑧それに阿部勉氏も。「楯の会」一期生で、その後、一水会を創った時の世話人です。私が年長だったので「一水会代表」になってましたが、実は、一水会の名前を作り、事務所を作ったり、「結成宣言」を作ったのは阿部氏です。
⑨私も原稿を書いてます。〈「俺は愛国者だ」という人に本物の愛国者はいない〉です。
「一人だけ、喧嘩を売ってるね」と言われますが、違います。今の安全圏から吠えている保守派批判です。「この人こそ愛国者だ」と他の人たちから言われる人。そんな、本物の「愛国者」を私は見てきた。
又、この本でも、そうした本物の愛国者を特集しています。
⑩元自衛隊の寺尾克美さんの講演を聞きました。6月28日(土)です。三島由紀夫研究会の例会に出て、聞きました。
あの三島事件の時、監禁された益田総監を救出しようと寺尾さんたちは、総監室に飛び込みます。三島たちは日本刀を振るい追い返します。寺尾さんは三島に三太刀、斬られます。最後の一太刀は、背中をザックリと斬られ重傷でした。
救急車で運ばれる時も、「もうダメだ」と皆が思ったそうです。でも奇跡的に助かりました。
もし、亡くなっていたら、いわゆる「三島事件」はなかったでしょう。「殺人事件」で終わり。思想的事件としては、取り扱われなかったでしょう。
その意味で、寺尾さんが「三島事件」を支え、作ったとも言えます。前に『紙の爆弾』で詳しく話を聞きました。又、聞いてみたいです。
⑪始まる前に、「あの時」の話を詳しく聞きました。三島に斬られた時の話。又、三島の演説に対し、自衛隊員は野次と怒号で応えた。ただの「群衆」だった。規律ある行動をするはずの隊員がなぜ、あの時だけは「群衆」「暴徒」になったのか。…などを聞きました。
⑫この三島研の時に、森田必勝氏の貴重な写真が紹介されました。(森田氏は三島と共に自決した人で、「楯の会」学生長でした)。
これは嬉しかったし、懐かしかったです。
これは早大キャンパスです。ラフな格好で通学しています。これでは分かりませんが、足元を見ると、何と、下駄をはいてます。当時は、下駄や高下駄で通学する学生が随分いました。私も足駄(高下駄)をはいて、カランコロンと音をさせて通学してました。
⑭6月28日(土)三島研を途中で抜けて、日本青年館に行きました。「大日本生産党再建60周年記念祝賀会」に出ました。
生産党は内田良平先生が作り、80周年です。再建されて60年です。元党首の鴨田徳一先生の挨拶です。鴨田先生、北上先生、杉山さんなど生産党の方々からは、とても教えられました。お世話になりました。
⑮右は新党首の丹野寛親さんです。左は一水会代表の木村三浩氏です。隣はペマ・ギャルポさんです。よくテレビにも出ています。
昔、ペマさんや高橋尚樹氏に連れられて、インドに行き、ダラムサラにいたダライ・ラマさんにお会いしました。チベット問題については最も詳しい人です。又、行動家です。
⑯木村三浩氏、丹野党首、杉山清一さん、鈴木。杉山さんには特にお世話になってます。
一水会世話人だった阿部勉氏とは大の仲良しで、埼玉県朝霞に一緒に住んでました。私もよく遊びに行きました。丹野党首とは初対面かと思ったら、「20年前に会ってます」。私が九州に行った時、一緒に車で移動したそうです。「そういえば」と記憶が甦ってきました。お世話になりました。一水会福岡の塚本氏夫妻も一緒にいたんでしたね。
⑰6月29日(日)午後2時から、神保町の「たんぽぽ舎」で。
〈「“よど号”拉致でっち上げ逮捕状の撤回を求める国賠裁判を支える会」結成の集い〉。そこに出席しました。私も呼びかけ人です。
44年前、赤軍派の9人は、「よど号」をハイジャックして北朝鮮に渡った。その時、ハイジャックし、乗客に迷惑をかけたことは反省し、謝罪している。帰国して裁判を受け、刑に服したいという。
ところが今、「よど号」グループは、ヨーロッパで日本人留学生を拉致し、北朝鮮に連れて行ったという「疑惑」をかけられている。全くのでっち上げであり、それだけは撤回してくれと彼らは言っている。
日本でもそれに呼応して、集まったのが今回の集会だ。写真左には、植垣康博さん、足立正生監督の姿も見えますね。
⑳ピョンヤンにいる「よど号」グループからは、「ビデオメッセージ」が届きました。「よど号」代表の小西さんです。
あまりにも礼儀正しい挨拶なので、見てた人が「まるで政見放送みたい」。そうですね。政治活動をしてる人の政治演説だから。