2014/07/14 鈴木邦男

函館の翌日は、「免許」へのチャレンジ。
暑い夏の、熱いミッションです!

①急遽、行きました。唐牛さんの墓前祭に

函館・唐牛健太郎さんの墓前祭。7/5(土) 函館・唐牛健太郎さんの墓前祭。7/5(土)

仕事が立て込んでいるし、今年は無理だな。と思って断念した。

7月5日(土)の函館だ。60年安保闘争の時の全学連委員長・唐牛健太郎さんの墓前祭だ。

「今年は、ちょっと行けません」とメールした。そしたら当人からメールがあった。

「おいおい、鈴木君、冷たいじゃないか。1年に1度なんだから来いよ」と。

あれっ、唐牛さん本人からのメールかな。あるいは、誰かの「なりすましメール」かな。

どっちでもいいや。「分かりました。行きます」と返事した。それに、皆に報告したい大事なことがあるし。

お墓の前で、金さんと お墓の前で、金さんと

雑誌の対談や、インタビューなど入っていたが無理を言って変えてもらった。

原稿の急ぐものは、朝まで、必死で書いた。延ばせるものは延ばしてもらった。5日(土)に「ザ・ニュース・ペーパー」に行く予定してたが、これも、無理を言って6日(日)の夕方に変えてもらった。

他にも、いろいろあった。忘れていて返事をしなかったものもかなりある。申し訳ない。

今月は2日(水)に神戸に行き、内田樹さんと対談した。

そして、5日(土)、6日(日)は函館だ。報告することが3つあるし、皆と話し合おうと思っていた。重大なミッションだ。

お墓は海と波を表してます お墓は海と波を表してます

だが、帰ってきてからが大変だった。これは今夏最大のミッションかもしれない。最大の危機であり、挑戦だった。

一度は断念した「函館行き」と同じで、こっちのミッションも初めは断念した。面倒だ。もういいかな。車の運転も、もうしないだろうし…と。

そうなんですよ。車の「免許書き替え」だ。

「そんなのが大問題かよ!」と思われるだろう。それは若い人の考えだ。

70才になったら、ともかく大変なのだ。高齢者には超厳しい社会なんですよ、この国は。

1969年に私は車の免許を取った。学生運動から追われて、仙台の実家に帰り、本屋のアルバイトをしながら、生活していた。

「もう運動に戻る事もないだろう」(俺の人生はこれで終わった)と思っていた。まだ20代後半だったのに。

その時、どうせ時間があるんだから、車の免許でも取ろうかと思い、黒松の自動車学校に通った。

挨拶する唐牛さんの奥さん 挨拶する唐牛さんの奥さん

担当の指導員は皆、厳しくて、それに口が悪い。

「あんだ。にぶいね。もうやめた方がいいんじゃないの」「いぐらやってもダメだよ、あきらめろ」なんてズケズケと言う。カーッとなって、殴りそうになった。

でも、我慢に我慢を重ねて、やっと取った。

苦労に苦労を重ねて取った免許だ。更新は、だから毎回キチンとやっていた。

翌、1970年に、縁があって産経新聞に入った。

11月に三島事件があった。昔の仲間たちが再び、集まってきて、2年後、一水会を創る。

しかし、会社は続けていた。販売局で宮城県担当の〈助手〉になった。

挨拶する佐野眞一さん 挨拶する佐野眞一さん

宮城県内を車に乗って毎日回り、販売店を訪ねて、部数を少しでも取ってもらうように交渉し、集金をし…。そんな毎日だった。

仙台の親に中古の車を買ってもらい、それで毎日、宮城県の販売店回りをした。車は、スプリンターだった。結構、乗りやすかった。

その前に、書店のバイトをしてた時、パブリカを貸し与えられ、それに乗って仙台中を配達して回った。

産経を辞めて一水会専従のようになった時、運動の先輩から中古のブルーバードをもらった。

だから、今まで3台、乗り回したわけだ。

②車の免許を返納するか。チャレンジか。

私も挨拶しました 私も挨拶しました

当時は毎日のように車に乗っていた。ところが、ここ20年位は全く運転をしたことがない。でも、免許の書き替えは毎回、やっている。

書き替えをしなかったら、免許はなくなる。今さら取るのは大変だ。あんなに苦労して取ったんだ。

それに、「免許証」は「身分証明書」になる。頻繁に使う。

たとえば、TSUTAYAの会員になる。カードの書き替え。ネットカフェの会員。

いろんなカードを作る時、いつも、「身分を証明するものを」と言われる。

その時、車の免許証を出す。他にはない。会社に勤めていないから社員証もないし。もう一つ、パスポートがあるが、これは毎日持って歩くわけにもいかない。

だから車の免許は大切だ。これだけが〈私であること〉を証明してくれる。

だから毎回、ちゃんと書き替えはやっている。府中の運転試験場まで行ってやっている。

唐牛さん、佐野さんと 唐牛さん、佐野さんと

今は、警察署でもやってくれるらしい。でも、ちょっと嫌だ。行ったら、「おっ、鈴木か。やっと自首してきたか」と言われそうで。

もう悪いことはしてないし、何も怯えることはないのだが。ちょっと警察に行くのは…と思う。

それで、いつも府中まで行ってる。

行って、書類を出し、目の検査をして、安全運転の講習を受けて、それで終わりだ。これを読んでる皆もそうだろう。

ところが。70才を過ぎると、いきなり厳しくなる。

高齢になると、「とっさの判断が出来ないのではないか」「動作が鈍くなるから、本当に運転出来るかどうか検査しなくては…」と思うんですな、国家は。

70才までは、「ペーパー・ドライバー」は沢山いる。

何年、何十年も運転しなくても、書き替えだけはやって、「免許」を持ってる人たちだ。

花房東洋氏と 花房東洋氏と

でも、ほとんど運転が出来ない。こんな、「ペーパー・ドライバー」は沢山いる。

しかし、70才以上の人に対しては、この「ペーパー・ドライバー」を認めないのだ。

「不公平だ」「高齢者差別だ」と言っても、仕方はない。

70才以上には、「本当に運転が出来るかどうか」の適性検査をする。又、実地に運転させてみて、「合格」か否かを検定する。

つまり、免許の書き替えの前に、車の教習所に行って、高齢者用の講習と検査を受けてこい。この「修了証」を持ってきたら、「免許の書き替え」をさせてやる。というシステムなのだ。

最近始まったことだろう。「こんな面倒なことなら、もういらない!」と言って、行かない人もいる。実は、国としてはそれを期待してるわけだ。

③70才になると、さらに過酷な現実が…

秋山祐徳太子さん 秋山祐徳太子さん

田舎に行くと、90才以上でも車の運転をしてる人がいる。バスや電車はないし、他に「足」がないので、車を運転するのだ。

これでは100才になっても120才になっても運転する人が出る。危ない。といって、「80才以上は車の運転禁止」とい法律は作れない。

(いつかは出来るかもしれないが、高齢者の保守票を逃したくないから、当分はやらない)。

だから、70才以上の人には、本当に運転出来るかどうか」検査することになった。

「こんな面倒な手続きがあるんなら、もういらない」と言う人も出る。そうなれば、かえっていい。

逮捕時の唐牛健太郎さん 逮捕時の唐牛健太郎さん

でも身分証明書代わりに車の免許を使ってる人が多い。他に身分証明書になるものはないのだし。

そのために、今は、「免許を返納しても、身分証明をしますよ」と言っている。「この人は、車の免許を持ってましたよ」という証明書だ。

「それを出すのだから、70才以上の人は安心して免許を国に返して下さいね」というわけだ。

ともかく、高齢者からは全員、免許を取り上げたいのだ。

でも、私としては、シャクだ。これをもらえても嫌だ。

よく、「元国会議員」とか、「元アナウンサー」「元」どこそこの雑誌に連載してたとか。そんな名刺を持ってる人がいる。あれと同じようで嫌だ。

直会で 直会で

「元、免許を持ってました。それを証明します」「でも今は年寄りで、車の運転は危ないから免許を国に返してもらいましたよ」と言われているようで。

だから、持ち前の反逆心がムクムクと湧き上がったんですよ。「よし、やってやろうじゃないか!」と。

再び、国家との闘いだ。反体制の闘いだ。戦後レジームとの闘いだ。

大体、免許の書き替えとか車検なんて、日本にしかない制度なんです。

どこの国だって、一度免許を取ったら死ぬまである。だって、その人のものだから、車だって、調子が悪かったら、自分で修理に出す。

自分の車、自分の命だ。自分で守るべきだ。そういう考えだ。日本だけが、こんなことをやっている。

佐野さんの挨拶 佐野さんの挨拶

「交通安全」のためだ、と言うが、いろんな人間が天下ったり、〈仕事〉を作るためだ、とも言われている。いつか、行革の対象になるかもしれない。

しかし、今はこの「二重の関門」がある。嫌なら、免許を返せ、と迫られる。

普段、運転してる人ならいいが、私は20年ほど全く運転してない。

それに20年前も、クラッチのあるマニュアル車しか乗ってない。オートマ車には一度も乗ったことがない。

だから、レーニンさんの車を借りて、少し練習しようかな、と思ったが、時間がない。

それで、「エーイ、一発勝負だ」と思って、金町の自動車教習所に行ったんですよ。

④オートマ車に初めて乗って、講習。適性検査。

花房氏と函館山で 花房氏と函館山で

別に金町でなくても、都内ならどこでもいい。

しかし、「予約状況」を見たら、都心は皆、予約が一杯だ。比較的空いてるのは葛飾区とか墨田区だ。同じ東京都だから、八丈島や大島でもいいのだが、ちょっと遠すぎる。

それで金町に電話して、予約を取った。「はい、高齢者講習ですね」と…。

いちいち「高齢者」と言われる。いきなり年を取った感じになる。

それで、行ったんですよ。函館から帰ってきた翌日、朝6時に起きて。8時半集合だというし。

この日は7人ほどの高齢者がいて、講習を受ける。

「講習」といっても、やたらハードだ。

交通法規、安全運転の話を聞き、それから、車に乗って「さあ、運転して下さい」と言われる。

さらには、コンピューターの車の前で、いろんな状況に直面した時、判断が出来るか…の検査がある。

合計4時間以上だ。それを耐えたんですよ、私は。

初めに言いましたよ。「免許はほしい。国に返納したくない。でも20年も運転してない。オートマ車は初めてだ」と。

そしたら、係官は優しく教えてくれる。「はいはい。これがスイッチ。これがアクセル。これがブレーキですよ」と。

函館の夜景は世界一です
函館の夜景は世界一です

クラッチはない。「クラッチのある車は今は、ほとんどないです。9割はオートマ車です」。

「えーと右足でアクセル、左足でブレーキかな?」

「いえ、両方とも右足だけで操作して下さい。左足は使いません」。

そうか。イザという時に、両足踏み込んじゃ危ない。必ずアクセルを離して、ブレーキを踏むんだ。

「これがニュートラル。これがドライブ、これがバックです」と教えてくれる。

「ウインカーはどこですか?」

「これです」

「ワイパーは?」

「これです」。

キューバの酒を飲んでます キューバの酒を飲んでます

おっ、面白い。水も出るよ…と感動しながら習ってる生徒でした。

「じゃ、動かしてみましょう」と動かす。ウワー!20年ぶりに運転してるよ私は!と感動と緊張の体験でした。ともかく緊張しまくりでした。大変でした。

そして無事、修了。合格でした。「修了証」をもらいました。45年前に初めて免許を取った時のような感動でした。

翌日は、さっそく、府中の試験場に行き、書き替えをしました。検査も余りないし、こっちはスムーズに行きました。

免許を「返納」しないでよかった。やっぱり、やるだけは、やってみなくっちゃ。

70才を過ぎると、いきなり社会の対応が過敏になる。

そうだ。民生委員が突然訪ねて来た。「70才以上の独居老人」を心配して回ってくれるのだ。

「一人で買い物行けますか」「介護が必要ですか」と聞かれる。

「何か、お困りのことは?」。

「今の“右傾化”の状況が心配です。それにヘイトスピーチも」と言ったら、「?」。となりました。

⑤今は、民生委員が来るけど、昔は…

松下アキラさんと。7/6(日) 松下アキラさんと。7/6(日)

こんなことも言われる。70才以上の人で寝た切りになったら、立ち上がれなくなる。だから、カゼや転倒に気をつけて下さい。ついつい寝たままになる。そして起き上がれなくなる。だから転ばないように。又、カゼは万病の元だ。カゼをひかないように。それに、ストレスをためないように…と、いろんな注意事項がある。でも私は、全部当てはまるよ。大変だ。

カゼはよくひいて、よく寝込んでいる。でも薬は飲まないで、厚着をして汗を出して、自分で治している。

ストレスはたまってる。鬱っぽい。引きこもっている。

それに、よく転ぶ。危ない。自分では転ばないようにしてるのに、他人に転ばされる。

浜田太一さんと 浜田太一さんと

「危ないじゃないか!」と言っても、相手は手加減しない。突き飛ばす。投げ飛ばす。あっ、柔道の話だけど。

でも、「よく転ぶ」のは事実だ。

70才以上の独居老人は友達がいなくて、「2週間以上、誰とも話したことのない人」が半分以上なんだという。

そうか。私も、この2週間、誰とも話してない。(少しは話しているかな)。

それにしても、変だよね。ちょっと前までは、警察が、(それも警視庁、中野警察、公安調査庁)が、「危ないことを計画してるんじゃないのか」と聞き込みに来た。

尾行された。張り込みもされた。今だって、時々あるんだろう。

それなのに、今度は、民生委員が訪ねて来て、「一人で生きてますか」「買い物行けますか?」と心配して、見回りに来る。

「故宮博物院」展を見ました 「故宮博物院」展を見ました

なんか、寂しい気もする。まだまだ免許を返納しませんよ。もっともっと挑戦してみたい。

車のロードレースにも出てやる。冬になったら、スキーやスケートも再度、挑戦しよう。

本のノルマだって、さらに上げてもいいな。その上で、〈全集〉にも次々と挑戦して、読んだ人たちと対談しよう、と欲張りなことを考えている夏です。

あっ、函館の話を書かなかったな。

詳しくは、「マガジン9」の連載に書いたけど、急遽、行ってきたんですよ。報告することが3つあったし。

1つは、唐牛健太郎さんのいとこのご婦人に会ったこと。

2つ目は、今年の唐牛さん追悼集会で、高沢皓司さん(作家)に会って、その後、インタビューしたこと。

「ジョン・ラーベ」上映とシンポジウム8/23日(土)です 「ジョン・ラーベ」上映とシンポジウム

それが、今発売中の『紙の爆弾』に出ている。これは衝撃的な話を聞けた。

そして第3は、今、紀伊国屋書店の新宿本店3Fで、「鈴木邦男が選ぶ連合赤軍ブックフェア」をやってること。

それらを報告しました。皆、驚いていた。

「何でお前なんかがやるんだ」「連赤関係者は一杯いるのに…」「世も末だ」と嘆く人も…。勝手に嘆いていろ、と思いました。

でも、佐野眞一さんや、花房東洋氏、高橋公さん、唐牛真喜子夫人、秋山さん、三島さん、金さん…。たちに会って、いろんな話が出来たし、行ってよかったと思いました。

又、短い時間だったけど、函館の夜景も見ることが出来たし。堪能しました。ヘミングウェイの愛したキューバの酒も飲んだし。

学生時代の私です(右から2人目)
学生時代の私です(右から2人目)

【だいありー】

ミニチュアです
ミニチュアです
「早大生」の寅さん
「早大生」の寅さん
寅さん像の前で。柴又駅
寅さん像の前で。柴又駅
寅さん記念館で 寅さん記念館で
  1. 7月7日(月)朝7時に家を出て、金町の自動車教習所に行きました。「免許書き替え」の前の「高齢者講習」。
     教科、そして実技。さらに反射神経を見るための検査など。びっちり4時間以上、必死でやりました。
     そして無事、修了。ホッとしました。
     金町から帰ろうとしたら、案内ボードが。「柴又帝釈天まで1600メートル」と。
     おっ、寅さんのとこじゃないのか。と歩きました。
     帝釈天に参拝し、近くの食堂で「寅さん定食」を食べ、「寅さん記念館」を見て、「山田洋次ミュージアム」を見ました。
     今日は早朝からのミッションだったので、これでもまだ4時頃だ。
一緒に写真を撮りました 一緒に写真を撮りました

じゃ、と思い立って講道館へ。ガンガン稽古をしました。

「車の免許。寅さん。柔道」。…と、今日は実に充実した一日だった。

  1. 7月8日(火)朝8時に家を出る。府中の自動車運転試験場へ行く。武蔵小金井からバスで20分だ。昨日の、「高齢者講習」の修了証があるので、検査は少ないし、「交通安全講習」もない。お昼には、もう新しい免許証をもらった。嬉しい。
     今回は特に苦労して取ったので。「免許書き替え」というよりは、新たに免許を「取った」ような感じだ。
     それから新宿に出て、仕事の打ち合わせと取材。そして、図書館。
「寅さん定食」を食べました 「寅さん定食」を食べました
  1. 7月9日(水)午前中、原稿。
     午後1時、市ヶ谷の山脇美術館。龍まんじさんの個展を見る。
     龍さんは、以前、「バロン吉元」の名前で柔道漫画「柔侠伝」を描いていた。親子4代にわたる柔道家から見た日本の歩みを描いた大河漫画だ。戦後漫画史の中ではトップに位置づけられるだろう。
     「今度、柔侠伝を中心に個展をやり、シンポジウムをやりましょうよ」と提案した。「いいねー」と言ってました。
     今日は個展最終日で、午後2時に終わる。私は1時に着いた。ギリギリ最後に見たわけだ。
「軍師官兵衛」展を見ました 「軍師官兵衛」展を見ました

それから両国に行く。江戸東京博物館でやっている「軍師 官兵衛」展を見る。よかった。

それから、ここの最上階レストランで、「官兵衛ご膳」を食べた。眺めがいい。贅沢をして、ビールも飲んだ。本も読んだ。

「あっ、いけない。これからラジオだ」と思い直し…。夜8時からJ WAVEの「JAM THE WORLD」に出る。ヘイトスピーチについて。

  1. 7月10日(木)今日は学校はない。夏休みだ。
     午前中、上野に行く。東京国立博物館で、「故宮博物院」展を見る。人が多かった。素晴らしい。
     そのあと、上野駅の傍で、ビールで焼き肉。1人で昼からビールを飲んでいる。いいのかな、と思うが、今週は、「免許」取りのミッションをやり遂げたんだし、いいだろう。
「官兵衛ご膳」を食べました 「官兵衛ご膳」を食べました

そのあと、恵比寿へ。東京都写真美術館へ。「スピリチュアル・ワールド」展と、「世界報道写真展」を見る。よかったですね。

それから、地下鉄で千駄木へ。禅寺・全生庵へ行く。

ここで毎月、「谷中政経塾」という勉強会が行われている。以前、私も講師で出た。そのあと、今度は私も、時々、聞きに行っている。

元警察庁長官の國松さんなどの講演会に行き、紹介してもらった。多くの人を紹介してもらった。

この日は、前総理大臣の野田佳彦さんだ。「ぜひ、聞かなくちゃ」と思って行った。超満員だった。

テレビで見る野田さんと違う。2時間ほど、喋る。凄い人だと思った。政治哲学を持ってるし、「決断力」がある。

全生庵で。野田佳彦さんの講演 全生庵で。野田佳彦さんの講演

「これは国家のために、やらなくてはならない」と思ったことは、先送りしない。「党内融和」や「選挙対策」で、税の問題など先延ばししてきた総理が多いが「私はやる」という気概でやった。

消費税など、困難なことは野田さんにやらせて、その成果の上で、安倍さんは、「アベノミクス」や、「日本を取り戻す」と言っている。

それに、野田さんといえば、「いつ辞めるんだ!」と言って攻撃されてるシーンだけがテレビに流される。こういう形で、きちんと野田さんの考えを聞けたのは、多分初めてだ。その意味で貴重な講演だった。聞いていた人々も皆、感銘を受けていた。

講演後、野田佳彦さんと 講演後、野田佳彦さんと

帰り際、「初めまして」と言ったら、「あっ、鈴木さん。どうして来たの」なんて言われた。知っててくれた。そして写真を。じゃ、私も、と何人かが一緒に入った。「今度、ゆっくり話しましょうよ」と。

野田さんは中学・高校で柔道をやってたし、強いんだ。その話も聞きたい。前日会った龍まんじさん(バロン吉元さん)も、中学・高校で柔道をやっていた。黒帯だ。じゃ、バロンさんとも柔道の話をしたい。実際、乱取りをして、そのあと対談でもいいな。

バロン吉元さんと バロン吉元さんと
  1. 7月11日(金)原稿がたまっているので、必死で書く。
     夕方、両国へ行く。忙しいから、やめようと思ったが、これはぜひ見ておかなくちゃと思った。
     アメリカのプロレス(WWE)が来て、日本ツアーをやっている。何と、ハルク・ホーガンが来る。これは見たい。
     日本では、プロレス人気は下火だし、テレビ中継もほとんどない。PRIDE、K-1などの格闘技の試合もない。アメリカのプロレスが来たって、見る人はいないだろう。すいてるだろう。と、見くびって行ったら、とんだ勘違いだった。
     超満員だ。チケットも全て売り切れ。一番高い席しかない。迷ったが、買った。それだけの価値はあった。興奮と感動の3時間半だった。
     日本人レスラーは1人もいない。アナウンスも、マイクアピールも全て英語。でも、皆、立ち上がり、熱狂している。英語で叫んでいる。英語のボードを立てている。
     演出もうまい。鍛え抜かれた大男たちが、ぶつかり合い、宙を飛ぶ。陶酔する。久しぶりにプロレスを見、久しぶりに感動した。
バロンさんの戦争画です
バロンさんの戦争画です
  1. 7月12日(土)午前中、原稿。
     午後1時から、円より子さんが主宰する「女性のための政治スクール」で講演。参加者は全員女子。初めての体験でした。「保守とは何か」について。最近の日本の「右傾化」「愛国心」「保守」などについて話す。
     そのあと質疑応答。
     その後、鹿砦社の集会に行く。「7.12鹿砦社弾圧9周年の集い」。4時から、「たんぽぽ舎」でやっていた。さらに6時からは、上野。東北学院榴ヶ岡高校の同窓会に出る。東京在住者だけの集まりだ。それでも沢山の人が来ていた。
  2. 7月13日(日)午前中、原稿。
     午後から、西川口の「河鍋暁斎記念館」を見る。
     それから北浦和の「埼玉近代美術館」に行く。よかった。勉強になった。
     今月は、地方に行ったり、車の免許などで時間がとられて、仕事がはかどらない。そのくせ、美術館などに行ってるが。読書のノルマも果たさなくちゃならんし。「ノルマと挑戦」ですよ、人生は。

【写真説明】

函館・唐牛健太郎さんの墓前祭。7/5(土)

①7月5日(土)午後3時より、函館。60年安保の全学連委員長・唐牛健太郎さんの墓前祭が行われました。亡くなって30年です。全国から多くの人たちが集まりました。左は高橋公さん。中央は秋山祐徳太子さん。お墓は秋山さんが造りました。

お墓の前で、金さんと

②お墓の前で金廣志さんと。

お墓は海と波を表してます

③お墓の正面はギザギザになって波を表してます。唐牛さんの好きだった海、波です。

挨拶する唐牛さんの奥さん

④挨拶する奥さん。唐牛真喜子さん。右は高橋公さん。

挨拶する佐野眞一さん

⑤作家の佐野眞一さん。唐牛健太郎さんの評伝を書こうと今、取材しております。

私も挨拶しました

⑥私も挨拶しました。

唐牛さん、佐野さんと

⑦唐牛真喜子さん、佐野眞一さんと。

花房東洋氏と

⑧何と、花房東洋氏も来てました。「鈴木さんとは50年前からの知り合いです」と挨拶してました。一緒に「生長の家」の運動をしてたんですね。

秋山祐徳太子さん

⑨秋山祐徳太子さんの挨拶。唐牛さんとほぼ同年代なんですね。元気です。

逮捕時の唐牛健太郎さん

⑩「唐牛さんの逮捕された時の写真です」と、参列した人が見せてくれました。
 「咆哮の声をあげて不服従の意地を貫く唐牛の決定的瞬間」と書かれてます。サバンナのライオンのように暴れ、疾走し、両側の警察官は引きずられたそうです。

直会で

⑪墓前祭が終わり、場所を移して直会(なおらい)です。花房氏や金さんもいます。

佐野さんの挨拶

⑫佐野眞一さんが、話してます。唐牛さんの評伝について、かなり詳しく計画を話してました。

花房氏と函館山で

⑬直会(二次会)の直後、ロープウェーで函館山へ。花房氏、金氏と。その後、直会(三次会)に合流しました。

函館の夜景は世界一です

⑭いつ見てもきれいですね。函館の夜景は。

キューバの酒を飲んでます

⑮三次会で。キューバのお酒を飲んでます。ヘミングウェイも好きだったそうです。おいしかったです。「フローズン・ダイキリ」というんですね。ストレートで飲むんですよ。

松下アキラさんと。7/6(日)

⑯7月6日(日)午後5時から、新橋・博品館劇場で。「ザ・ニュース・ペーパー」の公演を見ました。松下アキラさんと。オバマ大統領を演ってました。似てます。

浜田太一さんと

⑰浜田太一さんと。浜田さんとは前にラジオにも出ました。

寅さん記念館で

⑱7月7日(月)金町の自動車教習所で「高齢者講習」を受け、実技・理論とも合格。修了。それで、ホッとして、近くの柴又に行きました。「寅さん記念館」で。寅さんが寝てました。

一緒に写真を撮りました

⑲寅さんと一緒に撮る写真があったので撮りました。テレカにして、皆に配ろうと思います。

ミニチュアです

⑳柴又の街のミニチュアです。よく出来てます。

「早大生」の寅さん

㉑早大生の寅さん。きっと夢ですね。ハッと目覚めるんでしょうな。でも、本当に早大に入り、全共闘運動をやったら面白かったのに。

寅さん像の前で。柴又駅

㉒柴又駅前には寅さんの銅像が建ってます。

「寅さん定食」を食べました

㉓柴又駅近くの食堂で食べました。「寅さん定食」です。寅さんはこんな贅沢はしなかったでしょう。右にはカモ焼きがあります。寅さんだって鳥は苦手じゃないのかな。

バロン吉元さんと

㉔7月9日(水)今日で終わりなので慌てて見に行きました。バロン吉元さんの個展です。「柔侠伝」で有名な人です。
 連合赤軍の植垣康博さんは、この漫画の主人公に似てたので、皆から「バロン」と呼ばれていたそうです。出所後、静岡でスナックを開き、「バロン」と名付けました。
 一度、植垣さんを紹介しました。バロン吉元さん、今は名前を「龍まんじ」と変えて、本格的な絵画に挑戦しています。後ろの絵は、まるで、ピカソの「ゲルニカ」のようです。

バロンさんの戦争画です

㉕バロンさんの戦争画は、悲惨な戦争の中にも、いろっぽい女性が登場します。

「軍師官兵衛」展を見ました

㉖この後、両国に行きました。「江戸東京博物館」です。「NHK大河ドラマ特別展・軍師官兵衛」を見ました。よかったです。
 50年後には、連合赤軍も大河ドラマになって、江戸東京博物館で「特別展」が開かれるでしょう。

「官兵衛ご膳」を食べました

㉗江戸東京博物館の最上階にあるレストランに入りました。「官兵衛ご膳」を食べました。2000円です。
 ビールを飲みながら、食べ、そして本を読みました。贅沢な一時です。左にあるのが内田樹さんの『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)です。再読ですが、とても教えられます。

「故宮博物院」展を見ました

㉘7日(月)は金町自動車教習所で、「高齢者講習」をマスターし、8日(火)は府中運転試験所で、無事、免許証書き替えが終わりました。苦闘した鈴木君へのごほうびですね。
 9日(水)は龍まんじさん個展。江戸東京博物館での「官兵衛」展。そして、この日、10日(木)は上野で「故宮博物院」を見ました。感動的でした。実は私は「故宮博物院」には両方とも行ってるんです。台北と、北京と。これで3回目ですね。

全生庵で。野田佳彦さんの講演

㉙10日(木)は、上野で「故宮博物院」を見て、それから恵比寿の「東京都写真美術館」に行きました。「スピリチュアル・ワールド」と、「世界報道写真展」を見ました。
 そして、千駄木に。7時から全生庵で行われた野田佳彦さんの講演を聞きました。とてもいい話で、感動しました。今まで、これだけ、時間をとってゆっくり話す機会がなかってんですね。惜しいです。

講演後、野田佳彦さんと

㉚帰り際に挨拶しようとしたら、「あっ、鈴木さん、どうして?」と野田さんに言われました。「野田さんの話を聞きに来たんです。とてもよかったです」と言いました。又、ぜひ、ゆっくり話を聞きたいです。

「ジョン・ラーベ」上映とシンポジウム8/23日(土)です

㉛映画「ジョン・ラーベ=南京のシンドラー」の上映とシンポジウムが行われます。8月23日です。感動的な映画です。シンポジウムには私も出ます。

学生時代の私です(右から2人目)

㉜前に、ポレポレ東中野で映画を見てたら、ご婦人に声をかけられました。「昔、生長の家の学生運動をしてました。その時のリーダーの鈴木さんですよね」と。
 懐かしかったです。「昔の写真を探して送ります」と言ってました。そして届きました。皆、爽やかな若者たちですね。右から2人目が私らしいです。その左が、写真を送ってくれた人です。小山さん、江副さん、川島さんなどがいます。

【お知らせ】

  1. 7月15日(火)「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。午後6時。合田一道さん(作家)がゲスト。テーマは、〈「北の墓」を通して見えるもの〉。
     合田さんは最近、『北の墓=歴史と人間を訪ねて』(上・下。柏艪舎)を出版し、話題を呼んでおります。
     問い合わせ・申し込みは柏艪舎へ。011(219)1211
  2. 7月16日(水)一水会フォーラムホテルサンルート高田馬場。午後6時受付開始。講師・鳩山由紀夫氏(元内閣総理大臣)。演題「異論・反論・オブジェクション。東アジア共同体構築へ」。お問い合わせ・申し込みは、一水会事務局へ。03(3364)2015。
  3. 7月19日(土)午後2時。エルおおさか7F 708号室。「和歌山カレー事件を考える人々の集い」。
    〈和歌山カレー事件から16年。林眞須美さんは、獄中から無実を訴え続けています!〉
     「創」編集長が語る和歌山カレー事件。鈴木邦男の挨拶。報告、和歌山カレー事件再審弁護団、などがあります。
     7月15日(火)林眞須美さん他が書いた『和歌山カレー事件=獄中からの手紙』(創出版)が出ました。ぜひ読んで下さい。
  4. 7月19日(土)より、ポレポレ東中野で緊急ロードショー。連日19:00より上映。大浦信行監督の映画「靖国・地霊・天皇」です。これは凄い映画です。
  5. 7月20日(日)午前11時10分から、「愛知サマーセミナー」で講演。場所は、名古屋市立大学・教養207です。サマーセミナーは、7月19日(土)から21日(月)まで大々的に開催されます。
  6. 7月26日(土)午後2時、原宿の千駄ヶ谷区民会館。「ソーシャル21 」主催のトークイベント。「欧州極右の躍進と日本のゆくえ」。パネラーは、五百蔵洋一氏、及川健二氏。そして私も出ます。
  7. 8月2日(土)午後1時、阿佐ヶ谷ロフト。毎年恒例の「生誕祭」です。
     出演が決まったゲストは。上祐史浩さん。飛松五男さん。植垣康博さん。徐裕行さん。金廣志さん、塩見孝也さん、今井紀明さん、篠田博之さん、山口祐二郎さん…などです。
「軍歌」について考える集会 「軍歌」について考える集会
  1. 8月6日(水)午後6時半より、池袋の自由学園明日館講堂(豊島区西池袋2の31の3)。「音楽寺子屋」を開催します。テーマは「軍歌・戦時歌謡とその時代」。去年、下北沢で、「君が代」の成立についてのシンポジウムを行いましたが、今年は、〈軍歌〉をテーマに考えます。パネラーは、白井伸幸氏、戸ノ下達也氏、鈴木邦男です。
  2. 8月23(土)文京シビックホール2F。12時半から、映画「ジョン・ラーベ〜南京のシンドラー〜」上映。その後、3時より。シンポジウム。永田浩三さん(元NHKプロデューサー・武蔵大学教授)、永田喜嗣さん(ジョン・ラーベ研究家・大阪府立大学)、そして私も出ます。
  3. 9月9日(火)「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。午後6時。ゲスト・高遠菜穂子さん。テーマは「イラクから学ぶ=“対テロ戦争”とは何なのか?」。